2004/11/01(Mon)
だから法って何だよ
九段下へ初出社。ふつうの街だ! あまりに長らく特殊な街に暮らしたものだから、マックがあり、スタバがあり、パスタ屋、天丼屋、中華料理屋、そば屋があるという環境に社員一同、感涙。しかし、食べるところの選択肢が増えたと喜ぶ社員が真っ先に目指したのがマックというのは悲しい。ぼくはビッグマックとナゲットだよ。
九段下といえば「坂を下ったあたりの10秒で通り過ぎる街」だったけど、歩き回ってみると、ふつうに本屋もあるし、居心地がよさそう。新しい街ってのは気分が変わっていいものだ。
ジャグリングに夢中で、本を読まない日々が続いている。1ヵ月近くかかって、中山竜一『二十世紀の法思想』(岩波書店、2000)を読了。純粋法学の名のもとに法の自立性を説いた、現代法思想の嚆矢、ケルゼンの法思想にはじまり、ウィトンゲンシュタインの言語哲学にはじまる英米分析哲学の影響下に「言語論的転回」を法思想に持ち込んだハート、それから法の解釈的実践に焦点をあてたモデルを提示したドゥオーキンまで、「法の自立性」をキーワードとして法理論の変遷という大きな流れを描いた本。法学部の学生が法思想史を勉強するとき、最初に手に取るような教科書らしいけど、教科書と呼ぶには、あまりに読み物として面白い。緻密で力強い論理構成で、全体の筋道がハッキリと見えているので、法哲学や思想史の門外漢でも読んでいて迷子にならない。関連する思想上の概念や時代背景についても、無駄のない的確な説明がコンパクトにまとまっているので、脚注やコラムを丁寧に読むことで、実は「法学から見た社会思想史入門」としても読めてしまったりする。とはいえ、引用される文献や理論は多岐にわたる。法思想に影響やインスピレーションを与え続けた哲学、言語学、社会学など現代思想のエッセンスが怒涛のように襲いかかって来て、読み終わってみると、やっぱり消化不良だったなと思わずにいられない。濃密な本だ。
法哲学の本を読んでみよう思うにいたった、ぼくの問題意識はふたつ。ひとつは、「人はなぜ法を遵守するのか」という疑問。法の正統性を担保するものは何なのか。法秩序は、どういう構造とダイナミズムのもとに維持されてきたのか。これは、昨今かまびすしい改憲論、護憲論を耳にするにつけ、憲法という、ほかの法典と多いに異なる法典に、興味をもったことから来ている。なぜ憲法は国の最高法規として効力を維持できるのか。
法って何だよ、という素朴な疑問のふたつ目は、「法と道徳はどう関係しているのか、あるいはどう関係すべきなのか」というもの。これは憲法関係の本を読んでいたときにもでてきた問題意識で、どうも法思想のかなり根本的な問題であるらしいことは知ってはいたけど、20世紀の法思想の大家が、このあたりのことをどう捉えていたのかを知りたかった。法は道徳を明文化したものだとか、権力者からの命令だとか、そういう素朴な立場では説明ができない現実的な問題が、現代社会には山ほどあるように思える。共同体の道徳から自然に立ち上がってくる自明なルールでないとしたら、法とは一体なんなのか。
最近、著作権の根本理念とその解釈や運用といったことで同僚と議論していたとき、どうも法と道徳との間にあると素朴に想定しがちな関係性が、少しも自明でないことに改めて思いいたったりした、ということもある。無体財産権とも呼ばれる知的財産権は、情報という透明な存在であり、本来「モノ」のように所有の概念は馴染みづらい。それが財産として所有権を主張する対象となるからには、そこに恣意的な規定があるわけだけど、それは社会の商習慣や産業構造、技術的な制限から妥当だとされた合意に基づく合理的な規定に過ぎなかったはずのもの。ところが、やがてその無形の財産が、なにか自明の、ア・プリオリな財産であるかのような錯覚を産み、道徳観念と結び付いたりする逆説的な現実がある。最近の日米の知的財産保護強化の方向性ともあいまって、過剰に自他の知的財産権を主張するというおかしな状況があるのも気になる。法の運用と行政の関係も、どうあるべきなのかがよくわからない。法文と法的実践の間にある「運用」の幅は、一体どう解釈すべきなのかもよくわからない。
と、法律って何なのよという疑問をいっぱい抱えて読んでみたけど、ちょっと違う次元でスッキリした。読んでみてわかったのは、ぼくが疑問に思ったことに対するシンプルな答えは存在せず、むしろそういう根元的な問題意識のもとに、さまざまな法解釈の理論的枠組が議論され、「法とは何か、どうあるべきか」という認識が深められてきたのだということ。法はどうあるのが理想的か、法の存在と運用実践をどう解釈するのかという抽象的レベルでの問題意識がよりはっきりした。でも、じゃあ具体的なレベルの問題として、実際に日本や各国で法的な実践がどうなっているのかという疑問は、割と残ったままだけど。
2004/11/02(Tue)
バークス・バラージ(バークの集中砲火)
久しぶりにクラブの練習。3クラブカスケードで84キャッチ。投げているときの気持ちに余裕が出てきた。回転するクラブを眺めるのは楽しいし、キャッチのときに「シュタッ」と手に収まる感じが心地いい。しかし、基本的にはクラブの練習は痛い。閉じた手の指や胸にガスガスとクラブがぶち当たる。
4シャワーで記録更新の45キャッチ。微増だけど、また何かちょっと開眼した感じがある。4シャワーで100キャッチを超えるには、やっぱり高めに投げてリズムを遅めにするのが近道に違いない。高く投げると軌道のブレの絶対幅が大きくなるけど、衝突の頻度はグッと下がるし、リズムの修正もやりやすい。何より投げていても、ふつうに呼吸ができる。
逆手4シャワーは12キャッチ止まりで、あまり上達せず。高さよりも前後のブレがひどい。5カスケードで20キャッチ前後続くときも、最後は左手のスローが斜め前方に流れてしまって、破綻するパターンがもっとも多いから、左手の高いスローの前後のブレを小さくする練習が必要だ。自分でもあまりよくわからないけど、前後方向の微調整は、どうも親指を開くタイミングがクリティカルな気がする。このタイミングがどうもマズいような……。小さな逆手3シャワーをやっていても、軌道が前にふくらんだり、逆に手前に引っ込んだりしているから、このへんの問題は同根じゃないだろうか。
覚悟を決めて(?)バークス・バラージに挑戦。ルーベンシュタインズ・リベンジも同様だけど、何となくややこしそうで敬遠していたワザ。ややこしそうに見えて、実はたいしたことをやっていないという「素人衆だまし」に感じられるというのも敬遠していた理由。やたら腕の回転を入れるばかりで、相撲で言う「ネコだまし」のような印象もあったりして、なーんとなく潔くない感じ。まあ、それをいえばミルズメスだって、幾何学的美しさで他を圧倒しているものの、基本的には「こけおどし」と言って差し支えないようなところもあるし、3ボールのクルクル系トリックというのは、ジャグラーの征服欲をくすぐる技巧的なトリックではなくて、いかに美しく見ている人に軌道を印象づけるかというアーティスティックなパフォーマンスなんだろうと思う。動きを模倣するのは比較的容易だけれども、ほれぼれするような滑らかさでボールを投げるには、相当な修練が必要となるように思う。
チャールズ・ダンシーのジャグリング百科を開いて、「今日は絶対にバークス・バラージをやるぞ」と意気込む。まずはリズムをつかむために「ライト・ミドル・レフト」から練習しろと書いてあるので、該当ページを開く。ライト・ミドル・レフトは、左右で順に2イン1ハンドをやるだけ。これは「W」なんかと同様に423の動きらしい。バークス・バラージは、423の4のスローをクロスした腕で投げれば完成とある。えっ、ホントにそれだけのことなの?
練習法が、ちょっと不思議だった。
左右に分解した動きを個別にやって、それを足せば完成だと書いてある。なるほど。ところが、解説されている左右の動きが、ぼくが見て知ってるバークス・バラージと似ても似つかないもののように思えてならない。
こういうときは、ダマされたと思ってやるしかない。右手に2個、左手に1個もって、右手を左手の下でクロスする。それがスタート位置。で、右手をクロスしたままボールを1個、上に投げあげる。次にクロスした手をほどく。右手のもう1個のボールを左に向けて投げる。落ちてきた最初のボールを左手の上をクロスさせた右手で受け取る。動きは、たったそれだけ。それを反対側でも練習して、その2つをつなげれば、もう完成という。とても、そうは思えない。
半信半疑のまま動きを腕に覚え込ませるべく5分ほど左右で練習してみた。すると、不思議なことに、やっている間に左右がどうつながるのかが、確かに納得できた。だまされてみるモノだ。2の動きをする手で、きれいに円を描くようにすると、ぼくが知っているバークス・バラージになることが了解できた。さらに10分ほど練習して、ようやくつながった。まだ腕が動きを完全に覚えていないので、切り返しのタイミングでリズムが狂ってボールを落としてしまうけど、少し練習すれば、すぐに完成しそうな予感。そして、思ったよりはずっとやっていて「心地よい」動きであることを発見。
2004/11/04(Thu)
ジャグリング関係で計8万6000円
しっとりと手になじむと噂の
シリコンボールがほしい。でも、高い。
安いものでも1個4000円、高いものだと1個7000円ぐらいする。安い方で5個で2万円。さすがに、これは高い。ここまで来ると「大人買い」もためらわれる。
ひとまず3個だけでも買ってしまおうかと思って、ジャグリングショップ、ナランハのページを見ていたら、3ボール系のビデオもほしくなってしまった。ビデオは1本4000〜5000円。
ジャグリングに必要なものは、道具にしろビデオにしろ、オトナが遊ぶには安いもの。だけど、あれやこれや安いからと買いすぎてしまう。すでにぼくも合計すると、けっこう買っているはず……と思って、ジャグリング関係に使ったお金を計算してみた。
誕生日プレゼントでもらったものも含めると、所有するボールは合計39個。平均単価は1個1000円程度で、これだけで約4万円。まだ5個も満足に投げれないのに、39個とは、ほとんどバカだ。ジャグリングの練習をはじめて、9ヶ月ほどだから、週に1個増えていってる計算になる。中学生ジャグラーたちが、くたびれて、色がくすんで、ぺちゃんこになって、ややすり切れた、そんなボロボロのボールで延々と練習している横で、大量のぴかぴかボールに囲まれながら練習するぼくは、ロクでもない大人ジャグラーだ。モノは大切に。道具より練習。練習より情熱。情熱より感性。感性より理論。いや、なんだかわかりませんが。
クラブが4本で約1万8000円。シガーボックス3箱で約1万円。ビデオと書籍で約1万2000円。ぜんぶ合計すると8万6000円。1ヶ月に平均して1万円ほど使っている計算になる。
同じボール遊びでもゴルフをやっている独身の友だちは、月に3、4万円(もっと?)はゴルフに使っていて「安いもんだよ」というし、スクーバやスキーをやっている人たちはシーズンが来るたびに40万も50万も使ったりする。そういうのから考えると、まあかわいいものだけど、ふつうに考えたら、「たかが棒やボールで、はちまんえん!?」って感じ。シリコンボールを買うと、大台に乗ってしまう。バカじゃなかろうか。
ブラディックボールやバウンスボールといったお高いボールは、彼女がプレゼントしてくれたものなので、計算に含めないこととしよう。そうすれば、シリコンボールを買っても、たぶんまだ大台には乗らないで済む。バカじゃなかろうか。
クリスマスが来る前に「くつしたいっぱいの、しりこんぼーるをください」とサンタさんに手紙を書いておこう。バカじゃなかろうか。
クリスタル・ガイザーで3ボトルカスケードに初挑戦。道具代は270円。いや、会社の給湯室に落ちてた空きボトルなのでゼロ円。水をいっぱいに詰めないとダメらしい。
 | なんかぼんやりした顔ですが。 |
 | 回転の調整がむずい。でも、練習すれば、これは奇麗に投げれそう。 |
2004/11/06(Sat)
チョップ、チョップ
おもに社会人(?)のジャグリングクラブ、新宿ナイアガラチームの練習に参加。かなり遅い時間に途中参加。すでに、うひょ蔵さんとミトッちさんの2人が投げていた。
うひょ蔵さんが、カマやファイアーをぶんぶん投げていた。目の前で見ると意外とスリルがある。プロの大道芸人と違って「あっ、いけねっ!」とか言って、降り落ちてくるカマから身体をかわしていたりするし……。カマについた錆を「それ、オレの血ですよ」と、冗談なのか本気なのかわからないことを言ったりする。
うひょ蔵さんは、オリジナルの鍋ジャグリングも披露してくれた。小さなお鍋でボールをくるくる。中華料理のコックになれそうな手首のスナップ。ちょっと楽しそう。
せっかく屋外の練習なのだから、クラブも投げればいいのに思いつつも、やっぱりボールが楽しくてボールばかり投げてしまう。といっても、ジャグリング談義してばっかりで、ぜんぜん練習にならない。やっぱり練習はひとりで黙々とやるもんらしい。
アゴにクラブを立ててバランスを取る「チンバランス」の練習用の道具として、東急ハンズで、棒っ切れ購入。直径15ミリ、長さ1メートルの円柱のABS樹脂の棒。765円。アクリルや木材もいろいろと試したけど、いちばん重さと値段がほどよかった。クラブは軽くて短いので、利き手ですら、ふらふらしながらやっとバランスできるぐらいなので、アゴの上では1秒も持たない。ネット上でみかけた話では、楽にバランスが取れる長い棒を買って来て、じょじょに短くしていくという練習をするといいということだ。さて、飽きずに続けられるか。
続いて、東大ジャグリングサークル「マラバリスタ」の練習に参加。今日は1日ジャグリングざんまい。1年生のあたりに混じって練習。すごく上手な関西弁の1年生を発見。4月からの半年ほどで、かなり投げれるようになっている。3ボールのワザを大量に、かなり安定して投げているうえに、4ボールの簡単なサイトスワップもオッケー。5ボールも、20、30キャッチはいけるという感じ。ビハンド・ザ・ネックなどという、ややマニアックなボディースローもキレイに投げている。すごい。ぼくよりジャグリング歴はやや短いのに、ぜんぜん進度が速い。というか、投げれるバリエーションが非常に多くて、うらやましい。人前だからかもしれないけど、その練習のスタイルも、ちょっと何かをやってみては、すぐに別の技を練習するという感じで、どんどこいろいろやっている感じ。
なんだか今まで自分が限定的な基礎技ばかりを練習していた気がして、自分のこれまでの取り組みがバカらしく思えて来た。ストイックに基礎練を積み重ねているつもりだったけど、それは裏を返せば、新しいことへの挑戦の頻度が少なく、食わず嫌いだったものも多いということ。3ボールや4ボールも、もっといろいろとやってみようという気になった。ジャグリングには安定を目指す練習と、まったくできない動きを習得する練習があるように思うけど、ぼくは後者の練習量が少なすぎたのだ、きっと。
同じ大阪出身のよしみ(?)で、あれこれ教えてもらう。4ハーフシャワーと、633、チョップ、シャッフルあたりの練習のメドがついた。シャッフルは、やっぱりそれなりに難しい技で、両手で滑らかに投げれるようになるまでに3ヵ月ぐらいかかったらしい。ファステストジャグリングは、2in1handのクローキャッチがそこそこできれば、割とすぐにできるらしい。
チョップがリズミカルで楽しい。その他、このさいやったことのないものは、どんどんやろうというので、「自由の女神」と「ボストンメス」を試す。自由の女神は、右手をあげるほうがキレイにできる。利き手からすれば、逆のはずなのに、おかしい。どっちにしても、まだ3キャッチしか続かないので、練習しないと。ボストンメスはできているような、なにか間違っているよな……。
5ボールカスケードで、クリーンキャッチを増やすという練習を、少し余計に意識することにした。キャッチ数を決めはしないけど、6から14ぐらいの間で、軌道が乱れる気配があったら、すかさず止める。「接して漏らさず」みたいな、何だかストレスのたまりそうな練習方法にも思えるけど、実はそうでもない。で、だからというわけでもないだろうけど、急に感覚面で進歩があった気がする。なんだか投げ続けられそうな気がして来た。
2004/11/07(Sun)
大量廃棄
本棚一掃。「これだけは」という本をのぞいて、がんがん選別。捨てない本が段ボール6箱。残りの捨てる本はぜんぶブックオフへ。出版関係者のみなさまごめんなさい。だって、楽なんだもん、資源ゴミの日を待ってヒモでしばって出すよりも。
明らかに売れっこない本もいっぱい。アメリカで買った本で、線がいっぱい引いてあるやつとか、15年前に買った、30年以上むかしの古本とか。けっきょくスクーターでブックオフと自宅を5往復ほどして運ぶ。本をいっぱいにつめた段ボールを足もとにつみ、リュックも本でいっぱいにし、さらにスクーターのシートの下のメットインにも本を詰め込み、走る。走るたびに、ぐんぐん部屋が広くなっていく……。捨てる快感。
買い取ってくれた本の合計は189冊で8800円。思ったよりもお金になった。ポイント発生で850円のクーポンをもらってしまったので、使いきろうと思って本を物色。しかし、ブックオフって、本当にロクな本がないなぁ。こんなに欲しい本がない本屋って、ほかにないかも。1冊100円とか200円の本を、5冊ほど無理矢理買う。これを貧乏症と呼ぶ。
何となく捨てずにいた給与明細やらカードの明細やらの何年分かをまとめて捨てる。小学生ごろから残る手紙やら日記やらの類も捨てる。通販で買ったくだらないパズルの類も捨てる。捨てる、捨てるでどんどん捨てる。引出物でもらった使ったことのないカップも捨てる。食器も捨てる。すっきり。
2004/11/08(Mon)
ぽかーん
「子ども」という言葉は「野郎ども」「女ども」などと同じように「〜ども」という差別的な言葉が入っているので、避けたほうがいいという議論があるよねという話をしていたら、過剰な言葉狩りを憎むあまり、「そんなことを言う奴等に限って!」と、怒り出した人がいた。
どっちでもいいじゃん。ほとんどの人は「子ども」という言葉に差別的ニュアンスなんて感じていないわけだから、まあ、言い替えてもいいし、別に言い替えなくてもいいという程度の話じゃないかと思う。一時期の異常なまでの言葉狩りとは、話が違うと思うんだけどなぁ。
たとえば「片手落ち」。本来、準備ややり方にミスがある「手落ち」という言葉にたいして、「ちょっとした」を意味する「片」がくっついた形であるのに、それを「片手+落ち」とまちがって解釈したうえで、これを片腕を失った人や、生まれつき片腕を持たない障害者に対する差別用語になりうるとして、自重したようなメディアの風潮には、行きすぎたところがあったように思う。で、そういう言葉狩りにもっとも熱心だった「バカども」が、無教養で純朴なエセ人権主義者だったってのは、ぼくもそう思う。
しかし、「子ども」については話が違う。やっぱり「ザコども」と同じ語源だし、長らくそういうニュアンスで使われて来た言葉に違いない。だから、「そうはいっても、そんなニュアンスはすっかり抜けているので、定着した言葉をあえて言い替える必要はない」という意見にも「まあ、このさいだから、みんなで一斉に言い替えましょうよ」という意見にも、それなりに理がある。
同じ言葉狩りであっても、「子ども」と「片手落ち」はまったく違う。それをまるっきり混同したうえで、怒り出すって、ちょっと思考が雑駁すぎませんかね。世の中に言葉を狩りたがるオカシナ人たちがいるのは事実だろうけど、個別の議論をしなきゃ意味がないところで、単純素朴な二分法で世の中の意見を2つにまとめられちゃっても困る。
「そんなことを言う奴等に限って!」と怒り出した人は、続けざまに「そういう人権とか何とかぬかす左翼主義者はファシストだ」と言い出した。あまりの飛躍にぽかーん。「左翼」が「主義」になるという初めて耳にする不思議な言葉の響きにも、ぽかーん。ぽかーんと口をあけていると、とつじょとして話はアメリカ大統領選挙へと移った。ブッシュ当選を批判する奴等は、自分が気に食わないことを否定するファシスト、全体主義者で、民主主義で選ばれた代表なんだから、それ以上なにを求めるんだ、というようなことをコーフン気味に話す。ぽかーん。唖然。政治的手続きの公正さに対する情熱的なまでの倫理感は立派だけれど、いくら何でも素朴すぎやしないだろうか……。ご意見自体はごもっともだけど、そんな子どもみたいな低次元な議論からは何ら役立つ認識は産まれて来そうもない。
世の中には素朴な思考しかしない人が大勢いると思うけど、そういうのを批判したり嘲笑したりして得意になるのは浅はかだと思う。血液型占いを、ウィットもなしにストレートに批判するのは、この類だ。ちょっと考えることができる人間なら、誰だってわかることを、わざわざ吹聴することはない。わかる人は、みんなわかってるんだから。「わかっている」ことを吹聴することは、もっと深く考えている人たちに対して、「その程度のことで満足している人なんだ」という印象を与えるだけだ。
議論って難しい。疲れちゃいますよ、こんな話をするのが議論だとしたら。聞いてるだけでぐったりしてきた。あああ、意見を言うバカにだけはなりたくない。どうせバカなんだったら、ジャグリングバカになりたいもんだ。ていうか、すでにそうか。はぁ。
2004/11/10(Wed)
すごい世界が広がっている!
昨日の夕方にオンラインで購入したジャグリングの教則ビデオ『3b Different Ways』と、パフォーマンス集『Juggler.com/video』の2本が早速届いた。注文から発送までが10分程度、実際の到着は翌朝という、えらく素早い対応だ。ナランハ、えらすぎる。仕事や納期が早いって、すてきなことだよ。大切なことだよ。見習いたいものだよ。顧客は商品の到着を心待ちにしているものだから、こういう素早さは営業上とても重要なことだと思う。
心待ちにしていたビデオ。同居人から「ビデオ届いてるよ、ふふふ」という連絡があった瞬間には会社を後にして、帰途についたよ。帰るなり、テレビにかぶりついたよ。
『3b Different Ways』は、3ボールの基本技を説明する入門者向けビデオ。まったく言葉なしに進む不思議な構成。やや冗長だなぁと思う素人くさい演出が続くところもあるけど、全体としては楽しげでシュールな作品に仕上がっている。独特の世界観。妙にクリーンで寂れた、寒々しい北欧の街角の風景と、ヨーロピアンな大道芸らしい演出がすてきだよ。作っているヒト、演じているヒト、ジャグってるヒトがみんな楽しんでいることがよく伝わってくる。画面内に小さなフレームをたくさん切って、個々にスローモーションの絵を流すシーンとか、よくよく考えると、けっこう絵の編集にも凝っている。
やや難易度が高めのものも丁寧に動きを見せてくれるので、ありがたい。ぼくはもうちょっと早い段階で見たかったよ、このビデオ。カスケードやテニスができるようになったら、即買うべきビデオだと思う。ミルズ・メス、ルーベンシュタインズ・リベンジ、チョップ、リバースチョップなんかは本で見ても、実物を見ないとわからないし、見るべきなのは上手なヒトの模範演技。本当に滑らかにボールが動くとき、その技がどれほど美しく、かわいく見えるかという「最終形」を知ることは、「習得したい!」というモーティベーションをかき立てる上で非常に大事なことだと思う。
何気なくやりやがって憎らしいけど、かなり難易度の高いルーチンや、明日にでもパクりたくなるような動きがいっぱい。3ボール・ジャグリングの本当の奥深さが、入門レベルからわかるという、とてもいいビデオだ。
このビデオのダイジェスト動画が見られるサイトがあるので、見てみたいヒトは、以下のリンクをどうぞ。
http://www.peapot.net/tocmenu/Pages/3bvideos.html
『Juggler.com/video』のほうは、もっとすごいビデオだった。映像の合計時間も、登場するヒトの個性も、技の種類も、これでもかというほど多種大量で、もうおなかいっぱい。はじめて中嶋さんの教則ビデオ『ボールジャグリング テクニカルビデオ』を見たときに近い衝撃を受けた。すごい世界が広がってるよ。イヤになっちゃうぐらい、楽しそうだよ、みんな。
5ボールカスケードまでは入門レベルと割り切って淡々と練習しようと思うけど、どうもぼくは6ボールや7ボールよりも3ボールの深い世界に心惹かれるタイプじゃないかという予感。744だの97531だのと、数字通りの滞空時間の比率で高く投げあげると(ちなみに滞空時間を7:4にするには、高さは49:16≒3:1)、ピタッとパターンに収まる複雑で高度なサイトスワップも、それはそれで美しいけど、「数字なんか関係ねーよ。必要なのはアイデア、ユーモア、スピード。それに感性と表現力だよ」と言わんばかりに手元、足下、首周り、肩、腕のあたりで3つのボールを自由に操るのにも、とても奥深くて味わい深い世界が広がっている。
どっちにしても、年齢や、練習にさける時間を考えると、悲しくなってくる。タイガーウッズを見てシビれるアマチュアゴルファーみたいなもの。幸か不幸か、ジャグリングでは、まだ本当のタイガーウッズが出てくるほど裾野は広くないし、まして一般の人々は、ジャグリングを見たことがないので、到達レベルに対する周囲の反応はゴルフとは比較にならない。3ボールのカスケードで感心してくれるヒトはいっぱいいる。
2004/11/13(Sat)
マニアックな
マラバリスタの練習に参加。もうすぐ学園祭シーズンで、ジャグリングサークルの人たちにとっては、発表のシーズン到来。出演予定の人たちはルーチンの練習を黙々とやりながら、そわそわしている。日頃の練習の成果を一般にお披露目する総仕上げ的なパフォーマンスなので、気合いが入っているらしい。
散発的にリハーサルがはじまったので、座って見学。うまいなぁと思って見ていた1年生の子が、もう立派なパフォーマーっぽい動きをしているのにびっくり。技も決めポーズも、サマになっている。堂々としたもので、とてもジャグリング歴半年やそこらと思えない。5ボール20キャッチというのもルーチンの最後に入っていたりして、諸先輩も「およそ1年と思えないね」と舌を巻いていた。いいなぁ。自分を顧みてみると、人に見せるという意味では、およそ始めた頃から進歩がない自分がいたりして、ちょっと考えさせられるものがある。
ベテランの人でも、みんなの前に出て緊張するらしい。演技前に「緊張すると表情の作り方がかためになるので、そのあたりもチェックしていていただけるとうれしいです」と、自分で弱点を言ったりするところが、さすが。サークル活動っぽいよ(笑)。で、演技が終れば、先輩や、ほかの人たちの講評を請うというのがしきたりらしく、みなの前で正座して意見を拝聴したりしていた。「xxが終って、ooに入るところ、いきなり行くと唐突だから、ちょっと間をあけて拍手をもらうといいんじゃないかな」と、ミョーに場慣れした人っぽいアドバイスなんかも飛び出す。
街中で大道芸をやって投げ銭をもらったりすることもある4年生のT君の話では、発表の場があると、実力の伸びが違うんだとか。人まえでパフォーマンスするという機会があると、必死で練習するし、見せることを学ぶということらしい。
T君は、ぼくが練習している技、あるいは練習してみたいという技の名前を聞いて、マニアックな路線に行きすぎじゃないかという指摘もしてくれた。確かにぼくは大道芸人やサーカス系よりも、いわゆるテクニカルでスポーツっぽい、サイトスワップやピルエットばりばりのナンバーズ系パフォーマンスを多く見すぎたような気もする。
ジャグリングには、
- 人をたのしませる
- 自分をたのしませる
- ジャグラーをたのしませる
の3つがあるような気がする。プロはもちろん1だけがすべて。アマチュアは、まず2ありき。練習をしていくうちに、アマチュアでも1に目覚めたりするのかもしれないけど、陥りがちなのが3。「人をあっと言わせたい」のは同じでも、1と3では感嘆させる対象がちがう。人を驚かせたい、というのが、いつのまにか「自分の周囲の人=ジャグラーを驚かせたい」になってしまう。ジャグラーは、ふつうに4個や5個ボールができても、誰も感嘆しないし、まして、並みの3ボールの技なんてやっても、誰も見向きもしない。だから、やっている本人も、軌道を完璧にして美しくみせようなんてことよりも、「できた」となれば、もう次の、より「技術的に」難しそうな技に飛び移ったりしてしまいがち。まあ、いろんなスタイルがあって、本当にすごい人は3であると同時に当然1でもあるので、黙々とテクニカルにすごいことをやって誰もを感嘆させる人というのもいるけど。どっちにしても、ぼくはまだまだそんなレベルじゃないし、この先飽きずに練習を続けられるかどうかもわからないんだけど。
練習の帰りがけ、サークルに参加して8年になるという加藤さんと、お話し。まだ情報もぜんぜんなかったころ、どうしてジャグリングを始めようと思ったんですかと聞いたら、やっぱりずっとやってみたいという気持ちは持っていて、3カスケードや片手で2個はできたらしい。やっぱり、みんなそうなんだ。加藤さんは、ジャグリング関係では有名なホームページ、「雪だるまにもできるジャグリング講座」の加藤さんだった。と、家に帰ってから気がづいた。
2004/11/14(Sun)
デジタルな買い物
3年ぶりにケータイを買い替え。ようやく「京ぽん」を購入。新色だよ。機種変更で約8000円。やっぱり、Opera搭載は、ちょっとスゴいかも。そしてついにぼくもカメラ搭載ケータイ。
またしても、電子辞書を購入。これで8台目ぐらいか。SONYの名刺サイズのEBR-S7MS。まだ現役ばりばりで使えるDD-IC500Sと見た目はあんまり変わらないけど、だいぶ薄くなっていて軽い。そのせいで蓋の開閉やジョグダイヤルが使いづらくなっている。いや、そんなことよりも、動作が異様に遅くなっているのはいただけない。メモリカードへのアクセスが遅いんだろうか。液晶の反応も鈍いし、進んでいる方向が違うだろうという気がする。さっとポケットから取り出して、ダダダッと5つぐらいキーを叩くと答えが表示されているという、その感じがよかったのに、これじゃあ、何年ぶんか逆戻りしている面もあるよ。IC-2020は名機だった。洗濯さえしなければ、いまでもあれで十分だったように思う。
辞書コンテンツの充実はすごい。オックスフォードの英英、類語辞典とリーダーズ英和、それにジーニアスの英和・和英だけでもやりすぎだろうと思うんだけど、英語系のよくわからない辞書がさらにいくつか入っている。このサイズのもので、そんなに英語系の辞書ばかり充実しててどうするんだか……。とはいえ、このへんなかなかうまく行かないもので(あるいはうまくしたもので)、あっちの機種を選べばコレがないし、コッチはアレが、、、という究極の選択になりがちだったりする。ぼくはマイペディアが入ってないんじゃ意味ないよと思う。小百科とはいえ、やっぱり百科事典がいつでもどこでも即調べられるって、すごくいいよ。
でも、本当にほしいのは、1万円ほどでオプションで出ている小学館の百科事典だったりするのだけど。本棚1つぶんの百科事典がジーンズのポケットに入るんだから、すごい時代だよ。
 | デジタルな買い物ふたつ。 |
2004/11/15(Mon)
不用品
不用品を処分しようと思ってあれこれ調べたら、少し古めのテレビやレンジといったら、ヤフオクでゼロ円どころか、リサイクル業者に引き取ってもらうのに3000円とか4000円とかかかるというマイナスの資産だったことが判明。唯一、プラスで引き取ってもらえそうなのは2年ほど前に買ってビール以外に冷やしたことがないんじゃないかというピカピカの冷蔵庫ぐらい。どれもふつうに使えるものだというのに、この国はいったいどうなっているんだ。不況って、モノがあまる現象のことを言うのか。いや、そこまで言うなら使えばいいじゃんって話なんだけど、いまや一番お金がかかるのは場所の確保であって、モノじゃないんだよな。と、そういうのは都会暮らしの発想なのかねぇ。無駄なものを買わないという意識が大切だよな。
村上政博『法科大学院---弁護士が増える、社会が変わる』(中央公論)、読了。日本のロースクールってどうなるのかね。しかし、あまりにタイトル通りの本だった。日本の法システム全体を見渡すきっかけになる本をと思って、どうせだったらホットな話題を扱かったものを読んぢまえと手に取ったけど、ややタコツボっぽいギョーカイからみたギョーカイ観測的な退屈な話が多すぎる感じがしないでもない。そもそも司法制度改革で気になるのは、ホントは裁判員制度のほうだし。
日米での法曹育成が、大学の法学部、専門大学院、予備校、ローファームを通して、どのように行われるのかだとか、弁護士や判事、裁判官の実際のキャリアパスなんかの話は、知らない業界なので、へぇーという感じ。
弁護士が増えたらどうなるかってことだけど、和をもってコトなかれとなす日本では、弁護士が増えたからってアメリカみたいな濫訴社会になりません、のだとか。そりゃそうか。アメリカが訴訟社会であるのは、もっと別の法的制度的や文化の問題であって、現にヨーロッパは、弁護士数が日本より多くても訴訟社会にはなっていないという。そういえば、弁護士数が異様に少ないから、周辺の専門職が日本では発達しているんだという話。弁理士、司法書士、税理士、行政書士。これらは本来、弁護士がやればいいし、実際弁護士資格があれば、これらの有資格者が請け負う業務は、すべて同様に請け負うことができる(んだったよな、確か)。アメリカでは、こうした業務は定型業務として大量に安価に提供する土壌があるという。日本でも弁護士が増えて、弁護士と弁理士が一緒に事務所で知財を扱うような業務が増えることになるということらしい。弁護士業界も生き残りをかけて、多様化するし、定型的な法的サービスだけを提供するチェーンみたいなものも、そのうちでてくるってことか。
もともと劇的に少ない司法試験合格者数をちょいと増やしたぐらいの水準では、人口あたりの弁護士数で、OECD加盟国中ほとんど最低ラインというのは変わらないって話。そんなことよりも、弁護士が、ほかの会計士やらと同様の資格となって企業法務なんかにどんどん入って行き、なーなーの事前協議や、暗室での当事者同士の話合いやバーターでトラブルを解決するという日本企業社会独特の閉鎖性を打開するメリットなんかのほうがでっかいのだとか。企業法務って、弁護士じゃなかったりするから、多少の違法行為でも目をつむるし、それこそが企業がアウトソースしてない理由だったりするって話だけど、弁護士には当然きびしい法倫理が求められるので、企業の不法行為に対する抑止力になる。公平でルールにのっとった競争をやりましょうと。ビジネスが国内だけで完結しない今となってはグローバルスタンダードって奴も重要だろうし。ふーむ。もうひとつ、透明性の高い行政を行なうためにも、法曹全体の地位向上、発言力の向上は意味のあることだという。確かに監督省庁の行政指導のもとに護送船団方式でうんたらかんたらやるのは、もうさすがに終りにしたほうがよさそうだよな。
2004/11/21(Sun)
おばあちゃんのお手玉
同居人と浅草へお墓参り。いかにも東京のお寺という感じの、墓石が過密状態になった墓地だけど、いっぽ足を踏み入れてみるとお線香のにおいがそこはかとなく漂う、なかなか静謐で穏やかな空気に包まれるようないい場所。
浅草は、なんど来ても不思議な場所だ。同じ東京と思えない、昭和が昭和のまま残っているような町並み。町並みも、町ゆく人も、なんとなく背が低く感じられる。実際、建築上の規格も低かったんだろうし、高年齢化が進んだ人口構成のせいで、全体に低く見えるということもあるんだろう。
浅草寺。雷門のまえでジャグってしまった。ジャグっていたら、そばにいたおばあちゃんが話しかけてきた。「いまの4つ? あら、そう。むかしね、私らの時代もやったものよ。こうしてね、3つ、4つ、5つまで投げたわよ」と、そんなことを言って、ぼくが手渡した2個のボールを、片手でひょいひょいと投げた。そのおばあちゃんは、なんと86歳。「もう70年も前のことよ、でもね、いまでもダンスもやるし、輪投げもやってるのよ、動かないと頭ぼけちゃうから!」と笑っていた。元気なおばあちゃん。それにしても、輪投げって!?
2004/11/24(Wed)
プラトー
筋肉痛になる程じゃないものの、それなりに日々ジャグリングの練習は続けている。でも、もう2週間近くも伸びが止まり気味だ。数字的に止まっただけじゃなく、感覚的にはむしろ後退している気がしてならない。劇的に改善したと思ったミルズ・メスの軌道は、なにか幻覚でも見てたのじゃないかというほど乱れるようになってしまったし、くるっと簡単に回れて「そういうことだったのか!」とわかった気になったピルエットも、ふらふらとよろけるようになってしまった。「なんだ、右、左、右、左と丁寧に投げればいいだけやんか!」と、開眼した気になった5ボールカスケードは、目も当てられないほどボールがバラバラに飛んでいる。確かに数日前には投げれるようになりそうな感触もあったはずだけど、今日は、一生かかってもできるようにならないんじゃないかと思えてしまうほど、めちゃくちゃ。この4ヵ月ほどで、5ボールはもう相当投げているはずなのに。
やや4ボールが楽しいというぐらいで、何の「上達感」もない……、と、主観的には、かなりプラトーな感じ。たぶん実際にはスキルアップはそんなに急に止まってなんてなくて、それなりにできなかったことができるようになっていたり、安定性が増したりしてるんだろうとは思うのだけど。練習しているトリックが、最初の頃より絶対的に難易度が高いから成長が鈍ったように感じられるということも当然あるはず。いずれにしても、小脳にはやったらやったぶんだけは経験が蓄積されていってるはず。そう思わないと、非常にむなしい。
世界の舞台に立って投げるわけでも、大道芸人として稼ぐわけでもないのだから、自分が楽しめればいいだけ。と、そんなことを言う人が多いけど、それは現実と折り合いをつけるために自分につくウソであって、「自分だって、あんな華麗なテクニックを身につけたい。誰よりもうまくなりたい」という気持ちは、どんなジャグラーでも密かに持っているものだと思うし、それがなかったら、上達しないんじゃないかと思う。
しかし現実というのは、なかなかに厳しいものだ。
2004/11/28(Sun)
人生ジャグリング
ジャグリングの練習ばかりで、すっかり水泳が御無沙汰。ジャグリングも相当な運動量なので、別に水泳じゃなくてもいいやって気がしているけど。
問題は英語。すっかり御無沙汰。ちょっとどきどきしながら、チョー久しぶりにオンラインの英会話スクールにログインしてみた。なんだか会話クラスのソフトのバージョンがあがっている模様。このソフトが落ちる……。なんどやっても教室に入れない! 詐欺やんか。せっかくやる気になっているのに。で、まあいっかと思って、チャットルームへ。
日々、ジャグリング関係の掲示板では熱心に英語を読んでいるし、ニュースサイトでもそれなりに英語を見てはいるけど、絶対量が少ない。耳から入る英語も、このところほぼゼロ。英語を口にすることは、ここ数か月はなかったような気がする。というので、さすがにまずいことになってるんじゃないかと思ったのだけど、心配したほどのことはなかったらしい。さほどストレスを感じることもなく、話せるらしい。ただ、自分でも違いがはっきりわかるほどカツゼツが悪くなっている。相手がネイティブだろうがノンネイティブだろうが、はっきり相手に聞き取らせるカツゼツの良さにはちょっと自信があったけど、どうも舌がまわらない単語が多い。1時間ほどしゃべっている間にじょじょにマシになっていく気はしたけど、どうもよくない。
やっぱり毎日少しずつは英語やり続けないと……。けっきょく、人生なんでもジャグリングで、あっちのボールが落ちて来たと思ってキャッチして投げあげたと思ったら、こっちのボールがもう地面に落ちそうということの繰り返し。この先、いろんなボールが増えることがありこそすれ、減るということはないんだろうなぁ。
加茂隆康『交通事故賠償---被害者の心理、加害者の論理』(中央公論)、読了。新書はこうあってほしいというような、よくまとまったおもしろい本だった。初版1992年と、ちょっと古い本だけど、ちゃんとその後に施行されたPL法のことも加筆されている。長く売れ続けているのも道理だ。当事者となったときに覚えておきたい「交通事故ハウツー」的な話から、交通事故訴訟の知られざる実態や問題点まで、およそ交通事故にかかわるAtoZがよくまとまっている。めちゃくちゃおもしろいやんか。
被害者、加害者、損害保険会社、弁護士といった実務処理を担当する人々、それから調査会社のアジャスターと呼ばれる査定員、やくざの示談屋まで、まあいろんなプレーヤーがいて興味深い。わずか50年かそこらという交通事故賠償訴訟の歴史のなかでも、法的判断や法律自体も変化していて、それに関与する事故処理屋の生態系も変わって来ている。技術も発展し、世界的に安全に対する認識も変わっている。そして、他の分野同様、グローバル化の波ってのがざぶーんとやってきていて、国境を超えた交通事故の問題も大きいらしい。
伊佐山芳郎『現代たばこ戦争』(岩波書店)、読了。これもやや古い本だけど、指摘されている論点や統計データを見ていても、あんまり古く感じられない。恐ろしい。たばこ問題って、ある意味ではとっくに決着はついている。喫煙は、いまだ年に数百万もの人を殺し続けている撲滅すべき悪習である、ピリオド。じゃ、いったい日本の惨状はなんなのか。なんで日本のたばこ行政は、ここまでぬるいのか。原因は、複合的なものだけど、その構図自体はありがちで、現代社会の宿痾のようなものだと思う。
人間の良心に期待しちゃいけない。人は人を殺す。見殺しにする。食い物にもする。たばこが、なぜいまだに地球上にあるかといえば、人殺しをして金儲けをすることに、なんら良心の呵責を感じない人々がいっぱいいるからにほかならない。見殺しにして、なにか別の利権、自分の保身、自分の老後を優先させること、当然の権利だと思っている人々がいくらでもいる。
安全パーツを装備するコストより、それを省くことで増える事故死亡者への慰謝料のほうが安いから、後者を選択する。そんな交通事故における自動車メーカーの内部文書といい、たばこ戦争におけるたばこ産業や政治家の言葉といい、もろもろの引用を読んでいると、人命なんて、本当になんとも思っちゃいない人々がいっぱいいるんだ、と、そんな暗いことを考えてしまう2冊だった。人間の命は数字におきかえられないなんてナイーブなことは言わないけど、それにしても……。
あんなものは吸わない。我々はただ売るだけだ。若者や貧しい人、ブラック、そして馬鹿な奴に買わせるのだ。(1980年ごろ(?)のレイノルズたばこ会社の幹部の発言)
タバコ産業は、生き残りをかけて、30年近くも前から、アジアの後進国、なかでも若者や女性をターゲットにしてきた。これはもう阿片戦争と同じ構図だよと、もういったい何年前から指摘されてるかわからないけど、いまだにそんな意識もない日本のスモーカーって、どうやって救われるのよ?
たばこがカッコよく見えて吸い始めたぼくは本当に愚かだったと思うけど、でもまあ、近代的なマーケティングでイメージ操作された日には、若僧なんてナンボでも釣られちゃうってことだ。ぼくがタバコを吸い始めた当時、アメリカの上院議員から国務省経由で中曽根に圧力がかけられた。政治的取り引きって奴だけど、その後の日本市場でのアメリカ製タバコのシェアの伸びのグラフを見ていたら、10年前のじぶんがホントに悲しく思えて来る。13〜17歳の若者をニコチン中毒にするために作られたマイルドな味わいのタバコが「キャメル」。よく吸ってたな、キャメル。キャメルマイルドも。あぁぁ。
2004/11/29(Mon)
雑誌
女性誌創刊ブームだね。いったい何冊生き残るのか。ぼくはNIKITAの行方がかなり気になる。世の中あまくないよ、二匹目のドジョウは煮ても焼いても食えんですよ、という結果に終ったりするのじゃないかしら。ともあれ、大量部数による売上収入ではなく、ターゲットをしぼった高収益の広告モデルじゃないと雑誌が成り立たなくなっているというまことしやかな観測が正しいなら、その広告モデルの急先鋒であるNIKITAは注目なんだろう。
花田編集長(なのだっけ?)が創刊した、花田最後の雑誌(かも?)という「ウィル」。創刊号立ち読みました。やばいよ、この雑誌。雑誌名も表紙のデザインも冴えないし、なーんか誌面も野暮ったい気が。うーむ。論壇誌のような判型で、扱ってるテーマも、そんな感じのが多いけど、すごく中途半端な感じがある。週刊文春的なノリの軽さが、悪いほうに出ているような気がする。立ち読みだけでけっきょく買わず。
サイゾーはいつのまに表紙の水着路線が定着してたんだ。中身は最近ちょっとパワーダウン気味のようにも思えるけど、相変わらず、サイゾーらしさが出てて好きだなぁ。
文藝春秋の気合いがきました、漱石大特集別冊。おもしろいよ、これ。超マニアックな漱石事情がこれでもかというほどこってり書かれています。で、これってやっぱり漱石現役引退記念なのか?
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>