the other side of my days
ご意見,ご感想,ごいちゃもんなどございましたら
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>まで。


2003/09/03(Wed) 地上的な貧しさ
2003/09/04(Thu) 自己嫌悪
2003/09/05(Fri) 階段のどの辺?
2003/09/10(Wed) 前倒しと後ろ倒し
2003/09/13(Sat) こんどこそ
2003/09/14(Sun) かえる
2003/09/19(Fri) 人中心
2003/09/21(Sun) カスタム
2003/09/29(Mon) うわさ話


2003/09/03(Wed)

地上的な貧しさ

Globalrichest.comというサイトがある。自分の年収を入れると、自分より貧しい人間が地球上に何人いるかを表示してくれるサイト。「あなたは実際どのくらい金持ち?」。
なにも考えずに、自分のおおよその年収を入れてみたら、地球上の99%以上の人が自分よりも「貧しい」と出た。このサイトは「だから寄付してくれ」というんだけど。
日本人に限らず、先進国の人が数字を入れれば、どんなに自分では貧乏だと思っているヒトであっても地球上の60億人のうち50億人よりもお金を稼いでいることを知らされる。全世界の60億人のうち50億人ぐらいは、年収100万円以下で暮らしている。
なんだか「もしも世界が100人の村だったら」みたいな話。これをみて「ああ、なんだ世の中にはもっと貧しい人もいるんだな」という発想をするのって、エタ・ヒニンを見下ろして「ああ、よかった被差別民じゃなくて」というのと同じような、貧しい発想じゃなかろうか。
お金じゃないさ、とは思うんだけど、もう少しお金がほしい。Time is moneyなんて言ってた時代は過ぎ去った。実は先進国の現代人にとっては「Money is time」じゃないかと思う。お金とは時間であり、時間とは自由なんだ。

2003/09/04(Thu)

自己嫌悪

エリック・ホッファーというアメリカ人哲学者の言葉が気になった。不遇な境遇に生まれ育ち、生涯をとおして社会不適合者と呼ばれ、アウトサイダーであり続けた人らしい。で、その人の言葉。
「世界で生じている問題の根源は自己愛にではなく、自己嫌悪にある」。
むしろ、もう少し自分を許してあげようよ、と。愛憎は表裏だし、自分に向かう激烈な感情は支えきれずに外に向かう。イスラムのテロとか。ちがうか、だいぶ。
googleで検索して、あれこれの引用が検索できるサイトを見つけた。いくつか気になったのを勝手に引用。
No matter what our achievements might be, we think well of ourselves only in rare moments. We need people to bear witness against our inner judge, who keeps book on our shortcomings and transgressions. We need people to convince us that we are not as bad as we think we are.
「われわれは、たとえ何をなそうとも自分のことを良い人間だと思う瞬間は限られている。自分の欠点や罪をいちいちノートに記録している心の中の審判官に対して、良き証人となってくれるような人が、われわれには必要なのだ。われわれには、自分が思うほど自分は悪い人間ではないのだ、と確信させてくれる誰かが必要なのだ。」
The remarkable thing is that we really love our neighbor as ourselves: we do unto others as we do unto ourselves. We hate others when we hate ourselves. We are tolerant toward others when we tolerate ourselves. We forgive others when we forgive ourselves. We are prone to sacrifice others when we are ready to sacrifice ourselves.
「驚くべきことに、われわれは自分を愛するように隣人を愛する。自分自身にす ることを他人に対して行う。われわれは自分自身を憎むとき、他人も憎む。自分 に寛大なとき、他人にも寛大になる。自分を許すとき、他人も許す。自分を犠牲 にする覚悟があるとき、他人を犠牲にしがちである。」
A soul that is reluctant to share does not as a rule have much of its own. Miserliness is here a symptom of meagerness.
「分かち合うことをしぶる魂は、概してそれ自体、多くを持たない魂なのだ。吝嗇は、この場合、貧困を示すひとつの徴候である。」
The education explosion is producing a vast number of people who want to live significant, important lives but lack the ability to satisfy this craving for importance by individual achievement. The country is being swamped with nobodies who want to be somebodies.
そうなんだ、そうなんだ。いいんだよ、nobodyで。
それにしても、Webというのはすごいシステムだよなぁ。

2003/09/05(Fri)

階段のどの辺?

久しぶりに社長とすれ違ったら、「お、久しぶりですね。部署、移ったんだって? 話は聞いてますよ。がんばって」と声をかけられた。こういうの、ソツがないというべきなんだろう。社員の給料を上げられなくても、社長には代わりにできることはある。被承認願望が満たされるかどうかというのはきわめて重要だと、岩井克人さんも会社論の本に書いていた。マズローの欲求階層説はまちがって受け止められたフシがあって、みんな「自己実現」なんてのをキーワードに語っているけれど、実はもうひとつ前段階の被承認願望が満たされていないという現実をちゃんと認識するべきだと。
それにしても、「聞いてますよ」というのが、どこまで話を聞いてるのだろうかと思って、ちょっとドキッとした。

2003/09/10(Wed)

前倒しと後ろ倒し

隣の部署で打ち合わせしてるのが耳に入ってきて気になったんだけど、「もうちょっと予定は後ろ倒しですかね……」って言い方、ありですかね? 予定は前倒しにはできても、ふつう後ろ倒しにはしないんじゃないの? いや、いっつもいっつも後ろに倒しまくってるぼくとしては、できてほしいのだけど、日本語として、「後ろ倒し」って、ちょっとヘンじゃない?
で、考えてみると、この「前後」の表現に見られる非対称性って何か人間心理というか行動を反映してるような気がしてきた。
後ろには「ずれ込む」。このとき、頭の中にはスケジュールの全工程がスルリーンとスライドしている図が思い浮かぶ。いや滑らかにスライドするわけじゃなく、たいていはぎすぎすと摩擦音を発しながら後ろへ追いやられる。ステップ1が1週間遅れ、その分ステップ2もスライドを余儀なくされる。そしてなぜかステップ3は2週間遅れる、みたいな。
ところがスケジュールは前にはスライドしない。前には「倒れる」。どうしてなんだろうか。「前倒し」というとき、心の中では何かスケジュールというモノが未来という時間の先のほう、時間軸に対して垂直に立つ塔のように感じられている。そしてその塔がパターンと前に倒れてくる。このとき、心理的にも実際的にも、スケジュールは決してスライドしてこない。あくまで倒れてくるだけ。
「前倒し」といっているときには、まだスケジュールの詳細とかタイムフレームがちゃんと決まっていないコトが多い。少なくとも当事者の間でいつまでに何をやるのかという時間感覚がまだ漠然としすぎてる。打ち合わせなんかで「じゃ、そんな感じでナルハヤで。前倒し前倒し、近々に、できるところから五月雨で。まず例のヤツは明日にでも」なんていうときには、たいてい次に連絡するときに「いや、もうケツカッチンってか、ビハインドなんで、ひとつよろしく。いや、もうずらせません。次回は前倒しで行きましょう。えっ、今回前倒しなんでしたっけ? ご冗談」とか言うことになる。こういうのって、うちの会社というか、ぼくの周囲だけ?
もうひとつ、前後にまつわる表現の重要な違い。前倒しには「する」んだけど、後ろには「ずれこむ」と能動的、受動的という違いがある。後ろにずれるのはあくまでのっぴきならない外的な要因によるものであって自分のせいじゃない。前倒しは自分の意志でエイヤッと頑張ってる感じがする。多くは希望的観測。二日酔いの酒飲みが朝に誓う禁酒と同じで、永遠の誓いでしかない。
あ、「先送り」って表現があるか。でも、このときもやっぱり先送りにされるものは、ステップ1〜3といった時間軸の上に水平に並んだスケジュールなんかじゃなくて、時間軸の上に屹立する「計画」という塔のイメージでしかないんじゃないか。
未来の予定というのは「点」に感じられやすい。特にそれが「やらなきゃいけないこと」だったりすると、ある1点のできごとのように感じられる。ぼくらの想像力というのは、未来における時間の広がりについて、それほど頼りない。
「今日は何々をしよう」という計画を計画密度1とする。「午前は何をして午後は何をしよう」というのは計画密度2。すると、ビジネスマンの1日の予定の計画密度というのは、おそらく10〜20ぐらいになるんじゃないかと思うんだけど、いろんな理由から、明日あさっての密度はとうぜん今日の計画密度よりぐっと低くなる。
その計画密度をグラフにすると、時間的に先になるほど密度は低くなるわけだど、その低くなり具合は時間のべき乗じゃないかと思う。このへんのことが、前倒しがむずかしい理由じゃないか。「前倒し」って曖昧でむなしい言葉だよ。で、どうするべきかというと、きっとそのべき乗の係数を2.0、1.8、1.6と小さくすること。未来の計画密度を濃くすること。スケジュールは納期から逆算されるんだけど、心理的にはむしろ納期に向けて密度を高めることが重要なんだろうな。
何をくらだないことをグダグダ書いてるかって思うかもしれませんが、いや、ちょっと後倒し後倒しで倒れまくっていた仕事が片づいて、「ああ、今度こそ前倒しでやろう」と永遠の誓いをしている今日だから、なのです。

2003/09/13(Sat)

こんどこそ

 
グッドタイムス&バッドタイムス words & music 佐野元春 濡れた鋪道にさざめく エンジンのささやき 流れてゆく光も まばらな 今夜 Good times & Bad times この 街で Good times & Bad times くり返せば ウインクの数 またひとつ 増えてゆく まともにやろうとして くじけてしまう時 この濡れた街並が 一度に淋しくなる Good times & Bad times 答 求めて Good times & Bad times さがし続けて ウインクの数 またひとつ 増えてゆく
こんどはマトモにやれると思っていたし、今までとは違うと感じていたのに。

2003/09/14(Sun)

かえる

夕方、夕立が2度。雨に誘われてかカエルが。コンビニに行くまでに3匹も出くわした。

2003/09/19(Fri)

人中心

予定は人を中心に立てろ、という仕事術のようなものがある。どんなに忙しくても会いたい人と会う約束は断らない。むしろ、どんどん約束を入れていく。すると、その人に会う時間までに何をしなければならない、あれを終えなければいけない、などと他の予定もうまっていく。そして予定というのは少し項目が多いぐらいのほうが効率よくこなせるもの。
逆に忙しいからといって、「ちょっと時間がなくて……」と人に会う約束を断ったり、いつまでも「時間に余裕ができたら」なんて先伸ばしにしていると、結局仕事にも生活にもハリが出なくなって悪循環になる。
これ、ホントだなと思う。今週は、何でこんなに忙しいんだというほど仕事が忙しかったけど、半ば仕事関係の知り合い、ぜんぜん仕事と関係のない友達、はじめましての初対面の人と、会いたいと思う人に次々と会えた。

2003/09/21(Sun)

カスタム

通勤途中、やけに「普通じゃない」ハーレーが前を走ってたのが目に止まる。エンジンの音も普通じゃないし、むき出しのパーツ類も普通じゃない。素人目に普通じゃないとわかるほど普通じゃない。
乗ってる人もかなり気合いが入っている。ハーレーに乗っているからいいようなものの、その派手な革ジャンやバンダナは、ハーレーに乗ってない限り許されないよ、というほど。まあ、カッコいいんだけど。
何だかギア操作がヘン。ギアは左手後方にあるレバーに手を伸ばして操作していた。かなり驚き。そんなの公道を走っていいのかね。普通バイクのギアというのは、右足の爪先で操作するもので、車のようにバーがあるわけじゃないのです。
そのハーレーではクラッチ操作のとき、必ず片手ハンドルになる。加速中はずっと左手が斜め後ろのバーを握っているような状態。めちゃくちゃ危ないんじゃないか。
そこまでして「カスタム」に乗りたいのか。だって、性能や操作性でいえば、なにもしない既成品バイクで何も不満はないわけでしょう。
で、思ったのは、ぼくがパソコンでやってるのは、あれと同じような過剰なカスタムじゃないかと。既成品のパソコンを買って来て普通にWindowsを使えばいいのに。
自宅のLinuxマシンのCPUを、PentiumIII-600MHzからAthlonXP 2500+に交換するのに、一体何時間かけてしまったか……。2枚のマザーボードを試し、3つのバージョンのカーネルにあれやこれやとパッチを当てて何十回もコンパイルし、そのうちムキになっていっそすべてのソフトを最新状態にしようとしたら、それまで動いてたソフト類がどんどん動かなくなってしまった。ライブラリやソフトのバージョンの整合性の問題。とりあえず、ネットワークと日本語と、Xだけ動くようにして日記を書けるようになったけど、あまりにタイヘンなので嫌になってきた。
バイクとパソコンは違うよ、と、同僚のUnixハッカーは慰めを言ってくれたけど、ふつうの人から見たら、なんで普通にWindowsXPじゃダメなの? という話なんだろうな。

2003/09/29(Mon)

うわさ話

人間だけが持っている「言語」はいかにして獲得されたか。というより、なぜそれほど複雑で膨大なコストを要したものが進化の淘汰圧にうち勝って来られたのか。大きな脳味噌は、その神経組織細胞を生産、維持するのも生物学的にきわめてコストがかかるにもかかわらず、人間の脳は、ほかの同重量のほ乳類に比べて7倍のサイズもある。なにより日々の摂取エネルギーの20%が脳で消費される。生物学的にみれば、なくて済ませられるものなら、なくしてしまいたいような器官のはず。つまり、脳が巨大化したから、それによって諸々の知的な活動が可能になったんじゃなくて、どうしてもそれを獲得せざるをえなかった進化論的な理由がある。
人間はなぜ言語を獲得したのか。ひとことで言えば、それは「うわさ話をするため」。それが最近読んだ『Grooming, Gossip, and the Evolution of Language』(Robin Dunbar,Faber nad Faber Limited)の結論。かつてサル社会でグルーミングが果たしていた役割を、言語というのは人間社会で果たしている。グルーミングはグループ内の紐帯を維持する重要な役割を果たしている。ところが社会というかグループの規模が大きくなっていくと、互いのグルーミングが実時間で終わらなくなる。だからグルーミングにかわるボンディングの手段として、人間は音声による情報交換という言語を発明したのだ、と。より効率的なグルーミングの方法。会話に4人参加していて1人が話せば、1対3。グルーミングの3倍の効率だ。
サルやチンパンジーなどの霊長類の大脳新皮質のサイズを調べると、その重量が、彼らが形成するグループサイズと正の相関を持っていることが示される。あまりにきれいに直線に並ぶ(と、これを発見したのは、この本の著者のダンバーだったと知らなかった)。たとえば、チンパンジーは50程度の個体が1つのグループを形成する。それ以上にも以下にもになりづらい。で、人間の大脳新皮質のサイズからどういう結論がでてくるかというと、150人。たとえば軍隊の1ユニットが歴史上滅多に200人を越えないだとか、もろもろの社会組織の単位が150を限度としているという裏付けもある。会話がグルーミングの3倍の効率だとすると、50匹のグループがグルーミングしあって全体を把握しているということと、150人のグループがうわさ話で全体を把握しているということと、妙に符号している。
議論の骨子は、また時間のあるときに振り返ってみたいけど、まあ非常に説得力もあるし、なにより見方が新鮮でおもしろい。
うわさ話の重要な役割のひとつに、「社会的フリーライダー」をグループ内で告発する役割があるんじゃないか、というのがまたひとつの仮説。
いや、隣の部署の同僚と、晩ご飯を食べながら、うわさ話をするわけです。そのときに同僚が言う。「あの人、また寝てたね。いつ見ても寝てるね。前の部署だけかと思ったら、こっちの部署でも。なんでそれでやっていけるのかわからんよ(笑)」とか。
会社の中には、いろんなタイプのフリーライディングがある。それはまあ組織である以上必然のようなものだし、別にそれが倫理だとか道徳の欠如だとかゆゆしき問題だとまでは思わない。ただ、あまりに目立つ場合に、それを内部告発する自浄機構みたいなものはあったほうがよくて。うわさ話は、それをやっている。
およそ「会話」というものは、新聞や雑誌、テレビ、あるいは飲み屋やランチでの会話、会社の立ち話などを含め、その全体の3分の2は、「誰が誰となにをした」といううわさ話で満たされている。性別も年齢も場所も問わず、だいたい3分の2が「あの人ね」という、うわさ話だという。しかも、ほとんどが会話の当事者が直接、または間接にかかわるようなプライベートな話。「話を聞いてあげる」というのは、相手の毛ジラミをとってあげるグルーミングと同じく、それをされているほうは心地よいことなのだ。
うわさ話の威力を甘く見ちゃいかん。人はうわさ話が好きだというより、むしろ、生きていく知恵として生物学的に獲得してきたわけだから、うわさ話をするというのは、生きることと同じぐらい基本的なことなんだろう。
ちなみに一般には「女はうわさ話好き」と言われますが、そんな事実はないようです。男もうわさ話をする。ただ、もともと話す分量が違う。あと、男は女がいる前でカッコつけたがるという理由もある。メーティング戦略上、男は言語を自己宣伝や誇示の道具として使う傾向が女よりもはるかに強い。男だけで話しているグループに女が混じると、たちまちアカデミックな話題が増えるという研究報告もあるようです。まあ、これは日常的な直感というか常識どおりか。

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