2003/03/06(Thu)
秋田弁
方言に関係する記事を作っていて,いろいろと感動。原稿を編集していてなんかうれしくなった。「大きな古時計」の秋田弁バージョンって,すごい聞き心地がいい。是非みなさんもフランス語のような響きのクールなこの曲を。伊藤秀志,Les temps qui passant。このURLで聞けます→
http://www.gld.mmtr.or.jp/~gemstone/pro/furudokei.html 。
最初はまったく外国語に聞こえるものの,2度3度聞くと何となく部分部分がわかってくる。で,30分かけてディクテーションしてみました。ひらがなを使いつつ勝手な50音表記を使ってみると,ぼくの耳にはこんな風に聞こえた。
でぇっけぇくて しぇのた゜けぇ ふるくしぃぇ とけぇっこた(く゜・か゜)
うぇのつ゜ぇっこの と゜けぃっこ
べーじゅーど (い・え)どひとま(る・り)も やすまねで ぅごーて゜た゜
うぇのつ゜ぇっこの と゜けぃっこ
うぇのつ゜ぇ あがぼでー しゅぃぇげねでーだ あーさま
だい(な・ら)だい(な・あ) かてきたとけいだも(ん)だどやー
いまだば まずさっぱ(る・り) うこ゜かねく゜なったのだ
なとなて(し・す)またもんだ と゜けいっこ
べぇー(じぃ・じゅ)ど (い・え)どひとまわ(り・る)も ちくたくちくたく
うぇのつ゜ぇーど ひどーづ (む・み)れぇにして ちくたくちくたく
いまだば まずさっぱ(る・り) うこ゜かねく゜なったのだ
なとなて(し・す)またもんだ と゜けいっこ
かっこ内は2つあるヤツは,その2つの中間の音に聞こえるところ。よく言われるように確かに「い」「え」の中間の母音があるような気がする。カ行の半濁音はまあ鼻に抜けるヤツ。shの音が標準語よりも,やや舌が前に出てる感じの音という気がする。中国語でYESというときの「是(シュィ)」の摩擦音に近いというと大げさか。別に秋田方言が中国語みたいだというわけじゃないけど,中国語で「対(dui):そうだよ」というとき,このDはTに近いけど,秋田弁にもこういうTとDの中間のような音も多いみたい。といっても中国語ほどDによったものでなくて限りなくTって感じ。まあ日本語なんだから当たり前か。うーん,どうだろうか,秋田弁ネイティブの人がいたら正解を教えてください。とくに「だいな だいな」ってのがまったく意味がわかりません。
何度もお手本に合わせて歌っているうちに,ずいぶんうまくなった。しかも驚いたことに読書百遍ってなもんで,いろいろと単語がわかった。元の歌詞も知ってるし,当たり前なんだけど,たとえば,最初もっとも耳に心地よくしかもまったく意味がわからなく響いたサビの部分,「うぇのつぇ あがぼで しぇげねでーだ あーさま」のところ,これは「うぇ(我)の爺(つぇ) 赤ん坊で 生まれ出た 朝に」じゃないかしら。違うかな。
2003/03/10(Mon)
東京タワー
六本木で焼き肉。この間のビールなしの寿司に続いてビールなしの焼き肉。タン塩をビールなしで食うなんて考えたこともなかったけど,やってみればなんていうこともない。てーかウマイものはウマイ。カルビもご飯もビールがないぐらいのほうがウマイかもしれないと思う。
東京観光2日目。東京タワーに登ったのは,たぶん10年ぶりぐらいだけど,ちょっといいなと思った。150mの展望台だけじゃなくて250mまで登れるようになっていた。250mまで登ると風で揺れる東京タワーを感じることができる。平日の閉館ギリギリの時間に来る酔狂な客は多くなく,地表からの音もほとんど届かないから東京の夜景の上に静かに浮かんでいるような気分になれる。
150mの展望階には床がガラス張りで足下に広がる地表がのぞける箇所がある。以前は1カ所だったと思うけど,それが数カ所に増えていて,うち2つほどは表面積もぐっと増えていた。カップルが次々と来てキャイキャイやっていく。ガラスの上に足をそっと乗せてみる女の子を後ろから男が押してみたり。急にどかんと乗ってみたり。
人間の感情エネルギーというのはヘンなもので,エネルギー状態の高低というのはあっても種別というのはあまり意味がないらしい。恐怖や暴力で高まった興奮というエネルギーは簡単にほかのエネルギーに置換される。映画でアクションシーンに続いてラブシーンがあるのも,東京タワーに来るカップルが高さに興奮していちゃいちゃするのも,そういうこと。
高いところは好きなほう。ドキドキするのは好きなほう。
2003/03/20(Thu)
中華
やっぱし中華料理は偉大だと思う。香港旅行の間ずっと中華以外を食わなかったけど,すばらしいです。案内してくれた地元っ子の友達は「夜はふつう中華食べないけど」と言う。昼はそばや丼,魚なんかを食べても,夜に和食をあえてぼくらが選ばないのと同じ理屈で,香港っ子も夜はおしゃれなイタリアンか,スパニッシュ,タイあたりのレストランで食べるらしい。
City Hallの巨大なレストランで飲茶の昼食。めちゃうま。
最近読んだ「ことばと社会――多言語社会研究」というきわめてマイナーな雑誌の2002年6号に「漢字文化圏の文字ナショナリズム(2)」という特集があって,これがめちゃくちゃ面白かったのだけど,そこに寄稿された論考の1つに香港の広東語で使われる繁体字の標準字形の形成に絡む,技術的,文化的,政治的,歴史的パースペクティブを俯瞰する読み物があった。香港の言語状況というのは,有力方言と一国の標準言語とがどう関わるかという例として大変興味深い。香港で未だに繁体字が使われ続けているのは,北京政府の簡体字政策に対する強すぎも弱すぎもしないプロテストなんだ,という見方。正面衝突を避けつつも,自分たちの主張を保つ巧妙な戦略なんだと。これは地域言語がコミュニティのアイデンティティを体現しているという紛れもない実例で,実際に行ってみてよくわかったけど,香港の人たちは自分たちを中国と一緒にされることを大変に嫌がる。ディアスポラ的漢民族,つまりは華僑だけど,そういう人たちは中華文明を誇りに思ってはいるけど,貧しくて,近代化が遅れていて,ともすれば人権蹂躙,恐怖政治の代名詞ともなっている北京政府を恐れ,軽蔑している(ふと「ディアスポラ」で検索したら,こんな本が見つかった。おもしろそう。http://asiabunko.com/g_kajindiaspora.htm)。
香港ではテレビの音声は広東語でも字幕は北京語。公式の表示なども北京語。日本で言えば話し言葉は方言なのに,書き言葉は標準語というのと同じ。でも,広告の看板や砕けたライティングは広東語。もっとスゴイのはアルファベットや,カタカナのような独自の文字を漢字に混ぜ込んじゃったりすること。広東語には伝統的な漢字で表せない音がたくさんあるらしい。そういうのをアルファベットで書いちゃったり。
この書けない字たち,「こう書く」という決まった字がなかった音に正書法を与える契機になったのが,Unicodeへの新漢字提案らしい。Unicodeへの提案のために字形を整理した。グローバルな文字コードに自分たちが使い,また自分たちしか使わない文字が入るということが,地域アイデンティティの覚醒に重要な役割を果たした,と。奇妙なのは,たとえばゴキブリを現わす熟語に使われる2つの漢字は,ゴキブリ以外に使わない字だというけど,その一方がUnicode3.0でExtensionAに入り,もう一方の片割れが何故かUnicode4.0のExtentionBにこぼれてしまったりしていること。現地人ネイティブが,まともに作業に参加していないという証拠がたくさんある。じゃあ一体誰が広東語の文字をUnicodeに提案したんだ?
本来,非常に微妙なパワーバランスの上に立つ都市国家的であったのに,香港人というのは政治や自分たちのアイデンティティに無関心だった。それが北京の圧力で逆説的に「自分たちはこうしたい,こうありたい」というのを主張し始めている,というのと同じ構図。でも,きっと駄目なんだろう。香港はもう落ちていくだけじゃないかと思う。中国は全土を香港的にしたがるだろうし,そのとき香港は落ちぶれた中国の1都市になるだけ。
日本語,日本文化,日本風俗に対する憧憬もいまだにきわめて強く,街にはさりげない飾りとして日本語があふれている。香港製の化粧品でも「簡便で美麗な」とか書いてあるし,そもそも薬局に行くと日本の製品ばかり。
英語と広東語の関係は,思っていたより不協和音を立てて共存している感じ。そもそも両方を完璧に流暢に話せる人はいないらしい。ほとんどの香港人は,場数を踏んで慣れているということはあるけど下手したらぼくより英語が下手なぐらいだし,逆に流暢な人というのは英語で教育を受けた人で,そういう人たちは漢字が読めない。英語を話す人たちは住んでいる場所も勤めているところも,食べるところも違って,非常に強烈な階級意識というかエリート意識というか,逆植民地根性みたいなのがある気がする。山の手の高い場所にある超高級マンションに住む人たちは,文字通り,ふつうの人を見下した感じがある。レストランで注文する姿を眺めていると,英語の下手な店員に「おまえは英語もわからんのか」と言わんばかりの勢いで,少しも相手に合わせて分かりやすく話すという努力もせずに英語を押しつけるという姿が見られた。同じ中国人が中国人に向かって。
学校では英語教育をやめて北京語を教えるようにするのがトレンドらしい。バイリンガル教育は結局大量の落ちこぼれを生み出すだけで,中国語も英語もハンパという人がたくさん育ったことに危機感を覚えた結果だという。オランダ語と英語とか,フランス語と英語ならいいと思うけど,中国語や日本語のように根本的に英語と相容れない言語を英語と同時に子どもに教えて両方教育のあるネイティブレベルに育てようなんて発想は,やっぱり狂気の沙汰だと思う。宇多田ヒカルみたいに英語も日本語も幼稚臭い人になるだけ。と,これほど明白な証拠があっても「きっと自分の子どもだけは……」と子どもに英語を押しつける。それは香港でも日本でも同じ。
中国語を勉強するなら,そりゃ迷わず「普通話(プートンホア)」でしょうと思ってたけど,広東語の読み物を読んで,広東語コミュニティの持つ躍動感をまざまざと見せられて,ちょっと意見が変わった。ぼくは英語でも口語英語がとくに好きで,文法も語法も非常に生き生きしたものが多いと思っているけど,表記語としての機能を持たなかった広東語には,表記法が定まってなかったがゆえの非常に口語的な自由闊達さがある。歴史の浅さゆえに,逆にいまだ言文一致が見られる幸福な言語なのかもしれないと思う。と,自分の中では広東語熱が高まっていたけど,でも実際に現地でいろいろ話を聞いてみるとやっぱり難しいかなと思った。やるなら北京語か。大阪弁の響きや勢いに憧れて大阪を訪れた韓国人が「やっぱり標準語かな」と思うのに似てるのかもしれない。
飛行機の中でガイドブックを読み続けて(地球の歩き方って結構いい読み物が載ってるね),にわかに香港のことを勉強したわけですが,そんなのよりもっとも衝撃を受けたのは香港の空港で見かけた南京大虐殺の本。アイリス・チャンという人が書いた真っ赤な装丁のベストセラー本だそうで,「えっ,なんで知らないの? その本ってどこの空港の本屋にもいっぱい置いてあるじゃん。日本にはないの?」というような本。あんまり小林よしのりとか興味ないし,南京の話も興味がなかったんですが,でも,それにしてもあまりにも日本では目にしない本だと思うわけです。台湾人も含めて中国人と話すたびに気になっていたのは,彼らは必ず「南京のことを知ってるか」と「日本人はその昔,中国から渡った中国人なんだよ(笑)」と半ばジョーク,半ばこちらのリアクションを楽しむかのように言うことだけど,本当のところ,うーん,どうなんだろうか。南京のこと知りたい気もするけど,2,3冊読んで意見を持てるほど簡単な話ではなさそうだし,なんだかなぁ。
30分ほど検索した結果,「The rape of Nanking」というチャンの本を知らないのは,単にぼくが世間知らずなだけで,日本でも特に論壇系雑誌ではすごい話題になった本だったのね。まだ邦訳は出てないのかしら。単なる歴史認識以上の,相当に広く深い論点が含まれる問題でおもしろそうではあるけど。うーん。
南京大虐殺やイラク問題なんかより,ぼくにはもっと重要で片づけなきゃいけないコトが目の前に山積みで,とてもそんなのに割く時間はない。といいつつ,日記はザクザクと書くのでした。
2003/03/22(Sat)
恋話
寝起きの咳の具合と熱っぽさは風邪かと思ったけど,またそんなこんなで諦めてたらもう2度と泳げないと思って久しぶりにプールへ。無理しても仕方ないのだけど,そろそろ無理しないと駄目かなと。「今日は駄目だ」という理由は日々10個でも20個でもわいてくる。仕事が忙しい,疲れてる,気が乗らない,友達に誘われてる,旅行に出る準備をしなきゃいけない……。そんなこんなで気づけばまた1カ月も経ってしまった。それにしても,ここのところホントに気ぜわしくて全然プールに行ってる余裕がなかった。本すらほとんど読んでいない。
思ったよりも体力は落ちていなくて1600m。手のひらでつかみ取る水の抵抗がいい感じ。いい感じの疲れ。
誰かご飯でも食べる人はいないかなと会社の元同期に電話してみたり。ぜんぜん連絡が付かないので本屋で立ち読みしてたらKダマから電話。Kダマ,M子コンビがゴハンするところというので,雨もよいの中を下北へ。
浮かれポンチな2人の乙女のハイテンションな恋話。微妙な思い悩みを吹き飛ばす2人の浮かれ波長が同期して果てしなく増幅し,ぐるぐると店内の空気の中を巡っていく感じ。楽しそう。うらやましいことです。
2003/03/23(Sun)
結婚制度反対
会社で少し仕事した後プールへ。2日連続だ。むきむき1500m。同じぐらいのペースで泳いでる人がいると何となく競争心が出ちゃったりして頑張ったりするものだけど,今日は頑張りすぎたかも。といっても「たまに泳ぎに来ます」ぐらいのシロート(?)相手なら,すでにぼくは遙かに速く長く泳げるので,たいていの人は相手じゃないのだけど。と,そういう自己満足のために,またムキムキと泳いでしまう。
『フェミニズム入門』(大越愛子,筑摩書房),
読了 。読んでいて,論理のはちゃめちゃさ加減に顎が10回ぐらい外れそうになった。断定的で破壊的言説はスピード感たっぷりで迫力もあるんだけど,主張の論拠が抽象的だし飛躍しまくり。ほとんど断定のための断定を続けているだけって感じ。とにかく有史以来の人類の社会,歴史,学問,思想,哲学はすべて男根主義の権化で人間としてマチガッテました,と。だから手当たり次第ぶっこわすのです,と。複雑怪奇に分派したフェミニズム各論への賛辞は惜しみなく,でも,その形容詞はといえば「爽快」「快進撃」「鋭く分析してみせた」って,そんなのばかり。一応最後まで読んだけど,読んでてこんなに疲れて気分の悪くなる本はなかった。途中に引用される歴史的フェミニストの言葉には同意できるものも多くて,認識を新たにさせられることも多いけど,なんつーか。コマッタ。
戦後の行き過ぎてたかもしれない「ビョードー教育」を受けて育ったぼくとしては,人間として男女が等しく権利を持つべきというのは,むしろ当たり前の主張に思えて,歴代のフェミニストの戦いにむしろ「そんな時代があったのか」という驚きを感じるし,一方でジェンダー差別が社会に浸透しきっていて,被差別側の女にも,差別側の男にも内面化されてしまって透明化しているという憂うべき現状も認めるけど,でも,だからといってミソもクソも一緒くたにあげつらってやっつけよう,男根主義に諸悪の根元を還元して説明しきろうという子供じみた戦略,いじめられっこがいじめっこだけじゃなくて学校も世の中もすべて恨んじゃうような心理が見え隠れするのは,どうも見苦しい。
と,その一方でフェミニストの発言がぼくに乗り移り気味。最近ある既婚女性とメールでやり取りしていて驚いたのは,「そのときから私は自分の夢を捨てました。彼が私の夢になりました。彼のために生きるのが私の幸せ」と30年前の良妻賢母の典型のような発言。ぼくはメチャクチャいらだって「自分を失う代償は大きすぎる」と思わず言ってしまったけど,そのときのぼくの口調はもう戦後フェミニストのそれ,そのまま。被差別者として社会の下部構造に隠蔽され,無対価労働を搾取され,生殖機能を簒奪され,,,とまでは言わないけど,でもSMのような精神依存,売春のような肉体依存,経済依存を愛という口当たりの良いオブラートでくるんで結びつけるのが結婚という契約だとしたら,やっぱりそんな不純な社会制度自体にぼくは断固反対だ。
2003/03/24(Mon)
論理思考ツール
大手町で某社記者発表。ついにADSLも50Mbps時代へってか。いや,もちろん近距離でしか速度は出ないけど,でもVDSLをコストでしのぐ可能性はあるし,中距離でも速度アップは間違いないらしい。
渋谷へ。いい天気! 暖かい。待ち合わせまでの時間,駅前のスターバックスで日差しの差し込む場所に席をとったら暑い! 半袖になってもコーヒーを飲む気がまったくしない。なんだか春みたい。春なの?
焼き肉食べ放題に行くつもりだと思ったのに,しゃぶしゃぶ食べ放題へ。どっちにしても昼間っから食うものかとギモンに感じつつ。
マイクとボーイズトーク。戦争,恋愛,政治,仕事。発想の枠組みがオトナだし論理的だよなと思う。幼稚で吹けば飛ぶような空想的平和論とか,青臭い恋愛論とか,そういうのにイライラしがちなぼくとしては,比較的安心して何でも話せる相手は話していて楽。
夜,社長直々の「問題解決の方法」というレクチャー。ある人は「これは説明原理」と言うけど,コミュニケーションと思考の方法論。ベーシックで抽象的なフレームワーク。内容は大変すばらしい。なるほど,マッキンゼーというのはこういうことをちゃんと文書化し,汎化し,洗練し,伝承しているから,強いんだなと思った。
感心したことの1つは,ソラ・アメ・カサと名付けられたポイントで,議論ステージの切り分けを明確化せよと最初に指摘していること。それぞれファクト,(主観を含む)判断,アクションという3つに対応していて,つまり何を議論しているのかというのを議論をしている当事者同士ですれ違わないように明確に意識せよ,ということ。レクチャーでの指摘どおり,判断の部分は飛ばされがち。ぼくはファクトを積み重ねれば帰結に到達すると考えがちだったけど,本当はそんなシンプルな問題や現象なんてない。おのずと主観的判断が含まれる。主観が悪いのじゃなく,主観を主観として論じないから,議論がすれ違うことがある。
もう1つ,何となくはやっていたけど「問題を切り分ける」というとき,MECE(ミーシー:Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive)という概念を意識して,MECE的に問題を切り分ける訓練をせよ,ということ。いや概念ってほど大げさなものじゃない。白地図で言えば同じ場所を違う色で重ねて塗るな,というのと白地が残らないように塗れということ。切り分け方は対象となる現象全体をALLとして集合論風の記号を使って書くと「A U B U C = ALL」「A ^ B ^ C = 0」というだけのこと。A,B,Cを選ぶとき,その語彙の次元を統一せよというのも考えてみれば当たり前。当たり前なんだけど,分析対象とするものに,漏れなく,重複のない検討を加えるには,これを意識してやるのと,何となくで箇条書きだけで分析してしまうのとでは,まるでスピードや正確さ,最終的な分析の説得力が違ってくるはず。実際の現象をMECE的にに3段階のツリーで分解すると,最終的に出てくる項目は結構MECEでなくなってしまったりするというけど,それはもともと現実に存在する問題というのは曖昧模糊としているから。
人材の分析,会社の標準的分析次元とかも話はおもしろい。論理構成のツリー構成方法はかなり物足りない感じだけど,実際にはあんまり複雑なのは要らないのかも。
レクチャーを聴いていて頭にあったのは,座標をこねくり回したりするベクトル解析や数列といった図形的なイメージ。どこらへんに稠密な数列があって,どういう次元を設定してどういうメッシュでサンプリングして拡大すると,どういう立体が浮かび上がるのか,というのがぼくの持ったイメージ。時間変化を入れた4次元ぐらいでまで有効なイメージが作れそう。
仕事だけじゃなくて,日常生活でも応用が可能というけど,それはその通りだろうと思った。MECEに関しては,なんで今まで気づかなかったんだろうと思った。
ものすごく切れ味のいいハサミを支給された気分。なのに「でも……,ハサミの使い方を間違えると指が切れますよね?」という意味のトンチンカンな質問を渋い顔でしている人がいるのに驚いた。「ハサミじゃ原稿は書けないよね」というのも的はずれと思った。議論の軸や次元,ステージや場所を意図的に混同する人って頭が悪いか,誠意がないか,あるいはまったく別の動機が働いている場合だと思ったけど,もう1つ理由があった。混同するのを有効な反論の戦略だと勘違いしてる人。
2003/03/26(Wed)
衝動買い
午前中,六本木某所で某社イベント。声優さんまで呼んで凝ったイベントの割に参加者少な目,テンション低め。さむい。出てきた声優にビックリ。顔はふつうなのに声がアニメ。ああいう声って,アフレコのときだけのものと思ったけど,真顔で自己紹介するときにもデジモンの声だった。日本でも時代とともに女性の話し声の音域は下がってるというけど,あんな人種がまだ絶滅せずに生き残っていたとは。妙な声を出す女っていたよね。
ABCで立ち読み。歌多田ヒカル初の翻訳とかの絵本。ふーん。
宝島の「まれにみるバカ女!」というムック。なんか最近バカと付く本が多い気がしませんか? で,そのバカ女本,まあ想像通りの面々というか。世情に疎いぼくとしてはそもそも知らない人も多いけど,田嶋洋子とか福島瑞恵とか,田口ランディとか柳美里とか,そういうバサーリと切り捨ててほしい人が網羅されている。
山形浩生が2つほど寄稿してた。1つは香山リカで「思いつきを精神分析風の用語で垂れ流すだけのバカ」と切り捨てていた。香山リカって,実は読んだことないけど何となくぼくの中では理知的なお姉さんって感じで憧れがあったので(えっ,ぼくってバカ?),ちょっと複雑な……。山形さん好きなんだけど,勇み足で裁判は負けちゃったし,あの人にもこの人にも怒られてるし大丈夫かしら。
グローバリゼーション,テロ,戦争,イスラームが流行りですなぁ。「<民主>と<愛国>」(小熊英二),「帝国」(アントニオ・ネグリ)が気になるものの,両方とも一体何ページあるんだっていう大部で高額の本。デジカメでメモだけ撮って,後でAmazonで買うことに。
ボードリヤールが過去の自著を貫くキーワードを取り上げて解説した「ボードリヤールによるボードリヤール入門」という「パスワード」,ジジェクが9.11以降に情熱に任せて書いたエッセイをまとめた本(書名忘れた),マクルーハンの著作を集めたコンパクトな本も気になる。
ふいに欲望が暴発。ポケットを探ると1万5000円しかなかったので,とりあえず限度額いっぱいで本を買い,会社に戻るなりAmazon.co.jpでまた1万3000円。Amazon.comでも買い物を続けそうなったけど,踏みとどまる。日本語の本でさえまったく消化が追いつかないのに英語の本を買い続けても仕方ない。
2003/03/28(Fri)
メルセンヌ数
素数の並びに一定のパターンがあるかもしれないと最近発表した物理学者グループの話がNatureで取り上げられてた。ある自然数xを取り,x以下の素数の総数をπ(x)とすると,xが大きくなるとπ(x)は,なにやら対数グラフっぽくなるというのは知ってたけど,分布そのものにパターンがあるというのは聞いたことがなかった。で,気になって素数についてネットで調べてみたら,出てくるわ出てくるわ,関連情報が。メルセンヌ数,完全数,素数定理,オイラー積,リーマン予想,双子素数……。非常におもしろい。
nを素数としたとき 2^n - 1 も素数となるような数はメルセンヌ数と呼ばれる。現在発見されている最大のメルセンヌ数は,2^13466917-1。これは405万3946桁の数字らしい。400万じゃなくて400万桁! 吐き気も失せるほどデカイ数字だよ!
SETI@homeのような分散コンピューティングで,最大メルセンヌ数を求めるプロジェクトってのがある。2の階乗の形式で表わせるメルセンヌ数は,2進演算機で高速に計算できるからってのがプロジェクトが可能な理由。SETIとか暗号破りとか,DNA解析とか,そういうプロジェクトに参加する楽しさは分かるけど,最大素数計算競争って何がおもしろいんだろうと思ってた。でも調べてみるとメルセンヌ数も結構おもしろい。ある数の約数の総和が元の数に等しいような「完全数」というのは2^(n-1)(2^n-1)という形に書き直せて,このときナゼか(2^n-1)はメルセンヌ数になっている。つまりメルセンヌ数を求めることは完全数を求めることとも深く関わっているという。驚いたことに,奇数の完全数があるかどうかということは,まだよく分かってないんだとか。でももしあるとしたら,それは少なくとも8種類の素数と29個の素数をかけたもので,300桁以上の数字になり,10^20以上の素数を1つは含むということはわかっているという。奇数の完全数なんて想像したこともなかった。っていうか,存在しないというのが直感だし,常識だし,証明されている定理だと思っていた。
フェルマーの最終定理のようなのと同じで,問題の意味自体は小学生でも理解できるほど単純なのに,その解法となると現代数学の最先端,しかも一見数論とは無関係の分野の研究成果を使わないと解けないということがあるというような話なのかも。うーん,深い。素数って自然数と同じぐらい自明の存在でありながら,神の意図なのかなんなのか,まったくデタラメに登場する……,と思ったのに,よく調べてみると色んな構造や法則がありました,と。研究が進むにつれて,素数は生物や物理といった他分野でも深い部分で関わりがあることがわかった,と。宇宙論研究や素粒子探求と同じで,この世界のすごく深い深い部分,そういうところのいまだ明らかになっていない謎を探る冒険,それが素数研究というわけ。その魅力に吸い込まれる人がいるのも分かる気がした。
一応微妙に仕事の一環としてやった調べモノではあるけど,現実逃避モードで3時間も素数関係のページを読みふけってしまった。学生時代によく目にした懐かしい数学者の名前や数学用語がたくさん。マクローリン展開……なんか,ぼくにはちょっと甘酸っぱい響きです(なんでやねん)。
2003/03/29(Sat)
戦後修正史観
週明けの陽気はどこに行ったんだ。うそ寒い曇天。でもプールへ。1600m。
スタバでたいしておいしくもないチキン・エッグサンドイッチをほおばりつつ読書。『百年の遺産---日本近代外交史73話』(岡崎久彦,産経新聞社) ,
読了 。中高生の頃,あれほどバカにして見向きもしなかった歴史が,これほどおもしろく感じられるなんて。
微妙にお仕事モードな土曜日。たった2ページの原稿を書くのにメチャクチャ時間がかかってしまった。
深夜にマイクからこんなメール。ある調査によると日本国民の80%が北朝鮮を含む他国との戦争の危機を感じているというのに,いざというときに自衛隊の行動を支持するかという問いには48%の人しか肯定的答えをしていない。「一体,日本人はどうしちゃったっていうわけ? インベードされて金正日独裁政権のもとに屈して生活するってわけ?」と。マイクは日本の国際対応や外交にいらついている。半分日本人であり半分アメリカ人である彼らしい。
この日本人のまか不思議な,不合理とも言える心理をひもとくと,それはGHQ占領下時代にさかのぼる,というのが『百年の遺産』の指摘。そういうことだったのかと目から鱗がぽろぽろ落ちた。違和感を感じてた憲法第9条だけど,なんで違和感を感じるのかもハッキリとわかった。
2003/03/30(Sun)
カプサイシン
忘れていた習慣を思い出したように今日もプール。1500m。なんか昨日とまったく同じだなと思いつつ,仕事に出向く前にスタバでドーナツをほおばりつつ読書。
『人を引きつける話し方の基本』(巽正司,ぱる出版),
読了 。すっかりぼくの中では自己啓発系本ブームだ。でも,この本はちょっと失敗。全体の半分ぐらいは退屈。マズいことに前半半分ぐらい。どうでもいい筆者の体験談的エッセイと,そこから敷衍したクリシェだらけ。後半の主張の多くに大変共鳴するところがあって,勇気づけられもしたし,教えられることも多かったけど,もう少し本全体の構成を何とかできんのかね,という感じ。論理的に話せと主張している本の構成がきわめて行き当たりばったりの思いつきに充ち満ちているってのはいかがなものか。本を貫く骨格がふにゃふにゃやんか。
印象に残った用語は「メタディスコース」。なるほど,そういう言葉があるのかと思った。「野口英世雄は偉い」というような主張を裸のまま述べるのではなく,「私は野口英世は偉いと思います」というように主張を包み込む形,一段上のメタレベルで述べる部分がメタディスコース。メタディスコースを多用すると幼稚に響き,減らせば発言は引き締まるという話。もちろんメタディスコースには断定を避け,結果的に無用な対立を避ける効果があるので,時と場合によっては必要不可欠。英語の転移否定は,まさにこのメタディスコースによるオブラート効果の現われで,「I think that he wouldn't come.」という代わりに「I don't think that he would come.」と述部の直接的な否定を避けて婉曲表現を作る。
メタディスコースは必要だからこそ存在しているわけだけど,どのへんが適量かということは改めて意識的にチェックしたほうがいい。まして,その乱用が自信のなさの現われで,その自信のなさが論理や検証の不徹底に起因してる場合は,やるべきことはむしろそういう不徹底部分を改めること。ぼくはつい「思う」「気がする」と書いたり言ったりしがち。
ほかに,気になった用語だけメモ。プロミネンス,トールミンモデル,フールプルーフ,ウォータープルーフ。最後のほうで,例の「MECE」というのがマッキンゼー用語として登場してた。なんだ,こんなにたくさん紹介されている方法論だったのか。
当たり前のことなんだけど,相手の話を聞くというということの重要性も繰り返し主張
されている。これは何度でも考えてみた方がいい。ぼくはしゃべりすぎのことが多い。
chemistry.comの「今日の分子」にカプサイシンが選ばれてて,クリックすると3Dの分子構造が表示された。微妙にねじれてたって知らなかった。
2003/03/31(Mon)
会社論
何となく仕事がはかどるようなそうでもないような月曜日。そろそろ締め切り厳しい感じですが,どうなんでしょう。2ページ分と思って書いた原稿が2ページ半にレイアウトされて机に置かれていた。がっくり。一体何年この仕事をやれば行数が数えられるようになるんでしょうね,と嫌悪感を催すのにすら嫌悪感を催す。いいんだ,ぼくは書きすぎるぐらいでちょうどいいんだ,と誰にともなく言い訳をしてみたり。「ぼくらDTP世代だしね」と隣のK氏。そういう問題か。まあ,そういうことにしておきましょう。
19時半,会社を抜け出して千駄木方面へ。麻婆豆腐のおいしい店を教えてくださいと,昔の上司のNさんを誘って食事。奥さんのKさんもやってきて3人で中華。なんか目上の人を食事に誘うのって,ちょっと不思議。かつてアルバイト時代,ほとんど毎晩のように晩ご飯を奢ってもらっていたのは,もう10年前か。「なんだまだ32歳か。まだ何だってできるじゃん」と44歳のKさん。そうか,ぼくがKさんに出会った年齢にも,ぼくはまだ達してないわけか。
お久しぶりですと会うたびに「最近作った本だけど」と1冊,2冊と本をくれるのがここ数年の常。今回ももしかしてと思ったけど,やっぱり今日も手みやげが2冊。うち1冊は経済学者,岩井克人氏の新刊,『会社はこれからどうなるのか?』。もう2年前から出る出ると聞いて楽しみにしてた本だから,昨日書店で見つけてその場で買わせていだだきましたという本。
会社という組織は,特に日本では機能不全に陥っていて限界に近づいているといううっすらした認識は多くのサラリーマン,サラリーウーマンが持っている。といって,じゃあアメリカみたいにフリーエージェント社会なのかっていうと,うーん,どうもそれも難しそう。というところで,「そもそも会社って一体なんだ?」と根元的な部分に立ち返り,突き詰めて考えた会社論。欧米の会社論を持ち込んで,日本の会社を当て嵌めるような論じ方じゃあ,駄目でっせと。設備投資に大資本を必要とした産業資本主義が終焉を迎え,ポスト産業主義社会となったとき,今のような会社組織は必ずしも存在の必然性や,生産的合理性がなくなる。
というか,すでにぼくの仕事って外部フリーランス2に対して,社内1の割合で物作りをしているという感じが強くある。残り1の,ぼくだけが社内にいなければならない理由は,とっくになくなっていると思うんだけど。まあ現実はそう簡単でもないけど,でも理想を言えば,何かを一緒にやりましょうといってプロジェクト(プロダクト)を企画し,チームはその時々で編成し,リスクを分担し,経費は出し合い,プロフィットを貢献度によって分配するってのは,別に企業なんて枠組みを超えてできるはずだし,いずれそういう社会になっていくと思う。必要なのは,そういう動的な組織を支える社会的,経済的なインフラ。ラインで働く工場労働者じゃないんだからさ,時間と場所で人間を縛ってなんかやらせるって発想はやめにしたらどうだろうか。
まだ第1章しか読んでいないので,せっかく当の編集担当者を前にしているというのに,会社論話はやや一方的な,ぼくの「もうカイシャやんなっちゃったんです」という愚痴モードへ。Nさん的には「いろいろ考えると会社を利用する」のが賢いというのが,まあ結論らしい。で,今の会社でぼくがやるといいのじゃないかということをさんざん吹き込まれる。うーん。
何となくビールを飲まないことを申し訳ないかなと思いつつお茶とコーヒーで,12時近くまでおしゃべり。編集部に戻って,おみやげに頂いたもう1冊のほうの本,『趣味は読書。』(斎藤美奈子,平凡社)を拾い読み。実は書店で手にとって書棚に戻した本だったりするのだけど,改めて読んでみると,これがすごく面白い。軽妙,辛辣,闊達,明晰。けっこうズバリと批判的なことも書いちゃうのに全然嫌みがない。つい読みふけってしまった。
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>