2002/08/15(Thu)
資本主義の狂気
細々したペーパーワークのために出社。今月は見本誌を送る先が多い。夕方,思わぬ人に呼び出される。体育館裏でお話。割と長いこと。あくまで個人的に。
ふらりとオペラシティ紀伊国屋へ。家に積んである本が何冊あったかな,と思うと,買うのがためらわれる。覚えているだけで読みかけの本が5冊あるのも気になる。ものの,3冊ほど購入。うち1冊を,ロッテリアでハンバーガーを食いながら半分,ウチで麻婆豆腐(またかッ!)を食いながら読了。『人間にとって経済とは何か』(飯田経夫,PHP出版)。資本主義が強いる4つの「無理」という筆者の主張が,心に響く。「搾取・働き過ぎ・帝国主義的侵略・地球環境破壊」。
誰もが認めるとおり,20世紀最大の社会実験,共産主義国家は壮大な失敗に終わったし,マルクス主義は死に絶えたかもしれないけれど,マルキシストたちが声高に糾弾した資本主義の矛盾や狂気自体が消えたわけじゃない。むしろマルキシストが声を潜めるにつれ,資本主義が元々抱えていた狂気があふれ出してるのではないか。
冷戦が終わったのは共産主義の自滅が原因であるのに,それを資本主義,市場経済の勝利と勘違いしているところに,現代の市場原理至上主義が陥っている危機があるという。著者によると,ケインズは破綻しかけていた資本主義の救急医だったということだけど,その応急措置も,修正主義も,すっかり忘れ去られて,いまは新古典経済というアダム・スミスの時代に逆戻りしたような素朴で危険で,しかも悪いことにスミスと違って拝金主義的においのプンプンする経済理論が横行している。グローバリゼーションという名のアメリカ式経済が世界を席巻しようとしている。
ぼくの周囲,ぼくの年代の友人・知人は,みな忙しい忙しいと口にしてて,実際仕事に追われてる人が多い。人によっては,狂気としか思えない生活をしている。職場の同僚や先輩,上司の中にも,何が悲しくて,それほど仕事しなければならないのだろうと思える人が多い。どうも何かがオカシイと思う。6割の仕事で6割の収入でいいじゃん,とはいかないのが資本主義に呪われたぼくらの運命。
雑誌TIMEに,「日本でNegative ionが大流行」という記事が載っていて,なんだか恥ずかしいなぁと思ってしまった。アメリカでは1960年代に似たような流行があって,そのときはFDAが禁止したのだとか。アメリカは日本以上に民間のオカルト信仰が強いというのがぼくの感想だけど,世の中の仕組みとして,オカルトを排除すべきところではちゃんとオカルトを排除する仕組みがあるという気がする。そうでもないか,オカルト製品の市場の大きさで比べたら,アメリカのほうが遙かに大きいのかな。それにしても,マイナスイオンみたいな科学を騙った子供だましみたいな詐欺が堂々とまかり通る国って一体なんだ。数百億円市場だって,嫌になるよ。
 | なんか妙に気になって撮ったバイク。よく見たら,このオッサン,メットしてないじゃん。時速20kmぐらいで真っ白な排気ガスをまき散らして甲州街道の脇を走ってました。 |
2002/08/17(Sat)
LとR
まるでつきあい始めたばかりの高校生カップルのような頻度でボイスチャットで長話をするようになった,香港人の子に,ふいに「あなたがreally?っていうときの発音がかわいくて好き」と言われてビックリした。確かに,注意して聞いてみたら,ぼくのreallyは,いつの間にかrearieになっていた。自分ではまったく気づいてなかったので,驚いた。日本人にはRの発音が難しいというのは,やっぱり誤解で,本当に難しいのはLのほうだと思う。ファインマンのエッセイにも,舞妓さんの発言として「Would you rike to she our messy garden?」なんていうのが載っていた。
即座に「rearie…,real-llieee,reallly,really」と修正したら,「あーっ,駄目駄目。せっかく舌足らずでかわいいのに!」と彼女。
何やってんだと思う人もいるかもしれませんが,このサイバーガールフレンド,とってもいい英語の先生になってくれているのです。香港人だからブリティッシュアクセントも上手だけど,なぜかアメリカ英語。漢字はあまり読めないみたいだし,難しい話になるとわからない単語が増えると言うけど,一応中国語もほぼネイティブなので,中国語も教えてくれたりして。
ほとんど何も理解できないんだけど,1分ぐらい好き勝手に中国語をしゃべってもらったりする。これが何ともイイ!(だいぶヘンタイ入ってます) 外国語って不思議なもので,なんだか聞いてるだけで気持ちいいということがある。人によっては中国語,とくに広東語は聞いていてイライラするということもあるようだけど,ぼくはほとんどの外国語に聞き入ってしまうタイプ。人間の口が作る音って,意味を離れて考えてみると,ほとんど芸術的だと思う。
で,ぼくはぼくで日本語を語りかけるともなしに,語ってみたりする。彼女も日本語を聞くのが好きらしい。日本語勉強中の彼女は,ぼくの1分間のしゃべりの中から,知っている単語を3個か4個ほど拾い上げはするけど,理解にはほど遠い。一生懸命耳は傾けているけど理解していない。そのことを知っている状態で話す,というのは新鮮。ぼくは調子に乗って,ささやきとか苦笑とか入れてみる。これ以上はできないという早口とか関西弁とかも実験してみる。
日本語が意味をなさない「音」として耳に心地よく響く,という状態。日本語が,憧れの外国語として甘美に響く,という状態。ある人達にとって,日本語はクールで格好いい外国語なんだ。そういうのを悟れる経験って,あまりない。
インターネットはつくづくスゴイと思う。グーテンベルクがドイツ語に及ぼした影響とか,テレビが日本語方言に及ぼした影響とか,そんな歴史がまるっきりかすんでしまうほどの勢いで,人間の話す言葉はインターネットで変化することになるのかもしれない。
2002/08/24(Sat)
不思議な生き物
横浜へ向かう東海道線の中で『新・建築学入門---思想と歴史』(隈研吾,ちくま書房),読了。久しぶりに最初の数十ページで投げ出そうかと思った本。文章はかっこいいし,言ってることは高尚っぽいんだけど,ペダンティックで鼻につく。レトリックのためのレトリックが多くて,ウンザリ。しかも建築用語がよくわからない。コレ,全然入門ちゃうやんか。ギリシア神殿の謎はいろいろとわかったけど,なんだかもう突拍子もない論理展開についていけませんって感じ。建築って,そんなにリクツが必要なもんか? そもそも,リクツなんて後付じゃないのって感じ。
つまんないなぁと斜め読みでぱらぱらとページを繰ってたら,ヨーロッパ中世末期に来たあたりで急にハッとした。ゴシック様式とスコラ哲学の関連を論じるところで,ぽぽぽんと膝を叩く。モダン建築とマルキシズムの相関を論じるところで,ぽぽぽぽぽんと膝を叩く。「マルキシズムを投影したモノが,装飾否定と機能主義であるとしたら,非求心的構成と透明性の背後にあるのは,フッサールからハイデガーへと到る,実存主義の流れである。求心的構成とは,普遍性への信頼の表明に他ならない」。あんさん考えすぎちゃいますのん,と言いたくなる気もするけど,こういう指摘って,ちょっと楽しい。
横浜の兄貴宅へ。5月末に生まれてすぐに,メールで50枚ほど写真は見てはいたけど,甥っ子に初のご対面。途中,新宿のGAP KIDSでプレゼント用にGジャンと秋物のパンツを購入。
ホントに赤ん坊。まだ3カ月なので首もすわっていない。ほっぺたがやわらかい。顔がまん丸。義姉にはそれほど似てない気もするけど,兄貴には似てる。耳がぼくの耳と似てる気がする。兄貴があまりにパパしてたので,ちょっと驚き。
かわいいけど,なんでか血縁という感触はあまりない。言葉を話すようになったら,また違うのかしら。
 | 自分では自分の服も買わないけど,甥っ子には買ってみたり。 |
 | 甥っ子を囲んで。左側はうちの兄貴。甥っ子の名前は開くんと言います。そういえば,兄貴は「ごう」だし,ぼくは「けん」だし,甥っ子は「かい」と全部2音。 |
2002/08/31(Sat)
大鳥神社にて
対談で目黒へ。暑いけど,いい天気。機嫌良く出かけたのに環七へ出ると激しい混雑。土曜日の10時なのに,なんで? 通い慣れた山手通りで下ればよかったと後悔。時間に余裕のない出かけ方を続けてると,いつか絶対バイクは事故るなぁと思う。時間のゆとりはアクセルのゆとり。お金のゆとりは心のゆとり。
日本庭園美術館に園内の撮影(館内にあらず)を断わられてしまったので,代わりの場所を探す。大鳥神社,羅漢寺,目黒不動尊あたりがターゲット。Webで見る限り,五百羅漢は絵的インパクトはあっても,主張が強すぎて背景画としては,いまいち。中性的な「和」がほしい。
とりあえず,駅の近所の大鳥神社へ。小さな,どこにでもありそうな小さなお社。しばらく賽銭箱を眺めてみたり。賽銭箱の隣にある,電光掲示板に「おみくじ」と流れるオレンジ色の箱が非常に切ない。完全に雰囲気を損ねている。境内も狭いし,ちょっと写真を撮るには不向きかな,と思いつつ,念のため,撮影許可をもらいに事務所へ。穏やかな笑みの宮司は,すぐにオーケーをくれた。
 | 目黒駅そばの大鳥神社。都会の喧噪の中にあって,静かな境内。 |
神社前に止めておいたバイクで,2ブロックほど南へ。目黒不動尊そばの交差点で,地元っぽいおじさんに不動尊の場所を聞く。これが,まさに地元の人。江戸っ子言葉? 下町っぽいなつっこさに驚いた。「ああ,不動尊ね,そン角をまがってよ,すーっとまっすぐ行くんだよ。っしたら羅漢寺ってのがあるからよ。そんでそこの狭い道をまーっすぐ行ってよ。それが一番近けぇよ」。ふつうに道を尋ねただけなのに,「な,この道をな,にいちゃん」と肩をポンポンと叩かれた。そこまで一生懸命説明してくれなくてもという勢いなものだから,おじさんのツバが飛んで,ぼくのホッペにつくのがわかった。この至近距離感は何だ。暑苦しいような,人なつっこさが心地いいような。
目黒不動尊はすばらしい。立派な本尊に続く長い階段とか,もう写真を撮ってくださいといわんばかりの景観。これだっ! と,おみくじを売っていたおじさんに事務所の場所を聞く。またまたビックリ。「そこの階段をいっとう下まで降りてよ,そしたら,シダリへ曲がってさ……」。今時,「いっとう」なんて言いませんよね。思わず「えっ,一番下まで行って,ですか?」と聞き返してしまった。「左」を「しだり」と発音するのも久しぶりに聞いた。東京にも方言が生きてるんだ。
 | 目黒不動尊。撮影ロケーションとしては,かなりイイ感じだったけど。 |
「雑誌社」と言ったとたんに,事務所で応対した宮司らしき人の表情は曇った。「基本的に撮影はすべてお断わりしてるんですよね」とか。はぁぁ。聞けば「いろいろトラブルとかありましてね」とか。トラブルって何だろう。撮影のために,勝手にモノを退けたり,梢を切ったりとか?
五百の羅漢像がある羅漢寺へ。拝観料300円払って中を見て断わられるのもイヤなので,先に「雑誌社の……」と切り出した。「撮影は全面禁止なんです」。はぁぁ。世の中厳しいですのぉ。
 | 目黒五百羅漢寺にあったく銅像。 |
12時15分前。目黒雅叙園着。今日は大安。そこここで,いま結婚式を終えたばかりのカップルが親族と記念撮影をしてる。ジーンズでうろちょろしてるぼくは浮いてる感じ。料亭ほそかわ前の待ち合わせ。対談の主役2人はほぼ時間通りに登場。カメラマンと,そのアシスタントと,5人でいざ。
12時。「そっち側が上座なんですが……」という仲居さんの言葉なんかぶっちぎって,勝手に写真の構図のためだけに席順を作り替える。主賓が下座? どうだっていーんですよ,上下なんて。ほんとか。
会席料理。うーん。悪くないけど高すぎる。会社の金じゃなきゃ,1万2000円も出して食う昼飯じゃない。ちょっとがっかり。そもそも話の展開が気になって,あんまり味わうって感じはなかったんだけど。
14時。「お話いただく」対談の割に,ぼくはしゃべりすぎたんじゃないだろうかと心配になりつつ,大鳥神社へ。ページのラフと,カメラマンがとりあえず撮影したポラの写真を見比べながら,構図を考える。「不適な笑みで偉そうに腕なんか組んじゃってください」と童顔のM氏に。照れながらもポーズを決めるM氏とH氏。カメラマンの背後から,2人の間にタイトル文字を思い浮かべる。うーん,ページの仕上がりはどうなるか。やっぱり神社の絵がふつーすぎて,インパクトに欠ける気もする……。ああ,もうちょっと絵のことを考えてもよかったな,と後悔しつつ,あとはカメラマンのセンスに任せる。もっと絵の撮り方は考えないと。本当は,こういうことを考えるのは楽しいことなんだろうなぁ。今回は70点でも,次回80点のモノにしたい。「雑誌のいいところは次回があることだよ」と,かつてボスは言った。次回なぁ。
 | カメラマンの背後から。さて,どんな仕上がりになるか。 |
撮影中,意外に次々と地元の人がお参りに来るのにちょっと驚いた。初宮参りらしき赤ん坊をだっこした母親と父親,祖父と祖母が来たときのこと。どっちみち撮影を中断しているのだからと,カメラマンが愛想よく「カメラ撮りましょうか」と申し出る。わっ,タダでプロカメラマンか。「もうちょっとお父さん,内側ですね,はいっ,そうですね,はいはい。おーぃ,××くん,ハレーション切って」とプロっぽい指示。ところが,プロはコンパクトカメラなんか使わない。「あれ,これはどうやってシャッターを……」。アシスタントが笑いながら,師匠に操作を教えたり。
ブローニー3本,35mmポジ5本をその場で受け取って,バイクで会社へ戻る。即現像へ回すために,近所のラボへ。うへ。30分差で土曜最後の便に乗らず。がっくり。帰社すると,ファクスのエラーが机の上にたまっていた。
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>