2002/06/2(Sun)
台北へ
朝5時。何とか「これだけは絶対に終わらせておかなければ」という最後の原稿を突っ込む。まだ書かなきゃならない原稿はいくつか残っているけど,飛行機で書くつもりでいたり。
フライトは14時,新宿発の成田エクスプレスは10時45分。ものすごく中途半端な時間。さすがに寝坊することはないだろうけど,あれこれ準備もしなきゃいけないことを考えると,寝られるのはせいぜい3時間。「これから帰って寝るの?それって危なくない?」という周囲の声に若干同意しつつも,帰宅して就寝。1時間でも2時間でも寝れるときには寝ておいたほうがいい。
空港のカウンターで,パスポートと名前,予約番号を告げる。怪訝な顔のグランドホステス。どうも,ぼくの予約が見当たらないらしい。今回のフライトは台湾側からの手配で,e-ticketとか何とかで,なにやら勝手が違うらしい。やや手間取って,予約確認。げ,ビジネスクラスなんだ。
実はビジネスクラスって初めて。興味津々で空港ターミナル内ウェイティングラウンジも覗いてみる。中華航空はJALと提携していて,ぼくはSAKURAラウンジが使えた。妙に広々,ゆったりした空間に流れるソフトなBGM。のんびりコーヒーを飲んでる人もいれば,新聞を広げてるビジネスマンもいる。なるほど,こういう世界なのか。周囲がほとんどスーツの中,Tシャツとジーンズのぼくは,ちょっと違和感を感じつつ。こういうときに,あまり気後れしなくなったのは,たぶん年をとったから。
台湾での楽しみは,食べ物。だから,3時間で到着するようなフライトでまずい機内食なんて食べたくなかったけど,一方で,せっかくのビジネスクラス。どんなもんか食べておかないと,次にビジネスに乗るのがいつになるかわからないし。まー,可もなく不可もなく。
台湾到着。ターミナルの動く歩道で移動中,みかける広告には,見慣れたコンピュータメーカーの名前が並ぶ。おお,台湾だ。漢字だらけだ。両替所で日本円を台湾元に変える。すっと手渡された紙を手に取って,Can I write my name in Hanji?と英語で聞いてしまう。
台湾で気づいた。学生時代にやりまくった麻雀のおかげで数字はほぼ完璧に口からスッと出てくるものの,中国語はほとんどわからん。わからんし,通じないと思うと,つい英語で話してしまう。でも,台湾の人はほとんど英語を話さない。どうせ通じないんだったら,日本語でもいいじゃないかと思うんだけど,なぜか英語になってしまう。英語で話している限り,「言葉が通じないのは,ぼくが悪いんじゃない」という意識がどこかにあるのじゃないか。英語を母語とする国民は,どこに行っても当たり前のように英語を使って恬として恥じない。そういう横暴な態度,怠慢,無知を,ぼくは常々嫌ってきたはずなのに,やっていることはぼくも同じ。90%以上の確率で相手が困惑するのを知っていても,英語で話しかけてしまう。
台北市内に向かうバス。窓外を流れる郊外のマンションを眺める。まったく外国という気がしない風景。漢字だからか,何なのか。なぜか空港周辺は宮崎っぽく思える。
19時,ホテル到着。腹が減ったので,すぐにでかける。ぶらぶら。裏通りへ。驚愕。とても外国と思えない。三越,セブンイレブン,ファミリーマート,吉野家,ドトール,ロイヤルホストと,日本企業の進出はすさまじく,ぱっと見た感じ,風景は東京とそんなに変わらない。違いはひらがながほとんどないことと(「の」という文字はかなりアチコチにある。ちょうど日本で de という of にあたるフランス語がやたらあるのと同じ),やたらめったらスクーターが走ってること,いい匂いと,臭豆腐の強烈な匂いが,常にあたりに漂っていること。スターバックス,マクドナルド,ケンタッキー,バーガーキングあたりのアメリカ企業というか,グローバル企業も進出著しく,「グローバリゼーションが世界をつまらなくする」というのを絵に描いたような街だ。出張旅行のようなときには,戸惑いが少なくていいのかもしれないけど,旅行だとしたら,これほどつまらないことはない。
路地裏の露天でパイコウ飯。うまい,安い。思わずパイコウだけおかわりしてしまった。それでも100元=350円ぐらい。シェシェ・ニー,ハォツィー。
2002/06/03(Mon)
シールートン
COMPUTEX取材初日。午前中プレスカンファレンスに出て,午後は会場を歩き回る。どこのブースに行っても,日本語の達者な人が1人ぐらいはいるという事実に改めて驚く。
タクシーの運転手には「Hilton,please」と言ってもだめだし,「ヒルトン」といってもだめ。漢字は確か「希類頓(正しくは希爾頓)」だったなと思い出しつつ,「キルトゥン」と発音してみてもだめ。結局,文字で書いたら「アー,シーィ・ルゥウ・トゥン!」と了解してもらえた。そうか,3文字だと3音節なんだ。
夜,今回ぼくが招待を受けた,某PR会社の招きでディナーへ。ロシア,ドイツ,イタリア,スペイン,メキシコあたりのコンピュータ関連メディアの人たちと。みんな「景気が悪くて広告が入らない」と似たようなことを言ってる。
PR会社のメイという担当者は,メールでは結構初歩的な文法の間違いをするので,あんまり英語がうまくないのかと思っていたけど,実はすごく流暢。文法的誤りをしないということと,流暢かどうかは,比較的独立した事柄なのかもしれない。中国人はテンスも冠詞もめちゃくちゃだけど,淀みなく英語をしゃべる人が多い。まあ,文型がSVOだからか。そういえば,オーストラリアで7年も勉強したyeeも,文法はけっこう滅茶苦茶だったしなぁ。
2002/06/06(Thu)
宝くじ
もう原稿は送ってしまったけど,ショウ会場の落穂ひろい。午後はオタクの巣窟,光華商場へ。途中,台北科技大学のキャンパスに,何食わぬ顔で侵入してみる。なんでカフェテリアにめがね屋とか,床屋があるんだ……。
食べ物や交通費,その他もろもろの物価がだいたい5〜6割の台湾ですが,光華商場に並ぶPCパーツは,まあ秋葉とどっこいどっこい。特別面白いものが並んでいるわけでもないので,ザザッと見たら,まあなるほどねというぐらいのこと。むしろ,違法コピーのVCDとかDVDのほうが気になる。99元(=350円)ぐらいで,韓国のアダルトビデオや日本のアニメががんがん売られてる。
路上でスピード宝くじみたいなのを買ってみる。「lottery?」と言っても相手はわかるわけがない。そしてぼくは「籤」という漢字が書けない。まったく英語は通じないけど,「3箇所削るんだ」と相手が言ってることが「サンクォ」という発音と手振りから理解できる。当選金の説明も,「百」の発音がbaiで「千」がchengとわかってしまえば,けっこうちゃんと聞き取れる。「没有(メイヨー)」と首を振りつつ,2度ほどチャレンジ。1枚100元(=350円)で,1度目は100元戻ってきた。
後で気づいたけど,この街角の宝くじ販売員は,車椅子生活者が多い。どうやら,そういう人たちの定番職業ということみたい。テレビのニュースでは,台中で,そういう販売員の1人が,焼身自殺で諫死を図ったというのが流れていた。行政に大いに不満を持っていたとか。
露天で弁当。50元(175円)ぐらいで,劇ウマ。
2002/06/07(Fri)
日式不日式? のヘアサロン
とっくに送ったはずの原稿を再送してくれ,と恐ろしいメールが届く。てことは,まだこれからなのね,,,。あ,そういえば台湾のホテルは,ADSLが来ていて,ネット環境はかなりいいです。
待っていても校正のファクスは来そうもないので,うざったくてずっと切りたかった髪を切りに美容院へ。外国で髪を切るのは楽しい経験。でも,どういうところを選べばいいのかさっぱりわからない。「日式」という日本スタイルを強調する店のほうが安心かなぁとか,いっそ庶民的な床屋で格安カットしてもらうかなぁとか。後で知ったことですが,「床屋」というのは半ば売春宿のようなところだった時代が長かったとか。現プレジデントの陳さんが台北市長の時代に,風俗,ギャンブル関係の店は台北市内から一掃されたというのは有名な話。
それなりにセンスのよさげな店構えのところに思い切って入ってみた。いきなりカウンターにいた3人の女の子が日本語で「いらっしゃいませー」と来た。一瞬,何が起こったのかわからなくて,「あれ,えっと,あの髪を切りたいんですが」と日本語でしどろもどろに答える。向こうは向こうで,困惑し始めた。後で聞いたら,その店は「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」という客に投げかける挨拶だけは,日本語でやることになってるとかいうことで,別に日本人を相手にしているわけでも,日本語が話せるスタッフがいるわけでもなかった。日本語とか日本風というのは,彼らにとって「おしゃれ」なのだ。日本,義大利(イタリー)が,彼らのおしゃれの先達ということらしい。
ちょっと英語のできるスタッフがいて,彼女に切ってもらうことになった。28歳にしては若く見える彼女は,茶髪で軽いウェーブのかかった長髪で,着ているものとか,サングラスの形とか,ちょっと前の原宿にいそうな雰囲気。
洗髪に感動。こんな丁寧なシャンプーがあるのか。マッサージも力強くて丁寧。髪を切っている間に,あれこれ質問。周囲は,どうやら英語のやり取りに耳ダンボ状態らしかった。日本人客はかなり珍しいらしい。
通じてるようで通じてないような気もする英語+筆談でおしゃべりするあまり,カットに1時間以上かかってしまった。で,たったの440元(=1500円)。安ぅー。仕上がりはまあ,ふつうじゃないでしょうか。もともとぼくは台湾顔らしいので,台湾度が5ポイントあがった程度かと。
夕方,台北の新宿と言われる西門町へ行ってみる。新宿というか渋谷か原宿って感じ。渋谷109ならぬ,西門町誠品116なんてのが駅前にあったりして。誠品百貨の中にある本屋はめーちゃめちゃオシャレ。最上階には売り場とシームレスにつながってるカフェがあって,ちょっとイケてるインテリ風女性がゆったり読書なんかしてたりして。
西門町は中高生の町だとかで,映画館やら洋服屋やら,アイスクリーム屋みたいなのとか。プリクラ専門店もあって,もう言葉以外は,まったく日本。つまらないので,台湾名物(?)の屋台がたくさん並ぶというあたりへ行ってみる。でも,ぜんぜん閑散としていて,ひとけがない。もう,はやらないのかしら。ぐんぐん足の向くまま,暗い路地裏へ路地裏へと踏み入る。庶民の暮らしぶりってのをちょっと見てみたい。夕餉の準備をしてるところ,家族でテレビを見て団欒しているようなところ。迷路のように曲がりくねった道なき道を進む。人がやっと1人通れるようなところでも,実は行き止まりじゃなくて,抜け道だったりして,不思議な感じ。マンションが立ち並ぶ狭い路地では,見上げるとエアコンの室外機と絡み合うツタで空が見えない。雨かと思うほど,室外機で結露するしずくが落ちてくる。台北では,室外機からの水滴を誰も気にしてないらしい。道はやや狭いけど,やっぱり風景にどことなく日本の下町に共通するものがある。むかし懐かしい風景,という感じ。
夜,サンフランシスコで知り合ったjoanneと,danielと名乗るその彼と,ちょっと怪しげな林森北路(?)のパブへ。もともとはアメリカの軍人が多くいた場所で,一帯の飲み屋はみんなアメリカンな雰囲気。joanneは相変わらず天使のように天真爛漫でかわいい。
いやに色っぽいヒトの多い店だった。日本で言えば,スナックとバーの中間ぐらいの感じ。日本語のうまい女の子とか,英語のうまい女の子が,隣に来て,ビールをついだり飲んだり。うーむ。
2002/06/09(Sun)
遅刻
10時の約束に遅刻。11時過ぎに電話すると,Andyは沈んだ声。「まだ待ち合わせ場所にいるよ……。でも,もう帰っちゃったかと思ったよ」。あちゃー。15分でシャワーを浴びて走る。
サンフランシスコの空港で「またどこかで」と言って以来,約半年ぶりに会うAndy。彼の英語はだいぶ良くなった気がする。といってるぼくの英語も,かなり上達している。というわけで,お互い無駄口の数が,以前に比べてがぜん増えた。
Andyの地元。友人の店で昼飯。鉄板焼き。これは日式。しかし,うまい。安い。
故宮博物館。ビンロウ。止林夜市。台北観光満喫。いやー,夜市はすごい。
2002/06/20(Thu)
笑ってお仕事
午後ニューオータニへ。P2Pグループウェアをまもなく世に問うArielNetworkの記者発表会。東京めたりっくが初めて記者発表したときに感じた興奮に近いものを感じる。約3年前(って日記を見たら1999年10月18日だった),国内で初めてADSLをひっさげてNTTに立ち向かった彼らは颯爽としていた。技術的にみて,ADSLがブレークしないわけがないと思ったものだけど,今日のArielの「ArielAirOne」にも,それに近い直感が。コレ,きっと1,2年以内に来るですよ。すごいですよ。
やっぱりP2Pは,インターネットを根こそぎ変える技術トレンドだと思う。エンドツーエンドの通信がほとんど不可能になってしまった,いわゆる「エッジ問題」って,IPレベルのルーティングじゃなくて,もっと上位の層で解決したほうがいいんじゃないかという気がしてきた。やりとりしたいのはパケットじゃなくて,メッセージなりマルチメディアなストリームでしょ。そのルーティングやキャッシングは個々のピアがやればいい。IPv6もいいけど,もはやTCP/IPって,アプリケーションを載せる枠組みとしてはシンプル過ぎるんじゃないでしょうか。京大とかオムロンがやってるSOBAとか,SunのJXTAとか,どうでしょうね。P2P大ブレークは間違いない。後は,それがいつ,どういう形で起こるかの問題。
A新聞社のオヤジ記者が「なんのかんの言ってさぁ……,P2Pってことはファイル交換できんでしょ? ユーザーが違法で音楽データを交換するソフトなんでしょ? それ狙ってんじゃないの? あんたら訴えられたらどうすんのよ?(発言ほぼそのまま)」とぶっきらぼうな口調で質問して,会場中の失笑を買っていた。あほか。アレで論説委員らしい。しかもIT系を追いかけてる記者だって。誰か,天下の全国紙の「偉いヒト」に,ご進講差し上げて!
赤坂から渋谷へ。セキュリティ関係のソフトの実演。これまたおもしろい。やっぱりぼくは技術オタクの気が強い。
自分がおもしろいと思うものを伝えて,それをほかの人にもおもしろいと思ってもらえる(かもしれない)。それは非常に楽しい仕事。
タイトル。古いですが。「笑ってお仕事」って,モックンがWindows3.1のCMのコピーで言ってたヤツです。10年近く前。シュールで不気味な笑いが,なかなか良かった。コンピュータに詳しい人間なら誰でも,超不安定なWindows3.1なんか使って仕事してたら,常に顔が引きつるに違いないと思っていただけに,なおさら当時彼の笑みは,ブラウン管に皮肉に映った。
笑ってお仕事したいもんだけど。やや顔に引きつった笑いを浮かべつつ。数えるのが怖かったけど,数えてみたら今月35ページを超えてるやんか。ちんたらやってたら確実に破綻。日記書いてる場合じゃないんだって。誰に言ってるんだ。はうぅ。
2002/06/21(Fri)
英語屋にあらず
「英語見て」「英語書いて」という風に頼まれることが多い。まあ1年も会社を休んで英語を勉強したことになってるんだし,仕方ない。個々には just a piece of shit なんだけど,あまりに何もかも持ってこられても困る。
「最近,企業によってはTOEICで750が求められる」なんて言い方を聞く。750って一体ナンの役に立つんだろうかと思っていたけど,考えてみたら,世の中には400とか500というホントーに英語のできないヒトもいるんだった。というか,いるらしい。
TOEIC750くらいだと,かなり壊れつつも,なんとか通じる英文が書けるという最低レベルだろうから,それはそれで役立つんだと,認識を新たにしてしまった。「英語屋」に頼らず,自分で何とかできるレベル。英語屋になりつつあるぼくが「これはヒドイ……」と心の中で思いながらも,「いや,大丈夫じゃないですか」と言って見なかったことにできる英文を書くレベル。でも,自分ではまったくどうにもできないヒトもいるらしい。そういうヒトに頼まれたら,断るわけにもいかない。
代筆を続けてるうちに,結局,「面倒だから,じゃあぼくがその人とのやりとり担当しますよ」とか言ってしまう。笑ってお仕事。
「あいつに頼めばサクッとやってくれるよ」と思われるのは,サラリーマン編集者としては,あまりありがたくない。英語屋じゃないんだぞと,言いたくなったり。いや英語屋くらいならいいけど。
しかしなぁ。IT系の編集者で最低限の英語の読み書きに不自由するって,いかがなものか。ぼくが言う「日本語母語話者にとって英語は難しすぎるので,いっそのことあきらめるという選択肢もある」というときの「あきらめる」って,それは聞いたりしゃべったりすることであって,最低限の読み書きのことじゃない。それくらい中学高校でやるでしょうに,と思う。
2002/06/25(Tue)
楽しいのか
某社取材で有楽町へ。技術者が出てくるというので,若い人が出てくるのかと思ったら,いきなり副社長。思わず知らず,「ぼくはね……」と一人称にたまに「ぼく」を使うのが,いかにも理系の技術畑の人。熱っぽく語る笑顔が好印象。そして,話もたいへん良く理解できました。なるほど,あれは,そういうことになっていたのか!
『J-POP進化論---「ヨサホイ節」から「Automatic」へ 』(佐藤良明,平凡社),読了。めちゃめちゃおもろい本。クラシックやロックに始まり,ブラックやユーロに影響されて,いかに日本の<うた>が変容してきたのか,そして日本人の音楽に対する感受性がいかに変遷してきたかを跡づける好著。まるで過去数十年の日本音楽の珠玉の名曲の数々が,歴史という五線譜上にきれいに載っているような感じ。それらの曲にはそれが生み出された歴史的,世界音楽史的な背景がある。そしてどこかに常に日本人の民族としての土着の「うたの記憶」が息づいている。日本音楽史という五線譜は,日本人の心の動きをクッキリ浮かび上がらせる。
しかし,実例として出てくる1960年代の流行歌をあまり知らないのが悲しい。楽譜だけ見せられても頭に浮かばない。この本は絶対にCD-ROMをつけるべきだったと思う。
2002/06/26(Wed)
エンタシスの嘘
経団連会館で某社発表会。うわっ,周囲は全員ネクタイだ。ブンヤばっか。ということは,内容はぼくにはあまり興味がないようなカンケーないような。ぼくは完全に浮いてる。ちゃんと「襟のあるシャツ」を着ていったけど。えっへん。えっへんじゃないか。
法隆寺の柱の真ん中が膨らんでて,あれは古代ギリシアの神殿に見られる洗練された工法だというのは,まるっきりの俗説らしい。なんか子どもの頃,何度も聞かされた気がするけど。
コトの真相は,ギリシアの石柱が,もともと木材でできた柱を置き換えていって,その過程で,木に似せたということだとか。なるほど,木材表面の木目っぽい筋や草っぽい柄がやたらと配されてるのは,そういう理由か。真ん中が丸いのは,単に先っぽが細い木の特徴。
科学的にはまるっきり否定されてしまっているのに,数十年前に提出された仮説が,人々の間で今でも信じられている俗説というのは,集めてみると,結構おもしろいかも。「えーっ,子どものとき,そう聞いたのに」ということって,たくさんある。
2002/06/28(Fri)
描く描く
大量に図のラフを描く。描く描く。このところ,今までファクスしてたようなラフなどは,ファクスで送るのをやめて,全部デジカメでマクロ撮影してメール添付することにした。無線でつながったノートPCもあるし,心理的に楽ちん。最近ゲラ(校正刷り)もガンガンメールで来るし,1日のメールのやりとりの量が,軽く20MBを超えてる気がする。
仕事で使うPC133-CL2のメモリをヨドバシで探すも,CL3のものしかない。しかも,256MBで1万800円! うがぁ。高すぎる。店員に「それはヘンじゃないですか?」と思わず聞いてしまった。だって,秋葉価格だと4800円くらいですよ。1万超えると経費に収まらないんですよ。と,結局,DOS/VパラダイスでPC133-CL2 256MBを5400円で購入。半額やんけ。どないなっとんねん!?
禁煙1年半の間はゼロ本。その後半年は月に5本程度。その後半年は月に10本。さらにその後半年は月に30本ぐらい。30本といっても毎日吸うというのではなくて,1度に10〜20本というのが,1回か2回。
で,すでに,たばこの匂いがだいぶ嫌いになっている。自分で吸うときとか,かすかな匂いは今でも好きだし,たばこを吸うこと自体は好きだけど(特にお酒を飲むと),他人の煙は許しがたい。密閉された会議室とか,食事の場で吸うなよって。
フラリと入った喫煙室で,もらいたばこをしてしまった。久しぶりの喫煙室の歓談。なんか,喫煙って,ものすごく社会的行動という気がする。深夜だったからかもしれないし,仕事がみんなつまってるからかもしれないけど,そこはかとない連帯感があったりして。ちょっと元気が出た。
「百害あって一利なし」ということをナイーブに主張する嫌煙家には,一理しかないと思う。
いや,しかし,今一度禁煙を徹底しようと思う今日この頃。「禁煙に成功したとしても,喫煙経験者は,あの匂い,あの至福感は一生忘れられない。ふとしたきっかけで思い出すもの。ちょうど昔の恋人を思い出すように」というのは,本当だと思う。
2002/06/30(Sun)
雨も悪くない
雨合羽を着てバイクに乗るのも案外悪くない。小雨ふる,なま暖かい夜明けの街をゆるゆると滑っていく。淡々と低く響くエンジンの音,ヘルメットのシールドに聞こえる雨音。1キロの狂いもないほど,一定した速度で走ってみたら,自分が止まっているように感じられた。
窓越しに,いつまでも飽きずに雨を眺めた子どものころの記憶がよみがえる。窓を叩く単調な雨。全体としては単調に見えるのに,水滴がガラス上に描き出すのは複雑なパターン。滴が集まり,小さな白糸の滝になる。あの心の安らぎ。
あるいはこんな感じ。やっぱり子どもの頃の記憶。強烈な記憶。夏の日のどしゃぶりの夕立。あたりは暗い。プールサイドのパラソルを叩く猛烈な雨。頭を水面下に沈めると,突如音が消える。なにかシェルターのようなものに入ったような錯覚にとらわれる。そこは暖かく,定常的で,静かな空間。身体も軽い。息苦しくなって水面に顔を出すと,誰もいないプールサイドでは,相変わらず水たまりに雨がたたきつけている。もはやプールサイドを含めて,プールにいるのはぼくだけ。
再び潜る。ゆっくりと息を吐く。肺の空気をできる限り吐き出す。すると比重が重くなって,身体はゆらりゆらりと沈んでいく。その感じが好きだった。そして,やがてプールの底に横たわることができる。仰向けに底に横たわると,水面を叩く雨を観察できる。90度回転して考えると,目前約1.5mのところに現われる巨大な窓。50m×25mの窓に雨が打ち付ける。それほど透明度は高くないし,そもそもゴーグルなんてしてないから,見える範囲なんて限られてるんだけど,それでも,あの感じが好きだった。
息を吐ききるので,すぐに苦しくなる。せいぜい10秒ほどしかプールの底には横たわっていられない。だから何度も潜る。
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>