the other side of my days
ご意見,ご感想,ごいちゃもんなどございましたら
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>まで。


2001/09/01(Sat) Webを更新
2001/09/02(Sun) 田舎根性の定冠詞
2001/09/03(Mon) 初めて見る,tがひっくり返った発音記号
2001/09/04(Tue) 読めない本
2001/09/05(Wed) 持つべきもの
2001/09/06(Thu) お気に入りコラム
2001/09/08(Sat) 私のIQは138だから
2001/09/10(Mon) お世話になったのかしら
2001/09/11(Tue) サンフランシスコも,ややゴーストタウン
2001/09/12(Wed) パールハーバー以上だしね
2001/09/13(Thu) カトマンズ・ポスト紙
2001/09/15(Sat) リハビリ
2001/09/17(Mon) 文字通りオジサンに
2001/09/18(Tue) タリバンはレイピストだった! という誤訳
2001/09/21(Fri) 日系サンセーもパールハーバー以来というし
2001/09/23(Sun) ブッシュは90%の歴史的支持率
2001/09/25(Tue) アメリカのハンバーガー
2001/09/26(Wed) 学習曲線
2001/09/27(Thu) へくてぃっく
2001/09/28(Fri) ソフトランディング
2001/09/29(Sat) ビューティフルサタデー
2001/09/30(Sun) SM


2001/09/01(Sat)

Webを更新

久しぶりにWebの更新ができるようになったので,長らくほったらかしだった,FAQの文章を直したり,新しく.planページを作ってみたり。実は去年に練習したDvorak配列の練習を1カ月ほど前から始めてるのです。.planには,もう少しプランを足したい。

2001/09/02(Sun)

田舎根性の定冠詞

ひょっこり通りに飛び出すと,見るからに足元のおぼつかないおじいさんと目が合った。「あのぉ……,銀行はどこですか?」。小刻みに震える手の感じからすると,推定,齢90歳。
銀行と言われたって,何銀行か分からないと答えようがない。歩いて来た方角から言って,どうも市街の中心部,正しい方向へおじいちゃんは歩いている気配はあるものの,そっちへ行っても,いくつも銀行はある。「どの銀行ですか?」。もぞもぞとポケットから紙束を取り出しながら,おじいちゃんは言った。「わかんねぇけど,ああ,銀行の名前聞いとくんだったなぁ」。一体どんな田舎から出て来たら,「the bank」で通じると思うんだろう。ふと見ると,Bank of AmericaとWashington Mutual Fundのレシートみたいなものが混じっているので,その銀行の名前はワシントンで始まるんじゃないですかと聞いてみたら,「ああ,そうだよ,そうだよ!」と,言葉の勢いの割に表情を変えずにおじいちゃんは言った。その銀行は,ぼくが知るだけでも,サンフランシスコのダウンタウンに3つか4つある気がするんだけど……。
beachやpost office,bank,church,hospitalといった単語には定冠詞のtheが付くのが基本という風に語学学校では教わった。でも,たとえばサンフランシスコにはchurchと呼べるものがたくさんあるし,誰かがいきなりtheを付けて話し始めたら「which one?」と聞いてしまいそうで気持ち悪い。そういう質問をしたら,それは文法とか何とか言うよりも,「そういうもの」だという。まあ,言葉が,動的な文法よりも習慣的な言い方に従うことがあるというのは理解できるけど,それにしても恐ろしく田舎モノの発想をひきずってるんだなぁと思った。アメリカとは小さな街があちこちにチラホラある巨大な田舎ってこと。定冠詞のtheを付けるというのはつまり,bankとかchurchは,街に1個しかなくて街の誰もが知ってるってことなんだから。つまり「今日はどちらへ?」「ちょっと銀行まで」という会話で,その銀行が何銀行かは言わなくても誰もが分かってる。際限なく街が続くところで生まれ育ったぼくの感覚からは分からない世界。
でも実際には,たとえばビーチ研究家を名乗る大学教授がテレビに出て来て,ビーチの話しをするときなんかには,「a beach」「beaches」という形が当然出てくるし,病院だって,勤め先が病院だったら,「I'm working at a hospital」というわけで,別に絶対「the」なんてことはない。要するに「冠詞を付ける習慣(と,それに支えられた世界観)」と「冠詞によって何かを示したい」という話し手の心理のバランスが,どこらへんにあるかということ。そういう意味では,ぼくの感覚ではbankって,どう考えてもtheなんか付けてもしょうがないんだけどなぁ。英語を使ってるアメリカ人の多くは田舎暮らしってことなんでしょうか。
おじいちゃん,銀行に行って用を足せたかなぁ。

2001/09/03(Mon)

初めて見る,tがひっくり返った発音記号

英語の音って日本語と全然違うから,実は分かったようで良く分からんと思ってた部分があった。使われる発音記号の数はたかだか知れてるけど,それはあくまでも音を知るための手がかりと言うし,個人差や地域差が大きい。アメリカ内だけでも,東西と南でずいぶん違う。
でも,あるとき気づいたのは,個々の音素に地理的,個人的な「揺れ」があることとか,特定の単語の発音の仕方に揺れがあることと,弁別的な音素自体が有限で固定であることとは別に矛盾しない,というか別の話であること。それは日本語でも同じ。そう考えると,いくらも音って存在しない。特定の音素がつながったとき,単体で発声される音素と似ても似つかない音になることがあるというのは知ってるし,英語では音の連結や欠落が非常に良く起こるというのも分かるけど,それにしても必要なのは弁別すること。うまく作れない音はいくらでもあるけど,さすがに,もう知らない音はないだろうと。最近そんなことを漠然と思っていた。
ところが,今日のちょっとした発見。tutという綴りの単語。日本語で「ちぇっ」というのと同じ奴。日本語のカナは表音文字というけど,ちょっと意地悪く言えば,そうとも限らなくて,英語の発音記号と同じように,あくまで口から出て来る音を表わす手がかりということになる。この「ちぇっ」は文字通り発音するのじゃなくて(することもあるけど),いわゆる舌打ち音。宍戸ジョーが,人差し指を口の前に立てて,首をふりながら「チッチッチ」とやる奴。古いか。
そういえば,こういうのもある。日本語の「ん」は英語の音で言うと「n」になる場合と「m」になる場合があって,たとえば続く音が「p」の場合,「甲板」というようなとき,「kampan」というように「m」に近くなる。字と音が1対1に対応しているわけじゃない。
で,この「tut」。辞書で引くと,見慣れない発音記号が書いてある。タイプライターフォントの「t」をひっくり返したような記号で,「舌先を歯茎につけて吸うようにして出す舌打ち音」と説明がある。「ch」に近いけど,chがほかの音と同じく空気を吐き出すときに出る音であるのに対して,「tut」は空気を吸い入れるときに出る摩擦音。
考えてみると,他にも発音記号で書くとどうなるのか良く分からない奴がある。たとえばノーと答えるとき,アメリカ人は軽く首をふりながら「ぁっんっー」という感じの,鼻に抜けた音を作る。親しい間柄でないと,ややぞんざいに響くので,日本語の「うぅん」に近いんだと思う。発音記号がどうなるのか分からないけど,みんな作る音は共通してるし,何よりイントネーションは正確に同じ。一般的な発音記号にはうまく乗らないけど,みんながみんな作る音が共通してるということは,これは立派に英語の音素と言ってもいいような気もする。それとも実は,ネイティブの耳には,何らかの別の音の組合せとして響くのだろうか。確かにスペルは決まってるから(って,思い出せない),そんな気もする。
日本語で「あ〜ぁ,やっちゃった」というときの「あ〜ぁ」に相当する,英語の「あっぉー」というのも,発音記号は良く分からない。
うちの兄貴は良くため息をつくときに「ちぇしぃーーーっ。はぁー」と,ため息の前にtut音と,寒さに震えるときに日本人がやる「しぃー」という吸気音を作る。あれはあれで,弁別的な,しかも非常に意味をもった音の単位。
マレーシア人の友達は,「ほらね,でしょ☆」というときに,指でピストルの形を作りながら,ホッペのあたりで「チャッ」という音を作る。今その音を真似してみるに,それはどうも口蓋に張り付けた舌の左右どちらか片側を,勢い良く口蓋から引き離すときに出る音で,別に作るのは難しくないし,日本人でも「ちぇっ」の代わりに良くやってる人がいる気がする。
アフリカ系の言語では,喉の奥のほうで鳴らす「ポコーン」という音を,れっきとした単語に使われる音素として使うものがあるらしい。国際的に定められた発音記号もちゃんとあるという。そういえば,これってブッシュマンの作ってた,あの「ポンッ」て音かしら。
言語学に音韻論という研究領域があって,ホントかどうか知らないけど,音韻論は,現存する,およそ学問と呼ばれるもののうち,「理論は完成した。研究課題はもはやない」と言うレベルにある唯一の学問という話。
人間の口で作れる音,作りやすい音というのは形状的な理由と,人間の口まわりの筋肉の運動能力によって決まっていて,その幅広い音のバリエーションを,ある区切り方をして,数十の弁別的な「音」として捉えたシステムが,1つの言語内での「発音」,音韻体系ということなんだろう。考えてみたら,きわめてアナログなものをデジタル化というか,符号化しているわけで,よくもまあ,コミュニケーションなんか成り立つなと不思議に思わなくもない。
で,頭では分かっているし,言い分けることもできるのだけど,やっぱり日本語で書くと「ラック」になる「lack,rack,luck,ruck」を聞き分けるとか言うことになると,これは難しい。心の準備ができているときに,さあこれは,じゃあこれはと1個1個テストされれば間違えることはないかもしれないけど,さらっと話しの中で出て来たら意味に頼って想像するほかない。というより,そうしているらしいことを最近,決定的な実例で思い知らされた。
東南アジアの未除去地雷の話をしているときのこと。地雷を踏まないように歩くには,「グラスのないところを歩くといい。そこが安全。なぜなら,グラスがないということは,みんなが踏んで歩いてるということだから」と言われて,ぼくの頭に浮かんだ絵は「ガラスの破片が散らばった地面。その破片の落ちてないところを歩く」というもの。なんで急にガラスの破片なんかの話が出て来るんだろうと思った瞬間,はっと気づいた。「glass」ではなくて「grass」。獣道のように草がないところを歩けというわけ。
母語にない音素(日本人にとっての英語のth),母語で弁別的でない音(日本人にとっての英語のLとR)を複数音として捉える言語を習得するのは当然むずかしいわけで,日本人にとって英語は「発音すらむずかしい」と思っていた。世界的に見ても,日本語のようにLとRを区別しない言語は少数派のようで,お隣の韓国語でもこの違いはある。ほかのアジア系と同じく英語に苦労しているタイ語ネイティブに聞いたら,タイ語にもこの違いはあるという(ちなみに,タイ語には関係代名詞もあるとか……)。
日本語は子音の数が少なくて,しかも子音が単独で自由に使われることはなく,必ず母音をともなう。音の自由度が小さく同音異義語が多い。だから,日本語話者は外国語学習に不利な立場にあると。まあ,そうなのかもしれないけど,一方で,日本語を外国語として話す人に聞くと,日本語にしかない音で,非常に習得のむずかしいものがあるという。英語話者は語頭に来る「つ」は難しいというし,「っ」と「ー」の有無,その区別は,英語話者はもちろん,比較的発音の近い韓国語話者にとっても非常に難しいらしい。
この「っ」というのは音というより,空白で,こういうのはあまりないらしい。日本語ネイティブなら「さっき」と「先」は苦もなく区別できるけど,そういう半テンポの無音による区別なんてものがない言語(少なくとも,英語を始めとするヨーロッパ言語と韓国語,中国語はそうみたい)を話す人には,とてつもなく難しいらしい。母音を伸ばすかどうかで,別の音になるというのも難しいという。あるとき日本語がペラペラのウニョンが,「岡さんがね」というので誰の話かと思ったら,「お母さん」だった。彼女はぼくが発音する「鬼さん」と「お兄さん」の区別がほとんどできなかった。文部省が実施している日本語検定には,良く「よっか(四日)」「ようか(八日)」の引っかけ問題が出るという。
英語には音節に強弱はあっても,長短はない。あるとき英語話者向けの辞書を見て「:」という,日本語の「ー」に相当する発音記号が見当たらなくて驚いた。アメリカ人に聞くと「mood」と「cook」の母音の違いは,長短ではなくて強弱だという。じゃあ,あの英和辞典にある「:」ってナンダ?
外国語の学習の過程では「まずはthとsの区別だ。それが終わったらr……」という風に1個1個順番にやるわけじゃなくて,普通は全部いっぺんにやる。で,ぼくの経験では,それまで使い分けてない音であっても,聞けばすぐに違いは分かるし,すぐにその場で真似もできる。たとえば中国語のtsやs〜shにいたる4つほどの音,あるいは4つの音調を,ちゃんとぼくは聞き分けることもできたし,発音もそれなりに使い分けられた。でも,それがどういう音だったのか,5分後には覚えてないわけだし,まとまった単位,1つの文になったりすると,10秒後に繰り返すと,すでに音調が間違ってたりする。つまり発音って「物真似→自発的な音作り→無意識レベルでの聞き分け」という風に,時間とともに習熟していくものじゃないかと。そう考えると,新しく使い分ける必要のある音素の数が多いだとか,少ないだとか,そんなものは,あまり外国語学習においてネックとならないんじゃないか,と。英語には日本語にない音がいくついくつあって,だから難しいのではなくて,単に「ない音がある」から難しい。たとえ1個の「っ」であっても,ない音に習熟しないといけないという意味では,英語話者が日本語を学習するうえでぶつかる発音上の問題が,反対向けの「日本語→英語」の場合より簡単という理屈は通らない。少なくとも習熟にかかる時間が大きく違うということはないんじゃないか。
久しぶりに兄貴に電話して話したら「発音良くなったん?」と聞くので,やや呆れてしまった。「通じればいいんや」といって,発音に気を使わないのは馬鹿だけど,「発音がそれっぽい=外国語がうまい」と言う図式とか,あるいは「外国語学習=発音学習」という発想って,非常に浅い気がする。スペイン語は日本語と音が似てるので,簡単だとか,フランス語のRとか鼻母音は難しいだとか。そんなの発想って,ウンコもいいとこ。習得が難しいのは音じゃなくて,文法。
10歳を超えてから外国語として学習する以上,発音に対する習熟はきわめて時間がかかるし,ある意味ネイティブと同じ音を作れるようになる可能性は限りなくゼロに近いわけだけど,そんなのは,もっと本質的な語学学習の困難さ,文法とか語彙に対する習熟と比べれば,ほとんどどうだっていいこと。よほど年寄りでもない限り,誰だって1年も練習すれば通じる音は作れるようになるもの。でも,1年くらいで正しい文法で自在にしゃべれるようになる見込みなんてゼロに等しい。
で,ぼくはアメリカに10カ月ちょっといて,発音がうまくなったか? というわけですが。もちろん上達はしてるはず。でも,それは何も英語に囲まれて暮らしてるからとか,チョロチョロおしゃべりしてるからなんて理由なんかじゃなくて,卓球部の新入生が1人で壁に向かって素ぶりでもするかのように,お部屋で発音を研究して何十回も何百回も練習しているからだと思うんです。それでも,totallyとかobviousとか,literaryなんかはうまく言えない。「with this」のようにthが2個続くだとか,特定の子音が続くと難しくて,エイヤで「withis」と音を1つ落して誤魔化したり。知ってて「wiz this」と発音して誤魔化したり。ホントは万単位の回数,口にしないとダメなんだろうなと思いつつ。
ネイティブの発音に近づけようとして,意味不明の音を作ってしまうよりは,思い切って自分にとって弁別的な音で代用するのもありかと思って,最近はむしろカタカナを思い浮かべるくらいのつもりで,「とぅたりぃ」と言ってみたり。脳の回路に余裕があるときだけ,2つ目の「t」を「l」っぽく変化球にしてみたりするわけです。でも,一方で,こういうのを練習してると,何だか阿呆くさくて,「トータリー」でいいやんかと思えてくることも多い。ぼくの観察では,同じくらい英語のしゃべれる学生を比べると,発音はヨーロッパ系よりアジア系の学生のほうがうまいけど(フランス人,スペイン人はひどい),つまり発音と発話の流暢さは必ずしも関係がないというか,別個のことで,発音は下手でも,非常に英語のうまい子はいくらでもいる。
「発音」なんて,外国語学習の全体像からすれば,ごくごく小さな,誰にだって必要最低限はすぐに超えられる課題だと思う。もちろん永遠に超えられない課題でもあるのだろうけど。

2001/09/04(Tue)

読めない本

スピードやボキャブラリーの問題はあるものの,辞書がなくても,もう新聞や雑誌,ペーパーバックなんかは一通りなんだって読んで楽しめるくらいにはなってると思ったけど,最近ベストセラーになったという『Pastoralia』(George Saunders著)のいくつかの短篇は,さっぱり分からんくて,つまらんかった。あまりに分からなくて情けないを通り越して驚いた。
不思議なスタイルの作品ばかりで,どれも文体も内容もハチャメチャ。非常にクリエイティブで独創的な物語といえば,そうなんだろうし,ふつうの英語ネイティブが読めば,おもしろおかしかったりする表現が散りばめられてるんだろうけど,何だかさっぱり。
比較的面白く読めた表題作のPastoraliaは,石器時代の原人として振る舞うことを職業とする男女の話。現代だか近未来だか分からない。見せ物用に作られたセットの洞窟の中で,完璧に365日24時間,原人として振る舞い続ける2人。外界とのやりとりは,ファクスによる,雇用主との日々のやりとりだけ。それ以外は英語を使うことは禁じられていて,身ぶり手ぶりと叫び声やらですべて済ませる。形だけは狩りに出かける風を装って,外界から差入れられる山羊を火であぶって食うし,飛んでる虫を捕まえてむしゃむしゃ食う,そして時間があれば壁画を描く。少なくともそういう素ぶりをすることが,仕事。たまに訪れる見物客が冷やかそうが話しかけようが,あくまで原人であることを続けないといけない。
男女のペアのうち,女のほうは仕事熱心でなく,英語はしゃべってしまうわ,もっとも禁じられている見学客とのおしゃべりもしてしまうわと,勤務態度が極めて悪い。男のほうは,そのことを特に報告せず,「今日のパートナーの勤務態度:良好」と日々ファクスで報告する。ところが,雇用主はどこからともなく彼女の不評をかぎつけて,「本当のことを報告せよ。首にしたほうがいい人がいるんじゃないのか。かばってもタメにならんぞ」と男に迫る。男から話を聞いた女は,自分にはドラッグ中毒の息子や病床に伏した母親がいて,職を失うと,彼らの面倒を見切れなくなるといって,男に事実を報告をしないように懇願する。同時に勤務態度を改めると男に誓う。同じようなことが何度か続き,男はそのたびに女の肩を持って苦境を救うものの,最後には見限って,ありのままを報告してしまう。
女は首になり,続いて違う女がやってくる。新しい女の勤務態度は良好で,男以上に原人そのものの振る舞いをする。狂ったように虫を捕まえて食べる。男はパートナー評価表に「良好」と書き付けてファクスする。そこで物語は終わり。
同じものを日本語で読んでいたら,もっと早く気づいたに違いないけど,実は読んでいる間,それがアメリカ社会の一般的なホワイトカラーの職場を風刺した物語であることに,ぼくは気づかなかった。何だか奇妙な話だな,というだけで,要するに文章を「読む」ことに脳神経のすべてが使われていたということ。

2001/09/05(Wed)

持つべきもの

持つべきモノは良き父親かもしれん。あと2週間で31歳になるという息子に向かって,「若いうちは」なんていうのも(若いんでしょーか),ちょっとどうかと思うけど,「遊びも勉強のうち。せっかく頑張ってきたのだから,少しは帰る前にゆっくり遊んで来たら」とか。「安心して必要金額と振り込み先をメールしなさい」という。
帰国を1カ月後に控えたいま,財政逼迫,貧して鈍した状態になりつつあって,帰国前の小旅行を断念しようかと思っていたけど,いっそ遊んでしまうかーっ。金は働いて返せば何とかなるけど,これだけの自由な時間というのは,なかなかこの先ないだろうし。会社には「語学研修」ということで休職許可を得てるけど,まあ言語というのは文化と密接にかかわっているわけで,さまざまな外国経験というのも,広い意味で語学研修と言えなくもないだろう! きっと!! ケセラ・セラ〜,セラビィ〜。
海外経験といいつつ,実はもはや日本領とも言われるハワイのビーチにひかれてたりして。だって,サンフランシスコの夏は寒いんだ……。実はワイキキ周辺の情報を,もうかなり集め終わってたりして。安宿もある,語学学校もある,そしてビーチがある!

2001/09/06(Thu)

お気に入りコラム

毎週木曜日に発刊されてるサンフランシスコの地元週刊情報誌,「SF Weekly」が最近楽しみ。街の交差点ごとに新聞の販売機がたくさん並んでいて,普通の新聞はクオーターを入れて取るのだけど,SF Weeklyは無料。
楽しみにしてるのは「Savage Love」と題される恋愛アドバイスコラム。恋愛というより,ややセックスより。これを読むために毎週SFWを読んでるようなもの。別にセックスの話題に引かれてるわけじゃなくて,とにかく文章が面白い。このコラムを長年執筆してるというDanという人は,ものすごく歯切れもセンスも良くて感服。彼のアドバイスは皮肉なんか通りこして,もう滅茶苦茶なんだど,計算ずくの配慮の行き届いた文章。1人で読んでても吹き出してしまうほど面白い。こういう文章を書きたいと思う。
これだけ才能のあるライターが,たかが地元情報誌レベルで,しょぼいコラムを執筆してるという事実が,この国のメディアにかかわる人間の層の厚さを感じさせる。で,今日検索してみたら,掲載されたコラムは,すべてWebで公開されてた。さっそく,ブックマークに。これで日本に戻っても,コラムは読み続けられる。興味のある人は,http://www.sfweekly.com/savage/ をどうぞ。

そのSFWに載ってた記事。デブだとかチビだとか,ノッポだとか,そういう身体的特徴にかかわる差別的言辞,差別的待遇を規制する法案が可決したというの。最高6カ月の懲役刑って……。さすが「肥満はもはやエピデミックだ」と言われる国。んーなの,道徳とかデリカシーの問題やんかと思うけど。

2001/09/08(Sat)

私のIQは138だから

夕方,ミスターサトーと刺身を摘みつつビール。韓国人のウニョンも呼んで3人で日本酒。大学院に戻って2週間になるミスターサトーは,何だか話しぶりが急にアカデミックになったような気がするし,妙に英語を話す率が高い。ウニョンは日本語が上手だから3人でいるときは,基本的に日本語を話すけど,勉強した量というとウニョンも英語のほう多いから,難しい話や言葉は英語のほうが通じる。でも,日本人と韓国人が英語で話さなければならないというのは,何かものすごく変な気がする。アパートの隣に住んでる人同士が,お互いの部屋の前で話をする代わりに,わざわざ隣街の公園まで歩いて行って話しているような。
2軒目のバーでワインを飲んだ後,さらにウニョンのアパートでワインとチーズ。「死ぬまで飲もう!」というのが韓国語の表現にあるらしい。日本語だと「死ぬほど飲もう」というところ。
早々と「死んでしまった」ミスターサトーは放っておいて,韓国語とか韓国事情の話を聞きまくる。非常に似ているところと,驚くほど違うところと。一番驚いたのは,「韓国の人はみんな自分のIQを知つてるヨっ」と笑って教えてくれたこと。「私のIQは138だったから,政治学でソウル大学に行くのはむっつかしぃーと思た。わったしはぁ,頭は悪くない。だけど今ね,LSATの成績があとチョット目標に届かない,それはぁ,あたしの頭がわぁるいのっかぁ,それか言葉のぉ問題なのか,自信がなくなってきぃたよぉ」。そんな話を笑って続ける。彼女の夢はアメリカで弁護士になること。優秀なネイティブに混じって,ロースクールに入る試験を受けようというんだから,たいしたものだと思う。
「けんさん,けんさん。この写真ね,あたしが23歳のとき,私のオニさんが撮り,ました」。綺麗な額縁に入れられた5,6年前の写真をぼくに見せながら,彼女は言った。西洋風の白亜の建物の中庭かどこかで撮られたとおぼしきモノクロのポートレイト。瞳に映り込む光の具合,背景のぼやけ具合,表情の自然さ,少し風を感じさせる髪の乱れ。明らかにカメラ好きの人が撮った写真。良く撮れてる。今よりややふっくらした頬の,その写真の女の子は「少女」という言葉のほうが似合う。韓国の人気アイドルの写真だと言われれば,信じてしまいそう。
写真を見ながらウニョンはため息をつく。「ああぁ,このころの私は何だってできた。やりたいって,そう思えば何でもできると思った。それで,ホントにできたっのになぁ」。
初めてウニョンに会って,アメリカで弁護士になりたいと聞いたときには,内心「無理に決まってるじゃん」と思ったけど,LSATの参考書に書き込まれた小さな文字,無数のハングルとアルファベットを眺めていて,何だかムショウに頑張ってほしいと思った。「わったしの人生,どうなるっかなぁ〜」なんて言うときの,深刻なんだか笑ってるんだか分からないモノの言い方は,やっぱり日本人に似てる。

2001/09/10(Mon)

お世話になったのかしら

久々に会社に電話。ワケがあって,となりの部署にかけて名前を名乗ると,当然のように先方は「お世話になりますー」なんて言うわけで,ちょっと焦ってしまった。あわてて,「こちらこそお世話になります」なんて言ってみるものの,なんか妙な感じ。「お,お世話になったのかしら……」と,なんだか日本の会社社会で通用している挨拶が妙に新鮮に感じられる。それに,ぼくってとなりの部署の人間なんですけど,一応,とか。
実はアメリカの深夜から電話してて,そんなものを聞いても仕方ないと知りつつ,外出中という先輩が何時に帰社するのか聞いてみたり。「9時過ぎには戻ると思うんですが」。はあ,それはこちらの朝5時ですね。

ドット・プランのページに「文字処理能力向上計画」を追加。結局,リーディングこそ語学の基本と思う今日この頃。リスニングだスピーキングだなんて言うのは,ちゃんと読めるようになってから考えてもいい気がして来た。というか,ちゃんと読めるなら,ちゃんと聞けるはずだし,そこそこ話せるはず。
改めて,いくつかのテキストで自分の読みの速度を計ってガクゼン。簡単なものでも,せいぜい140wpmちょい,難しいものだと110wpmというレベル。どうりで字幕なしでテレビを見ると,理解度がガクッと落ちるわけだ。字幕はしゃべり出す前からしゃべり終わった後まで表示されるので,160wpmのしゃべりでも,事実上120〜140wpmくらいで読み取ればOK。字幕があれば,9割以上わかるドラマも,字幕なしだとせいぜい6割くらいの理解度というのが実感。ただ,話し言葉って書き言葉に比べて語彙レベルや情報の密度が低かったりするし,速度も一定してるわけでもないので,ニュースくらいなら字幕なしでも良く分かるけど。
いずれにしても,リスニングのネックは,音の問題というよりスピードの問題。もっと言えば理解力の問題。一番足を引っ張ってるのは,語彙力で,次が構文把握速度。近々語彙補強計画のプランも追加しよう。

2001/09/11(Tue)

サンフランシスコも,ややゴーストタウン

昼間,出かけて見ると,サンフランシスコのダウンタウンもほとんどが店を閉めていて,歩いてるのは観光客ぐらい。車もほとんど走ってなくて何だか不思議な感じ。
いくら「対岸」だからって,ちょっとぐらい考えて行動せよって感じだけど,ビルの谷間のカフェで,サンドイッチをほおばりつつ,鳩にパンをあげてみたり。
1日中テレビ,新聞,Webで,「America Under Attack」のニュースを見まくる。えらいことになってるなと思いつつ,アメリカという国の,アメリカ人の反応を観察。

2001/09/12(Wed)

パールハーバー以上だしね

アメリカ人はことあるたびに「パールハーバー以来の卑劣な蛮行だ」と弾劾してるので,きっと報復しないと気が済まんでしょう。でも,相手は誰でしょう。
午後一番であちこち探しても,New York Timesは売り切れ。本屋の各国新聞のコーナーに置かれてるいろんな言語の新聞も,ほとんど売れてしまったみたい。San Francisco Chronicleの午前版の1面は,1面全部ぶちぬきの写真。日本もアメリカも含めて,新聞でこれだけのサイズの写真が使われてるのは初めて見た。崩れ去るワールドトレードセンタービルの写真に「NIGHTMARE」という巨大な太ゴチ白ヌキ文字。

2001/09/13(Thu)

カトマンズ・ポスト紙

あちこちのニュースサイトを見ていて,ふと思った。日本語と英語しか見ていない。で,世界ではどうやってテロは報道されてるのか気になって,読めもしないのに,ひとまず叩いたのは,ル・モンド紙のURL(http://www.lemonde.fr)。似たような報道をしているらしいということ以上には分からない。
googleで「world newspaper」を検索。良くできた各国の新聞サイトへのリンク集にヒット。そこからたどって,ヨーロッパ,アジア,ラテンアメリカ,ミドルイーストなんかの新聞をあさってみる。つらつらと字面を見ながら,ヨーロッパ系の言語はドイツ語中心に広がる言語たちと,フランス語を中心に広がる言語たちは,それぞれ良く似てるなぁとか,フィンランド語やスウェーデン語はかなりワケがわからんなぁとか思いつつ。イタリアのサイトはセンスがいいけど,ドイツのサイトデザインは実直でモサイなぁとか。
ネパールでほとんど唯一の新聞という雰囲気の「カトマンズ・ポスト紙」を見てみると,トップには「ネパール人に被害者なし,駐米大使からの報告」なんてのがあって,どこの国も「邦人」のことが気になるのねって。
そのリンク集からたどれる新聞の半分くらいは「英語で」書かれてるか「英語でも」書かれてるので,実はかなり読めるものが多い(ヨーロッパ系は英語ないのが多いなぁって当り前か)。たとえば,タイの「Bankok Post」。名前とサイトの雰囲気からするとタイの有力紙っぽいけど,記事は英語。バナーに踊るタイ文字以外は英語。
その新聞リンク集には,Japanの項目も当然あるわけで,「The Asahi Shimbun」とか「Daily Yomiuri」とかある。今まで日本語で何気なく見ていたけど,日本から発信される英語ニュースが,ほかの国の英語ニュースに混じってるのって,なんとなく新鮮。自分の中では当然日本語は特権的な位置を占めてるわけだけど,それが急に相対的に見えてくる気がする。たとえば非アジア圏の人にすれば,タイ語も日本語も同じようなものだから(ちょうど日本人にとってデンマーク語もスェーデン語も同じようなものってのと同じで),「The Asahi Shimbun」って,いまいち洗練されない英語で書かれた,アジアの地方紙って感じに見えるんだろうなぁって。
ともあれ,英語が読めれば「世界中の新聞が読める」という可能性を,今さら考え直してみたり。それと同時に,英語ネイティブスピーカーの特権的地位には何だか納得いかないものを感じる。
MSNBCで,まるっきり電波少年のパクリやんかという「LOST」という番組がある。目隠しして飛行機に乗せられた2人1組,10人ほどのアメリカ人が,いきなりモンゴルの砂漠に降ろされる。「ニューヨークへ帰れ」というのが指令。自分たちがどこにいるのか,何大陸にいるのかも知らされていない。その番組で,ウランバートルの人たちに向かって,平気で「Do you speak English?」と非常にずーずーしい態度で話しかけるアメリカ人を見てると,ほんとに飽きれてしまう。馬鹿じゃないかと思う。つくづく何てゴウガンな国民だと思うわけだけど,いっぽうで,これだけ世界中が英語を使ってるように見えることを考えると,ある意味仕方のない誤解なのかなぁって気もしてくる。

2001/09/15(Sat)

リハビリ

約1カ月後の職場復帰を視野に入れて,ややリハビリ的にPC業界のニュースを追ってみようかとWebあさり。いわゆる業界ニュースはそれなりに追ってるけど,あまり興味がないというか,今の自分に直接関係のない方面。オタク系ハードウェア関連。
そうじゃないかと思ったけど驚き。「3.5インチHDDもいよいよ100GBから次のステップへ」って,160GBってどーゆーこと? メモリ512MBが6500円ってどーゆーこと? Pentium4の1.4GHzって,実は1万5000円で買えちゃうの? とか。なんだか,光ケーブルが家庭に引き込まれ始めたり,ブロードバンドも日本はすごいことになってるみたいだけど,約1年の海外生活によるウラシマ効果は凄そう。

2001/09/17(Mon)

文字通りオジサンに

昨日で31歳。兄貴から「どうやら子どもができたみたいやで」とメール。文字通りオジサンになるわけだ。

2001/09/18(Tue)

タリバンはレイピストだった! という誤訳

別宮貞徳さんの「誤訳,名訳,欠陥翻訳」のシリーズを読んでなるほどと思ったけど,世の中には結構誤訳が溢れてる。母語でさえ誤読はあるわけだし(哲学的なコト言えばすべての読みは誤読,なんてね),別に誤訳自体は不思議じゃない。だけど,不思議なのは常識を働かせること,あるいは頭を使うこと,そして辞書を引くことを怠ったとしか思えない,とんでもない誤訳も,出版物の中に混じってるということ。お金を頂くような出版で,そういうのを怠ったとしたら,一体読者は何に対して金を払ってるのか,ということになる。翻訳者は辞書引き機械じゃないだろうって。
「なんだか変だ」と思ったら立ち止まって考えるなり,辞書を引いたりするのが外国語との普通の接し方だと思うんだけど,うっかりすると「何となく」でとおり過ぎてしまったりして。
今日受け取った,とあるメルマガ(http://www.yorozubp.com/0109/010919.htm)にあった,明らかな誤訳。原文を見なくても,なんで間違えたかまで分かる初歩的な誤訳。たぶんボランティア翻訳なので,別に文句を付ける筋のものじゃないんだけど。
カブールを空爆することは、この恐ろしい事件をしでかした犯罪人たちへの真の打撃にはならない。実際にはそういう行為は、タリバンと共同戦線を組むだけのことだ――この間ずっとタリバンがレイプしてきた人々をもう一度レイプするということになる。
なんで「レイプ」なんだ? タリバンって,レイピスト集団だったのか? 文脈から明らかに何かがヘンなわけで,ここで「はっはーん。もしかしてrapeというのには,強姦以外にも何か意味があるんじゃないか」と推論するのが普通だと思う。で,ぼくは辞書を引いてみた。
rape 1 〈女性を〉強姦(ごうかん)する,レイプする. 2 (戦争などで)〈国・都市などを〉略奪する,破壊する.
ビンゴ! 原文を見なくても,何をどう間違えたか分かる。
ビン・ラディンをつかまえる唯一の方法は、地上軍でアフガニスタンに侵攻することだ。「する必要があることをするだけの腹があるかどうか」と人々が話しているとき、彼らが考えているのは、必要なだけの大勢の人間を殺す腹があるかどうか、ということだ。無辜の人々を殺すことの良心の咎めを克服するだけの腹があるかどうか、ということだ。砂の中に隠しているわれわれの頭を引っ張り出そうではないか。
最後の文。誰が,いつ,何のために砂の中に頭を隠したんだ? これは「bury one's head in the sand」という「現実から目を背ける」という意味で使われる慣用表現をもじったものの直訳で,最後の文はつまり「いつまでも目を背けてないで,現実を直視しようじゃないか」ということ。たとえ,この慣用表現を知らなかったとしても,文脈上変だと思わないほうが変じゃないのかと思うんだけど。いきなりこの文を読まされた読者は,一体どうすればいいんだ。
そして,続く文。
実際に議論されているのは、何人のアメリカ人が死ぬかということだ。
それほど熱心にニュースは追ってないけど,そんな具体的に数字のことなんて議論してたのかしら。と思って原文を見たら,
What's actually on the table is Americans dying.
とある。「be on the table」は辞書には「検討中」とあるけど,「現実が見えてない」と言ったあとで,「actually on the table」と言ってるんだから,ここは「本当に我々の目の前にある現実というのは,たくさんのアメリカ人が死ぬのだということだ」とならないとおかしいんじゃないか。「何人の(how many)」なんてヒトコトも原文には書いてないので,これはどこから出て来たのかは謎。あっ,翻訳ソフトか!?

あー,人のあげた足を取るのは簡単なわけで。しかし,「タリバンがレイプ」ってのは,ちょっと。

2001/09/21(Fri)

日系サンセーもパールハーバー以来というし

イチローを見にオークランドの球場へ。冴えない冴えない。前回見たときには,打つは走るは刺すはの大活躍だったのに,今回はぼろぼろ。なんと2度も三振。Oakland A'sが勝とうが負けようがどうでもいいけど,せめてイチローにはブンブンがんばってほしかったなぁと。
30代後半とおぼしき日系サンセーの人と話してたときのこと。テロのあった朝,ぼくは寝てて日本からの電話で起こされたなんて話をしたら,「えーっ,寝てたの? まあ,バケーション中だからそんなもんだよね。でも,恐いよね,パールハーバー以来だよね」と何げなく言うので驚いた。「Did you just say ``since Pearl Harbor''?」。
初対面の人に議論をふっ掛けるほど世間知らずじゃないけど,今日はランチを食べながら,ミスターサトーとひとしきり今回のテロにまつわる諸々の日本人のウップンをはらしたところだから,いくらサンセーとは言え,日系人の口からパールハーバーという言葉が出て来たことに,ぼくはショックを受けてしまった。
日本ではあまり報道されてないみたいだけど,アメリカ人は「アメリカ本土が攻撃されるのはパールハーバー以来で,あのときの奇襲は……」と,いったい今回のテロに関するコメントで何度パールハーバーという言葉が出て来たかというほど,あの「歴史的虚構」を口にしている。ある政治家はこうコメントした。「私の記憶が確かなら,パールハーバー直後に日本のコマンダーが口にしたのは,こんな言葉だったはずだ。−−眠れる獅子を起こしてしまったのかもしれないな−−,いまテロリストたちもそう考えてるに違いない」。ちょっと待て。それは映画のセリフであって,映画で使われたあのセリフは文脈のデツゾウだろう。あんたの記憶は数カ月前の映画で得た知識だろうって。今になって,日系人があの映画の上映に敏感に反応していた理由が分かる気がする。
こうなったら,いっぺんちゃんとパールハーバーの歴史を調べる必要があるなぁと思ったりするこのごろ。今のぼくの理解では,宣戦布告が遅れて(翻訳文が間に合わなかったという話),結果として奇襲となったものの,今にも日本が攻めてくることをアメリカ側は知っていたわけでしょう? 平和交渉が難航した末に日本が飲めっこない条件をアメリカが提示して,いってみればアメリカは日本に攻めさせた。違うの? そして「眠れる獅子発言」は,宣戦布告が遅れてしまったことに対して言われたものであって,奇襲そのものに対するコメントなんかじゃない。さらに言えば,戦争なんだから,たかが軍人が2,3000人死んだくらいで何だよ。ヒロシマで一般市民を10万人に近い規模で一気に殺したアメリカは一体何様なんだ。ベトナムでアメリカは何をしたか,彼らは覚えてるんだろうか。
まあ,パールハーバーそのものの歴史的詳細に,ぼくはそれほど興味があるわけじゃない。興味があるのは,その歴史的事実にスパイスを効かせていつまでも利用してるアメリカ人の心理と,政治的なやり口。結局,彼らは仮想的であっても敵の存在なしに,ユナイトできないんじゃないのか。一見アメリカがやられたように見えるけど,イスラム社会はいずれ西洋社会と対立せねばならんのだから,叩き潰さねばならんと思ってるのだとしたら,実は今回のテロだって,都合よく利用できるきっかけなんじゃないのか。アメリカは本当のところいつトップの座を奪われるのか分かならいとビビッてるボス猿みたいなもんじゃないのか。
内政ではあんまりいいことがないから,ブッシュ大統領にとって,「われわれアメリカはっぁ」と国民をアジることで,内部的な不満から目をそらし,外部へ目を向けさせる効果もあるんだろう。実は今回のテロですごくホッとしてる人もいて,テロが起こるまでスキャンダルの渦中にあった,コンディット議員なんかは,その1人なんだろうなと思う。あれほど毎日報道されていたのに,今ではその後のいきさつについて情報を探すほうが難しい。
基本的にぼくはアメリカなんて,日本と比べてちっともいい社会だと思わないんだけど,今回のテロに関するアメリカ人の反応を見ていて,本当にこの国に住む人たちの国民性が嫌になった。キチガイじみたペトリオティズムなんかと関係なく,案外クールな反応をしているサンフランシスカンのほうが,ずっとメトロポリタンというか,健全な地球市民って気がする。
サンフランシスコみたいないろんな民族のいるところでは,どこの国の人間であろうが,黙っていれば外国人だってアメリカ人に見える。だから,野球場全体に愛国的なムードが充満して「God bless America」を観客が歌うようなときには,ぼくは黙ってアメリカの国旗をそれなりに掲げてみたりするんだけど,内心では「ふんっ」と思ってるわけで。もういい加減へき易。

たぶんアメリカ人のほとんどは頭に血が昇ってる。軍事行動に出る法案は上院は満場一致,下院はたった1人の反対で可決された。国民の70%は軍事行動容認で(テロ直後の90%から下がってるのが救いだけど),UCBの学生たちが反戦デモもやれば,総すかんを食らう。こんな状態がいったい血が昇ってなくて,何だっていうんだ。でも,それと同じくらい,別のいろんな意味で,ぼくは頭に血が昇ってる。
日本は日本で外から見てると情けない。日本では軍事支援に関する特別法案を通そうとしたりしてるみたいですが,何のこっちゃって感じです。日本って外交の立ち回りが下手なのね,要するに。
ミスターサトーと話してて,なんだか,ものすごく頭の中にいろんな思いが巡ったし,それを整理してみたい気もするけど,眠いし,今日はまいっか。
アメリカ,アメリカ,というアメリカ人は馬鹿だと思うけど,アメリカ,アメリカという日本人はもっと馬鹿だと思う。

2001/09/23(Sun)

ブッシュは90%の歴史的支持率

CNNやUSA Todayが共同で定期的に行なっている世論調査で,ブッシュ大統領が90%という歴史上まれにみる高い支持率を得ているそうな。1938年に調査が開始されて以来,最高値。気になるのは,これに続く数字をたたき出した大統領の名前とその理由。トルーマン:87%(1945年,第二次世界大戦終結直後),ルーズベルト:84%(1942年,パールハーバーの1カ月後),ジョン・ケネディー:83%(1961年:キューバ危機)。
要するに国民が「戦争やったるで!」とか「戦争勝ったで!」という時期に大統領の支持率が劇的にあがるというだけのこと。大統領とか大統領の政策を支持しているというより,単に「愛国心でアツく」なってるだけやんか。

もう1つ,今日気になった統計。国連の下位組織,World Food ProgrammのWebページで見つけた数字。この地球上で,空腹のまま今日も夜を迎える人は約8億人。飢餓かそれに起因する理由で死ぬ人は1日に2万4000人。いっぽうWFPによって食糧配給を受けた人は2000年には8000千万人。世界の食糧不足は社会システムや配付方法の問題じゃなくて物理的に足りてないんだと思っていたけど,そうじゃないのかしら。

PalmとEmacsenなMUAを連携させてスケジュール管理ができるMHCをインストール。これはすごい便利かも。といっても,管理するほどのスケジュールのない毎日。頭の中に全部収まる程度のスケジュールの日々の何と素晴らしいことよ。なのに原稿の締め切りをぶっちぎるのはなぜか……。

2001/09/25(Tue)

アメリカのハンバーガー

快晴。さわやかー。ユニオンスクエアのMacy's屋上にあるCheese Cake Factoryで,遅めのブランチ。Double BBQ Bacon Cheese Burger。陽あたりの良い場所にいたら,じりじりとやけそう。今日のサンフランシスコは,久ぶりに「暑い」と思える気候。半袖。鳩にフライドポテトを与えてたら,「こないだの鳩のフライは気に入った?」と中国人の友達に聞かれた。「えっ? あれチキンじゃなかったの!?」。
実は東京はかなりスゴイと思うけど,食文化に関してサンフランシスコもかなりバラエティに富んでいる。それが口に合うかどうかは別として,全部ホントにその国の移民たちが作ってるわけだから,かつて日本にあった「スパゲティ・ナポリタン」というような,雰囲気だけ真似してみました,というエセ民族料理は少ない。
帰国が迫ってるいま,東京に少なくて,サンフランシスコでしか食えないものは何だろうかとぼくは考えるわけですが,それはハンバーガーしかないんじゃないかと思うのです。あいや,不法滞在のメキシカンたちが作る安くてウマいブリトーも,なかなか東京じゃないか。客がみんなスペイン語でオーダーしてるような店に行くと,ほんとに安くてうまい。
もともとぼくはハンバーガーが好きで,マクドナルドのハンバーガーですら好きだった。ここで「マクドナルドすら」というのがポイント。価格競争での圧勝もあって,日本では1人勝ちの様相もありますが,マクドナルドは,アメリカではそれほど評価が高くない気がする。規模はデカイけど。
で,3日ほど前,すごく久ぶりにマクドナルドでビックマックを食べたら,驚くほど小さくて,中身もしょぼく感じられた。「ちっともハンバーガーやないやんか」って。
ハンバーガーはちゃんと作ると大変うまい。同じファーストフードでも,BurgerKingとかJack in the Boxとかは結構うまいし,Carl's JR.が最近はじめたレストラン風バーガーなんかは,まあまあ。でも,なんといっても,ファーストフードじゃないちゃんとしたハンバンガー屋で食うハンバーガーはうまい。ちゃんと炭火で焼いてくれて,好きなだけ野菜やらハラペーニョからピクルスを入れて。東京で,こういうのって,ぼくが知ってるのでは下北に1つあるけど,やたら高かった気がするし,気軽に食べに行くという感じじゃない。
日本に戻って,あ,あれ食べたいと思って食べられないモノって,ほぼ唯一のアメリカ料理と言われるハンバーガーかな,と。フレッシュネスバーガーだとかモスバーガーだなんて言ったって,しょせんファーストフードだしね。

2001/09/26(Wed)

学習曲線

ふと気づいたら,1週間もDvorakの練習をサボってた。当然記録が伸びるわけもなくて,ちょっと下がった。練習すれば数字は伸びるし,毎日続ければ少しずつであっても伸びる。使わなければ伸びなくて,時間とともに能力は錆びていく。これってまさに人間の学習曲線の典型なんだろうなぁと,自分のことながら,あまりのグラフの分かりやすさに感心してしまった。
Dvorakの練習はかなり飽きて来たから続けるのが難しくなりつつある。実用になるまでの長いプラトーをどう乗り切るか。

2001/09/27(Thu)

へくてぃっく

お昼ごろから夕方までカフェで読書。ここ3日ほど,サンフランシスコはとても良い天気。暑くも寒くもなく(朝夕除く),すがすがしい。本を読みながら無意識にクルクル回してたペンを,50cmの距離でマジマジと眺めてるおじさん。ふと気づいて,本から目を上げた。「それはどうやってやるの? 親指の周りを回ってるの? どの指で押してるの?」。「この指(薬指)なんていうんでしたっけ,コレです」。「ゆっくりやってみせてよ」。
いわゆる鉛筆回し。「日本じゃ学生はみんなやりますよ。やり方はうまく説明できないけど,このレベルに達するのに3年はかかりますよ,ホント(笑)」。おじさんは,ぼくの親指の周りを前後にクルクル回るペンを目をまるくして見ている。

『Suzanne's Diary for Nicholas』(James Patterson著),読了。日本語じゃ絶対に読まないようなラブストーリー。ところがこれが結構イイ。最後の20ページほどにさしかかったところで,不覚にも泣けそうになってきた。あぁぁぁ,スザンヌッ,ニコラスッ! カウンターの向こうから,退屈そうにしていた店員が,ちらちらこちらを見ているのが気になって,立ち上がる。急いで部屋へ戻って続きを読む。わぁぁーん。
大脳の経年変化というのか,生理学的な理由から,男は歳を取ると涙もろくなるというけど,結構ホントかもしれない。本を読んで涙ぐんだのは,案外はじめてかもしれない。というか,本や映画で泣くようなことはほとんどないんだけど。

やっぱりぼくは,こういうところがトロいんだろうなーと思うけど,現実がぼくに影を投げかけはじめてる。そっか,帰るのか。戻るのか。さっきまでノンビリ本を読んでたと思ったけど,この生活はもう終わりなのか。
航空券を予約したのは1週間前で,帰国予定日は決定していたのだけど,ぎりぎりになってから,みんなにお知らせメールを送った。一緒に勉強したり,遊んでくれたりした人に一斉にメールを送ったらドバッドバッと返事が来て,いきなり「時間がない」という感じがしてきた。みんなに会えるだけの時間がないやんか。

夜は葉巻とビールとビリヤード。うまいステーキを食いました。

2001/09/28(Fri)

ソフトランディング

Webブラウザのスタートページで日々見比べてるサンフランシスコと東京の気温は,いま非常に接近してきている。接近といっても,東京の気温がグングン落ちてきてるだけだけで,サンフランシスコの気温はずーっと似たようなモノだけど。で,今日は最高気温も最低気温も,ほぼピッタリ一致。渡米の時期を10月にしたのは,「出発元と行き先が似た気温」「チケットが安い時期」という理由もあったりして。時差はどうしようもないけど,急な気温の変化に慣れる必要はないという,「ソフトランディング」。

サンマテオ方面へ友達とドライブ。BGMのカーペンターズを聞きながら,やや驚く。子どものころ「音楽」として何気なく聞いていた曲の歌詞が妙に分かる。田中星児がカバー曲として歌った「ビューティフルサンデー」のオリジナルの歌詞もはじめて知った。「♪When you said, said, said,,, said that you loved me. Oh, my, my, my, it's a beautiful day.」。って……,あれ……。ちょっと待て。
「♪I've got someone waiting for me. And when I see her I know that she'll say, Hey, hey, hey, what a beautiful day.」。日本語の歌詞にある「だぁれっかが,ぼぉーくをーー,ぉをぉをぉを,まぁーっ,まぁーっ,まぁー,おぉ,待ぁってぇーるぅ」なんてニュアンスはまったくないやんか。待ってるのは彼女に決まってる。日曜日の朝,早起きして,これから公園に彼女と散歩に行こうという状況じゃないのん。なのに,なんで日本語の歌詞は「誰か」なんだ? あんまりにも元と違いやしませんか? なんでそんなことするんだろうと,思って検索してみたら,なんと訳詞は田中星児本人らしい。あーっ,なるほどっ! って,なんでなるほどかは分からんけど……。彼はなんとびっくりグッチ裕三のいとこだって。知らんかった。
この「誰かがぼくを待ってる」という歌詞は,子どもだったぼくにとって,本当に「誰か」だった。別に彼女じゃなくても,女の子じゃなくてもいい誰か。未知の世界へ飛び出すんだ,という爽やかな出発の日曜日。そんな風に,ぼくは受け止めてた。うーん,全然違ったのか。なんかショック。でも,田中版のほうが,爽やか度がずっと高いかも。この曲って,最初はドイツでヒットして,それから世界中でヒットしたそうな。

2001/09/29(Sat)

ビューティフルサタデー

ポストオフィスで段ボールを買って来て日本へ送る本や衣類を突っ込む。44ポンド以上なら箱を分けろと言われたけど,ハカリがないので適当に。重い気もするし,軽い気もする。

フィルモアストリートを散歩。さわやかな快晴。半袖でOKなのは久ぶり。あれ,ここらへんに来るのも今日が最後かしらと思いはじめたら,もっと散歩してみるかという気になって,パシフィックハイツの高みへと足を向ける。ビクトリア様式の家が立ち並ぶ陽光あふれるカリフォルニアストリートを歩く。やや息を切らせながら一番標高の高いあたり,ジャクソンストリートまでたどり着くと,視界が開けて見下ろす方向に海が見える。ふきぬける爽やかな風が心地よい。
ラファイエット公園には土曜日午後の日光浴を楽しむ人たちで一杯。芝生のうえに寝転ぶ地元の人たち。ぼくのサンフランシスコのイメージの半分くらいは「うそ寒い」という感じだけど,終わり良ければ,というし。ここ数日は理想的な気候のサンフランシスコ。
久ぶりにケーブルカーに飛び乗った。どこで降りようかと思いながら,「これで見納めかしら」と思いつつゆっくり流れる街並みを見ているうちに,終点まで行ってしまう。マーケットストリート。こもれびの中でコーヒーを飲む。

2001/09/30(Sun)

SM

フォルサムストリートのSMゲイフェスティバル。オシリのとこがあいてるピチピチ皮パンツ。ムキムキの肉体を鎖ファッションで縛り上げ,ちんちんにピアスをしてるような人たち。おしりペチペチ。観客もお金を払って,ペチペチされて。

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NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>