2001/08/09(Thu)
共犯関係
ぼくはどうも「共犯」という言葉の響きが好きらしい。特に,あからさまな関係じゃなくて,実はこっそり裏でつながってるというような奴。緻密で計算ずくに隠蔽されたという表面的なニュアンスの裏に,非常に熱っぽい蠱惑的な響きがある。
移民問題だか何だかの話をしてるときに,ドイツ人のクラウディアが「そんなの熱い石に水を一滴落すようなもので……」と言った。アメリカ人の先生が不思議そう顔をしてるのを見て,クラウディアが付け足す。「ドイツ語の表現なんだけど,英語ではそうは言わないの?」。まだ先生はキョトンとしてる。思わずぼくが口を挟む。「日本語でもまったく同じ表現があるよ!」。ミスターサトーが「How do you mean?」と言うので,ぼくは日本語で「焼石に水をそそぐじゃないですか!」と興奮気味に答える。
なんでそんな表現がドイツ語と日本語で一致しているのか。偶然の一致というのが一番妥当な推論ぽいけど,もしかすると,日本人が過去にドイツ語から拝借した可能性があるんじゃないかと想像したりする。森鴎外……。日本には翻訳文化がある。一見,言語学的に孤立しているように見える日本語でも,翻訳を通して言語同士の相互作用というダイナミズムの影響は大きく受けてるんじゃないだろうか。
「アメリカではX-rayと言うけど,日本人はレントゲン写真と呼ぶんですよ」なんて言うと,ドイツ人もアメリカ人も驚く(科学的発見に発見者の名前を使うという習慣をもっとも軽視してるのはアメリカだという話だけど)。どうもいろいろ話しを聞いていると,不思議なトコでドイツと日本はつながってる感じがすることがある。「ツァイトガイスト」「キッチュ」なんかのドイツ語は日本語にも英語にもなってるけど,もしかしたら日本でのほうが馴染まれてる単語かもしれないと思う。語学学校の先生が知らなかったりしても,「英語で書かれた本で見たから,ツァイトガイストは英語の単語と言っていいと思いますよ」と言いながら,ぼくはドイツ人のクラウディアとニンマリ笑ったりする。
ポンドだフィートだと,世界標準を無視しつづけてるアメリカをよそに,留学生同士では,メートルだキログラムといったほうがずっと通じやすい。ザマーミロという感じ。パン・アメリカーナ思想っていうのかしら,America is the center of the worldのケが強い先生なんかがキョトンとしてる横で,留学生同士が通じあったりすると,「共犯」という言葉がぼんやり頭に浮かんで来る。
もちろんいっぽうで英語と日本語も驚くほど似た発想をしてることもある。表現や単語。なんでそんなに似てしまうのだろうかと思うようなことが意外にたくさんある。「なんだ! これは英語の直訳だったのか!」と思うようなこともあるわけで,そういうたびに,なぜだかぼくの頭の中には芥川リューノスケがニンマリ笑ってる顔が思い浮かぶ。過去に日本人が輸入してたってわけか! と,今さら気づくぼく,という図。「今ごろ気づいたかい?」と,ペロッと舌を出してる今は亡き文学者たちの顔。ほんまかいな,そんなことあるんかいな? ちょっとわからんけど,そうとしか思えないような表現がたくさんある。いや,あるいはチョムスキーがごう慢にも指摘したように,ひょっとすると人間の話す言語というのは表面上の違いはあっても,本質的には同じ論理やイメージ操作に基づいていて,だからこそ比喩的な表現も互いに理解可能だったり,下手すると申し合わせたかのように同じだったりするってことなのか。
なんといっても,日本語ともっとも深い共犯関係にあるのは中国語と韓国語。ある世代以降の韓国人も漢字を使うので,かなり何かが通じるけど,日本人と中国語ネイティブのコミュニケーションの可能性を日本人は過小評価してるんじゃないかという気が最近非常にする。結局,アジア圏というのは多かれ少なかれ,中国の文字をしゃべってるのじゃないか。ヨーロッパ,アルファベット圏のコミュニケーションの本質は音,それもラテン語起源の音にあるのかもしれないけど,アジア圏のコミュニケーションの本質は,たとえ音を介してるように見えるときであっても,実は文字をしゃべってるのだ,という指摘は非常に説得力があるように思える。とすると,方言によって音が違いすぎて互いにオーラルコミュニケーションができないという中国語同士と,中国語と日本語と,どれほど違うというのか。いや,全然違うのは違うけど。うーむ。
むーっ,まいっか。台湾のアムロと言われてるアメイ(張恵妹)のCDを歌詞カードを見ながら聞いてたら,結構歌詞についていけることに気づいた。いくら日本語が1000年前の中国語の音をひきずってるとは言え,熟語の発音はかなり似てる。たとえ途中から聞きはじめても,どこを歌ってるか,すぐに歌詞カードの中からその場所を推測できる。
日本語,日本語と言うけど,結局,中国語の単語を助詞が支えてるのが日本人の言葉だったのじゃないか。日本語や韓国語が,文節の語尾が変化するのが特徴という屈折語族なのは,結局中国語の影響なんじゃないのか。
アメイの歌詞カードには中国語と英語が混じっていてやや奇妙。日本人だって,長らく同じことをやってきてたわけだけど,そのミックスが非常に新鮮。漢字とアルファベットの混交を見てると,「世界標準言語というものが将来必要になるのなら,英語の中に漢字を混ぜたものにしてはどうか。大切なのは,英語ネイティブだけが有利になる状況を常に是正するという措置で……」という提言も,なんだかあながち荒唐無稽とは言い切れない気がしてくる。サンフランシスコの街はすでにアルファベットと漢字が混じっている。地元新聞に「アジア系アメリカ人の連帯」なんて記事が出てると,外国人アジア人のぼくであっても「そうだろう,そうだろう」と思ったりする。お互いに違う,驚くほど違う発想をすることはあるけど,それでもやっぱりアジアはみんな共犯だなぁと思うことも多い。
漢字って漢字だ。Unicodeの議論でCJK統合がどうだって話があって,日本人は「日本語の漢字を中国の漢字と一緒に扱うなんてけしからん。両者は別物」というけど,やっぱり漢字は漢字だし,同じ漢字は同じように扱わないと将来禍根を残すことになる気がする。というか,同じ漢字は同じだとしない理由はない。中国語ネイティブにメールを送るときには英語の中に,やっぱり漢字を混ぜたい。日本語コードだ中国語コードだなんてナンセンス。漢字はやっぱり漢字だ。もし,字の形が違うなら,いまそれを整理整頓して悪いことは何もない。実はつい最近までぼくは「日本の漢字は中国の漢字と違う」と漠然と思っていたけど,そんなのトンでもない思い違い。
たとえ英語で話していても,特にESLにいるような中国語ネイティブと話しているときには背後に漢字が見えかくれするという錯覚がある。韓国人と英語で話してるときには,なぜか背後に日本語が見える。よほど韓国語というのは発想や語彙が日本語に似てるのだろうと思う。
と,その後,日本語もペラペラの韓国人のウニョンにだいぶ韓国語のイロハを教えてもらったけど(その過程で,日本語の動詞に未来形がないことに初めて気づいた),確かに面白いように似ている。言語の歴史的成立過程が似てる。発音が違うものの漢語はかなり共有してる。語順や助詞の語法がきわめて似ている。「ねいいる(来日),はっきょ(学校),え(へ),かじゃ(行こう)」。
「英語だ英語だ」と英語公用語化論なんてブツ前に,日本人は,ちょっとアジアの言語も勉強したほうがいいんじゃないかと思う。「日本人は外国語が下手」というとき,その外国語はほぼ100%,英語やフランス語なんかのヨーロッパ言語を指している。外国語観,言語観って,英語とかフランス語しか勉強したことがないと極めて曲がったものになっちゃう気がする。
2001/08/24(Fri)
分離不定詞
あるWebにあった書評を見て発見。たまに耳にしてたような気がするTO不定詞の「TO」と動詞部分に副詞を挟む用法,「to entirely make sure」というようなのが,どうも気になっていたけど,これは「分離不定詞(split infinitive)」と呼ばれていて,一応非標準の文法ということになってるらしい。「to make sure entirely」か「entirely to make sure」が標準。どうりで頻度が低くて,なんとなくモヤッとしてたわけだ,と納得。久しぶりに座右の文法書,「ロイヤル英文法」をひもといてみると……,これがちゃんと書いてあるじゃないか。短い記述ながらも言及がある。しかも……,ぼくはアンダーラインまで引いている……。
英語話者の中にはこの分離不定詞を「間違い」と感じる人が多くて,文法上避けるべきと言われてるらしい。特に「テレビでは使わない」という暗黙の了解があるという。日本語のラ抜き言葉のように,ネイティブの間では教養のない人が使う間違った文法ということになっている(いや,日本語のラ抜きは既に確定に近いか)。そういえば,日本語をかなり上手に操る韓国人の友達に「今の日本人はみんな『食べれる』っていうんだよ」と教えたら,「それは文法的におかしい!」と指摘されたっけ。分かってるってば。
分離不定詞を間違いとしたのは,19世紀の英文法学者であって,しかもその理由というのが「ラテン語にない使い方」だったからだそうな。世界で一番美しいラテン語の用法にないものは邪悪だからというわけで,分離不定詞はうとまれるようになったという。でも,リズムや流れの自然さ,修飾関係の明確さから言って,明らかにアドバンテージがありそう。将来的にはもっとおおっぴらに使われるようになるんじゃないのかしら。
口語的,非標準的だなだと言われる文法がたくさんあるけど,文法書にある文法や正規と呼ばれるの文法なんかよりもイキイキしてて,どうも好き。
非標準で最近気になるのは,名詞節を導く接続詞として「because」を使う用法。理由を表わす副詞節を導くはずだったbecauseが,口語では「The reason (why) I didn't tell her the truth was [because|that] I thought she would break up with me.」と,becauseが,まるでthatのように名詞節を導いて補語をつくることが多い。特にbe動詞の前が長ければ長いほど,thatよりもbecauseが使われてる気がする。まあ,合理的だし納得がいく。で,その影響に違いないと思うのだけど,becauseが主語となる名詞節を導く構文がある。「Just because you are strong doesn't mean you can be gentle.(〜だからって,〜というわけじゃない)」というのが口語では非常に多く使われてる。
イギリスで教育を受けたマレーナという先生が「あたし自身は,このlikeは使わないけどね」と言っていた,接続詞用法の「like」。あまり多用すると,日本語の「〜みたいな?」に相当する若者言葉っぽく響くけど,とてつもなくカバー範囲が広くて,良く使われてる。「as」「as if」という副詞節を導く接続詞とか前置詞の「about」を意味することと,何も意味しなくて,ただ「なんて言うかさ」という程度の,リズムを取るために,副詞的に使われる場合と(リズムを取るということって,コミュニケーションにとってホントはすごく本質的なことだろうけど)。どっちにしても,アメリカ口語英語は,もはや「like」なしにはありえない。誰も「as if」なんて言わないやんかって感じ。ちょうど日本語の「まるで〜かのように」という文語的な構えた言い方に対して,「〜みたいに」という軽い言い方があるように,as ifは,一般の会話で使うにはかなり重たい感じで,likeは軽い。CNNのレポーターでさえ,「As I said,」というより「Like I said,」と言ってる。それなのに,文法書にはやっぱりas ifが書かれてる。文法書的には間違いとなってしまうけど,「It [seems|looks] like (that) S + V」を間違いだと感じてるアメリカ人はいるだろうか?
話し言葉と書き言葉は違うし,よそゆき言葉と仲間言葉は違うので,外国語学習者がどちらを優先すべきかは言うまでもないけど,だからって,外国語学習者が両者を区別できないってわけじゃないと思う。
比較構文で接続詞のthanが,あまりに述部(っていうのかな?)の省略が多いので,いつのまにか前置詞的に働くようになって,今では「than I(do)」が「than me」と言われることが多い(というか「than I」なんて言い方は頻度1%に満たないんじゃないかしら)。本来,接続詞+S(+V)という節だったはずが,前置詞+Oのように感じられてる。TOEICなんかのテストでは,まだ「than me」は間違いということになってるらしいけど,「みんながみんな使ってるのに,間違いってどういうこと?」と,ちょっと矛盾を感じたりして。
いつの間にか前置詞的に働くようになったthanは「different from」のかわりに「different than」という用法を生み出して,いよいよ前置詞度を増している気がする。語学学校の先生に聞くと,「みんなdifferentのときにthanと言うけど,正しくはfromだから」という。でも,ぼくの感触では10%ぐらいの頻度でthanが使われてる。で,どうもニュアンスが違う。使う文脈が違う気がする。
be動詞のかわりにgetを使う受動態は非標準というけど,口語ではもはや1,2割くらいはgetな気がするし,明らかに意味や用途が違う。getはもう一般動詞と呼べないほど,haveに迫る勢いであちこち活躍してるのに,それはすごく口語ということになってる。
動名詞を作るとき,動作主体を表わす意味上の主語として代名詞や名詞を使う場合,所有格にするのが基本なんて書かれてるけど,実際の話し言葉では,ほとんどが目的格。ただ,どうもその使い分けには何か原理がある気がする。ロイヤル英文法によると,文頭に来る場合には所有格になるというけど,これはまあ当り前。いきなり目的格じゃワケがわからん。何語かが連なる名詞の場合には所有格じゃなくて通格になるというのもまあ当り前という気がする。ただ,そういう場合分けをリストするだけじゃなくて,もうちょっと突っ込んだ説明が可能な気がする,なんとなく。たとえば「afraid of his doing」「afraid of him doing」。こういうのの違いを,なんでこういうことになるのかってことまで踏み込んで,ちゃんと説明してるような文法書を読んでみたい。
否定疑問文も,まだナゾ。「Didn't you know 〜」「Can't you 〜」というのが文法書に書いてあるけど,「Did you not know 〜」とか「Can you not 〜」と,原形不定詞の否定形を使う形がある。意味や用法が違う気がするけど,これはぼくが持っている文法書や英語の教科書には書かれてない。口語表現なのか。でも,だいぶ意味が違う。
「put on your hat」と「put your hat on」の違いは何だと聞いたら,アメリカ人の先生は「一緒だ」と答えた。「まるっきり一緒ですか?」と念を押しても「まるっきり」。だけど本当はネイティブは使い分けている。使われるシチュエーションは違う。ネイティブスピーカーは当り前のように自然・不自然をかぎわけるけど,文末焦点の法則なんて,その存在にすら気づいてないから説明できない。
同じくネイティブが説明できなかったこと。「the plan to do something」「the advice that she make a reservation in advance」というように,先行する名詞を形容するto不定詞や,同格のthat節は,名詞の種類によってtoを使うかthatを使うか,あるいは両方可能かが決まっている。その使いわけの説明のときに,「toとthatの使い分けに何かルールがあるんですか?」と聞いたら,「私はどの名詞に何が使えて何が使えないか分かるけど,特にルールはないね。覚えるしかない。」と先生は答えた。冗談じゃない,形が違うからには,必ず理由がある。背後に何らかの心理がある。使い分けがある。語学を教える先生なら,それに気づいても良かったんじゃないかと思う(ぼくの予想では,to不定詞を使うのは,未来の予定,未来の行為に影響を及ぼすようなことで,同格のthat名詞節を使うのは,条件節的に使う場合とか,なんというか。形容される名詞と形容する側が時間的に並列してるとき)。
もっと文法を勉強しないとな,と思う。と,そういう話をすると「なんか方向性が違うくない? 言語として英語を究めたいの? 英語は道具じゃないの? それを使って何をやるかでしょ」と言う人が多い。でも,ネイティブがちゃんと違いを感じてて,使い分けてる文法なんだから,それは「道具として使うために必要な文法」だと思う。で,ディテールにこだわるのが,結局のところ近道だという気がする。近道とは言っても,どっちみち遠い道ではあるのだろうけど。
2001/08/25(Sat)
言葉遊び
Webで知り合った人のパーティーにおよばれ。そこでいくつかカードゲームを。中でも「TABOO」というカードゲームが非常にたくさん発見があって勉強になった。
実はそのTABOOというゲーム,語学学校の教材として,何度か遊んだことがある。ジェスチャーゲームみたいに,チームのうち誰かが伝えようとしているキーワードを,チームの仲間があてるというゲーム。5〜10人が2チームに分かれて遊ぶ。ジェスチャーゲームと違うのは,完全に言葉だけを使った遊びであること。
数百枚あるカードには,こんな風にキーワードと,それに対するタブーの単語が並んでいる。「APPLE --- fruit red eat juice pie」。APPLEがキーワードで,それを「タブー単語」を使わずにチームの仲間に説明して当てさせる。つまり,「It's a red fruit」だとか「You make pie with this...」なんてことは言えない。どうするかというと,たとえば「It's the symbol of New York city.」だとか「It's about the size of a fist and you buy them in a grocery store, like 2 bucks... You may want to peel it before ... umm bite it.」なんていう風にやる。思わず知らず,タブーの単語を使ってしまって,「ブーッ」というのが,このゲームの味噌。相手チームの1人がタブー単語を使ったかどうかを常に背後から監視していて,実際にブザーを鳴らす。
語学学校で遊んだときは,もちろんみんな外国語として遊ぶわけだから,難しい。慣れないと,固まってしまって何も言えなくなってしまうこともある。慣れの要素は非常に大きくて,最初のうちはタブー単語を見てしまうと,それを使ったセンテンスが次々に頭に浮かんでしまう。だから初めて遊ぶ人は,「Oh, shoot, I can't say it, well let me see,,, well,,, damn!」と言ってる間に5秒くらい経ってしまう。
全員アメリカ人という中で,ゲームが始まる前に「ぼくは,今度こそパス。これはネイティブ以外には無理だよ」と断った。「キーワードをあてるときだけ参加で」ということにしてもらった。
ところが。慣れを必要とするゲームだからなのか,それとも言語を使ったゲームだからなのか,個人差が非常にハッキリ現われることに気づいた。説明のうまい人,下手な人。これを言うと,またしても男女差別なんて言われそうだけど,やっぱり女の人のほうが一般に言語運用能力が高い気がする。男の子は結構もごもごと言ってて,下手したら制限時間内にこなせるキーワードの数は,語学学校でやる場合とそれほど大差がなかったりする。
ただネイティブとノンネイティブで決定的に違うのは反応速度。もともとこのTABOOというゲームは子ども向けだから,キーワードはそれほど難しい単語が入ってない。だから,ぼくにも結構当てられることが多い。で,キーワードを言おうとするんだけど,ぼくの頭にピコーンと灯がともったかともらないかという瞬間には,すでに誰かがそのキーワードを叫び終わってて,それに関連する単語も3個,4個も飛び出している。これぞネイティブが脳内に持つ単語ネットワークの威力,コロケーションというもの。
もっと極端な場合,なんで,たった1つのフレーズを聞いて,みんなの答えが一致するんだと不思議な気分になることがある。それはたぶんこういうこと。たとえば日本語で「とりあえず?」と問いかければ,「ビール」という単語が飛び出すと期待できる。さっきの「りんご」というキーワードなら「すりおろし?」と言うと,案外ひょっこり出て来るかもしれない。でも,外国語として日本語を勉強してる人には,そういうコロケーションが頭にない可能性が高い。
そうかと思うと,強い結びつきのある単語でも,違った方向へ思考が流れると,ちっとも答えが出て来ないというのもある。「You pitch this, you must've pitched this a lot when you were younger, hey guys c'mon, what do you pitch?」。すると,ほとんどの人は「pitch」だから,ボールだとか石だとか皿だとかと答える。「No, no! When you are in the woods, like kids do this in summer?」といっても,まだみんなキョトンとしている。答えは「tent」。テントを張るってこと。ぼくはハタで,「なるほどなぁ,tentはpitchするものなのか。なんてイメージの湧く表現なんだ。これでpitch a tentという表現は一生忘れないな」などと聞いたりしつつ,このTABOOというゲームが,ネイティブにとっても難しいという理由がなんとなく分かる気がして面白く観察。このゲーム,日本語版ってないんだろうか。