the other side of my days
ご意見,ご感想,ごいちゃもんなどございましたら
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>まで。


2001/06/03(Sun) 映画映画
2001/06/06(Wed) 飛行機はなぜ落ちないか
2001/06/09(Sat) ラーメン
2001/06/10(Sun) 自動車が独占した車という単語
2001/06/14(Thu) ツインピークスから見るサンフランシスコの夜空
2001/06/19(Tue) 少しは自分をほめてあげないと
2001/06/24(Sun) ゲイパレード


2001/06/03(Sun)

映画映画

週末はサンノゼ。巨大なモールにある巨大な映画館で『Bridged Jone's Diary』。望んだわけじゃなく,33歳を過ぎて,まだ独身。いつまでもダイエットに成功しない。恋も実らないか,実ったと思ったらさんざんな散り方。料理も仕事もさえない。タバコも酒も飲みまくる,そんな普通っぽいロンドンっ子が付け始めた日記というフィクション小説を映画化したもの。Bridgedを演じるRenee Zellwegerのドジっぷりや愛敬,飾らないストレートさって,可愛らしくはあるのだけど,実はぼくはそれほど共感しなかったりして。一緒に見てたジェニファーは大喜びで涙が出るほど共感していた。なんか分かる。年齢をのぞけば,結構似てる。
やっぱりヨーロッパはヨーロッパだなぁと,パーティーの雰囲気,ロンドンの市街,オフィス,郊外の雰囲気なんかを眺める。友達同士,同僚同士のモノの言い方や,何より発音が,やっぱりアメリカとは全然違うのだなぁと,そういう観察。Webで見てみたら,このRenee Zellwegerという人は,テキサスうまれのアメリカ人。ところが,映画の中では最初の10分くらいをのぞいて,結構流暢なブリティッシュなまり。Hugh Grantは美しいブリテッシュイングリッシュだし,全体にぼくには「喉に何か詰まってませんか?」と尋ねたくなる「エウエウ」言ってる英語に聞こえる。Hugh Grantなんかは,インターナショナルな俳優なのでマシなのかもしれない。Bridgedの友達役の女の子の英語は,まるっきり別言語に聞こえるほど極端なイギリス英語で,ほとんど何を言ってるのかわからんかったり。ただでさえ難しい英語が,なおさら難しい。

ゲームセンターとレストランが一体になったような店で食事。まったく期待してなかったシーザースサラダチキンサンドが激ウマ。期待してなかったゲーム系が,どれもとても面白い。SEGAやらNAMCOやら,日本から入って来てるゲームも,どれも良くできてるわ。

買い物につき合う。巨大な家電屋,Fry'sでSONYのトリニトロンテレビとDVDプレイヤー。他人の買い物なら,適当なコトを言えるわけだけど,その適当な言葉を信用されてサクッと買い物されると逆に焦ったりする気持ちもちょっぴり。在庫を調べますといって引っ込んだ店員は,20インチのテレビが収まったでっかい箱を,いきなりカートにのっけて来た。そして,そのままレジへ。ぼく的な感覚では「テレビのほう,1週間でお届けです」という頭があったので,支払いを済ませてそのまま車の後部座席に放り込むというのは,とてもアメリカンに感じられた。あいや,これは車ナシ都市生活者のぼくがずれてるだけで,日本だからアメリカだからってわけじゃないか。しかしまあ思い立って1時間後には,部屋にポーンとテレビがあるという状態はなんだか。
新しく買ったDVDプレイヤーを試すために,さっそくDVDを借りてテストプレイ。映画,『DOGMA』。最近,テレビと映画ばかり見てる気が。

妙にハイテンションな割にネットリした目付きでしゃべる友達たちと合流して,KitKatClubというストリップクラブへ。ダンサーをやってる女の子と知合いになったとジェニファーが言うので楽しみにしてたのに,行ってみたらチャージが$20と女の子たちにはチト高くて断念。男の子組は,やや名残惜しそうに,ボックスオフィスからちらちら見える白い肌を指さして,「Look at that! Did you see it?」と叫んだり。ストリップって日本ででも見たことがないので,ちょっと見てみたかった。

2001/06/06(Wed)

飛行機はなぜ落ちないか

しばらく前にミスターサトーが,「なんか飛行機がなぜ飛ぶのかという理論が,昨日だかなんだかくつがえったみたいだよ。いままでの説明は間違ってたって」というので,ぼくは「流体力学がくつがえるわけがないっす。ベルヌーイの定理が説明する揚力って,理論として完成してるはず」と,ほとんど笑って言い返した。
円柱状の物体を右に回転させると質量が増え,左に回転させると質量が減るだとか,精密な真空実験では金属球より羽毛が先に落下するだとか,永久機関が開発されただとか,2年に1度くらい耳にする,トンデモ系の新説のことだろうと思った。
ところが,この新理論,どうも本当らしいと知ったのは,とあるニュースメールに載った記事がきっかけ。「飛行機がなぜ飛ぶのかはニュートン力学で説明できる。空気が下に追いやられる反作用にすぎない。飛行機が背中を地面に向けてさかさまに飛ぶことができるのは,実は揚力というものが,翼の形ではなく,翼に向かって流れ込む気流の流れの迎え角で決まるからなのだ」。なるほど。なるほど。言われてみれば,計算の枠組みとしていくらベルヌーイの定理が有効だったとしても,揚力という「力」はニュートン力学以外で説明できるわけがない。ミクロレベルで見れば,空気分子が翼の金属分子に衝突する角度,頻度,スピード以外に,力の発生に関係する要因はない。えっ,ホントにそういうことかなぁ。だとしたら,今まで一体何で誰もそのことを指摘しなかったのだろう。直観的に理解できない揚力の説明を受けるたびにモゴッとしたものを感じてたのって,まさかぼくだけじゃなかったというのか。「流速が速いと負圧になる」というのは現象の正しい予測はできても,原理は説明していない。

だから「新理論」だとか「くつがえった」だとか「今まで間違ってた」というのは,やっぱり言いすぎで,流体力学が間違ってたわけでもくつがえるわけでもない。そういうのは単にイエロージャーナリズムの好むヘッドライン。たんに「今まで説明がなかった」というわけ。いや,そのことのほうが驚きだ。

2001/06/09(Sat)

ラーメン

事典関係の仕事をしてたときのこと。「ラーメン【Rahmenドイツ】」という見出しを見た瞬間,隣に座っていた上司に「へーっ,ラーメンってもともとドイツ語だったんですね!」と言ってしまったことがある。上司が「はぁ?」と言うのを聞いて,さすがのぼくも「そんなわけがない」と気づいた。「拉麺」という漢字も知ってるわけだし,ラーメンは中国語に決まってる。その事典の項目というのはタベモノのラーメンではなく「ラーメン構造」という建築用語。「君は平和でいいね……」と真顔で上司。少しくらい,モノは考えてから口にしたほうがいい。
できたばかりの横浜ランドマークタワーに昇ったとき,展望台のどこだかに,その建築方式のウンチクがトクトクと書かれてあった。それを見たとき,当時つき合っていた彼女に向かって,ぼくはトクトクと言った。「現代建築で使われるラーメン構造って,ドイツ人のラーメンって人が考えた方式なんだよね」。「へぇー,そうなんだ。タベモノのラーメンと関係ないの?」。「あったり前じゃーん。キミは平和だねぇ……」。

結構たくさんいろんな種類のが売られてるんだけど,渡米後,おそらくインスタントラーメンは今日で2個目。今日は韓国産のキムチラーメン。お湯を入れてから,またやってしまったことに気づいた。オハシがない。スプーン,フォーク,それに類するものが何もない。キープしていたはずのフォークがない。
プラスティックという素材のせいではなく,たぶん見た目の問題だと思うのだけど,蛍光ペンと歯ブラシの2本をオハシの代わりに使って食べるラーメンというのは非常にまずい。歯ブラシの柄のオシリに張り付いたネギを食べようと,ぺろりんと嘗めてみると,ヌメッとしたプラスティックの感じと,もともと食べるために設計されてない嫌らしい曲線が妙に気になる。
オハシ代わりに使った歯ブラシの柄を洗うとすぐに,そのまま口に歯ブラシを口に放り込んだ。平和な土曜日だなぁ……。

2001/06/10(Sun)

自動車が独占した車という単語

滞米中の日本人が,日本語より先に英単語や英語表現が口をついて出て来ることがあることに対して,「なんか嫌だな。いかにもって感じで。特に数カ月しか英語で生活してなかったりしたら,そんなのあり得ないじゃん」とある人が言った。「かぶれた感じを嫌うのは分かる。でも別に十分起こりうるよ。というか,楽なんだよ。対応する日本語を思い出すより,頭に浮かんだ言葉を口にするだけなんだから」と,ぼくはあえて反論。
「でも必ず対応する日本語があるわけでしょ?」。「そんなことないよ,どんな単純な単語でも,日本語と英語はあまりに違うので,指示対象がぴったり一致する単語なんてかなり珍しいよ。逆に単純な単語ほどカバー範囲が広いから,1つの単語が指す対象が,もう片方の言語にすると数個の単語になることはザラ。というよりも,単語というのはイメージなので,イメージの広がりが一致しないのは理のトーゼン。うまく一致する単語がすぐに見つからなくてもちっともおかしくない。対応する日本語を知らなくても,それほどヘンじゃない」。
ぼくは例として,workを挙げた。ある歳の若い日本人留学生が,ヘンな日本語を使った。「そういう安物のフェイクIDがちゃんと,えーと【働く】かどうか分からない(I'm not sure whether or not that kind of cheap fake IDs would WORK.)」。それを聞いたとき,ぼくはかなり驚いたけど,気持ちは分からなくもない。「work」という動詞は「通用する,効果が出る,働きかける」など非常に多様な用法で使われてる便利な動詞で,彼はその語感イメージと用法が身に付いていて,「ID−work」という強烈な結び付きから,ついそれを日本語の直訳「働く」にしてしまったというわけ。さすがに本人も変な日本語だと思ったらしく,「働く」の前に,えーっとと一拍置いたりしたけれど,それにしても。興味津津で「何で働くって言ったの? 日本語ヘンだよ」と指摘したら,「そうなんです,頭にworkって単語はあったけど,日本語でなんて言えばいいのか分からなくて」と言った。
「極端と思うかもしれないけど,」,そう前置きしてぼくは続けた。「もっと単純な例だと『車』が指すものと『car』が指すものだって,ホントは違うじゃん。『りんご』と『apple』も微妙に違う気がするよ。『car』って,エレベーターの箱のことも指すじゃん。でも,たぶん日本語ではエレベータの箱のことは『エレベータ』というか『これ』というくらいしかない。エレベータの個々の箱を指示する単語って日本語にもあるだろうけど,普通の日本人は知らないでしょう? だから,『This car is down.』というセンテンスが頭に浮かんだら,そのcarをどう訳すかで一瞬迷っても不思議はない。たぶん正しい日本語は『下ですよ』とcarを訳さない」。
「carという単語は列車の1つの箱とか,ゴンドラとか,要するに小さな箱状の乗物のことを指すけど,日本語の『車』には,そういう語感はないでしょう。だから,たとえばディズニーランドのホーンテッドマンションみたいなので,小さい箱に乗るじゃない? で,それを待ってるときに,Our car is comming! Here we go!というのが頭に浮かんだら,そのときのcarを日本語で何と言うのか考えるのが面倒ってことは起こりうるよ。たぶん,『ぼくらのが来たよ』『順番が来たよ』と言うくらいじゃない?」
しゃべってるときには気づかなかったけど,後で辞書を引いてビックリ。すっかり忘れていたけど,日本語の『車』というのは,もともと車輪のことだった! 岩波国語辞典による定義にはこうある。「心棒を中心に回る仕組みの輪。車輪。(2) 荷車・電車・自動車・人力車など、車輪を回して動く仕掛けの物の総称。「―の両輪」_現在では特に自動車をさすことがある。「―を拾う」(3) 輪の形。「―切り」(輪切り)」。
つまり日本語で『車』というのは,もともと英語の『wheel』に近かった。で,今度はwheelを英々辞典で引いてみると,「自動車やバス,自転車の下にくっついてる丸いモノ」「ある機械が作動中に回転する,平らで丸いパーツ部分のこと」「車や船なんかの乗物を特定の方向に向けるためにつかう,wheelの形をした装備(=ハンドル,舵)」という説明のほかに,なんと口語的用法として「Like my new wheels?」と,自動車を指す用法も載っていた。なんだか,面白いけど混乱してきたぞ。
あまりに自動車が日用品となってしまったので,いつのまにか『車』が主に自動車を指すことになってしまったけど,もともと「4つの車とエンジンがついている乗物」を自動車と呼ぶのだった。そういえば,ぼくが子供のころには,そういう語感があったけど,いまどき「あの脱穀機には車が1つ付いてて」なんて言ったら,自動車がくっついてる絵を想像してしまう人もいるかもしれない。自動車が『車』という単語の用法を,時代とともに独占していったのだ。「くるま」って単語,世代によってずいぶん受け取り方に違いがありそうだ。
そういえば,記憶をほじくり返すと,中学生のとき「自動車はautomobile」と習った記憶もある。英語でも,もともと自動車発明以前からcarという単語は存在していて,それを使って最初のころは自動車のことをmotorcarなんて呼んでいたはずが,時代とともにcarといえば,普通は自動車を指す,という風に変遷していったということ。たぶん。
利用頻度の高いモノというのは短い単語で呼ばれるようになる。日本語でも英語でも,もともと存在しなかった自動車という発明品が,かつて別の意味を担っていた単語で言いあらわされるようになったということだと思うけど,それが車輪のついたものだという認識に注目して『車』と呼ぶようになった日本人と,それが箱状の乗物だという認識にもとづいて『car』と呼ぶようになった英米人。

2001/06/14(Thu)

ツインピークスから見るサンフランシスコの夜空

わざわざサンマテオまで出向いて中華。四川風。サンフランシスコでベストだという中国人の推薦を,なかば適当に聞き流していたけど,これが最高にうまい。自他ともに認める激辛狂いのぼくをして,「これはちょっとやりすぎじゃないか」というレベルの辛さのラムを使ったチンジャオロースーみたいな料理が激ウマ。一緒にいた他の3人は,口を開けたまま,ぼんやり宙を見つめてしまうというほど,全体的に辛さ爆発。これがホントの四川なのかしら。

もう4度目か5度目のツインピークス。でも夜は初めて。半袖じゃないと暑かった昼間に比べて夜はやっぱり冷え込んだので,ほんのりと霧がかかるサンフランシスコ。それでも,オレンジと赤を基調とした街の宝石たちのキラメキは,やっぱり綺麗。電力危機のせいで,まもなく夜間照明を取り止めるというベイブリッジも,強い風,不安定な大気のおかげでチラチラと揺れる輝きを放っていて,かえって美しい。
「こっちこっち」とジャインが呼ぶので,何かと思ったら,アマチュア天文家たちがアマチュアにしては巨大な天体望遠鏡で星を見ていて,そこらの人たちに「どうぞ,のぞいてくださいな」なんてやっていた。「下のほうにオレンジの星が見えるはずだけど,まだ見えてる?」「あー,視界から外れつつありますが」「地球の自転があるからね。像を拡大してるということは,自転の速度も拡大しているようなものだから,少しの時間で星は視界から逃げるんだよね。ちょっといいですか」。そういいながら,そのアマチュア天文家,半分プロと名乗る人は,ちょいちょいと適当に天体望遠鏡を動かした。ものの数秒,適当な動作に見えたけど,きっと習熟してるからできる芸当なんだろう。普通そんな簡単に星を捉えられるものじゃないはず。
「この星は何ですか?」。どんなに拡大しても太陽系以外の恒星がサイズを持って見えるわけがないということは知っていたので,視界に現われた丸い黄色い星を見て,なんだろうと思った。惑星じゃないかとは思ったけど,火星というのが,ときにあれほど黄色く見えるのだということを知らなかった。「火星だよ。今日は気流が乱れてるから,たんなる黄色い丸にしか見えないけど,コンディションのいい時には斑点とか,極の模様も見えるんだよ」。
アマチュアにしろ,プロにしろ,星が好きな人というのは,たいていそうに違いないと思うけれど,かなりの熱意であれこれ説明してくれる。あそこにこれこれがあって,これこれの先にあるのが北極星だよ。ぼくとしても,なぜか天文観測にはほとんど興味がなかったものの,かつては宇宙少年を自称するほど宇宙に対する憧れを持ってたものだから,ニコニコ聞いてみる。ニコニコすればするほど相手の話は止まらない。でも,ホントにちょっと興奮気味だった。子供が扱える以上の高性能の天体望遠鏡を覗いたのは,実は,ぼくはこれがはじめてかもしれない。
「あそこに4つ星があって,それが作るバッテンがあるでしょう。その上にあるのが,白鳥座。え,日本語でも同じ? 白鳥っていうの? サソリは? え,それも同じ? へぇ,面白いね。でね,その白鳥の頭にある星を見せてあげるよ。これはちょっと面白いよ」。覗いてみると,青と赤の星がぴったりと隣合わせに並んでいる。2つの恒星が互いに互いの周りをぐるぐる回る二重星。なんと! ぼくはこうやってアマチュアが買えるレベルの望遠鏡で二重星がちゃんと2つに見えるということすら知らなかったので,びっくり。はじめて見た。ニュートン式反射望遠鏡というその天体望遠鏡は,とても軽くて見た目はちゃちいのに,日本円で30万円ほどするそうで,倍率は200倍〜400倍。ちなみに,後でWebで調べてみたら,この二重星,全天でもっとも美しくもっとも良く見えるものだったらしい。ここに写真と解説が(http://www1.ocn.ne.jp/~ntkhp/wstar.html)。
東京に比べると,サンフランシスコは驚異的に空気が綺麗だし,灯りも少ない。肉眼でも50個くらは楽に星が見える。さらに少し市内からはずれると,驚くほど星がたくさん見える。「東京に比べたら汚染なんて言えませんよ,サンフランシスコの空気はとても綺麗ですよ。東京じゃ10個も星は見えませんからね。注意して見ない限り,宵の明星以外は見えないですよ」。
あれこれ説明してくれた人は,アマチュアの天文家たちで構成されるクラブの会員らしく,近くまた一般の人向けに解放した天文観測の集会があるという。次回は,太陽系以外で惑星の存在をはじめて確認したUC Berkeleyのナントカという先生も来て講演をやるという。それは聞いてみたい。初めて太陽系外で惑星が確認されたのって,確か1995年。50個ぐらい発見されてるとは聞いてたけど,すでにその数は70個以上で,そのほとんどをその先生が発見したらしい。その集会の情報をWebで探せるかと聞いたら,彼は名刺をくれた。そのときは暗くて何も見えなかったけど,どうやら天文雑誌の編集者だったらしい。どうりで説明の手順がいいはずだ。

2001/06/19(Tue)

少しは自分をほめてあげないと

一瞬むくいられた気がしたけど,やっぱりつき落とされた気分。ようやくTOEICのリスニングで満点の495点に届いた。と思ったら,リーディングが400点しかない。自分では手応え十分だったのに……。またしても900点に届かず。自分の感触では語彙もスピードもグーンとアップして,何より文法理解が以前とは比較にならないほどマトモになりつつある気がしてるのに,なんでリーディングの点数が渡米前よりグーンと低いのか,まったく理由がわからん。もしかして問題が簡単すぎて全問正解でも440点くらいなのじゃないだろうかと想像してみたくなる。リスニングの点数がリーディングに比べてずっと良いという海外滞在経験者の典型的なスコアになりつつある。いや,それにしても100点も点差が開くのはかなり異常か。
英語に関しては相変わらず絶望的な気分なので,たまには自分をほめてあげなきゃやってられない。だから,一応こういう風にとらえてみる。「リスニングはすくすく伸びてるぞ。それなりに点数に出てるじゃないか。そもそも短期間なんだ。外国語なんだ。甘くないんだ。オレは良くやってるよ」。
でも考えてみるまでもなくリスニングだってボロボロ。電話口でちょっと早口で話されると何が何だかわからんし,映画で囁き系の場面になるとカラッキシ聞き取れなくなる。ごく普通の日常会話,たとえばレンタルビデオ屋で「そろそろお客さん,無料レンタルの権利が使えまっけど,どないします?」なんてことを前ぶれなくボソボソッと早口で言われると,1,2個くらいしか単語が聞き取れなかったりする。1個の単語と音の雰囲気と状況から適当に答えてみるものの,そういうことがあるたびに情けない気分になる。
肩の力を抜いて気楽に行こうという開きなおりの気持ちと,なんとかせねばという焦慮と。

2001/06/24(Sun)

ゲイパレード

今年で31回目と言うゲイパレード。西海岸最大のイベント,世界最大のゲイ・イベント。いろんな意味で壊れちゃった人たちが,キテレツな衣装やら素っ裸やらでサンフランシスコのメインストリートを練り歩く。
やっぱりゲイパレードなんだから,ゲイの人に案内してもらうのがベスト……ってわけでもないけど,またしてもゲイ友達(ってぼくがゲイなわけではないけど)のおじさんと待ち合わせ。
ゲイというのはもちろん同性愛という意味で,日本で名詞として使ってるのと違って,これは形容詞。ゲイ・ピープルとか,ヒー・イズ・ゲイとは言えても,ヒー・イズ・ア・ゲイとは言えない。日本ではすっかり「ゲイ」は男性同性愛者を指すことになってしまったけど,アメリカでは,オカマ,レズの両方とも指す。
レズは,特に男役は,ダイク(dyke)とも呼ばれる。このダイクと呼ばれる人たち,下手な男より男っぽくてカッコいいんだ。180参加団体,4時間にも及ぶパレード列のいっとうはじめのスタートを飾ったのは,「ダイク・オン・バイク」というグループ。イカツイ体躯を鋲つきレザーに包み,腕のタトゥーも誇らしげに,ハーレーにまたがる「彼女」たち。単なるデブやんかと言いたくなるのも多いけど,中にはサングラスごしになかなか爽やかな笑顔を投げかけて来る美男のレズもいる。
ゲイ,レズだけじゃない。性転換した人,女装好きな人,バイな人,そういう家族を持っていて,サポートしている人たち。パパが2人の家庭,ママが2人の家庭。ゲイの権利のために運動している団体,宗教家,政治家。中東,アジア,南米,ポリネシアなんかのそれぞれの国ごとのマイノリティーたちが作るゲイ・コミュニティー。いったい,どこからどれだけ出て来るんだというほど続々とパレードは続く。おかまちゃんはみんなムキムキの身体をくねらせてる。しかし,ムキムキなのにほとんどみんな腹が出てるのはどうもいただけない気が。
やっぱりアメリカは,というか西海岸は,サンフランシスコは,ある意味つき抜けてる。「pursuit of happiness」というスローガンを掲げた車の上では,巨大なバイブレーターを巨大な女性器の模型に向かって突き刺してる人びとが。「セックス大学」ではセックスプロフェッサーがイチからジューまで全部教えてくれるそうな。
「何もかもアリ」。それってどういうことなんだろうって,コンドームをたくさん受け取りながら考えてみたり。移民だらけ,地球上の一通りの人種が集まってるんじゃないかというほどの「多様性」の中に,さらに性の「多様性」。

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