the other side of my days
ご意見,ご感想,ごいちゃもんなどございましたら
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>まで。


2001/04/01(Sun) 夏時間
2001/04/02(Mon) You are not you.
2001/04/03(Tue) Yoshinoya
2001/04/04(Wed) 不安定
2001/04/08(Sun) どこからthereで,どこまでがhere?
2001/04/14(Sat) 月面
2001/04/15(Sun) 出家するか
2001/04/16(Mon) Visor
2001/04/19(Thu) 外国語
2001/04/20(Fri) 電報
2001/04/22(Sun) ジャパンタウン
2001/04/28(Sat) 野球


2001/04/01(Sun)

夏時間

たとえば,こういうの。ボストンから来た人が,「時差を合わせなきゃ」と言って,腕時計の時刻を修正する。あるいはCNNのナントカ討論特集みたいなのが,EST(東時間)の夜10時でつまりそれがPDT(西時間)の夜7時だったりとか。あるいは,朝7時に新聞のWebサイトを見ると,何故かすでに株取り引きは始まってて,「あ,そうか,NYSEはニューヨークだもんな」と気づいたり。はたまたWebのオンラインショッピングにはこう書いてある。「木曜日のEST午後4時(つまりPDTの午後1時)までにオーダーいただいた商品に関しては,その週内に発送いたします」。
1個の国の中に3つも異なる標準時があるってことが,やっぱり何だか変なもんだなぁと思うわけです。そしてそれ以上に奇妙なのが,いわゆるサマータイム。3月31日から4月1日にかけて,アメリカ国民はきっかり1時間,いつもより短い夜を経験しました。正確に言えば4月1日の午前1時59分59秒の1秒後が午前3時ちょうど,つまり2時が3時になったということらしい。アメリカ人は,あまりこういうことで騒がわない。テレビでもあまり繰り返し繰り返し,そのことに言及するという日本のような丁寧さがない。ぼくはメールで知らされなかったら,うっかり忘れてるところだった。が,さすがに午後7時が嫌に明るく感じられます。
誰も騒がないし,もちろん混乱もない。こんな簡単なことなのに,なんで日本はサマータイム導入だって議論が持ち上がると,あれほどモメるんだろうか。エネルギー効率を考えれば導入のメリットは計り知れないだろうに。

2001/04/02(Mon)

You are not you.

今日のクラスでわかったこと。アメリカ人に「eelって日本語で何ていうの?」と聞かれたら,ぼくなら「We call it Unagi.」と答えると思うけど(ちなみにnaにアクセント),これ,「You call it Ungagi.」でもOKなんだとか。もちろん文法的にはWeでも正しいけど,Weには,やや相手を突き放した感じがあるそうな。お医者さんが「How are we today?」と自分を相手にひっくるめて呼びかける「親心のwe」と,ちょうど逆で,「We call it Unagi.」のweは,相手と自分の間にラインを引っ張ってしまう。極端に言えば「ぼくら日本人はウナギって言うけど,まあアンタには関係ないでしょ」ということ。「You call it Unagi.」だと「ウナギって言うんですよ」という日本語に相当して,このyouは日本語には訳せない。日本人でなくてもeelは日本語でウナギと呼ぶことができる(実はここがミソで,日本人以外が日本語を話すという発想自体にぼくは違和感を感じてて,だからyouが気味が悪いのかも)。このyouというのは,ぼくが思っていた以上にニュートラルらしい。日本語で言うyouでもweでもない。
「We call it Unagi.」という場合のWeは,Weとthe othersってことで,まさに日本人の発想。以前,学校の先生にこんな話を聞いたことがある。「あのタワーに昇ると街全体が見えるよ」というときに日本人は,we can seeと言うことが多いけど,you can seeのほうが自然な英語。日本人はweを多用しがち。たとえ,これからまさに昇ろうとしているときでも,英語ではyou can seeと言える。youは目前のyouじゃないことも多い。
それにしても,アメリカ人は「ウナギ」と言わないんだから,「You call it Unagi」はどうも気味が悪い。「なんで!? アメリカ人はウナギとは言わないんだから,youって変じゃないですか? ウナギって言うのは日本人でしょ。ぼくから見ればweですよね? youはウナギと言わないじゃないですか」と思わず質問してしまった。
「その場合のyouって誰? 目の前のアメリカ人である必要はないんだから,You call it UNAGI in Japaneseでいいんだよ。日本人がアメリカ人に向かってもこう言っても,それは完璧に正しい英語だよ」。文法用語では“Impersonal you”などというらしい。youの意味じゃなくて,oneの意味で使われるyou。oneが文語調でyouが口語。頭ではわかってたつもりだったし,すっかり使えるつもりになってたけど,想像以上に日本語のyouと英語のyouの語法には違いがある。They,We,Youって,どれも日本語の発想とまるっきり違う用法があるけど,youが一番むずかしい気がする。たとえば,外国人に「日本のサラリーマンの生活ってどんな?」と聞かれて,主語にyouを選ぶという発想はなかなか日本人には出て来ない。「It's kind of boring. You go to work every morning and ...」。
ロイヤル英文法で調べてみたら,こういうのは総称人称(Generic Person)と呼ぶらしい。で,ちゃんと,(注)で小さな文字ながらも「youは相手を含まないで,話し手のことだけを述べる場合に用いられることがある」と書いてある(なんや,読み飛ばしてたやんか……)。youは日本語で言うIやwe,they,peopleの意味にもなりうる。
日本人にとって,このImpersonal YouとかGeneric Personが過不足なく自然に使えるかどうかが,結構しゃべるときの「楽さ」に影響すると思う。文法書で人称代名詞って扱いは小さいけど,こういう,日本語の発想とまるっきり違っていて,しかも利用頻度の高いものほど,ちゃんと頭に回路を作らなきゃいけないんじゃないかと思う。
隣のフランス人に聞いたら,フランス語では「On」がまさにこのImpersonal Youに相当するらしい。そういえば,そういう人称代名詞があった気もするけど,さっぱり覚えてないや。

2001/04/03(Tue)

Yoshinoya

そりゃ日本のほうがおいしいに決まってるじゃない。リカさんがそういうので,期待はしてなかったけど,サンフランシスコのYOSHINOYAは,日本のそれと,そう大きな違いのない味という気がした。「つゆだく」のツユが,$1ちょっとだったのが驚き。何でも,白いご飯にツユだけかけて食うアメリカ人もいるのだとか。まあ,コメを野菜だと思ってる人たちにとって,それはそれで「アリ」な食い方なのかも。

2001/04/04(Wed)

不安定

不安定な気持ちの夜。困った。

2001/04/08(Sun)

どこからthereで,どこまでがhere?

マイクは非常に日本語が堪能ではあるけれど,ところどころ不自然な言葉の使い方をする。それが面白いことに,英語の発想や英単語の干渉を受けている形跡がはっきり分かることも多い。たとえば,こんな会話。「ぼくはね,人と話をしてるとき,結構相手のこと勉強してるよ」。これは文脈から明らかなように,英語のstudyの直訳。studyというのは,「物理的・心理的に何かに接近して能動的に情報を取ること」だから(たぶん),対象が人間の場合,studyに相当する日本語は「観察」になる。対象が学問なら「研究」だし対象が課題や教科なら,もちろん「勉強」。
ふと読んでいた本に,こんなセンテンスがあった。「Some guys took me out to this seafood restaurant for lunch.」。パラグラフの先頭,これから何かエピソードを語ろうというときに,なんでいきなり「this」なんだ? なんとなくモヤッとした感じがあるので辞書を引いてみたら,これは「Have you ever heard about this?(こんなこと聞いたことある?)」と話を切り出すときの用法と似ていて,これから語ろうとしているレストランについて,「こんなレストランに連れて行かれました」という風にthisを形容詞として使ってる。発話しようとしているタイミングから時間的・心理的に非常に近いか,これから登場するナニかを指すときに,「I'm gonna tell you this.」というように代名詞としてthisが使えるのは知ってたけど,形容詞用法は馴染みがなかった。いや,考えてみれば,How about this idea? (こんなのはどう?)は耳に馴染む。でも,I met this Sweedish girl.(こんなスウェーデン娘に会ったよ)は,どうもヘンな感じがする。
ともかく,このthisの用法。なるほど! とベッドの中で膝を打ちつつ,ハッと気づいた。マイクは良く話を切り出すときに「この…Chineseの友達いてね。彼は〜だよ」と言ってる気がする。あの微妙に気になっていた「この」は,この「this」だったんだ。日本語なら「こんな知り合いがいるんだけどさ」とでも切り出すときの「こんな」。あっ……,日本語も英語も,この場合,ぴったり対応してるか。単にマイクが「この」の形容詞形である「こんな」を使わないだけで。
日本語でも英語でも「こんな話があってね」とか「こんな知り合いがいるんだよ」という切り出し方って,ちょっと会話のやりとりとしては構えすぎた感じなので,あまり頻度は高くない気もするんだけど,それでもどっちかいうと英語のほうが,この「this」が良く使われてる気がする。thisは,「これから話すぞ」ということを話者が明確にすることで,聞き手の心の準備をさせ,耳をかたむけさせる役目があるんだろうけど,日本語なら,ぼくは「中国人の知り合いがいるんだけどさ,〜」とか「あそこにレストランがあってね,〜」というふうに,「さ」とか「ね」なんかの語尾で,主題についての話が続くんだよということを伝えると思う。あるいは「なんかね,3年くらい前に知り合った友達がいるんだけど」と,頭に良く意味のわからない「なんかね」を付けることでも,何やら似た効果が作れそう。「あのね,〜」という人もいるか。そういえば,英語だと「You know what.」という,まさに「あのね〜」相当する言い回しが非常に良く使われてます。
何の話しだ。いや,何だかコソアド言葉が微妙にずれている気がするのです。日本語でも英語でもコソアド言葉というのは,話者から見た絶対的な物理距離は関係なくて,話者が自分に引き付けて言及するときには「こ」を選び,相手の周囲とみなして言及するときには「そ」を使い,どっちでもないときに「あ」を使う。そのルール(というか世界の分類の仕方)は基本的に英語も日本語も同じだけど,どうも守備範囲が微妙に違う気がする。
熱帯魚を売ってるペット店でのこと。マイクとのやりとりでこんなのことがあった。「ほら,ここに魚泳いでるじゃない」「どこ?」「ここだよ」「えー,どこどこ?」「ここだよぉ」。日本語ネイティブ2人が2人とも混乱して,「なんだ,マイク,<ここ>じゃなくて,魚がいるのは<あ・そ・こ>じゃーん」と答えた。
それで思ったのだけど,英語のhereは,日本語で「そこ」に相当する範囲までカバーすることがある気がする。そのときの状況は,床に水槽があって,3人から遠ざかる方向(奥側)に長いもので,魚はその一番奥側,少なくとも2mは離れたところを泳いでいた。これは日本語なら,ふつうは「そこ」と指示すると思うけど,どうも英語ではthereじゃなくて,hereになることがあるんじゃないかしら。その容器は,手前からずっとシキリなどがなくて,1個の細長い容器だったのだけど,もしかするとそれがミソじゃないかしら。つまり,彼は距離よりも容器に注目してて,hereというのはむしろ指示代名詞的に容器のことを指示してたんじゃなかろうか。
いや,違う……。そうだ,日本語の「ここ」ってのは代名詞だ!(辞書引きました) もしかすると,マイクは「この容器」という意図で「ここ」を使っていたのかもしれない。池でコイを見たときも,「ここにいるじゃん」と,マイクは5mくらい離れた場所を指していたけど,その「ここ」というのは池そのものを指していたのかもしれない。
あっ,わかった! 日本語の会話で「ここに」というときには,「ここ」という代名詞が何か具体的な場所や建物にフォーカスして話している場合と,「ここに」という副詞節全体が,近い場所を漠然と指す用法の2つがあって,この2つの用法の使い分けが,マイクの場合は不自然だったから,誤解が生まれたのかも。
建物の中にいて,日本語で「ここに」というときには,「ここ」は代名詞として建物を指示してる。夫婦の会話で「ここに住んでもう20年よね」とあれば,この「ここ」は建物か土地かを指している。こういう用法を使うには,自分がその「ここ」の中に入っている必要がある。いや建物に入ってなくても,建物周囲を歩いてるなど,ほぼ自分が含まれてると心理的にみなせる場合でないと使えない。「ここに来るのは久しぶり」と言うのは,すでに話題にしてる土地,建物などの入口に向かってて,直後ににその圏内に入る距離にいる場合。
ところが英語には「in here」というのがある。本来副詞であるhereが,前置詞の後ろで名詞的な働きをしてるケース。それで,hereっていうのは自分を含んでいなくても,コソアドの「こ」の場所であれば使うことができる。で,このhereが実は代名詞的に「ある仕切られた場所」を指すことができるんじゃないのかしら。つまりマイクが言おうとしたのは,「There's a fish swimming in here(=容器)」だったのじゃないか。そうすると,hereと言うことで,容器に沿って日本語でthereという距離まで言及することができる。だからこそ,マイクは「ここに」と言ったんじゃないかしら。

もしかしてぼくは文法オタクになれる素質があったんじゃないかと思いつつ,最近気になった英文法をもう1つ。
ホントは前からたくさん出会ってて気づいてなかっただけなんだろうけど,分かりやすい形で<感情のshould>に実例で出会った。It is (adjective) that (subject) SHOULD (verb). というときのshouldは,話し手の主観的判断,驚きや強調などの感情を表わす。何だか気味が悪いshouldの用法だと思ってたけど,ちゃんと生の用法に出会ってみれば,なんとなくなるほどなぁと思えなくもない。that節の中に直接法や仮定法現在を使うより,shouldを入れたほうが主張が話し手側に一歩引き寄せられてるってことか。そう考えると,<推定のshould>も同じshouldと納得できる。「should=(したほうがいい)を意味する助動詞」ぐらいに考えてたけど,shouldのイメージが少し変わった。shouldは現在や未来に対する主観的な判断の加わったゆるい断定と思えばいいのじゃないかしら。もともとshallの過去形だから,そう考えると合理的。ていうか,You should go.って仮定法と考えたほうがいいのか。待てよ,そうすると,You should have gone.って,直訳すると「(行っちゃったこと)を(あんた)は(持ってる)ことに(なるって思った(けどなってない))じゃないか」なのかしら。

2001/04/14(Sat)

月面

だいぶ前だけど,こんなことがあった。あるフランス人が,あまりにぼんやりしてるので「What's on you mind?」と聞いたら,ハッとして「Oh, I was on the moon.」と答えた。気の利いたことを言うもんだと思ったら,それはフランス語で良く使われる表現の直訳らしい。直訳でも説明なしに通じる言い回しって,日本語だと,どんなのがあるだろうか。「目に入れても痛くないほど可愛い」というのは,直訳すれば,きっと「文学的な表現だな」と感心されるに違いない。ずっと以前,この日記で「疲れ切ったヒラメのようにしばらくベンチでノビていた」と書いたことがあるけど,実はこれは韓国語の慣用表現。
人口にカイシャした言い回しって,母語の場合,あまりに当り前になってしまっているけど,実は非常に文学的な,含蓄のある表現であることが多いのだな。外国語を勉強することの楽しみって,こういう「プチ文学」にたくさん出会えることも1つ。

2001/04/15(Sun)

出家するか

仏教徒がそうするように,果して人間というのは己の感情を100%客観的に捉えることができるのだろうか。コントロールできるのだろうか。
何もないよりはずっといいけど,あまり急激に猛烈に降り掛かって来て,頭をグラグラさせるほどの感情って,一体何の役に立つのだろうか。
しかし考えてみれば,モノ心ついたころから,「狂いたい」という衝動が強かった。一体,人は狂わずに生きていくことなんてできるんだろうか。理性的に狂うことは可能だろうか。

2001/04/16(Mon)

Visor

今さらだけど,Visor Delux(青)を購入。日本語バージョンは鼻血が出るほど高かった。ヨドバシなら2万4800円程度なのに,ジャパンタウンのUser's Sideでは,$299+taxと,ほとんど4万円近い価格。送料を考えれば,そう高くないけど,こんなことなら誰かに買って持って来てもらえば良かった。
IBMの日本語版WorkPadもアメリカに持ってきてるけど,なぜかPCカードで増設したシリアルポートがLinuxで使えないし(無線モデムも使えなかったし,結局総合すると,このPCカードがLinuxでちゃんと動いてない可能性が高い),たまに電源が入らなくなるし,数カ月に1度は完全にメモリがふっ飛ぶしというので,どんどん使う気が失せて机の奥に眠っているのでした。そもそも仕事してないので,管理するほどのスケジュールはないし。
LinuxのUSBサポートにVisorが入ってるので,試してみたら一撃。これは快適かも。メモリもたっぷりあるし,これは使えそう。さっそくUSBハブも買って来た。

2001/04/19(Thu)

外国語

チューリングテストをしているような気分だった。どういう意地悪な質問をすれば,日本人(=日本語ネイティブ)であるか非日本人であるかを見抜けるか,とっさに思い付かなかった。ニコニコ笑って,どんな質問にもそれらしい答えをナマりのない日本語で返してくる彼女は,100%日本人に見えた。5つ目か6つ目の質問で,ようやく彼女が非日本人であるとわかった。彼女は韓国人だった。
驚いたことに,彼女の日本語は4カ月の独学と滞日半年の経験によるのだという。それでもかなりのレベルの日本語が理解できて話せる。日本語の新聞も読めるという。何より,やや文法が壊れることはあっても発音はパーフェクト。短いセンテンスだと,非日本語ネイティブとはまったくわからない。
フランス人がhを,日本人がrやthをなかなか発音できないように,韓国人はfが発音できないのだけど(ifがイプになる),彼女は英語でもナマりがないから,たまたま彼女がセンスがいいだけなのかもしれないけど,ともかく彼女の日本語は驚異的にうまい。もちろん外国語学習者という観点で言えばという意味だけど。

日本語と韓国語って,文法的に似ているところが多いとは言うものの,実はそれは「類似が見られる」というレベルの話で,日本語は言語学的には,一体どの語族に属するのかもよく分かっていないというほど,かなり独立した存在という。日本語と韓国語って,共通のボキャブラリーもほとんどない。英語とフランス語の関係なんかに比べると,語彙の共有は皆無と言えるんじゃなかろうか。
発音が似通ってるとか文法が似通ってるってのは,明らかに地理的な距離とものすごく深い関係がある。人間の移動と言語の混交や進化,分岐って,密接な関係があるってのはある意味自明だと思うんだけど,で,そうするとですね。21世紀に入ると(入ってるって),言語の混交の仕方がドラスティックにスピードアップすることはありうると思うのです。過去10年や20年で日本語に入り込んだ英語のボキャブラリーの量を見れば,明らかに兆しはある。
飛行機がなくて,現代と比べると,そうそう人が行き来してたと言えないような時代でさえ,地理的に近いだけで,2言語がある種の関係を保って発展するものなら,地球規模の旅行が誰でもできるようになった現代,マルチメディア時代の21世紀に言語の混交が,歴史上かつてなかったほどの勢いで進んだって,ちっとも不思議じゃない。きっとインターネットは大きな影響を及ぼすでしょう。
ほとんど何の根拠もなく言うんですが,いずれ人間の話す言語というのは,英語とスペイン語,それに中国語ぐらいに集約されるんじゃないのかしら。ぼくにとって日本語は文字通り母なる言葉だから,こういう発想はあまりうれしくないけど,いまぼくが使ってる日本語が,今と同じように将来にわたって残るとは思えない。多様性は是が非かなんて議論をしてる間もないほどの勢いで言語は混じるんじゃないだろうか。
スイス人に「そこまで似てて,どっちも話せるなら,なんでスイスジャーマンを捨てて,みんなハイジャーマン(ドイツで話されてる標準ドイツ語)にしないの?」と聞いたことがある。答えは予想できたけど,あえて挑発。
大阪人に「標準語で話そうと思えば,話せるのに,なんで大阪弁を捨てないの?」と聞くのはナンセンス。言葉は個人の存在を支えているアイデンティティであり,文化そのもの。
だけどね,そんな大阪弁でさえ,ものすごい勢いで標準語にアシミレートされつつあるわけです。急激に方言は消えている。これはどの方言を話す日本人も感じてることだと思う。方言はあと2,3世代もしたら,ほとんど消滅するんじゃないだろうか。いやも少しかかるか。とは言え時間の問題でしょう。
それで。方言と外国語の境目って何だ? 言語として見れば,両者に本質的な区別なんてないじゃん。方言が消えるほどメディアが言語に及ぼす影響が大きいのに,それと同じことが諸外国語で起こらないわけがない。やっぱり単に時間の問題じゃないのか。
冷静に考えれば,現代日本語の存在って,英語や中国語を抜きにありえなかったでしょう? テレビやインターネットのなかった時代でさえ,大量に外来語を受け入れたのが日本人なわけでしょう。
そういえば,中国語ネイティブと話していて気づかされたのは,日本人は意外に基礎的な語彙として英語を日常的に使っているので,ごく簡単なものに限って言えば,彼らよりも単語が口から出て来る速度が速いことがある。カタカナカルチャーがイングリッシュ・スタディーにマイナスのネガティブファクターとなりうるというのは,とくにマウス(パソコンじゃなくてボディー,フェイスのマウス)からアウトプットするボイス,サウンドについて言うとジェネリックでドミナントなオピニオンだけど,実はそういうイメージとはリバースなことに,ポジティブシンキングで考えると,そうとばかりは言い切れないファクトもある。イングリッシュ・スピーキングにリクアイアされるリップのシェープは,ジャパニーズのそれとは違うけど,そこにはリーズナブルでシンプルなルールがあって,アテンションをペイしてディクショナリーをリードし,ワン・バイ・ワンにスタディーをキープすれば,ハードワーク,エクソサイズでチェンジできる。ジャパニーズランゲージにあるカタカナ英語は,オリジナルワードとはリトル,ときとしてベリーマッチにシフトした意味空間をホールドしているポッシビリティーがあるので,アンコンシャスにそのワードを「知ってる」とアシュームしてしまうと,コンテクストにマッチしないワードチョイスをするというミスのデインジャーがある。とはいえ,リアルなストーリーとしてチャイニーズのようにほとんど英語外来語のないランゲージと比べると,モダン日本語ネイティブスピーカーのスタートポイントとしてのレベルは,カタカナのおかげでアドバンテージがある。ベーシックなコンセプトをエクスプレスするボキャブラリーでさえ,日本語には特にアフター・ワールド・ウォー・ツーからラテン語オリジンのボキャブラリーに,急激なスピードでコンタミネートされつつある。
……,かなり無理があるとは言え,ぼくがコンベイしようとしたコンテントはキャッチできるでしょ? 用法は変だけど,少なくともここに書いたどのカタカナ語も国語辞書に乗ってるレベル。今度は漢字を使ってみましょう。
片仮名文化が英語学習に否定的要素となる可能性の指摘は,就中,口から発生する音声(発音)について言うと一般的で優勢な見解だけど,実はそういう印象とは反対に,積極的な思考をしてみると,そうとばかりは言い切れない事実もある。英会話に必要とされる口唇の形は,日本語のそれと相違が存在するけど,そこには合理的で単純な原理,規則があって,慎重に辞書を読書して,一つ一つに学習を継続すれば,真剣な学習,練習で適応できる。日本語ある片仮名英語は,原語とは僅少な,時として甚大に逸脱した意味空間を保持している可能性があるので,無意識にその単語を「既知」と仮定してしまうと,文脈に適合しない語彙選択をするという失敗の危険がある。とはいえ,現実的な話として中国語のようにほとんど英語外来語のない言語と比較すると,現代日本語母語話者の出発地点としての段階は,片仮名のおかげで有利である。基礎的な概念を表現する単語なんかでさえ,日本語には特に第二次世界大戦後から欧州語の語彙に,急激な速度で汚染されつつある。
……,なんと! ぼくは漢語を思い出すほうが大変! しかも子供でも知ってる程度の簡単な漢語しか頭に浮かばない! 「何か適当な言葉がある気がする」という感触だけあるだけで,漢語が出て来ない。いや知らないだけか……。
それにしても,こうやって極論して2つを並べてみると,英語と中国語なしの日本語って,一体何者なんだと思わざるを得ない。アンチ外来語な人って世の中には多くて,日本語日本語って言うけど,一体何が日本語なんだ? カタカナを排除して翻訳した漢字を使うって,それって漢語? 和語? 日本語? 片仮名英語は日本語じゃないの?
英語外来語が増えるにしたがって,日本語から漢語が消えて行っているのじゃないだろうか。たとえば,ぼくは三島由紀夫ファンだったけど,彼の日本語に出て来る漢語の数はぼくとはまったく比較にならない。いわゆる教養のある日本人としてのレベルにぼくが達してないだけという話しもあるけど,それにしても,日本語で使われる漢語の頻度は,ぼくの観察では年々下がっている。政治や社会問題を論じたりするようなメールマガジンの日本語を見て良く思うのは,50代を越える教養ある日本人の使う漢語の種類や量が半端じゃないなってこと。

若者のボキャブラリーの貧困が叫ばれるようになって久しいけど,英語外来語の影響も小さくないのじゃないだろうか。
日本語で「ライト」と言えば,lightのことで「電灯」。「軽い」という意味で「彼とはライトな関係」と言えなくもないけど,「ライト」という形容詞を使うのは商品名ぐらい。コピーライトというのも日本語ですね。こっちは,right。ここで問題が。日本語のラ行はlとrの中間なので,両者は区別できない。だから「権利」という意味の「ライト」というのは,日本語の中で単独では使いづらい。lightとの衝突が起こってしまうから。つまり,日本語の中に英語を輸入するのは,発音上の制約が非常に大きいのじゃないかと。日本語は子音が母音と独立して何個も続くようなことがない。音素の組み合わせルールが厳しくて,その結果として作り出せる音の数が少ない。同音異義語が多い。そのかわりに,漢字をたくさん使うことでこの問題を避けて来られたという。音から日本語を勉強する外国人を想像するとして,「chance」と「machine」がともに「きかい」という音で表現されると知ったら驚くだろうに。「どうやって区別するの?」って。apparatus(器械),weird(奇怪)も似た発音。
日本語の発音はここ数十年で変化するのかもしれない。というか,してる気がする。すでに「v」の音は「b」と分かれる兆候があるし,親の世代と比べると,あれこれで何かが違う気がする。twoはツー,syncronizeはシンクロナイズ,capはキャップ,bigはビックとか,うーん,うまく言えないけど。少なくとも頭の中では区別が始まってませんか?
そうそう。個人差が大きいとは言え,ここ数十年で日本人の英語の発音って劇的にうまくなってるのじゃないかという感想もあります。子供のころから洋楽を耳にし,洋画を字幕で見たりしているのが大きいのじゃないかと。

言葉の話を書きはじめると,どうも長くなってしまう。こういうのヤメたい。時間の無駄。

というより,今ぼくがやってる外国語学習そのものが時間の無駄じゃないかとも思えて来ています。絶望的に英語はむずかしい。「ごめんなさい。無理でした」と謝って帰国できるものなら,もう英語は諦めてしまいたい。
「とりあえず半年」という上司との約束だった休職期間を,日本に書類を送って半年延長。あと半年で何ができるだろうか。

2001/04/20(Fri)

電報

沖縄で結婚式を挙げる大学時代の友人に電報。

2001/04/22(Sun)

ジャパンタウン

ジャパンタウンで桜まつり。もともとさびれ気味のジャパンタウンだから,人混みといっても,たかが知れてるのでした。
テレビで映画,「Godzilla」を見る。予想外にドキドキ。ジャン・レノの英語が,結構なフランス語ナマリだったって,はじめて知った。

2001/04/28(Sat)

野球

地元,サンフランシスコ・ジャイアンツのゲームを見に行く。いい天気。

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