the other side of my days
ご意見,ご感想,ごいちゃもんなどございましたら
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>まで。


2001/03/01(Thu) バッフェ
2001/03/02(Fri) ジュリエットはそう言うけれど
2001/03/03(Sat) どんどんサヨナラ
2001/03/04(Sun) 雨
2001/03/05(Mon) 不法滞在って?
2001/03/06(Tue) 学校回り
2001/03/07(Wed) わからへんとこがわからへん
2001/03/08(Thu) 30年モノの,こんにゃく
2001/03/09(Fri) 010101
2001/03/10(Sat) 誕生日
2001/03/11(Sun) 字幕テレビ
2001/03/12(Mon) バイリンガリズムの幻想
2001/03/13(Tue) 滞米幻想
2001/03/14(Wed) 文法くそくらえ
2001/03/15(Thu) 日本人になれなかったアメリカ人
2001/03/16(Fri) 定期検診
2001/03/18(Sun) 前ホストマザー
2001/03/19(Mon) 新学校
2001/03/20(Tue) スタート
2001/03/21(Wed) 語学
2001/03/22(Thu) 誰の英語か
2001/03/23(Fri) 根性の立ち読み,貧乏の立ち読み
2001/03/24(Sat) 日本語本
2001/03/25(Sun) 桜
2001/03/26(Mon) 2週目
2001/03/27(Tue) 勉強不足
2001/03/29(Thu) バイリンガル・ティーチャー
2001/03/30(Fri) 敬語
2001/03/31(Sat) 肉


2001/03/01(Thu)

バッフェ

ランチはバイキングスタイルのインド料理。税込$6.50と安くてうまい。

2001/03/02(Fri)

ジュリエットはそう言うけれど

晩ご飯を食べた後の,まったりタイムに久しぶりに元クラスメートのジュリエットと話をしたら,3日前に本格的に始まったばかりのインターンの仕事が楽しくて,いい感じなのだとか。カリフォルニアの公的機関で消費者保護センターみたいなところで,消費者の苦情を聞いて企業にイチャモンを付けるのが仕事らしい。仲介役。アタマに来てる消費者の電話を受けて,その消費者に代わって行動を取るという仕事。アメリカ人は多少のフランスなまりに気づいたとしても,ゆっくり丁寧にしゃべろうなんて思わない人が多いので,かなり英語の流暢なジュリエットでも,ドキドキしながら電話を取る日々だとか。
「もう語学学校なんて行っても仕方ないんじゃない? ケンの英語は十分だと思うよ,後は実践あるのみじゃない? 興味あるなら,ボスに話してあげるよ。ボスはね,すごくいい人だしきっとイケるよ」。と,ジュリエットはそう言うけれど,やっぱりぼくはフランス語ネイティブに必要なことと,日本語ネイティブに必要なこととは,ちょっと違うと思う。彼女は実践にもまれて,この先もすくすくと英語力を伸ばすのだろうけど,同じことをやっても,ぼくはたいして語学力を伸ばせない気がする。

2001/03/03(Sat)

どんどんサヨナラ

特に断る理由もないので,結局またゲイのおじさんと食事。まあ国籍と文化背景が違う,歳の離れた友達だな,うん。

デンマーク人のジェイコブズのお別れパーティーだと思ってたけど,実は帰国するのはアルゼンチンから来てたディエゴだった。ホントに次々と帰国するなぁ。そっか,奴が来てからもう2カ月も経つのか。ぼくはもう4カ月。ずいぶん長くいるなぁ。奴のナマった日本語の挨拶が聞けなくなるのはちょっと寂しいな。

2001/03/04(Sun)

雨続き。かすかに降ったりやんだりを繰り返して,ずっと降り続く。日本の梅雨ほどタメ息はでない。

2001/03/05(Mon)

不法滞在って?

学校探しを本格化。3つほど訪ねた語学学校は,ビザの取り扱いに関して,てんでバラバラのことを言いやがった。いくら聞いても,みんながみんな「私が言ってることは確かだ」と自信を持って言うので,前の学校の担当者に,一体全体どれを信じていいんだと聞きに行く。学校終了後,次の学校が始まるまでに許される滞在期間は何日間か。ビザのステータスを有効に保つために必要とされる最低の申し込み期間は,2週間か4週間か,はたまた8週間なのか。コトは法律なんだから,学校ごとに違うなんておかしいじゃないか。ぼくの持っているI-20には確かに60日間と書いてあるし,それ以外によって立つべきルールってのは,誰が決めたもので,どこに書いてあるんだ?
結論。どうも,そうそうはっきりと細かいところまで決まってるわけではないらしい。というか法律はキッカリ決まってるけど,運用上のポリシーみたいなものもあって,それが混乱の原因らしい。しかも,地域ごと,学校ごとにもポリシーが違ったりもしてる。ただ,1つ確かなのは,ぼくはとにかく何か早めにアクションを起こしたほうがいいということ。すぐにでも学校に申し込んだほうがいい,というのが前の学校の担当者のアドバイス。

2001/03/06(Tue)

学校回り

午前中,とある語学学校を訪ねる。サンフランシスコあたりじゃ,もっとも安い部類の学校で,前日に聞いた話では,まだオープンして2カ月ほどしか経ってないという。クラスも2クラスしかなくて,合計でなんと生徒は13人! こぢんまりしたのも意外にいいかもと思ったけど,やっぱり安いなりのクラスだった。初級と中級クラスしかないし,見学した中級というのは,えらくマッタリしたクラス。いくら何でもこりゃダメだと思って,別の学校へ。
本命の語学学校は,住んでるところのすぐそば。見学許可証のフォームに,ぼくの名前を記入しながらも,担当者はどのレベルのクラスを見学させるかの見当をつけるために,どんどん質問してくる。「なるほど,ぼくを試してるのね」と思いつつ受け答え。
「もしかしたら文法のクラスは退屈かもしれないけど,上のクラスは別校舎だから」とかなんとかで,10個あるレベルのうち,Advanced High2という上から3つ目のレベルのクラスを見学。10分か15分も見れば十分かと思ったけど,なんのことはない,始まってみれば他の生徒と一緒の扱いで,ほとんど全面参加状態。久しぶりの語学学校は意外に楽しい。

クラスにいた中国人の女の子と仲良くなって,学校の後,ヤムチャへ。やっぱり中華料理は偉大だ。うまい。中国語だらけの街を歩きながら,知ってる漢音と麻雀用語の知識から想像を働かせて,あれこれ中国語っぽく発音してみたら結構「なんで読めるの?」と驚かれた。意味も結構わかるんだよって。

夜,日系アメリカ人のマイクから電話。ビリヤードに誘われる。渡米してから,やたらとビリヤードをする機会が多い。そして驚いたことに,ぼくは自分で思うよりずっとうまくプレーできてる。コンタクト効果じゃないかと思うけど,こっちに来てから負け知らず。まあ,高校時代,ホントによくビリヤードやったからなぁ。
ぼくは会話の4割ぐらいを英語で,残り6割を日本語で。彼が会話の7割ぐらいを英語で。日本語ネイティブを相手に話すようなやり方だと,マイクには通じない言葉もたくさんあるけど(「身につまされる」というのは,やっぱり彼には通じなかった。けどまあ,これってもしかしたらイマドキの日本の若者たちも知らなかったりするのかも),日本語と英語のミクスチャーで話すのって,案外気楽でいい感じ。つまりそうになったら,英語で言えないところだけ日本語で言える。
彼の発想とか,考え方とか,非常に興味深い。彼のアメリカ観,文化観。アジア関連の仕事の話も面白いし,とても刺激的。彼は日本とアメリカの真中に立ってる(いや,アメリカ寄りか)。見た目は日本人,中身はアメリカ人なんだけど,確かに両者にまたがってる。恋愛とか結婚とか。そういえば,そういう話をまじめにしたのは,久しぶり。「ケンはどう思うよ?」とストレートに意見を求めてくるところなんかは,やっぱりアメリカ的。

2001/03/07(Wed)

わからへんとこがわからへん

忘れもしない,小学5年生のときの算数の授業でのこと。何かの練習問題を生徒が個別に解いてるような時間だった。ぼくの友達の1人が担任の先生に気軽に聞いたもんだ。「で,A君はどう? 何がわからへんの?」「わからへんとこがわからんのです。わっはっは(笑)」。ひょうきんモノとして通ってたA君が,茶化し半分で言ったのは確かだけど,ぼくは彼が本当に文字どおりのことを言っただけだと今でも信じてる。彼は自分が何がわからないかすら,わからなかったのだ。それは別に珍しいことじゃない。
そのときの先生の反応は,A君にとっても,周囲のみんなにとっても予想外のものだった。
「笑いごとやないっ!! ふざけるなっ!」「ふざけてへんわっ,わからへんねん!」「せやから,何がわからへんねん!?」「わからへんとこがわからへんてゆーてるやないかっ!」。なぜか先生は急激に激昂し,それにつられてA君の表情もみるみる変わった。
そのとき,どうした拍子か,先生の持っていた,妙にシナリのいい棒のようなナニモノかが,A君のマブタの下あたりをかすめた。「な,なにすんねん! わからへんねんから,しゃーないやないけっ!!」。A君は顔を真っ赤にして怒りだした。無理もない。さすがにマズイと思ったのか,その先生は1,2秒,苦い表情をしたままモゴモゴとひとりごちた。そのあと10秒ぐらい似たようなやりとりを繰り返した気がするけど,下から先生を見あげるA君の目にみなぎった憎しみの,その激しさが,今でもぼくは忘れられない。A君は人前で泣くような子供じゃなかったけど,そのときは怒りと憎しみで,うっすらと涙さえ浮かべていた。隣に座っていたぼくは,鳥肌が立った。
A君はワッと教室から走り出して,その日は学校にも家にも帰らなかった。その瞬間が確かにA君の非行の始まりだった。それまでの彼は,大阪の小中学校にはかかせない「ひょうきんもの」だったし,常にナンバーワンかナンバーツーだった(暗黙ならがも,ひょうきんものの首位争いがあるのです,大阪の公立小学校のクラスでは)。根はすごくいい奴なのに,中学3年になるぐらいまでは,「グレる」という言葉がピッタリ来るほど,そのときを境に,彼は人が変わってしまった。そのことがなくても,いずれ反抗期は来たのかも知れないけど,なんか思い出すたびにやるせなくなる出来事なのです。「わからないことがわからない」ことが,どうしてわからないのか? 途方に暮れてる学習者を前にして怒鳴るなんて,先生としては下の下だと思う。
そのA君は,そんなに勉強ができないほうではなかった。その彼が,ふとサボり気分になったときに算数の何かの課題で「わからへんことがわからへんようになった」だけのこと。

子供のころ,ぼくは兄貴に向かって「わからへんとこがわからへんねん」と言って泣いたことがある。
確かぼくが7歳か8歳のころ,2歳年上の兄貴と一緒に英語を習ったことがある。オフクロが自分のために雇ったアメリカ人の家庭教師に「ついでに子供たちも」という感じで,週に1時間だか2時間だけレッスンを受けた。20年以上前当時の大阪の田舎町としては珍しいアメリカ人。20代前半のマークさんは,とてもニコヤカで,ほとんど何もわからないなりに,ぼくは楽しかった。それこそオーラルレッスン。カタカナでもアルファベットでもない「ないすたぉみぃーちおぅ」という挨拶を何度も練習した記憶がある。何度も握手しながらマークさんの手は大きいなぁと思った。
ところが数カ月でマークさんとバトンタッチした40歳ぐらいのレイモンドさんという人は,子供の苦手そうなちょっと暗いおじさんだった。レイモンドさんも,まったく日本語が話せなかったから,教材の絵と,モゴモゴ言ってるナニモノかから類推して練習問題に答えるというのが,ぼくら兄弟に課せられた勉強方法だった。最初は2人とも「さっぱりわかりまへんで」というシンミョウな顔で教材の絵を見つつ,モゴモゴに耳を傾ける。やがて,だんだんルールを類推する。たぶん,質問文は「What color is his hair?」とか「Is his hair black?」とか,そんなのだったと思う。すると,ある時点で兄貴は「はっはーん,ふんふん」とか言って勝手に納得しはじめる。そしてレイモンドさんの質問に対して,絵を見て正しく「Yes, it is.」とか「No, it isn't」とか答えられるようになる。ところがぼくはいつまで経っても「No, it is.」とか答えては,レイモンドさんを困らせた。レイモンドさんの表情から,明らかに自分が間違えたことを言ったのはわかっても,ぼくにはルールがまったくわからない。すっかりデキる気になってる兄貴は「なにがわからへんねん?」という余裕と,やや憐憫のいりまじった目でぼくを見たりする。レイモンドさんはレイモンドさんで,困った顔をして,ただただ練習を繰り返すだけ。偶然ぼくは正解を言うことがあっても,ぼくには一体何がどう違って正解なのかが,わからなかった。小さな子供にとって2歳の差は大きすぎた。当時のぼくには兄貴と同じだけのディテールに対する注意力や,帰納的な推論能力がなかった。
だんだんと,毎週,毎週のレッスンが苦痛になって,あるときぼくは,兄貴に向かって「わからへんとこがわからへんねん」と言いながら,涙を浮かべてた。悔しかったというより,情けなかった。わからへんとこがわからへん……。
とても不幸なことだと思う。ぼくは英語の否定文の作り方を,例文から推論できる能力がなかったけど,たとえばそれを日本語の説明で受けてたら,どうだったろうか。きっと理解できてたと思う。つまり学習上の方法論が間違ってた。いくらオツムの柔軟な子供とはいえ,週に2時間ごときで英語の文法は体得できっこない。

2001/03/08(Thu)

30年モノの,こんにゃく

今日,エレベータの中で目撃した驚異的な出来事。ブラジル人のファビアーノの彼女という子は,まだアメリカに来て3,4日目ぐらい。ファビアーノの紹介によると「彼女は英語を知らなくて,まだ何も話せないんだ」ということだった。確かにぼくが挨拶したときはヒトコトもしゃべれなかった。ところがエレベータで目撃した彼女の英語に対する理解力は,ある意味すごかった。アメリカ人のおじさんに「……You shouldn't have eaten so much.(あんまり食べないほうが良かったんじゃない?)」と言われて,一瞬顔に「?」を浮かべたかと思ったら,うなずき,ニッコリ笑って「お腹いっぱい」のジェスチャーをした。そして,続いてペラペラペラとアメリカ人がしゃべり,「……,where's the other Brazilian lady you were with last night?」と聞くと,今度はすんなりと理解して,「おねんね」のジェスチャー(カワイらしく)。ヒトコトもしゃべらないけど,ほぼ質問の内容は理解している! 「(I'm) full.」とか「(She's) sleeping.」も言えない人が,ナチュラルスピードの英語を理解している!

お昼ごろ,サンフランシスコ近辺で2番目においしいという評判の「刀屋」という店へマイクに連れて行ってもらう。いわゆる日本のラーメン。久しぶりに食べる,ま・と・もなラーメン。ややしょっぱいけど,かなり日本のレベルに近くてウマイ。せあぶらコッテリ。
コーヒーを飲んだあと,2人で散歩しながらボーイズトーク。やっぱり全然発想やモノの見方が違って新鮮。政治観察,人種観察。そしてアメリカ恋愛事情,家庭観。セックス,メイクラブ,結婚,浮気。
何がモラルがあって,何がモラルがないかという認識にもだいぶズレがある。マイクは見た目はカタそうな弁護士なのに,かなりの遊び人。なのに,結婚観はずいぶんカタくて,実直。そして計算高いというのではないけど,ものすごくプラクティカルに,まるでチェスの1手を考えるように,合理的に人生の方向を考えてる。そんな彼の人生は,36歳にしてほとんどチェックメイト。仕事が次の山を超えてうまく行けば,もう一生働かなかなくて生きてけるだけの金が入るという。「ぼくはね,hundred millionとかfifty millionとかいらないヨ,家も車も1個でいいし,ヘリコプターもいらない。I don't wanna have private jetsね,you know,here's my philosophy,there're only 2 things. the 1st thing is basic instinct,survivalね,which means to eat and make moneyだよ。i'm not saying money is all,you know。次は enjoy だよ。as i told you before,結婚するオクさんだったら,i'm never gonna cheatね,i could die for herってね。what i'm trying to say is um,今の全部が捨てるよ,でも,it's very hard to find そういう人ね,you know,promiscuousな女はダメだよ。浮気は許さないよ。ぼくは弁護士だからね,i can tell if someone's telling me a lie,目が左に動いたら reflectingね,何か思い出してる,to the rightだとね,creating a story ね。I feel it, sense it, you know。オクさんが浮気したら,カンボジアに連れて行ってヘリコプターからジャングルに落っことすよ。それかinvestigatorを雇って浮気の写真を撮るね,それで裁判で負かす。these are my two choicesだよ」。
マイクの親父さんは,マイクが9歳のときにぴったり酒をやめたのだとか。で,1976年にシッピングされたというコニャックが家に眠っていたので,ぼくにボトルをくれた。ほとんど30年モノ,ぼくと同じ歳ぐらい。マイクが「コニャック」と言うとき,それがあまりに「コンニャク」に聞こえておかしい。30年モノの,こんにゃく。

2001/03/09(Fri)

010101

SFMOMAへArt in Technological Times展というのを見に行く。デジタル世代の生み出したアートたち。テクノロジーが可能にした造形,イメージ,インタラクション。なかなかおもしろかったけど,結局,おみやげショップに置いてあった,Paul McArthyという狂人の作品写真集のほうがインパクトがあったな。

2001/03/10(Sat)

誕生日

フランスから来てるジュリアンの23歳の誕生日というので,パーティ。しかし,ホントにフランス人は踊るな。やけに楽しそうな顔して,女の子はクルクル回ってる。

2001/03/11(Sun)

字幕テレビ

アヤちゃんから,中古でテレビを譲ってもらう。アメリカのテレビ放送は結構な割合で視覚障害者のための字幕がついてるので,それ目当て。クローズド・キャプション表示機能つきのテレビがほしかったのでした。本人としては,最近またリスニングが良くなった気がしてて「今さら字幕なぁ」と思っていたけど,やっぱり超お役立ち。いかに自分がたくさん聞き逃してるかが良くわかったし,何で聞き逃してるのかもわかった。
一番おおきな理由は,知らない単語が多いこと。結構くだらない議論番組なんかでも知らない単語がポロポロと出て来るし,インフォマーシャルやポケモンですら,きっとネイティブには簡単だろうと思われる形容詞や名詞で知らないものがある。推定6000語程度のぼくの英語のボキャブラリを1万5000語〜2万語くらいには増やしたい。半年で1万語以上覚えるためには,1日で70個以上。1日で70の単語を覚えるのは大変そうだけど,1カ月で2000語だとしたら,なんとかなりそうな気もする。この1カ月ちょっとで,語彙増強を意識してボキャブラリ帳をパソコンで作ってみたら,1カ月の新単語仕入れ数は,700語程度だった。
リスニングしてて「あ,わからん」と思う理由のもう1つ大きなのは,意味は何となくわかっても馴染みの薄い単語が連続したり,知らない表現が出て来たりする場合。そこで理解速度がグンと落ちて,その前後の理解もつられて落ちる。もう1つ,常識的で凡庸なコンテクストの展開からはずれて,トリッキーなコトを表現されると,「どう解釈すればいいんだ?」と思って意味が取れなくなることも大きい。これは文法を体得するしかない。つまり,いずれにしても改善策は,多読しかない。

2001/03/12(Mon)

バイリンガリズムの幻想

ふと立ち寄った,ダウンタウンの日本ビデオ屋で,「U.S. Town Journal西部版」というフリーの日系情報誌というかコミュニティー誌をゲット。ジャパンタウンに行けば,「ベイスポ(Bay area sports news)」という日本のスポーツ新聞みたいなのがあったりもして,アメリカで作られてる日本人向けの情報誌というのは結構たくさんある。
ベイスポを見て「へぇ,西城英樹は17歳年下の人と婚約かぁ」とか,「久和ひとみ急死!」とか,その手の情報に驚いたり。
ぼくは一応商業誌の編集者なので,その手の情報誌を見ると,恐ろしくイレギュラーな誌面レイアウトや禁じ手が続発してて,「あぐぅ……」とか思ってしまう。写真のクオリティの低さはいいけど,写真の直下は1行あけて文字を流そうよとか,やっぱり写真にはキャプション付けようよとか,キャプションは級数を落そうよとか。巨大な空白があるなら行数調整しようよとか,せめて見出しオチはやめようよとか,いくら文字が収まらなかったからって,特定のページだけ120%も長体かけちゃいかんでしょ,とか。もっともギョッとしたのは,メールで寄せられた読者の意見が,改行コードそのままにページレイアウトに流したものだから,1行18字であるはずの段落が,18字,12字,18字,12字と行末がデコボコだったこと……。
いや,フリーの情報誌だし,読めさえすればレイアウトなんてどうでもいい。そうじゃなくて,本当に驚いたのは,掲載されてる日本語にヘンなものが多いこと。編集部員の手になる日本語にも,読者投稿の日本語にも,下手というより,やや間違いと言えるレベルの日本語がガンガン登場する。「人の家に行く」と言うべきところ「人に家に行く」と助詞を間違えてるのがあるかと思ったら(2箇所で同じ間違いをしてたので誤植やミスじゃない),「〜な人は赤面すべきです」などと聞き慣れない用法で「赤面」という言葉を使う人もいる。あるいは「〜ネガティブな要因に重きをなして述べられ」というの。「重きをなす」って尊重するってことだからネガティブな文脈で使う言葉じゃないでしょう。
なんとなく英語の発想や言い回しの影響じゃないかと思える日本語も多い。「今まで私がしてきたことの中で一番悪いことは〜」って,まあ別にふつうの日本語だけど,これって非常に良く使われる英語表現の直訳(そういえば,直訳的な翻訳文をとおして日本語は英語にえらく影響を受けてるという話があるな)。
実は日本語ネイティブであっても,日本語ライティングの下手な人,明らかに間違えた日本語を使う人が日本にたくさんいるのだという事実は職業柄知ってはいたけど,こっちの日系情報誌は,そんなのとは比べ物にならない(当り前か?)。かなりレベルの低いモノが多く混じってて,全体に文章が下手。意味不明に近い,不明瞭な文を書いてる人もいる。一体どういうことか。
ふと思った。たとえば高校卒業とかで日本を離れて10年や20年という人って,日本語も英語も両方ハンパなんじゃないかって。ふつう高校や大学,あるいは青年時代というのは,辞典や辞書を引いてボキャブラリや表現力を増やしたり,あれこれ読書もするものだと思うけど,そういう経験がないと,たとえ母語であっても子供みたいな文章しか書けなくなるか,大人びた言い回しを使おうと頑張った形跡だけが残る,ぎこちない文になってしまう。そしてもちろん,高校やそこらから覚え始めた外国語が母語のレベルを超えるわけがない。では,そういう人は,まともなオトナがやるようなレベルの議論,思考,ライティングを何語でやるのか。たとえば12歳で渡米して10年という子がいたとして,彼が現代思想の本を手にするとしたらどうだろう。日本語ではむずかしくて読めないかもしれないし,英語だともっとダメかもしれない。バイリンガルと言うと響きはいいけど,実際には彼らは二言語間で引き裂かれてしまってる被害者なのじゃないかと思ったりすることがある。アメリカのバイリンガル教育では「ふうつの子供より,しゃべり始めるのに時間はかかるが,文法や語彙を混乱することなく,正しく2か国語をマスターすることは可能だ」というのが常識と聞いたけど(確かに周囲はバイリンガルだらけ),「マスター」の意味って何だ?
自分がまったく知らない言語を使って,ある人が会話を始めたら,ふつうは「話せるんですね」という言い方をする。でも,言語運用能力は「話せる/話せない」という2段階なんかじゃないし,どのくらいその人が自然に流暢にしゃべってるかは,その言語のネイティブスピーカーか,その言語の熱心な学習者でないとわからない。このことがバイリンガルという人たちに対する一般の幻想を生んでる気がする。ぼくの日本語と英語は「1:0.2」ぐらいだけど,そんなぼくの英語でさえ,学校英語に嫌な想い出のある日本人が聞いたら「すごーい。ペラペラですね」と言うかもしれない。日系アメリカ人のマイクとぼくが日本語で会話するのを聞いたら,アメリカ人の多くは彼の日本語は100%完璧だと思うかもしれない。でも,彼は「1:0.4」くらい。
バイリンガルと呼ばれてる人たちの総合的な言語運用能力というのは,「バイ=」という接頭辞の影響もあって,2言語それぞれで「1:1」かそれに近いと思われてるのかもしれないけど,実際には「1:0.5」とか,良くて「1:0.8」が普通なんじゃないかと思う。もちろんその2言語というのが,何と何かにもよるのだろうけど,2言語とも同時に高等教育レベルに達するための勉強というのはあまりに負担が大きい。
ポテンシャル的には「1:0.2」ぐらいの人が「0.8:0.4」とかになっているバイリンガルもいるんじゃないかという気がする。もしそうだとしたら,それはすごく不幸なことじゃないかしら。具体的な数字の根拠はないけど,直観的に「0.8:0.2:0.1」という感じの帰国子女に会ったことがある。母語であるはずの日本語が微妙におかしい。日本語は勉強したそうだけど,もしそうじゃなかったら,本当に言語に引き裂かれた状態になってたんじゃないかとか。
留学生はもちろん,帰国子女,日本のアメリカンスクールに通ってるバイリンガルの子,米国生活の長い日本人,ダンナがアメリカ人の日本人女性,日系N世と,いろいろと日英バイリンガルを生きる人を見て来たけど,日英のバランスが取れた人,両方とも本当にネイティブのように運用できる人,「1:1」じゃないかと思える人は,まだ1人も見たことがない。まったく自然な日本語と,まったく完璧に聞こえる英語を話せるバイリンガルの知り合いもいるけど,漢字があまり読めなかったり,日本人がふつうに使うレベルでの故事成語を知らなかったり,むずかし目の言葉を知らなかったりと,読解,作文能力という意味ではかなり疑問の残る日本語力だったりするから「0.8:?」という感じ。
バイリンガルやトリリンガルと呼ばれる人たち会うたびに,「自伝を書くとしたら,何語で書く?」と聞くことにしてる。「うーん,そうだなぁ」と悩む人はすごく少なくて,「そりゃ当然,何語だね」と即答する人が多い。

2001/03/13(Tue)

滞米幻想

夕食の席で,スペインから来ている子が仕事を探してるというので,どんな仕事かと聞いたら,インターンではなく,ちゃんと給料のもらえる仕事を探してるのだという。アメリカに来る前はマーケティングの専門家として大学で教鞭を取っていたというから,専門性の高い職を探してるってことだろうけど,言語の壁は大きいのじゃないかという話に。
ブラジル人のファビアーノが,こんなことを言った。「今オレはインターンもやってるけど,そのほかに10個の仕事を抱えてるんだ。携帯電話の販売,レストランでのバイト,いろいろやってるよ。こういうことだよ,インターンをやってるマーケティング専門の会社はビザを出してくれないし,給料もくれる見込みはない。もうこの国はたくさんだよ,何年もこの国にいて,オレはもう26歳だ。なのに車の1台も買えない。サンフランシスコの高いアパートの家賃を払って,物価の高さにウンザリしてるわけだ。週末に旅行の1つでも行きたいけど,ほんとに金欠なんだよ。専門知識を使ってブラジルで働けば,もっといい生活ができるに決まってるんだ,ずっとそのほうが人生楽しいに決まってる。アメリカでいい暮らしをするために,あと何年かかるかって考えると,あまりに長い道のりでウンザリだよ,そんなの」。ぼくから見れば,英語の何に困るのだろうというレベルのファビアーノでさえ,「仕事によって,どのくらい英語ができる必要があるかは変わって来る」と言って,ホワイトカラー系の仕事をノンネイティブがこなすことの大変さを,暗にほのめかす。電話でニゴーシエートしたり,情報交換したり。プログラマ,エンジニア,建築家というような特殊で専門性の高い職業以外,仕事の能率や能力は言語運用能力に深くかかわっている。
「語学留学にしろインターンにしろ,滞米1年はきっと楽しいよ。2年もあっという間に過ぎるかもしれない,アメリカで暮らしたいと思うかもしれない。でも,3年,4年と経つと,アメリカで生きることの本当の大変さにみんな気づくんだ」。たくさんの在米外国人を見て来たマイクがそんなことを言ってた。

ジュブナイル小説というんだろうか,子供向けアドベンチャー小説,『HATCHET』(Gary Paulsen著)という本を読み終わる。パイロットと2人で飛び立った飛行機がカナダの湖に墜落して,森林で1人でサバイブした少年の話。火を起こしたり魚や鳥を取ったりして少しずつたくましくなる40日間。11〜13歳向けとあるけど,実は結構洗練されたというか使い古された感じの文語的表現が多い。常套句的な型にはまり過ぎた,いわゆる「くさい」感じではあるけど,逆にそうだからこそ,ぼくみたいな英語学習者には大変勉強になるわけで。

ワイシャツって,Tシャツとの連想から,Yシャツだとばかり思ってた。バンザイしたときの形がYシャツ。ワイシャツって,a white shirtがナマって日本語に入った言葉だって。ギョーテン。

2001/03/14(Wed)

文法くそくらえ

ぼくは子供のころ,どうということはない普通の公立中学に通っていて,その中では神童と言われるくらい勉強しなくても勉強ができる子だった。中でも英語はずば抜けてできた。高校1年生くらいまで,どんなテストでも95点以下の点数を取ったことがなかった。偏差値は70を超えるのが普通だった。そこそこの進学校に進んでも,高校1年のときはまだ英語は断然できた。高校1年のときの週に1度のリスニングテストは,いつもほぼ満点。視聴覚教室の壁に張り出された成績棒グラフは,ぼくの欄だけが,紙からはみ出すほどの勢いだった。語彙テストの結果統計グラフでも,ぼくの成績を示す点だけが,ポツンとグラフの端にあるというくらい,高校1年生としては英語が良くできた。
そんなぼくが高校生になって「英語? ふんっ」と思ったのは不幸だったのかもしれない。あらゆる勉強に関して「ふんっ,つまらん」と思っていたのだけど,特に英語は何1つ勉強しなくなった。授業さえよくサボるようになった。それでも高校,大学入試と,中学英語の勢い+αだけで,なんとなくやりすごしてしまった。高校3年のころは,客観的な数字では英語が得意科目と言える状態ではなくなっていたのだけど,自分ではそれを認める気になれず,自分は英語のセンスがあって,知識もあると思っていた。実際には「なぜ点数が悪いのか,なぜ英語がわからなくなってしまったのかが,わからない」というひどい状態だったのに。

読み始めてから1カ月ちょっとかかったけど,ようやく『徹底例解 ロイヤル英文法』(Obunsha),読了。読み始めには内容に不安を感じたけど,いざ読み終わってみれば,非常にすばらしい本。そして,ぼくにはやっぱり文法が必要だったということが良くわかった。もう1度繰り返し頭から復習をすると思う。高校で英語を勉強しなかったツケが,これほどたまっていたとは思わなかった。ぼくは英語の文法や語法の分類が,ごくごく基本的なところでわかってなかったのだと思い知った。謙遜とか嫌味ではなくて,驚くほどわかってなかった。何がどれくらいわかってなかったかということを書き切れないほど,わかってなかった。
わかってなかった分,非常に勉強になった。文法学者によって驚くほど文法体系が整備されていることに感動。誰も意識していないというのに,言語というものに驚くほど体系的な文法やルールがあること,ルールの干渉や歴史発展がきわめて合理的に起こっているという事実にも,知的興奮を覚える。そして,ネイティブが文法をどう「感じている」のかも,前より理解できるようになってきた気がする。
文法を理解するということ自体が,とても知的好奇心をくすぐる楽しいものであることだというのを思い出した(中学のときは英語の勉強は好きだった)。まともな文法知識もないままに,ただむやみに英語に接しようとしていた自分が間違っていたと思うようになった。「こんなことも知らずに,ぼくは良くしゃべってたな」と思う発見がたくさん。日本人は一般に文法や知識先行型だと思われてるけど,ぼくは実践先行型だったらしい。知識と実践のバランスを取りながら勉強するのがベストだけど,一気に知識を増やして悪いことは何もない。逆に知識以上の実践は無理なのだから,実践を一気に増やすことは本人がのぞんでもできっこない。
語学留学している学生たちや知人には「日々1人で文法書を読んでる」というと「何しにアメリカまで来てるの?」とケゲンな顔をされるけど,ぼくにしてみれば文法の勉強を日本でやって来なかったのだから,今やるしかない。渡米前に,それがきわめて重要なのだと気づかなかったのだから,今になって後悔しても仕方ない。確かに英文法の勉強なら日本でもできるけど,アメリカ滞在後にやったんじゃ意味がない。アメリカまで来て1人で勉強してるのは時間の無駄だというなら,文法知識も整理できてないままアメリカでだらだら過ごすのは,もっと時間の無駄。基本的な文法を知らなければ,語法や文例の本当の意味での理解度が低く,つまり記憶への定着も極端に悪くなる。子供のような記憶力がない分,オトナは論理的思考能力で分類,整理,理解して効率良く覚えるしかない。
文法の勉強は日本語で,そして自分でやるのが効率がいい。何日か前に「わからへんことがわからへん」状態の悲しさをこの日記に書いたけど,語学学校で下のほうのクラスにいる東洋系語学留学生たちに起こっている悲劇は,まさにこれ。リスニングもままならないような人が,英語で英語の文法を勉強しているというのは地獄です。文法もほとんど理解してない人がカンバセーションの練習だといって「何か言え」と言われるのも地獄。はっきり言って惨状です。そんなの不可能だし,学習方法としてあまりに効率が悪い。それほど効率が悪くても西洋系の生徒は英語力が伸びてしまうものだから,方法論が間違ってることに学校側も生徒側も気づかない。「なぜ地獄から抜け出せないのだろうか」と悩んでいるのが東洋系語学留学生の実態。救われる道は自習と反復練習以外にないし,母語の助け借りるのが近道に違いないのに。
ファビアーノには「オリエンタルの学生は文法ばっかりやってる」と,暗にオリエンタルの学生の英語の下手さが「座学中心」であることに原因があるかのように揶揄されたりしたけど,ぼくの観察では事実はむしろ逆というか,より悪い。オリエンタルの学生は「文法さえ理解できてない」のだ。「文法を気にしてるから話せないんだ,文法なんて気にするな」というのは似通った文法の言語を話す人たちが振りまく,外国語学習に対する巨大な誤解だ。本当の意味での外国語学習の経験のない語学学校の先生たちが,その誤解を拡大し,そしてさらにオリエンタルの学生たちがそれを真実だと思い込む。「文法より実践が大切」。まさか。
信じないかもしれませんが,文法書を1冊通読したおかげで,ぼくの感覚では,スピーキング力が,自分で実感できるほどレベルアップしました(同時に熱心にやってる音読も効いてるんだろうけど)。文法だけ勉強して話せるようになると思うのは間違いだけど,生半可な文法の理解ではスピーキング力はいつまで経ってもサバイバル英語+αどまり。「語学は慣れが大切」というのは,脳味噌が腐るほど文法をやって,それを理解した人が言えることであって(日本人にはそういう人もいるみたいだけど),文法や語法がそこそこしか分かってない留学生が利いた風に言うのなんて,ちゃんちゃらおかしい。ぼくが読み終わった『ロイヤル英文法』という本,結構周囲の語学留学生も持ってる人が多いけど,読んだという人は1人もいない。開いてすらいないという人もいる。「本で勉強なんてするより,ネイティブと接触するほうがよっぽど勉強になる」というのが,なぜか半ば常識と思われている。
「Grammar sucks!」と言えるのは,フランス語やスペイン語,ポルトガル語ネイティブとか,そういう人たちだけ。彼らはさらっと文法や基本単語を勉強しただけで,そこそこ通じる英語が話せるようになって,さらに実践で話してるうちにグングンうまくなる。

ケンタロウがぼくに向かって「オレらみたいに受験で英文法をやってきたもんに必要なんは,勉強より実践ちゃうの? やっぱりネイティブと触れてなんぼでしょ」と言ったことがあった。そのときに,ぼくはちゃんと気づくべきだった。同じレベルのクラスにいたこともあったけど,ぼくとケンタロウの文法知識には雲泥の差があるのだって。数年前に京大法学部に現役で合格した彼と,15年前を最後に英文法なんて見向きもしなかったぼくが同じなわけがない。ライティングの授業で「うん,美しい英語だね」と先生が笑みを浮かべるレベルのケンタロウに対して,ぼくはボロボロに文法を直されるレベルだった。

2001/03/15(Thu)

日本人になれなかったアメリカ人

仕事中のはずのジェニファーが,IntelとCiscoの株を今まさに買おうとしてるところだと電話口で言う。まったくアメリカ人は仕事そっちのけで何をやってんだかなぁと思いつつ,あたり触りのない株投資のリスクを口ったら,彼女は「今はホントに買いどきっ!」と強弁した。
今朝,ニュースのヘッドラインを見てびっくり。水曜日,アメリカの株式市場がとんでもないことになってたって知らなかった。そうだったのか。気が狂ったように水曜日に売られまくった株が,木曜日になって一気にいくらいくら戻しただのというニュースが目に飛び込んだ。まさにジェットコースター株式市場,ギャンブル経済。それを支えてるアメリカ人の実例を目撃した気分。
よくわからんけど,株式にしろ,為替にしろ,実体経済をはるかに上回る規模で金が動き,しかもそれが群衆心理に左右されてるんだから,みんなで爆弾を右から左,左から右に動かしてギャンブルしてるようなもんじゃないかと思うんだけど。どこでドカンとなるかは,誰もわからん。運良くもうけた奴が,またギャンブルを加熱させる。ドットコム・リセッションの教訓から,アメリカ人は正気に戻ろうとしてたんじゃなかったのか。

ギリシア人の誰それが帰国するというので,パーティー。珍しくレジデンスを離れてフィッシャーマンズワーフ近くのアイリッシュパブに集まる学生たち。かつて横浜に住んでいたというアメリカ人のおじさんと隣合わせたので話し込む。「いま日本のシャッカイカンケーダメ。ケイザイッカンケーダメ。若い人たちは子供生まない,まともな仕事もしない。ガマンもしない」。
あまりにも日本の現在と未来を心配しているので,「なんだって,そんなに日本を気にかけるんですか,まるで日本人みたい」と言ってしまった。ニコヤカに話していたおじさんの表情が少し変わった。「頼むぜオイっ! なんで気にするのかって!? 冗談じゃないぜ,いいかい,オレは日本でビジネスやってて一杯税金払ってんだ。それでもなんで気にするのかって聞くのか?」。ただ少し日本語を知ってるだけのアメリカ人だと思ったら,奥さんは日本人,横浜でレストランを経営し,日本に40年にもわたって暮らしたという。そして彼は,それでも「日本人にはなれなかった」と言った。
「日本人のワイフと結婚したとき,最初にワイフは日本の移民局にこう言われたね。いつになったらダンナとアメリカに戻るんだって。出て行けってことさ」。かつての日本ではダンナのほうが日本人でないかぎり,配偶者や子供は帰化するのがむずかしかった(今でも?)。そのことは,ぼくには台湾国籍のイトコの実例があるので知っていた。ぼくのおばさんは台湾ハーフのダンナと結婚したけど,ダンナも息子(つまりぼくのイトコ)たちも,ずっと長らく日本人になることができなかった。日本人を母親に持ち,日本で生まれ,日本で育ち,日本人と変わらない外見である彼らですら,長らく日本人にはなれなかった。子供だったこともあるのだろうけど,ぼくのイトコは良く「日本が嫌いだ」と言っていた。
「オレぁね,日本人国籍を取ることだって,その気になればできたさ。今はエイジュッケン,これ持ってる」。外国人登録証を取り出しながら,彼はそう言った。さっき本で覚えたばかりの「permanent residence」という単語を,こんなにすぐに口にすると思わなかったなぁと不思議な気分になりながら,小さな字で書かれた「永住権」という文字を,ぼくはキラキラ光るパブの照明に照らして眺めた。「40年暮らしたんだ。オトナになってからの人生のほとんどだ。でも,オレが自分のことを日本人ですなんて言ったって,日本人は誰だって何いってんだこの青い目の白人のオッサンは,ってなるだろ? だいいち選挙ができて,それが何だって話だよ」。彼はぼくにどんどんビールをすすめてくれた。
「日本が好きだよ。アメリカも好きさ,アメリカ人だからね。でも,こんなくそったれのサンフランシスコなんかより,横浜のほうが心地いいよ。だけど日本はね,日本人しか受け入れない国なんだよ。日本人にとって人間は2種類しかない。usとtheyだよ。theyは決してusになれないんだ」。日本人の持つ外人観,日本人観,移民観,そして外国人が日本で生きることのつらさ。話せば話すほど日本という国,日本人への彼の思い入れが伝わってくる。並の日本人よりはるかに国を憂れいてるし,日本の政治や移民受け入れに対する明確な提言を持っている。日本の移民政策に対する彼の強い主張は,日本経済に対する憂慮,つまり彼のビジネスに対する憂慮なんかじゃない。20歳そこそこで海軍兵士として来日し,20歳から60歳近くまで過ごした国,ニッポン。彼が祖国並みか,もしかしたらそれ以上に愛したその国は,たとえ表面上は愛想が良くても,本当の意味では彼を決して受け入れなかった。数年前に先立たれたという奥さんを思い出しでもするかのように,彼は何度も繰り返した。「日本には想い出がいっぱいなんだ,日本が好きなんだ」。「日本人はアメリカ人になれる。でもアメリカ人は決して日本人にはなれない。絶対になれないんだ」。

2001/03/16(Fri)

定期検診

ほとんど定期検診と化して来たTOEIC受験。できるはずもないのに「リスニングは満点の勢いで」と力みすぎたのがまずかったか,いきなりリスニングの1問目の4択でパニクる。どう考えても2個の選択が可能に思える。2問目の問題が聞こえてくるのを耳で聞きながら,1問目の選択肢を頭の中で反芻し,写真を凝視……。そして落ち着かない気持ちのままリスニングをやりすごす。途中,問題と違う写真を見てて焦ったり。やっぱりまだまだ修行が足りん。ところが,文法問題,語法問題なんかはグーンとパワーアップしてて,さくさく。
TOEICって,とっくに飽きてしまってるけど,数字に燃えるタチのぼくだからか,受け続けてもう通算6回目。満点を取るまでは受け続けるつもり。しかし,英語学習って全体像がぼんやりと見えてくるほどに,先の長さを思い知らされて,結構ガクゼンとするものがある。

2001/03/18(Sun)

前ホストマザー

新しく行く語学学校に「残高照明」を提出する必要があって,それがどうもBank of Americaの場合,月々届いてる口座情報の郵便物でOKらしい。ところがその月々の郵便物は前のホームステイ先に届いているはずだから,それを取りに行かなきゃいけない。実は去年末にお世話になりましたと挨拶したきり,ホームステイ先にはなしのつぶてという恩知らず状態をしてしまっていたので,電話しづらかったのだけど……。ようやく電話。「電話って苦手」と思っていたけど,意外に気楽に近況報告なぞ話してみたり。そして驚いたことに,おばさんの英語が嫌に下手に聞こえる。もともとナマりのきついヘンな英語を話すとは思ってたけど,今まで思ってたより発音も文法も結構ヒドイ。滞米40年でもネイティブレベルにはほど遠い。

2001/03/19(Mon)

新学校

新しい学校のクラス分け試験。さて,学校どんなもんか。

2001/03/20(Tue)

スタート

新しい語学学校。今回は文法も会話も10レベル中一番上のクラスでスタート。うーん,なんというか……。うーん,どうでしょう。どうかなぁ。これでいいのだろうか。

2001/03/21(Wed)

語学

朝一番でテキストを買いに学校の受け付けに行く。学費が安いだけあって,テキストは個別に購入しなきゃいけないらしい。「どのレベルの教科書?」と言いながらぼくを見るなり,受け付けの女性は,こう言った。「ああ,あなたのレベル別けテストの採点は私がしたのよ,あなた文法と語彙のパート,満点だったわよ」。「リスニングはどうでした? いくつか聞き逃した気がするんですけど」。「そうね,でも良くできてましたよ」。「日本人としては,でしょ(笑)」。
確かに,もう語学学校じゃないのかもしれないとは思う。でも,かといってなぁ……。うむー。
ここのところリスニングもスピーキングもいくぶん上達したかなという自覚はあるし,まだまだ伸びてる感触,伸ばせる予感はあるけど(何より伸ばさにゃという焦りも),どうも最短コースを歩いてるようには思えない。

2001/03/22(Thu)

誰の英語か

文法のクラスの先生は,20年近く英国で高等教育を受けたブリティッシュなまりのインテリ風女性。ぼくは「ブリティッシュなまり」と言い切りますが,彼女は気にしてないようで,あまりアメリカ人風にしゃべろうとは思ってないという。まだクラスが始まって3日目だけど,発音だけじゃなくて,言い回しがずいぶんアメリカ英語と違うのに驚いた。
なんというか,基本的に言い回しが丁寧で遠回し。wouldもcouldもmightも多い。Would you mind if I read yoursって,アメリカ人の先生なら,同じ丁寧な声で言うにしても,生徒に対してはCan I readか,you mind if I readくらいじゃないかしら。
これほど違うものかと驚くほど聞き慣れない表現があるし,ところどころにアメリカ英語と違う言い方をする。そして May I が多い! おお,これこそ中学生のときに習った英語,ロイヤル英文法の英語だ! とか,ちょっとうれしくなった。生徒に対して「May I have you read the next paragraph?」なんて言い方をする。前の学校の先生は全員アメリカ人だったから,こんな言い方をする人はまずいなくて,ほとんどの先生は,「Ken, why don't you read〜」か「Ken, you want to try〜」とか言ってた。せいぜい「You might want to〜」というくらい。
もう1つ気づいたのは,生徒の発言を聞き逃す率が高いこと。「えっ,もう1度言ってくれる?」という反応が多い。たんに耳が悪いのかもしれないけど,ひょっとすると,これは発音の違いによるのかもしれない。生徒はもちろん全員アメリカ英語の発音を真似るよう心がけている。つまり生徒の話す英語は,アメリカ英語を中心に,それぞれの国のなまりが混じった分布をしている。基本的にネイティブスピーカーというのは発音や文法間違いに対する許容範囲が広いわけだけど,アメリカ人の先生が拾えるギリギリのところにある下手な英語の発音が,イギリス系英語を話す先生が拾える範囲を超えるという可能性はありうるのじゃないか。つまりアメリカ英語との距離が0.4でアメリカ人が聞けばわかる英語でも,それはイギリス英語からは0.6の距離という可能性はある。ぼくは先生が聞き返すような場合でも,まったく問題なくほかの生徒たちの言ってることを理解できたので,とても不思議な感じがした。その先生にしてみれば,完璧なアメリカ英語はそれなりに聞きやすくても,ナマったアメリカ英語はナマったイギリス英語と違って聞き取りづらいんじゃないかしら。あるいは,そもそもイギリス人はアメリカ人ほどナマりに慣れてないんじゃないかしら。いや,アイリッシュ英語こそ世界で一番リスニングが難しいナマリだというから,それに鍛えられてれば多少のナマリには対応できてもいいんじゃないのか。
そういえば,こういう例もある。恐ろしく発音が下手で,ほとんど何を言ってるのかわからないデンマーク人の英語と,ぼくが何とか聞き取れる韓国人の下手な英語を比べると,アメリカ人にとっては前者のほうが圧倒的に聞きやすいという。ぼくの耳だと,その両者の英語のアメリカ英語との距離は「0.6:0.4」なんだけど,アメリカ人の耳には「0.4:0.6」に響いてるというわけ。ぼくは日本人のカタカナ英語は100%聞き取れるけど,アメリカ人にしてみれば,やっぱり拾いづらい音なんでしょう。

発音に関しては心配するほどマズイ部分はないだろうと自分では思ってたけど,「color」と「collar」が,ほとんど聞き分けられないことに気づいた。極端に言うと,「It is not」を「It is nut」のように発音してることがある自分に気づいた。両者がまったく別の音なんだと意識して,「not」のときは,口は縦に大きく……。そうだよな,もともとイギリス英語では日本語の「オ」に近いんだもんな。あれ,そういえば「オ」を「ア」に近付けるつもりのほうが近いのかも。そうだそうだ,今度からもう少し「オ」の音を混ぜよう。とすると,onの発音なんかも変えたほうがいいのかもなぁ。
唇の動きはまったく違うけど,目をつぶって聞いてると,ほとんど違いがわからない。言語ってうまくできてて,混同がおきそうな発音の単語が似たような意味のまま長時間留まることって少ないらしいので,こういうのは文脈で明らかになるんだけど,文脈に頼らずに単発の発音で聞き取れるくらい耳を鍛えると,きっとリスニング力も伸びるのでしょう。「音を正しく拾う」ためには,実は口の動きを研究するのが手っ取り早い気がしてます。自分で区別して発音できる音は,聞き分けることもできるはず。

2001/03/23(Fri)

根性の立ち読み,貧乏の立ち読み

午前中,ジャパンタウンへ髪を切りに。さっぱりと男前になりました。

なんか面白い本はないかと思って紀伊国屋に寄る。面白い本といっても,もちろん日本語で書かれた英語に関する本なのです。さすがに語学関係の書棚は充実してて,TOEIC対策や文法の本,翻訳関係,通訳関係,言語学関係と,下手な日本の書店よりは品揃えがいい。で,ぶらぶらと書棚を見てたら,『外国語の水曜日―学習法としての言語学入門』(黒田龍之介,現代書舘)という本が目に止まった。
外国語学習に関する考察やらエピソードやらが,なかなか軽妙な筆致のエッセイでつづられた,ロシア語研究者が書いた本。これが非常に面白いし,なるほどなるほどと思える話がたくさん。言語学入門としても非常に興味深い。人間の話す言語というものの不思議。日本語だ英語だなんてセコイ発想だけじゃ見えて来ない世界があるわけね。
ぱらぱら読んで,すぐに「買おう」と思ったけど……。なんと$35(元の価格は2400円)! 今はエラい円安で,$1が122円くらいだから4270円!! 高いッ! たとえ食費をケチることがあっても,心のたべものだけはケチるまいと思って来た「本」なのに,休職無給状態の今のぼくには4000円を超える本を買うには勇気がいる。
うーん,サラッと読み流す本としては高いなぁと思いながらさらにパラパラ読んだころには,推定800円分くらい立ち読みしてしまった。ますます買えない。そして読めば読むほど面白い。そうこうするうちに結局2時間ちょっとで全部立ち読みしてしまった。立ち読みで1冊まるまる本を読んだのって案外初めての経験かも。めちゃくちゃ腕が疲れた。腕の疲れに気づかないほど,今のぼくにとっては面白い本だったけど。

2001/03/24(Sat)

日本語本

コインランドリーで読書。『倫理21』(柄谷行人著,平凡社),読了。2日連続で日本語の本だ。というか,渡米してから読んだ日本語の本って,2冊目かも。まあ,1冊も読まずに1年過ごすつもりだったから,すでにもう制限オーバーなんだけど。それにしても,やっぱり日本語だとすらすら読めるなぁ。内容はそれほどすらすら頭に入って来るようなものではなかったけど。

2001/03/25(Sun)

「金門苑」と書かれた門は,Golden Gate Parkの直訳。桜が咲いてました。もちろんアメリカ人は日本人のようには桜をappreciateしません。

2001/03/26(Mon)

2週目

学校2週目。休暇中の先生に代わって,登場した先生。黒板に例文として「Yesterday I went to a hotel with three girls that I had the sex with.」って書く先生って,一体……。

東京はメリハリがあるなぁ。ぐんぐん暖かくなっていく様子が天気予報の数字を見ていてわかります。サンフランシスコは,相変わらず同じような天気が延々と続いています。暑くもなく寒くもなく。いまの東京と同じくらい。しかし,春という感じは決してない。冬があるから,春というのは春なのだね。

2001/03/27(Tue)

勉強不足

学校の後,TOEICの結果を受け取りに前の学校へ。またしても,ダメ。かなりガッカリ。リスニングが475点,リーディングが405点の880点。まだ900点も取れないわけです。リーディングがなぜこれほど点数が低いのかが分からない。かつて取った440点というのは偶然だったのかしらと,さすがのボクも「今回の点数は何かの間違いだ」とは思えなくなりつつあったりして(ということは,まだ何かの間違いだと思ってるということ)。だいぶ文法を勉強したし,今回は前回よりはるかにできた感触があったのになぁ。
約1年前に比べても5点しか上がっていない。救いはリスニングだけは少しずつ伸びてて,このまま行けばそのうち満点もいけるなという感触があることか。「オーラルコミュニケーションを必要とする実用英語」という意味では,TOEIC900点が入門レベルの一応の目安という話しなので,なんだか入門直前で足ぶみしている感じがしてて,かなり焦りが。このままではイカン。なんとかせねば。

2001/03/29(Thu)

バイリンガル・ティーチャー

ヤスコちゃんと2人でマイクに英会話のレッスンをつけてもらう。疑問に感じてることを日本語で聞けるし,「日本語でこう言いたいときはどういうの?」という聞き方ができるので,とても頼もしい。コーヒーをがぶがぶ飲みながら,長話し。

2001/03/30(Fri)

敬語

毎日見ている天気欄
久しぶりにサンフランシスコは70度(=21度)を超えた。とても暖かな金曜日。東京は何やら急に冷え込んだようで。日々見ている天気予報欄を見ると,サンフランシスコと東京の温度差が突如大きく開いていました。ここのところ,「サンフランシスコと東京は同じくらいの気温か」と思ってたのに,何が起こったのでしょう。一部,「雪」という言葉も聞こえましたが。生活や環境について,そこを離れてみてはじめて気づくことはやっぱりあるもので,気候もその1つ。東京が気温変化にメリハリのある変化に富んだ気候なのか,サンフランシスコがのっぺりと変化の少ない気候なのかわかりませんが。同じことか。ともかく三寒四温をにょじつに数字に感じました。ところで,久しぶりに画像を張ってみたら,サイズがヘンになりました。気にしないでください。

マイクとブランチ。日本語敬語のレッスン。マイクほど日本語がうまくても,敬語というのはまったく別物らしい。「いただく」「いたします」「申し(上げ)ます」をスペルを聞きながらローマ字で熱心に書き留めるマイクを見てると,いかに日常日本語と敬語が違うかが良くわかった。
「お聞きのとおり私は日本語が話せますが,残念ながら敬語はうまく話せません。本日の打合せは英語でさせて頂ければと思います」。「たぶん気づくと思いますけど,ぼくは日本語が話せます。でも敬語はむずかしいね。ぼく敬語はうまくないから,今日のmeetingはenglishで,すいません」。ぼくが商談相手の日本人だったら,後者の挨拶でも,好感を持つと思うけど,マイクは「ビシッと決めたい」のだとか。まあ,マイクの参考英語スピーチにある謙譲と威厳がうまくバランスした自信溢れるビジネスマンの雰囲気は,確かに日本語では敬語を使わないと,絶対に表現できないとは思うけど。

夕方,カルトレーンでサンノゼへ。Linuxカーネルサミットという,Linuxカーネル開発者の,それも精鋭だけが集まるミーティングで,プレスお断りが基本だったらしいけど,LJのKさんに付いて行って潜入。ミーティング後の食事会でもLinusはずっとほかの人と熱心に技術的な議論をしていたので,Linusとは口も聞けなかった。Alan Coxもいたし,Eric Raymondもいた。VA Linuxの広報のお姉さんと,いやに慣れ慣れしく話すEricは単なるスケベおやじにしか見えなかった。LSBのChief exectiveという人に,Linux標準化の話を聞いてみたり。ところが,ぼくはまったくコンピュータニュースというか,Linuxニュースを追ってなかったものだから,何だかものすごく基本的なことしか聞けない。LSB1.0がまだ出てないって知らなかった……。
それにしても,みなさん売り込み方が激しい。会合の開催に経済的に支援しているOracleの技術責任者は,スピーチで口を開くなり「もっとカーネル開発者のみなさんには,データベースを運用するさいに必要な機能を採り入れることも考えてほしい」とズバリと言うし,日本のメディアの人間だとわかるなり,Linuxボックスのルータを売ってるという会社の人間が,明日にでもインタビューをセッティングできると話しかけてきたり(あまりにマイナーなので,ぼくは遠慮したけど)。Oracleの技術担当者は「OSなんて何だっていいんだ,ユーザーはOracleが使えるかどうかがポイントなんだ。Linuxは,ほかのUnixに比べて欠けてる機能がまだまだ多い」と,Linuxカーネル開発者が集まる中で,大声で言ったりする。

2001/03/31(Sat)

LJのKさんと,サンフランシスコに住んで2年近いというYさんと,ちらっと市内観光。そして,自分では決して行かないようなステーキハウスへ。アメリカに来てから食べたステーキの中じゃ,一番うまかった。というか,あんまりステーキって食ってないんだけど。サラダも,ベークドポテトもうまい。$33のKing Henry Cutステーキは,食べきれなかった。400gぐらいあったんじゃないかしら。

仕事から離れるばかりじゃなく,仕事関連の情報からも離れてしまっていた気がする。約5カ月。いくら何でも,こりゃまずいだろうと思いつつ,リハビリをはじめようかと思いはじめる。いっそショック療法もいいかなと。

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NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>