2001/02/03(Sat)
次々と帰国
ブラジル人のガブリエロと韓国人のシンディーが帰国。朝からレジデンスの前に集まる見送り陣。送別会のため,みんな寝不足。眠そう。きっとメールするよ,ソウルに行くよと約束。割と本気の約束。でも,リオ・デジャネイロに行くよというのは空約束っぽく響く。地理的にそばに住んでるってことは,そういうこと。韓国はお隣で気軽に遊びに行けそうだけど,ブラジルは日本からもっとも遠いとこ。
ずっと撮りっぱなしでほうっておいたデジカメ写真,そろそろ整理するか。640×480ドットの35万画素モードで撮ってるから,64MBのスマートメディアだと600枚以上撮れる。いくらでも撮れてしまうので,それが逆に問題。
過去1カ月以上,ずーっと変化のなかった天気が変わり始めてる気がする。といっても快晴率はきっと90%以上なので,変化してるのは気温だけ。昼間の最高気温が17度を超える日がちらほら。サンフランシスコは,すでに暖かくなりはじめてるようです。
サッカーにアツい系の人たちに「ゴールデンゲートパークでサッカーやるべ」と誘われてるけど,今日は(も?)のんびり読書でも。
2001/02/05(Mon)
君もいっそ酔ってしまえばいい
かなり酔ってます。アメリカに来てから,なるべく1人で飲む機会を減らそうと,かなり飲まない日が増えていたのですが,最近はまた毎晩飲むようになりつつあります。カリフォルニアワイン,安くてうまいんだもん。ビールも激安だし(てゆーか,日本みたいにベラボウな税金を取らない)。
平井堅の「Even if」を聞いてます。なんというか,ツボに入ったなって感じです。キューンと。気に入りました。ただ,なんとなく懐かしい感じなんだよなぁ。3つの意味で。
1つは「歳とったなぁ」って。この曲のシチュエーションのようなことって,ぼくには懐かしい過去に思える。あまりバーボン飲まなくなったし,バーにも行かなくなった。何より,切なく狂おしい片想いという感覚が長らくない。トキメクことはあっても,切ない感じは少ない。
もう1つ,懐かしい感じがする理由は,歌詞に歌われてるシチュエーションが,文化的に閉じてる感じがすること。ひとことで言えば,「これって演歌だよね」って。ぼくは平井堅の歌詞やメロディーラインにグラグラ来るけど,それは実は彼の曲が「演歌」だからじゃなかろうかと思うわけです。「演歌ってどういう意味で使ってる?」と言われると困るけど。でも,たとえば,歌詞を英訳して今周囲にいる各国の留学生に聞かせたところで共感できるかというと,かなり疑問という気がするわけです。この歌詞の切ない感じって,たとえばブラジル人には絶対わからないと思うんです。たとえ韓国人でもわからないと思う。韓国って,かなり文化的に似てると思ったけど,自由恋愛に関しては,日本と20〜30年くらいの違いがあると思って間違いないです(いろいろ噂を聞く限り……)。ともかく「終電を超えて」のニュアンスが,日本人以外にわかると思えない。サンフランシスコで「ああ,演歌やねぇ」と思って平井堅を聞いてるわけです。
懐かしい感じがする理由のもう1つは,たぶんメロディーとアレンジの親近感。日本の曲だなぁって。このアレンジが,何ともいろんなことをぼくに思い出させるわけです。聞いてるだけで,なんか切ない感じ。あ,カラオケを思い出すからかも。このアレンジ,ぼくにとっては5年や10年の時間を彷彿とさせるに十分な感じなわけで。
USBモデムを使うために,Linuxカーネルを作り直したときに,面倒くさくてサウンドとPCカードをあきらめてしまっていて,それを急に思い立ってサウンド設定しなおしたわけです。前に設定したことあるにもかかわらず,テレビを見ながら試行錯誤で1時間以上かかった。このへんが,Linuxって面倒だなぁって。
サウンドの設定が終わったので,GnapsterでガスガスとMP3をダウンロードし始めてます。せっかく耳の空いてる時間に音楽を聞くなんてもったいない,ラジオでもテレビでも自作テープでも,とにかく英語を聞くべしと思っていたけど,やっぱりたまには音楽聞かないと。ノーミュージック,ノーライフ。
ちょうど3カ月が経過して,東京が懐かしく思えたのでした。いや,平井堅じゃなくて,Shaggyを聞いても東京を思い出すってことは,単にホームシックなのかもな。
2001/02/06(Tue)
クレイジーなアメリカのテレビ番組
午前から午後の,日本で言えばワイドショー時間帯にかけて,同じような番組がぶっ続けで放映されている。裁判モノ。本当の裁判ではなくて,疑似裁判。それぞれ名物裁判官みたいな人が出て来て,原告被告の言い分,証拠を集めて,理性的に結論をくだすというもの。これが面白い,というかつい見続けてしまう。ともかく,まあいろんな意味で勉強にはなる。見てる人はみんなそう思ってるんだろうけど,ホント,世の中には(アメリカには,って限定的な言い方したいけど)信じられないほど馬鹿で身勝手なヤツがたくさんいるなーと。
本物の裁判を起こすのは不経済だし,テレビにも出たいしというのが原告被告の出演の動機。いろんなアメリカ人がやって来る。ありふれたチワ喧嘩もあれば,ストーカーっぽい訴えもある。携帯電話を勝手に彼女に使われただとか,亭主が免許を取らせてくれないとか,くだらないのもある。家賃滞納や立ち退き問題という不動産関係もあるし,車の事故やら何やら,ともかくよくもまあこれだけモメますね,というほどネタはつきない。
モメてる当事者の多くは恋人同士か元恋人,あるいは夫婦か元夫婦。次に多いのが隣人や他人。そして家族同士,親子ってのもある。一番多いのは元恋人同士や元夫婦というパターンなんだけど,もう見てるだけで,なんか人間不信に陥りそう。信じられないほど相手を悪者にしようとやっきになる。見えすいた嘘も平気でつくし,絶対に態度を変えない。そして,どんなにくだらない主張でも,みんな,とにかくしゃべり続ける。裁判官が「黙って聞きなさいっ! あなたは少し黙りなさい,シャラーッップ」と叫んでも,まだ,不満そうにボソボソしゃべり続ける人の何と多いこと。順番に発言するというルールさえ守れない人だらけ。これは見てて,ホントにいらつく。そもそもいっぺんに,2人も3人もが興奮気味にしゃべったら,ぼくには聞き取れないし。アメリカ人って,ホントの意味ですぐにエキサイトするし,目をぎょろつかせてわめきちらす人が多い。「醜い人」が,たくさん画面に登場する。
どうして一度でも愛しあったような人を,そうも激しく罵れるのか,まったく理解ができない。一体,あなたの愛した人は,今目の前にいる人と何が違うのですかって。本当に,ひどい奴だと思うなら,まず,それを見抜けなかった自分を情けなく,恥ずかしく思わないのだろうか。「君子離れて悪声を出さず」なんて美徳はないらしい。あ,これは別にアメリカ人だからという文化的な問題じゃなくて,個人的な問題かしら。ぼくは,元彼や元彼女のことを悪く言うのってガキっぽいと思うし,そういうセリフを聞くのが苦手だけど……。落ち込んでるときだったら「そうそう,あんな奴!」って同調もするし,アクシデンタルな瞬間関係だったら,まあ何とでも言えばいいだろうけど。
今日一番気になったケース。いつまでたっても元彼と連絡を取り続ける彼女を許せないと,彼が告訴。さんざん罵りあった後に,彼が言った言葉に驚いた。「彼女を愛してるし,結婚したいと思ってる」という。で,裁判官の言ったことは「あなた達の直面してる問題は1つ。互いに互いを信頼してないことです。分かりますか?」。一体,基本的な信頼関係さえなしに,なんで結婚なんて言葉が出て来るの?
午前中,裁判番組よりももっとクレイジーな,これぞアメリカのテレビだっていうのがある。「DNA鑑定であなたが本当の父親かどうか判定します」というモノ。奥さんや彼女をテレビに引っ張りだして,赤ちゃんと自分(推定父)のDNA鑑定を依頼するって番組。「さあ,心の準備はできましたか。ここにDNA鑑定の結果があります。あける前に聞きますが,もしあなたが本当の父親だったら,彼女と結婚しますか?」。「いや,まあなんつーか」。「あっ,まだあけちゃだめ。結婚しますか,それともやっぱり結婚はしませんか?」。「……,結婚しますよ」。「ひゅーっ(観客)」。
で,じゃじゃーん,封を切る。ほとんどの場合はニヤッと笑って「オレが父親だって」という結果。「さあ,今度はあなた,ひざまづいて彼女に謝りなさいよ,疑って悪かったって!」。で,その場でエセ神父が登場して,簡易結婚式や簡易「再」結婚式が執り行われるという。
やー,ともあれ,テレビは楽しいです。「これもリスニングの訓練」という言い訳をしながら,やたらドラマやバラエティを見まくってます。日本でもNHKでやってるらしい「Ally McBeal」がお気に入り。
2001/02/07(Wed)
ロイヤル「英」文法
今日も朝から図書館。隣に座ったオヤジが妙に臭うので,別フロアへ。サンフランシスコ公立図書館は,写真に撮りたくなるほどモダンで綺麗な建物だけど,建物がある地域はホームレスがうじゃうじゃいるので,たまに臭い人がいるのでした。
フロアを移ると今度は隣のおやじ2人が,何やら話が盛り上がっててうるさい。で,聞くともなしに聞いてて,改めて思ったけど,アメリカ人というか英語を話す人って,喉の使い方が日本人と違う気がする。なんというか,喉をシボってる感じがする。単純に平均して音域が高いとか高低差があるということかもしれないけど。
さっくり読み終えるつもりだった文法書が,まだ700ページ中250ページほどしか進んでなかったり。この文法書,とある元予備校英語教師に勧められて買った本だし,一応権威もあるみたいなのだけど,なんかちょっと信用しきれない……。日本の文法書って,構文の説明をするのに,なんでやたらとコトワザや聖書の言葉を引っ張りだすかね。それより具体的に「使われてる」例文をたくさん寄こせって言いたい。新聞や映画,インタビューなんかから例文を引っ張ってくれるといいのに。せめて10年以内の文例。まあ,それは文法書以外で勉強せよってことか。なんだか「文法書を読み直す」こと自体,やや疑問に感じつつあったりして。いや,もっとサラッと読みながすべきなのかもって。
理由の1つは,この文法書,とても古くさい気が。ブリティッシュな感じの言い回しじゃないかと思える例文が多い。さすが『ロイヤル英文法』と名乗るだけある。ぼくでさえそう思うということはアメリカ人に見せたら,どうなるだろう(近々見せようかと)。日本の教科書以外で見聞きしたことがない気がする例文,表現だらけ。単語もそう。たとえば,晩ご飯の「supper」って中学生の教科書以来,ほとんど見聞きした記憶がなくて,この単語を見た瞬間にタイムトリップした気分になった(もしかして今でもイギリスでは使ってるのかしら?)。「at once」という表現も,やたらと例文に繰り返し登場してるし,そういえば中学生のときに真っ先に覚えた記憶があるけど,アメリカ人はそれほど使ってない気がする。むしろ「right away」とか。あるいは「I thought it my duty to support the chairman」ってセンテンス,ぼくには気持ち悪い。アメリカ人なら「I thought it was my duty〜」という人が多いはず。
まあ,くだけたアメリカ口語寄りのぼくに,イギリス英語,格調高い英語を思い出させてくれてバランスが取れるという意味では,こういう本もいいのかもしれないけど。世界全体で見れば,今でもやっぱり「英」語のほうが米語より影響力が強いというし。ヨーロッパではイギリス英語を教えるらしいです。しかし,もはやブリティッシュイングリッシュって,ぼくの耳にはナマリにしか聞こえないし,ブリティッシュアクセントで喋れと言われてもできないのです(いや,アメリカ人はたいていイギリス人の発音のマネがうまいんです。って,当然か)。香港に住んでたこともあるリサは「ブリティッシュアクセントでも話せるけど,だって,アメリカ英語のほうがクールでしょ」なんて言ってたな。
ともかく,その文法書。安心して「例文を覚えてやろう」と思えない,この不安。奥づけ(って本の最後のページです)にある著者陣紹介の顔写真を見て,ますます不安は募る。だって,4人とも1930年生まれとか,そんなの。
一方,すでに読み終わった『英文法−−日本人が繰り返す200の間違い』(清水健二著,ベレ出版)という本は,非常に良かったです。取り上げられてる個々のトピックは瑣末というか,オタクっぽいけど,それを通して英文法の発想の本質が浮かび上る感じ。
そういえばTOEICの点数が,また期待を下回っててがっかり。900点への道は遠かった。リスニングが460点,リーディングが415点の875点。またしても,リーディングがボロボロ。というか,はるかにリーディングが楽になってるし,文法も思いだしつつあると自分では思ってるのに,1年前に受けたときより点数がグンと下がってる理由って何だろう? 前がラッキーだったってだけか? 帰国前にはTOEIC950点くらいは行きたいなぁ。数字自体になんか意味があるわけじゃないですが,「TOEICは簡単だ」と見栄を切った手前,それなりの点数を……。いや,目標スコアはあくまでも満点です。
2001/02/08(Thu)
DVDが来たっ
ようやくポータブルDVDプレイヤーが来た。ほとんどあきらめかけてたほど,入手に苦労したけど,ついに。ソニーのDVP-FX1という機種。さっそくDVDを1枚買って来て見てみる。メルギブソン主演の『パトリオット』。感想。7インチの画面は思ったより小さく,前にメトレオンで見たのより,画質がイマイチ。そしてベッドの上であっち向いたりこっち向いたりして見てると意外に疲れることを発見。疲れたのは,単に2時間の映画を3時間以上かけて見たからからもしれないけど。
さらに,セリフはフルテキスト化されてるものだと思ったら,いわゆる字幕と同じで,しゃべった内容そのままではなくて,ところどころはしょられてる……。あちゃー。前に見たDVDソフトは,そんなことなかったのに,これはソフトによるってことか。早口で長いセリフが多い映画だと,はしょられる率も上がるのかも。『パトリオット』の場合,字幕の98%はセリフ通りって感じ。字幕と実際のセリフの違いは,たとえば「But I consider myself fortunate to be serving the cause of Liberty」というセリフが字幕では「But I am fortunate to be 〜」になり「What the hell are you gonna do with freedom?」が「What will you do with freedom?」になったりする。
感想は,もちろん悪いことばかりじゃない。巻き戻し,スキップ,スロー,一時停止などが,テープメディアに比べてかなり自在にできるし,基本的にセリフのうち聞き取れないような部分,特にキモの単語は全部テキストになってるので,ストップ&ゴー&辞書引きを繰り返して見れば,確かにこれは勉強になる。
2001/02/10(Sat)
自閉症気味のルームメイト
サンノゼのジェニファーのウチへ遊びに。サンノゼのTechミュージアム。あなどれません。すごく楽しかった。
「世界で一番家賃の高い地域だよ」と言いながら,すごく広い家に住んでてびっくり。家賃は25万円ほどで,ルームメイトが3分の2を,ジェニファーが3分の1を払ってるらしい。その彼女のルームメイトの名前は何と「ケン」。彼は,かつて同じ会社だった30代後半の白髪のおじさんで,去年の秋に職をなくしてから,ほとんど求職らしいこともせず,だらだらと過ごしてるらしい。見た目はふつうでも,非社交的で,ちょっと「ヘン」らしい。そういう「ヘン」なおじさんとルームメイトとして暮らせるアメリカ人って,やっぱり「ヘン」と,ぼくは思うのだけど。まあ,ルームメイトといっても,ハウスメイトと言ったほうがいいくらい,部屋はたくさんあるけど。
「ケン,今日は何かいいことあった?」「うん,まあこれといって,特別何も。この週末LAにでも行こうかと思っててさ」。ぼくにはこれといって,不自然さのない会話に思えたけど,ジェニファーは「彼,ほとんど話をしないし,なんかヘンなんだよ」とか。
「会社辞めたいのよね」「始めたばかりって言ったんじゃ……」「そうだけど,ボスが最悪でね,なんも仕事しないで,あれもこれも人にやらせておきながら,それを自分の成果に見せようとするんだよ。わかる?」「そんなもんだよ」「日本でも同じ?」「たぶん世界中どこへ行っても,同じようなボスはいるよ」「でも,仕事を変えたら,もっと違ったボスに会えるかもしれないわけじゃない?」「うーん,無視すればいいじゃない。ホントに無視するんじゃなくてさ,あーっ,何が言いたいかわかる? そのー,うまく振る舞うことだってできるはずだと思うんだけど」「でもね,くだらないんだよ,会社全部が。何かっていうと派閥みたいなの作ってさ,話すことといえばゴシップ。誰がどうしたとか,あいつは裏切ったとか,あなたはどっちのグループにつくんだとか。そうでなきゃ話題はテレビのこととか,スポーツとか。仕事と何の関係があるの?」「ゲームみたいなもんじゃないの? コミュニケーションってさ」「ゲームかもしれないけど,真剣よ。だって,どっちの派閥につくかで仕事上の立場が変わるんだもん」「さばくしかないよ。それも仕事のうち。誰だってやってることだよ」「でも,グループ作るのってなんか高校生みたい」「ぼくのボスが良く言ってたけど,会社って幼稚園みたいなもんなんだって。どっかで誰かがケンカしてるよとか,泣いてるよとか,新しい遊びをはじめたらしいよとか。大きな声を出した人が予算を取れる世界」「幼稚園!」「そうだよ。いいじゃない,別に気にしなければ人のことなんて」「気にしなければっていうけどね,そうはいかないのよ,仕事の内容で評価してくれるならいいけどさ。たとえば,こう。あたしは昨日は朝6時から働いてたのよ。3時に仕事を終えたってあたしの自由でしょ? 契約ではそうなのよ。それをいちいちボスに報告して許可もらえっていうの,ヘンじゃない? 子供じゃないんだから。あたし結局昨日は30分残業したんだけど,なんもしなかったんだよ,まったくなーんにも。考えられる?」「ボスも何もしてなかったんでしょ」「まったく(笑)」「それで彼の給料はいいと?」「そうっ! しかも彼,最近結婚して家を買ったんだよ」「じゃあ,彼にもどこかいいとこがあるはずだよ,結婚できたんなら(笑)」「仕事以外なら,彼はいい人だと思うよ,たぶん」
仕事のグチって,日本もアメリカも似たようなもんなのかねぇ。ところで,あれこれ滑らかに話してるような書き方をしましたが,実際のぼくの英語は,一部の例外をのぞいて,ぎこちなくてドモリがちです。ジェニファーと話していると,ほとんど自分が言語障害者になった気分。かなり早口でも,相手の言ってることは,だいたいわかるようになって来たのに,言いたいことの3分の1も言えない。つまりウェルニケの感覚性言語野は生きてて,ブローカーの運動性言語野が死んでる状態。第2言語でも,これらの言語野って関係するんだろか。
2001/02/11(Sun)
友達になれるかね
かなりネガティブな調子のメールを書き送って1時間もしないうちに,彼から電話。会社のメールアドレスに送ったので,明日にならないとメールは読まないという。あー,なんか断りづらいなぁと思いつつ,結局,会ってメシでも食おうという話に。まあ,襲われるわけでもなし,このさい疑問に思ってることを全部聞いてみるかという開きなおり。ゲイとストレートは友達になれるか。
まあ,たぶん大丈夫。ぼくには女の子の友達は結構いるし,そういう場合でも,ぼくは別に特別な目で見たりはしないし,逆にそういう子たちが,ぼくのことを特別な目で見たりはしてないはず。それと同じように,彼がぼくを友達とみなすことは不可能じゃないはず。
楽観的に考えると,こんな感じ。アメリカ人は外国語がほとんどできないし,ある意味その必要がないわけだけど,他の国の文化には興味のある人は結構いて,外国人と話すのはやぶさかじゃないらしい。で,不思議の国,ニッポンに好奇心を抱くアメリカ人は,日本人が想像するより多い。
レジデンスに戻るとユウカちゃんがフロントをぶらぶらしてた。ぼろぼろのバスケットシューズから足の指が,ほとんど全部のぞいてる。「指,見えてるよ」と分かり切ったことを言いながら,頭の中で「指」に複数形のsを付けようとしていた自分に気づく。一方で,足の指はfingerじゃなくて,toeだったなと気づいたのは,ずっと後。
2001/02/15(Thu)
週末は連休
前にLAに遊びに行ったフランス人数名+スペイン人の女の子が,週末の連休(なんです)を使ってモントレーに遊びに行こうと誘ってくれたけど,なんだかちょっと気乗りしない。
上の上の6階に住んでるクニにDVDをいくつか借りる。で,今日は『The cell』という奇妙な映画。字幕があると「読んでしまう」ので勉強にならんという意見の人もいるけど,ぼくは字幕は勉強になると思う。2時間程度の映画を,やっぱり3時間くらいかけて見る。一時停止して辞書を引いたり,戻してみたり。
読み始めてから,ゆうに1カ月以上経ってる気がするけど,ようやくマイケル・クライトンの『A Case of Need』という本を読み終わる。なーんか内容はイマイチ。しかし,会話の例という意味ではいい勉強になった気がする。「繰り返し登場する単語なら,大切な単語なんだから覚えよう」なんていうセコイ発想はやめて,目や耳にする知らない単語は全部覚えてやろとかいう野望を燃やしはじめる。野望の火が消えなければいいですが。
ノーベル物理学者のファインマンの例の本,『ご冗談でしょう,ファインマンさん』をペーパーバックで読み始める(そう,まだ読んだことがなかったんです)。原題は『Surely, You're Joking Mr. Feynman!』と,ほとんどタイトルが直訳。
その本の冒頭には,子供のころのファインマンが,いろんな実験をしている様子が回顧調で描かれてる。で,あるとき火花が飛んだことから新聞が燃えて煙につつまれてボヤになりかけるというコトがあったらしい。そのシーンを読んでるまさにとき,いきなりレジデンスの火災報知機がワンワンとなり始めた。びっくり。誕生日のケーキにさしたキャンドルの煙がいけなかったらしい。
2001/02/16(Fri)
あれ,不法滞在? 強制国外退去!?
やばい。学校を決めないと。というか,不法滞在してる可能性高し! 30日間だと思ってたトランスファー期間は,良く見ると15日間と書いてある。前の学校を終えてから,すでに19日……。ちゃんとI-20の写しを読まなかったぼくが悪いけど,何で60日間だの30日間だのというのが当り前のようにぼくの周囲で語られてるのだろう。強制国外退去!? まさか……。まあ,ぼくは国境を乗り越えて忍び込んで来たメキシカンじゃないんだから,なんとかなるだろう。たぶん。しかし,マヌケな。
と,思ってその書類の言ってることを良く確かめもせずに前の学校に行ったら,学校終了後に滞在できる期間は,やっぱり最長で60日間だった。60日間を超えても書類手続きのために,さらに15日間の滞在が許されると書いてあるだけだった。焦って損した。コース延長後の正当なI-20の書類をもらってなかったので,その場で発効してもらって受け取る。
ジェニファーから「聞いてっ! 昇進したんだ。あたしコミュニケーション・エンジニアだって。エンジニア,笑っちゃうよね」と電話。以前,前の仕事から今の仕事に転職したときに「給料が2000ドル増えた」と言うから,「えっ,月に?」とお馬鹿なことを聞いたことがあったけど,アメリカでは年俸制。今度の昇進では5000ドルアップだって。日本の会社みたいに揺れ幅の大きいボーナス制度もないし,なんか分かりやすい。「あなたの給料は5000ドルアップした!」,って人生ゲームみたい。
ふと考えた。なんだかんだで年収を聞かれることがあるけど,ぼくって一体年収いくらだろうかって考えても,すぐに答えが出て来ないのです。概算はわかるけど,何と答えていいのか,よくわからん。日本のみなさんどうですか。ふつー分かるか。
【えーと,あらかじめ。以下,なんかものすごく支離滅裂というか話題がテンテンとします。なぜだかわからないけど,言葉がとまらなくてあれこれと書いてしまいました。めんどうなので,そのままアップロード。えい。】
そもそもぼくの給料って「基本給」とか「職能給」みたいな「なんとか給」って良くわかんない区別があるけど,なんであんなに分かりづらいんだろう。新人研修の記憶と,4カ月前までは月々もらっていたはずの給与明細の記憶をほじくり返すに,「本人給」とか言うのもあったな,概念として。あれってナンだっけな。本人給って言葉があるってことは,給料って本人に払われるものじゃない可能性もあるってことだったかしら。想像するに,「本人給」に対応する概念としては,本人が所属する部署に対する「部署給」,会社全体に対する「会社給」,なんだかわかんないけど他の人へ支払われる「他人給」,とか。えーっ,やだなぁ。
うーん,本人を働かせたことでその上司にナニガシか支払われる「上司給」ってのもありうるか。あるいは「家族給」「保護者給」なんてのも。いや,ありえん……,ってチャカしてるんですけどね。あ,家族給じゃないけど,「手当て」という言葉なら,そういうのもいろいろあるな。複雑だ。
日本の会社の給与体系ってシステマチックで,きめ細やか。「お金」に対する名称が高度に発達している気がする。ダイレクトに「給料は年にいくら。以上」というやり方をするより,被雇用者間の圧轢が起こりづらいし,被雇用者間のあれこれの差を給与に反映するときに,明確な説明を与えてくれる。でも,ともすると複雑,不透明なわけで。
アメリカの会社はシンプル。残業をはじめ「なんとか手当て」なんて言葉はない(たぶん。そうだ,今度ちゃんと聞いてみよう)。悪く言えば,どんぶり勘定。いや,日本の給与だって,もっともらしい算定法があるように見えてドンブリだなって思うことはある。だって,もっとも年収を左右するボーナスがドンブリだから。ボーナスは「基本給の何カ月分」なんて言い方するけど「特別ボーナス」が加算されたりした日には,何がなんだかわからん。シャラくさいこと言わんと金額だけ示せ,事業成績,個人の評価基準や内容を示せって感じることは多かった。
前の語学学校では選択科目として一応「ビジネスコース」というのがあって,あれこれ考えさせられることもあったのでした。各国の文化や国民性に根ざした商習慣の違いを勉強したり。ぼくは日本の新人研修で教わった各種角度のオジギの仕方,名刺の受渡しのマナー,エレベータやタクシーに乗り込むとき,立場によって変わる場所の違いなんかを,学校のクラスのみんなにオドケて説明したりして。「オジギの仕方を教わるのだ」というと,どこの国の生徒も驚くわけです。「教わるわけじゃないけど,電話をとるときは相手が見えなくてもオジギするんだ」というと非常にウケるわけです。そして誰かを訪ねるときには,待ち合わせ5分前に登場することは,10分遅れるのと同じくらいマナー違反とされてるという話なんかをすると,妙に納得されるわけです。そうそうアメリカ人は日本人を「時計みたいな国民」と思ってるところがあるという話を聞いた。たとえばパーティーなんかがあると,日本人は,ほとんど1,2分の誤差で現われて,アメリカ人を困惑させる。パーティーのための飾り付けやら,たべものの準備の時間のために,ゲストは30分くらい遅れて登場するのが正しいアメリカ流の気くばりらしい。実際,学校主催のパーティーが8時からというので,3分遅れで学校に行ったら,校長のクリスタが今まさに飾りつけを始めたところで,会場には日本人が数人いるだけ,始まる気配もなかった。で,そのときに「30分遅れの原則」を教えてもらったんだけど。まあ,そうはいってもアメリカ人でもビジネスの現場では,やっぱり約束の時間を守るのが基本とか。ちなみにドイツ人は納期やスケジュールをやたらと守り,フランス人はやらたと破るらしい。イメージ通りですな。
日本人のオジギの話。AT&TのCMでこんなのがある。「マースメディア」(マスメディアじゃない点に注意)と機体にカタカナで書かれたヘリコプターから,真っ黒なスーツに身を包み,真っ黒なサングラスをした日本のビジネスマンと思しき3人組が降りて来る。日本人の目から見れば,ややアジア人ぽいだけの背の高いアメリカ人で,とても日本人には見えないけど,アメリカ人の目に彼らが日本人として見えるらしいことは理解できる(そういえば,MSNのCMにも日本人に見えない日本人が出て来るなぁ)。まあ,それで,そのCM。ヘリコプターから降りるなり,3人は横一列に並んで深々とオジギをする。へっぴり腰で,日本の営業のサラリーマンがやるように,急激に頭を垂れて。最初にそのシーンを見たとき,一瞬いやーな気もしたけど,基本的には笑える。あれは礼儀作法を崩さない日本人に対する,半分はチャカし,半分は敬意の気持ちじゃないかと思う。ちょっと馬鹿にしてるのかと思ったけど(いや多かれ少なかれどこの国民も他国民をコケにするジョークは言うものでしょう),異文化を異文化のまま受け入れようとするアメリカ人的なCM。
日本人はとにかく会釈とかオジギをする,礼儀正しい国民だと思われてるらしい。ある意味では正しい認識。武士道とかサムライと関係して解釈されてる気がする。ある意味では正しい。背筋を伸ばし,軽く握った拳を膝において「かたじけないっ」と軽く目を伏せるやり方,ぼく,無意識のうちにアメリカでもやってることがあるもん。英語を話すときは,アメリカ人がやるのと同じ表情の変え方,手ぶり身ぶりの仕方をすべきと思ってたし,実際なるべくそうしているけど,必ずしもそうじゃないのじゃないかって気が最近は少ししてきた。極端な話,ニッコリ笑って「Thanx」というより,「Thank you so much」と言って会釈したっていいじゃないか,日本人なんだから。いや,要するに通じるかどうかの問題。これだけ国際化した今,日本人のオジギの意味は結構広く知られてるし(だからこそ日本式オジギをパロディー化したCMがあるわけで),さらに広く知らしめる方向に動いて何が悪いのか,というね。むしろ積極的にオジギの意味をアメリカ人に説明することが,正しい日本人のあり方じゃないか。互いに自分のやり方を押しつけたり,むやみやたらと相手に同調したりするばかりが相互理解の道じゃない。わっ,なんか話がエライおおげさやんか。
そうそう,あれ,仕事のやり方の話。仕事をするにあたって,時間をかけて比較的強い人間関係を築いて,グループ内の意見,協調性を尊重する日本の会社人。それに対して,最初からフレンドリーにファーストネームで呼びあうわりに,アフターファイブや休日のつき合いもなく,仕事は仕事,プライベートはプライベートと割り切って,職場仲間とは浅いつき合いしかしないというアメリカの会社人。たとえプロジェクトに参加していても,自分の仕事は自分の仕事と割り切って,誰かの仕事が遅れていても,定時退社するのがアメリカの会社人。アメリカ人は良く「ぼくはアメリカ人が嫌いだよ」という言い方をするけど,理由の1つとして「アメリカ人はフレンドリーだけど,誰も本当の友達を持ってない」という答え方をする人が結構いる。
いや,どっちがいいとか悪いとかじゃなくて,どっちもいいとこ悪いところあるんでしょう。仕事の進め方や商習慣の違いを,最近は日米双方とも相手のいいところを採り入れる傾向にあるらしい。
なんか何の話しを書いてるのかわからなくなってしまった。いや,そうそう。それにしても。いざ休職生活で無収入状態という引き算生活を続けてみて,その不安,不自由さが,これほど大きいとは思わなかった。経済観念の変化に自分でも驚く。今や$10のランチはあまり食えずに$5のランチを食べてたり。
2001/02/21(Wed)
とりとめもなく
アメリカ料理ってナニ? という疑問は,アメリカ人って何民族? という疑問と同じくらい,考えても意味がない。「アメリカ人」と聞くと,いまだにぼくはコーカソイド,アングロサクソン,ゲルマン(ってこの3つを並べていいのか?)なんかのいわゆる西欧人を真っ先に思い浮かべるけど,アメリカ人というのはアメリカ合州国が市民だと認めた人のことで,認めてもらうのは,たいしてむずかしくない。そういえば,アルゼンチンから来た子は「俺はアメリカで生まれたんだ。北米人だけが何でアメリカ人なんだ,南米を忘れんで欲しいな」と言ってたな。
ぼくは西海岸にいるから特にそう思うんだろうけど,人口に占めるアフリカ系,アジア系,南米系の比率ってどのくらいなんだろうかと思うと,一体アメリカ人って何だ? と考えてしまうわけで。ホントに民族,文化のサラダボウルです。ぼくの周囲のマジョリティーはマイノリティーの集合なんだもん。いわゆる日本人が思い浮かべるアメリカ人の中にマイノリティーがいっぱいいるという状態ではなくて,もはやかつてアメリカ人と言われたグループも,1つのマイノリティーと言えるぐらいの勢い。
今や移民の子らは,もちろん日系も含めて,完璧なアメリカ英語を話し,最近は自分たちのおじいちゃんや親が話した言葉は話さない子も多い。アメリカに来るまでは,ぼくは「日系アメリカ人」というと「なんのかんの言って,日本人」と思ってたけど,それはまったくの誤解だった。まったく日本語を話せなくて,日本の文化に関しても,平均的アメリカ人より少し多めに知ってるという程度の日系アメリカ人がたくさんいるけど,これってイタリア系やフランス系,ロシア系アメリカ人と同じやんか。もちろん世代数に違いはあるけど,本質的には同じ。移民,移民っていうけど,そういえばアメリカってもともと移民が作った国,イギリス系アメリカ人だって移民やんか。ある本に「自分の祖先のhomelandを訪ねてみたいと思ったことはありますか?」と書かれてあったけど,これぞアメリカ人が考えたアメリカ人のための質問。
ジャパンタウンで出会った日系3世のおじさんは,見た目は完璧な日本人なのに,中身は完璧なアメリカ人で,観光で行った新宿で,人混みにまみれながら「ここが自分の祖国なのか」と感慨深く思った,なんて言ってたな。「日本語の勉強をしたことはあるけど,むずかし過ぎて,ほとんど何も言えないんだよ。トーキョーに行ったときは,日本人と間違えられてね」と笑ってた。
ぼくは日本で育ったからというより,どっちかいうと日本人から生まれたから,とか,日本人ぽい外見だから日本人であることは自明なんだと無意識に思って気がする。でも,そういう自分の,カッコとしたものであるはずの国籍アイデンティティがグラグラ揺さぶられた気がしたのでした。いや,ぼく自身のアイデンティティというより,国籍という概念一般が,ものすごくフレキシブルなもんなんだなぁと思えたというんでしょうか。日本って,民族的にも,言語的にも非常にホモジーニアスで,過去から未来にかけても変化が少ないという見方が常識的って気がするけど,それが揺さぶられた。文化や歴史もみんな共有してて,そういう人が,そういう人だけが日本国籍,つまり日本人だという観念が非常に強い。実際日本国籍を取るのがむずかしいのは,そういう認識が強すぎることもあるとも聞く。でも,そういう「日本人」という安定感ってホントはあまり根拠がない。根拠がないからこそ,それを外側から突っつかれて揺れた感じがしたのです。日本は地理的な孤立状況とか,言語や文化のユニークさが壁になると思っていたけど,実はそうでもないのかもしれない。日本だって,遅かれ早かれグローバリゼーションの波からは逃れられない。スーパーに行けば,各国の製品や食品が並んでるし,映画はアメリカを中心に世界中からやってくるという意味では日本ももちろんグローバル化の渦中にあるわけだけど,なんとなくホントの意味でのグローバリゼーションの津波は日本にやってきてないのかなぁと。日本はむしろ世界を襲っているグローバリゼーションの波を,まだほとんどかぶらずに奇跡的に孤立した存在でいられている。それは1つには言語の壁があるからだけど,もっと別の要素もあって,それはたぶん日本が非常に大きな国で(面積も人口も経済規模も),歴史的にも文化的にも深みのある自立した国だからじゃないかと。そして日本は先進国だけれど,ほかの多くの先進国と違って西洋社会じゃないから,やっぱり西洋に同化することはない(って,西洋化はグローバリゼーションの同義語なのか?)。
シドニーのスターバックスでバイトしてるマレーシア人の子が「オーストラリア人はアメリカ文化が嫌いだから,スターバックスは受けが悪い」と言っていた。「アメリカ文化も何も別にスターバックスはスターバックスじゃん。東京では人気あるよ」と言ったら,「それは日本だからだよ。オーストラリアの人たちは,アメリカを恐れてるんだよ,アメリカ企業が入って来るままにさせておくと,そのうちオーストラリアがアメリカに乗っ取られると感じてるんだよ」と言っていた。
学校のクラスで,こんな主張をしたことがある。「英語が世界の標準語であることについて,良い面,悪い面を議論せよ」というのがテーマ。「日本語が英語に統合されるとか,根本的な変化をこうむることは文法上ありえない。ボキャブラリーは多く採り入れてるけど,ほとんど名詞だし,あくまでも日本語化されてるんだ。英語がどれほど勢力を伸ばしても,日本語が英語にのみこまれるとか両者が混じるなんてことはないね。というか,はじめてそんな可能性を考えたくらい。フランス人は英語が強くなると,フランス語が大きく変化したり,もしかしたらなくなるかもしれないと漠然と感じてるかもしれないけど,日本人はそう考えないよ。だって,全然違う言語だもん。日本語と英語のバイリンガルは増えるだろうけど,2つの言語は別の存在であり続けると思う」,とか。でも,考えてみたら,日本語が,いまぼくがここに書いているものであり続けると思うほうが,ちょっとどうかしてるのじゃないか。いや時代にともなった「コトバの変化」を言ってるのじゃなくて,「すり替え」レベルの変化だって,ありえないことじゃない。少なくとも理屈的には。世界中の植民地のいたるところで起こったことは,英語やフランス語,スペイン語による現地語の縮小あるいは淘汰。
「お名前は? スペルは?」と聞かれると,ぼくは大体「nishimura」という名前を丁寧にスペルアウトしようとするのだけど,「shi」まで言ったあたりで「OK」と言いながら「mura(村)」はスラスラと書いてしまうアメリカ人が多い。もはや,この「村」っていうのは,ロシア人のナントカスキーのスキーと同じくらい,アメリカ人には常識的なファミリーネームの終わり方らしい。テレビに良く出て来るレポーターのジョン・ササキという人は,かすかにアジア系かなと思える目をしている以外は,いわゆる欧米顔。きっと日本語はまったく知らないはず。マイク・ホンダという日本人顔の政治家もいるし,上下とも日本人の名前で日本人顔,でもアメリカンな化粧のアメリカ人女性キャスターもいる。
アメリカ人のファミリーネームは,いやま世界中の名前が混交してる。ぼくの「Ken Nishimura」という名前を見たからと言って,サンフランシスコの人はその人が日本人と考えるより,まず「日系アメリカ人」と考える。とくに観光客がやりそうもないことをやる場合だと(たとえばコンタクトレンズの検査を受ける,とか),まずアメリカ人だと思われる。そういえば,ぼくのファーストネームは,もともとアメリカ人的だし。そういえば,アメリカ人が互いをファーストネームやその略式で呼び合うのは,もしかしてファミリーネームが互いにむずかしすぎたこともあるのかもしれない。
サンフランシスコが異様に国際化してしまってるだけとも言えるけど,でも,もしかするとこれって何十年か先の全米の姿じゃないのかしら。あるいは何百年か先の,世界の姿の縮図じゃないのかしら。グローバリゼーションは,たぶんこの先も止まることなく加速するはず。一体,これからどうなるんだろう。緩やかに,いやある意味ではきっとものすごい速度で通貨の統廃合が進んでいる。で,かなりの速度で言語の多様性が失われつつある。一体,何が起こりつつあるんだろうか。
あいや,だいそれたコトを書いてますが,実際にはそうたいしたことを考えてるわけではなくて,ターキーサンドイッチだけは,ボリュームがあっておいしいなぁと,アメリカに来るといつも思うのでした。これはドコ系の料理というか食い物かなぁと考えてたら,こんな話しに。サンドイッチ食う間に,ざらっと書こうと思ったら,またとりとめのないことを書きすぎてしまった。
2001/02/22(Thu)
スペイン語とフランス語
アキラ君という子が帰国するというので,レジデンスのそばの日本系のバーで送別会。なんだか,東京にいるような気になるくらい,内装とか音楽,客層が日本的なバーでした。
フランス語とスペイン語が母語というスイス人の男の子に,フランス語の進行形の説明をしてもらう。そっか,フランス語には動詞の進行形ってないのね。大学のフランス語の授業はほとんど出席しなかったから,ぼくはそんなことも知らなかったり。
最近,英文法書にドップリつかってることもあって,なんだか文法をマスターする,言語をマスターするということが,どういうことなのか分かってきた気がする(今ごろかい)。日本語を含めて,「言語」という,この得体の知れないモノに関する認識の仕方も,だいぶ変わった。
ホントの意味で英語がマスターできれば,想像以上にフランス語は簡単にマスターできるのかもしれないと思ったり。いや,想像以上に,というだけで,もちろん言語をマスターするってのは並大抵のことじゃないのだろうけど。趣味で語学をやるのもいいかもしれない。そういえば,こっちのDVDソフトは結構な割合でフランス語の音声と字幕がついてるぞ。
ちろっと話を聞いてる限りでは,スペイン語はもっと簡単な気もする。なんといってもスペイン語は日本語のカタカナみたいで,音をとらえやすい。気分転換にスペイン語入門でも読んでみるかなぁ。英語で書かれたスペイン語入門を読むと,もしかすると英文法の理解の仕方も変わるかも知れないなんて思ったりもする。そう,英文法というか英語の規則や例外,歴史的な変化を知れば知るほど,コトバの見方が変わって来てる気がするのです。「そっか,コトバってそういう風に変わって行くものか,単語はこういう結び付き方をするのか」とか。一度は「古すぎてダメかも」とネガティブな評価をしたけど,オーブン社の『ロイヤル英文法』は,解説が味わい深くて,読んでいてとても面白い。
気づいたら,7本もビールを飲んでた。久しぶりに会う学校の先生達。
2001/02/26(Mon)
日本語口語の挨拶に関する一考察
朝食の席で。「じゃあね,ケン。あ,Have a nice dayって,日本語で何ていうの?」とアルゼンチン人のディエゴに聞かれて,皿を持ったまま凍ってしまった。日本語でなんていうの?
直訳は「よい1日を」だけど,そんなの口にしたことも聞いたこともない。「ごきげんよう」も友達同士で使うのはヘンチクリン。各国の留学生同士で,この手の質問って飛び交いがちだけど,結構,翻訳不可能じゃないかと思える言葉ってたくさんあるのでした。特に挨拶関係は習慣が違うから困る。「いただきます」も「ごちそうさま」も英語には翻訳不能(もちろん説明は難しくないけど)。フランス人は食事の前に「Bon appetit!」というけど,「めしあがれ」「さあ,食おう」くらいの意味のこの挨拶も英語には翻訳できない。誰かがくしゃみをしたときに英語で「bless you!」というのは日本語には翻訳不能。
必ず聞かれる質問。「How are you?って,日本語で何ていうの?」。これの答え,ぼくは持ってません。というか,日本語にはない。ぼくの使う日本語としては,「元気?」が近いと思うけど,夜に一緒にビール飲んだ友達同士が翌日の朝食の席で「元気?」とは言いっこないので,やっぱり違う。日本語の「元気?」は,むしろ「What have you been up to?」に近い。昨日とか今朝会ったばかりの奴の夜の機嫌を聞く習慣ってのは日本にはない。
で,気さくな日々の挨拶っていうと,「やっ」「よっ」「う(ぃ)っす」「ちっす」「どもっ」ぐらいがフツーだと思うんだけど,どうすかね。ぼくは友達同士の挨拶として「ちっす」と「ちーっす」を教えまくってます。
考えてみると,「こんにちは」から派生してる挨拶って,微妙な発音の違いを区別すると,すごい数にのぼる。やや目上の人とか少し改まった場では「(ん)ちわーっ」「こんちわー」「こんちわっ」「(こ)んちゃー」。体育会系だと「っちォ〜っす!」とかもあるか。一生懸命「コニチハッ」の発音を覚えようとしてるノンネイィブに向かって,ぼくは「ちーっ」だの「ちゃー」だの「ちーすっ」だの「ちょーす」だのと「何でもいいんだよ,適当に変形させれば」とまくしたてて,混乱させてるのでした。
あっ,気づいた! 非常に重要な日本語の挨拶構文! 「あっ」を付けて名前を呼ぶのが挨拶の流れ上,非常に重要な位置を占めてる気がする! どのくらいの時間間隔をおいて再会したかとか,上下関係によって「あっ」「あ」「あぁ」「おっ」「お」「おぅ」「ん」あたりに変化する。「あっ,ニシヤン!」「あぁ,西村さん」「おっ,ケンちゃん」。あるいは名前を略して「あ,ども」とか単に「あぁ」とか。つまり自然な会話はこういう流れ。「ちーっす」「あっ,ニシヤン!」「元気ぃ?」「いやー,仕事つまってて」「また飲み行こうよ。じゃね」「うん,またー」。
目を合わせる瞬間に「よおっ!」と元気良く言うか「あぁ」と下りトーンで言うかが,すでにハウアーユーに対する答えのようなものになってるわけだ,日本語では。元気良く「やぁ!」とでも返事すれば「I feel great!」ってわけ。その調子の高低が明白なら「なんかいいことあったの?」とか「あれ,元気なさそうだね」とかに続く。
日本語の「もしもし」は元々「申せ申せ」という古い言葉から来てて,これは「Say something」という意味なんだと教えたら,「じゃあ,今の日本語でSay somethingって何ていうの?」と聞かれて困った。「何か言いなさい」が教科書日本語だろうな。でも,「何か言えよ」「何か言って」「何か言ったら?」「何とかいいなよ」「何か言ってよ」「しゃべってみて」……,あまりにコンテクストに依存するので,どう教えていいのかわからない。場合によっては「Say something」は「意見は?」くらいの意味にもなりうる。そもそも日本語って話者と話し相手との関係やシチュエーションによって語尾やら表現が変わるので,誰が誰に向かって言おうとしてるのかわからない限り,日本語の,特に話し言葉は教えづらい。同じ人間が扱ってる言語なので,日本語も英語も同じくらいの複雑さなんだろうとは想像するけど,ある面で日本語のほうがはるかに発達してるモノがあるのは間違いない。日本語は相手との関係や立場,自分の社会的環境,意図する語調が,強く言葉に反映される。「I will eat it.」は10通りでも20通りにでも訳せるし,少なくとも3種類くらいは使い分けないと,まともな日本語話者とは言えない。ぼくなら「オレが食う」「ぼくが食べるよ」「私がいただきます」,関西弁なら「オレ食うわ」と,そのくらいは使い分ける。さらに同じ「eat」でも主語が「you」のときは「お食べになる」「めしあがる」「おめしあがりになる」「めしあがられる」という敬語表現を使う必要があって,外国語として日本語を勉強するとなると,かなり恐ろしい事態になる気がする。てゆーか,ぼくの敬語,間違ってる気がする。めしあがられる,は間違いかしら。
「教えて」なんて言ったって,どうせ日本語なんて本気で話すつもりじゃないし,将来使う機会もそうないだろうから,適当なことを教えておけばいいんだって頭では思っても,急に「日本語でなんて言うの?」と聞かれると固まりがちなのでした。
しかし,もっと困るのは日本人留学生に英語の表現を聞かれるとき。「これこれって何て言うの?」というパターン。「おしいっ!」って英語で何ていうの? 「もったいない!」ってなんていうの? 「あの人は社交辞令で言ってるだけよ」って英語では? ぼくは通訳者じゃないんだから,そんなもん知らんって。多少まわりくどくても,自分が知ってる表現や単語で同じ意味のことを言えばいいのにと思いつつ,そういう場合たいていぼくは「さぁ」としか答えない。いちおう一生懸命,それらしい表現を頭の中で考えつつ。
2001/02/28(Wed)
1億回ほど,サイコロを振ってみました
サイコロを振って偶数の目が続けて10回続けて出るのって,どのくらいマレなことなのか。計算上は1024分の1の確率なのだけど(奇数も偶数も同じようなもんなので,心理的には512分の1くらいの確率),それって1024回振れば1回はあるってことか? というわけで,試しにサイコロ振りまくりプログラムをRubyで書いてみた。パソコンの中でとは言え,およそ1時間ほどでサイコロを1億回ほど振ったことになります。あいや,実際には「偶数・奇数」だけのサイコロなので,コインを投げて裏・表を判定したようなもんです。でも,どっちにしろ1億とはちょっとした数字です。なんか当り前の結果が出たような,そうでもないような気もします。
親父の紹介で会ったパイロットの人の紹介で知り合ったサンフランシスコ在住の日本人女性と,その人の紹介で知り合ったマイクさんという日系アメリカ人新2世の人と3人でドライブ。しかし,海岸沿いやら何やら,やっぱりいくらサンフランシスコが狭いとはいえ,まだまだ行ってない場所が大量にあるなぁと。今日のサンフランシスコは久しぶりに暖かな陽気で,光あふれるカフェで食べるブランチは気分が良かったです。
マイクさんの日本語は,ちょっとヘンだけど,ぼくの英語よりはずっとうまいので,結局ずっと日本語で話したり。ヤクザ映画が好きで柔道家というマイクさんは,一体どういう日本アイデンティティを持っているのだろうかと思ってあれこれ聞いてみたけど,どちらかというと,日本語のうまいアメリカ人という気が。日本人的な感触は強く持っているけれど,やっぱりアメリカ人。
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>