2000/09/02(Sat)
空と雲
ダイエットの経過をマメにつけてる
ページですが,グラフをつけてみました。良く見ると別に下げ止まった感じでもない。ともかく2カ月弱で5kg減です。あと1週間で1kg減はちょっときついか。水泳とゆるやかな筋トレのおかげで,だいぶ筋肉質になった気もする。お腹の脂肪がひっこんで,胸の肉が少しこんもりしてきた。人間の身体は,ちょっとした心がけで改造できるのだと改めて実感する。その気になれば,筋肉の鎧だって着けることができるのかもしれない。
午後,ちょっと遅めの出社。14時,ようやくライターと連絡がとれる。開口一番,「ヒドいじゃないですかー」と言ってみる。その語調が,自分が意図したよりも強くてちょっと焦る。でも,そのくらい言ってもいいほど,今日はその後も待たされた。技術解説用の図案をいくつか起こす。調子の悪いファクスのせいで,仕事が増えてイライラ。薄くて文字が読めん!
夕方,とある人にお願いしてあったコラム原稿が届く。おもしろいけど依頼した量の半分しかテキストがない……。あまり文章を書き慣れてない人だったのか,説明がちょっと舌足らずだったし,あれこれやってる暇もないので,瞬時にテキストを倍の量に膨らませて,これで良いかと送り返してみる。文字量の制限が,紙ほど厳しくないWebの世界がうらやましい瞬間。あっちのページではあんなに文字が溢れてるのに,こっちのページは全然足りない,とか。
ちょっと環境を変えて仕事してみようと,ノートPCを連れて,会社のそばのファミレスへ。ブラウザのキャッシュをディスクにためこむ。オフラインブラウジングツールの
wwwoffleって,すごい便利だ。ネーミングのセンスだけはいただけないけど。
今日の東京は異様に暑い。強い日差しもアスファルトの照り返しもないけど,もわぁっとむせる蒸し風呂のような,暑さ。巨大な悪魔が降りてきて,道路にふぅっと熱風を吹いたとしか思えない。効きすぎのクーラーで冷え切っていた身体が,じわっと温まる。
ふと空を見上げると,高層ビルをおおうような雲。低く,暗くたちこめているグレーの雲の上に,ちょっとだけ顔をのぞかせる積乱雲。頭の部分が,すでに夕暮れのオレンジに染まってはいるけど,銀白色に輝いている。この低く灰色の雲と,その上の高く白い雲を見ていたら,いやに空を立体的に感じている自分に気づく。たぶん,スカイダイビングをやって以来のこと。空の,その懐の広さとか,雲の大きさとか,雲と雲の位置とか,そういうのが急にわかるような気がした。スカイダイビングはただ落ちる遊びというわけじゃなく,「空」を感じる遊びなのだなと思う。ドアを開け放した小さなヘリで雲の上に出たときに感じたソラという空間。一気に落ちてくときに肌で感じた温度変化,湿度の変化に,重層的,立体的な空の構造が感じられたもの。
40年近くも空を飛び続けたウチの父親には,どんな風に空が見えているのだろうかと考える(あ,念のため,父親はスカイダイビングではなくて,飛行機です)。父親は,ぼくと一緒に飛行機に乗ったとき,窓から見える雲海を指さして「あそこにキラッと光った点が見えるか? 飛行機が飛んでるだろ?」と言って,結局ぼくが見付けられなかったその飛行機が,自分たちから何kmぐらい離れていて,高度にして自分たちと何フィートの差で,どのくらいの相対速度で,どこに向かって飛んでいるのかを全部すらすらと言ってのけた。きっと飛行機乗りは,ふつうの人間と違う空間把握能力が発達しているのだろう。良く空を見上げて,前線が目に見えるもののように天気を予報していた父親の姿を思い出す。
空。長らく忘れていた「空を自由に飛べると,どんな感じがするのだろう」という気持ちを思い出す。ぼくもパイロットになれば良かったと思った。
ファミレスに入ったとたんに激しい夕立ちが降りはじめた。意外にもファミレス仕事がはかどる。
2000/09/03(Sun)
エロ本より買うのが恥ずかしい本
昨日とはうってかわって,爽やかな,秋のような天気。空が高い。昨日,ファミレス仕事がはかどったことに味をしめて,今日はオープン・エアのカフェで仕事。実はまだノートパソコンでダイヤルアップの設定をしていないんだけど,仕事がはかどるのは,ネットワークアンリーチャブルだからかもしれないと思う。メールは読めないし,余計なWebも見えない。これです,これ。
と,そんな悠長なことを言ってられるほどユトリはなく,とにかく仕事を終らせないと。ごりごりっと原稿を書き上げる。来週末には絶対にサーフィンに行くのだ。波に乗ってやるのだ。
サーフィン行くぞという決意を新たにすべく,本屋にたちより,サーフィンの入門書を物色する。すでにWebサーフィン(死語)で,あれこれサーフィンの解説をしているページを眺めたりはしたけど,いまひとつ説明が説明になってないものが多い。「身体で覚えるしかない」的なフィーリングまかせなんだな,サーファーの説明というのは。そりゃそうかもしれないけど。
で,ぼくが買った 『サーフィング・クリニック基本編〜サーフィングを科学する』という本は,序文に「サーフィングは感覚のスポーツ,という言葉で,あいまいなままであった。そこで,本書ではこれまでの私の経験と研究から,より論理的なサーフィングの解説を試みた」とある。科学する! こういう言葉にぼくは弱い。そもそも,ナニゴトもまず頭でやらなければできない年齢に達しつつあるのだ。もはや理屈抜きに身体で覚えるトシじゃない(たぶん)。
ところがちらっと斜め読みした限り,結局「身体で覚えろ」と言ってる箇所が多い……。まあ,Webでちょろちょろ見ているよりはるかに絵や写真も多いので,イメージはわきやすいんだけど。連続写真と解説を参考に,テイクオフのイメージを膨らませてみたりする。そして実際に床に腹バイになって,すさささっと立ち上がってみる。腰は低め,ヒザ90度。顔は真剣。オ,オレって馬鹿みたいやんかと一人で笑ってしまう。あー,なんか週末が楽しみになってきた。
それにしても,いやー,驚いた。スポーツの棚なんて,今までほとんど見たことがなかったけど,いろんな本が出てるものね。思わず水泳の教則本を買ってしまった。美しく,速いクロールで泳ぎたいのだ。そうか,足は6ビートだったのか。そういえば,小学生のころ,1シーズンだけ通ったスイミング・スクールでそう教わった気がしなくもない。
さらに,筋トレ系の本が多いのに驚く。かなり恥ずかしかったよ,『ハイブリッド肉体改造法II』という本をレジに持って行くの。買ってしまったのだ。そんな本を。ぼくって「筋肉自慢なんてアホくさい」「タンクトップなんてよく恥ずかしげもなく着てるな,この筋肉系男め!」とか,思っていたクチなんだけど。筋肉つけてみるかもしれません。きっと自分を改造したいんです。
表紙はプロレスラーがスーツを着た写真と,スーツを脱いで裸になった写真の2つが並んでる。こともあろうに,スーツ姿のほうではキラリと光る伊達メガネ,小脇に抱えたノートパソコンと英字新聞という,これ以上はないという臭い演出。帯の文字には,「いつでも,どこでも,簡単に。船木流“肉体づくり”完全版。ダイエット,筋力トレーニング,有酸素運動で,だれもがスーパーマンに変身できる!」とある。かなりイタイ感じ。
「カバーおかけする本ございますか? (ニッコリ)」と,レジの若い女の子。「ぜ,ぜんぶお願いします」と赤面するボク,みそじ直前。まさかこの歳になって買うのが恥ずかしい本があると思わなかった。エロ本買うよりはるかに恥ずかしい,と言いつつ,女の子のノッペリした表情の裏にある内心を読み取ろうと試みるぼくは,やっぱり歳相応に,ずうずうしい。まあ,筋肉本,水泳本,サーフィン本のほかに後2冊買ったので,そもそも筋肉本は埋もれてたかもしれないけど。
2000/09/09(Sat)
はじめてのサーフィン
寝不足続きだった。疲れているからと,1本電話を入れて翌日は寝て過ごしたっていいのにと思うと,わざわざ身体を酷使しにでかける自分が馬鹿じゃないかと思えた。いっぽうで仕事が終わった解放感と,久しぶりに海に行くということを考えると,心は軽かった。よくよく思い出してみると,足首をひたしたのをのぞくと,海に入るのは9年ぶりじゃないかと気づく。マイアミで泳いだのを最後に,泳ぐといったらプールか湖だった。
金曜日の夜9時過ぎ。ようやくすべての入校を終えて,新宿から小田急に飛び乗った。すでに特急ロマンスカーは走っていない。ラッシュの急行に乗って熱海の実家を目指した。
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| ウェットスーツもはじめて。ちょっと色白のエセサーファーできあがり |
土曜日の朝。寝不足にもかかわらず7時に目が醒める。いやに身体に力が充満している。兄貴と義姉が起き出して準備を始める。外に出てみると,夏のような青い空と入道雲。夏のような,というよりもほとんど夏。熱海の実家から下田の海まで車で2時間,クーラーの効かないオンボロのハイラックスで,夏のような日差しの中を走る。
波に身体が粉々にくだかれた気分。自分の腰よりちょっと高いぐらいの波でも,水面の視線から見ると,波というのはかなりデカい。想像以上に波のパワーというのは御しがたい。崩れはじめた波が空気と混じって白くなる,「スープ」と呼ばれる部分にボードが飲まれると,身体はぐんぐん浜まで引っ張られてしまうし,ちょっと姿勢が悪いと,「巻かれて」しまって,上も下もわからないほどの勢いで身体が沈められ,浜近くに押し返されてしまう。初日,海底の砂の上で何度かでんぐりがえりをしいられた。頭と顔だけは危険なので,ボードが襲って来てもあたらないよう防御の姿勢を取る。巻かれるがまま。
そこそこの波があると,初心者は沖に出ることさえままならない。水面下にボードを沈め,頭を波のお腹に突っ込んで波のスープの下をくぐり抜ける「ドルフィンスルー」が,まだうまくできないぼくは,ほかの人よりはるかに体力を消耗しながら沖へ向かう。波が収まったタイミングで一気にパドリングする。ボードにあたっている肋骨のあたりの肉がとても痛い。つねられ続けた痛さ。これはボディーボードなんかでも,最初は誰でもなることらしい。
はじめてのサーフィンでわかったこと。波に,どれほど多くバリエーションがあるかということ。波の立ち上がり方,斜面のでき方,巻き方,崩れ方,崩れる方向,タイミング。うまい人は,そういうものをとっさに読んで,すーっと,パドリングで波が立ち上がって来るベストな位置に移動している。みんな「波待ち」の姿勢で「セット」を待っていて,いい波が来ると奪い合うように,いい斜面ができそうな位置へと移動する。そもそも,初心者には水平に沈めたボード上にまたがる,その波待ちの姿勢すら,ふらふらして落ち着かない。やっとなんとか安定しはじめたのは海に入って1時間近く経ってからのこと。
大きな波はセットと呼ばれる3つか4つの連続で来る。遠く数千kmも離れた南の海洋で発生した低気圧の風が作った波が,干渉しあって,やがてそういう波のリズムを作る。なんか不思議な話。セットとセットが来る間隔を「サーフビート」と呼ぶらしい。
セットの1つ目で果敢に挑戦してパドリングしても「パーリング」と呼ばれる前のめりの姿勢で,ぼくはあっという間に波に飲まれてしまう。背中の上から落ちて来る滝のような水に猛烈な勢いで巻かれてしまって,波に乗るどころじゃない。息苦しさに,焦って水面に顔を出すと,セットの次の波が来ていて2度立て続けに巻かれたりする。気づくともう砂浜近く。子どものころのスパルタ遠泳教育(ってなんだ?)のおかげか,波とか海の恐怖はほとんどないけど,体力的にはきびしい。沖に向かおうにも,何度も押し戻されて,だんだん気分がショゲそうになってくる。「もう押し戻されようが,波にぶたれようが気にすまい」と何度も意地になって波に向かう。
結局。1日目,「初心者はスープでテイクオフの練習をせよ」」との教則本の教えにしたがって,午後は波が崩れ切る場所で練習。波に運ばれる感覚はわかった。本人の主観的には,なんとかボードに立ち上がっているのだけど,兄貴に言わせれば「ボードの上に飛び乗ってるだけやな。はっはっは」ということらしい。2日目,「でっかい波狙いすぎとちゃうか?」という兄貴の言葉にしたがい,小さめの波でいくつも挑戦する。「今の見た見た!? おしかったやろ? ほとんど立てそうやん!」,「まあ,もうちょっとって雰囲気やな(笑) ボードに立つ位置が悪すぎて波においていかれてるやん。とても“立てた”って感じではないな」。
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| 下田のビーチにて。兄貴夫婦と一緒に記念撮影。はじめてのサーフィンを終えて疲れたぼくは左側 |
結論。サーフィンがどういうスポーツか雰囲気はわかった。ルールやマナー(波の優先権)もなんとなく。1日や2日で楽しめるものではないこともわかった。初心者ほど激しく体力を消耗するので,「もう2度とサーフィンなんかやらん」という感想を持つ人が多いことも理解できる。ぼくはボディーボード状態でなら何度も波に乗ることはできたけど,ちっとも楽しくなんかなかった。実は土曜日の波は,「ダンパー」と呼ばれる,左右方向が一斉に崩れてしまう,あまりいい状態の波じゃなかったらしい。いい波というのは,左右どちらかに少しずつ崩れて行く波。まあ,だからボードに立てなかったということじゃないけど,いい波で練習したほうが上達が速いらしい。
いくらかの打ち身と,擦りキズ,日焼け,軽い筋肉痛が残った。イメージしていたような波乗りはできなかったけど,疲労感は心地良い。下田の海は,エメラルドグリーンに澄んでいて,日本の海と思えないキレイさだった。
2000/09/11(Mon)
-6kgで59kg
仕事始めの月曜日。ここからまた1カ月が始まる。忙しさを言い訳に書けなかったメールの返事を大量に書く。ごぶさたしている仕事関係の人にもお久しぶりと書き送る。
夜は新宿で待ち合わせ。三十路になろというぼくに,絵本を2冊送ってくれる27歳の女性。なかなか気の利いたプレゼント。「ご希望とあれば,この場で朗読してさしあげましょうか。じーんと来て泣いちゃいますよ(笑)」という言葉に,本気で「読んでください」と答えてみたかった。チリ産の赤ワインを飲みながら,たらふく食べる。
2軒目に入ったバーで,バカルディ・ソーダを飲み終わるころにはすっかり酔っ払ってしまう。ついつい饒舌に。深夜25時,店に残っているのはぼくらを除いて1人だけ。朝8時から仕事をしていたという彼女に悪いことをした。
週末のサーフィン(をしようとして波にもまれたこと)が効いたのか,一気に1kgの体重減。減量を始めてほぼ2カ月,
目標の-6kgを達成して59kg。顔も身体もだいぶスッキリした気がする。「すっかり精悍な印象になった」という言葉を真に受けて舞い上がる。
評論集,『反日を捨てる韓国』(呉善花),
読了。帯の文句には「頼りになるのは日本だけ。経済破綻,IMFショック,文化崩壊を経て,韓国が学んだ教訓とは何か」とある。強力な外交カードとしての役割を担ってきた「謝罪問題」を日本にチラつかせることをやめる韓国。その背後にあるのは,どういう政治的,社会的状況なのか。IMFの管理下に入った韓国が,これほどドン底にあったとは思わなかった。
主要な論旨は,エスノセントリズムが韓国を駄目にするということ。韓国は自らの力不足を反省して,そこにはじめて希望の光を見つけられるだろうということ。
校内暴力や性問題を日本のマンガ文化の影響と断じ,淫乱暴力文化追放,日本の大衆文化排斥を唱えたかつての韓国の態度には「甘え」があったと著者は指摘する。反日。そうした反日大合唱は,'97年の経済破綻でIMFがやってきたときを契機に変わりはじめる。IMFはパクス・アメリカーナというイデオロギーの権化と言えなくもないって思うけど,超国家的存在に違いない。IMFに対峙したとき,韓国は誰に文句が言えるでもなく,自らの力不足を反省しはじめているのだと言う。また,そうすべきだと著者は主張する。そこには被害者意識も,責任転嫁もない。
韓国も日本もよく知った著者だから書けた,両国の文化的違いをベースにした日韓比較の切口は鮮やかなもの。韓国人の国民性というものを,まったくぼくは理解していなかった。
日韓問題や韓国が抱える問題より,もっと気になったのは,漢字を捨ててハングル一色になった韓国で,文化崩壊が起こったという論点。
漢字排斥がもたらした最大の弊害は,韓国語では日本語と同じように概念語や専門用語の大部分が漢字語であるのに,漢字の知識に拠ってそれらの言葉を駆使することができなくなったことにある。そのため韓国人は,抽象度の高い思考を苦手とするようになってしまった。
韓国は漢字を捨てると同時に80%の語彙を失ったという。一流大学を出た人間でさえ,もとは漢字で書かれていた漢字語がほとんど理解できず,専門外の本は,読んでもなんとなくしか意味がわからないというのが普通らしい。著者は,反日論が感情論になりがちなことも,思想的荒廃と無関係ではないと指摘する。世界レベルの哲学や文学を,ハングルだけで書くことはできないとも。
著者は漢字復活だけでなく,「日本の訓読みを検討してみるべき」とまで言う。子音と母音の組合せに制限が多い日本語や韓国語では,同音異義語が非常に多い。そうしたときに漢字が持つ多義性や,映像的表現力は大きな助けとなる。さらに,日本語には和語と漢字を結び付ける訓読みという習慣がある。これによって,漢字の意味と固有語の定着がしっかりする。「すいぼうたいさく」と聞けば,日本人なら誰でも「水防対策」と漢字が頭に浮かぶし,漢字を見れば「水を防ぐんだな」とわかる。そういう訓読みの効用を指摘するところは,まるっきり言語社会学者の鈴木孝夫の論点と同じじゃないかと思っていたら,実際,鈴木氏の引用があった。なるほど。
今,日本語でも,どんどん漢字を平仮名に開いたり,漢語を平易な和語に直したりするのが流行している。その傾向を著者は「ぜひともやめていただきたい」と言う。これはぼくも賛成。
たとえば齧る(かじる)という漢字は,たぶん大抵の本や雑誌で,よほど強い筆者の希望がない限り平仮名に直されてしまうだろう。そうすると「齧歯類」という専門語を見たときに,かつての日本人なら誰でも「ああ,歯でかじる奴らだな」と分かったのに,単なる難しい漢字としてしか見えなくなってしまう。同様に「防ぐ」を「ふせぐ」と書くようになると,「防波堤」という字を見ても「波を防ぐんだな」とはわからなくなってしまう。それが韓国のハングル世代の状況。
判かる,解かる,分かるなんかをすべて「わかる」と書いてしまうと,それぞれの漢字が持っていた意味の広がりが全部なくなってしまう。
で,職業柄(というか業界か),ぼくがやっているのは英語の大量輸入。これはどういう言語的影響があるのだろうかと,ふと思う。
2000/09/13(Wed)
ゴールデンゲートブリッジはなぜ金色じゃないのか
新宿のミナミで,このあいだ盗られてしまった水着,キャップ,ゴーグルの代わりを買う。午前中,プールで650m。水着のついでに買った耳せんのおかげで午後の会議中も耳がゴロゴロ言わない。
夜,ネット知合いとアジャでカレー。アジャの近所でちょっとビールを飲む。ふと帰ろうと表に出ると雨。バイクにぶら下げておいたヘルメットがずぶぬれだったので,無理せず地下鉄に乗る。会社に戻って,ボスを探す。いないので帰る。
ゴールデンゲートブリッジが,名前の割にちっとも金色じゃないのは,どうしてか。それはゴールデンゲートにかかる橋のことだから。「ゴールデンゲート」がひとかたまり。で,この橋はオレンジ色(International Orange)のペンキで塗られているということになっていて,実際オレンジ色ということで通っているみたいだけど,どうみても赤茶色にしか見えない。オレンジ色にはほど遠い。英語で言うOrangeと日本語で言うオレンジというのは,だいぶ違うってこと。
2000/09/18(Mon)
愛とは何か
午前中,先週依頼してあった残高証明を受け取りに三和銀行の高田馬場支店へ。学生時代に作った口座に,あれこれの処理で,いまだ引きずられるなんて変なもんだ。変といえば,たかが残高証明ごときに1営業日くれなんていう銀行も変。しかも口座のある支店以外で申し込んだ場合,さらに1,2営業日必要だって。銀行って,オンライン処理の電子マネーの世界だから,残高証明ごとき,どこからでも即出て来るものだと思っていたぼくが甘かったのか,銀行が旧態依然としているのか。もちろんぼくは後者だと睨んでいるわけで。
国際免許を取るために,馬場からそのまま鮫州の運転免許試験センターへ。今日はすっかり秋のような爽やかな天気で,ちょっと乗るにはバイクも気持ちいいけど,やっぱり都内なんて,あんまり長時間バイクに乗るもんじゃない。品川に着くころには,ちょっと疲れてしまった。
スピード写真で証明写真を撮り,申請用紙に必要事項を書き込む。なんと国際免許は運転免許試験センターでなくても,近くの警察署で取得可能と判明。わざわざ出向いたのにショック。気を取り直して,カバンからパスポートを取り出して,自分のパスポート番号を調べる。確かTEで始まるんだよなと思いながら,ページを繰る。と,10年以上前に取った古いパスポートを持って来てしまったことに気づく。ショック。これから渡航という瞬間の空港で気づくんじゃなくて良かったとつくづく思う。やっぱり古いものは捨てなきゃ。
中目黒のフレッシュネスバーガーで昼ごはん。恐れ多くも,著者本人から頂戴した『愛とは何か』(小林司),
読了。小林さんは仕事がらみでメールをやりとりするようになった人で,精神科医にして作家。70歳でパソコンを始めて,『昭和ヒト桁パソコン挑戦日記』という本を書いたというので,パソコン雑誌に寄稿していただいたりした関係。
「愛について本で読んで勉強しようなんて,そんなの何か間違ってる」と,思う人も多いかもしれない。でも,それこそ思い上がりも甚だしくて,愛というのは誰でもが経験できる,受動的にふってわいてくるような情熱的な感情を指す言葉ではなくて,もっと能動的で,きわめて理性的な営みである,というのがたぶんフロム以来の現代人が持つべき認識のはず。愛は決意であり意志の持続であり,そして創造的営み。たぶん。さらに,たぶん愛と呼ばれているものは,そう呼ぶ人達の文化的背景に深く根ざしているという意味で,永久不変のものではない。
博覧強記の氏は,本の中で,古今東西の文学者,哲学者,思想家たちの,愛についての言説を,次から次へと手際良く紹介していく。愛が,人類の歴史上,どう捉えられ,発展して来たのか。現代人が使う恋愛とか愛という言葉は,そんなに古い歴史を持っているわけじゃない。
加えて,大脳生理学や心理学的な見地から見た愛という現象についても,最新の科学的知見を紹介する。なぜ愛は快いのか,人が感じる親密さの正体は何か。発達心理学というか,幼児や子どもについてもページが多く割かれていて,いかに「愛の教育」を著者が重視していることがわかる。いわく,
フロムが指摘しているとおり,絵を描いたり,外科手術や,自動車の運転をするのに技術が必要なのと同様に,愛するのにも技術や基礎知識が必要なのだ。それにもかかわらず,親や学校がその技術を教えてくれるわけでもない。
精神科医でありカウンセラーでもある筆者自身の観察や臨床経験にもとづいたコメントが盛り込まれているけど,その比率がちょっと少なめなのが物足りない感じ。とはいえ,著者の主張は一貫していて,西欧社会がキリスト教的な愛である「アガペ」と,性愛である「エロス」と愛を大きく2種類に分類しているのと違い,愛は1種類しかないと言う。さまざまに見える愛の形というのは,愛という1つのオブジェクトをどの方向から見るかによって違った形に見えるだけの違い,ということらしい。
その著者の愛の定義。
愛とは,個人もしくは複数の人に対して,相手のしあわせと成長とに心づかいをし,共感的に相手を理解し,優しく扱って,親密感と愛着を抱き,すべてをありのままに受容して許し,無条件で自分を与え,ともに成長すること。
ちょっと欲張って盛り込みすぎた分,心に響くインパクトはないけど,過不足のない定義としてほぼ同意できる。そして,自分自身を振り返って,ぼくは誰かを愛するだけの覚悟と能力があるだろうとかと考える。誰かを愛せたことなんてあるのだろうかと考える。
2000/09/21(Thu)
渡米します
テレビのリモコンの電池が切れたのはもう2週間ぐらい前。だんだんチャンネルが切り替わらなくなって,最後には全然きかなくなってしまった。電池を交換すればいいだけだけど,280円の電池を買うのがためらわれる。もともとほとんどテレビは見ないし,後1カ月もしたらどっちみち使わなくなってしまうから。でも,280円なんて迷う金額じゃない。これは,少しでも,お金は使いたくないという気持ちの問題。
2月の引っ越し以来,ずっと冷蔵庫を買わなかった理由も,今日280円の電池を買うのがためらわれたのと同じ理由。しばらく仕事を休んで渡米するつもりなのです。語学力のブラッシュアップが目的。ちょっとまじめに英語を勉強してみます。
期間は半年か1年。希望は1年だけど,まだ不明。ナケナシの貯金が持つのも1年ぐらい。帰ってきたら,たぶん無一文。急にお金を貯めても貯るもんじゃないってわかったこの1年半だった。本当は仕事を辞めるつもりだったけど,休職という選択肢があるというので,編集長にわがままを聞いてもらう形です。
いま借りている部屋はもう解約したし,もう行き場も決まってて,10月末に発つ予定。サンフランシスコにある私学の語学学校に入ります。学生ビザが間に合うかどうかでちょっと焦ってるけど,まあ,いざとなったらジャーナリストビザっていう荒わざもあるらしい。
「え!? 語学? 英語なんてできたって当り前。そんなんいまさら武器にならんでしょ」と思った人。あなた英語できますか? 「そうだよね,英語,やったほうがいいよね」と思った人。何か,やってますか? 「日本にいても,やる気があればできるでしょ」と思った人。やってる人がどのくらいいますか? 「うらやましい!」と思った人。そう思うなら,一緒に行きましょう。「結局,帰国子女にはかなわんし」と思った人。本気で努力した結果言ってますか? 「だって君,英語できるんじゃないの?」と思った人。語学って「できる/できない」の2つじゃないと思うんです。たとえばね,海外のコンピュータショウの基調講演を聞いて記事にまとめるぐらいじゃなくて,1時間くらいのインタビューは通訳なしで自分で取れるレベルになりたいわけです。TOEICで900点って英語初心者だと思うわけで,ぼくはたぶん初心者一歩手前。この先,どんな仕事を何年ぐらいやっていくかわからんけど,英語ぐらい話せたっていいでしょう。ていうか,英語話せなくていいんでしょうか。そう思っているわけで,これはむしろ焦りなのです。今やっておかないと。30歳なんて手遅れかもしれないけど,やらないよりはやったほうがいいに決まってると思うのです。「いいな,若くて。オレも後10年若かったら行きたいよ」なんてことを10年後に言いたくはない。
「でも,語学学校じゃないだろう? ほかに勉強することないの?」という意見はそうかも。でも,大学院に行けるほど時間も金も根性もない。下手な専門学校に行って見栄を張るよりは,ちゃんと語学の勉強したほうが効率は良さそうってわけです。
仕事のメールだと書いても書いても返事のなかったシリコンバレーの知り合いに,近くサンフランシスコに上陸しますので今度遊んでくださいとメールを書いたら,10分後に返事が来た。歓迎ムード。いよいよ楽しみになってきた。って,遊びに行くわけじゃないんだけど,顔がほころんでしまう。新しい環境,何か知らない場所,知らない人たち。楽しげじゃないか!! 会社側の人には,あえてそんな風に言ったりはしないけど,ぼくとしては人生の夏休みっていう感じもあったりして。
2000/09/24(Sun)
禁煙1年!?
禁煙を始めたのは,
去年の9月24日。ちょうど1年。過去数カ月の間に,お酒の席で20本ぐらい吸ってしまったけど,まあ禁煙1年。
捨てるのはしのびないものがあるので,本棚の本を,試しに近所のブックオフに10冊ほど持って行く。いかにも買い取ってもらえそうもない古い文庫本から,新しめの新書まで,ジャンルをまぜこぜにして。買い取り額は,しめて580円。買い取ってもらったうち2冊は,不用意にも重複して買ってしまった本。まだカバーも取ってない綺麗な本で,それぞれ1800円も払ったのに,それが100円×2に。切ない。価値評価をしないというのがブックオフのポリシーとはいえ……。
かなり日にやけた文庫本,アンドレ・ジィドの『一粒の麦,もしも死なずば』は買い取ってくれなかった。当り前か。ということは,ジィドの『狭き門』なんちゅーのも駄目だし,ブレーズ・パスカルもドストエフスキーもフランツ・カフカもアルベール・カミュも,スタンダールも,トルストイもオスカーワイルドも,ショウペンハウアーもハイデガーもニーチェも,ランボーもアポリネールもリルケも,ユングもカイヨワもレビ・ストロースも,その類はみーんな値段は付かないんだろうな。なのに,田口ランディは100円かい。単に新しいというだけで。内田ヒャッケンも三好タツジも,三島ユキオも西田キタロウも0円だろうな。
結局,新潮社なり岩波なりの出版社に払って来た数百円の積み重ねというのは紙代であり製本代であり,校閲代だったというわけか。ブックオフに捨ててもらうか。願わくば,これらのテキストが,望みさえすれば瞬時にネットワーク上で閲覧可能な世の中にならんことを。
2000/09/25(Mon)
学食のトンカツ
非常に爽やかな晴天。最高気温は28度くらいあったらしいけど,湿度が低く,秋のよう。バイクがめちゃくちゃ気持ちいい。午前中,アメリカ大使館へ。ビザの申請用紙をゲット。その足で,虎ノ門のE社取材。物静かに見えて,意外に口が滑べりやすい人のようで,やりやすい。おもしろい話が聞けた。ここぞとばかりに,本論から外れてあれこれ勉強させてもらう。
取材後,大学へ。卒業・成績証明書を1通。どうしても食べたくなって,ひさしぶりに学食でトンカツを食べる。懐かしい味。いつも食べてるトンカツの半額だ。
夕方書き始めた原稿がなかなかまとまらず。エイヤッであきらめて完成原稿とする(ォィ)。
深夜,はっと気づく。卒業証明書を「英文で」と言うのを忘れた。ああ取り直し。
2000/09/26(Tue)
在学証明
とうとう長袖。薄めのシャツ。昼間は快適でも,夜はそろそろ寒い。
午後,取材で渋谷マークシティのエクセルホテルへ。イスラエルのB社記者発表会。日本法人設立と新バージョンのお披露目。うーん。やられぱんち。良くできてるなぁ。密かに進めている某プロジェクトの数十歩先を歩んでるかも。くやしいな。帰りぎわ,おみやげにイスラエル産のワインをもらう。下手なノベルティグッズよりうれしい。
明治通りを北上して大学の事務所に立ち寄る。昨日日本語で取った証明書の英文バージョンをもらえばいいだけと思っていたら,成績証明と卒業証明が一緒になったものは,英文では存在しないらしい。成績か卒業か,どっちかしか一度に証明してくれない。なんで?
どっちを取ればいいのかと思って,事務の人に聞いてみた。「ふつう学生ビザを取るときに提出するのはどの書類なんでしょう」「交換留学ですか?」「いや,ふつうのっていうか,語学留学です」「えーと,要するに戻って来る意志があることを示すのが大切なので,在学証明でいいんじゃないかな」「えっ……,いや卒業生なんですけど」「あ,お勤めですか」「ええ,休職証明も提出予定です」。
おいおい30男に向かって「在学証明」はないだろう。と,思いつつ,ちょっとにっこり。まだ学生でも通るかしら。いや,実際身分としてはもう1度学生になろうとしているんだけど……。
2000/09/27(Wed)
「テンパる」は麻雀用語
さくさく音を立てて仕事が進む。けど,まだまだ。
「テンパってる」という用語,一般的に通用するよね? 今日,ある人からのメールで,この言葉が麻雀起源だと知らない人がいたことにびっくり。というわけで,以下,麻雀を知らない人のための麻雀用語基礎知識なのです。
テンパイというのは「聴牌」と書いて,「あがり」の形から,1枚欠けた13枚の手牌の状態を指します。なんと文学的表現でしょうね,聴いてるわけです,牌の音を。
テンパイというのは,たとえば「123 46 789」とあって「5」を待ってる状態。つまり後一歩。その動詞形がテンパるなんですが,日常語として使われる「テンパってる」にある切羽詰まったニュアンスは,元の麻雀のほうにはない。テンパイは好ましい状態なのです。いわゆるリーチ。
リーチっていうのも麻雀用語で,これはテンパイした人がテンパイを公言することで他のプレイヤーを牽制しつつ,点数を高くする役目がある。テンパイを公言すると他のプレイヤーは警戒してしまってあがりづらくなるわけで,そのバランスが,このリーチという宣言のおもしろいところ。黙ったままテンパイを維持して,より上がりやすい形を目指したり(46で5を待つより,67で5と8を待つほうがいい),手が高くなるのを待ったり(いったんリーチを宣言すると手は変更できない),闇打ちのごとくいきなりアガってみたりするのを,ヤミテン(闇テンパイ)とかダマテン(黙テンパイ)と言います。略して「ダマ」。ダマは性格の悪い奴が好みます(ちょっと嘘)。
で,リーチは「立直」と書くんだけど,これは英語の「reach(届く)」から来てます。アメリカ麻雀のローカルルールを,戦後の日本が輸入して,確か今は中国にも逆輸入(?)されてるはず。ちなみにアメリカ麻雀には「南北戦争」という手役もあるらしい。日本で一般的な,緑一色(リューイーソー)という役も,アメリカ人の発明で,元は「all green」という名前らしい。ちなみに,ぼくが知る限り,日本の麻雀のルールが一番複雑でゲーム性が高いと思う。中国の麻雀はきわめてシンプル。なんかポーカーみたい。留学生の陳君が「日本の麻雀はむずかしい」と言っていたのだから,たぶん間違いない。
麻雀(中国語)から来た日常語に,「トイメン(対面)」「チョンボ(錯和,沖和)」というのもある。「沖」にはむなしいという意味があって,「和」はあがりのこと。これの中国読みがなまって「チョンボ」ということらしい。「和」はホーと読むので,たぶん元の音はチョンホーかチュンホーという感じじゃないかと思う。
通信速度なんかで9600bpsをクンロクと呼ぶけど,あれも麻雀の点数計算の語呂が先だと思う。完全に日本語だけど,ほかにもイックニ(192)とかチーロンパ(768)とかゴイッチョニー(512),ザンバス(384),イッチョンチョン(144),ニーパッパー(288)とかも。あんまり言わないか。そういえば,65536というのは,かつてロクゴーゴンザブローと読まれることが多かったらしい。今そんな読み方する人っているのかしら。
あいや,それで,仕事はそれなりにテンパってるわけです。いやはや。
2000/09/28(Thu)
パンク
人事部発行の休職証明書をもらう。これでビザ申請に必要な書類はそろったかな。そういえば当り前の話かもしれないけど,休職中も住民税とか健康保険とか,支払義務があるんだね。はぁ。
ようやく編集部でも休職や渡米の話をおおっぴらにできるようになって,気が楽になった。ひそかに決心している段階とか,ひそかに上司と話を進めている間というのはどうにも落ち着かないものがある。
午後,営業連絡会議。雑誌の仕事はもう長いけど,単行本というのは企画に携わることはあっても,企画書を起こしたり,営業会議に出席するのは,これがはじめての経験だった。どきどき。いきなり状況もわからないまま会議に飛び込んで,営業部隊の連中の前で,企画について滔々と語る。どういう風に話を進めていいのか,質問を受け付けるべきなのか意見を求めるべきなのか,持ち時間はどのくらいなのか,そんなことさえ分からないので,しゃべることがなくなるまで延々としゃべる。落ち着いて見渡すと,社内のあちこちで見かけたことのある顔ぶれだけど,どうにもどうしていいかわからないので,気にせずしゃべる。売り込むつもりでしゃべる。だんだん自分で何を言ってるかわからなくなってきても,さらにしゃべる。
単行本チームの人にExcelで作ってもらった見積り計算表をみながら,書籍市場の現実は厳しいのだなぁと思う。売れる見込みが薄いと初版部数は少な目に絞られる。すると原価率は上がるので定価を高くせざるを得ない。すると,ますます売れなくなる。悪循環だ。小部数の本は,紙代,製本代,運送費なんかの呪縛から解放されて,電子書籍になるべきだ。
なんかカーブでふらつくなぁと思ったら,バイクの前輪がパンクしてた。ああ。そして,そろそろ仕事もパンク気味。そんなことやってる場合じゃないってときほど,そんなことをやってしまうもので,超ダベリモードで夜は時間をつぶしてしまう。ぼくは今日1日で,いったい何語ぐらいしゃべったのだろうか。
2000/09/29(Fri)
このギョーカイの人びと
ぶりぶりと仕事。午後,書籍と連載の打ち合せでT大学のH先生来社。やー,なんというか頭の軟らかいおじさんだ。
夜はPC業界の飲み会。雑誌編集者,ライター,ソフト,ハード,ネット関連のワカモノが50人くらい新宿に集まる。すごい人数だ。あっという間に名刺が切れる。お付きあいのある某社広報の人の顔と名前が一致してなくて「あ,覚えてもらえてなかったんですね……,ショック」と言われる。何度か取材のセッティングをしてもらったこともあるのにヤバイ。あわてて「いや,ずいぶん痩せられましたよね。お綺麗になりましたよね,髪型変られました? いや,雰囲気変わりましたよね。あ,大人っぽくなられたんじゃないですか?」などと取り繕ってみても遅い。あちゃー。
ニューヨークのPC Expoで一緒だったTさんと,てっきり歳下と思ってたら7つも歳上というAさんと,こっそり2次会。Aさんが終電で帰り,Tさんと,さらに3次会。PC出版ギョーカイの渡り鳥とゆわれるTさんは,気づけばまた名刺が変わりそうな気配。
2000/09/30(Sat)
あの青白い炎
給与明細を見たら,妙なトコロに「渡航費」という欄があって,16万8000円と赤の丸ゴチック体で書いてある。なんだよ,研修制度はないけど,うちの会社も気が利いてるじゃないか。自費の語学留学を応援してくれるのか。しかも正規の航空運賃で,ひょひょひょ。そう思ってにんまり。目が覚めて30秒ぐらいは,あの数字は現実じゃなかったのかと疑ってみたけど,やっぱり単なる悪い夢。いわゆるひとつのヌカヨロコビ。あぁ,そろそろ格安チケット探さないと。
小雨降る中,バスで出社。バスって嫌いだ。なかなか来ないし,やたらバス停に止まるし。運転手は愛想悪いのが多いし,中は暗いし,ジジババばっかりで生気が抜き取られそうだし。本を読んだら気分が悪くなるし。路線はややこしいし。
でも,今日バスで見かけた5,6歳の男の子はかわいかったな。バスが停止したそばの町工場で溶接作業をしてるおじさんがいて,男の子は「わー,きれいだよ,ママ! 見て見て!」と,楽しそう。例のまぶしい青白い炎なんだけど,とても感動している。たぶん初めて見たんだろう。すぐに炎は消えて,「おじさんまたやってみせてよ」と男の子。窓ガラスの向こうのおじさんには聞こえないけど,男の子は繰り返す。「おじさんやってやって」。信号が変わってバスが動き出そうとしても,「だめかな,だめかな。やってくれないかな,ねえ,ママ,すごいきれいなんだよ」と言ってる。
ふつう大人なら溶接作業の炎を見ても感動しない。特にきれいとも思わない。でも,それはなんでだ? ぼくも子どものころ,下校途中,飽きもせずにずっと青白い炎を見つめてたものなのに。好奇心は摩耗してないか,と自分に問うてみる。
バスは動き出し,ちょうどそのとき炎が光った。ぱっと男の子の顔が明るくなる。「うわー,きれい」。少年のような心とか,純真とか,そういう言葉はだいたいうさんくさいもので,そんなコト言う奴は信用しないけど。
早めに切り上げて,終バスで帰る。どうも乗り間違えたらしく,曲がってほしくない交差点を曲がるバス。あちゃー。歩く。とぼとぼ歩く。帰宅後さらに仕事。結構原稿がはかどった。
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>