2000/08/01(Tue)
イルカのごとく泳ぐ(イメージ)
午後一番で池袋へ。いつも南下する中野通りを北上する。今日もめちゃくちゃ暑い。渋滞する車の間を一生懸命すり抜ける。止まったら最後,アスファルトの照り返しとバイクのエンジンから昇る熱気で脳味噌が融け出しそうだ。
5月に違反したときの反則金を,まだ払っていなかった。3度もらった督促状は,いつも気づくと支払い期限が過ぎていた。「いい加減払え,払わなかったら所轄の検察に送致(*1)するから,そのつもりで」と最後通達が来たのが7月末。最悪のタイミングで来やがったと思ったけど,幸い仕事はとっとと片付いて,今日は最終チェックを残すのみ。送致ってのがいまいち何のことか良くわからんけど,なんとなくイヤな感じなので,行っておくことに。要は「あんたが望むなら裁判やりなはれ」ってことだよね。ていうか,もともと道交法違反のときに銀行や郵便局に払ってるのは,あくまで事務処理をスムーズにするための略式の合意であって,裁判するのが本来の姿ってことなんだよね。ね,教えてエラい人!
(*1)[法]一件書類・証拠物または被疑者の身柄などを,司法警察員から検察官に,あるいは一つの検察庁から他の検察庁または家庭裁判所などへ送ること。
池袋警察の横にある,通告センターなる場所に入ると,いかにも金払いの悪そうな,ちょっと人相に癖のある奴らが狭い待合室に淀んでいた。って,ぼくも人相悪いのかしら。
紙の書類を手渡して,30分。いらいら。どうもぼくだけ神奈川県での違反だからか処理に時間がかかっている。まさか神奈川県警とやりとりしてるの? かつて横浜の実家から持ってきた自転車の車体登録番号を照合するのに,おまわりさん電話してたもんなぁ。やりかねんよなぁ。
道交法違反だし,支払い義務を無視しましたよ,ええ。でも,そういう,こっち側の負い目と,いま現在待たされているという事務処理上の遅滞は,別個のことだよな,ヒトコト,「マダなのですか?」ぐらい言っても,身勝手野郎じゃないよなと頭では考えるけど,さすがに何も言えずに黙って待つ。隣の赤ちゃんが可愛いので,親が見てないスキにほっぺたをつねってみる。や,やわらかい。
いったい何をそんなにちんたらやってんだっていうほど,時間がかかって,やっと紙ペラ1枚を手渡される。見ると,生年月日が間違ってる。面倒くさがりのぼくは,黙っておこうかと思ったけど,後で余計面倒なことになるのも面倒なので,面倒ではあったけど,「あの,これちがってますけど,まあ適当でいいですよね」と面倒くさそうに言ってみた。今にも横線を引いて,書き直そうとするぼくの手から紙を奪い,その制服を着たヒト(推定:54歳,ウダツ上がらなくても楽しげ系。ぼくはそゆ人が好き)は,老眼鏡をはずして言ったもんだ。「あ,ほんと〜,ありゃりゃ。じゃあ,いま新しいの書きますね」。えっ……。1個数字間違えてるだけじゃ……。バックスペースキー1個の話じゃん。ねぇ。
なんつーか。ひょいとのぞき込んだ事務処理スペースには,整然と書類の山が築かれてて,パソコン1つないキレイな机。ネットワークもないんだろうな,当り前か。どうやってコンピュータもネットワークもなくて,データベースにアクセスしてるんだろうか。まったくもって奇妙な世界だ。非効率のキワミ。日本のケーサツって大丈夫なのかしら。
と,そんな文句の1つでも言ってみたり,不必要に支払いを滞納したりと,そういう無意味と分かりつつ無意識的にやってしまう小市民的な……,いやいや市民としての持つべき,健全な官憲に対する嫌悪感はだね,やっぱりあってもいいよね。市民として持つべきなのは,滞りなく払うベキものを払うという遵法精神かもしれないけど,まあ寝言は寝て言え,だよね。んなの。ふん。
でも真夜中の誰も通りっこない横断歩道でも,信号が赤かったら,ぼくはちゃんと止まってるもんね。遵法精神はあるのだ。なんだ。つーことは単に金払いが悪いだけか,ぼくは。最悪じゃん。
池袋から新宿へ向かう途中,懐かしの大久保キャンパス隣にある,新宿スポーツセンターに立ち寄る。その場で,キャップとゴーグルを買って,いざ室内プールへ。今日はこれだけが楽しみで,わざわざクソ暑いなか,バイクに乗ってでかけたようなもの。
今日のところは1回ぐらい心臓が止まってもいいから,ヒィヤリする水に一気に飛び込んでやろうと意気込む。初めてのエッチにのぞむ男の子みたいに,あっと言う間に着ているものを脱ぎ捨てて,すっぽんぽんになる(まじまじと見るなよ,コゾウ達)。1秒でも早く水に入りたかったので,ひざの高さまでしか水着を履かないまま,よろよろとプールサイドに飛び出した。誰も泳いでいない。1時間に1度の休憩タイムのようだった。はぁ,と。
のんびり泳ぎに来ましたよという風を装って,ストレッチ体操なんかを始めつつ,周囲を観察すると,なんか意外に若い女の子が多い。むはー。区民プールってのがいまいち冴えないけど,プールサイドの出会いなんてあったりしてなぁとかオヤジ思考。あ,ちなみに新宿スポーツセンターのプールは2時間で400円。月に数回しか泳がないのなら,スポーツクラブより経済的でお勧め。たとえ毎日欠かさず行っても,1カ月1万円強。ジムもあって,そっちは3時間400円。ぼくはベンチプレスとか,自転車こぐのとか,興味ないけど。あれ,実験室のマウスみたいじゃん。ぼくはイルカなのだ(イメージ)。
昨日の日記に書いたけど,イメージはイルカです,イルカ。すっかりイルカ気分で泳ぎだしたわけだ。でも,死ぬかと思った。25m泳ぐたびにぜいぜい言ってて,30分かかってやっと500m。ショックなりー。ピップエレキバンを張ったまま泳いでたオヤジにガスガス抜かれたナリー。ぼくはイルカじゃなかったのダァーァー。キュゥーウゥーン,キュューン。
ま,学生時代のように,また少しずつ時間を作って泳ごうかと。継続は力なり,が,今期の私のテーマです。
それより,びっくりしたのが戸山公園。新宿スポーツセンターのまわりは,都内ではわりと広めの緑ゆたかな公園で,学生時代は終電がなくなって野宿もしたし,花見もやったし,レーザー銃を持って銃撃線もやったりした,想い出の場所なんだけど,そこがなんと,テントでびっしり。青いビニールシートを木にひっかけただけのものから,どこからそんな立派なものを拾ってくるんだってほどデッカイ本物のテントまで,全部,ホームレス。いいのかね,こんなことで。新宿区。
よせばいいのに一生懸命クロールしてしまったので,肩がガクガク。疲れ切ったヒラメのようにしばらくベンチでノビていた。ジリジリ。ジリジリ。さすがに泳いだ直後は灼けるような日射しも気持ちいい。
バイクにまたがると,鍵を回す手がちょっとプルプルふるえてた。腕がだるいし,下手したら事故ったりしてと思ってたら,ホントに事故った。まあ事故といっても軽い接触事故で,ミラーとミラーがぶつかっただけなんだけど。バイク乗りには茶飯事ですな。半年に1回ぐらい,忘れたころにかすってる気がする。でも,いつも忘れたころにぶつかるもんだから,やっぱり一瞬,あっ,と思う。いきなりガキッという音がするもんだから。で,あっ,と思って振り返ると,すごい形相でおじさんが睨んでた。慌ててバックして行って謝ると(バックって足で地面を蹴るんだけど),そのおじさんは睨んでたんじゃなくて,単にビックリしたって顔を作ってただけみたい。「すいません大丈夫ですか」と,声にだしてもいいはずなのに,ウィンドウ越しなので,なぜか口だけパクパクさせるぼく。向こうは向こうで,「わっはっは,にぃちゃんびっくりしたよ。もぅ気を付けなよ!」と,なぜか声にせずゼスチャアだけしながらミラーを指さした。ぶつかったのに,そんなにニコニコすることもないと思うんだけど。まあ,ちぇって言われるよりいいか。
15時ごろ出社するもゲラの出る気配なし。印刷所から出て来た色校正だけ見て,パソコンの前でほうける。ぼけ老人のように,ブラウザの画面をぼんやり眺める。ほげー。インターネットって,検索とクリックだけホントにいろいろ出て来るよね。
bk1で本を買う。で,今日のイチオシURLは,
http://www.alc.co.jp/gn/gnsoda11.html。小股の股って,どこの股って話。
夕方,早々と隣の編集部のAさんと中華を食いに行く。生ビールが死ぬほどうまい。やっぱりスポーツはいいよな,500mだけど。スブタも四川マーボーも,春巻きもうまいし,芝えびチャーハンもうまいうまいといってる間に,ふと見ると,お腹がはちきれていたんだけど,これでも一応
ダイエット中。だって,1日1食だもん。
編集部に戻って待ってはみたけど,結局,ゲラは朝方になるというので,さっさと帰る。
今日の気になったヒトコト:「ウィンドウズ・サーフィン」「スクロールで泳ぐ」。完全に脳味噌がパソコンにおかされてますよ,それ。
2000/08/05(Sat)
祭だ,生ビールだ
サシミとか焼き魚がうまくて,良く行く近所の居酒屋「かわちゃん」のおかあさんが,方南祭で人手がないというので,昼過ぎから手伝いに行く。おかあさんは,足が悪くて,1人じゃモノが持てないから,とくに男の手が必要という。
年に1度の祭。「方南演歌祭」ってのが,ちょっとナンだけど,なんか楽しそう。まだ方南町に来て5カ月だけど,なんか地元の交流っていいじゃんって思って。
ビールサーバのセッティングとか,枝豆,トウモロコシ,ピーナッツ,イカ焼き,鰻のキモなんかの準備とかしつつ,ビールを飲み始める。うーん,夏だね。駐車場が即席会場になるらしく,どんどん機材が運ばれ,人が増えて行く。
枝豆のパッキング。1パックいくらぐらいかね,と,適当な量をビニールパックにわけつつ常連たち。俺だったら,これは300円。いや,200円かな,とか好き勝ってなことを言う商売っけいのないヤカラにむかって,おかあさんがヒトコト。「原価の倍にするのよ」。おお,そうか人件費がタダ(ビールで買収された常連)でも,やっぱり原価計算はきっちりなのねと,感心。「でも,ビールが350円で枝豆が200円ってことは,セットなら500円。サービスセットと言って,それをメインに売りゃいーじゃん! メニューのトップ,トップ!! ががーんとデッカク目立つように書くっすよ。新500円玉は全部いただきっすよ」と提案。即採用。
男連中は,こういうとき,ほんとにダメなもんで,パックにわけた大量の枝豆たちを見つめて,「あっ,塩!」とか言ったりする。「順番に俺がパックあけるから,塩まいてくれ。流れ作業だ,流れ作業!」。こういうの,たまのことだから楽しいんだよね。ままごとみたいで。
やっぱり,おかあさんはずっと商売やってきただけあって,いろいろ細かな指示が的確。つまみや飲物の値段のディスプレイの仕方,商品の見せ方,店員の立つ場所。いちいちなるほどとか思ってしまう。で,客商売の経験がほとんどないぼくは,ちょっとドキドキしながら,ビールサーバで生ビール販売を担当。「いらっしゃいませー,生ビール,いかーっすかぁー」。「どぞーいらっしゃいまっせー」。
いつも生ビールは自分で入れてるから,結構泡の量の調整には慣れてるつもりだったのに,ビニールのコップにそそぐと,なぜか泡だらけ。半分くらい泡になったコップを,やばいなぁと思いつつ手渡した,1人目の客。まさに1人目。チョビひげ,ムキムキちんぴら系イログロ。「おい,兄ぃちゃん,これ半部泡じゃねーかよ,なんだよこれ」とゆわれる。どきん。やっぱし……。「やー,まだ今日は機械の調子が悪くて,すっみませーん。はい,ただいますぐにー」。ひぇぇー。
おかあさんの娘の友達連中(17歳)が来て手伝い。やっぱり若い女の子が「なまびーる!」と言ったほうが断然売れる。やー,若いっていいね。で,ぼくはどう見えるのかと思ったら,「23?」だっていやほんとマジですよ。まだ25で通るかね,と最近妙に年のことばかり気にしているぼくとしては,思いきりオジサンくさく言ってみるのだけど,「ぜんぜん,どーがんじゃん」とか言われて舞い上がる。ひとまわり違いのコ・ムスメたち。「でもヒゲが濃いかも」と,アゴをじょりじょりいじるんじゃない。同じイヌ年だよ。24歳は射程距離圏内らしいので,以後,24歳で通すことにしました。やー,ほんっと。年とったもんだ。
で,お祭り。典型的なおエラ方挨拶の連続。区議会議員だ区長だ,商店街の理事だの。信じがたい凡庸さ,冗長さ。でもね,杉並区長ね,歌うまい。びっくり。でも,あまりにばかばかしい挨拶が続くので,思わず「なぁまーびぃーーるっ,いかぁーっすかー」と声をはりあげる。まだちょっと恥ずかしい。
元巨人軍のヤナギダという人も,やたら歌がうまい。彼は近所に飲み屋をオープンしたらしい。演歌祭なのに,地元の学校のお子たちの踊りやら,区内のアマチュアバンドのジャジーな演奏やら,ふーてんのトラさんそっくりさんとか,よくわからない出し物が続く。なぜか沖縄民謡っぽい調べに乗って踊る子どもたち。片手で持てる太鼓のような打楽器。ビールサーバ越しに眺めてて,不思議に思う。なんというか,悪くないんだよね。思わず,マツリというもの,マツリの音楽というものの,文化人類学的側面について思いを馳せる(嘘)。地元の連帯ってなんだろう。踊ってるのは,八百屋のおやじや,肉屋のおやじ,そんなのもいる。みんな楽しそう。
そこそこ売れてるのか,ぜんぜんダメなのかの判断もできないほど,出演者は不明。演歌界のことはわからん。でも,着物姿の女性がたくさん目の前を行き来してて,ああ,やっぱりプロは違うなぁと思う。めちゃくちゃ愛想はいいし,キレイ。歌もやっぱり断然うまい。サービス精神が旺盛だよね。ちょっと年のいったように見える人がね(もしかして,下積みな人か,いつまでもダメ系な人なのかもしれないけど),なーんとなく乗り切らない会場の人たちを前に,1人でブンブン袖を振り回して踊れるのって,すごいことと思うんだな。これぞプロだよ。田口ランディに腹がたったのはね,このへんのことだと思うのだ。私小説なんだから,しょせん書き手のカタルシスでもいいんだけど,手放しでオナニーをして,それをそのまま世に問うなってこと。しかも「あとがき」に能書きを良くも垂れやがったなとね……。プロなら,オーディエンスにサービスしろよって。あ,話がそれた。
結局,祭は21時半に終わった。終わると同時にどしゃぶり。一気に片付け。思ったほど,イカの丸焼きが売れず,残念。
お疲れさまのビールを飲んだ後,なぜか17歳のコ・ムスメ(B)とビリーヤードに。ちょっと自信があったらしいのだけど,大人げなく,こっぱみじんに打ちくだいてやったのだ。ふふふ,むかし取ったキネヅカとはこのこと。
2000/08/20(Sun)
はじめてのスカイダイビング!
「これは神とのセックスだ!」。
あの映画には,そういうセリフがあった気がする。ホントに
スカイダイビングって,すごいよ。もう,感動だよ。
気持ちいいとか,恐いとか,そんな感覚よりも,「なんなんだこれは!」という感じ。まったく想像していたものとは違う。ヘリで雲の上に抜けたときの太陽,雲海,冷気,鳥肌。不安定なヘリの足,足をすくう風。すっと空に吸い込まれる感じ。猛烈に加速するスピード,風,音,肌触り。身体の軽さ,地平線,回転する感触。突き抜ける雲,迫り来る地面。地面に近付くにつれてマダラ模様のように上がって行くのが感じられる気温。パラシュートに引っ張られて急激に減速するときの足元の頼りなさ。こんな体験,やっぱりほかじゃ絶対できないし,ふつうの生活をしていて想像できる範囲にあるものじゃないと思う。飛行機の中から,「この雲の上に落ちて行くと,どんな感じがするのだろう」と何度思ったかわからないけど,やっと本当に落ちて行くことができた。
というわけで行って来ました栃木の藤岡。東北道で赤羽から30分ぐらい行ったところ。埼玉・栃木・群馬・茨城の4県にまたがる渡良瀬川遊水地のだだっぴろい草原が,藤岡ドロップゾーン。館林というところで高速を降りて,Webにあった地図のとおりに行くと,やがて河原に出る。どこらへんかなーとバイクでそろそろ近付いて行くと,土手にたくさんテントが張ってあって,なんだかバーベキューだかなんだかがはじまっている感じ。今日は午前中雲が多く,飛べなくてうずうずしているジャンパーたちが空を見ながらテントでのんびりしていたらしい。
受け付けを済ませると,まずビデオを見ながらインストラクターの話しを聞く。ビデオのBGMはVan Halenの「Jump」。歯切れのよいブラスのハーモニーと,アングロサクソンのほどよく割れた高音の声が草原に流れる。この「いかにも」な選曲に,ちょっと気分が乗って来るわけで。はっはっは。
ビデオ自体はタンデム・ジャンプ(2人一緒に飛ぶ奴)の流れを説明しただけのもので,5分ぐらいの簡単なもの。一緒にビデオを見ていた人の中には,映像を見ただけで「うぉー! こんななの? 恐ぇー」なんていって思わず笑いだす人もいたりして。ぼくはもちろんゾクゾクわくわく。インストラクターの説明によると,ジャンプするときの高度は1万フィート,約4000m。富士山よりちょっと高いぐらいのところから落ちて,だいたい40〜50秒間のフリーフォール。高度4500フィートでパラシュートを開いて後はゆっくり目的のポイントを目指して降りて来るということ。「タンデム・ジャンプは,ジェットコースターだと思ってください。インストラクターの指示にしたがってくだされば結構です」というだけで,特に何にも覚えることはない。ほかに言ってたのは,こんなこと。「押したり引いたり,叩いたり,打ったりというほかのスポーツと違って,スカイダイビングというのは,力を抜いてリラックスするのが基本という遊びなんです」。「飛んでいる間は,落ちているというより,浮いてるような感じです」。「ポーズを取るつもりなら,地上で考えておくといいです」。「息はできます」。「耳抜きはしてください」。「2重3重の安全装置がついてます」。「安定してしまえば,泳ごうが手を振ろうが何をしても構いません。ただし,足は閉じたままエビぞりの姿勢です」。
飛び出した直後に取るべき「エビぞり」の姿勢の練習だけは地上でやるんだけど,これが結構おかしい。数人単位で川の字に腹ばいに寝そべって,やるんだけど,みんなコトがコトだけに表情が微妙に真剣なんだよね。「では,両手は脇に抱えて足を閉じ,かかとがお尻にくっつくぐらいエビぞってください。はいっ! ……,あー,みなさんとてもお上手ですぅ」って,思わず笑うよね。
レクチャーと空中姿勢の練習は30分ほどで終って,後はひたすら順番待ち。雲が切れる時間が長くなるのを願いつつ,ちょぼちょぼ落ちて来る人を眺める。最初はわからなかったけど,事務所にいてヘリと無線でやりとりしている人が,拡声器で「ドロップ・ラン!」と叫ぶ瞬間というのは,上空でヘリがある方向に沿って水平移動して,順次ジャンパーが飛び出すよ,という合図らしい。その声を聞いて空を見ると,しばらくしてぽつぽつと色とりどりのパラシュートが空のあちこちに花開く。空気が澄んでいると4000m上空のヘリとか,ヘリから飛び出すジャンパーの姿がゴマ粒のように見えるらしいけど,今日はややモヤってて見えない。
いまのパラシュートは,むかし落下傘と言われていたようなものとは別物。とても性能が良くて,うまい人がやると,多少の風があっても,ぴったり数mの誤差で目標地点に降りて来れるという。確かに見ていると,2,3人いたカメラマンの人たちは,毎回毎回ぴったり同じポイントに真っ先に降りて来ていた。専属カメラマンは,体験ジャンパーより後にパラシュートを開きつつ,しかも彼らが降りて来る前には地上に降りて,彼らのランディングシーンを撮らないといけないから,パラシュートでの降り方はぜんぜん違う。意図的にほとんど「落ちて来る」ように操縦している。
パラシュート操縦の原理は簡単で,右をひっぱって右側をしぼませると右に曲がるというだけだけど,その引っ張り具合によっては,旋回なんていうレベルじゃなくなる。身体がほとんど真下を向くような姿勢になるまでパラシュートを傾けると,2,3秒は真下に「落ちる」。その「落ちる」を続けると,のんびり空の散歩をしている人より速く降りられるわけで,だからカメラマンたちは,みんなクルクル回りながら降りてくる。最初に見たとき,「あ,クルクル落ちてる人が! 失速してるよ!!」と焦ったぐらい。
うまい人のランディングを見ていると,これがとても不思議な感じ。地上数十メートルの地点で,真下を向く姿勢を取って一気に加速しつつ,旋回。そのままじゃ地面にぶつかるーという勢いで高度を下げて,ぴったりテントの高さで水平な姿勢に戻る。このとき,下から見ていると「びゅぅー,びゅぉー」と,パラシュートが風を切る音が聞こえる。たぶん時速40kmぐらい,真下に落ちてる瞬間は5,60kmは出てる。最後の着地の瞬間は,ブレーキをかけてるから,場合によってはほとんど停止に近い速度まで落ちるみたいだけど,思ったよりパラシュートの速度というのは速い。
12時に受付を済ませたぼくが出発できたのは,16時過ぎだったから,その間にたくさんのジャンパーを観察したり話が聞けたりした。
今日は夏休み中の日曜日ということで,体験ジャンプの「お客」が多く,ファン・ジャンパーと呼ばれるフリーのジャンパーたちは,優先順位が低く,後まわしにされてしまっていたらしい。それでも,定員7人のヘリに乗る仲間を集めるために,「ねぇ,今日飛ばないの? 一緒に飛ぼうよ。あと2人なんだけど」なんてやっている人がたくさんいた。天気がいい日だと,1人で4回,5回と飛ぶものらしい。
世間的には「スカイダイビングをやってるなんて変人だろうという」という見方があるのかもしれないけど,確かに,ちょっとクレイジーぽい人もいる。外国人傭兵部隊で落下傘やってましたと言われたら,「あー,なるほど」と信じちゃいそうな泉谷シゲル似の人とか,朝からハッパ,キマってんぜーとか言いそうな感じのパンク兄ちゃんとか。この兄ちゃん,きっとラザニア1つ食うのにタバスコ1本使うんだろうな。勝手な想像だけど。
そういう人もいるけど,ぼくが話したり見たりした限りでは,スカイダイバーといっても,結構ふつう。ただ,見た目はまるっきりふつうでも,ちょっとしゃべってみると,どことなく共通した匂いのようなものを持っている気がした。もしかすると,ジャンプ・スーツを着ている姿が似ているからかもしれないけど,ぼくはスキーヤーに近いものがあると思ったな。ジャンプ・スーツって,ちょっとゆったりしたツナギで(体重の違う人と落下速度を調整する目的でダボダボを着ることもあるらしい),夏は暑いから,地上にいるときは上半身は脱いじゃってて,その姿って,まんまスキーヤーなんだよね。違うのは,スカイダイバーは中にTシャツとか着てないこと。スカイダイビングは薄着のほうが気持ちいいらしい。
ジャンプのお誘いの言葉を聞いていると「今日さ,ネイキッドやろうよ」なんてのが聞こえてきた。思わず「ネイキッドって,どのくらいネイキッドなんですか?」と尋ねたら,「そりゃー,ネイキッドだよ。はだか。ギア(パラシュート)だけつけて,ギアにパンツを挟んで飛ぶ。途中でパンツが飛んで行ったりすると降りてから恥ずかしいけど,全裸って最っ高に気持ちいいよ」なんて答えが返ってきた。ひょほー,確かに気持ち良さそうだ!
何人かの人に「スカイダイビングを始めたきっかけって何ですか?」と聞いたら,一番多かった答えは「子どものころからやってみたかった」というもの。やっぱり,そうなんだ。「ずっとやりたいって気持ちはあったんだけど,きっかけがなくて。でも,若いころは一通り遊びと言われるものをやって,最後に,あ,スカイダイビングがあると思ってね。それで探して始めたのかな」と,こんがりと日焼けした,ある女性。「私スクーバもやるんですけど,あれは海じゃないですか。海に入って綺麗だなぁってだけでしょう。でも,空はぜんぜん違いますよ」,と横浜から来ているという30代前半(推定)の男性。何が違うのか説明になってないけど,なんとなく説得力はある。「家族は何も言わないんですか」と聞くと,「空から落ちるなんて言えないでしょう」「あきらめてますよ」なんて答えが。「いろいろやったけど,最後の砦だったかな。それだけはやめてくれって親に言われた」。そんな答えも。
スクールのスタッフの話では,体験ジャンプをやる人のうち,その後ライセンスを取る人というのは1割にも満たないらしい。口調からすると「1割」でもサバ読んでる感じで,実際はもっと少ないのだろう。ジャンパー人口は増えず,体験ジャンプの経験者だけがどんどん増えているのが,日本の現状らしい。スカイダイビングって,日本で定常的にできるところは関東に3カ所があるほかはないという。だから,「うーん,日本でジャンパーって全部で500人ぐらいかな」という話。関西方面や九州から,栃木までやってくる人も多いという。
ぼくと一緒に体験ジャンプをした人の1人は,大阪から来ていた。すごくまじめそうな,どっちかいうと暗くてサエない感じの30がらみの色白男。「なんでやろうと思ったんですか。やっぱり子どものころからやってみようと?」と聞くと,「いや,別に……」という答え。「高いところ大丈夫なんですか」。「いえ,ダメです(笑)」。「え,じゃあなんで?」。「もうええんです。人生,何も未練がないんです。それで来てみたんです」と本気なのか冗談なのかわからないコトを言う。スカイダイビングスクール申し込み時に必要な健康診断書には「目の疾患」「ふらつき,またはめまい」「血圧」なんていう普通の項目にまじって「自殺企図」というのがあるんだけど,一瞬,「なるほど」と思う。自殺願望じゃなくて「企図」というのが味噌って気がする。ぼくは企図は「無」だな。彼も企図は「無」なのだろう。
その人は救急医療関係の外科医で,ともかく仕事がハードで,どうやら,そのことで精神的にまいってる様子。年に1週間の夏休みが取れたほかは,土日も仕事。ぜんぶ仕事。どんどん運ばれて来る瀕死の患者の胸や頭に管を突っ込むようなことをずっとやってるらしい。胸を開き,骨を針金で固定し,心臓を手で抑える。運ばれて来る患者の20人のうち19人は死ぬような現場にいるという。「もうちょっと繊細なね,メスで腸を切るとか,そういう医療に移りたいんです。救急医療って誤診がないんですよ。たとえ間違った判断で処置をしても許される。問題のない肺に穴をあけても責任はない。そんなこと言ってられへんのです。とにかく命を救う努力を全部やるんです」。診断に迷いがあって処置が遅れるよりも,ともかく処置ということらしい。「やりがいあるじゃないですか,命が助かれば,家族は喜ぶでしょう」。「そう,だから天職やと思ってる奴らはイキイキと働いてますよ,でも,私はちょっとね……」。
なるほど。「で,なんで人生もうええ,なんですか?」とシツコク聞いてみる。結局,仕事がハードでつらいという以外に原因がなさそうだと勝手に判断。インターンとして仕事を始めて1年ちょっとというから,新人にありがちな仕事の過負荷状態なのじゃないかと想像しつつ,「別にこの先,2年も3年も仕事が大変なわけじゃないでしょう? 先輩のお医者さんとか,うまーく手を抜いてるんじゃないですか。それにホンマに嫌やったら,やめりゃいいだけじゃないですか。医者やらんでも楽しく生きてけるでしょうに」と,無責任なコトを言ってみる。
サエない顔をしていたその彼とぼくは,その日ほとんど最後の最後のジャンプだった。だから降りてちょっとすると,どんどんテントが畳まれ,人が減っていくような状態だったんだけど,彼はぼんやりと草原と空を繰り返し眺めて「去りがたいもんがありますね……。あんなに空がキレイなもんやと思わへんかった……」と,いつまでも微笑みをうかべていた。ぼくはぼくで,結局最後まで名前を聞かなかった彼が去るまで,なんとなく立ち去りがたいものを感じてぼーっと立っていた。ぼくはこういうのがどうも苦手。旅先なんかであるイチゴイチエ的な連帯感。こういうとき,いつもぼくは「じゃあ,ぼくはそろそろ。またどこかで」と良くわからない挨拶をして,オレはナニ言ってるんだと恥ずかしくなる。いよいよ,バイクにまたがって振り返ると,彼はこれといった表情も作らず,ぎこちなく手を振ってた。
そういえば一緒に飛んだファン・ジャンパーの1人はやっぱり医者だった。まあ,偶然だろうけど……。
だいぶ話がそれてしまった。閑話休題。時間が前後するけど,飛ぶ前のシーンから実際のジャンプまでを書きます。
いよいよ名前が呼び出されて,順番が来た。一緒に飛んでくれるインストラクターは,まじめそうなおじさん。どことなくジャンプ・スーツが飛行機の整備士っぽい。ファンキー系のノリのいい人がいいと思ってたので,ちょっとがっかり。ジャンプ・スーツを身に着けつつ,「最悪,何mで開けばパラシュートって間に合うんですか」とニコニコと無邪気な質問したら,静かに諭すように「チキンレースと同じだよ。ぎりぎりでブレーキを踏むのが何mかなんて決まってない。それはスポーツじゃない。誰がパラシュートを開いても安全に降りれる高度,それが最後の高度,4500フィートだよ」と教えられた。そのときは純粋な好奇心から10mか100mか300mか,あるいは500mなのかを聞きたかっただけなのに,なんかちょっとはぐらかされたような,冗談を真に受けられたときのような気分だったけど,少しして考えなおしてみれば,当然の答え。内心,ちょっと憮然としていたんじゃないかと思うと,むしろ静かに答えてくれただけでも,「ああ,この人は信用できるな」という印象。タンデム・ジャンプというのは,ハーネスで2人の身体をくっつけるわけだけど,その作業をヘリの中でするのは全部インストラクターで,言ってみれば命をあずけるようなものだから,落ち着いた,信用できる人で良かったと思った。口数少なに,ぼくの靴ヒモをしめなおしてくれる姿に,かつてスキーブーツをはかせてくれた父親を姿を思い出したりして。かすかな笑みとともに,静かな声で「さあ,行こうか」と,肩を叩かれる感じが悪くない。
テントが並ぶ土手から,ヘリの離着陸する草原まで,車で5,6分。一緒に乗り込んだジャンパーを質問攻めにする。生来の聞きたがりの性格が,職業的に助長されているのかと我ながら思う。
手のコウをまるまる被う高度計は,巨大なスウォッチのように見える。0から10まで目盛があって,高度1万フィートまではかれるらしい。シンプルな白い文字盤は4から3のあたりが黄色,3から0の間が赤に塗分けられている。色の意味は,あまりにわかりやすい。人によっては両手のコウに2個とか,胸のあたりに1個とか,高度計をつけている。高度計の確認は,もっとも大切なことだから,スクールに入って最初のジャンプというのは10回ぐらい高度計を見るように指示されるらしい。「スチューデントの間はね,飛んでる間,ずっと忙しいよ」なんて言ってる人がいた。
一番謎の姿勢制御について聞くと,「もう意識してないから,右に回ろうと思うと右に回るんだよ」という答え。「基本は重心の移動。手や足でも操作できるけど。水平方向の移動は手をまっすぐ伸ばして脇をしめる姿勢がもっとも速くてね,でも,歩くのより楽だよ。浮いてるんだから。慣れるといろんな姿勢ができて楽しいよ。そのうち仲間と飛びたくなるんだ」とか。
まじまじとギア(パラシュート)を見ながら,あれこれ説明してもらう。そもそもあまりパラシュートのことなんてまじめに考えたがないから,それがリュックと同じようにかつぐもので,リュックとの違いが,肩だけでなく,股にもヒモをかけるというスタイルというのが新鮮に見える。メインパラシュートを開くためのレバーのようなものが,2個あるとは知らなかった。メインが開きそこなったときに,それを切り離すためのレバーもあって,さらにリザーブパラシュートを開くためのレバーもある。
ちゃんと体重の違いでパラシュートのサイズを選ぶんだとか。タンデム・ジャンプ用のパラシュートは,2人分だから十数kgあって,結構重たい。「タンデム用と1人用で結構違いがあるんですね」と言うと,「1人用は7kgぐらい。軽いよ。ちょっと担いでみる? で,ちょっと飛んでみれば?」なんて冗談が返って来る。マイギアを買うと60万円ぐらいで,それで1000回は飛べて,100回飛べばレンタル料分の元は取れるという。
パラシュートも高度計もスーツもヘルメットも全部アメリカ製。というより,日本製品なんてない。日本ではスカイダイビングという遊びはまったく市民権を得ていない。法律もなければライセンスも基準もない。いちおうあるのは,航空法の90条,「運輸大臣の許可を受けた者でなければ航空機から落下傘で降下してはならない」という1つだけ。だから,日本のスクールでは,
USPA(アメリカパラシュート協会)の基準をそのまま持って来て自主的にルールを守り,ライセンスを発行しているというのが現状らしい。
「その予備のパラシュートって今までに開いたことあるんですか」と聞いたら,その場にいた2人のうち1人は「1000回目ぐらいのときに,1回やったことがあるよ」と,こともなげに答えた。「スカイダイビングって,何かはじめてのことをやると,みんなにビールを振舞うんだけど,だから,リザーブを開いたときも,ビールを配ったよ」ってニコニコ話す。なんかゴルフのホールインワンみたいだけど,それにしてもちょっと恐い。恐くないんですかという質問には,「本質的にスカイダイビングは危険な遊び。恐怖心がなくなったら終わりだよ」なんて言葉が返って来た。「最近,スクールの生徒でも1人リザーブ開いた奴がいるってよ。タンデムで」と,隣の人が言う。地面に背中を向けたまま開いてしまって,ナントカとナントカが絡まって,メインが開かなかった。それでインストラクターはメインを切り離してリザーブを開いたという話しなんだけど,「でも,よくメインを切り離せたね。(ナントカ)がひっかかってたんでしょ? で,そのスチューデントってビール配ったの」「いや,まさか。それはインストラクターのほうが配ってたよ」とか話がはずむ。
そうこうするうちに,ヘリの離着陸地点に到着。先に飛ぼうとしているグループが,空中での姿勢について楽しそうに打ち合せしてる。後ろからみると亀のコウラのようなコンパクトで結構かわいいパラシュートが,ランドセルに見える。だから,見ようによってはフォーメーションの打ち合せは,下校途中の小学生がプロレスごっこで戯れてるような感じに見える。カラフルなジャンプ・スーツを着ているので,コスプレっぽくも見える。ナントカ戦隊ゴレンジャーみたいな。あ,古いか。そういえば,モモレンジャーそのものって感じの女の子がいた。
ぼくってヘリに乗るのが,そもそも初体験だった。なんとなくゴンドラに乗って山頂に行くときのスキーの気分。狭い機内に,7人で乗り込み,みんな,じべたに座る。足を互い違いにして,じっとジャンプできる高度に着くのを待つ。といっても,7,8分で高度1万フィートに達するんだけど。
夏はドアをあけたまま飛ぶのだけど,これ,高いところが苦手な人だったら,おしっこちびるかも。ふわっと機体が浮いて旋回したとき,もろに地面が下に見えた。一緒に乗った女の子がさっそく最初の悲鳴をあげる。あけっぱなしのドアの脇に座っているのは,もちろんベテランのジャンパーだけど,良く恐くないなと思うほど,平然と座って下を眺めている。ある高度まで来れば大丈夫なんどろうけど,数十mの段階で落っこちたら死んじゃうんじゃないかと心配になる。
「そろそろゴーグルつけようか」と,インストラクター。隣のジャンパーの高度計を見ると,ぐんぐんとヘリが高度を上げているのがわかる。爽やかな空気が入ってきて,徐々に涼しくなる。眼下に見える渡良瀬川と湿地帯がだんだん地図のように見えてくる。飛行機からは見慣れた離陸,高度上昇の感じも,こんなに違うものかと思った。たぶんドアがあいているからだと思うけど。
雲の上に出て,一面の青空と雲海が見えた瞬間,ぞくぞくと鳥肌がたった。すでにTシャツじゃ寒いぐらいに気温もさがっている。手を伸ばすと雲に手が届きそう。ヘリのエンジン音がうるさいはずだけど,とても静かな世界なんだと思った。「空がそこにある。空の中にいるのだ」という印象。
ふと見ると,操縦席の真後ろ,ぼくの背中あたりに車用のGPS(カーナビ)が取り付けられていて,インストラクターは地上とやりとりしながらドロップポイントを検討している様子。地上から雲がない「ブルースカイ」の位置を指示しているらしい。高度計はすでに目一杯まわりきって1万フィートに達したとわかる。インストラクターがぼくの身体をゆすりながら耳もとで「いち・に・さんっで飛びだすからね」と最終の確認をする。「まず彼が1人で飛ぶから,そうしたらその次だ」と,いよいよジャンプのタイミングが近いことを知らされる。目の前に座った女の子は,まだキャアキャア言ってる。後で聞いた話だと,ごくまれに,100人に1人ぐらい,上空に行くと目が点になって動けなくなる人がいるらしい。ぼくはといえば,もう期待で胸がいっぱい。
「ようし,いいぞっ!」。GPSを見ながらインストラクターが声をかけると,お医者さんの彼が,まずニッコリ笑って飛び出した。「ひゃっほぉー!」。あっと言う間に,あけっぱなしのドアとぼくの間にあった身体が1つ消える。
すでにぼくの背中はタンデム・ジャンプするインストラクターのお腹とくっついているから,移動は楽じゃないけど,一歩一歩とドアに近付く。「飛べる位置についたと判断したら,合図するから」と言う言葉を聞き終わらないうちに,ぼくはヘリから足を出す。と,足が風に流されて,うまくヘリの外に出られない。ドロップのときというのは順番にジャンプする人たちがなるべく水平方向に離れたほうが安全なので,ヘリと言えども,ドロップ・ランのときは結構なスピードで水平移動をしているらしい。
力を入れて足を出す。ヘリの足に両足を乗せ,空をのぞき込める位置につくと,さすがにドキドキする。瞬間,「手をハーネスへ」を忘れていた自分に気づいて,ハーネスを握りしめ,振り返る。「いきましょう!」。
いち・に・さんっ!
落ちる! 自由落下する系は無重力状態と物理的には等価なんて,嘘だ。ものすごい力で引っ張られてるよ,地球に!! 何が起こったかわからないけど,確かに落ちていると思いながら,とりあえずエビぞる。びよよーん。
思いきり「ひゃっほー!」と叫んでみても,風の音にまったく勝てない。ぼくの声は後ろのインストラクターの耳には入っていない。そうか,巨大な力として感じているのは重力じゃなくて,風なんだと気づく。日頃バイクで100km近い風を素肌と顔面に浮けているから,ふつうの人より耐性はあるかもしれないけど,時速200kmというのは,これまたすごいパワー。時速200kmの終速度にはたぶん5,6秒で達するんだろうけど,最初の数秒で確かにスピードの変化がわかる。あっというま(たぶん2秒ちょっと)に100kmぐらいになるのが,肌でわかる。「あ,これはバイクと同じ風だ。だけど,まだ大きな力がかかって加速している。この先はどうなってしまうんだ」と思った瞬間には,まったく経験したことのない風につつまれた。ゴォーとかグァーとかビュォーとか,そんな音が混じったような音が聞こえて,目の前は真っ白な雲だけが見える。心なしか雲が迫って来る感じ。後で聞いた話では,雲の出る場所は視界が悪くて危険なので,基本的にジャンプはやらないらしい。だから,そうそう雲をつきぬける経験というのはできなので,ぼくはラッキーだったのだとか。
いつになったら姿勢は安定するのだろうか。ハーネスから手を離していいという合図はどのくらいで来るのだろうかと考えていたら,ちょうど肩を叩かれて,手を広げてよいことを知らされた。安定してみれば,確かに風が強い中で浮いているような感じ。ぐるり360度の周囲に雲と空の切れ目が見える。なんとなく,こうじゃないかと手で泳いでみたり,バランスを変えてみたりして方向を変えようする。さすがにインストラクターが姿勢を制御しているのか,まったくぴくりともしない。と,方向を変えたいぼくの意図を悟ったのか,ぼくとインストラクターは右に左に,軽くクルクル回り始めた。うひゃー,気持ちいい。真下を見て,それからお腹の上からオチンチンの方向をのぞき込んでみる。とても奇妙な姿勢で雲海を見ている自分を想像する。うーん。できればでんぐりがえりしたかったけど。
高度計こそ見ないものの,ぐんぐん高度が落ちているのが気圧と温度の変化でわかる。本当はアナログなグラデーションになっているのだろうけど,高度による温度変化が層になっているように感じられる。たぶん人間の温度に対する感度があまり鋭くないからだろう。数秒に1回の割合で「温度の違う層に入った」と肌が告げる。それと同じぐらいの頻度で耳抜きをしないといけないほど気圧もぐんぐんあがっていく。涼しくて,爽やかだったはずの空の空気が徐々に生暖かい,湿っぽい空気になっていく。理屈ではわかっていた,そういった高度による温度の変化がはっきりとわかったし,空を見上げたときに今までどうしてそのことをリアルに感じられなかったのか,ちょっと不思議に思う。生暖かい空気の底にある地上になんか戻りたくないと思った。
真っ白の雲に入って,一気につきぬけたと思うと,目の前にまたしても地図のような地面が広がっていた。その迫り方がふつうじゃなくて,ぐーんと地図を一気に拡大しているような感じ。ものの2秒ぐらいと思う。これは恐かった。そろそろパラシュートを開くんですよね,と心の中でインストラクターに話かけて,さらに1秒ほど経ったとき,背中で何か,ごそごそした感じがわかった。
「さあ来るぞ」と,急減速の覚悟を決めていたけど,想像以上にパラシュートで減速するのは気分のいいものじゃない。そもそも,あまり身体に合っていると言えないレンタルのハーネスのせいで,股の肉はぐいぐい引っ張られるし,なんだか絞首刑で「ぐへぇ」と頭を垂れるような感じ。あ,たとえが悪いですね。減速していても,足もとには地面がひろがっていて,まだそこに巨大な空白があるのがなんとも心細い。
スピードが落ちてしまえば,インストラクターと話せる。「どうだった?」「やー,すごいすごい! 感動しました!!」とかやりとりしながら,「じゃあ,ちょっとパラシュートの操縦やってみる?」なんて言って,操縦させてくれた。体操の吊り輪のような操縦用のヒモを両手に持つ。右のヒモを引けば右に,左ヒモを引けば左に旋回する。2人用だから引っ張るのは結構力がいるけど,確かに思ったように方向は変えられる。
ゆっくりと,目標のテントを目指して降下していく。空が名残惜しい。地面にツブツブといる人たちの上を足をぶらぶらさせながら飛ぶのは,なんだか奇妙な感じ。「合図したら足を前にあげて」とインストラクター。「さあ,行くよ」と言ったと思うと,加速して一気に地面に近付く。最終的にふわっと着地するためには,たぶんそれなりの揚力が必要で,だから加速するのじゃないかと勝手に想像するのだけど,それにしても地面に向かってスピードを増すのはちょっと恐い。
駄目だと思ったら転んでもいいけど,足を突っ張るのだけはしちゃ駄目と聞かされていたけど,スピードが速すぎてどっちも嫌だよって感じ。と,思うと,スピードが落ちはじめる。それでも速い。迷ってても仕方ないので,思い切って,テレビで見るようにトコトコ走ってみたら,8歩ぐらいで案外ちゃんと立ち止まれた。「おっ,ぉぉぉぉ,うまいうまい」と褒められて良い気になる。
パラシュートを畳むインストラクターのそばでぼんやりとしながら,「自分で畳むんですね」とか訳のわからないコトを口走っていると,スタッフの1人が「この人はタンデム・ジャンプをしました」という証明書をもって走って来た。その紙を受け取りながら,インストラクターと握手。思わず笑みがこぼれる。うーん,ちょっと感動。
「一緒に飛ぼうよ。自分で自由に飛べると,おもしろいよ」という誘いをたくさん受けた。どうも,雰囲気的にはクラブの人たちは「タンデム・ジャンプをやる人というのは,ほとんど冷やかし。話のネタづくり。自慢話の1つでおしまいなんだよね」と思っていて,あんまり「やりませんか」的な発言はしないんだけど,ぼくは見るからに「やりたい」オーラが出てたらしい。
今すぐはむずかしいけど,時間的,経済的余裕ができたら,ライセンス取って自分で飛びたい。いつになるか分からないけど,たぶん,やることになると思う。