1999/06/03(Thu)
毎日,帰ってたんだけど
熱心につけていたWeb日記がちょっと止まってしまった。毎日ちゃんと家に帰って来てはいたんだけれど,朝7時とか8時に帰宅して,昼過ぎに家を出る生活だったもんで……。
しかし。ついに初めて会社泊りなしの1カ月になる可能性が出てきた。雑誌の仕事をやりはじめて30冊ちょっと。長いことやってるなぁ。椅子を並べて寝たり,仮眠室で寝たり,床で寝たりしないというのは,体力的にも精神衛生上も良いんだけど,いっぽうで,こんなコトでいーんだろうかという思いもある。結構周りの人たちは,ずーっと編集部に寝泊まりしているし,副編も体調を崩すほど詰めて仕事をしているってのに。一番働き盛りというか,活躍できていいはずの年齢のぼくが,こんなことで……。といっても,客観的には十分な量の仕事はしてるよな,きっと。質だって,まあ悪くないことでしょう。
でも,やっぱりね,これってサラリーマン根性かもね。自分の分しかやらない。本当の意味で徹底して仕事をやってない。全身全霊,全生活をかけて仕事にコミットしようとは,もう思わない。もっとインセンティブがあればいいのにね,きっと。仕事のクオリティと量が,ちゃんと評価されて給料に反映されるものなら,ぼくは今の2倍以上は仕事すると思んだけど。
と,仕事が終わって『ヒトラーという男――史上最大のデマゴーグ』,
読了
1999/06/04(Fri)
ぼくらはホントに独りか?
SETI@homeプロジェクトには,現在,全世界から45万人もの参加者があるそうで,このプロジェクトに期待する人の情熱の高さをうかがわせます。で,地球外知的生命探索,SETIについて考えました。多くの人が,「ホントに広い宇宙に地球人だけなんて,さみしいですよね」,と言います。でも,そうでしょうか。
さみしいというのは,私もずっとそう思っていたんですが,ホーキングさんが,どっかで言ってたのを聞いて,ハッとしました(無精にも,記憶を頼りに引用するので間違ってるかも。確か『ホーキング,宇宙を語る』の中だったと思います)。
地球上だけで50億もいるというのに,それでさびしいというなら,どこか通信もできないような天体に,後何億の隣人がいたとしても,たいしてさびしさに変わりはしない。
SETIのページに「Are we alone?」と書かれていますが,これは文法的にも間違っているんですね,だって50億で孤独なわけがありません。
いるのかどうかという好奇心と科学的探求心以上に大きい,「いて欲しい」と思う気持ちは何でしょう。イルカを見て思わずほほえむのと同じような,「隣人への友愛」といったナイーブな感情もあるでしょうが,それよりも,どうも人間が自分たちの存在の,物理的,精神的限界に耐えられないからじゃないのかって気がしたんです。
ETIがいるとして,彼らがどんな種類の知性,身体を持っているのか,それからどんな科学や哲学,宗教を持っているのか,興味がつきません。でも,もしかするとこの好奇心というのは,責任放棄のようなところがあるんじゃないかと。
「我々以外の知性」という意味ではETIと同じかもしれない人工知能について,フランスの哲学者,ジャン・ボードリヤールが,こんなことを言っています。
人間たちが知能をもつ機械を(あるいはその幻覚を)創造したのは,自分たちの知性にひそかに絶望していたから,あるいは奇形的で役に立たない知性の重さに押しつぶされそうになったからだ。
「機械を(あるいはその幻覚を)創造したのは」の部分を「ETIを(あるいはその幻覚であるUFOを)見いだしたがるのは」と読み替えると,どうでしょう。
ずっと進んだ文明なら,いまの人類を嘲笑してくれるはずです。技術レベルが低いからではなくて,技術を自滅の道具にしかねない状況を笑うでしょう。そういう嘲笑を,人類が自分で自分たち自身に浴びせかけ,「いつかきっと克服できる」と確信するためには,ETIがいてくれないと困る。もし,ETIがいつまでも見つからないとすれば,ドレークの方程式から言って,技術文明の寿命はそう長くないのじゃないかという推測につながります。
上に引用したボードリヤールは,続けて言ってます。
そこで,人間たちは彼らの知性を機械のなかに封じこめて,知性で遊んだり,知性を笑ったりできるようにしたのである。この知性を機械にゆだねることは,知へのあらゆる気取りからわれわれを解放してくれる。権力を政治家にゆだねることが,権力にかんするあらゆる野望を笑い飛ばすことを可能にしてくれるように。
SETIにロマンを感じる態度は,どこかで人類の知性を,もっと上位の知性から相対的にとらえ直せる可能性を感じたいと思ってることに関係があるんじゃないかと。そんなことを考えると,何だか,これはもう「神」に近い存在としてのETIを探しているのじ ゃないかという気がしてきます。
FAQによるとTV放送のようなものを傍受する可能性は小さいらしいですけど,もし地球に近い文明から,地域紛争を伝える映像や,くーだらないバラエティー番組が見つかったとしたら,それこそ人類は自分たちの鏡を見た思いに,絶望的な気分にならないかと,妙な心配をしたのでした。
1999/06/05(Sat)
最悪の来客
金曜日と土曜日の日付の変わり目ぐらいに,ゲラがあがってくるというので待っていたら,結局,上がってきたのは5時過ぎだった。うーん,やっぱり今日も朝帰り。今日,土曜日は会社に行ってむなしく待つよりも自宅待機にしよう。
と,思ったら,今日はもう仕事ないらしい。明日の午前中に来てくれればいいって。結局,週末は仕事でつぶれるか。
家でのんびり本を読んでたら,夕方,ぴんぽん。インターフォンに出た相手は「前に住んでる宮島ですけど,ちょっといーかな」だって。ちょっと怒った感じだから,てっきり廊下にとめてるバイクが邪魔だって苦情かと思った。あぁ,やっぱり来たか。しかし,あんなチンピラみたいな声だす奴が前に住んでたっけ。やだなー,何て謝ろうかと思いつつ,ドアを開けると,いきなりがばーっと扉を開くチンピラ新聞勧誘員だった。
やられた,と思ったので「ごめんなさい。新聞要りません。会社で読めますから」と先制。するとまあ,定石通り「まぁ,そぉいわずにさぁ。つきあいってもんがあんだろ,人間だからさ」と来る。ムキムキ系のハゲ頭を前に,ああ,こんなとき腕力に自信があれば,さっさとバシっと言えるんだろうなと思う。「いや,付き合いで取るもんじゃないですから」とか,当たり障りのないことを言い返す。
「何をおっしゃっても取る気ありませんから,時間がもったいないですよ。歩合制でしょう? ほかあたってください」。「そうだよ,大変なんだ。分かってくれよ,な。販売員ってのはさぁ……」。「仕事は何でも大変ですよ」。「まぁ,かたいこと言うなよ,こっちもビジネスなんだからさぁ。3カ月だけつき合ってっていってんだよ」。「ビジネスなら話は早いですよ。要りません。ぼくだっていま仕事の勉強してるんです,ぼくの時間はどうしてくれるんですか」。「へぇー,仕事中なんだ。お,あれは宝石の本? 宝石に興味あんの?」。「あれは岩石……,趣味の本です。宝石なんて興味ないですよ,男だし」。「いや,男とか女とか,そんなもんじゃないよ。価値観だよ,な?」。「忙しいんです。大変なのは分かりますけど,協力できません。協力する理由もありません」。「お兄さん,かぁたいねぇー。3年取ってくれって言ってるわけじゃないんだからさ。な? 朝刊だけなら3600円だよ,誰だってそのくらい持ってるだろ?」。「持ってたら何ですか? あなた,どこの販売店ですか? 宮坂の読売? お名前は? うちの前に住んでるって言いましたけど,住所は?」。「いや,名前なんかは,まあ……」。「こんな強引な押し売りやってて,ホントに良く新聞は偉そうな記事を書けますよね」。「お兄さんホント真面目だね」。「真面目ですよ,真面目に怒ってます。帰ってください。あなたにぼくの生活を邪魔する権利はない」。「遊びで来てるんだったら,邪魔してるかもしんないけど,こっちだってビジネスなんだからさぁ」。
埒もあかないし,なんで,こんなんで煩わされにゃならんのだと,情けない気分になってきたので,気味悪がられるぐらい,何も言わずにぢっと目を見つめ続けてやったら,穏当な捨てぜりふを残して出ていった。まったく。
読売,毎日,朝日の順で勧誘員のタチが悪い。日経は可愛そうなぐらい大人しい。それにしても,やっぱり新聞の勧誘っておかしい。ミソもくそも一緒に議論するわけじゃないけど,再販制度だって,やっぱり何かおかしいんじゃないか,とまで思ってしまった今日の出来事なのでした。
と,書き進んできたら,また勧誘員。むきーっ! あったまきたぞ。
しかし,今度の朝日の人は,雇われ勧誘員ではなくて,販売店から直接来た人らしい。ぼくが怒った調子で「いい加減にしてください! ホント新聞社ってひどいことやってますね」と言ったら,筋違いにもかかわらず「あ,何か苦情とかそういったことありますか? 私,報告しますので,よろしければどちらの人間が来たか教えてください」と,ごく普通のお答え。慌てて,「あいや,ごめんなさい。朝日さんはいつもそれほどじゃないです。ちょっと今,読売の人がひどかったもんで。だいたい読売と毎日はひどいですね。日経さんは大人しいですね」。「あはは,日経さんは,ほとんど勧誘やりませんね」。「勧誘員の質を管理するとか,せめて実態を把握しようとか,新聞社は,そういうことはやらないんですか」。「いや,私は販売店の人間なので,そこまではちょっと分かりませんが……」。
この際だと思って,インターフォン越しに,あれこれと販売店と勧誘員の関係を根ほり葉ほり聞く。ぼくが新聞を取ってない家のリストに載っていることとか,来週になると勧誘員が30人増員されて,またやって来るだろうことなんかを聞く。おいおい,30人も使って勧誘やるの? で,その人件費は購読者負担ってワケ? やっぱりバカにされてるよな。何だよ,洗剤を持ってきたって,どーゆーことだよ。そういえば,最近は洗剤ないな。規制が厳しくなったのかな。
その朝日の販売店の人は「苦情がありましたら,またお知らせください」と,最後まで丁寧で普通の人だったけど,やっぱり後味は悪い。
1999/06/06(Sun)
タイ人の名前って?
今日の発見。ICQでバンコクの女の子と話してたときのこと。横浜にダイスケという名前の友達がいるというから,ぼくは横浜に住んでたことあるんだと答えた。そしたら,「じゃ,知り合いかもね」なんていう。冗談っぽくない言い方だから変だなと思ったけど,「ははは,横浜には100人以上のダイスケがいると思うよ」と答えると,ちょっとびっくりの回答。「なるほどね。でも,タイでは,みんな結構名前が違うから」って。そっか。そーゆーことか。シランかった。
タイでは昔はみんな似たような名前だったけど,最近はユニークな名前が多くなったんだとか。そういわれてみれば,日本もそうかも。程度の違いがどれくらいあるか分からないけど。どう思いますか?
今日もゲラ待ちで自宅待機。昼過ぎに会社に電話してみると,何だか遅れてるみたい。下手したら(きっと下手しなくても),日付が変わってしまうあたりという線になるとか。おーい……。と,結局,夜の11時に出社して今日も朝帰り。はぁぁ。
……………。誰だって,駄目なとことか心に弱いとこはあって,後ろめたさを感じながらやるべきコトを先延ばしにすることはあるよ。ぼくなんてそんなことばっかだし。でも,限度ってあると思う。と,書きながら,やっぱりぼくがやってる不義理なんかも,五十歩百歩かもしれんと思うと,ますます腹立たしい。いや,だからこそ指摘しあったり,相互に監視しあったり,そういう「システム」が必要なんだろうな。
人はこうやって信用を落としていくんだろうな。会社にたいする悪評は,こうやって増えていくんだろうなと思う。仕事の上で,「こいつはダメだ。信用できん」と本格的に思ったのは初めて。他山の石とでもしないと,煩わされたことがむなしすぎる。
1999/06/11(Fri)
roppongi
さすがに前夜,夜更かししたので,起きたのは11時すぎ。パスタをゆでてたら,PHSが鳴った。ライターさんからで,ちょっとびっくり。インタビュー取材を申し込んだら,いきなり今日の午後なんてことになったとか。品川で待ち合わせ。
夜,かなり早めに仕事を切り上げて,六本木へ。大学時代の友人とメシ。気取るだけ気取ってるけど大したことない店で,イマイチな食事。いまどきそういう女の子がいるのかどうか分からないけど,都会に憧れを持ってるナイーブなオトメなんかを口説くのに良さそうな店。
店を出て少し歩く。欲求不満を抱えつつ通りからずっと奥に入ったところにある静かなバーでさらにビールなど。広い敷地に建てられた屋敷ひとつが丸々お店で,ちょっと変わった雰囲気。庭に生い茂る高く伸びた杉の木々の合間から,雲とも夜空ともつかない曖昧な灰色が見えている。杉の枝枝には,池の水に反射した照明の明かりがゆらゆらと揺らめく。計算された光だろうけど,わざとらしさはなくて心地良い光。オーロラを思わせるその光の動きは幻想的でさえあった。
夜気が気持ちいいからというので,オープンエアのテラスにゆったり陣取っておしゃべり。「静かな夜やね。ここってホントに東京?」。建物の中でカジノの興じる人たちの歓声が,まるで遠くのスタジアムから聞こえるざわめきのように背後に聞こえる。
ある決心について,背中を押してもらおうと思って久しぶりに待ち合わせたんだけど,待ち合わせの約束をした直後には,もう自分でハッキリ決心してたから,他愛ないおしゃべりばかり。業種も勤務形態も違うけど,どっちも仕事の愚痴をいくらかこぼして笑う。資本主義ってのはなんやろうね。
結局,今日も遅くまで飲んでしまって帰宅は3時。
1999/06/12(Sat)
やっぱりダメか
久々,10時間睡眠。背中が腐るほど寝た。スッキリ。
先月受験したTOEICの結果が届いた。3年前より70点あがって,750点。まあ,履歴書に書けなくはない点数だけど,やっぱりぜんぜんダメだ。ろくに勉強しなくて点数があがるわけないんだけど。はぁ。
見事にListeningだけ点数が上がって,Readingの点数は変わってない。文法上の間違いを指摘しろってな問題あたりが,ぜんぜんダメらしい。大学受験のときと比べても,grammarは落ちてるんだろうなぁ。話したり聞いたりするほうは,ずいぶんできるようになったつもりだったけど……。うーん。
やらなきゃという気分になるために受験したことにしよう。でも,次はTOEICじゃなくて,TOEFLかな。と,検索したら,
TOEICとTOEFLの換算式が出てきた。TOEICの750点というのは,TOEFLに換算すると557点らしい。TOEFLの600点は,TOEICの873点。なるほど。
1999/06/15(Tue)
ネット株暴落
近々,いつか来るぞと言われてたけど,やっぱり暴落が起こったね。米NASDAQのネット関連株。いやはや,
E*TRADEの投資体験ゲームで10万ドルを元手に遊んだことあるけど,そもそも動きが激しいもんね。
Yahoo!,Amazon.com,eBayあたりが軒並み落ちて,4月の最高値の水準からすると,みんな半値程度に落ち込んでるとか。6月14日だけで,eBayが18%,Amazon.comが13%,Yahoo!が12%も落ちたって。まあ,実体を伴わない株式だけの成長だったから,調整局面に入ったというのは正しい見方なんだろうね。
しかし,eBayなんて去年9月のIPO以来,25倍だよ,25倍。あなた,100万円も注ぎ込んでたら,2500万円に膨れ上がったってコト。すごいよ。と,そんな風に目がくらんだ人たちが世界中からNASDAQの株を買いあさったんだね。
夕方,秋葉原に行ってライターのH氏と打ち合わせ。そういえば,ちゃんとH氏と面と向かって話をするのは初めてだな。打ち合わせ後,そのまま,業界人が集まることで有名な秋葉の焼肉屋。うーん,いろいろ勉強になったし,記事の構成も見えてきた。しかし,編集部に帰って仕事する気力がなくなり,直帰。
1999/06/16(Wed)
何年ぶり?
早めに会社に行って仕事。今日は暑い。がちゃがちゃうち合わせだの連絡だのやって,夕方は某大学の先生と単行本の打ち合わせ。と,言いながら,焼き肉を食いに。うーん,2日連続で会社の金で焼き肉とは。そういえばボーナスが出た。いちおう出たらしい。
夜,Sバンク社に勤める友人が出張で東京に来ているというので六本木で待ち合わせ。小学校から高校まで一緒だった友人の頭が薄くなっているのに,ちょっと驚き。うーん,きてるね,確かに。いやまあ,お互い歳をとったね。何年ぶりだっけな,会うの。
ひさびさで大阪弁でしゃべりまくる。仕事の話。ビール飲んでワインを1本あけて,もう1軒行こうと言ったのはいいけど,一歩間違えれば(間違えなくても!?)オジサンと呼ばれてもおかしくない男が2人でクラブに行って,さて。入った店が最悪で,中途半端に流行ってるようにみえて,うるさいだけで何も面白くない。夜光塗料の入ったスティックを振ってバカみたいに踊ってる女の子が,とてつもなく滑稽に見えた。華奢な腕,いかにもな髪,服。なんつーか,ホーチミン市の「ディスコ」ってゆーんでしょーか。「ナニこの人たち?」という,異文化のヒトを見るような冷静な目で見てしまった。夜毎夜毎,こんなアホくさい踊りが展開されてるのかと思うと,何だかやりきれない気分にさえなってしまう。こういうぼくのような状態を,一般に「トウのたった男」とでも言うのか。何とかしてやろうなんて,これっぽっちも思わないのだな。それは嘘だけど。
1999/06/17(Thu)
箱根
午前中,青山の某事務所に書類を取りに行って,そのままの足で郵便局で振り込み&申し込み手続き。TOEFLの試験は8月7日。今度こそ勉強しないと。
順調に仕事をこなしているような気もするけど,日々仕事が増えたり減ったりで進んでる感じがしない。うーむ。明日は雑誌の発売日だ。すでに誤植を見つけてため息。
違う編集部でバイトしているUくんが,うちの編集部をうろついていたので,つかまえて原稿を書いてみないかと持ちかける。考えてみたら,彼はその原稿に結構適任かもしれない。若いけど,知識も豊富だし,極めてマットーな印象。
夜,自宅に帰ってメールをチェックすると,日付が変わった頃に筆者さんから原稿が届いてた。うーん,面白い。バランスいいし,ホントに文章うまいやね。気取りがなくて,軽やかさと愛情がある。なぜかぼくが原稿中に連載担当者として,登場している。それはいいけれど,「敏腕編集者」なんて書かれると,いくらなんでも面はゆいものがある。きっと,ぼくは表現を変えてしまうことでしょう。
明日から1泊で箱根。メーカーさんの招待なんだけど,ナニも箱根くんだりで記者ブリーフィングやんなくたって……。明日は早起きだ。今ひとつ乗り気になれないけれど,外に出かけて行って,ヒトの話を聞いてナンボの商売だし,顔つなぎの意味でも,やっぱり行ったほうがいいわけで。しかし,ゴルフなんてやんないし,箱根観光も興味ないから,土曜日は朝一番で帰ってくる予定なのねん。でも,いつも仕事の話しかしない広報さんと,世間話をするのって,それはそれで楽しそう。ぼくって実は「人間がスキっ!」ってタイプなんだよな。んなこたないか。
1999/06/19(Sat)
Free on Free
標高もグレード(お値段)も箱根で3本指に入るという旅館に宿泊。「お一人様ずつ一部屋ご用意させていただきました」というのはいいけど,通された部屋が何とびっくり,20畳近くある広い部屋。あいにく天気が悪くてガスってたけど,窓の外には広々と緑のゴルフコースが広がっている。うーん,こんな贅沢な部屋を一人でどうしろってんだと思いつつ,久しぶりの畳だったので「大」の字になって寝てみました。新聞・雑誌など,各媒体から15人ほど招いているから,メーカーさんも本気なんでしょう,今度のビジネス・プランは。
翌朝は,予報通り天気も悪く,観光って気分でもなかったので,チェックアウトして早々に帰京。まあ,おいしいものを食べられたし,お酒もおいしかったし,露天風呂も気持ちよかったのでなかなかありがたいツアーでした。
正午頃,新宿に着いてそのまま会社へ。今日は「Free on Free」という謎のイベントが地下の大会議室で行われるというので,半分取材,半分ひやかしで参加。思ったよりたくさんヒトが来ていて,発表者の顔ぶれも凄い。Freeのシステム上でFreeのソフトウェアを開発している人たちが,自分たちの成果を紹介したり,交流したりというイベントなわけですが,Muleを作ったヒトなんかも来ていたりして,分かるヒトにはそのすごさが分かるという内容でした。半日で発表者が12人ぐらいいて,ちょっと詰め込みすぎという感じだったけど,とても内容の濃い,面白いイベントでした。ちょっと記事にするのは無理だろうけど。
ぜんぜん関係ないけど,
FAQのページ,ちょっと変えてみました。ポラロイド写真風を目指したけど,あんまりうまくいかない。フレームが黄ばみ過ぎか。
1999/06/20(Sun)
猫と
13時出社,20時退社。これって,休日出勤のいわば半ドン。
夜の10時頃,自宅の前にバイクを止めると,道の向こう側に白い猫がいた。遠く聞こえる電車の音に耳をぴくぴくさせながら,ぢっとしてる。なるべく視線を合わせないように,ぼくはその場でしゃがんでみた。1,2分して,少し間を詰めてまたしゃがむ。やっぱりお互いに視線はあわさないまま。知らん顔してたら,やがて向こうから近づいてきて,頭をぼくの膝にぶつけ始めた。やっぱり甘えてきた。夜の猫は誰かと遊びたいんだな。
5分も放っておくと,大抵の猫は,ひとしきり遊んでしまって,勝手に飽きてしまう。飽きると,あらぬ方向を見つめながら,数秒動かずにいて,それで,その後ふいっと歩き出して振り返りもせずに,どこかに行ってしまう。
ふと思い出して,検索してみた。1991年8月14日――。ぼくって,デジタルデータに関しては物持ちがいいな。8年前のログがHDDに残ってる。そして8年前と変わっていない自分に気づく。これは,パソコン通信時代,あるところに書いた文章。なんと20歳だったんだな,ぼくって。
突然ですが僕は猫が好きです。犬よりも猫の方がずっと好きです。ちょうど今,煙草を買いに外に出ると,暗がりの公園に猫がうずくまっていました。しばらく,じっとこちらを見つめていて,僕がそっと傍に近づくとおもむろに立ち上がり,まだ距離をおいて見ている僕の様子を窺っていました。しゃがんで手を少し出すと,その猫は,少しよそ見をしてから寄ってきました。ためらった風でもないし,警戒しているわけでもなさそうでした。僕の周りをクルクルまわりながら,本物の猫撫で声で擦り寄るその猫は,決してはしゃぎ過ぎたり,媚びたりすることはありませんでした 。大抵の猫はしばらくそんなふうにしていると,突然立ち止り,僕がいることなんか忘れて,あらぬほうを見るともなしにしばらく見つめては,興味なさげに振り返りもせず足早に立ち去ってしまうものですが,今日の猫は,いつまでも僕の膝頭をぶっつけたり股の間をくぐろうとしたりしていました。明かりのほとんどない場所だったので猫の瞳はまんまるでした。いよいよ僕は立ち上がり,いつも猫達にされてしまう無関心な態度で,その猫から離れました。少し歩いて振り返ると,いつもと立場が逆転して猫が僕の背中を見ていました。だけどその時の猫の目には僕の気持ちを忖度する様子も,なにかを僕に求める色も微塵もありませんでした。僕がそのまま立ち去ろうとしているのか引き返す気があるのかどうかなど少しも確かめもせずに,その猫は,ただ僕との距離を確認しては,もとの場所に戻って,またうずくまるだけでした。あの猫は,きっとオスだったことでしょう。
なんで「あの猫は,きっとオスだったことでしょう」なのか分からんぞ(笑)。しかし,読み返してみるといろいろと思い出すもんで,当時はいていた淡い色のジーンズの感触とか,猫のしなやかな背中とか,ゴロゴロいってた猫の声とか,リアルに思い出すな。猫って寿命どのくらい? もう死んじゃったかな,奴は。深夜の公園のベンチに10分ぐらい座ってた気がするな。
1999/06/22(Tue)
巨大メール
朝,眠い目をこすりながらメールチェックを済ませた頃,会社から電話。隣の席のU氏から連絡事項。ぼくのメールがピンポンしてて,会社のメールサーバが落ちたということ。システム管理者がすごい剣幕で,ぼくのところに来て,ぼくのメールアカウントを止めたらしい。がーん,ショック。でも,何で?
すぐに原因が分かった。S先生の原稿が2MBもあって,それが転送先のプロバイダのメールボックス容量制限を超えたんだ。で,エラーが発生して,そのエラーメールが,もう1度会社にサーバに戻って,それがプロバイダに転送され,というピンポンが起こる。で,その「送れませんでした」というエラーメールが,またバカみたいに全文くっつけて送り返しやがるもんだから,あっという間に膨大なトラフィックが発生して……。
Hi-Hoのメールボックスは,ちょっと小さいような気もするし,S先生のメールは大きすぎるような気もする。それにしても,何だかメールってもろいシステムだね。10GBのトラフィックが発生して,最終的に1GBのファイルが2つ,ホームディレクトリに残った。
システム管理者に転送禁止を言い渡されて,自宅でメールが読めなくなってしまった。もともとプライベートのメールも,すべて会社のアドレス経由で読み書きしていたから,ほとんどすべてのメールを自宅や出先で読めないことになる。対策を考え中。
1999/06/27(Sun)
Perl偉すぎるぜ
この日記を生成しているPerlスクリプトを,Linux上に持っていったら,ほんのちょっとの書き換えでバッチリ動いてしまった。別に当り前のことなんだけど,感動。いよいよ,Linuxをメイン環境にしようと決心。クライアント環境として使うのは3年ぶりか。
VMwareを買ってしまった。
というわけで,この文章はすでにMule+Cannaで書いています。このHTMLのソースを見ると,いままでShift_JISだった部分がISO-2022-JPになっていることを,あなたは発見するでしょう。うむ,遊んでる場合じゃなくて原稿を書かないと。
今日の設定項目。PPxP,vmail,tkppxp,NDTPd,bookviewer,lookup-mule,WX FTP,FileRunner,Micq。これでEPWINGの辞書引きもできるし,メールもまあイケる。FTPクライアントもGUIなものがあるし,日本語の通るICQクローンまでそろった。すごいやんか。なんか全然問題なしかも。
思わず,嬉しくなって,e-lispまで書いてしまった。やっぱりUNIXはええ。楽しい。なんでもできるわね。それに,Linuxは何をやっても落ちないし。いやいや,だから,そんなことやってる場合じゃなくて,原稿を書かないと。