the other side of my days
ご意見,ご感想,ごいちゃもんなどございましたら
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>まで。


1999/05/01(Sat) あけすけのレダ
1999/05/03(Mon) レダ,レダ,レダ……
1999/05/04(Tue) 長いメール
1999/05/06(Thu) 仕事復帰
1999/05/07(Fri) 13〜16km
1999/05/08(Sat) ガーリックチップス
1999/05/10(Mon) です・ます
1999/05/11(Tue) 使命感? 嘘ぉ
1999/05/12(Wed) 引用魔
1999/05/13(Thu) 郵政大臣に渡しといてんか
1999/05/14(Fri) 晩御飯を食べない金曜日
1999/05/15(Sat) 時間のサイエンス
1999/05/16(Sun) どのみちダブル・ブッキング
1999/05/17(Mon) 爽やかな季節
1999/05/18(Tue) 他者
1999/05/19(Wed) 僕は……
1999/05/20(Thu) 耳鳴り
1999/05/21(Fri) 逃避
1999/05/22(Sat) 欲望
1999/05/23(Sun) レダ
1999/05/24(Mon) ゲームのように思えた
1999/05/25(Tue) ジョークメール
1999/05/26(Wed) 月末……
1999/05/27(Thu) 沈んだり
1999/05/28(Fri) 出口はどのくらい先だろう
1999/05/29(Sat) 15万年の計算
1999/05/31(Mon) VMwareすごいぜ


1999/05/01(Sat)

あけすけのレダ

仕事が遅れたために,いろいろと予定が狂ってしまった。誘われていた飲み会,行けず。

近所のバイク屋で,ツーリングには必需品だと言われた雨合羽を買う。カッパですよ,カッパ。バイク便じゃないから,雨の日は基本的に乗らない。だから,一番安い奴。ひぇー,格好悪い。ついでに,チェーンのオイルスプレーと,靴に巻き付けるバンド(クラッチ操作で靴が傷むんです),盗難防止のU字ロック,後部座席に荷物を載せるためのネットを買う。そしてやっぱり半帽のヘルメットを買ってしまう。フルフェイスって,解放感がないのよね。ずーっと半帽をかぶっていたから,急に息苦しくなってしまった気がして。買ったばかりの半帽ヘルメットをかぶって,夕方,あてもなく走り回る。GWだからかどこも結構渋滞してるけど,少し湿り気のある秋のような爽やかな空気が気持ちいい。東京はここ2日ほど天気がよくて,放射冷却による夕方以降の冷え込みが激しい。長袖のTシャツ1枚という軽装だったから,寒くなって,すぐに帰還。

『ケンブリッジ・クインテット』,読了。機械は知性を持ちうるのかをテーマに,哲学者のウィトゲンシュタイン,数学者のチューリング,生物学者のホールデイン,物理学者のシュレーディンガーが一緒に晩飯をくいながら論争するというフィクション。1949年,イギリスのケンブリッジに集まってディナーをともにしたって設定で,喧々囂々議論を交わす。
フィクションであって,実際に論争をしたわけじゃないけど,いかにも彼らが言いそうなコトを,うまく台詞にしている。これは小説なんだろうか。ジャンルに分けづらいな。分ける必要もないんだろうけど。
一癖もふた癖もある奇人・変人・天才ばかりだから,面白くないわけがない。読み始める前には,僕はチューリングの立場に一番近いように自分では思っていた。機械で脳の働きが置き換えられない理由はないってね。だから,読み始めた時点ではウィトゲンシュタインの言葉に,イライラした。怒りっぽくて,自分の主張に理由をつけないで,ただ「そんなわけがない!」と怒鳴るだけ。僕はウィトゲンシュタインのファンだから,むしろこの架空の晩餐会でウィトゲンシュタインに,妙なコトをしゃべらせる筆者にイライラした。それが,ずーっと読み進んでいくうちに,だんだん考えが変わってくる。ウィトゲンシュタインの主張は一貫していて,要は言語というものは人間的文化を背景に持っていて,社会的経験を共有しないかぎり言語を理解することはできないというわけ。「痛い」という言葉は,実際の人間の「痛み」という経験があって,初めて意味を持ちうるのであって,いくら機械がチューリングテストにパスしたかに見えても,そのことによって,機械が知性を持った,言語を理解したということにならないのだという。
人工知能に関して,いろいろな立場があり得るわけだけど,そのどれもをバランス良く取り込んでいて,それぞれの説得力のある部分だけ抜き出して構成しているところに,この本の筆者,キャスティさんのすごさがあると思う。僕は割と単純に,機械が知性をもてない理由はないと思っていたけど,だんだんに,コトはそう単純ではないんだと思うようになった。

ここ3日ほど,何故かリルケの詩のことを考えてた。「あけすけのレダ」という詩。リルケの詩集のことを考えてたのか,この詩のことを考えていたのか,あるいは「あけすけ」という言葉の響きだけがリフレインしていて,リルケの詩のことを思い出したのか分からないけど,ともかくこのところ,リルケの「あけすけのレダ」が気になってきていた。
もう7年近く前に読んだきりだと思うけど,無性に読みたくなった。レダは白鳥だったように思う。ギリシア神話を題材にしているから,白鳥座の白鳥だと思うけど,ストーリーは,こんなんだったと思う。たまたま湖を通りかかったゼウスがレダを見そめて,白鳥に化ける。ゼウスはレダに近づき,そして思いを遂げる。そのとき,ゼウスは「自分の翼を嬉しく思った」と言っていたような気がする。この言葉がどうも気になる。神であるゼウスが,わざわざ白鳥になり,その翼を嬉しく思ったという。ここで言っている「翼」というのは,人間という存在の,現世的なしがらみと,しがらみの中に見いだされる歓喜の象徴なのだと,読んだ当時の僕は思った。しがらみに身を投じないことには,本当の喜びは見いだせないのかもしれない。
僕はいま,何となくまいっているんじゃないかと思う。キザなことを言えば,もっと力強く,生活を,生を肯定したい。今の僕に必要なのは翼なんじゃないかと,センチメンタルに思ったりするわけなのです。
久しぶりに,夜眠れなくて(明日の朝は早起きしてツーリング。遠足前の子供のようなものかな),深夜,寝床でもそもそしていたけど,ついに飛び起きて本棚を探し始める。本棚にはなるべく読んだ本を残しておこうとしているんだけど,リルケの詩集は見つからない。
本棚になくても,インターネットなら絶対どこかにあるはずだと思って,検索を始める。国内のサイトは無理だろうなあと思ったら,やっぱり全然なかった。で,文学作品をテキスト化しまくっているProject Gutenbergに行ってみる。詩集はあんまりないみたい。Rilkeのそばを見たけど,ランボー(Rimbaud)も見あたらなかった。続いて海外サイトで検索。ありました。「rilke leda」で検索したら,ズバリ,探していた詩が出てきた。原題は,Ledaだった。
読めない。ドイツ語だった……。詩の中に繰り返し出てくる“Schwan”というのは,たぶん英語のswan(白鳥)だろうから,探していた詩に間違いないと思うんだけど,ドイツ語なんて読めない。悲しい。

1999/05/03(Mon)

レダ,レダ,レダ……

1泊2日でツーリング。編集部のバイカー2人と3人で。実家の熱海を目指して海岸沿いを走る。初日は天気が良くて気持ちいい。シールドを開けて走ってたから,目から鼻,頬のあたりにかけて日焼けしてしまった。
2日目,全部まわったわけじゃないけど,富士五湖めぐり。山中湖で白鳥を見た。白鳥って,結構からだが大きいのね。それと,種類によるのかもしれないけど,真っ白な鳥というわけじゃない。首筋が黄色っぽい。遠目に見る分には羽づくろいなんかしてると美しいかもしれないけど,間近で見ると,タダの鳥って気がしなくもない。前々日の夜に探してた白鳥,レダとは,絶対に違うと思った。

峠を攻めるっていうの,まったく理解できない感覚だったけど,自分でバイクで走ってみて,何となくその楽しさが分かったような気がする。ヘルメットの下で,やや笑みを浮かべつつ,コーナーを走り抜けてたのでした。

1999/05/04(Tue)

長いメール

京都で大学生をやってるという読者からメールが届いた。違う号の別々の記事に書かれた僕の主張に対して,疑問があるとか。わー,良く読んでるなぁ。僕のメールアドレスまで知ってたわけだから,さらに別の記事も読んでたわけだな。
テクノロジー・インテリ階級の登場。ネットワークやコンピュータといったテクノロジーを理解し,行使することも,個人の能力になってしまうことに対する危機感というようなことが書かれてある。コンピューターが使えなければ,あるいはコンピューターを保有していてなおかつネットワークに接続していなければ社会から取り残される……。うーん,そうですねぇ。
あれやこれや考えてキーボードを叩いているうちに,ものすごい長い返事メールを書いてしまった。いままで,ここまで長いメールは書いたことがなかったかもしれない。いい加減長くなりすぎたので出そうと思ったときには,3時間も経っていた。しかしまあ,仮にもエディターやライターを名乗っている僕の文章のほうが,読者の文章よりも支離メチャメチャになっているのが自分でも分かって,なかなか情けない気分になりました。いやはや,優秀な若者なんでしょうな……って,僕はずいぶん年寄りみたいだ。いや,学生だからって僕より若いとは限らないか。

1999/05/06(Thu)

仕事復帰

6日も7日も休んでやろうかという目論見もあったけど,やっぱり出社。午前中,雨が突然降ってきたりしてたけど,昼頃にはもう快晴。12時過ぎに横浜の友人宅を出発。第3京浜をひた走る。道は空いている。ようやく高速にも慣れて,風を切るのが心地よくなってきた。空気が適度に湿っていて,気持ちいい。
会社にちょっと立ち寄ってから,すぐに神楽坂にある印刷所へ。校正刷りが出てくるのに,ずいぶん待たされたもんで,結局印刷所を出たのは19時を回ってた。もうこうなったら(どうなったら?),直帰だもんね。

京都の学生さんから,またメールが来た。鋭いとこ突っ込みますねー。ちょっと話が抽象的,未来的になりすぎて「何とでも言える」部分に突入している感じもするけど。まあ,僕が「何とでも言える」部分にかんして何やら書いたことに対する意見だから,それは仕方ないんだろうけど。

千鳥足。お酒やめたい。せめて毎日飲むの,やめにしたい。罪悪感を感じながら飲むようになったら,終わりっていうよな。

1999/05/07(Fri)

13〜16km

とっとと仕事を切り上げて,夜は会社のそばの飲み屋に同期とビールを飲みに。おお,見事に昨日の夜の「お酒やめたい」という気持ちは24時間で綺麗サッパリなくなってたわけで……。で,やや酔っぱらい。ホント気持ちいい気候やねーと思いつつ,バイクに乗って帰途につくと,世田谷区役所あたりで検問。がーん。250に乗って初めての飲酒運転で,いきなり検問なんて。
「はぁーってしてください」と言われて,白々しくも弱気な吐息でごまかしを試みる。「もう少し強く」。ああ,ダメかなと絶望しつつ,さらに弱々しく「はぇー」とか。「ちゃんと吹いてください」と言われて,諦めた。
免許の残り点数は3点しかないから,酒気帯びだと,1点? 2点? まさかビール1リットル程度で飲酒運転にはならんだろうと思いつつ(「酒気帯び」と「飲酒」って雲泥の差があるんですよね,確か),「ふぉー」と本気で,アルコール検知器に向かって息を吹きかけてみた。
「はい,お疲れさまです。お気をつけて」だって。うーん,エチルアルコールは検出されなかったらしい。確かにグリーンのランプは,ずっとグリーンのままだった。ちょっと謎。機械の精度の問題か,はかり方の問題か。いちおう,ふぉーっと勢いよく息を吐きつつも,口をすぼめてターゲットから息の方向をずらしたのが良かったのか。でも,まあ助かった。と,思うべきか,ここらで痛い目にあっとくべきだったと思うべきか……。

懲りずに,さらに家の近くのバーに寄り道。車やらバイクやらのジャーナリストをやってるってなオジサンとおしゃべり。何故かそのバーにはバイク雑誌の編集者やライターが多く集まるんだよなあ。そのオジサンは,あの徳大寺さんともお友達らしい。僕が最近免許を取ったばかりだという話をしたら「バイク仲間が増えて歓迎だよ」って,にこにこしてた。
そのオジサンいわく,昼間,都内の車の平均時速って,13〜16kmなんだってね。それで何で200馬力も必要なのかって力説してた。わずかな瞬間的加速のために,一体いくらお金を払うんですかって,そんなこと言ってたな。都内の移動に最強の実用的乗り物はスクーターだって結論に。しかし,実用だけじゃないのがね。バイクであり趣味の車であり,ね。

1999/05/08(Sat)

ガーリックチップス

天気がよい。すがすがしい気分で,午前中にバイクに乗ってお出かけ。午後は砧公園のベンチにねっころがって,読書。休日の公園を,子供たちが駆け回る。のんびりお弁当を食べているカップルがいる。いいトシのした男が1人で来るところでもないなと思いつつも,のんびりと。暑くもなく,じっとしていても寒くもない。いかにも,その牧歌的な公園の風景と読んでいた本が描き出す,背筋ぷるぷるの世界観とのギャップに,ちょっとめまいがする。
3時頃,都内をぐるぐる走って秋葉原へ。何を買うわけでもないし,何が欲しいわけでもなかったけど。何だか,もうショップをのぞきたいという気もあまり起きない。かつてあれほど,毎週買い物に来ていた自分が信じられない。
夕方,高田馬場で大学時代の友人と待ち合わせ。急な呼びかけに,待ち合わせ場所に現れたのは僕ともう1人だけ。男2人で飲みに行くってのも,何だよなあと思ったけど,生物学者の卵の彼と話をするのは結構面白い。ヒトゲノム計画で解明される遺伝子情報から,その純粋な情報だけから,DNAを合成して,そのDNAを染色体に折り畳んで,さらにそれを母胎代わりの試験管内でヒトにまで成長させる。現在できないが,それは純粋に技術的な問題だということを言っていた。原理的には,何もないゼロの状態から,分子の合成だけで,ヒトを作れると言ってるわけだ。生命に神秘はないのか。生命と非生命を分ける,最後の壁も,もうなくなろうとしているのかってね。ましてヒトを作れるってんだからさ。DNAの合成って,長さによるけど,数千円でできて,業者に注文して1週間程度で届くんだってね。
これは凄い話だと思う。遺伝子治療やクローン問題で,生命倫理がさかんに議論されているけど,専門家の見解は,もっと先を行っていて「ヒトをゼロから作ることも技術的な問題だ」ということになっているらしい。その技術の完成に50年や100年,あるいは300年かかるかはともかくとして,原理的に可能だという見解。これは一般人は持っていない感覚だと思う。あるいは一般人には受け入れづらい感覚だと思う。
途中から1人が参加。大学時代に良く過ごした,昔懐かしいバー,「ガーリックチップス」で12時前まで飲む。話題は大学生のときとは必然的に違うのだけど,メンツも場所も同じだから,不思議な気分。

1999/05/10(Mon)

です・ます

午後,某社某委員会の人と新連載の打ち合わせ。電脳国語学,そんな感じの連載になるはず。打ち合わせそのものよりも雑談のほうが面白い。普段気になっていた「です・ます」言葉の問題で,新しい話を聞けた。最近気になっているのは,「ます」が減ってきているということ。本来,「〜ます」としか言わないはずのところ,無理矢理「〜です」という言い方をする人が増えている。たとえば,「行きました」が「行ったです」,「食べましたが」「食べたです」となる。これは極端な例だけど,「詳しくありません」が「詳しくない・です」,「多くありません」が「多くない・です」というのだと,結構使う人が多い。注意して聞いていると,ホントに多いです。こういう言葉って,僕には不自然か,少なくともぞんざいに聞こえる。「多くないです」のかわりに「多くないんです」なら,まだ違和感は少ないけど,やっぱり丁寧なニュアンスは「多くありません」より少ないです。
なんで,「です・ます」のうち,「です」が優勢になってきたかっていうと,どんな言葉でも後から「です」を付ければ良いだけだから,楽だからなんだよね。「ます」のほうは,それに先立つ動詞なり形容詞なりを,「ます」にあわせて変化させる必要がある。「です」のほうは,何でも言っちゃってからくっつければオーケーです。
言葉は楽なほうに楽なほうに変化する力が常に働くから(労力逓減の法則とか何とか言うらしい),まあ当然と言えば当然なのかもしれないです。ら抜き言葉だってそうだし,アクセントの平板化もそうです。歴史的にナ変活用がなくなって,カ変とサ変しか残らなかったのもそうだし,形容詞のウ音便だって,最近使う人いないです。うれしゅうございます,なんてシャレ以外で言ったら,ちょっとナニモノって感じだもんね。カ変って,将来的になくなるって話も聞くです。
で,今日の知ったのは,言葉が常にシンプルに,合理的になる方向にだけ向かっているのではないのじゃないという例です。「です」っていうのは,ものすごく古くて,由緒正しい言葉らしいです。ところが「ます」のほうは,せいぜい江戸時代に出てきた言葉で,元は郭言葉くるわことばじゃないかと言われているらしい。「ありんす」という例の奴です。その「ありんす」が変化してできたのが「あります」だとゆーわけです。流行語だったか何だか分からないけど,「ます」は本流ではなくて,出自はサブカルチャーだったというから,そんな妙な言葉が,そもそも「です」に混ざって使われるようになったのは何故なんだろう。もし,言葉がシンプルな方向にという力だけで変化するなら,「ます」が広まった理由は分からないです。
そもそも,言葉というものが,例外を少なくする方向,それこそ文法的に整合的,合理的なものに変化しようとするものなら,どうして世界の言葉は,どれをとってみても,例外ばかりで,不規則変化だらけなのか説明できないよね。何でエスペラント語のようなものにならないんだろう。規則のうちに不規則を入れる力は,一体なんなんだろう。
もう1つ,興味深い話。13世紀から14世紀にかけて,日本語というのが,それまで経験したことないほど,ものすごく変化したという事実。理由は良く分かっていないらしい。へぇ。14世紀以降の日本人と,現代日本人が出会ったとして,現代日本人が朝鮮半島に行くよりも言葉は通じるだろうけど,13世紀以前だと,意志の疎通が難しいのじゃないかという。織田信長に向かって僕が「腹が痛い」と言えば,多少の音韻の違いがあるにしても,何を言ってるか分かるだろうって話。

夕方から夜にかけて嫌に長い部内打ち合わせ。気分的に疲れた。終わってから原稿を書こうと思ってたけど,キーボードを打つのが億劫でたまらなくなって,10時過ぎにさっさと退社。久しぶりに,経堂の居酒屋に晩飯がてら,ビールを飲みに行く。
すごいカップルを見た。40がらみのお坊さん(本物の坊主だ)と,二十歳そこそこの女の子が結婚するらしい。その場に,女の子の母親登場。初顔合わせらしい。母親が坊主と同い年ぐらい。なんちゅー組み合わせだ。坊主の妻帯はいいとして,この年齢差は犯罪だよね。酒もがぱがぱ飲むし。典型的な生臭坊主だ。いちおう曹洞宗らしい。

1999/05/11(Tue)

使命感? 嘘ぉ

夕方,打ち合わせで会社のある初台から渋谷までバイクで行く。電車で行くと遠回りして面倒なことになるし,バスでも20分ぐらいかかるけど,直線だと近い。10分ちょっとで着いた。
ライターのH氏と今後の連載の方向性など打ち合わせ(といっても,半分以上は雑談モード。またまた今日もいっぱい勉強になった)。内容が難してついていけないと言われがちの連載だし,内部的にもなかなか存在価値が理解されないけど,やっぱり続投を決定。初心者にも分かりやすくという方向転換も考えたけど,やっぱりそれじゃダメだ。難しくても,これは非常に大切な連載なのだ。雑誌にとっても,おおげさにいえば日本の情報産業にとっても必要な連載なのだ。と,打ち合わせしている間に連載開始当初の使命感がよみがえる。ウチがやらなきゃ,どの雑誌がやるんだ。僕がやらなきゃ誰がやるんだ,とか。かっこつけすぎか。僕が記事を書いているわけでもないし。

1999/05/12(Wed)

引用魔

午前中にでかけて,昼頃まで会社の近所の喫茶店で,珈琲を飲みながら読書。なんとも贅沢な時間の過ごし方やね。で,ジャン・ボードリヤール『透きとおった悪』,読了。実は去年買った本だけど,いまいち読む気がしなくてほったらかしにしてあった本。本の物質性へのこだわりは,フェティシズムにすぎないなんて,ずいぶん偉そうなことを書いたけど,やっぱり本って,装丁デザインは大切だよね。読む気にならない装丁なんだもんなぁ。
装丁はともあれ,内容はスリリング。極めて刺激的,魅力的な文章がちりばめられている。だからというわけでもないけど,本文の引用ができるように,読書リストの生成スクリプトを変えてみた。引用しまくり。それぞれの引用に感想をつけたいけど,実はすでにスクリプトがスパゲッティ状態で,新たにタグの処理を付け加えるもなぁ。

1999/05/13(Thu)

郵政大臣に渡しといてんか

朝,書留で送られてきたスーパーキャッシュを郵便局に取りに行く。郵便物を受け取ろうと,カウンターに向かうとカウンター上に座っている赤ん坊がいる。赤ん坊をはさんでカウンターの内と外に30代前半といったところの男性。1人はもちろん職員で,もう1人はどうも友人らしい。遠くて聞こえないけど,「可愛い子だな,おい。しかし,お前が子供をねえ。最近,あいつどうしてるかな」なんて会話が聞こえてきそう。たんに職員と郵便局利用者の関係かもしれないけど。職員は,赤ん坊の足をもてあそんだり,ほっぺをつついたり。表情が程良くゆるんでいる。カウンターに別のお客さんが来て,さっと公務員の顔に戻ったときのギャップが,なんとも良かったな。
赤ん坊にも増して,何だか嬉しくなったのが,僕の後ろからかけてきたオバサン。思い切り関西弁で「投書箱って,どこいきましたん?」と,にこやかに職員に問いかける。動きに妙にメリハリがある。「苦情もって来ましてん。でも,あんたら職員に対する苦情ちゃうで。郵政大臣に対する苦情やで」。あくまでニコニコと愛想がいい。「えぇと,あの投書箱はぁ……」。歯切れの悪い職員に,ぱぱっと書状を手渡しておばさんは続ける。「ええわ,あんたに渡しとく。確かに郵政大臣に届けてや」。それでさっさとおばさんは郵便局を出る。
何の苦情か分からない。でも,こんなすがすがしい苦情ってないね。いきなり大臣に渡せ,だもんね。だからといって,職員に対して嫌悪感を露わにするようなことは一切ない。嫌悪感を誰に対して持っているのか,自分でハッキリと認識しているんだと思う。たぶん,職員たちでも郵政大臣個人でもなくて,体制なんだと思う。だから,とても健全な苦情なんだと思う。
苦情を述べる態度って大阪と東京で,違いは大きいと思う。大阪は言うことは言う。堂々と言う。当然のこととして言う。冷めたトンカツを出されたら,「何やねん,これ?」と店員に文句を言う。店長を呼んで説教する人もいる。東京の人は,身内とこっそり「これ冷めてるね。最悪。もう来ないね,ここ」と言うだけ。だから東京はイチゲンさんだけでやっていくまずい店が多いのだと思う。
大阪には怒りっぽい人も多いけど,言うこと言うから後腐れもなければ,変な恨みつらみも少ない。言うべき時にハッキリ言う。東京に住む人は(東京ネイティブ,つまり江戸っ子じゃなくてね),たいてい苦情を隠す。言わないのが礼儀,都会の洗練かもしれない。でもね。
大阪に住んでいたころは,「せやせや,もっとゆーたれ」と思うような,すがすがしい苦情に良く会ったような気がする。食べ放題の焼き肉屋で。「君らね,アルバイトやろ? ボランティアでやってるんちゃうやろ? 真面目に仕事したらどやねん。頼んだモンも持ってこんと,何が食べ放題やねん。金魚のフンちゃうねんから,ちょびちょび出さんと,ぱぱっと肉もってきたらどないやねん」。レンタルビデオ屋で。「なんや,その目は!! 万券出して何が悪いねん。金払ってねんぞ。何で嫌な顔されなあかんねん。何様のつもりやねん!」。居酒屋で。「3回目やで,にいちゃん。店長,呼んだらんかいな。なんで2回も作り直した揚げ出し豆腐が冷たいねん。商売っちゅーのはな,そんなもんちゃうやろ……」。ラーメン屋で怒鳴る。「なんじゃー,こりゃ。食えんで,こんなまずいスープ!!」。
大臣にイチャモンを付ける。いーじゃないですか。爽快じゃないですか。頑張れ大阪のおばちゃんと,僕は思ったわけなのです。僕!? 僕は大阪じゃ言わへんほうやけど,東京レベルでゆーたら結構いうほうやで,文句は。一緒におる友達が「恥ずかしいからやめて」ってゆーたって,僕はわざと大阪弁で言うで,文句。

やや現実逃避をしつつも,夜,2ページの原稿を書き上げる。なんだかんだ言って,仕事慣れたのかもなぁ。もう3年やってるしな。また今月も30ページ以上も担当ページがあって爆発気味だけど,精神的な負担は入社時比10分の1,肉体的負担は5分の1ってカンジだもんなぁ。

1999/05/14(Fri)

晩御飯を食べない金曜日

夕方過ぎ,突然仕事が回らなくなった。メーカーに問い合わせしなきゃいけないのい,撮影,打ち合わせ,取材対応が重なる。わー,仕事が進まない。

原因の半分は昼間,ぼんやりしてたってことにもある。ぼんやりしてたり,そわそわしたり。これはスタンダールの言う「クリスタリザシオン」かもしれない。いや,違うか。

1999/05/15(Sat)

時間のサイエンス

前夜,3時半ごろ寝たのに,朝8時過ぎに目覚める。どうも最近目覚めが早い。さわやかな気分で買い物に出る。ワインを買おうと入った店で,目が食べものを求めてしまった。抱えきれないほど食料品を買い込む。
午後一番で,四ッ谷。今日はTOEICの試験。ホントは,日経サイエンスが主催するシンポジウム「時間のサイエンス」に行きたかったけど,もろにダブルブッキング。気付いたのは,木曜日のこと。どうしても行きたかったシンポジウムだけど,さすがに受験料を振り込んだTOEICと無料で参加できるシンポジウムとでは,比べられない。
受験会場につくと,受付には「TOEFL」の文字が。受付の若い女性に受験表を見せて,会場はどこかと聞いたら,なんとTOEICは明日だった。確かに受験表を見ると,試験日は5月16日と書いてある。あまりにも恥ずかしい。けど,シンポジウムにも行けることが分かって,ちょっと嬉しい。と……,よく考えると,16日はおじいちゃんの13回忌。どっちみちダブルブッキングには変わりない。慌てて法事のほうはキャンセル。
シンポジウム会場である大手町の日経ホールは,満場だった。応募多数で抽選だったらしい。土曜日なのに,みんなよく都心まで出てくるものね。それは僕も同じだけれど。見回すと,引退して「生涯学習」なんていいそうな中高年が多い。後は「シンポジウムに行ってレポートを書け」と言われてきたらしき,学生っぽいのがたくさん。僕みたいな会社員ってのは,どのくらいいたんだろう。
セッションは,講演3つとパネルディスカッション,質疑応答で13時半から17時半まで。まず『ゾウの時間 ネズミの時間』という本を書いた,生物学者の本川達雄氏の講演から。話上手で内容もとても面白いけど,全部本にかかれていることと同じだったから,そういう意味では刺激はなかった。ほ乳類の妊娠期間が体長の4分の3乗に比例して長くなるという話で,ハツカネズミの妊娠期間が20日なのだということを初めて知った。あ,それでハツカネズミってゆーのかって。ちなみにゾウの妊娠期間はだいたい600日らしい。
2人目の講演者,池内了氏は泡宇宙の研究で有名な宇宙論研究者。物理学者にとって,「時間」とは何か,というテーマでのお話。やっぱりほとんど知ってることしか話に出てこない。残念。でも,ハッと気付いたことがいくつかある。1つはプランク点の話。宇宙の始まりの特異点では,「時間・空間・物質(=エネルギー)」の区別がなくなるという話。それは不確定性原理と,相対論のクロスする点にあるのだということに僕は今まで気づいてなかった。あ,そうかと目が覚めたカンジ。
縦軸に質量,横軸にサイズを取る。どちらの軸も隣り合う目盛りが10桁も20桁も違うというすさまじいスケールのグラフになる。素粒子のようなミクロなものから銀河団のようなマクロなものまでプロットすると,まず相対論によって,重力定数(G)と光速度(c)によって決まる,「事象の地平面」が直線としてグラフに描ける。事象の地平面の向こう側では,時間と空間は,それまで持っていた相対論的な関係がなくなってしまう。もう1つの直線は,不確定性原理は,プランク定数(h)と光速度(c)によって決まる,量子力学的な観測の限界によって描ける。粒子の運動量と位置を同時に決めることはできない。運動量というのは,つまりエネルギーであり,エネルギーというのは物質である。つまり物質と空間は互いに相補的な関係,正準関係にある。
10のマイナス44乗秒後という宇宙の生まれたばかりの点,サイズは極小,密度が無限大という点では2本の直線のぶつかり合うところにある。だから,そこは,それが時間と空間,そして物質さえもが区別の付かない点というわけ。宇宙誕生後,どうして時間や空間や物質という区別ができて進化してきたのか,それがいまの物理学者の関心事。
もう1つささいなことだけど,不意に気づかされて嬉しくなったこと。人間がみんな「スター」だという話。スターという意味には2つある。1つは,人間の身体を作っている物質の大半は数十億年前に燃えさかる恒星内部の核反応でできた炭素や酸素であるし,ほとんどの重い元素は,超新星爆発で宇宙空間にまき散らされたものだから,人間はまさしく,誰もが「スター」であるということ。中学生のときにも,理科の先生に教えてもらったけど,これは何度想像してみても,不思議なものだ。
もう1つは,人間がみんな星のように輝いているという話。赤外線サーモグラフィで,人間の体温の分布を見ることができる。あれは,つまり僕らが赤外線で輝いているということ,そのものだということ。熱を持つあらゆる物質は電磁波を出しているという熱輻射は知ってたし,赤外線サーモグラフィで見た人間の身体ももちろん知っていた。でも,両者は僕の中で何故か結びついていなかった。人間は,約300Kという温度を持つ,輝く物体だったのだ。もちろん可視光線ではないけれど,赤外線と言えば,限りなく光に近い電磁波じゃないか。
3人目の見田先生。ほかの2人の先生の話は,だいたい前もって予想できたから,ある意味では一番期待していた講演だけど,思わずうたた寝してしまった。ハッと目覚めてから聞いた話は面白かったけど,ちょっと話が冗長。歴史的に貨幣と時間の概念は同じ文脈で出てきたものであるという話。それは都市の発達,交易の発達による「交換」のための枠組みなんだということ。現代人の持つ時間の概念は,すぐれて社会的な要請によって形成され完成されたものである,という。
僕らはニュートンのいう絶対時間,つまり「時間」というものが,永遠の過去から永遠の未来に向かって一直線に流れて行くものだということを,何となく常識だと思っているけど,それがあくまでも近代的な時間の概念に過ぎないことを説明する。本川先生は,生粒にとって,時間というのは,生命のエネルギー消費から見た「活動の度合い」によって決まるという話をしていたわけだけど,見田先生は,それを社会学的な立場から見直す。いずれにしてもニュートンの絶対時間の呪縛が,いかに大きいものかを知る手がかりとなる。
たとえば原始人にとっての時間は永遠に繰り返す,昼と夜という円環的な概念だったし,インド人の輪廻転生の発想は,まさに円環そのものである。歴史という概念がなかったのである。1年経って,また同じ季節がやってくる。雨季と乾季でもいいし,収穫の時期でもいい。でも,とにかく繰り返す。人間の生と死も繰り返す。
もう1つ,僕らが言う「時間」は,計測可能な量的な単位であるけれど,そうでない社会もあったし,いまでもありうるということ。それは「質的な時間」と呼ぶべきモノ。
俳句の編纂に見られる違いの話が分かりやすかった。戦後に編纂された俳句集は,その配列に,昭和以前に編纂された俳句集と決定的な違いがあるという。平安以来,長らく日本人は,春・夏・秋・冬という季節別に俳句を並べてきた。日本人にとって,重要だったのは,その俳句がいつ,どういう季節に読まれたかであった。2年前か10年前かは大した意味を持っていなかった。それが戦争があって,高度経済成長を迎える頃,変わってきた。時代別の配列になったという。重要なのは,どういう時代に読まれた俳句なのかということになったというわけ。
結局,3つの観点から「時間」の概念をとらえなおすことができる。生物の活動する「場」としての「時間」。すべてのほ乳類は,だいたい15億回,心臓が鼓動すれば死ぬ。それから,物理学で扱う相対論的な「時間」。池内先生は,いま物理学で問題になっている熱力学的な「時間の矢」にも触れてたっけ。いまのところ物理の法則はすべて時間に関して対称的である。ボールを放り投げて落ちてくる様子をビデオにとって,逆再生しても,やっぱりボールは放り投げられたように落ちてくる。ところが,実際の現象を観察すると,様々な場面で系には時間発展が見られる。逆再生して,こぼれた水がコップに戻ってくる映像は明らかに不合理である。見田先生の示した「時間」は,人間同士が交換する記号としての時間の概念だと思う。
僕は心理学者と哲学者の見解が知りたかった。物理学で定義されている時間(つまり僕らが普段使っている時間)は,セシウム原子が出す電磁波によって定義されている。だから,それは「客観的な時間」だ,と池内先生は言っていた。僕はそうは思わない。客観的というのは錯覚だ。あるいは意図的な敷衍だと思う。
電磁波の振動を検出する人間,つまり認知する主体がなければ時間の概念などあり得ない。やはり時間などというものは,人間なしに存在しないと思う。時間の概念は,時間という言葉を使う人間が存在する前に,先験的に存在するナニモノかでは決してない。ソシュールの言うシニフィアン,シニフィエの関係である。そういえば,時間も言語の一種なのだろうと思う。
そこで,いつまで経っても独我論から離れられない僕は思う。僕の経験する1秒と,他人の1秒が同じだと,僕はどうやって信じることができるのだろうか。僕にはまったく答えが分からない。時間というのは,極めて個人的な経験である,と仮定できないか。
機械が知性を持ちうるかという話があるけど,知性的な振る舞いをする機械を考えると,もっとこのことはハッキリすると思う。たとえば,インターネット上で同時に1000人とチャットすることのできる,良くできた会話プログラムがある。それはアリスという名前で公開されていて,僕もこの間彼女とおしゃべりした。「あたし,1000人と同時におしゃべりできるの」と言われたときの,めまいは,まさに時間の概念が突き崩されたことによっている。彼女にとって,時間は僕よりもっと密度が濃いのではないだろうか? 僕がひとこと,ふたこと言ってる間に,彼女は世界中のチャッターたちに100もの答えを返しているのだから。
本川先生は,心拍数やエネルギー消費量が生命が経験する時間をはかる1つの尺度になる可能性があることを示した。しかし,見田先生が指摘したように,人間は大脳が発達しすぎたという点で,明らかに動物と同じように扱うべきではない。だから僕はむしろ脳の活動のほうが,人間の経験する時間と密接に関わっている気がする。脳波を測定したほうがいいのじゃないか。知能指数の高い人は一般的に言って,脳波を記録すると単位時間あたりの電位の変動が大きいという。いわゆる頭の回転が速いというのは,本当に活動が速いことに対応している。心拍数よりも,脳波のほうが,人間の経験する時間と密接にかかわっている気がしてならない。しかし,脳の活動が,何故「時間」として,僕らに知覚できるのか。まったく分からない。

帰り,新宿の東急ハンズで初めてスーパーキャッシュを使ってみる。電子マネーですね。1つ480円のグラスを手にレジに向かう。意地悪して,直前まで店員にはスーパーキャッシュのカードが見えないようにする。カードを手渡す。店員:「あ,はい。えーっと,1回払いで良いですか?」。僕:「え???」。クレジットカードじゃないってば。だいいち480円の品物買うのに誰がカード出すかって。店員:「あ,スーパーキャッシュですね……。えーっと」。それから,店員はスーパーキャッシュ専用レジに移動して,支払い手続きをする。マニュアル片手に……。うーん,やっぱりほとんど使われてないわけね。いつまで経っても残高表示ができないでいたから,結局僕が「このボタンじゃないですか」とか教えたりして。しかも,カードを渡したあと,勝手に480円は引き落とされていた。残高1万円のカードを渡すというのは,つまり1万円の入った財布を渡すようなもので,そこから勝手に480円を引かれたような気分になる。レシートとカードを渡されて,税金がこれこれでいくらいくら頂戴しましたって言われても,ね。何か変なカンジ。電子マネーの普及は,やっぱり技術的な問題よりも習慣と,ユーザーの心理的な問題のほうがずっと大きいんだろうな。

1999/05/16(Sun)

どのみちダブル・ブッキング

午前中,目黒の待ち合わせ場所に顔見せに。おじいちゃんの13回忌の法事に,親類一同が集まった。挨拶だけして,僕はTOEICの試験に。
なんだか,思ったより良くできたような気がする。3年近く前に会社で受けたときより,すんなり理解できたし,読むのもすんなり。ひょっとして点数あがってるかも。

夕方,ボジョレーなんつー,いつもよりちょっと高めのワインを飲みつつ,見たですよ,タイタニック,ようやく。なるほどね。まあ,良くできてるわね。一生懸命みたよ。不覚にも,どこがCGで,どこが実写か区別つかないところもあったね。Linuxを100台ぐらいつかってレイトレーシングの計算したって話だもんね。あ,そーゆーことじゃなくて? うん。そーね,なんつーか,ローズ太りすぎ? あ,そーゆーことじゃなくて? うん,そーね。極限状態での,倫理学の救命艇条件のことを考えてた。救われる人数は決まっている。誰が救われるべきか? って,そーゆーことじゃなくて……。うん,そーね。僕の親父はとてつもない泣き上戸だけど,最近,僕も似てきたかなって思った。男って歳を取ると脳味噌的に言って,泣くらしいね。感情のコントロールが下手になるって。何を見ても,何を読んでも微動だにしなかった僕けど,不覚にも泣いてしまったよ。まあ,1人で見てたからよしとしよう,ね。しかしまあ,もうちょっと,ジャックが洗練された台詞吐いても良かったかなって気もするけど。もっと格好よくて良かったのに。ともあれ,現代の老婆が回想するというプロットは,ちょっと気にくわないよ。だって,老婆だよ,老婆。なにが生涯最高にエロティックな瞬間なんだっつーの。老婆に言われかないよ。きしょくわるい。そーゆーところで現実を見せちゃいけないと思うのだな。もし,映画で幻想を見せようってゆーならね。最後のシーンで,老婆になったローズが海にダイアモンドを捨てるけど,思わず飛び込みたくなるもの。潜ってダイヤモンドを取ろうって気になるもの。だって老婆の想い出より,やっぱりダイヤモンドですよ。

1999/05/17(Mon)

爽やかな季節

午前中,天気が良くてあまりに気持ちがいいので,会社を通り過ぎて新宿駅南口のスターバックスで珈琲など。オープンカフェで昼まで読書。ああ,贅沢な時間。じつは仕事がすでに山積みで,んーなことやってる場合でもないのだけど。こういう話をすると「いいね,仕事テキトーで」と思われるかもしれませんが,1時に出社して退社は1時だから,9時〜9時とか10時〜10時で働いている人と同じですから,念のため。とかいって,密度は知りませんけど。はは,まあ,余裕がないといっても,まだ時期的には身体に余裕はあるんだけど。
途中から相席になった女の子2人が,ふと見ると中国語の「東京」ガイドブックを持っている。繁体字で書かれてあったので,台湾からかと思ったけど,わざとらしくチャイニーズか? と話しかけてみた。僕はいやに機嫌が良かったので,何でも聞いてくれればガイドブックに書かれていないよーな見所でも教えてあげようと思ったのに,恥ずかしそうに目をそらされてしまった。ちーっ,別にとって食おうなんて思ってないのに。

「オレはこれこのことをやる」と,公言することで自分にプレッシャーをかけるのは,いろいろと有効な場面があるものだけど,やっぱり言わなきゃよかったと思うこともあるわけで。

1999/05/18(Tue)

他者

いくらかメールを書いて9時半には家を出る。昨日,ヘルメットの顎紐がきれてしまったので,今日は電車。10時,英会話。なかなか楽しい。ちょっとは進歩した気がする。周囲の生徒がもごもご言ってるのがもどかしい。
11時半,オペラシティのそばにある喫茶店で珈琲&読書。最近は午前中のこの時間のために早起きするのが楽しみ。で,『世紀末の他者たち』(ジャン・ボードリヤール),読了。半分ぐらいは僕にとってどーでもいい眠たいこと言ってる本だけど,4分の1ぐらいは,目が覚めるどころの話じゃない。決定的に影響を受けそうな気がする。ぐらぐらと足下を揺さぶられた思い。

1999/05/19(Wed)

僕は……

午前中は今日も英会話。個人レッスンで,調子に乗ってマシンガンのように話す。英作文するように,ちゃんとした文法で話せる自分を発見。上のレベルに行ったほうがいいと言われた。うん,自信ついた。ようやく授業料の元を取り始めたと思える。
午後,会議。長い。
夜,天王州アイルまで出向いて,U氏と打ち合わせ。打ち合わせといいながら,話の半分以上はは直接打ち合わせと関係のない話。ビール飲みまくり。しゃべりまくり。何て楽しい仕事なんだ。もともとユリイカの編集長だったU氏は,フランス文学が専門だったらしい。臆面もなく「ぼく,ランボーとかラディゲが好きなんです」といったら,「確かに西村さん,ちょっと雰囲気が似てるね」と言われた。嬉しい。バカみたいに喜ぶ。
帰り,渋谷駅でパフォーマンスに足を止める。民族楽器? オリジナル楽器? とにかく巧みな演奏。いくつもの楽器を1人で演奏する南米インディオ風の人。長い竹筒で複雑な音階を奏でる。打楽器とも弦楽器ともつかないアフリカ風の楽器をつま弾く。人間の表現力って,こんなにも凄いのかと感動する。パフォーマンスの魅力と,「音」と「リズム」を通して共鳴できることに,いたく心を揺さぶられる。その場でCD購入。

下北沢の乗り換えで電車を待つ間,気持ち悪くなる。お酒で気持ち悪くというわけじゃなくて,漠然としためまい。走り抜ける特急電車に飛び込みたくなる。もちろん本気だとは自分でも思っていないけど,本気になれない理由も分からない。僕は最後,どうやって死ぬのだろうか。

1999/05/20(Thu)

耳鳴り

午前中,耳鳴り。いや,ぷつぷつ言ってるから耳鳴りじゃないな。左耳,どうしちゃったんだろうか。ぷつぷつ。あくびすると「ぷつ」。いわゆる耳抜きしてる音がいっぱい聞こえる。おかしいのはエウスタキオ管だな。うそ。
今日も昼休み時間に公園のベンチで読書。もう夏の日差し。ぢっと座っていても,少し汗ばむくらい。本を読んでいたら,ちょうど会社のそばに住んでいる同期が出社するところだったらしい。「よぉ」って,君,ちょっと最近出社遅いんじゃない。僕もまだ出社してないけどさ,とか。
会社のビルに入るときに,どきっとする人にすれ違う。直後,どきっとするメールを受け取る。
夜,10時前に始まった会議。人数が多すぎ。ぼんやり雁首ならべて何の意味があるのか。効率を考えないと。この会議で一体何(人・時間)のマンパワーが浪費されたんだろう。そんなに大人数で決めるようなことじゃないのに。効率を考えるように,さばくのは,そろそろ僕の役目なんだろうけど,もう夜はぼんやりして何もやりたくなくなってた。
結局,終電に向かって猛ダッシュ。あのあと,会社のそばに住んでいる以外の会議参加者のほとんどは会社に泊まってるんだろうけど,何で帰らないのよさ。帰りたいと言わないのよさ。ぼんやり座って,だらだら会議してても意味ないよね。僕だけ1人で逃げたカンジ。やなカンジ。

1999/05/21(Fri)

逃避

やると言ってしまったからにはやらないと。昼間,差し迫ってやらなきゃいけない仕事はいっぱいあったけど,現実逃避でSETI@homeの本家ホームページの翻訳してみたり。何やってんだか。とりまとめ役のY氏にメール。夕方過ぎてから慌てて猛烈に仕事。
帰宅後,Learn about SETIの翻訳にとりかかる。こういう疎外された仕事(コピー取りとかテープ起こしとかもそうだけど)は,じつは結構好き。完全に自分から逃避できる。特にテープ起こしは,集中力と知識をフルに動員しなきゃいけないけど,ある意味ではちっとも頭を使う仕事じゃなくて,ただ,機械的に考えるだけ。夢中になってると,空っぽなカンジがする。余計な考えが出てくるスキがない。
夜,ワインでヘベレケになりながらも,SETI:Search for Lifeの4ページ分を訳しおえる。土日で別のページも訳してみようかな。でも,仕事しないと……。Linuxとか,GNUとか,オープンソースムーブメントで無数のボランティアの協力で,素晴らしく大きな仕事がなしとげられるのって,実は世界中の現実逃避の巨大な集約なんだったりして。

1999/05/22(Sat)

欲望

自分で言葉にしたつもりが,突然,言葉のほうが現実のほうに迫ってくることは良くある。ぼくは自分の言葉を信じてもいいんだろうか。

1999/05/23(Sun)

レダ

前夜,深夜にワイン飲み始めて,朝4時頃までSETI@homeの翻訳。やっぱりぼくはモノを考えたくないのだ。11時過ぎに目が覚める。昼過ぎに家を出て新宿へ。今日も天気がいい。
記憶違い。21歳の時に読んで心動かされたリルケの詩に登場するのは,「あけすけのレダ」でなくて,「あけひろげのレダ」だった。タイトルも単に「レダ」だった。リルケほどの詩人なら,どんな小さな街の本屋にでも詩集が置いてあるものだと思ってたけど,なかなか見つからず,結局,今日新宿の紀伊国屋に行って,ようやく見つけることができた。以下,無断引用。翻訳著作権ってなもんもあるんでしょうけど,1つぐらいならいいでしょう。これで,ぼくと同じように深夜に突然この詩が読みたくなって「リルケ,レダ」で検索した人は,このページにたどり着き,安心して眠れることでしょう。
        レダ(Leda)
 
                 ライナー・マリア・リルケ
                             富士川英郎訳
 
 神がおもいあまって白鳥に入ったとき
 彼は白鳥の美しいことにほとんど愕然としながら
 まったく狼狽してその中に姿を消した
 だが このまだ経験したことのない存在の感触を
 
 試(ため)すひまもなく すでにその偽りの姿が
 彼を行為へと導いたのだった そしてあけひろげのレダは
 白鳥となって近づいてくる者を知り
 一つのものを彼が求めていたことを悟っていた
 
 それを彼女は 狼狽(あわて)て抵抗しながらも
 もはや隠すことができなかったのだ 神は蔽いかぶさり
 次第に力のぬけてゆく彼女の手の間から頸をさしのべながら
 
 ついに愛するひとのなかに辷りこんだ
 それから はじめて自分の羽をうれしく思い
 彼女のひざのなかでほんとうに白鳥となったのだった
 
人生てな,稽古もなしに,いきなり舞台に立たされて演じるようなもの。「経験したことのない存在の感触を試す暇」もないんです。考えてる暇なんてないんです。いくしかないんですっ! って,どこに?

渋谷のパフォーマンスは,GOROという人だったらしい。“ディジェリドゥというオーストラリア・アボリジニの民族楽器やカリンバ等,古代民族楽器を使いこなす日本の第一人者”と,説明がある。CDを聞いてみて思ったのは,これはCDで聞いてもしかたない音楽かもってこと。笛を吹く息が届きそうな距離で聞かないと。
Webで自分たちのバンドで作った音楽を公開しているページを見る。音楽できる人はいいな。「学生のとき,勉強しておけば良かった」というのと同じだけど,「もっと一生懸命バンドやっとけばよかった」。ずっと昔,バンドをやったときは練習が嫌いであまり熱心にやらなかった。「〜しておけば良かった」と過去を悔やみつつ,ホントは今でもできるのに何もしようとしない奴はウンコだ。と,思うから,ぼくは何か音楽をやろうと思う。
ま,これは定期的に訪れる「音楽やりたい」症候群。楽器やるか,DTMでもやるか。音源がないけどMIDIキーボードが狭い台所に落ちてるぞ,うん。うん。4年前の発作時に衝動買いしたキーボード。見事に3日しかやらなかったキーボード……。
いや,……。やんないな,やっぱ。時間ないや。去年買ったアコースティックギターの弦も,1度も換えてなくて,もうサビサビ。ギターの弦につくサビって,食べると下痢するんだよね。食べないけどさ,ふつー。

夕方,会社に行ったけど,なんだか人が少なくて仕事する気になれない。日曜日とはいえ,そろそろ月末だし,もうちょっとみんな仕事してるかと思った。人がどういう動きをしてようがホントは関係ないんだけど,やっぱり誰もいない職場で仕事って,しづらいもの。「日曜日なのに,何でオレだけこんなことを……」と思えて,やる気が失せていく。どんどん効率が落ちていく。うだうだしてても仕方ないので,夜,ちょっと早めに帰途につく。といっても,飲みに行ってしまうのだけど。
非常に危険な趣味に目覚める。深夜,大酔っぱらいで甲州街道とカンパチを突っ走る。めちゃくちゃ気持ちいい。ぐるぐる同じところを何周か。Tシャツ1枚だったから,もろに風を感じる。身体から体温が抜き取られていくのが心地いい。防音で建てられた側壁がびゅんびゅん視界から逃げていく。いままで出したことのないスピードに,クルクル世界が回るカンジ。スピードなんて出して何が嬉しいのかってバイカーをバカにしてたけど,やっぱりスピードはいいね。2時を過ぎると都内もすいてるもんだ。

1999/05/24(Mon)

ゲームのように思えた

冷静に考えてみれば,昨日の夜,バイクで走ったのはあまりにも危なかった。反省。スピードに興奮気味だったわりに,まったく現実感がなかったもん。こけたり事故ったりする可能性なんて,それこそ夢にも思わないし,飛びすぎていく側壁や街路樹は,ゲームの画面のように見えた。たぶんゲームのほうが,本物っぽい。
朝,起きるとぼんやり。風邪かなあ。昼になっても熱っぽいのが引かないので,休みますメールを会社に入れる。すぐに,アレはどうなってる,これはどうした,アンタ休むのはいーけど,例の打ち合わせは誰かにちゃんと頼んだのか,と返事が来る。ひぇー。ごめんなさいぃぃ。熱っぽいのが,ますます熱っぽくなりそう。

『唯脳論』,読了。1度はなくして買いなおした本。この本って,ぼくの元上司の奥さんが編集した本だったんだ。知らなかった。文体の歯切れの良さもあって,ばっさばっさと「心」の問題を切っていくのが爽快。いくら何でも,それは話を単純化しすぎじゃないですか,と言いたくなるほど,養老先生は一直線に答える。まさに快刀乱麻。でも,ちゃんと分からないことは,分からないと言う(ちょっと無責任にも聞こえる)潔さがある。

ICQで知り合った,オーストラリアに留学中のマレーシア国籍の中国人娘,yeeと久しぶりにチャット。最近の翻訳魔,記録魔ぶりを発揮して,勝手に,その会話をここの日記に掲載。yeeが日本語が読めて,このページを知ったら,何と思うだろうか。
yeeは,ぼくにとって3重か4重の意味でバーチャルな知り合いだ。1.ネット以外で話したことがない。2.すっごい遠くに住んでいる。3.お互いに非母語の英語でしかやりとりしたことがない。あらゆる意味で,リアルさがない。
「やー,元気?」「どもー,元気だよ。いま何してるの? 会いたかったよ」「今日は頭痛で休んだよ」「むむ,飲み過ぎ?」「はは。かもね」「ねぇ,今年いくつになるの?」「28。こんどの秋で29歳だよ」「私は20歳で,来年21。私たちってさ,3年も経って,まだコンタクトを取ってるなんて信じられない」「ぼくも信じられない。3年かぁ。学校卒業したら働くの?」「うん,もちろん働かなきゃ。ね,私に会うことって考えたことある? それとも全然?」「君に? ネット以外で?」「現実の世界でってことよ」「もちろん,あるよ。いつかどこかで会えるんじゃないかって思ってる。いつか分かんないけどね」「ははは,私,Kenに夢中だったんだよ」「まさか。良く知らない人に夢中になんてなれないね。ぼくらは遠すぎるし,互いに相手を知らないよ」「私が何言ってるか分かってる? 'mad'っていうのは好きだっていう意味……。分かってるんでしょ? 遠く離れてるけど,私はKenに引かれてるの」「距離だけじゃなくてさ,ぼくらただのネット友達でしょ?」
メッセージ飛ばしあいモードから,チャットモードに突入。
「落ちた? 大丈夫?」「大丈夫」「チャットは久しぶりだね」「うん。それに長いこと,kenの顔みてないよ。残念ながら,もうInternetPhoneも入れてないし」「ぼくがバイクに乗ってるのなら,ホームページで見られるよ。最近バイクの免許取ったんだ」「ねえ,パーマかけたって言ったっけ?」「ううん,聞いてない。チャパツの次は,紫で,ピンク,白と来て,今度はパーマ? はは,面白いね」「へへへ」「写真持ってる?」「ねぇ,雑誌を手に持ってる人って,Ken?」「うん,そうだけど,ぼくの顔忘れた?」「言ってもいい……? すごい老けた」「あはは……,28だもん。年より若く見えるって言われんだけどなぁ,ははは」「うーん,写真に写ってるような服は着ないほうが良いと思う」「サラリーマンだもん」「違うよ,ジャーナリストさんでしょ」「そうとも言える」「私の姿見せたいんだけど……」「写真ないの?」「うん……,ない。スキャナ持ってないし。でも,さらに可愛くなったよ。へへへ」「だろうね,20歳だもんね」「とってもプライベートなこと聞いてもいい?」「もちろん。どーぞ」「えーと,まだ……,独身?」「うん,しばらくは結婚したくない。一生しないかもね」「じゃあ,セックスしたいときはどうするの?」「girlfriendはいるよ」「そっか……」「それって,casual gf……」「どういう関係かって,うまく言えないけど」「何人?」「いまんとこ1人だけだよ」「どういう関係かって言えないんだね。うーん」「まあ,girlfriendって言ってもいいけど。ぼくは彼女が好きだし,彼女はぼくといるのが好きだよ」「いまんとこ,約束とかなし?」「そそ」「私も同じ……。真剣な付き合いを探してるわけじゃない。only casual。将来とか約束とか,ない。ただのパートナーがいいの」「それで満足? ぼくのgirlfriendはそうじゃないみたいだけど」「満足って何に?」「そういう不安定な関係」「満足かって? 満足だよ,これって私が望んでる関係だもん」「ああ,そうだね,まだ若いしね。学生だもんね,まだ」「ははは。若いよぉ」「Kenのgirlfriendは?」「28。同い年だよ。ぼくの考えを変えたがってるよ」「ふーん,girlfriendのほうは結婚したいんだ」「最近口にしないけどね。でも,いまでもまだ……」「私のパートナー,いくつだと思う?」「うーん」「34」「タイプミス?」「ううん,マジで。34歳」「じゃあ,あれですか,ぼくより年上で,それで2人とも約束もなにもしてないってこと?」「うん,no commitment」「私たち,純粋にcasual sex partnerだもん」「言ってること,ぼくは理解できてないと思う。ただのsex partner?」「うん。あっ,もう行かなきゃ。ごめんまたね」。
結構すごい会話をしてることに,日本語にしてみて初めて気づいた。さらに1時間ほどたってチャットを再開。何だ,何をやってるんだ,何を言ってるんだと思いながら,どんどん会話はエスカレート。ホントに奇妙なもんだ。ぼくはyeeの存在が嘘でないと信じてるけど,やっぱり現実味はゼロなんだよね。そういう意味のことをいったら,電話するから番号を教えろと言い出した。おいおい。国際電話安くないからやめときなって。

1999/05/25(Tue)

ジョークメール

10時半出社。うーん,さすがにこの時期に1日休むとロスがでかい。バリバリと仕事。ふと気づいたら,もう深夜1時をまわってた。ひゃー。だいぶ進んだ気がするけど,まだまだ。編集部にやって来たAIBOと遊びすぎたか。
2時,帰宅。コンビニで買ったピュアアイスの最後の氷でバーボンの水割り。冷凍庫を開けたり閉めたりしていると,氷に樹氷が着いたような状態になる。だから,最後はいつもシャーベット状の氷になる。グラスにシャーベット状の氷を入れると,かき氷みたいになった。その上から,バーボンをかける。にっひっひ,何か楽しそう。とろけろ,とろけろと思いながら,チビチビとバーボンをかけると,雪の中で立ちションして,雪の一部が黄色い液体にくぼんでいく図を想像してしまった。うげ。できあがったバーボンシェークも,あまりおいしくなさそう。

スピルバーグがクラシックの作曲家の映画をとろうと,ハリウッドの映画スター4人に誰を演じたいかたずねる。スタローンは,「オレはモーツアルトを尊敬してるんだ。モーツアルトをやりたいね」という。ブルースウィルスは「ショパンは,ずっと好きだった。オレがピアノを弾くのを見たら,オレのイメージも良くなるだろうな。ショパンをやりたいね」という。ハリソンフォードは「シュトラウスびいきだったよ。ワルツもね。シュトラウスがいいな」。で,スピルバーグは言う。「うん,すばらしいね。で,アーノルド,君は誰をやりたい?」。
ジョークメールの常で,ここでスクロールしろって。延々と2画面ほどスクロールしたら,書いてあるわけだ。シュワルツネッガーは答える。「I'll be bach」。不覚にも笑ってしまったよ。やられぱんちだよ。

amazon.comから注文してあった本が届いた。

1999/05/26(Wed)

月末……

ほふぅ。仕事,詰まりまくり。詰まりながら,ここ1カ月ほど,モヤモヤしていた1つの考えが極めてリアルな絵となって心に浮かぶ。
雨が降ってきたのでバイクは会社に置いて,終電。明日は朝から取材だ。起きられるだろうか。それよりも持ち帰りの仕事が朝までに片づくか……。

1999/05/27(Thu)

沈んだり

9時に目覚める。普段だと4時間ちょっとじゃ睡眠足りないけど,月末は身体だけが,なぜか元気になっていく。ゆーつな気分の反動で声もでかくなってくような気がする。午前中K社記者発表会。午後はあれやこれやで時間がぐんぐん流れる。はふぅ。仕事。ささいなことコトで気分が沈んだり。といってる間に,2時。バイクがあるから会社には泊まらない。ちきしょ,本格的にテンパってきやがった。
メールの返事をなるべくもらった瞬間に書くようにしようと決心。返事忘れとか「返事しなきゃ」強迫観念がストレスになる。不義理してるなぁとか迷惑かけてるなぁって思うぐらいなら,舌足らずでも返事は即書いたほうがいい。
その昔,「48時間ルール」を守ろうと,メール入門の記事に書いたような気がする。48時間以内に,最悪でも「忙しくて返事が遅れます。基本的にOKです。取り急ぎ」とか,何らかのレスポンスをしろという暗黙のルール。

SETI@home日本語ページにぼくの翻訳が追加されたみたい。読み返してみると,うわー,ひどい日本語。でも,直している時間はないや。

1999/05/28(Fri)

出口はどのくらい先だろう

やっぱり寝不足だったか。思い切り寝てしまった。12時半に家を出る。カンパチ沿いのマックで朝昼兼用のビッグマックを……,テイクアウトで会社で食べるつもりだったけど。その場で食べることに。焦って30分稼ぐより,本でも読みながらメシを食ったって罰は当たるまい。
何とかかんとか,やることをやって気づくと,朝6時。出口が見えない。どーして,こんなことになってしまったのだろう。と,毎月同じコトいってちゃ進歩がないよな。はぁぁ。
ところで全然どーでもいい話。お巡りさんに聞いたんだけど,最近,女性をねらったひったくりが多いらしい。で,女性だと思って襲ったのがロンゲの男で,逆にひっつかまえられるというケースが増えてるらしい。ホントかなぁ。

1999/05/29(Sat)

15万年の計算

金曜日はついに徹夜。土曜の朝7時に退社。さらに土曜日,夕方4時に出社して,1時に退社。

宇宙人探しプロジェクト,SETI@homeの計算状況の国別一覧を見ると,Total CPU Timeに(2116.11 years)などと年数表示がある。アメリカはすでに,2000年以上計算してることになるという。2位のイギリスは240年,5位の日本は58年。で,Excelにカット&ペーストして上から下まで足すと,5月29日現在で,すでに3218.85年! これは5月中旬に,Windows版クライアントが配布されてからの勢いだから,ほぼ半月で,1台のコンピュータが3000年間かかってやる計算をやったことになる。プロジェクト実施期間の2年といえば,半月の約50倍なので,今回のプロジェクトでは,(非力とはいえ)1つのコンピュータでやると15万年かかる計算を,2年でやっちまうことになる。
かつて,フォン・ノイマンは水爆を設計するときに,「これまで人類がやった計算全部より,さらに多い計算をしなければならないだろう」と言ったそうだけど,「15万年分の計算」というのを聞いたら,ノイマンなら何と言ったかね。ノイマンの時代からすれば,ぼくらの持ってるパソコンは,スーパーコンピュータだし。

ICQで知り合った,大神という台湾人学生。18歳で,日本語を独学で勉強しているとか。最初,名前が日本人ぽいから,まったく気づかなかったけど,ちょっと言葉がおかしい。いきなりメッセージで「もしもし」だもんなぁ。で,今日は時間あるか,というから,月末は忙しくて時間ないよ,と答えたら,「そうか。。残念です。じゃな」だって。「そうか」とか「じゃな」のニュアンス,分かってないんだろうなぁ。「さようなら」の挨拶のバリエーションって,もしかして日本語は多い方じゃないかな。普通に使うモノだけでも「さよなら」「ばいばい」「また」「またね」「またな」「じゃあな」「じゃあね」「それじゃ」「それでは」「では」「ではまた」「ではでは」「失礼します」「ごめんください(ませ)」。もっと言えば,「そんじゃ」「そいじゃ」「んじゃ」「じゃ」とか組み合わせは一杯ある。普段は使わないけど,いろんなニュアンスを出すために,「あばよ」「さらば」だって使うかも。フランス人のAlain君は,「saraba」を良く使う。きっと,友達同士の気さくな挨拶ぐらいに思ってるんだろうな。「さらば」という挨拶の,滑稽なニュアンスを分かっておどけてるのだとしたらすごいけど。そういえば「さよなら」と「さようなら」の違いって,どうやって外国人は勉強するんだろう。太宰治が「サヨナラだけが,人生だ」と言ったときのニュアンスって,理解できるのかしら。まあ,日本人だからといって分かるとも限らないし,ぼくの理解は誰かほかの人の理解と違う可能性も高いけど。
そういえば,このあいだAlain君からのメールに,AlexとDanが結婚すると書いてあった。去年の夏に,パリで一緒に食事したAlain君の幼なじみの2人。そうかぁ,そういう風にも見えたけど,そうだったとはなぁ。グリーティングカードでも送っとこう。

自分で言ってから,ハッと気づくことは良くある。何気なくこぼした言葉が自分自身を変えることもある。人間の話す言葉ってのは,不思議な性質を持っていて,発話すると同時に常に自分でも聞いている。自分の声というのは,空気を伝わって耳に戻ってくるのじゃなくて,アゴから頭蓋骨を伝わってダイレクトに響く。いずれにしても,人は自分の声を,常に自分に「言い聞かせている」のですね。で,普段は(頭で考える)→(口にする)→(ヒトの耳)→(ヒトの頭)と思ってるけど,ホントは(口にする)→(自分の耳)→(頭で考える)という流れもあって,これもまた大きな言葉の作用なんじゃないかと思うんだよね。
といっても,考えもなしに言葉は口に出てこない。何かというと,それは無意識なわけでしょう。無意識というのは,非論理的なものとか抽象的なものではなく,言葉そのもの。意識されない自分の言葉なんですね。無意識下の言葉は,実は論理的で構造化されているという話もある。無意識の言葉は,どう意識に上ってくるかというと,実は発話じゃないかと思うことがある。口にすることで初めて意識される。人は完全に意識だけでしゃべってるのじゃなくて,無意識もミクスチャーされているんじゃないかって。
意識は,環境とか社会的な制約なんかで,自分の言葉のうち,望ましくないもの,望ましくないと意識が判断するものを抑圧して,無意識の言葉へと追いやってしまう。そんなわけで,最近,言葉には,ものすごく大きな力があるんじゃないかって,思うようになってきた。自分の言葉が,自分に返ってくる。

1999/05/31(Mon)

VMwareすごいぜ

まだ後,5ページ書かなきゃいけない原稿があって,6ページほど,書いてもらわなきゃいけない原稿がある。はあ。
ずっと,面倒そうだと敬遠していた,VMwareを仕事だからと試す。試して,良かった。パソコン遊びが仕事で良かった。こんなに興奮したのは久しぶり。
VMwareはLinuxかWindows NT上で動くPCエミュレータ。正確にはエミュレータじゃなくて,ハードウェアラッパーとか言うんだろうか。めちゃくちゃ良くできてる。ぼくはとりあえず,これまた気になっていたVine Linuxを入れて,その上でVMwareを動かしてみた。なんと,Linux上のX Window Systemで,Windows98がインストールできて,ちゃんと起動する。それだけじゃない。そのLinux上のバーチャルマシン上で動くWindows98で,TAが使えて,64kbpsでPPP接続もできてしまった。もちろん,ExcelやWordも動いたし,けっこう速い。これはすごい。ブームになるかも。
と,興奮がさめないうちに,原稿にしないと。でも……。眠い。がくっ。

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NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>