1999/04/06(Tue)
仕事,終わった
やっと今月も仕事が終わった。帰ってきたのは午前3時。行くつもりだったセミナー取材に行けなかった。残念。職権乱用モードとゆーか,「取材だから」というので満席のところ無理に席を取ってもらったのに。あーあ。NTTさんごめんなさい。
今月は苦しかった。どうしてこんなに原稿が難産だったのか,反省室に入る必要がありそうだな。あんなに一生懸命ドキュメントを読んだり調べたりしたのに,原稿にはほとんど反映できなかったのが悔しい。けど,どのPC雑誌を見ても,絶対僕が書いたレベルのことを書いているのなんてない。ほとんどないはず。そういうプライドだけが,僕を支えてるような気がするんだよね。まとまりのない日本語,舌足らずの説明に自分でも納得できない部分も多々あるけど,僕はちゃんと
W3C も
Mozilla.org も読みまくった。
CSSのテスト も4つのブラウザで,自分でやったぜ。
XSL ,
VML ,
DOM サポートも試したし,スクリプトも書いた。RDFもXULもDynamicHTMLもDynamicPropertyもBehaviorもHTML Applicationも調べた。<ruby>タグも調べた。ハッキリ言って,
USの雑誌・新聞のレビュー記事 なんて相手じゃないとか思ったりしてる。だって,全然分かってないんだもん,奴らさ。「こんどのブラウザは安定していて速い」なんて適当なこと言ってるよ。もうちょっと,ちゃんと評価したらどーかね? そこへいくと,Tim Bray氏は,さすがに,ちゃんとした
評価記事 を書いてるよなぁ。
5日間,仮眠だけで過ごしたということよりも,5日間,ビールを飲まずに過ごしたのことのほうが,凄いと思ったりして。
明日は朝一番で教習所。きっとネムネムだろうけど,楽しみ。後5時間で免許だ。ふむ,明日は晴れか。アサヒコムの天気予報の
ページ 変わったのね。
そういえば,4月3日の東京Linuxサミット@歌舞伎町は大盛況だった。満員御礼どころか,満員で入れなかった人たちごめんなさいって感じ。いくつか感想が参加者のページにアップされている。ほとんど段取りを考えずに,出演者を呼ぶだけ呼んで「好きに話してください」だったから,どーゆーことになるかと思ったけど,まずまずの盛り上がり。モデレーターをお願いしたK氏のしゃべりもなかなかどーして大したモノ。さて,後はどーやって記事にするかが問題だな。
1999/04/15(Thu)
予言に弱い僕
前日が朝帰りに近かったから,朝,起きるのがついらい。でも,今日で教習は最後なのだ。気合いで起きて出かける。ま,天気がいいし,暖かいし,気分は良い。今日は2段階のみきわめ,つまり最後の教習。うーん,縁石に足をかけて怒られたり,コースを間違えたりはしたけど,まあ,もう大丈夫かな。急ブレーキで後輪もロックしなくなったし,平均台も余裕。
無事,2段階終了。明日はいよいよ卒業検定だ。うーん,ここまでやり直しなしのストレートでこられたけど,ちょうど1カ月かかったってことか。あ,全部で17時間+1時間(適性検査)です。1日2時間まで乗れるから,最短だと10日ってことですね。まあ,土日しか通えない普通の社会人だったら,もうちょっとかかるところだろうから,良いペースだったのかな。早起きした甲斐があったね。毎朝,アルコールの抜けきらないまま教習受けた甲斐があったね。
午後,M社の人と,E社の人と打ち合わせ。連載記事を始めませんかという申し出。やって欲しいのは分かるけど,こっちのメリットが良く分からない。まあ,やりようによっては,僕がずっとやりたかった記事になるんだけど。打ち合わせにのこのこ出ていったのは,ホントは電子書籍絡みの話を聞けるからという下心があったからだったりして。そっちの収穫は大きかった。やっぱり最新事情は人に会って話しを聞かないとダメだね。ワクワクするよ,電子書籍の話は。とんでもなくアナクロな日本固有の事情にうんざりすることもあるけど,グーテンベルク以来の革命的な出来事になる可能性があるもんね。いや,どうかな。まだ分からんけど,向こう数年はいろいろ動きがあるんだろうなあ。
いろいろ話していたとき,S氏の指摘を受けた。「西村さんは編集とかライターとかやってるよりも●●●のほうが向いてるんじゃない?」だって。●●●が何かはまあ,伏せ字にしておくとして,この言葉は,たぶん言った本人が思っている以上に,僕にインパクトのある言葉だった。
20歳のころ,「あなたはテクニカルライターに向いている」と,僕に言った人がいた。そのときは,冗談じゃない,そんな職業って思った。けど,いまやってるのは,まさにテクニカルライターで,振り返ってみると,そのときその人はとても予言的なことを言っていたわけです。その人の予言は他にも当たっていることがあるんですが。
今日,S氏に言われた言葉に何となく反応したのが,ちょうど20歳のときの反応に近いような気がして,「もしかして」と思ったわけなのです。
だいたい物事というのは重なって起こっても意味がないものほど,重なるもので,夜,J社から持ち込み企画のメールが届く。面白そう。やりたい。でもなあ……。
『暗号戦争』,
読了 。ちょっと今更な本だけど。前半の第2次世界大戦時の暗号戦争のエピソードの数々は面白かったけど,後半の肝心のインターネットの暗号戦争の話は,申し訳程度でつまらない。ほとんど知ってることしか書かれてなかった。なーんか,技術的なことになると記述にアヤシイところがある。
1999/04/16(Fri)
卒業検定
今日もタクシーで教習所へ。いい身分やね。いや違うんです,シャトルバスの時間を間違えちゃってね。タクシーがなかなか捕まらずに焦りまくった。今日は卒業検定だから遅れたら,キャンセルじゃなくて,検定料がパーになるかもしれないし。
いやまあ,緊張したね。1回落ちると教習1時限と検定やり直しで,それぞれ3900円,5000円の追加だからね。いやお金よりも,時間がもったいないよね。
人前で話したり発表したりするのが苦手だったから,そういう機会の多い学生の頃は,「緊張する」というのが割と日常的な出来事だったわけだけど,最近はあんまり緊張なんてした覚えがない。社会人や,それなりにいい歳になると,ごくまれにしか緊張というモノを経験しないものかもしれないね。職種によるだろうけど。
たまのことなんだからと,検定前の程良い緊張感を楽しむ。適度にアドレナリンが出てる感じ。ううーん。僕の他に2人いた受験者も緊張顔でコースを見てる。僕は3人中2番目の試験。1番じゃなくて良かった。規定コースを覚えてないわけじゃないけど,もう1回誰かが走るの見れば安心できる。
1人目スタート。すいすい走ってるね。うん彼はイケるでしょう。20歳だって。やっぱり若いって有利かもね。無茶も多いから保険高いけど。で,僕の番。走り出せば緊張も何もないかと思ったけど,走ってる間中,結構な緊張を保ったままだった。急ブレーキのテストで,進入の規定速度40kmのところ速度不足でやり直しをさせられたけど(というか,スピードを出しすぎて慌てて落としたら40kmを割ったってのが正確なところ。ちなみにコース間違いや,やり直しは減点なし),それ以外はこれといったミスもなく終了。交差点での左右後方の安全確認(試験官にアピールできるぐらい),ウィンカーを出すタイミング(30m手前),障害物との距離(1m以上),見通しの悪い交差点での最徐行(ローギア),その他諸々の細々したこと,ぜーんぶ,言われた通りにやったよ。うーん,どうだ。まあ合格じゃないかなと思った。あまり根拠ないけど,落ちる理由もなさそう。
何度か一緒に教習を受けたこともある3人目の人は,スラロームで足を着いて止まっちゃったらしく,暗い顔して帰ってきた。普段ならそんなミスないんだろうけどね,緊張しなきゃね。「まあ,でも最高の20点の減点だとしても大丈夫でしょう。ほかにミスないでしょ?」と励ましの言葉をかけつつ,待合室に戻る。
まずは4輪車の合格発表。8人ほど受験者がいて3人ぐらい落ちてた。こんな厳しいもんだったっけ? 仮免許ってさ。と,人の心配している余裕もなく,2輪の合格発表。どきどき。「はい,じゃあ2輪のみなさんね。あー,これねぇ。合格の紙,ほら1枚しかないんですよ」。なにーっ! どっきーん! 1人しか合格じゃないのかーっ!!
嫌な発表の仕方しますね,それにしても。
瞬間,受験者3人は「あ,オレだな」「あ,オレ駄目だ」「彼か? いや僕だって落ちる理由ないぜ」とか考える。ちなみに僕は最後の意見。ほかの意見は後で聞いた話。
ほどなく「西村さん」と二の句を継ぐ検定員。人の名前を呼んでおきながら,さらにまた一息置きやがる。うっきーー。名前を呼ばれてから約1秒間,次に続く言葉が「もう1回頑張ってください」なのか「合格です」なのか予測できず,激しく緊張する。むきー。でも,いまにして思えば,不合格者の名前を呼ぶなんてことはないわけですけどね。
「合格です」。言われた瞬間,内心,まあそうだろう思いつつも,あまりすました顔してるのも嫌みだし(子供のころ,テストで100点取っても,当たり前という顔して回答用紙を一瞥するだけの嫌な子供だったんです),かといって大っぴらにも喜べない。えっ? 僕が合格!? といわんばかりの意外そうな顔を一瞬作った後,ちょっとだけ顔をほころばせる。あんまり喜んじゃ,落ちた人に悪いなって頭では思うんだけど,ね。ヨロコビで表情をゆるめることを,「相好 ( そうごう ) を崩す」なんて言うけど,嬉しいときって,ホント,崩れるように笑っちゃうんだよね。隣で暗い顔している彼に悪いなあと思いつつ,にやにや笑いが止まらない。ごめんなのだ。おさきに,なのだ。にっひっひ。
他の2人が落ちた理由が分からなかったけど,講評を聞いたら,それなりに理由があったみたい。やっぱり3人目の彼はスラロームのミスが大きかったみたい。エンストもあったらしい。うーん,それは確かにきついかも。1人目の彼は右足を着きまくってたのがイケないらしい。バイクって停車しているときは右足は基本的に地面に着いちゃいけないんだよね。だから右足を着くとバランスを崩したと見られる。可哀想に。でも,ほかにもカーブで膨らみ過ぎとか,結構あれこれ言われてたから,まあ仕方ないのかな。
いくつか書類に名前を書くと,校長室に呼び出された。都の公安委員会からの指導で,卒業者には1時間程度の安全のための講話をするように言われてるんだそうな。そういえば,合格した人に悲惨な事故の映像を見せまくるという話も聞いたことがあるけど,うちの教習所はお話だけらしい。でも,僕は見た目は素直そうだし,ハキハキした好青年を演じるのが割とうまいから「西村さんは真面目そうだし,もう車も乗って良く分かってらっしゃるでしょうから簡単にお話します」という言葉を引き出し,10分ほどの話で卒業証明書ゲット。年間680人ほどの二輪の卒業生のうち,1年に1人の割合で死んでいるという話,覚えておきます。
後は免許センターに免許の書き換えに行くだけだ。さて,そろそろ僕のバイクの整備は終わってるかなぁ。週明けには免許とバイクをゲットだ。にっひっひ。にっひっひっひ。
1999/04/20(Tue)
初ライド
朝5時に寝たけど,10時に起きて免許センターに。このタイミングを逃したら,バイクは10日ぐらい先になってしまう。生活のリズムが崩れると思われる月末までに「足」をゲットせねばと焦ってたわけなのです。
電車での移動時間って,貴重だよね。貴重な睡眠時間だって人もいるけど,僕にとっては貴重な読書時間。取材で動き回るのが嫌いじゃない理由の1つは,移動中に本が読めることだったりする。スクーターを盗まれてからというもの,ずっと電車の人なわけど,無理矢理1日に1時間拘束されるってのがミソだよな。そういえば,わざわざ朝は遠回りして出社するという知り合いがいる。通勤電車は書斎だって言ってたな。
鮫洲の免許センターに行って,上野のバイク屋に行くまでに,『ヘッジファンド――世紀末の妖怪』,
読了 。1カ所だけ引用。
サッチャー女史らの期待に反して,冷戦終結後,現実に出現したのは,そのような「なんでもあり」の世界だったのである。「ビッグバン」という宇宙創世の大爆発にちなむ大きな名前がつけられたように,あらゆる経済・金融サービスの自由化を進め,いかなる規制も市場の敵と見なす革新的考え方が生んだのは,安定とはほど遠い混乱だった。この考え方そのものが,デリバティブやヘッジファンドという妖怪を生む土壌になったことはすでに書いた。ドル支配,ドルの独り勝ちとともに,「カジノ資本主義」の波が世界に波及しつつあることもすでに記した。とすれば,「自由」は今や暴走を始めた,と言えるのではあるまいか。
視力検査,やばかった。左右0.3以上,両目で0.8以上だっけ。1回やり直しさせられた。「不合格。10分休んでもう1度検査を受けて」。がーん。免許に「眼鏡など」って書かれちゃうのかなぁ。睡眠不足だったり,本を読んだ直後って,確かに視力が明らかに落ちてるからなぁ。今日は何だか世界がいつも以上にぼやけ気味。それにしても,公務員って態度悪いよね。てめぇ,何様だっつの。あんたサラリーマンやってみなって。営業職やってみなって。マクドナルドでバイトしてみた方がいいな。どれも僕はやったことないけど。へへへ。
開き直って,2回目のテストでは迷ってないフリをしつつ,上だの下だの適当に答えたら「目を休めた甲斐がありましたね,合格です」だって。いい加減だねー。ま,いいいけど。でも,これ以上視力が落ちたら,運転恐いな。今でも矢印信号とか直前まで見えないことが多いし。
昼過ぎに上野。バイク屋で,マイ・バイクとご対面。うーん,ちょっとさびてるけど,なかなか……。いや……。
何か,
VINO の時と違う。それほど嬉しくない。何だろう。走ってみても,思ったほど嬉しくない。何というか,心地よさがないんだよね。新しさがない。エンジンの音とか,馬力とか,そういう問題かなあ。安っぽいというかわざとらしいというか,何だか分からないけど。教習所で400に乗ってたから,そのギャップもあるのかもしれない。
スクーターって,ナンセンスな法律のことをのぞけば,つくづく良くできた乗り物だったんだなあと思わずにいられない。都内を走ってる分にはって意味でね,もちろん。あのね,スクーターってものすごい洗練されてるよ。低速でもきびきび動くし,オートマだし。チョークも自動で適当にやってくれから,暖気なんてほとんどいらなかったし。ぷるるんっていったら,もう走り出せた。音も静か。燃料メーターって,バイクには付いてないのね,なんで? スクーターは車体が軽いから,何でもアリ。小回りきくし,持ち上げられるほど軽かった。エンジンが,あっちっちになったりしないというか,なっても分からないし。荷物はメットインに山ほどつっこめるし,いざとなれば足下にも結構置ける。燃費も抜群。何となく,スクーターのサービス精神旺盛なのに慣れていると,バイクって面倒くさいよ。だいたいVINOの,あの女の子の背中のようなセンシュアルなラインを,どうして250や400のバイクは真似できないかね。そういうバイクを何故メーカーは出さないかね。
慣れないせいもあって,結局スクーターよりもスタートダッシュが遅いし,全体にゆっくり走ってる感じだったな。80kmを超えると,さすがに,スクーターの時に「もうちょっと出てくれれば車の流れに乗れるのに」と,もどかしく思ったようなことがないのはいい。右折信号でドキドキしながら右折しなくて済むのもいい(白バイがいたら,ウゥーって,それで終わりだからね)。でも,やっぱりクラッチって面倒くさいや。
結局,遠乗りしない限り,都内では100ccクラスのスクーターが最強ということなんでしょう。要するに,100ccのVINOが出てくれれば,僕はそれでいいのかもしれない。だって,都内で70km以上出せる場面って,そうそうないですよ。
1999/04/22(Thu)
ジャケット・ライダー
昼過ぎに起きてテレビのスイッチを入れたら,生命誌研究家の中村桂子氏が,DNAの話をしていた。基礎入門ってなかんじの話だったけど,この人,しゃべくり結構いけるのね。話していくうち,自分自身やや興奮気味になって,「これが私の問いです」という言葉で締めくくる。好奇心旺盛で真摯なサイエンティストとしての顔が印象的。教える立場にありながら,未知の部分は,未知のものとして,それだけにチャレンジングなのだと語りかけるような口調。このおばさん,大阪の吹田市に住んでるんだよな,確か。
春物の三つボタンジャケットを着てバイク出勤したら,隣の席のライダーさんに「ジャケットなんか着てバイク乗ってるの?」と驚かれてしまった。汚れないのかって話だったけど,そんなん気にしてないもーん。どーせ,鼻の穴もまっくろけだろうし,いちいち気にして,汚れてもいい服なんか着てられるかっての。
服装は機能で選ぶよりも,はるかに社会的な「意味」を自ら担うために着るものでしょう。機能で選ぶなら,そもそも誰がネクタイなんてするんですか。バイクに乗るときだって,僕は僕が着たい服を着るのです。こういうのを着たほうがいいと思っている服を着るんです。
バイトのT君に任せてあったテープ起こしがあまりにもひどくて(もっとも,内容が内容だけに前提知識がないと,ほとんど外国語と同じぐらい聞き取れないものだろうけど),結局自分で全部聞き直して修正してたら朝になってしまった。今日も,雀がちゅんちゅん鳴く時間に帰宅。明日は金曜日。うーん,ちゃんとGW前に仕事終わるかな。
1999/04/29(Thu)
紙へのフェティシズム
朝まで仕事して,夕方出社。深夜になっても再校出ず。何とも中途半端な「待ち」の状態。待ち状態を予測して本を何冊か持ってったりしてたけど,いつも仕事が終わった直後はほうけた状態で,何もする気が起きない。逆に,仕事が程々に忙しいときほど,いろんなことをやってるような気がする。と,言いながら,この日記の更新をしようと書き始めたら,何やらいやに長くなってしまった。あ,いつもホームページの更新は自宅でしかしないんですけどね。
昼間,ふとみたテレビで,ある中学生が将来の希望はと聞かれて「公務員になりたい。リストラがなさそうだし」と答えていた。気持ちは分からなくはないけど,やっぱりばかやろうだな。そんな風に子供の気持ちを委縮させてしまう社会もおかしいし,公務員にリストラがないなんて制度もおかしい。
電子書籍端末の
Rocket eBook についての周囲の意見を聞いていると,どうもネガティブな反応が多い。やっぱり本は紙で読みたい。紙は絶対なくならない。紙の方が読みやすいに決まっている。テキストデータで手元に残るとしても,やっぱり紙の本はとっておきたい。うんぬん。
僕はいまのところ読むときは紙がいいけど,本なんて読み終わったら,テキストデータにしてHDDに保存しておきたいと思ってしまう。テキストがあるなら,紙の本なんて捨てたって構わない。そのほうが本棚が要らなくていいじゃん。テキストデータがあれば,ページを繰って探さなくても,検索で昔読んだフレーズなり,段落なり,いつでも呼び出せるんだし。さらに言えば,テキストデータなら,リンクも自由。将来的には,電子書籍はXMLデータとして配布されることになるから,XLinkやXpointerを使って,しおりを挟むことも,覚え書きを書き込むこともできる。ジャンルにもよるかもしれないけど,そもそも「書物」というものが,明確な輪郭を持ち続けると考えるのも,僕はアナクロだと思っている。テキストは,別のテキストへとリンクが縦横に張り巡らされることによって,もっと開かれたものになるはずだ。その存在場所はネットワーク上でしかありえない。いまは電子書籍は「端末にダウンロードして読む」という形態をとっているけど,端末がネットワークにつながれば,それはビューアとして働くことになる。本は,ネットワーク中のビット列として,もっと抽象的な存在になる。少なくとも,最終的なプレゼンテーションの形態が紙という時代は終焉を迎えつつある。僕には,そのことは明々白々であるように思われる。
それなのに,電子書籍端末に対する反応は,極めてネガティブだ。僕は「分かってないね」と言いたい。で,分かっているつもりの僕は,とうぜん何故彼らが分からないのかを考えてみるわけだ。いくつか理由があると思う。
1つはテクノロジーを見るのに,あまりに近視眼的すぎること。あるテクノロジーを評価するのに現状だけを見ては駄目だ。過去を見て,過去と現在の差分を見て,その差分を未来へ演繹してみなければならないはずである。
解像度が100dpiそこそこの液晶デバイスで「やっぱり紙のほうが見やすい。やっぱり紙だ。」というのは正しい。でも,「液晶なんかで本を読む時代はこない」とはあまりに短絡的すぎる。「このくらいの見にくさなら紙じゃなくても我慢できる本もある。現状でここまで来てるなら……」,と,どうしてそうならないのか。それは液晶の進化のスピードを考えていないからである。試作段階ではなくて,もう国内大手の液晶メーカーは,180dpiの解像度の液晶を量産可能になっている。この180dpiという解像度の液晶を僕は見たことがないけど,見た人の話では「文庫本サイズでルビもはっきり読める。まるでガラスに印刷したように綺麗な表示だ」ということだ。たぶん180dpiの液晶が,今年後半に登場する。この進化の速度見て,どうして,近い将来,300dpiや400dpiといった液晶が登場して,視認性の点で,液晶デバイスのテクノロジーが,紙の優位性を脅かすことになると考えたりしないのだろうか。10年前の液晶を思い出せばいい。どれだけ液晶が進化したかを考えてみれば……。さらに言えば,液晶だけじゃない。紙の代替になるテクノロジーも生まれつつある。IBMの
Cross Pad に,電子と紙の中間形態を見ることができるし,紙にインクを乗せる代わりに,紙の表面に極小の球状粒子を付着させておき,その粒子を電気的に回転させることで白と黒を変化させるという,「電子の紙」の研究も進んでいる。MITや慶応のSFCでも,いろいろとやっているらしい(近々取材予定なのだ)。もちろんほとんどは日の目を見ることはないかもしれないけどね。
液晶デバイスを否定的に見るもう1つの理由は,テクノロジーの恩恵に対する無知・無理解だと思う。これはもう書いた。蓄積の容易さ(転送,つまり販売形態も大きく変わる。いや販売という概念も大いに変容を迫られることになるはず),検索性,ハイパーリンク,それから文書(群)の構造化なんかも大きな恩恵となる。テクノロジーがまったく理解されていないことの証拠はいくらでもある。うんざりするほどある。紙の本のフィジカルな制約を,わざわざ電子メディア(CD-ROMとか)に採り入れたばかげたタイトルが,腐るほどある。「紙の本と同じように,ディスプレイ画面でも2ページの見開き単位表示!」。あほかいなってなもんだ。ほとんどの電子書籍のコンテンツが,紙の書物の模写であり,いままで出たCD-ROMタイトルにしても,ほとんどは紙の本のソフトコピーにしかなっていないと思う。
そらから,これは電子書籍端末だけじゃないけど,新しいものが出てきたときに,反発するすべてのケースで当てはまる話だけど,既得権益を侵されるかもしれないという不安感というのも理由としてあると思う。既得権益といっても,たいてい漠然としたものか,あるいは変化についていけないときの理不尽な異議申し立てでしかないことが多い。産業革命のときのラッダイト運動と変わらないわけだ。それから付け加えると,最近気になっているのは,新しいものを新しいものとして評価しようとせず,とにかく眉をひそめてみせるという日本人固有の反応である。懐疑的になるのは悪いことじゃないけど,正当な評価ができなくなるほど,眉に唾を付ける人が多い。これが,電子書籍端末に関する日本とアメリカの盛り上がりの違いの理由だと思う。「何だこれは! 何かイケるかも。将来性あるかも。エキサイティングじゃん。グレートかもしんないじゃん。とってもクールじゃん」と飛びつくヤツが多いわけだ。事業化するヤツも多いわけだ。公務員になって安定した暮らしを求めるようなヤツばっかりの日本と違って。
そして,最後の1つ。これは一番みんなが隠そうとするんだけど,その分一番根が深いと思う。それは,紙に対する思い入れである。そのことをはっきりさせるために,あえてここで極論してみる。
本好きの人は言うわけだ。好きな本は紙で読みたい。紙の手触り,持ったときの重み,その洗練されたデザイン,どれをとっても,液晶ディスプレイや電子的なデバイスで置き換えられるものじゃないと。それは正しい。が,この見解は現状で正しいというだけで,将来起こり得る技術革新を,どうも意図的に 考えに入れないようにしている節がある。紙を神に置き換えても良さそうな,ほとんど信仰告白とも思えるほどに,紙を絶対視しているように思えてならない。
書物の物質性に対する,こうした過剰なまでのこだわりは,紙に対するフェティシズムなのだと思う。本が好きなのは分かった。好きな作品があるのは分かった。でも,それが紙の上に存在しなければならない理由は何だ? 理由なんてないのだ。いままでは「本=紙」だったから,本好きにとって紙が消えていくとうことは,本の内容や,そこに表現されたテクストそのもの,表現の文化そのものが消えていくのではないかという漠然とした不安につながっているのではないだろうか。
作品が好きで,作品に思い入れがある。ならば作品を愛せばいいことであって,紙まで一緒に愛する必要はない。ところが,テクノロジーの限界によって,今までは「本=紙」だったから,その違いが実感として把握できないのだ。これはちょうど,欲望の対象が異性であるはずのに,いつの間にか,その対象が異性が身につけるものや,身体の一部分だけになってしまうフェテシズムに似ている。
もちろん男子中学生が,丸文字にえもいわれぬ欲望を感じてしまうように,フェティシズムが特異なものだとか,悪いと非難するわけじゃない。
性の欲望は,性の文化によって,そしてその文化によってのみ異性に振り向けられてきた。生殖とセックスを切り分けたことによってだかなんだか分からないけど,人間の性欲というのは動物の性欲とはまったく異質のものになったわけでしょう。人間には発情期がない。いやいや,過剰な刺激にさらされ続けて,発情しっぱなしというほうが正しい。それに性倒錯や同性愛は基本的に人間だけの話だ(イルカやサルにも同性間のセックスはあるらしいけど)。人間の性欲は,もはや本能として,放っておいても異性に向かうような性質のものではなく,ある強制力によって,異性に向かうようになっているわけ。正常とされる性欲も,ある意味では「肉体へのフェティシズム」という一種の性倒錯だと言えなくもないわけである。
ちょうど,性欲と異性の肉体が,エロティシズムの文化によって結びつけられているように(生殖にセックスが必要でなくなる将来,それだけが正常だという価値観は今よりもっと希薄になるんじゃなかろうか),「書物の世界」という威厳ある大伽藍は,「書物の内容」と「紙の書物」を分かちがたく結びつけてきたわけだ。しかし,コンテンツ(内容物)とプレゼンテーション(表現,現出)は,それほど不即不離の存在ではないと思うのである。それは話し言葉と書き言葉の違いのようなもので,シニフィアン・シニフィエの関係のようなものではない。紙の書物でなければ威厳が感じられないという議論は,手書きでないと感情が伝わらないと言っていた10年前のワープロ否定派の主張と変わらない。いまやもう普通の人がメールで愛を語る時代じゃないか。MSゴシックだからって,想いが伝わらないもんか。
と,いろいろと書いてみたけど,要するに,もうちょっと新機軸の肯定的側面を見ましょうよという話。ここまで書いてきて,ついでに最近漠然と考えていることで言葉にまとめたいことが出てきた。忘れっぽいから,書き留めておこう。「テクノロジー否定症候群と名付けたくなる態度について」「先端テクノロジーと古典的ツールの連続性」「肉と機械の連続性」「意味など存在しないかもしれない」。
サピア=ウォーフの言語相対論じゃないけど「言葉のないところに思考なし」だ。言葉にすることで考えをまとめるのじゃなくて,言葉にすることで,考えは生まれるんだろうと思う。そのことを人の対話の中で,意識することもあるけど,やっぱり書くのが基本なんだね,きっと。ふだん頭の中に思い浮かぶのは断片的な感想ばかりだから,まとまった文章を書かないと,まとまった考えにならない。少なくともまとまるのに時間がかかりすぎる。分量的に「まとまった」文章を書けば,後日それを読み返したてエディタで切ったの貼ったのすれば,それはまた新たな思考になるような気がする。キーボードとエディタは思考の道具ではなくて,僕の目とディスプレイ,指と脳味噌,キーボードとCPU,そのへんのインタラクションが思考そのものってか。ああ,大げさだな。
すっかり意味不明だな。まあ,日記だからね。
1999/04/30(Fri)
丸々24時間以上読み違い
昨日(29日)の午後一番で仕事は全部終わるだろうと読んでいたのに,ちっとも終わりゃしない。まだゲラが出てこない。うーん,遅い。ヒトの作業を待ってるときって,いい気なもんで,「まったく何やってんだ。遅せぇな」とか思いながら,自分の原稿が遅れたことなんて,忘れちゃうのね。
結局,昨日は深夜の3時に1つ目の再校が上がってきただけで,残りは今日。昼過ぎに起きて読んだメールに夜20時に来るって書いてあった。えー,話が違うじゃーん。ま,しゃーないですか。
どうやら編集部のバイク乗りでにわかに作ったツーリングクラブで,GW中のツーリングに行くことになりそう。うーん,初めての遠乗り。つーか,乗り始めてまだ10日しか経ってないけど,大丈夫かしら。でも,楽しみ。僕の実家の熱海まで4人ほどで走りに行くことになりました。1泊2日で,富士五湖巡りも。王道やね。天気が良ければ海岸沿いは気持ち良さそう。
バイクに乗っている人の話を聞くと,ツーリング仲間がいないと,遠乗りしてもつまんないって言うね。本当のバイク好き,隣の編集部のM谷君は,朝4時に新宿の自宅を出て,伊豆経由で新宿の会社に出社なんて訳の分からないことをやるそうだけど,普通は1人であんまり乗ったりしないんだって。そうなのかなあ。僕って,割と1人でぷらぷらするのが好きだから,バイクって乗り物は僕には必要にして十分な気がしているんだよね。基本的に旅行は1人で行かなきゃ意味がないと思ってるクチだし。初めてバイクに乗ってみて,ワクワクしているのは,限りない自由を感じることだったりして。行きたいところに行ける。止まりたいところで止まれる(車はね,そうはいかないよね)。
結局,仕事が終わったのは,午前3時過ぎ。20時に来ると言っていたゲラは1時になり,2時になり……。
NISHIMURA Ken <nis@bigfoot.com>