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2008年02月14日

ジャグリングという芸術運動

ひがみ2が出たおかげ(?)で、久しぶりにrec.jugglingを斜め読みしています。トーマス・ディーツが「なんか難しいトリックのアイデアない? 次のビデオでやるから!」とアイデアを集めていたり、アンソニー・ガットーの傲岸不遜な「俺、天才だから」という態度に関連して100以上もの大量のコメントツリーが発達していたりと、相変わらずです。ヴォヴァとガットーの比較では、またしてもヴォヴァの父親が出てきて「うちの息子にいちゃもんつけるな」とか言ってます。いやまあヴォヴァに関する事実に反する指摘に対して「それは事実じゃない」と言ってるだけですが、それにしてもヴォヴァパパは、ヴォヴァの話になると、ものすごい勢いで登場してものすごい勢いでコメントを付けますね。ヴォヴァのほうは、rec.jugglingのようなコミュニティにはあんまり興味がないようですが。

相変わらずですが、なんか楽しい。ジャグリングでいちばん楽しいのは自分でやることだと思っています。自分が上達することがいちばん楽しい。今のぼくにとって、その次に楽しいのは、誰かのジャグリングを見ることそのものじゃなくて、ジャグリングコミュニティを眺めたり、それについて語ったりすることです。自分の上達に望みが薄くなった今、これはこれでいいなーとか改めて思い始めたりしています。

ジェイ・ギリガンが言ってましたが、ジャグリングという芸術はまだ歴史が浅くて、今まさに目の前でさまざまな表現形式が出てきていて、テクニックも進化しています。近代的なジャグリングが盛んになったのは、絵画や写真などに比べて遙かに最近のことで、20年とか30年、まあせいぜい50年なわけです。例えば、以下の100年前のジャグリング・サイレントムービーを見てみてください。これは1907年から1908年にかけてフランスで撮影されたものらしいですが、まあ、これを見ると、ジャグリングがある種の進化を続けているという気が確かにします。カスケードの技術レベルとかアクロバティックな動きだけを見れば、同じ人間ですから、そうそう劇的にレベルが向上しているということもないでしょうけど、それにしても過去20年の変化は大きかったのじゃないかと、そんな気がします。いや、待てよ。サーカスのトップジャグラーじゃない趣味ジャグラーが7個なげるような時代は、過去に1度もなかったですよね、きっと。

ジェイ・ギリガンには伝統的なサーカスやジャグリングと異なる、新しいジャグリングの旗手として活動してきた自負があります。実際そうだと思います。そうした新しい表現を、しんげんもちくんやマサキ様をはじめとする日本のジャグラーが引き継いで大いに発展させているのを見るのは、とてもエキサイティングでうれしいと言っています。JJF2007で体育館にあふれた、多様なスタイルを見たジェイやエリックは、それが当然と思わないで、この多様性をキープしてほしいとしきりに言っていました。日本のジャグリングシーンは多様性が特徴だそうです。誰もがクラブばっかりやってる体育館の光景というのは欧米では珍しくないんだとか。

ボールのトス、それも中途半端なナンバーズやサイトスワップしかやらないぼくが言うのもなんですが、多様性は重要ですよ(笑)

あ、ジェイがいう芸術(art)という言葉には、大げさなニュアンスはありません。別に愛や宇宙について表現するとか、そんなことじゃなくて、ジャグリングという表現形式を使って何かを表現すること、という風に言ってます。ジャグリングが目的じゃなくて、スタート地点だ、と。表現するものはジャグリングそのものでもいいし、そうでなくてもいい。ちょっと踏み出す一歩なんだとも言ってます。

表現って、発信側と受けとる側がいて、さらに文脈もあります。ひがみ2の中で、エスカレータでボールをコロコロするような表現は、モダンなジャグラーにとっては非常におもしろいです。真剣に遊んでいる感じが楽しいし、それなりに練習したのかなと分かる感じもあって拍手したくなります。ひょっとして発展性もあるかな、とも思わせます。このエスカレータコロコロって、3b different waysの地面コロコロやピアノコロコロに通じる何かがありますよね。3bdwだけじゃなくて、IJAでもステージコロコロはいろいろあります。それらは、だいたいコミカルです。

本来ジャグリングをやるべきでない公的な場所や大道具を流用してジャグリングをやるというのは、ジャグラーにとっては1つの本能のような、そういう感じがあります。そういう文脈やニュアンスを共有しているジャグラーにとって、あのエスカレータコロコロは、何か心にガツーンと伝わってくるものがあるですよ。

もちろん、ぼくが感じたそういう「表現」が、発信者の意図とずれていたり、ぜんぜん無関係である可能性もあるわけですが、それでもまあ、ジャグリングという表現形式を通して、何か意味(表現)を共有できる、というのは、そういうことなんじゃないかと思ったりします。

と、ジェイのことを思い出したように書いているのは、今まさにJJF2007のインタビュー記事を絶賛準備中だからだったりします……。遅れてます、すいません。ジェイが熱く語るジャグリング芸術論はおもしろいですよ。

投稿者 ken : 2008年02月14日 10:33

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