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2007年10月19日

JJFとは何なのか?

コメント欄で、すえきちさんに「今回のチャンピオンシップでの順位付けの基準には、どういう要素が、どのように評価されていたように感じられますか?」との質問をいただきました。最初にチャンピオンシップのエントリーを書いたときに、まさにそのへんのことを書こうかどうしようか迷って書かなかったのですが、質問に答える形で、今回の審査について少し気になった点を書いておきたいと思います。

ナランハの(というか日本ジャグリング界の中興の祖である)中嶋さんが、今回のJJFチャンピオンシップの審査委員長でした。メダルの授与が終わった後、その中嶋さんがビミョーな総評を行いました。

ぼくの印象では、中嶋さんは、突然マイクを振られて戸惑っている風でした。だから何を話すのかをあらかじめ考える時間的余裕がなく、ちょっと口を滑らせたのじゃないかと思うんですね。

中嶋さんの話の要点はこうです。事前の打診がなく、中嶋さんは突然当日になってからチャンピオンシップの審査委員長を務めることになった。ところが、どうやって審査するかが決まっていない。演技が終わってみて、さあ審査というときに「どうやってこの場の議論、審査員の意見をまとめるんだ」と思ったと言います。

ぼくの記憶が確かなら、中嶋さんは、こんなことも言いました。「観客のみなさまの中にも、ステージに立った人にも、ステージに立てなかった人の中にも、今回の順位に納得のいかない面もあるかもしれません」。そして、「でも結局のところ、一番観客の拍手が多かった人が選ばれたのかなと思います」と締めくくりました。

急にマイクを振られたのだとしたら、うまく話はまとっていました。しかし、ドタバタした舞台裏が見えるような微妙なスピーチであったとも思います。中嶋さんの話を聞いたぼくは、審査体制が準備不足だったのじゃないかという印象を持ちました。

中嶋さんの話から窺えたのは、今回の審査が客観評価というよりも、主観評価だったのではなかということです。

もちろん、どんな審査でも審査員個人個人の主観によりますから、主観評価です。でも、だからこそ、ある程度は客観的な評価軸をいくつか決めて、点数制などの基準を作り、できる限り客観的な尺度を取り入れるべきではないかと思います。完全な主観だけだと、ある審査員は技を中心に評価するかもしれないし、ある人は衣装まで含めて決めるかもしれません。だから、誰に聞かれても順位の説明ができる透明性と公平さがないと、ステージに立つために1年とかそれ以上の期間をかけて努力してきた人々が報われません。

客観的な数字の裏付けがあれば、審査員が首を突き合わせて協議するにしても議論のベースとなるものが共有できます。

改めてジャグリング協会のページを見てみると、「審査は技術とパフォーマンスを基準とするが、その配分などは審査委員に一任する」ということと、「審査委員長を議長として最終の協議を行ない、審査委員の総意を審査委員長がまとめ、受賞者を決定する」ということが書かれています。議論が紛糾する可能性を考えると、ちょっと心許ない規程ですし、不透明感が残ります。

人間には錯覚があります。ぼくもこれでも一応私企業に勤めるサラリーマンなので、そういう研修を受けたこともあるのですが、人の評価をするときに難しいのは、心理的、主観的なバイアスの数々をどう排除して透明性を上げるかです。他人を評価しようというときには、無意識のうちに、いろいろな要素が評価に影響します。例えば、人間は直近のできごとほどよく覚えているので、本当は半年間の業績評価をしているはずなのに、「あいつの先月のあれ、いい仕事だったな」などと時間的に近い仕事を評価しやすい傾向があります。何か飛び抜けた評価ポイントがあると、ほかの評価軸でもそれにつられてしまいがち、ということもあります。ほかにも同様の錯覚がいくつかあって、客観評価には注意すべきことが多くあります。

錯覚の数々に自覚的であることと、数値など客観的な指標をできるだけ使うことがポイントです。それが世間でいうところの「厳正な審査」だと、ぼくは思います。

拍手が多い人が勝つというのは民主的ですし、ある意味納得できるものです。でも、それならば最初から選任された審査員ではなく、観客の投票で順位を決めてもいいわけですよね。でも、投票だと印象がすべてになってしまう面が強い。それが日本ジャグリング協会のチャンピオンを決める方法として妥当かというと、どうもそんな気がしません。

これまでのJJFはどうだったんでしょうか。少なくとも2006年の東京のときには、技術点、衣装点など数種類の評価軸あって、それぞれの審査員がすべての評価軸で点数をつけていたと思います。


客観評価といえばWJF(ワールド・ジャグリング・フェデレーション)です。ジャグリングを、ほかのスポーツ(主に器械体操だと思いますが)同様に、パフォーマンスではなく、技術で評価しようという理念に基づいて、細かに点数評価制度を作っています。技の難易度、技の連続性、ドロップの数、ボディーバランスの乱れなど、すべて数字にします。

その結果何が起こったかといと、高得点を目指した演技が勝っちゃったり、あるいは「誰が見てもディーツのほうが上だった」というクラブの競技で、ドロップしまくりで本人すら落ち込んでいたヴォヴァが数字の上では勝ってしまった、などという本末転倒です。

だから、数字の客観評価は客観評価として、最後は協議による審査員の主観のぶつかり合いがないとダメだと思います。「数字とかじゃないんだ、あいつが一番だ」という直観は大事です。そういう感性は、数字には置き換えづらいのだと思います。


日本ジャグリング協会は、どういうパフォーマンスをするジャグラーが日本チャンピオンにふさわしいと考えるのか、という根本理念が、まず最初にないと、そもそも審査基準は作れません。ジャグリングの普及や、ジャグラーの交流、ジャグリングレベルの底上げ、いろいろと掲げるべき目標はあるでしょう。

EJCのように順位をつけないというのも1つの見識ですが、日本では時期尚早だと思います。ヨーロッパはジャグリング文化が広く普及していますが、日本はまだまだこれから。JJFチャンピオンシップは「ジャグリング日本一」の称号を与えるプロジャグラーの登竜門としての存在意義も大きいはずです。日本ジャグリング協会は、そういう称号を与える正統な機関として充分に機能しつつあるし、今後もするべきだと思います。

JJFとは何なのでしょうね。

中嶋さんが日本ジャグリング協会設立にあたって書いた「設立主旨書」(http://www.juggling.jp/aboutus/establish.html )を改めて読むと、いま協会は曲がり角に差し掛かっているのかなという気がします。フェスティバルを開催して発表の場を提供するという基本的なところは、もう充分できています。今は「どういう場とするのか」が問われているのかな、と。

今までは年々激しい技術向上があったために、何だかんだ言って技術力で驚かせた人が入賞というシンプルな話で済んだ面があるんじゃないでしょうか。そういう段階を越えてきつつあるとするなら、JJFとは何なのかということは、もう少し議論があってもいいのかもしれませんよね。これは「ジャグリングとは何なのか」という大きなテーマとも通底していて、IJAでも結論が出ていないものだとは思いますけど。みなさん、どう思います?

投稿者 ken : 2007年10月19日 23:11

コメント

西村さん、こんにちは。問題提起ありがとうございます。

JJFとは何なのか? 大きくて難しい問題ですね。ジャグリング観、あるいはJJFに求めるもの、これは個人個人で千差万別ですよね。しかし、JJFにはジャグリングの大好きな人たちが全国から何百人も、何かを期待して集まってきます。その人たちが心から楽しめるいろいろな場を提供する、これが実行委員の仕事だと思います。実行委員が、JJFとは何なのか、という問いに全く無頓着ではまずいでしょう。答えは簡単にはでませんが、議論していきたいと思います。(お酒が入らないとなかなか議論が盛り上がらないかもしれません。)

チャンピオンシップの審査基準ですが、これはJJF2008実行委員チャンピオンシップ担当者にお任せする予定です。私個人としましては、客観的な数値をある程度使っていくのは非常にいい手段だと思います。

JJF2008実行委員長 為金現

投稿者 ため : 2007年10月20日 12:30

お久しぶりです、西村さん。

私は今回はJJFに参加しませんでしたが、西村さんのエントリーを拝読させて頂き、今年のJJFがどのようなものであったのか、イメージが湧きました。そして、参加しなかったことをひたすら後悔しました(笑)
ありがとうございます。

おっしゃられましたように、チャンピオンシップの審査について見直そうと思ったら、確かに、「JJFとは何なのか」という根本的なところから見直しを図らないといけないと思います。

審査方法についてですが、私はやり方によっては観客の投票もありではないかと思っています。

チャンピオンシップについて見直しを図った結果、仮に、JJFのチャンピオンに「誰もがチャンピオンと認める者であるべき」ということが求められるとしたら、観客の意思を考慮しないわけにはいきません。

これは極端ですが、いずれにしても、観客の意思を反映させるかさせないかを、まず決めるべきだと思います。今のところ、観客の意思は拍手や会場の雰囲気といった、間接的な形で審査に(審査員の主観に)影響を及ぼしている状況だと思いますが、これは少し気持ちが悪いです。

反映させないなら、審査員はなるべく主観を排除するよう努める。反映させるなら、直接反映させる方法と間接的に反映させる方法の2通りあると思いますが、間接的に反映させるなら、拍手など観客の間接的な意思表示をなるべく数値化する。今はこの2つのどちらでもない、不透明で中途半端な状況にあるのかなと思います。

そして最後に、西村さんもおっしゃられましたように。投票などによって直接的に反映させる方法もあります。100%投票に依存するのか、それとも審査員の判断と観客の投票のウェイトを50:50と置くか。または審査員の判断によって決めるチャンピオンと、観客が選ぶチャンピオン、別個に設けるのか。観客の意思をどの程度反映さえるのか、様々なレベルが考えられます。

勿論、上記のやり方には問題が多々あり、普通にやっても混乱を招くだけです。観客の意思を直接反映させるためには、慎重に議論を重ねる必要があると思います。逆に、議論をしてみるだけの価値はあるのではないかなと思っています。私からは、「審査はこうすればいいのではないか」という具体案は思いつけないので、かなり無責任な発言になってしまいますが。

JJFはまだ歴史が浅く、年々よりよいものにしようと、関係者の方々は努力されてきたことと思います。ただ、まだまだ妥当な「審査の型」は完成しておらず、試行錯誤を積み重ね改善していく余地があるのかなと思います。その時に、今回あったように(私は不参加のため実際のところどうだったのかは分かりかねますが)準備不足があっては良くないです。仮説を立て、準備を整えた上で実践してみて(JJFを開催してみて)こそトライ&エラーが次に生きてきます。

西村さんがこうしてエントリーなさったお陰で、日本中のジャグラーがこの課題について考え、議論し、来年以降のJJFに良い形で影響してくるはずです。ありがとうございます。来年も、JJFが楽しみです^^

長文失礼しました。

投稿者 ケータ : 2007年10月20日 14:32

2001年までは投票もありました。
その反省を踏まえて現在の形があります。
審査をする方々も、相当に考えていろいろやっているようです。

ということを、『協会がちゃんと説明してない』のが、一番問題な「だけ」じゃないでしょうか。

(ただ、たしかに、ことしの審査委員長のコメントはどういう文脈か謎です。聞いてちょっととまどいました。)

ただ、今年の結果も、昨年の結果も、それ以前も、
それぞれそれなりに個人的には納得が行きます。
いろんな評価軸はあるでしょうが、「今年はこんなふう」というのが見えるからです。

投稿者 にしの : 2007年10月20日 23:38

投票に関しては不公平になる可能性はありますよね。
JJFに参加される観客の皆さんなら公平に審査して投票してくれると信じていますが、
たとえ盛り上がらなかったとしても「サークル仲間を勝たせてあげたい」という心理が働き、
それが組織票という形になって表れる可能性があるからです。
そうすると、都市部の大きなサークルに所属してる人や友人の多い人が有利になり
個人活動してる人が不利になる図式も生まれる恐れがあります。
投票はすべての演技が終わり冷静になった状態で行うので、
そういった状況も起こりうると思います。
やっぱりリアルタイムの観客の反応こそが一番参考になるんじゃないでしょうか。

投稿者 Mr.ドミノ : 2007年10月21日 00:37

みなさま、
コメントありがとうございます。

> やっぱりリアルタイムの観客の反応こそが一番参考になるんじゃないでしょうか。

スタンディングオベーションカウンターを開発して……。
あるいは歓声をデシベルで……。

別のエントリーとして、また少しだけ書きました。

投稿者 西村 : 2007年10月21日 13:47

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