2006年04月06日
クジャクの羽と7個ボール
そもそも、なぜジャグリングなんてするんでしょうか。いろいろな答え方があると思います。「楽しいから」というのも答え方のひとつですが、これは一種のトートロジー(同語反復)として、今は排除します。同じコトを別の言葉に言い換えただけで答えになっていないからです。「なぜ楽しいと感じるのか?」を問題にしたいのです。
ぼくは「性淘汰」という進化論の仮説で、うまく説明できると思っています。
ダーウィンは「適者生存」の原理によって生物進化を説明した「自然淘汰」で知られていますが、性淘汰という重要な概念も提出しています。理由は忘れましたが、自然淘汰に比べて性淘汰の方は長らく生物学者たちの間で無視されたか、忘れ去られていた仮説だそうです。
性淘汰とは端的に言えば、「異性にモテた個体の遺伝子が残る、モテない個体の遺伝子は消え去る」ということです。これだけなら当たり前ですが、どういう遺伝子がモテるかを観察してみると、ちょっと意外な事実が広く動物界に存在することがわかります。
基本的には生存の可能性が高い遺伝子の徴候が、異性にアピールします。賢いとか、足が速いとか、身体が大きいとか、肌がキレイ(免疫系が正常に機能している)とか、生物としてのサバイバル能力に関わる徴候です。そういう遺伝子を自分の子どもがもてば、より自分の遺伝子が残る可能性が高くなります。
ところが、これとまったく反対に、生存に不利なはずの徴候がもてるケースがたくさん見られます。たとえば、大きくてきれいな羽をもったクジャクだったり、やたら長いばかりで邪魔な角の生えたオリックスが、メスにモテます。適者生存ということで言えば、動くときに邪魔になるような角は、本来淘汰されるべき特性です。生存に不利だからです。生物進化はムダなリソースを使うことを許さないのがふつうで、クジャクの大きな羽は、自然淘汰の原理では説明できません。
「ハンディキャップをもっていても立派にやっていけてますよ」ということ示しているんだというハンディキャップ仮説というのもあるらしいですが、それよりも説得力があるのは「適応指標仮説」です。クジャクのオスは(そう意識してやってるわけじゃないですが)いい遺伝子をもっていることを羽で宣伝しているというのです。
遺伝子を保存しているDNAは、宇宙からやってくる高エネルギーの宇宙線にさらされていて、結構な頻度で部分的に壊されてしまうそうです。カンタンに傷つきます。傷つくと、たとえばある酵素に必須のタンパク質を合成するべき遺伝情報が壊れて、そのことによってさまざまな病気や奇形が発生します。病気にかかりやすく、死にやすい個体になります。宇宙線による遺伝子情報の変異は、ごくごくまれに奇跡的に良い結果をもたらしますが、基本的にはたいした影響がないか、影響があるとしたら悪い影響です。
美しい羽を生み出す遺伝情報は、ゲノム上の多数の場所にわたります。どこか一部の遺伝情報に欠陥があると、羽の模様が崩れたり、発色が悪かったりと、影響がでます。あるいは栄養状態が悪かったり、免疫に異常があれば、羽の質感が落ちるかも知れません。つまり、あの大きな羽は遺伝情報を誇張して見せているというわけです。メスはオスの羽の様子をみれば、「あ、この人の遺伝子は壊れ気味」とか「おお、パーフェクトに近い遺伝子!」というように判断できます。
クジャクの羽に当たるのが、ヒトの場合は脳みそだそうです。
ヒトの知性(脳)は、ヒトの繁殖に有利に働きました。でも実は、生存に有利だから知性が発達したわけではないということを進化を研究する研究者の多くが言ってます。ヒトの脳は、生存だけを考えた場合、あまりにもムダで大きすぎます。維持に膨大なエネルギーを使います。サルたちは、ある種の声でコミュニケートしますし、道具も使いますが、ふつうに森で暮らす分には十分必要な知性を備えています。脳はサルのサイズで十分足りているのです。
ほかの霊長類と比べて、どうしてヒトだけが巨大な脳を発達させたのかというと、それは、クジャクが羽を発達させたのとたいして違わないというのです。たまたまそれが「適応指標」として機能したからという話です。ちょっとした偶然だったといいます。だからこそ脳の巨大化は爆発的な速度で進みました。ほかのサルたちに、いまだにヒトに起こったのと同じ進化が起こる徴候がないことも説明できると言います。
脳というのは相当に複雑な臓器で、遺伝情報がちょっとでもやられたり、発育に問題があると、機能が低下します。逆に優れた脳機能を示している個体は、よりよい遺伝情報をもっている個体である可能性が高いということが推定できます。
人間が使う言葉は、日本語であれ英語であれ、どんな言語でもだいたい3万から6万程度の語彙をもつといいます。ところが、これは生存や社会の運営には多すぎる、という指摘があります。集団で狩りをするにも、宗教儀式をするにも、ビジネスをするにも文明を運営するにも3000語もあれば十分。じゃあ、残りの数万語は何のためにあるのかというと、クジャクの羽と同じで、それを使いこなせる脳をもっているかどうかを異性に示すために維持されているという仮説です。洞窟の中で楽しいおしゃべりができるオスがモテた。それでますますヒトは言葉を発達させた、という話です。
韻を踏んだり、厳しい様式に従って作る「詩」というものも同様に、それだけの制限があっても上手に表現できる才能があるかどうかを、ちゃんと異性から見分けられるためにある、一種のふるいのようなものです。
言語運用能力は脳の一部分だけに過ぎません。学問、スポーツ、音楽、その他あらゆる芸術やスポーツは、すべてどこか特定の部位の脳の活動です。これらはすべて「適応指標」じゃないかと思うのです。ファッションセンスがいい、笑いのセンスがいいというのも、脳の活動がいい証です。
ある種の小鳥たちの間では、上手にさえずるオスがモテるといいます。歌のうまいヤツと下手なヤツがいます。これもやっぱり適応指標で、メスは、間近にそのオスをみなくても歌の巧拙でオスの遺伝子のだいたいのところを判定できるというわけです。
頭をかち割って中の脳みそを検査したり、あるいは唾液のサンプルでDNA検査をしなくても、3個投げているか、7個投げているかを見れば、一発で違いがわかります。少なくとも7個投げている個体は、認知能力や反射神経、運動能力に問題がなさそうだとメスにわかります。複雑な神経系が正常なら、それは全般的にいい遺伝子をもっているサインと見なせます。
ジャグリングでは微妙なタイミングのズレが失敗に結びつきますが、これはつまり反射速度とかリズム感の優劣を、誰もが見てわかるかたちに誇張して見せているものだと考えることができます。
「モテるために」、オスたちは恐ろしくムダなエネルギーを使います。データをとってみると、スポーツや芸術に費やすエネルギーや時間は圧倒的に男のほうが多いことが示されます。今でこそ現代人はムダに使える時間もエネルギーもありますが、人類はつい最近まで(地域によっては今でも)常に飢えと闘っていました。どうして体重の2%しかない脳という臓器が、摂取したエネルギーの2割も使ってしまうようなムダが可能なのか。ムダなエネルギーを費やしてまで、どうして洞窟や遺跡に膨大な芸術を残したかと言えば、それはすべてモテるためだったということです。ちなみに、性淘汰の圧力はメスからオス、あるいはその逆にも働くといいます。オスは選ばれてるだけじゃなくて、メスを選んでもいます。
ジャグリングで、若い男ほどエネルギーを注ぎ込むのは性淘汰の圧力によるものだと思うのでした。といっても、ジャグリングをはじめ、個々の活動によって本当にモテるかどうかは、また別の話です。本人たちにモテようという意図があってそれをやってるというわけでもありません。それは誰も自分の遺伝子を残そうと思って恋愛していないのと同じような話です。遺伝子が自分を広める活動にすぎないといって恋愛の価値がないかのように論じるのはナンセンスです。同様に、芸術やスポーツが性淘汰という進化論的枠組みで説明できるからといって、それらがもともともっていた価値は少しも減りません。
スポーツにルールがあるのは、「ズル」を許さないためです。ズルをする人たちを、ぼくらは非常に憎みます。なぜなら、ズルをする人たちは実際以上に自分の適応指標をよく見せているからです。ぼくらを操る遺伝子にしてみれば、これは生き残りをかけた深刻な問題です。
というふうに、ここで激しい「競争」が起こります。クリス・ブリスを悪し様に言う人々は、方向性が違うというだけでは納得しません。たぶん、それはある種のズルのように感じるからじゃないかと思いました。実際の能力以上に評価されていると感じるのであれば、許せなくて当然です。
たったひとつの原理で「なぜジャグリングするのか」ということの理由が説明できるとは思いませんが、性淘汰とか適応指標という概念で、割とスッキリと見えてくるものがあるんじゃないかと思っています。性淘汰については、ジェフリー・F.ミラー(長谷川真理子訳)『恋人選びの心――性淘汰と人間性の進化』が、とてもオススメの本です。
芸術やスポーツ、あるいは学問は自分でやるばかりではありません。それらを理解する(審美眼をもつ)ことも重要です。それはそれで優れた脳をもつ証拠になるからです。いまや趣味のいい音楽を聴いていることや音楽について「語れる」ことは、楽器や歌で音楽的才能を発揮するのと同じぐらい大切なアピールとなっています。
若いオスのクジャクが競って羽を広げるように、若いジャグラーは競って投げる。ゆーたさんが、ブログで「(ジャグリングを)コンペンティブじゃなく楽しむのは女性とおじさんの特権なんだな」といってますが、ぼくもそう思います。
ただ、おじさんに関して言うと、ひとつ逆説的な現象もあるように感じています。「とりあえずオンナはもういいや」と思う年齢になると、多くのオトコが道楽にすごいエネルギー(お金、体力、時間)を使うようになるという現象です。それはある人々にとってはゴルフだったりします。仕事だということも多いです。あるいは、食べ歩きだったり、ワインを集めることに情熱を燃やすヒトもいます。クルマ、旅行、釣り、オーディオ、パソコン、カメラ、マリンスポーツと、まあ趣味に情熱をかたむけるおじさんの多いこと多いこと。本屋の雑誌の棚を見ればわかりますが、趣味の雑誌はほとんど男性向けです。女性向け雑誌は年齢で区切られていて、個別の趣味を扱う雑誌はきわめて限られています。まあ、趣味は趣味でも競争的要素の強いものと、そうじゃなくてコレクター的要素が強いものとではずいぶん話は違いそうですけど。
ぼく自身についていうと、ぼくは、ジャグリングをコンペティティブじゃなく楽しめるおじさんと言うにはちょっとまだ若すぎるのか、かなりムキになっています。
azukiさんが日記で「僕が考える趣味とは」というのを書いていて、ああ、同意見だなと思いました。
人から、azukiの趣味は趣味の範疇を越えてるって言われる事がある。
確かにそうかもしれない。
趣味ってのは、勝ち負けや技量に関係無く、
その行為を楽しめれば、それで良いのかもしれない。
その方がストレスも溜まらず、幸せなのだろう。
でも僕の考え方は違う。
やるからには上手くなりたい。
元から道楽でやってるもの(麻雀とかゲームとか)もあるけど、
趣味としてやり始めた物は、何がなんでも上達したい。
勝負に負けたら超悔しいし、スランプに陥ったら食事も喉を通らなくなる。
もし、もう負けても良い、楽しければそれでいいや。
そう思う様になったら、その趣味をやめる時だろう。
細く長く、続ける事に意味がある、なんて言葉は僕には無い。
ぼくのジャグリングの場合、もともとあまり勝ち目がない感じなので「負けてもともと」です。だから恬淡としてるように見えるかもしれませんが、負けず嫌いですよ、ぼくだって。趣味に限りませんが、何かをやると決めたら、徹底してやらないと気が済まないところがあります。そのほうが断然楽しいと思うからです。ジャグリングに限りませんが、たいていのことは、やればやるほど楽しくなるものだと思っています。
「上達すること」は「楽しむ」過程で起こる付随的なできごとで、楽しむための手段のようなもの。ところが、いつの間にか上達自体が目的となって、手段と目的が入れ替わってしまいます。それは倒錯した状況かもしれません。ある意味では何かが狂っています。でも、こんな狂ったような世の中なんですから、狂わずにいるほうこそ、狂ってるのだとも言えます。いやウソです、言えません。
このあいだ『日本の詩歌』(大岡信)という本で読んだのですが、室町時代に成立した閑吟集(かんぎんしゅう)という歌集に、こんな有名なのがあります。「何せうぞ、くすんで、一期は夢よ、ただ狂え」(まじめくさってどうしようってんだ、一生は夢のようなもの、ただ狂って生きろ)。「狂う」は現代日本語と違って、何かに熱中するというニュアンスがあったらしいですから、文字通りに狂うというより、何かに夢中になれというぐらいの意味かもしれません。
冷静に考えると、むなしくなるようなことでも、何か熱中できるものがある生活というのはいいもんですね。
投稿者 ken : 2006年04月06日 11:35
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コメント
全く同意見ですよ。ローレンツの”攻撃”とか、こういう話大好きです。オスはもてるための努力をすべきで、それをやってない奴とは友達になりたくないって話はオレが酒の席で若い男子に必ずする説教です(笑)
そんな事言ってるくせにオレは鼻毛とかファッションに無頓着なんですけれど。
>ジャグリングをコンペティティブじゃなく楽しめるおじさんと言うにはちょっとまだ若すぎるのか・・・
いやいやこの話題の中での”おじさん”っていうのは年齢できまるものではなくて、”コンペンティブじゃなくなった時点で
男はおじさんになる”んですよ。きっと。うんそうだ。
いつまでも少年でいたいですね。
人生は夢のようですよ。ホント。自分が信じている全てがその拠り所がないんですから。いかに自意識から離れて生きられるが快楽への道ではないかとにらんでます。自分探しは最悪の生き方なんじゃないかな。ジャグはいいですよホント。夢中になれます。
投稿者 ゆーた : 2006年04月06日 23:32
>西村さん
今考えると何故ジャグリングを選んだのか分かりませんが、
僕がジャグリングを始めたキッカケは、好きな女子に振り向いてもらう為でした。
今でこそ当初の目的とは関係無く練習していますが、
今日この記事を読んで、ふとその事を思い出しました。
それはそうと、僕もやり始めた事は徹底的にやらないと気がすまないタイプです。
しかも「やり込む」か「全くやらなくなるか」の2パターンしか無いタイプの人種です。
ゆえに、昨日まで一生懸命だったのに、急パタッとやめてしまう事も多く、
熱しやすく冷めやすいとよく言われます。
そんな僕が、ジャグリングは4年も続いているのだから、
ジャグリングの魅力はやっぱとてつもないんだな、と改めて思いました。
>ところが、いつの間にか上達自体が目的となって、手段と目的が入れ替わってしまいます。
RPGのレベル上げに近い所があるんじゃないかと思います。
クリアをする為にレベルを上げてる筈なのに、
いつの間にかレベルを上げる事自体が目的になってしまうと言うやつと。
でも、上達する事が目的でも、良いんじゃないかなぁと僕は思います。
僕は上達していく自分が楽しいんですから(笑)
>ゆーたさん
以前ゆーたさんがブログで書いていた記事で、
「強敵とかいて何と読む?」と言うのを見て、凄く共感しました。
僕はジャグリング以外に空手もやっているんですが、
道場にいる中学生達が、何か目的も無くダラダラやってる感じなんです。
中学生と言えば、自己掲示欲が一番強く出る時期だと思うのですが、
その子達は対抗意識も特に無いらしく、和気藹々とやっているんですよね。
まぁそれはそれで微笑ましいし、楽しみ方は人それぞれなんですが、
空手と言う競技をやる上で、せっかく同じ世代の人間がいるのだから、
お互い刺激しあって切磋琢磨すればいいのに…と、僕は少し不満に思うのでした。
彼らに限らず、最近の子供は自己掲示欲が少ない気がします。
どこか冷めていると言うか、そんな印象を受けます。
投稿者 azuki : 2006年04月07日 00:20
特権をもつおじさんです。おんなはもういいやとは思っていませんが(笑)
私の場合も、なぜ投げ続けるのかと問われると、「そこにボールがあるからだ」、と答える段階にまではまってしまっています。
私はとにかく投げたり回したりすることが楽しくてしかたありません。もちろんあるトリックができるようになるのは嬉しいことですし、人に見せて喜ばれるのも嬉しいですし、人がやらないことをやるのも嬉しいです。でも私がジャグリングする本質は、「じゃぐることによって心が真っ白な状態になる」ということにつきるような気がしています。同じ動作を繰り返しているうちに心が自分から離れていくというか。。。
この状態になることに比べたら、誰かの競争とかは私にとっては些細なことに思えます。
ただ自分にとってあまりに簡単な動作になるとそういう状態にはいらなくなっちゃうんですね。かつては3ボールカスケードで状態遷移したのですが、今では全然駄目です。
まあ、そーゆーわけでいまは5ボールめざしているわけですよ。
いつの日かジャグリングの最中に「時よ止まれ、お前は美しい」と心から思える日がくることを夢見て今日も投げてます。
投稿者 くろせ : 2006年04月07日 21:19
おじさんジャグラーも、
めっちゃコンペティティブですよ!
ただ、競う相手が自分なだけです。ある意味、目に見える他人と競うより厳しい道を歩いてます。所詮体力や時間の制限があるので、ゆるゆるとやっているように見えるかもしれませんが、何年後かに40歳を超えてから、現在周りにいるおぢさんたちと、そのときの自分を比べてみてくださいね!
と、やっぱり言わずにはおれません。(^^;
これも結局は競争心かしらん。
投稿者 にしの : 2006年04月07日 23:12
戦う相手は人生最強の敵「寿命」ですよね
投稿者 くろせ : 2006年04月07日 23:15
ちょっと時間が空いてしまいましたが、
みなさん負けず嫌いですね(笑)
ゆーたさん、
> オスはもてるための努力をすべきで、それをやってない奴とは友
> 達になりたくないって話はオレが酒の席で若い男子に必ずする説教
> です(笑)
あら、意外と説教オヤジだったんですね。ははは。
ぼくも「逃げている」あるいは「降りている」感じの冷めた若者を
見ると「アツくなれよー」と思うことがあります。
azukiさんが言うように、
> (空手道場にいる中学生の)彼らに限らず、最近の子供は自己掲示
> 欲が少ない気がします。どこか冷めていると言うか、そんな印象を
> 受けます。
ということかも。傷つきやすいから、最初から競争を避けているよう
にも見えるし、あるいは競争に勝つことによって結果的に他人を傷つける
ことになったりするのが嫌なんでしょうか。お上品ですけどね。でも
ひっくり返していえば、ハングリーさがないというか、
去勢されているというか。
まあ、とか言いながら、ぼくもいろいろ降りてるんですけどね……。
ジャグリングそのものが現実逃避的ですし(笑)
> 昨日まで一生懸命だったのに、急にパタッとやめてしまう事も多く、
> 熱しやすく冷めやすいとよく言われます。
凝り性の人ってそういう傾向がありますよね。
次々といろいろなモノに凝っていけばいいんじゃないでしょうか。
RPGとジャグリングって似ていますよね。レベルアップのヨロコビでしょうか。
ただ、ゆーたさんも書いてましたけど、閉じた架空の世界での
レベルアップじゃしょうがないですよね。
くろせさん、
> でも私がジャグリングする本質は、「じゃぐることによって心が真
> っ白な状態になる」ということにつきるような気がしています。同
> じ動作を繰り返しているうちに心が自分から離れていくというか。。。
ジャグリング・ニルバーナ(極楽)ですね。お経と同じでひたすら
同じものを繰り返していて「悟り」の境地に達するという……。
> ただ自分にとってあまりに簡単な動作になるとそういう状態には
> いらなくなっちゃうんですね。
そうそう。
できるようになったことは練習してもつまらないです。
で、できるかできないかの技は、失敗ばかりだし、上達もしないし、
「むしろヘタになった」という感覚に襲われてばかりでホトホト嫌になります。
というわけで、ぼくは練習で投げている時間の9割ぐらいは、つまらないです。
たまにやってくる劇的な「おぉ!」という瞬間や、
何もかもうまくいくように思える「ジャグ感謝デー」だけを
追い求めて単調な練習を繰り返してる感じです。
もちろん長い目でみたときの上達が、いちばん大きな
インセンティブなんですけど。
にしのさん、
> ただ、競う相手が自分なだけです。ある意味、目に見える他人と
> 競うより厳しい道を歩いてます。
いまふと思ったのですが、競争といっても具体的な誰かと競争する
ということはマレじゃないでしょうか。年の近い兄弟がいたり、
同級生がいるサークルだと違うのかな? あいや、そっちが普通か。
ぼくのような社会人ジャグラーは若手とは違いますよね。
ぼくは、競争相手を具体的には思いつきません。周囲のジャグラーの
ほとんどと年齢やジャグ歴が違いすぎて、ちょうどライバルとなるような人が
いません。というわけで、ぼくは漠然としたジャグリング界の基準みたいなものに
強く反応しているように思います。ジャグリングを始めて2年ぐらいの
30代なら「こんなもん」と思われてるだろうけど、それを超えて
やろうじゃないかという感じです。
> 何年後かに40歳を超えてから、現在周りにいるおぢさんたちと、
> そのときの自分を比べてみてくださいね!
まだ4年半もありますから、ぼくはたぶん5本を投げる40歳に
なりますよ(笑) あれ、そういう話じゃなくてですか? ^^;;;
うーん、どこかで一気に冷めてしまうかもしれませんし、
そもそもスローダウン必然って感じなのですけど。
投稿者 西村 : 2006年04月10日 15:59
トスジャグリングはかつて放下芸と呼ばれていました。
「放下」とはもともと禅宗の言葉で「ものを放ち捨てて無我の境にはいる」という意味なのだそうな。
投げることで涅槃に近づく、というのはないわけではないのだなあと。
ちなみに放下芸は曲鞠、手品、輪鼓(ディアボロに酷似したもの)、コギリコ(打ち鳴らしたり、曲取りする)
等が含まれていたそうです。
参考文献「見世物研究」(朝倉無声著),庶民芸能ー江戸の見世物(古川三樹著)。
投稿者 くろせ : 2006年04月12日 12:03
> トスジャグリングはかつて放下芸と呼ばれていました。
> 「放下」とはもともと禅宗の言葉で「ものを放ち捨てて無我の境に
> はいる」という意味なのだそうな。
> 投げることで涅槃に近づく、というのはないわけではないのだなあと。
むむむ、やや強弁のような? 投げ捨てることと投げ上げ続けることは、
相当違いますよね。むしろ落とさないように執着しているといった
感じですし。「放下芸」という呼び名は単に字面のイメージで
借用しただけとしたほうが妥当な気がします。
しかし、それにしても和名は味わい深いというか、なじみやすくて
いいですね。いまだにカスケード(滝)と言われても、それが何を
表しているのかピンと来ません。
投稿者 西村 : 2006年04月12日 16:53
やっぱりちょっと強弁でしたか(^^;)
しかし投げ続けるのは、落とさないように執着しているとは
なんとなく違うかも。
投げ続ける感覚はメヴラーナ教の旋回舞踊のぐるぐる回り
に通じるような気がしてます。傘を回しながら自分も
回っていると旋回舞踊そのまんまかも。
投稿者 くろせ : 2006年04月12日 20:05
ああ、くろせさんはそういえば
メヴラーナ教の信者さんでしたね。
えっ、違うんですか? ^^;;;
投稿者 西村 : 2006年04月13日 00:32