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2006年03月27日

IJAのDVD到着

ついにIJAのDVDが届きました。去年の10月半ばにオーダーしてから、えーと、何ヶ月だ。ひどい有様ですが、あまり「ひどい」というのもひどいかもしれません。

以下、ずいぶんいろいろ書いてしまいましたが(我ながらすごい長い……)、いつものごとく、あまりまとまっていません。「アメリカ人はボランティア精神旺盛」ということと「ボランティアで大きな組織は運営できない」という矛盾したことを言ってるようにも思いますが、まあブログってことで気にしないでください。

今回のDVDの遅れの原因は、IJAの掲示板や担当者からのメールを読んだ限りでは、たった1人、やると言ったことをやらない人間がいたからに他なりません。DVD複製業者がIJAの指示を間違って受け取ったという事務的ミスもあったようですが、それだけなら2週間程度の遅れに収まる話です。その後、遅れたのは発送担当者のところにDVDの大部分があり、これに対してIJAの元商品担当は「早く送ってよ」という電話をする以外に何もできなかったという状態のようです。

元商品担当の人は、長年献身的にボランティアをやって来た末に、担当を外れたいということを去年あたりから言っていたようです。ところが、次に担当をやろうというボランティアの引き受け手が見つからないようです。そんななかで、今回の発送を引き受けた人がいました。嫌々なのか、喜んで引き受けたのか、そのへんはわかりませんが、ともかく引き受けて、大量のDVDを引き取ったようです。そこで大量のDVDが止まったままになりました。いくらボランティアだからといっても、引き受けたことをほったらかしにした、この人はひどいと思います。

元商品担当は責任も感じるし、ぼくのような顧客と直接やりとりする関係で批判の矢面に立つしで、ずいぶんフラストレーションをためていたようです。それで、顧客から「DVDが届いてないんだけど」と言われるたびに、DVDを止めたままにしている人に電話をしていたようです。ところが、この人が次々と遅れる理由を口にしていました。出張で家を空けていただの、家族の誰かに健康上の問題があっただの、いろいろ言います。海外発送のぶんについては税関に提出する書類が山ほどあって大変だとも言いました(だったらアメリカ国内ぶんも遅れていたのは、なぜだ)。伝聞の伝聞なので、あまり言ってもしょうがないですが、いかにも言い訳っぽい話が続くので、ぼくは呆れまくっていました。電話のたびに「今週末こそ、ぜんぶやる」とか、できない約束だけは次々とする。いちばんひどいのは、元商品担当と電話している瞬間に、まさに発送中だと言ってたりしたことです。

結局、最後はこのDVDを止めていた人のところに何人かが直接足を運んでDVDの発送を手伝った模様です。「この何人か」というのは、ぼくと同じようなIJA会員です。単に、困っているみたいだから、やってあげるよといってやってくれただけのようです。ボランティアです。

ぼくの偏見かもしれませんが、アメリカ人は、こういうときに「よし自分たちでやろう」と協力しあう、とても良い気風をもっていると思います。ヨーロッパを飛び出して自分たちで民主的に社会を作り上げ、さまざまな移民を受け入れてきた国だけあって、上下や内外の分け隔てがあまりなく、全員に当事者意識があるというんでしょうか。日本だと上に対して文句を言うばかりで自分で動かない下とか、まだ自分は入ったばかりのお客様みたいなものだからと遠慮するようなところとか、ありますよね。遠慮するだけならいいですが、みんなが同じ立場で参加すべき参加型組織で、お客様意識で文句ばかり言うようなこともあるように感じています(ぼくもDVDの件でずいぶんIJAに文句を言いましたけど、それもお客様意識っぽいです)。日本には、何かというと「お上が悪い」「この組織は腐ってる」と行政や組織の悪口を言う「庶民」が多いですが、これって歴史的に支配階級と被支配階級があったからなんでしょうかね。

アメリカ人は、組織に昨日今日入ったような人でも「オレ、よくわかんないけど何かやりますよ」と平気で言います。それを聞くほうも「私だって2週間前にここに入ってまだよくわかってないのよ」とか、そういう感じです。

パーティーなんかでもそうです。遅刻する開催者など待たずに、気づいたら互いに見ず知らずの人たちが和気藹々と装飾の設営に加わっていたりします。そういう国民性があるように思います。

何をやるにも自己責任で本人の自由に任されていて、それでいて全員が当事者意識をもっています。なぜなら、自分の居心地をよくするのは自分の仕事だと思っているからです。「文句を言うなら何かしたら? するつもりがないなら、別にここにいなくていいんじゃない? 誰も頼んでるわけじゃないんだから」という文化です。だから、見ず知らずの人間同士がにわかに集まっても、うまくチームワークが働くという印象を受けます。ボランティア活動が盛んなのも、このへんに理由の1つがあるのかなと思っています。

日本人は長い時間一緒にいて親密になってからチームワークを発揮する感じですよね。どちらも一長一短でしょうけど、アメリカ型のにわかチームワークを見て、すがすがしく感じることがあります。今回のDVD発送追加ボランティアも、ちょっとそんな感じでした。あ、アメリカかぶれと思われると嫌なので念のために付け足しておきますが、全般的に言うと、ぼくはアメリカ人的なものより、日本人的なもののほうが好きです(笑)


話がそれましたが、DVDの話です。今回の大幅な発送の遅れのこともあって、IJAはオンラインストアを閉じてしまいました。もはや商品発送ができる体制にないという判断です。幸い、いまは再びオープン間近という状態のようです。発送担当は2箇所に分かれて、リスクを軽減させる対策をとったようです。なので、来年もDVDはちゃんと製作・販売されることでしょう。

オンラインストアを閉じる前後ごろからずっと議論が続いてます。ボランティアベースの組織運営をどうするべきか、誰が何をやるのか、会費を改定すべきかといったことが議題です。オープンな場でディスカッションをやっているのでIJAのサイトに行けば誰でも内容が読めるようになっています。

まずこれとこれをやるべきだという提言をした人もいました。リストアップされた項目は、どれもごもっともという感じでした。でも実際には、その人は提言をしたあとは、各項目について報告を待つ受け身でいました。で、誰も動かないことにビックリしていたりしました。ぼくはハタから見てて呆れました。そんなに簡単に人が動くと思ってるとしたら、それはちょっと思い違いじゃないかと。理事の1人は「提案したことについて、あなたが自身が関係者に電話をして話を進めないと進まないよ」というようなことを言ってました。そりゃそうです。

会員のほとんどの顔が見えている規模の団体であれば、「みんなのためにやろう」「オレも何かやろう」というボランティアベースの組織運営も何とかなるように思います。でも、IJAのように規模が大きくなると、そういう善意に基づいてだけ運営するのは無理じゃないかと、ぼくなんかは思うのでした。会ったことも、会うこともない人を相手に何かを無償でやるというのは、けっこう大変です。

相互に助け合うとか、できることをみんなで分業するというのは人間の本性ですから、互いの顔が見えている間はボランティアベースでいいと思います。でも、顔が見えなくなったら、お金を使うべきじゃないかと思います。

小さなグループでは心情的な貸し借り関係は各人の記憶だけで維持できます。「ああ、あの人は、あれをやってくれたなぁ。こんどはオレもやるか」という風にできます。でも、グループが大きくなると、もう誰が何をどれだけやって貢献したのか分からなくなり、たくさんやった人が感謝されず、何もしていない人がいつまでも何もしないという状態になります。現に、元商品担当がポジションを辞退してから、誰も「じゃあオレがやるよ」と名乗り出ませんでした。元商品担当は無償のボランティアで一生懸命やってきたのに、事情をよく知らないぼくのような人間からは、激しく文句を言われたりします。

こういう問題を解決するのがお金なんじゃないかと思います。どんな社会であってもお金だけは例外なく存在しています。その理由は、まさにここにあるんじゃないでしょうか。お金は、誰かに感謝したり、恩返しをしたり、誰かのために何かをやったり、そういうことを大規模に効率的にやるためのツールです。お金というツールが存在しなかったら、ふだんぼくらが使っている衣食住にまつわるほとんどの技術やサービスは成り立ちません。自給自足+物々交換では、想像もできないような、みじめな生活になるんじゃないかと思います。

いや、なので……。IJAの運営問題に話を戻すと、お金を導入するほどの規模じゃないという議論ならわかりますが、「いままでボランティアでやってこれたんだから、これからもそうすべき」という議論は、心情的には理解できますが、ちょっと見通しが甘いんじゃないかと思うのでした。たとえば発送担当者には、時間単位で報酬を出せばいいんじゃないかと思うのです。すると当然DVDか会費が高くなり、嫌だという人もいるかもしれません。でも、ボランティアの人件費はもともとタダだったわけじゃありません。人にタダで働けというのは理屈が通りません。「じゃあ代わりにオレが発送やるよ」という人が出てこないで困っていたのはなぜだったのかといえば、それはサービスの受け取り手の感謝の気持ちが感じられなくなってしまったからです。もっと露骨に言えば、受け取り手からの見返りがないからです。ボランティアにやりがいがあったのは、顔が見えて、感謝もされる仕事だったからではないかと思うのでした。

報酬をもらってやれば、仕事の担当者には責任感も出てくるでしょう。ここでお金が何をやってるかといえば、遠く離れた顔が見えない人同士の間で「これ、よろしくね」「よしわかった」「ありがとう」という一連のコミュニケーションの媒介です。報酬が安くて見合わなければ仕事をする人がいないでしょうし、DVDの価格が高ければ買う人がいなくなるでしょう。当たり前の話ですが、お金は「価格」という重要な情報も運びます。価格は仕事内容に対する「感謝度」です。お金は、感謝度というものを売り手と買い手の間でバランスして取り持ってくれている、とてもありがたい存在です。

いや……、お金という存在に反発する人たちが多いなぁと……。地域通貨とか自給自足に憧れるような人って、心情的には理解できますが、お金のもつ途方もない効用を忘れていませんかって……。「ボランティア」もそうです。響きは美しいですが、その結果が組織や仕事の行き詰まりだったんじゃ話になりません。規模が大きくなれば、ボランティア組織は必然的に非効率や行き詰まりを生むんじゃないでしょうか。いかにアメリカ人がボランティア好きだとしても……。うーん。

投稿者 ken : 2006年03月27日 23:26

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コメント

DVD受け取りおめでとうございます。
ボランティアは短期的・小規模できわめて有効ですね。
規模がでかくなったり、継続して何かをしようとなると
不安定性が増してくる気がします。
金だけで解決できない問題も多いですが、金さえ出せば
解決する問題は金で解決がスマートだと思うんですけど
ねえ。

投稿者 くろせ : 2006年03月28日 09:25

くろせさん、
あ、そうそう継続性です。
ひとりのボランティアが「やーめた」というと
困ってしまうんですよね。

投稿者 西村 : 2006年03月29日 09:49

IJAが今抱えている問題は、まったく他人事ではないのですが、古狸として歴史的経緯を説明しておきますね。

今は完全なボランティア体制で運営されていますが2003年あたりまでは、事務局とフェスティバル運営担当者は、フルタイムではないものの、けっこうな額の給料をもらう有給スタッフだったのです。
仕事はかなりきちんとこなしていたように思います。
2003年に保守派と改革派の大選挙戦が勃発し、改革派が勝利を収めて完全ボランティア体制に移行し、年会費を下げ、会員を増やしました。
しかし、だんだん息切れがしてきて困っている、というのが、現在の状況のようです。

そのような大きな政策転換が起きた背景は、次のようなものでした。

90年代後半から会員数の減少が起きて、一時は3000人を超えていた会員数が
当時では2000をだいぶ下回ったために、IJAは財政的にピンチになりました。

それを打破するべく、会報の発行回数を増やし、
カラー化し、マジック関係の雑誌社に編集を委託しました。
これが現在の JUGGLE です。
その結果、会報の質はそれ以前より間違いなく向上しましたが、
会員の数は増えず、経費が増えました。

で、保守派およびIJAから給料をもらって事務作業にあたっている職員は、JUGGLE の編集委託契約の打ち切りを選択しました。

一方で、改革派は、職員がIJAからもらっている給料や経費が多すぎるし不明瞭だとして、
職員への給料をを大幅に削減あるいは廃止して、
ボランティアによる運営に移行し、
JUGGLE の編集委託を継続することを主張し、勝利したわけです。

私は改革派を支持しましたし、今でも正解だったと思っていますが、決して楽な道ではないであろうことも予想していました。

単純作業はお金で解決できるとは言っても、やる気のあるボランティアの働きをお金に換算すると馬鹿にならない金額になるし、一方でボランティアのやる気は永遠には続かないしで、本当に難しいと思いますよ。

我々海外に居る会員ができることは、「機会を捉えてボランティアに感謝の意を示して、やる気を維持してもらう」ことぐらいですけどね。

ま、DVD 配達騒動が解決して、一歩前進ですが、ちょっと心配です。

投稿者 西川正樹 : 2006年04月06日 00:20

西川さん、

いろいろとご説明ありがとうございます。

> IJAが今抱えている問題は、まったく他人事ではないのですが、

これは「自分もIJA会員だから当事者」という意味ではなくて、
日本ジャグリング協会の運営のこれからを考えると他人事ではないという
意味ですよね。日本はまだ規模が小さいですが、いずれ似たような
状況になるでしょうか。

> 今は完全なボランティア体制で運営されていますが2003年あたり
> までは、事務局とフェスティバル運営担当者は、フルタイムではな
> いものの、けっこうな額の給料をもらう有給スタッフだったのです。
> 仕事はかなりきちんとこなしていたように思います。

おー、そうだったんですか。なるほど、もともと有給だったものを
ボランティア化したのですね。

> 単純作業はお金で解決できるとは言っても、やる気のあるボラン
> ティアの働きをお金に換算すると馬鹿にならない金額になるし、一
> 方でボランティアのやる気は永遠には続かないしで、本当に難しい
> と思いますよ。

あまりどちらか一方に偏るのではなくて、バランスを見ながら
有給スタッフとボランティアを混ぜていくのが良いのでしょうか。
とはいえ、そうすると一貫性にかけるか……。

まあ、IJAはそれなりに歴史もあって、このへんの議論はかなり
繰り返しているのでしょうけど。うーむ。

投稿者 西村 : 2006年04月06日 00:48

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