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2005年08月19日
ガットーとポストモダンなジャグリング
残念なことに、ガットーがWJFの公式招待を蹴ってしまった。いや、「蹴った」というのは正しい表現じゃないか。
WJFのサイトのトップページには、「World Juggling Federationは、2005年のWJFコンペティションで競技に参加するよう、公式にアンソニーガットーを招待いたします」とある。これを見たガットーの反応は早くて、この招待に対する謙虚な謝意を表し、丁重な辞退の言葉を述べている。さらに競技でないのであれば、WJF会場でショーをやることはやぶさかではないというコメントを発表している。
「自分は、競技としてのジャグリングキャリアのピークは過ぎているのです」と、辞退の理由を淡々と、いや、堂々と述べている。モンテカルロの国際サーカスフェスティバルでゴールデン・クラウン賞を勝ち取ったことで、自分は競技ジャグリング人生に幕を下ろしたのだという。周囲がまだまだ全然現役でWFJだろうがIJAだろうが勝ちまくれると思っているほど、ガットー本人には競技的なジャグリングで現役意識はないというだけのことだったようだ。
自分の受賞を「歴史的な勝利」と言うあたりに、ちょっと日本人的には驚かざるを得ないけど、こういう堂々とした言い方は気持ちがいい。本当に歴史的な勝利だったと聞いているし、ジャグリング技術で頂点に立ったのは間違いないと思う。
まだ30歳そこそこなのに立派な文面だ。頂点を極めたという自負、プロパフォーマーとしての矜持、ピークを過ぎたと認めてそれを口にする勇気、招待してくれた人々に対する気遣いなんかが、いいバランスで表現されている。一気にガットーが好きになった。
誘ってもらえたことが本当にうれしかったようで、メッセージの最後でも、「ほかにいくらでも偉大なジャグラーがいるのに、私を候補に選んでくれて本当にありがたく思います。これは本当に私にはうれしいことなんです。イベントの成功を心からお祈り申し上げます!」と結んでいる。
しかし、「ピークを過ぎた」というのは、とてもそうは思えないんだよなぁ。まあ、確かにガットーのベガス・スタイルとも言うべきジャグリングスタイルは、やや古くて、WJF的、ディーツ的ジャグリングとは違ってきている。そういう意味では時代が変わってしまったのかなと思う。ガットーは、かつて頂点を極めた天才だから、いまさらジャグリング界が、やいのやいの言って引っ張り出すような人ではないのかもしれない。洗練されたパフォーマンスを、尊敬の目で鑑賞すべきものであって、「競技に出てくれ」というのは、ちょっと違うように思えてきた。
ジャグリングの歴史の見方というか、スタイルの分類として、クラシック、モダン、ポストモダンというのがありそう。大道芸、サーカス、ラスベガス・ショーはクラシック。ある意味では普遍的なんだけど、ぼくのような趣味ジャグラーには古く感じられる。ガットーって、ここにいる。
で、モダンなジャグリングとして、アバンギャルドとかアーティスティックなパフォーマンスがある。ルーカ・ルーカとか、先日のJJFゲストのヴィレ・ワロとかも、この系譜か。シルクドソレイユも、このへんなのか。
ほんの10年とか20年前まで(日本だと5年?)、趣味のアマチュアジャグラーが集うジャグリングコミュニティってなかったんだろうけど、いまジャグラーというと、ここの層が厚い。これは4000年(笑)のジャグリングの歴史を通して、いまだなかったことだろう。アメリカを中心として、遊びでジャグリングを楽しむ層が一気に増えた。で、そういうジャグラーがどういうジャグリングを目指すかというと、もはやアバンギャルドでさえ先進的に見えないような、パロディ(模倣)とオリジナリティ(差異)が微妙に交錯する境界面で、猛烈な速度で純技術志向とディテール発掘に傾いたポスト・モダンジャグリングを目指す。って、いや、もう自分でも何を書いているのかわからなくなってきましたが……。
ルーク・バラージのサイトスワップBGMルーチンは象徴的。あれはノンジャグラーに見せてもしょうがないし、かといって技術という面でみても、そうたいしたことをやっているわけでもない。アバンギャルドなアートというのとも違う。あれは何かというと、それはもうアマチュアでありながら、深くジャグリングにコミットした趣味ジャグラーたちに向けて作られたオマージュ・パフォーマンスでしかありえない。
どうも、東浩紀という年若い思想家を思い出す。ジャグリングオタクはジャグリング界の言葉やルーク・バラージのルーチンが、世間に通用しないと知っている。それでも楽しくてしょうがない。ここには、たこつぼ化する世界観の中で生きるオタク的な情報消費の構図があるんじゃないかと。
それは、ポストモダン的消費行動を読み解くキーワードとして東浩紀があげる「データベース」というものに、まんま対応してるように思える。もともと物語の消費とか、感興を催す芸術の鑑賞というのは、個々人やコミュニティーの記憶をリソースとしている。物語によって喚起される個人的体験や記憶こそが、もっとも大切なリソース。というように、「楽しい」とか「ハマる」とか、ある世界に没入するためには個々人の記憶による「文脈」が必要なわけだけど、その文脈(記憶)というものの孤立性が高まっている。東さんの指摘は、そんなのだったように思う。もはや従来哲学で言う意味での「世界」というのは把握できっこないぐらいに肥大化、あるいは複雑化していて、人々は「大きな物語」をリアルに感じられなくなっている。ナントカ主義とか革命に血道を上げるような若者はいなくて、断片的記憶を集めてカタログ化するデータベース的な遊びを延々と続ける。だから、最近流行の物語では、エヴァにしても、ハリーポッターにしても、ガンダムにしても、延々と似たようなディテールばかりが再生産される。端から見てると、何が新しいのか、何が違うのか、よくわからないキャラやエピソードを片っ端から集めてオタクは喜ぶ。それに飽きたらず、その世界観に自然と収まるエピソードを自作することを楽しみとするという2次的消費すら活発になっている。
いまのポストモダンなジャグリング(と、すっかりそんなジャンル分けがあるかのごとき書き方ですが)も、もう完全にオタクの巣窟だよなと、冷静に立ち止まって考えると思わざるを得ない。「マニアック」「ディープ」は褒め言葉だけど、マニアックな技というのは、つまり非常に文脈に依存したパロディであり差異化の運動であることが多い。一般人を完全においてけぼりにしつつ、データベースの間隙を埋め、あるいはデータベースを豊かにし、オタク仲間を熱狂させる。
可能なサイトスワップを数え上げてやり尽くすようなことも、きわめてデータベース的消費だ。ルーク・バラージはデータベースのインデックスをパフォーマンスにしてしまった。
うーん。いや、趣味というのは、いつの時代もそんなものだったわけで、ようやくジャグリングも一般人の趣味になったというだけのことかもしれない。そしてデータベース的趣味に耐えるだけの間口の広さや多様性、深さを備えた、と。でもまあ、ジャグリングのスタイルを考えるとき、こういう歴史的変遷を考えたほうがいいのかなと思った。ガットーはデータベースから何かを出し入れして遊ぶような人ではないのだな、たぶん。
ぼくはもちろんデータベース肯定派。ちまちまと技とサイトスワップ収集しますよ。上達したら、ポモなジャグしたいねぇ。
で、“ポモジャグ”ですが、元ネタは、NationMaster.comというサイトで見つけたEncyclopedia: Juggleの項の解説です。ざっと読んだだけで、ポストモダンとかモダンの用語の意味付けは勝手にしましたが……。
投稿者 ken : 2005年08月19日 23:59
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コメント
確かに、極初期を除けば非ジャグラーを意識して技を開発したことはないですね。
ただ、私が技を開発する場合の多くは
「こんな現象がおこせたらいいな」と言うところから始まって
「じゃあどうやったらその現象がおこせるんだろう」と言う具合に
作っていくので、比較的既存の技に対する差別化が出来ているんじゃないかと
自分では思っています。
投稿者 セバスちゃん : 2005年08月21日 00:18
セバさん、こんにちは。JJFではいろいろと教えて頂いて
ありがとうございました。3ボールのパームスピニングやる気に
なってきています。
与太話のような話にツッコミいただいて恐縮です……。
文脈依存(データベース)の話ですが、「依存」という言葉で
ぼくが考えていたのは「パロディ」と「差別化」の両方です。
すでに存在するデータベースの範囲外へ向かってデータベースを
拡張するような斬新なアイデアもたくさんあると思いますが、
いっぽうで、データベースのなかでしか意味をもたないものも
多いのかなと思いました。最近のジャグラーは、そういう
奥まったほうに邁進しているんじゃないかと思えました。
森の外にいる人にしてみれば、森が横に広がれば、それは目に
見えますが奥行き方向に広がっても、あまりわかりません。
「マニアック」と呼ばれるジャグリングトリックは、
どうも森の奥へ奥へと進むタイプであるのかな、という印象です。
それが些細だとか、ツマラナイという意味ではもちろんありません。
ジャグラー人口が少なかったときには、そういう奥行き方向に
行こうとは誰も思わなかったでしょうけど、最近は「うぉーっ」と
共感してくれる森の住人が増えたので、安心してマニアック系に
邁進できるのかもしれないなーと。これはすでにジャグラーの間に
共通のデータベース、共有された文脈があるからできること、
という意味で文脈依存という言葉を使いました。
繰り返しっぽいですが、
●クラシック:ふつうの人に見せるジャグリング
●モダン:何か新たな切り口を見つけようとがんばる
●ポストモダン:ジャグラーに見せるジャグリング
という感じの区別を漠然と考えていました。区別は恣意的で境界は
曖昧ですし、誰か特定の人やトリック、ルーチンが必ずどれかに
分類できるというものではありませんが。
この区別を意識していると、たとえば「そんなの非ジャグラーに
みせても意味ないよ」というツッコミには限定的な意味しかない
ことがわかります。で、いま趣味ジャグラーの多くは、たとえば
ミルズメスをみて、「そんなのジャグラーのオレにみせられても
意味ないんだけど」と感じているように思うのです。
「ジャグラーに見せるジャグリング」は、ただ単にまだ誰もやって
みせた人がいないだけで、何かベースになるトリックを若干変形
させたものといったパロディ的なもので、十分ウケたりします。
「なるほど、そう来たか!」と、見ているだけで楽しいからです。
でも、そのぶんトリックの消費速度があがってるかなと思います。
同じルーチンを2度以上みたがらないジャグラーが多いですが、
これはそういう意味なんじゃないかと思います。クラシックタイプの
芸術的なトリックなら、2度か3度は見たいんじゃないかと思いますが、
基本的に、文脈依存のトリックはアイデアを了解したら、そこで
終わるような側面があるように思います。
ちょっとまたまとまりがないですが、このへんで……。ごにょごにょ。
投稿者 西村 : 2005年08月22日 12:32
コメントへのコメントでアレですが、
同じルーチンを2度以上見たいジャグラーも結構います。
(文意が曖昧ですが、誰かのを2度以上見るジャグラーがけっこういるということです)
むしろ、非ジャグラーの方が一回で飽きちゃうようです。
森の比喩は納得で、
我々は「ジャグリングする」という羽を得て、
森を上から見れるようになったわけですね。
さらに、
奥行の遠いところで横に広がると、
正面の地面に立ち尽くしている一般の人からも、
遠くでワサッと森が動くのが見えて感興を与えます。
ポストモダンでかつ一般に受け入れられるのは、
こんな領域なのかなと、アナロジーの二乗でした。
投稿者 にしの : 2005年08月23日 03:25
> むしろ、非ジャグラーの方が一回で飽きちゃうようです。
あ、それはそうですね。
受け手側の分解能が低いということなんじゃないかと思います。
分解「能」というと能力っぽいですが、そうじゃなくて、やっぱり
受け手側にあるデータベースの話です。それなりに文脈がわからないと、
理解不能なものってありますよね。違いがわからないと、漠然とした
印象だけしかありませんから、飽きちゃいます。
ワイン好きじゃない人やお酒の種類にこだわりがない人にとって、
「ワインはワイン」というのと同じで、ほとんどの人とっては、
「ジャグリングはジャグリング」なんじゃないかなーと。
ジャグラーと非ジャグラーと、ワイン通と非ワイン通に、
共通に受け入れられるモノというのは、
普遍的な何かに根ざしているのでしょうね。漠然としてますが、
ジャグリングなら技術力、ワインなら地の味(そんなものは
ないか)とでも言うべきものでしょうか。いや、大道芸なら
笑いとう普遍的な要素でもオーケーでしょうし、もっと幅広い
人類共通の記憶をくすぐるようなモノも可能でしょうけど。
技術力の絶対的な評価は難しく、よく言われるように5個以上に
なると物体の個数がわかるのはジャグラーだけということが起こりますが、
それでも、ジャグラーと非ジャグラーで、ある程度尺度を
共有しているのは「難易度をみる目」かなと思います。
例外はありますが、難しいことをやれば、その難易度は案外わかって
もらるのではないでしょうか。
ジャグラーにしろ、非ジャグラーにしろ、
そもそもジャグリングを見て「楽しい」とか思うのは、いったいなぜ
なんでしょうね。うーむ。
投稿者 西村 : 2005年08月23日 17:35
ジャグリングを見て楽しむというのは「どきどき感」を楽しんでいるのだと思います。ジェットコースターに乗るようなものですな。個人的には「どきどき感」があるかどうかがジャグリングであるかどうかの境目になるのではないかと思っています。空中ブランコも綱渡りも見てるとどきどきしますからジャグリングとお友達?
投稿者 くろせ : 2005年08月24日 18:13
くろせさん、こんにちは。
そうか、どきどき感は大切ですよね。絶対落とさないとか、
失敗しないというのは見ててツマラナイです。いくらプロとはいえ、
「それは失敗してもおかしくないんじゃない?」というのがあるから
いいのかもしれませんね。花屋敷のジェットコースターと同じで、
あまりにリアルに「やばい!」というのはお客さんとして
見ててフラストレーションになりますが(笑)
投稿者 西村 : 2005年08月24日 19:23