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2005年08月08日
ジャグリングの右と左
Richard Schmidt,"Motor Control And Learning: A Behavioral Emphasis"を読み始めた。拾い読みするつもりだったけど、どうせ肩が痛くてジャグリングの練習もできないし、夏休みで時間もあるし、というので、ちょろちょろと頭から読んでみた。
過去100年ちょっとのMortor Learningの研究史と、エポックメーキングな実験をしたり理論を発表した研究者を紹介する章は斜め読み。続く章は人間の情報処理の理論モデルの話。「認知-処理(判断)-運動準備-運動」という流れの最初の部分。
鼻血が出そうなほどおもしろい話がいっぱいあるけど、いちばん驚いたのは「ヒックの法則(Hick's Law)」と呼ばれているもの。発見は1950年代のこと(元になったMerkelという人の実験はもっと古くて1885年)。
光の明滅などの入力刺激に対して、ただ素早く反応してボタンを押すという実験より、もう少し込み入った、光の色によって2つのボタンを押し分けるというような実験をする。あるいは、表示された文字の種類によってボタンを押し分けるというように、「刺激信号-反応」の対応が複数あるような、ちょっと難しい課題の実験。
「光ったら押す」テストで反応速度は150ms程度なのが、「赤が光ったら右」という判断が必要なものになると100ms程度遅れる。で、ボタンの数と反応時間の関係をグラフにプロットすると、提示刺激の種類(ボタンの数)が2倍になるごとに反応時間が150ms伸びるという関係が見いだされる。片対数グラフに書くと直線になる。反応時間=a+b[log2(N)]という関係。
これだけでも「へぇ」と思ったのだけど、驚きは、このlog2の意味。これが何を示しているかというと、「処理しなければいけない情報量」なんだという話。あり得るN個の選択肢というものの情報量は、2進法でlog2(N)ビット。なるほどじゃないですか。脳の処理モデルが、こんなにキレイに定式化されてしまうなんて驚きだ。
3次元空間中で回転した3次元ブロックの平面図が、元のブロックと同型かどうかを判定するという課題をやると、判定にかかる所要時間が、ブロックの回転角度に比例するという実験がある。頭のなかで図形を実際に回転させているから、回転角が大きいほど時間がかかるんだという「メンタル・ローテーション」の話に似てるなと思った。
人間の脳の処理って、けっこう合理的だよなー。
ヒックの法則には例外があって、その例外の研究がまたおもしろい。「刺激-反応」が被験者にいかに自然に感じられるかによって、結果が変わってくるんだという。日本人なら「1」という刺激から「一」を、「4」から「四」を選択するのはきわめて自然で、この場合にはヒックの法則は成り立たない。それはこれらの刺激と反応の組み合わせが、訓練によって非常に強く結びついてしまっているから。
8本の指に刺激を与え、刺激を受けた指でボタンを押すという実験をやっても、ヒックの法則は成り立たない。直感的にわかるように指の数と反応時間は、さほど関係しない。指が4本でも8本でもさして違わない。
逆に、「刺激-反応」が不自然であると、自然と起こる反応を抑制しなければならなかったりする。“サイモン効果”というのがおもしろい。右耳と左耳に「みぎ」「ひだり」という音を聞かせる。右耳だろうが左耳だろうが、被験者は言葉にしたがって右手のボタン、左手のボタンを押すよう求められる。ところが、右耳に「ひだり」という音刺激を与えると、左ボタンを押すまでの反応時間が非常に遅くなる。
刺激と反応の互換性(S-R compatibility)という言葉で呼ばれる、この「自然さ加減」は空間に関係するもので、特に強いらしい。
ジャグラーに関係しそうな話だけど、腕をクロスしたときに何が起こるかという実験がある。
- 右側の光が光ったら右手でボタンを押す、左側の光が光ったら左手でボタンを押す
- 右側の光が光ったら左手でボタンを押す、左側の光が光ったら右手でボタンを押す
- 腕をクロスした状態で右側の光が光ったら(右側にある)左手でボタンを押す、左側の光が光ったら右手でボタンを押す
- 腕をクロスした状態で右側の光が光ったら(左側にある)右手でボタンを押す、左側の光が光ったら左手でボタンを押す
ということをやると、反応時間は1<2であるのは当然。驚きは3<4となること(ちなみに1<3)。ぼくらにとって腕は右腕か左腕かということより、いま右にあるのか左にあるのかということのほうがクリティカルということだ。考えてみたらこれは当然で、右側にある物体を操作するときに、たとえ左手を使おうが、いったん左手が右側にきたら、それはもう「右」の腕だ。そう認識したほうが、ずっと自然だし、そうじゃないと、たぶん生活がこの上なく不便になる。
手元を見ずにキーボードを打つ「ブラインドタッチ」でも、似たようなことが起こっていると、入力デバイスの研究をしている人に聞いたことがある。キーボードを真ん中でふたつに折って目の前で合掌するような形で使う特殊なキーボードは練習なしに、誰でも打てる。ところが、同じふたつ折りでも掌が上に向くまで回転させた形になると、とたんにまったく打てなくなってしまうという。指が置かれているのは、それまでどおり、左手ならA、S、D、Fと変わらないしキー配列の相対的配置は変わっていないはずなのに、まったくどこにどのキーがあるのか、わからなくなってしまう。これはぼくらがキー配列を指に関連づけて覚えているのではなく、実は目前にマッピングされた配列を覚えているんだという証拠。ブラインドタッチを覚えるというのは、左手の中指が「E、D、C」だというふうに覚えているんじゃなくて、実は「E、D、C」の空間的位置を、ぼくらは覚えていて、たまたまそこに左の中指があるという感じのほうが現実に近いらしい。
と、そういう空間的位置と行為の強い結びつきのことを考えると、ジャグラーとしてはウィンドミルやミルズメス、あるいはクロスアームド・リバースカスケードあたりを思い出す。あるいはボストンメス。このへんを習得するとき、「このボールは空間上を、こういう位置上を、こう動くはず」という視覚情報を優先して手のことを忘れるという方法論は、実はけっこう意味がありそうだ。右手が左に動いてそこから右に投げるとか、そういうふうに考えるよりも、ボールの動きを優先的に考える。手はリズムよく、交差させるとかするだけ。そのときどきで、どちらの手を動かすかは、脳がちゃんと把握してくれているわけだから、あまり考えることないのかもしれない。ぼくはウィンドミルやボストンメスができるようになったとき、「何となくこんな感じ」でやったらできたけど、あれは、そういうことだったんだろうと思う。多くのジャグラーはミルズメスの動きを説明するのに、自分でやりながら自分の手を観察しないといけないんじゃないだろうか。ボールの動きは把握していても、それを生み出す手の動きのことは、あんまり意識していないという。
「刺激-反応」には自然なものと不自然なものがあるけど、それは生まれてからどういう環境に置かれてきたかという学習の結果でしかない。練習、訓練によって変わる。ドイツ人は電灯をつけるのに、スイッチを下に倒すらしいけど、彼らにとってはスイッチは上にあげて電気をつけるなんて不自然なことなんだとか。
投稿者 ken : 2005年08月08日 21:57
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