2008年01月07日
まぐろ土佐船
『まぐろ土佐船』(斉藤健次、2000)
20代後半。仕事に行き詰まりを感じていたフリーランスライターが、ふと思い立って遠洋漁業の漁師に転職し、海で過ごした1770日の記録。戦場ジャーナリストとは違うけど、命をかけて現場に入ったルポルタージュで、実に生々しいドラマがあっておもしろい。
どうしてもマグロ漁船に乗りたいという一念に取り付かれて、高知に飛び、経験も適性もなさそうな「余所者」として港町で1年半。スナックでバイトして地元に知り合いを作り、ようやっとのことで乗船させてもらえるところに漕ぎ着ける話に、「今どきの若者」にはない1947年生まれの著者の根性が垣間見える。乗ったら乗ったで邪魔者としてしか扱われず、それでもめげずに「自分のできることを」と料理をはじめ、やがてコック長という座に落ち着く。
地球が丸い感じを想像してしまうほど、マグロを求めて世界中の漁場で操業する。南はケープタウン沖やモンテビデオ沖、氷山が浮かぶ南氷洋に近いところまで船を繰り出す。赤道付近でも、エクアドル、ベネズエラ沖、アンゴラ沖など、アメリカがうるさいことをいいはじめて行けなくなったメキシコ湾をのぞいて、どこにでも行くという感じ。
行く先々の港での「船員らしい武勇伝」が、おもしろい。友人が地元警察に拘留されていると騙され、タクシードライバーに扮した強盗に遭う話や、語学もダメでもなぜかどこのディスコでモテるオヤジの話なんかは、ああ、海の男のロマンってほんとにイメージどおりなのね、という感じ。なぜモテるのかの問いに「心、心ぜよ」と答える土佐の男の笑顔が目に浮かぶようではないか。
1970年代の近代的なマグロ漁船には、すでに24時間入れる風呂があり、冷暖房もあって「天国みたいなもの」と、当時の年長の船員は言ったらしい。どんなひどい労働環境だったんだと思うけど、それでも著者が乗船した当時の船員の労働環境は、今の常識的にいえば地獄だ。波にさらわれて転落死する船員はいっぱいいるし、指はちぎれるわ、腕の肉は釣り針でもげるわ、命がけ。どんなベテランでも一瞬の油断で甲板から落ちる。落ちれば、ほぼアウト。全長120kmにも渡る幹縄を海に垂らし、再び上げる作業は危険な重労働。
そんな厳しい労働なのに、なぜマグロ漁船に乗るのか。この問いに対して答えた船員たちの言葉が印象的だ。「陸(おか)で勤めよってもよ、わしらにできるこというたら、限られているろうが。ほか、何するぞ」、「都会のにんげんが何ちゃあ考えんでサラリーマンになるがと一緒よ。第一わしらが背広着たち、似合わんろう?」。
かつて大金が稼げたマグロ漁も、著者が乗船した時代には、すでに高騰する燃料代で収支はかつかつ。しかも、相場変動が激しいうえに、漁獲高も時の運。ギャンブルだ。船員にとってたままらないのは、目標額に達するまで日本に戻れず2年も3年も世界中で操業を強いられることだ。肉体的にも精神的にもくたびれ果てて、ストレスでおかしくなる船員も多かったらしい。
海の生活の実際、海に生きる人にしか味わえないさまざまな料理の話など、明るく楽しい話も楽しめた。磊落な男たちの言葉も爽やかでいい。マグロの基礎知識や、当時のマグロ漁船操業の収支についてもわかりやすく書かれている。
もともと著者はルポルタージュを書くために船に乗ろうと思ったわけではないという。ライター稼業から足を洗って漁師になり、その後は夫婦で居酒屋を営んで長いという。すでに50歳を過ぎた著者が、若い日の体験を、まとめた本。そういう意味では一生に1冊しか書けない本だ。この本は、第7回の小学館のノンフィクション大賞に選ばれたというけど、この手の賞には若手の登竜門というニュアンスってないんだろうか。もしあるとしたら、ずいぶんふさわしくない人を選んだなと思う。それに、2000年の出版時点でも、さすがに話が古くて「大賞」とするべき本だったんだろうかと疑問に思った。
室戸の沖ではかつて捕鯨が盛んだったという。それがのちに土佐のカツオ1本釣りとなり、それに続いて1955年ごろからマグロ漁を営むようになったという。そのマグロ漁が黄金期を過ぎて1つの時代が幕を下ろそうとした時期の体験談として、見事にありのままを伝えている良書だとは思うけど、後書きにあるように、すでに2000年の時点でもマグロ漁は大きく変わってしまっている。幹部以外は外国人、マグロも船員も空を飛び、船は基本的に帰らない。縄もロボットが投げる。
水揚げ高がもっとも高い港は、成田空港だと言われるようになった以後の、マグロ漁のことも知りたい。たぶん、『The Sushi Economy: Globalization and the Making of a Modern Delicacy』がいい本なんだろうと思う。
投稿者 ken : 2008年01月07日 10:45