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2006年12月26日

前後3世代

義理の祖父と祖母が相継いで他界。96歳と95歳と高齢だったから、家族も落ち着いているけど、やはり穴があいたような寂寥感は募る。

死者と向きあうと、いろいろと考えさせられる。祖母のほうとは生前に会ったことはなく、ほとんど知らないままだっただけに「どんな95年だったのだろうか」と断片的な逸話から想像してみる。95歳ともなると、もうほとんどの知己は先だっており、家族以外では、その死を弔うべき人も少ない。そのぐらい長生きすると、肉体より先に、社会的な存在として人は、ひっそりと消えていくということなんだろう。

0歳児の娘は95歳の曾祖母とはすれ違いになってしまった。96歳で逝去した曾祖父とも、ギリギリ生前に1度だけ手を握りあったけど、たぶん2人とも、そのことは分かっていないという状態で、これもすれ違い。

近しい家族が集って、0歳と95歳の間に挟まれていると、4〜6世代ぐらいの長い時間が急にリアルに感じられてきた。0歳の娘が95歳まで生きたとしたら、そのときまた0歳の曾孫と手を握り合うぐらいはできるかもしれない。すると、0歳の娘を中心に見ると、前後3世代までは手を握るぐらいはできる。合計6世代。人類学では1世代は30年で計算するらしいけど、すると180年だ。江戸300年なんて言っても、そんなもんか。

集まった家族はみな、0歳の娘が95歳になる95年後には、すでにあの世。それどころか、95歳になった娘を覚えているのは近しい家族だけになっているはず。ということは、そのころには、いま祖母のために集まった家族の誰一人として、世間の誰にも覚えてもらえていないという世界になっている。曾祖母の上の世代の人ともなると、よほど家系を大事にするお家か、社会的な業績でもない限り、ふつうは何ひとつ知らないもの。

死者を前にして、「いずれはみんな死んで、誰からも忘れられる」という当り前の事実に突き付けられた気がした。今ぼくの知る周囲の人々はほとんど例外なく、100年後には完全に忘れられている。漠然と「昭和の人なんて、想像も付かないね」と括られるに違いない。100年後には人々の記憶から消える。300年もすれば、たぶん名前と生没年程度の痕跡以外は全部消える。人間の生なんて、夏の暑い日に1日だけ池に湧いて消えていく微生物と何も違わない。池には何の影響もないし、湧いても湧かなくても何も変わらない。

そんなことを思う一方、「これは道中の魔除けです」と葬儀屋が棺に小刀を載せたりするのを見て感じる違和感なんてのもある。95歳のおばあちゃんが魔物相手に振り回せるように思えない。いや、そういうことじゃないんだろうけど。

なんでも三途の川を渡る例の「道中」、6箇所で1銭ずつを誰だかに渡す必要があるとかで、6枚の硬貨を棺に入れて一緒に火葬する……、のだけど、それは本来の形で、今は火葬場の施設の関係で、不燃物は棺に入れちゃいけないらしい。だから、1枚の紙ペラに、安っぽいコピーで6枚の古銭が印字されたものを棺に収める。似たような話で「道中楽に行けるように」と願って杖を入れたり、笠を入れたりする。手には手甲をはめ、足には足袋。

確かに今でも死者に対面して気持ちに整理をつける葬儀では、心の中で「さようなら」と誰しもつぶやくだろうし、どこかに旅立つんだという感覚は持っているから、そういう気持ちを表現する儀式はあったほうがいい。でも、どれもこれも江戸グッズというのは、どうなんだろうか。いや、日本語でも英語でも死後の世界の言葉は古語というか擬古文だったりするのと似た話で、そのほうがリアリティがあるということなんだろうか。見たこともない古銭の、それも質の悪いコピーにリアリティも何もないとも思うけど……。

そっか、リアリティがないから「あの世」なのか。500円玉じゃダメだ。「新500円玉は通用するのか?」とか思ってしまうから。こうした儀式に古い文物が残るのは、慣習というのは変化の速度が遅いからとかいう理由じゃなくて、むしろ、そのほうがこの世とあの世の距離を表現できるからに違いない。

ぼくが死んだら棺にはボールを7つ入れてほしい。それだけあれば、たぶん道中は退屈しない。といってるぼくは、90歳ぐらいまでは生きてやろうと思っているけど。

投稿者 ken : 2006年12月26日 23:23

コメント

うちの祖母はピアノの先生だったから
「お棺にはこの楽譜とこの楽譜」って前もって皆に言ってたよ。
でも、本(冊子)はちゃんと焼けないらしく、火葬場で断られ
仕方なくその中で祖母が一番好きだった曲の部分だけ破りとって
いれました。

私は何を入れて欲しいかな~。
音楽が必要だから、iPod入れてもらおうかな。
(ってこれも絶対火葬場で断られるか)

投稿者 tomoshige : 2006年12月29日 11:42

紙に手書きでiPodかな

投稿者 西村 : 2006年12月29日 21:31

>ぼくが死んだら棺にはボールを7つ入れてほしい
素敵ですね。

人は死んだらそれまで、三途の川も何も無いと考えて
いますが、自分が屍になっても、葬られるそめてその時
までは、自分が確かに生きていた事を誰かに覚えていて
欲しいです。そういう意味で、私も棺にはボールを入れて
欲しいと思うかもしれません。

投稿者 ケータ : 2006年12月29日 23:37

> >ぼくが死んだら棺にはボールを7つ入れてほしい
> 素敵ですね。

自分で書いといて言うのも何ですが、
こういう青臭いロマンチシズムは
早めに捨てたほうがいいかも……。

死んだら後は野となれ山となれっていうんじゃなくて、
何と言うか、死んだら自分をどうこうしてくれ
なんて言い残す男はくだらないかなーって。

投稿者 西村 : 2007年01月02日 19:29