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2006年09月29日

証言の心理学

4121018478証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う

高木 光太郎
中央公論新社
2006/05

45人の被験者にクルマの衝突事故の映像7本を見せる。映像は5〜30秒の長さ。その後、いくつか事故の状況について質問をする。そのなかでポイントとなる質問は、クルマの速度に関するもので「クルマはどのくらいの速度で走っていましたか?」と問う。

45人を5グループに分け、5つの微妙にニュアンスの異なる質問文を使う。「クルマが衝突したとき、クルマはどのくらいの速度で走っていましたか?」という質問は別のグループでは「クルマが激突したとき」「クルマがぶつかったとき」「クルマが当たったとき」「クルマが接触したとき」と尋ねる。

まったく同じ映像を見ているにもかかわらず、5群のグループの回答から、クルマの速度の平均値を出すと、質問文が記憶を変容させるさまがはっきり見て取れる。

激突した(smashed)40.8mph(65km/h)
衝突した(collided)39.3mph(63km/h)
ぶつかった(bumped)38.1mph(62km/h)
当たった(hit)34mph(54.5km/h)
接触した(contacted)31.8mph(51km/h)

同様に「クルマの窓ガラスは壊れましたか」と聞くと「激突」という質問文のグループの回答で、イエスの答えが多くなる。実際の映像では窓ガラスは壊れていない。

これはワシントン大学の学生を被験者として、エリザベス・ロフタスが1974年に行なった実験で、「Reconstruction of Automobile destruction(Wikipedia)」と呼ばれている。この実験を嚆矢として、1980年あたりからアメリカでは法廷証言の信憑性を科学的に検証する心理学が発展しているという。そんな「証言の心理学」というジャンルでの実験研究や理論モデル、実際の事件での分析の事例をまとめた本。とてもおもしろい読みもの。日米法曹界における心理学(者)の地位の変遷の話も興味深い。

記憶や証言の本質的な頼りなさに対する理解って、裁判員制度が始まるまでにもっと広く社会的な常識となっていかないとまずいんじゃないだろうか。ロフタスは学校の講義で簡単な実験をするらしいけど、「あなたが99%確かだと思って証言した記憶も、少しも確かじゃなかったでしょう」ということが端的に分かるような実験セットを用意して、みんながやると効果があると思う。条件さえ整えば、人々は見てもいないはずのカセットテープレコーダーについてすら、その色や大きさについて確信に満ちた口調で語るもの。

ひとつ、とてもおもしろい話が。

過去の記憶を、まるで目の前で映像を見るかのように滔々と語る人がいる。子細な描写にはリアリティがあって、すさまじい記憶だと周囲は思うんだけど、実は彼らが必ずしも現実に起こったことを語っているのではない、という話。

ウォーター・ゲート事件で証言した大統領の法律顧問ジョン・ディーンは大統領の事件への関与を裏付ける証言で、証言の約9ヵ月前のニクソンとスタッフのやりとりを子細に再現して証言してみせたという。その再現度があまりにリアルだったために「人間テープレコーダー」の異名を取るまでになったものの、実はオーバルオフィスには録音機材があって、その後、そのテープの内容が公開されてみると、ぜんぜんディーンの証言が事実の再現などではなかったということが発覚する。特に嘘を付く動機もないようなこと、たとえば、「大統領は私に腰かけるように言った」というようなもので、事実と証言に食い違いがある。

著者はコミュニケーションはこういう流れで行なわれるはずだという「常識」と、事実に対する主観的な「意味づけ」が、記憶に作用したのではないかという。

うーん、、、。「記憶を変容させた」と著者は言うけど、ひょっとして、そうじゃないんじゃないのか。もともと人間は、そんな細部についての記憶なんてもってないんだ。100円玉の図柄すら、正確に思い出せないのが人間で、「知っている」「覚えている」というのは、ある種の錯覚なのではないか。ディーンの証言は細部を常識とか意味とかで補間した、彼の想像の産物だったのじゃないか。

もう1つ、こうした詳細な記憶再現をする動機があるように思う。自分の記憶が確かだと周囲に印象づけるためだ。「そんな細かいところまで覚えているんだから、彼の記憶は確かだ」と人々は思いがち。それを意識的、無意識的に行なう人々がいるような気がする。たとえば佐藤優が『国家の罠』でテープレコーダーを聞くかのように再現してみせた検察官とのやりとりは、大筋では間違ってないのだろうけど、細部はかなり眉唾じゃないかと思う。

ロフタスの実験からは、過去の記憶というのは外部からの情報によって変容しやすいものという、ある意味では割と当り前の結論が出てくるだけのように思えるけど、もろもろの実験や裁判での証言の事例を見ていると、記憶や証言というものの性質を根本的に考え直さないといけないということがわかる。記憶というのは、その人の脳内にある何かというよりも、その人の脳を中心に、言語というコミュニケーションの網目で形成される開かれたネットワークであり、常時、外部との関係のなかで流動的に変化しているものだ、という見かた。さらに、本人が「これだけは間違いない」と確信している記憶についても、それが作られた偽記憶(false memories)であることもあるということ。ロフタス自身は、「The most horrifying idea is that what we believe with all our hearts is not necessarily the truth.」(Loftus, 1996)と言っている。

集団で証言するとき、じょじょに同調が始まる過程を観察する実験や、実際に日本で起こった誘拐事件の証言例として幼稚園児たちがじょじょに存在しなかったストーリーを組み上げて行く過程を分析した事例なんかも興味深い。興味深いというより、恐ろしい。こういう事実を知らずに、証言というものを扱う法廷に一般人が立つことになるという、その事実が恐ろしい。

少し古い話だけど、この本を読んでいたとき、ちょうど畠山容疑者の供述が二転三転するという報道が続いた。いったいこの嘘つき女はどうなってるんだと思ったけど、話はそう単純なものでもない。もともと記憶や証言というのは曖昧なものだし、供述調書作りでは、さらに嘘をつく動機や取調官の思惑ががかかわって来るのだから、二転三転もあって当然。むしろ、著者は供述の変遷から、何が証言として信憑性があり、何が信憑性に欠けるのかを読み取ろうというような試みも行なっている。方法論が確立されていないので、かなり手探りの状況であるようだけど、そのあたりの記述も、読みものとして、とてもおもしろかった。

ロフタスの代表的な論文は、PSB Faculty: Elizabeth Loftusで読める。と、メモ。ロフタスは幼児期の虐待などの抑圧記憶について、コントロバーシャルな議論を展開しているらしい。


投稿者 ken : 2006年09月29日 23:37

コメント

この本私も読みました。とても興味深い。
誤認逮捕されて取り調べ受けるときとか裁判員に選ばれて
しまって自白調書を調べるときの心構えに役に立ちそう。

記憶が欠落しているところはてきとーに補完されていって
しまうのね。痴呆の方々と相手してるととてもよく
わかりますよ。あたかも全て経験したかのように話される
ことがあります。夢と実際が交じり合ってその人の現実が
構成されていくののでしょう。

投稿者 くろせ : 2006年10月01日 07:24

痴呆と健常との間にあるのは程度の差だけ。
なわけないですが、正常な記憶力というものが、
正確な記憶というものをぜんぜん意味していない
ということは言えそうですよね。

投稿者 西村 : 2006年10月02日 00:46

偶然ですが僕もこの本読みました.
読んだ直後に人の車に同乗中交通事故にあって証言する側になり
全然自分の記憶に自信をもてずに証言しました.

投稿者 ムラマツ : 2006年10月02日 12:14

お、けっこう人気の本ですね。1万部ぐらいは
売れたのかな。
証言や自白といったものの証拠能力って
現状の日本の法廷ではどの程度重要視されるんでしょうね。
ムラマツさんの証言は役立ちました?

投稿者 西村 : 2006年10月02日 20:46

はじめまして。なぜこのページに紛れ込んだのかルートは忘れてしまったんですけど、とても興味深く拝読いたしました。現場から逃げた車の色を目撃者に聞くと十中八九「白」と言うんだけど現実には十中八九「白じゃない」って話を昔きいたことがあります(今は白い車なんてマイナーですけど)。

この文庫本、帯が素敵ですね。
失礼いたしました。

投稿者 satomi : 2007年03月06日 02:21

sashimiさん、
はじめまして。
なんで証言が白になるんでしょうね、不思議。
むしろグレーあたりが常識的な色と言うか、
いちばん多い色っぽいですが、日本では。

投稿者 西村 : 2007年03月07日 00:26