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2006年09月29日
証言の心理学
![]() | 証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う 高木 光太郎 中央公論新社 2006/05 |
45人の被験者にクルマの衝突事故の映像7本を見せる。映像は5〜30秒の長さ。その後、いくつか事故の状況について質問をする。そのなかでポイントとなる質問は、クルマの速度に関するもので「クルマはどのくらいの速度で走っていましたか?」と問う。
45人を5グループに分け、5つの微妙にニュアンスの異なる質問文を使う。「クルマが衝突したとき、クルマはどのくらいの速度で走っていましたか?」という質問は別のグループでは「クルマが激突したとき」「クルマがぶつかったとき」「クルマが当たったとき」「クルマが接触したとき」と尋ねる。
まったく同じ映像を見ているにもかかわらず、5群のグループの回答から、クルマの速度の平均値を出すと、質問文が記憶を変容させるさまがはっきり見て取れる。
| 激突した(smashed) | 40.8mph(65km/h) |
| 衝突した(collided) | 39.3mph(63km/h) |
| ぶつかった(bumped) | 38.1mph(62km/h) |
| 当たった(hit) | 34mph(54.5km/h) |
| 接触した(contacted) | 31.8mph(51km/h) |
同様に「クルマの窓ガラスは壊れましたか」と聞くと「激突」という質問文のグループの回答で、イエスの答えが多くなる。実際の映像では窓ガラスは壊れていない。
これはワシントン大学の学生を被験者として、エリザベス・ロフタスが1974年に行なった実験で、「Reconstruction of Automobile destruction(Wikipedia)」と呼ばれている。この実験を嚆矢として、1980年あたりからアメリカでは法廷証言の信憑性を科学的に検証する心理学が発展しているという。そんな「証言の心理学」というジャンルでの実験研究や理論モデル、実際の事件での分析の事例をまとめた本。とてもおもしろい読みもの。日米法曹界における心理学(者)の地位の変遷の話も興味深い。
記憶や証言の本質的な頼りなさに対する理解って、裁判員制度が始まるまでにもっと広く社会的な常識となっていかないとまずいんじゃないだろうか。ロフタスは学校の講義で簡単な実験をするらしいけど、「あなたが99%確かだと思って証言した記憶も、少しも確かじゃなかったでしょう」ということが端的に分かるような実験セットを用意して、みんながやると効果があると思う。条件さえ整えば、人々は見てもいないはずのカセットテープレコーダーについてすら、その色や大きさについて確信に満ちた口調で語るもの。
ひとつ、とてもおもしろい話が。
過去の記憶を、まるで目の前で映像を見るかのように滔々と語る人がいる。子細な描写にはリアリティがあって、すさまじい記憶だと周囲は思うんだけど、実は彼らが必ずしも現実に起こったことを語っているのではない、という話。
ウォーター・ゲート事件で証言した大統領の法律顧問ジョン・ディーンは大統領の事件への関与を裏付ける証言で、証言の約9ヵ月前のニクソンとスタッフのやりとりを子細に再現して証言してみせたという。その再現度があまりにリアルだったために「人間テープレコーダー」の異名を取るまでになったものの、実はオーバルオフィスには録音機材があって、その後、そのテープの内容が公開されてみると、ぜんぜんディーンの証言が事実の再現などではなかったということが発覚する。特に嘘を付く動機もないようなこと、たとえば、「大統領は私に腰かけるように言った」というようなもので、事実と証言に食い違いがある。
著者はコミュニケーションはこういう流れで行なわれるはずだという「常識」と、事実に対する主観的な「意味づけ」が、記憶に作用したのではないかという。
うーん、、、。「記憶を変容させた」と著者は言うけど、ひょっとして、そうじゃないんじゃないのか。もともと人間は、そんな細部についての記憶なんてもってないんだ。100円玉の図柄すら、正確に思い出せないのが人間で、「知っている」「覚えている」というのは、ある種の錯覚なのではないか。ディーンの証言は細部を常識とか意味とかで補間した、彼の想像の産物だったのじゃないか。
もう1つ、こうした詳細な記憶再現をする動機があるように思う。自分の記憶が確かだと周囲に印象づけるためだ。「そんな細かいところまで覚えているんだから、彼の記憶は確かだ」と人々は思いがち。それを意識的、無意識的に行なう人々がいるような気がする。たとえば佐藤優が『国家の罠』でテープレコーダーを聞くかのように再現してみせた検察官とのやりとりは、大筋では間違ってないのだろうけど、細部はかなり眉唾じゃないかと思う。
ロフタスの実験からは、過去の記憶というのは外部からの情報によって変容しやすいものという、ある意味では割と当り前の結論が出てくるだけのように思えるけど、もろもろの実験や裁判での証言の事例を見ていると、記憶や証言というものの性質を根本的に考え直さないといけないということがわかる。記憶というのは、その人の脳内にある何かというよりも、その人の脳を中心に、言語というコミュニケーションの網目で形成される開かれたネットワークであり、常時、外部との関係のなかで流動的に変化しているものだ、という見かた。さらに、本人が「これだけは間違いない」と確信している記憶についても、それが作られた偽記憶(false memories)であることもあるということ。ロフタス自身は、「The most horrifying idea is that what we believe with all our hearts is not necessarily the truth.」(Loftus, 1996)と言っている。
集団で証言するとき、じょじょに同調が始まる過程を観察する実験や、実際に日本で起こった誘拐事件の証言例として幼稚園児たちがじょじょに存在しなかったストーリーを組み上げて行く過程を分析した事例なんかも興味深い。興味深いというより、恐ろしい。こういう事実を知らずに、証言というものを扱う法廷に一般人が立つことになるという、その事実が恐ろしい。
少し古い話だけど、この本を読んでいたとき、ちょうど畠山容疑者の供述が二転三転するという報道が続いた。いったいこの嘘つき女はどうなってるんだと思ったけど、話はそう単純なものでもない。もともと記憶や証言というのは曖昧なものだし、供述調書作りでは、さらに嘘をつく動機や取調官の思惑ががかかわって来るのだから、二転三転もあって当然。むしろ、著者は供述の変遷から、何が証言として信憑性があり、何が信憑性に欠けるのかを読み取ろうというような試みも行なっている。方法論が確立されていないので、かなり手探りの状況であるようだけど、そのあたりの記述も、読みものとして、とてもおもしろかった。
ロフタスの代表的な論文は、PSB Faculty: Elizabeth Loftusで読める。と、メモ。ロフタスは幼児期の虐待などの抑圧記憶について、コントロバーシャルな議論を展開しているらしい。
2006年09月27日
ヘンなナイフフォルダ
Thinkgeek.comで69ドル。うーん、さくさく刺してみたい。
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ヘンなナイフフォルダ。抜き刺ししてみたい |
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実用性はあるのだろうか |
ゲバラ伝
![]() | チェ・ゲバラ伝 三好 徹 原書房 2001/01 |
革命のロマンティシズムを生き抜いた革命家、エルネスト・チェ・ゲバラの伝記。ゲバラは、人間の人間による収奪の根絶、そのために必要なのは言論や政治ではなく闘争だと子供時代に言い切るような生来の革命家だった。
非常におもしろい。南米観が変わった。英語を勉強するようになってから、南米人とよく話すようになったけど、彼らの住む南米大陸というのは、何と言うか、近世の日本列島みたいな感じなんじゃないだろうか。国というより、むしろ郷なんだ。だからアルゼンチン人のゲバラがキューバ革命に参加するようなことができて、それは、日本で言えば、よその藩に行くような感じじゃないだろうか。アルゼンチン訛りとかアルゼンチン固有の言い回しだかいっても、しょせんブラジル以外はスペイン語圏。同文同種。いまの日本人には分かりづらい緩やかな連帯感が、彼らにはある。北米に対する憎悪の共有を通しても、その連帯は強くなっている。
この本は1971年に書かれたものに、コンゴでのゲバラの動向をまとめた1章を付け加えて2001年に復刊した本。コンゴの話はやや余計かと思ったけど、そう思うのは、むしろぼくがゲバラのロマン主義に感化されているからだろうか。「革命か死」という二項対立そのものが、コンゴでは成立しなかった。勤勉なゲバラはスワヒリ語も学んだというけど、アフリカ大陸と南米大陸の条件の違いはいかんともしがったらしい。帝国主義を憎む気持ちは同じでも、南米とアフリカじゃあ、言語、文化、歴史、民族構成が違い過ぎる。結局、ゲバラは南米のボリビアに戻り、そのジャングルで絶望的なゲリラ戦の末に銃殺される。キューバから死地ボリビアに直行していたほうが、革命家としての履歴の純度が高かったろうにと思うのだけど、革命家としての人生の完成度などというロマンティシズムは、ゲバラのもつロマンとは重ならないのか。
ある年齢以上の人にこんなことを言うと「時は流れたんだね」と言われそうだけど、ぼくの世代にとってゲバラは歴史上の人間でしかない。あるいはTシャツに描かれた絵でしかない。ゲバラの生年は1928年というから、2006年の今も生きていたら78才。親の世代よりは、ひとまわり上というところか。キューバ革命が1953年、ボリビアのジャングルで戦死したのが1967年というから、ちょうど彼が死んだころが、ぼくらが生まれた世代だ。そんなに時代は隔たっていない。事典を引いてふと気づいたけど、三島由紀夫はゲバラより3年早く生まれ、3年長く生きている。三島は同時代のこの南米人にたいして、なにか言ってただろうか。
少年時代や学校時代の話もおもしろいけど、キューバ革命の前夜あたりからバチスタ大統領亡命までの話が断然おもしろい。歴史的背景もよく描かれているし、ゲリラ戦の困苦、革命を志す若者たちの闘志、理想、熱情といったものが、よく伝わって来る。
カストロがモンカダ兵営襲撃に失敗したのが27才。投獄、国外追放の憂き目にあって、そこから再起。わずかな人数の仲間とともにおんぼろ小船、グランマ号に乗ってキューバに乗り込む、その狂気。いいなー。リーダーたるもの、狂ったように見えるときがなくてはいけないと思う。圧政にあえぐキューバ市民にバチスタ政権打倒闘争を支持する素地はあったのだろうけど、やっぱりこの革命の成功は奇跡的だったし、カストロの狂気じみた勝利への確信がなければならなかったものだろう。
1つ驚いたのが、実の娘にあてた手紙のなかで立派な革命家になりなさい言ったりしていること。娘に革命家になれとは、どういうことだ。すごい。
そういえば、カストロ議長は元気なのだろうか。
2006年09月26日
まるで双子
P1010108.JPGというファイル名の変更。すぐに内容を表わす3つ4つの候補が頭に浮かぶ。iriguchi.jpg、ent.jpg、000.jpg、tenjikai.jpg、chie.jpg……。ちょっと考えてからchie.jpgにリネーム。ところがエラーで怒られた。すでにそのファイル名は存在しているという。見れば、50個ほど画像があるそのフォルダには、すでに、まったく同名で、まったく同じ画像のファイルが存在していた。
3週間前の自分は別人だ。リネームしたことは覚えていない。だけど、3週間経ってもやっぱり同じ画像に同じ名前を選んだことに、自分の思考回路の画一性を感じて驚いた。「やっぱり表玄関の写真もあったほうがいいよな」と考えた思考経路までまったく同じだと思うと、ちょっと不思議な感じ。
双子の実験で、「これらの色つきカードを好きな色の順に並べてください」とやると、あれこれ迷いながらも、最終的に双子の兄弟は、まったく同じ順番にカードを並べる率が高いという。そのことに双子たちは驚く。自分としては、自由意思に基づいて、そのときの気分で適当に並べたはずで、違った順番もあり得たというように、そこに恣意性や偶然性を主観的に感じているのに、それが錯覚に過ぎないと否定されるような、そういうオドロキを感じるんだろう。手品の原理で言うフォーシング的。自分で選んだハズなのに、実はすでに選ぶものは決まっていた、という。
同一人物なんだから当たり前だけど、同じファイル名を付けて狼狽したぼくも、それと似たようなオドロキを一瞬感じた。
ファイル名の命名というのは、ある程度、規則や方針があって、それがブレないほうがいいわけだけど。しかし、もはやファイル名なんていちいち付けたくない。なんとかならんのか。
2006年09月23日
DVD配達レンタル
TSUTAYAが始めたぽすれんのようなサービス、「TSUTAYA DISCAS」に入った。ネット上でCDやDVDを予約しておくと、向こうからDVDを送って来る。返却は同封されている封筒に入れて郵便ポストに投函するだけ。月間8枚で2000円ぐらい。
予約希望リストに20枚もリストアップしろと言われて呆然。そんなに見たいものがないというか、なんか面倒。たぶん、インターフェースの問題じゃないかと思う。必要なのは、ぶらぶら見ることができる感じの「棚」だろうなぁ。ネットの本屋も同じだけど、なんとなく背表紙をブラウズして、手にするものを選ぶという、あのリアル店舗のインターフェースはいいなぁと思う。
何を血迷ったのか、『スパイダーマン』を最初にリストに入れてしまった。後でまた考えようと5枚ぐらいリストアップしたら、いきなりリストの上のものから届きはじめた。そっか、そういうシステムか。
スパイダーマンは赤ん坊を抱えて、立ったまま見た。後悔した。くだらないにもほどがある。ヒロインがブスでびっくり。同時に届いた『戦場のピアニスト』も150分と長いばかりで退屈な映画だった。演出はしらじらしいし、絵作りもやりすぎ。砲弾が炸裂して「ドーン、ドーン」と言うたびに、お腹に抱えた赤ん坊と一緒にビクッとしてた。
キネマ旬報ベストテン(第31回~第40回)というのを参考に、古い映画でも見てみたい。
選挙ポスター
あまりに可愛いので立候補させることにした。選挙ポスター試案。
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無所属新人(0)。感動、ニッポン。若いちからで、そんな国づくりをめざします! |
2006年09月22日
シアトル出張
先週のシアトル出張は2日の延泊を入れると5泊7日の出張となった。在米の元後輩にはシアトルに1日以上いても飽きますよと言われたけど、見るべきところをゆっくりと見たり、散歩したりで、ちょうどいいぐらいだった。
仕事のほうは展示会なんかと違って、歩き回ってくたびれるというのでもなく、日々淡々と順調に予定をこなすという感じ。
到着した日、宿泊先となったベルビューのハイアットに空港から向かうハイウェイの途中で、丘の上にぼんやりと浮かぶ城のような建物が目に付いた。夜霧の中、森の向こうにほの明るく輝く赤茶けた建物。ずっと遠くにそびえているように見えるのに、周囲を睥睨するような威圧感がある。廃墟やゴーストタウンといったうち捨てられた建造物フェチのぼくはすぐに心を奪われた。「あれ、Amazon.comの本社だよね」と同乗していたPRエージェントが口にした。Amazon.comの本社がお城だなんて聞いたことがない。
ググッてみても、Amazon.com本社の情報は出てこない。Amazon.comのサイトをつつきまわってみても何も書かれていない。この謎めき感、たまらんとぞと思って、さらに検索してみたら、Amazonに転職した人のブログが出てきた。まさかこんなところにあるこんな建物が本社だなんて知らなかったというような感想とともに、ぼくが見た古城のような写真が確かに載っていた。間違いない。
取材の最終日、ベルビューからシアトルのダウンタウンに向かうタクシーの運転手に、あらかじめGoogle Mapsで調べておいた住所を知らせてAmazon.com本社に行ってみた。「ここが世界最大の本屋さんって聞いたんですけど、ハリーポッターの本はありますか」と言ってみたい。果たしてAmazon.com本社で本は買えるのか。ところが行ってビックリ……。
という話をネタっぽく仕事で書いたら、すさまじい量のアクセスがあって驚いた。ウケるだろうとは思ったけど爆発的にウケた。
夕方、Amazon.comが良く見えるあたり、シアトル大学近辺を散策。大学生でもなければ用がなさそうな古着屋、すっかり日が暮れてしまったキャンパスの並木道を歩く学生たち、痴話げんかしてたと思ったらチューチューとキスをし始めた若いカップルがいるカフェ、夕方の退屈な時間に新聞を読む店主だけが窓から見えるベトナム料理店、交差点でバケツとワインボトルを叩くヒッピー風のドラマー、田舎くさいというのでもないし、寂れているというほどでもないけど、そこはかとなくうらぶれた感じの街。ふだん自分の住む世界とは違う、こういう場所をあてどもなく歩いているほうが、ショッピングモールや観光名所を見るよりも楽しい。そして移動しつつAmazon.com本社の写真をいろんなアングルで撮りまくり。
ずいずい丘を上がっていくと、ムスリム街っぽいところがあった。低所得者層の街という感じで、路地が狭い。路地は狭いし、家はあまり高級とは言えないけど、どの家にも立派な裏庭があって、うろうろと路地裏を歩いてみていて、その土地の多さがうらやましくなった。どんなに狭い家でも裏庭でジャグリングの練習ができるじゃないか。
シアトルという街には忘れられた地下通路がある。これまた廃墟、廃屋フェチのぼくにはググッと来る話だ。
19xx年ごろ、最初に入植した人々は低地に街を作ったために、潮の満ち引きによって家や道路が水浸しになったり下水が逆流してトイレから汚物が吹き上がるようなひどい環境に住んでいたらしい。街のあちこちに巨大な水たまりができて、溺れ死ぬ子どもが出たそうだ。19xx年の大火災でその街が全焼。きれいサッパリ焼けてしまった街の再興について市民会議を開いたところ、このさい丘を削って少し埋め立てようという案が出る。ところが、もともと金や材木を目当てに一攫千金を夢見てやってきた金の猛者だらけの街なので、土で地面を盛り上げる前に、さっさと建物を造り始める輩だらけになってしまった。ふつうなら、土地の整備をしてから建てるところ、建ててから土地の整備をした。
こうして、多くの建物で、もともと2階だった部分が道路と同じ高さになった。階段を使って、人々は道路から1階に降りたり、あるいは1階からあがったりしたという。道路脇に空いた1階への通用口には、子どもや酔っぱらいが落っこちるようになり、ある年には17人も落ちるというありさまだったという。
しばらくは地下通路には商店街が並び、上の街と同様に栄えたものの、徐々に地下には、地下に潜った方が都合のいい人々の住処となっていく。地下街は売春、賭博、麻薬売買といった犯罪巣窟となり、荒廃していく。やがて、人々は通用口にフタをし地下の存在そのものを忘れていく。
そうした地下の歴史があったことを忘れないために、シアトルの地下街を保存しようと、地下ツアーという奇特なアイデアを思いついた元新聞記者がいた。ツアーはメディアの耳目を集め大成功。やがて観光名所となっていく。
ぼくは、そのツアーに参加した。基本的には3ヶ所ほどの地下通路に入って歴史的な写真や壁面、銀行の金庫なんかを見るだけのものだけど、90分という長い時間、ひたすらしゃべりまくるガイドの話が実におもしろい。特にスタート地点のカフェで160人ほどを前にツアーの概要について説明した女性は、聴衆をうまい具合に話に引き込み、ジョークを交えてマシンガンのようにしゃべる。かなりの才能か、かなりの訓練のタマモノだ。
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ハイウェイから。森の向こうにAmazon.com本社の頭が見えた。 |
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少し寄って撮影。 |
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そばに寄ると病院の看板。Amazonとは出してない。 |
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やや離れた場所から。ライトアップされてアールデコ風の建物が美しく輝く。 |
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Amazon.comの“麓”の街。古びた感じ |
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Amazon.comの“麓”の街。古びた感じ |
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Amazon.comの“麓”の街。古びた感じ |
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Amazon.comの“麓”の街。古びた感じ |
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違うアングルから |
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宿泊先。シアトルのダウンタウンから東にクルマで20分ほど行ったベルビューというエリアにあるHyatt |
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ちょっとした中庭もあってキレイ |
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夜はクルーズディナー |
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ビルゲイツ邸 |
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ベルビューのあたり |
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ベルビューのあたり2 |
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ベルビューのあたり3。美術館 |
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ベルビューあたり4。モール |
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モールのなかで見かけたiPod自販機 |
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取材中 |
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シアトルのダウンタウン。 |
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シアトルのダウンタウン。 |
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シアトルのダウンタウン。 |
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シアトルのダウンタウン。イチロー発見 |
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シアトルのダウンタウン。モノレール |
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シアトルのダウンタウン。 |
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シアトルのダウンタウン。モノレール乗り場 |
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シアトルのダウンタウン。モノレール休業中 |
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シアトルのダウンタウン。観光地っぽい。ストリートミュージシャンのレベルが全体に低くてびっくり |
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シアトルのダウンタウン。 |
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シアトルのダウンタウン。 |
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シアトルのダウンタウン。観光名所のパイク・ストリート・マーケット。 |
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シアトルのダウンタウン。マーケットはシーフードで有名 |
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シアトルのダウンタウン。 |
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シアトルのダウンタウン。 |
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シアトルのダウンタウン。マーケットを抜けるとスターバックスの1号店が |
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シアトルのダウンタウン。1号店のロゴ。 |
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シアトルのダウンタウン。1号店の店内。 |
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シアトルのダウンタウン。おみやげの定番、ロゴ入りマグカップ |
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シアトルのダウンタウン。 |
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シアトルのダウンタウンから南に少しいったところにスタジアムが2つ。 |
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シアトルのダウンタウン。 |
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シアトルのダウンタウン。スタバ前で歌ってたアカペラグループの1人。すっごいうまかった |
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シアトルのダウンタウン。 |
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シアトルのダウンタウン。 |
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シアトルのダウンタウン。 |
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シアトルのシンボルタワー。スペースニードル。 |
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けっきょく上には登らず。13ドルって高すぎ |
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ニードルの下 |
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scoop law! |
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オブジェの中にニードルを収めたかった |
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あんなところにもイチローが |
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ニードルの前で記念ジャグリング |
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ニードル近辺には博物館っぽいのがいくつか。でも全部いまいちっぽい |
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7個。趣味がカメラの元ジャグラーに撮ってもらった |
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公園で出会った初老のジャグラー。ボールパッシングをいろいろと教えてもらった。 |
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散歩 |
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散歩 |
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散歩 |
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散歩 |
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散歩 |
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観光名所、アンダーグラウンドツアー |
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このマークが目印 |
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ツアーの前口上 |
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意外なところに入口が! |
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地下といっても地面のすぐ下 |
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配管の錆び具合、もう一歩ってところ |
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40人ぐらいが1グループとなって歩く |
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歴史的写真をみながら解説 |
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採光窓。たくさん光が入っているけど上からはそうとはわからない |
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いまみなさんが立っているのは、かつてこんな建物でした、という写真 |
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出口 |
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これが採光窓を上からみたところ。交差点のあちこちにあるのに、地元の人でもそうとは知らずに通り過ぎていることが多いという。で、地下ツアーに参加してびっくり! |
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満ち潮のときに逆流したというトイレ |
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火災後、焼け野原となったシアトル |
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生前ひどいことをすると、“The Bastard”と書かれちゃう |
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あちこちの建物にある地下街の痕跡 |
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あちこちの建物にある地下街の痕跡 |
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あちこちの建物にある地下街の痕跡 |
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あちこちの建物にある地下街の痕跡 |
2006年09月20日
ビバ放送大学
![]() | 日本語の歴史 近藤 泰弘、月本雅幸、杉浦克己 送大学教育振興会 2005/03 |
放送大学の教科書には、その分野で知るべきことがコンパクトにまとまった良書が多い。下手に一般向けに書かれた入門書を読むより、ずっとおもしろいことがある。ページ数の割に値段が2000〜3000円と高いのが難点だけど、1500円の本を買って後悔するより、2500円の本で満足するほうがずっといい。この『日本語の歴史』も、そんな本。
日本語について書かれた本は去年ずいぶんブームになった。そのほとんどは、日本語の読み書きに不自由する人のための指南書か、そうでなければ時代の変化についていけない中高年のルサンチマンを「ことばの乱れ」という一種の仮構で癒す本がほとんど。雑学系の本で、良質な読みものもあったけど、きちんとまとまった「日本語の本」というのは、ついぞ出てこなかった。日本語ブームと言いながら、最後のほうは「論理的に文章を書くには」といったテーマの、できの悪いビジネスパーソン向け実用書と区別がつかない本の粗製乱造で終わってしまった感がある。
世界に数千ある言語のなかで、日本語というのはどういう言語なのか。あるいは、言葉は変化するというけれど、有史以来2000年の歴史のなかで日本語はどう変化してきたのか。そういった言語学研究の成果を、ふつうに教えてくれる本でよかったなと思えるのは、町田健や田中克彦といった学者が書いたものしかない。たとえば、「言葉は変化する」というが、いつの時代にどのぐらいの速度でどう変化したのかを問わない限り、現在起こっている変化が、言語変化の歴史で見ればごく穏当なものであるのか、それともやはり変革期にあるのか議論のしようがないと思う。でも、言葉の変化速度について定量的な議論はあまり聞いたことがない。少し専門的な本を読むと、断片的にはそういう方面の研究成果も載っていたりするけど、けっきょくそれぞれの論文を読めということで、一般向け書籍という意味では絶望的な状況にあるんじゃないだろうか。
もう少し日本語を客観的に観察して、それをエッセイ風に語れるような人はいないのだろうか。町田健は、かなりいいと思っていたけど、ついに日本語練習帳みたいな情けない本を出したので失望した。
『日本語の歴史』は、きわめておもしろい本だった。ふつうの学校教育では、古文、文語、現代日本語と大まかに区別しているけど、言語というのは、ソフトウェアのバージョンが変わるように、あるとき変化するというものではなく、長い歴史のなかで連続的に変化するもの。奈良時代、平安時代、室町時代、江戸時代、明治時代、明治以降と、それぞれの時代を順に追い、文字、音韻、文法といった面から、各時代ごとの特徴と変化をコンパクトにまとめている。変化の法則や方向性、背後にある文化的、歴史的イベントとの対応なども解説されている。
いわく室町時代に日本語は大きく変化している。むかし、仕事で知り合った国語学者と雑談していたとき、こんな話を聞いた。「日本語は11世紀ごろに大きく変化しているんですよ。タイムマシンに乗って現代人が信長に会ったら、なんとなく言葉は通じる。腹を抑えてお腹が痛いと言えば、たぶん言いたいことは通じる。でも、それ以前の時代の日本人と話をしても、現在の朝鮮半島の人と話しているような感じで、ほとんど外国語のように思うはずだ」。そのときは、おもしろい話だとは思ったけど、どうして室町時代を境に日本語が大きく変わったことや音韻の変化の程度が分かるのかを不思議に思った。
その答えは、この本に書いてあった。
音韻の変化は文字や文献から推測する。たとえば、奈良時代の文献資料に見られる万葉仮名を見ると、「こ」の表記として、「己・許・古・胡」などがあって、単語ごとに、どの字を用いるかについて決まっているという。たとえば「こころ」という言葉について調べてみると、「己己呂(こころ)、己許呂(こころ)、許己呂(こころ)、許許呂(こころ)」の例があるが、「古・胡」という字を用いた例はないという。一方、「こども」の表記を調べると、「古抒母、古等母、胡藤母、胡騰母」などの例があるが、「「己・許」の字を用いた例はないという。このことから、現代日本語の「こ」に相当する音が2種類あったことが推測される。
あるいは、室町時代に読まれたなぞなぞに、
はヽには二たびあひたれどもちヽには一どもあはず くちびる (『なぞたて』)
というのがある。母で2度、父で1度も合わないものは「唇」。これは当時、ハ行の子音は現代語の[h]とは異なり、古代語同様に両唇摩擦音の[Φ]を用いていた証拠と考えられているという。母は、どちらかといえば「ファファ」に近い音だったということだ。
こうした地道な文献渉猟と推論から、日本語の音韻の変化を調べる。たとえば奈良時代の日本語の音韻の特色として、
- 現代日本語の撥音・促音・拗音にあたる音はなかった。
- 濁音は奈良時代にもあった。
- ハ行の子音は唇を用いる音であった。
- 現代日本語のような長音は奈良時代にはなかった。
- 濁音は語頭に立つことがない。
- ラ行音は語頭に立つことがない。
- 母音のみの音は語頭にのみ用いられ、語中・語尾には出現しない。
といったことがわかっているという。
この本を読んでいてつくづくおもしろいと思ったのが、「言語の化石」とでも言うべきもの。古い用法や語法が固定されてしまって、現代語でも何の疑問もなく用いられているような例がある。音韻でも「私は」とか「彼を」と書くとき、「は」や「を」は、かつてそれらがその音で発音された証だと聞いたことがある。11世紀の初めごろ、ハ行音の子音([Φ])がワ行音([w])で発音されるようになったという。この、“ハ行転呼音”と呼ばれる現象のために、「川」は[kaΦa]から[kawa]へと音が変化した。明治に「川」の表記を「かは」から「かわ」に改めたのは、数百年前の音韻の変化に、ようやく表記が追い付いたということ。
としたら、なぜ主格の助詞にだけ「は[wa]」を用いるのか、いまひとつわからない。
というような議論を前提にすれば、女子高生が使う「私わ」とか「私わ」という表記を、ばかげていると一蹴する気にもなれなくなる。「日本語の乱れ」をやたら指弾する人に辟易するのは、変化を前提とした議論を展開しないばかりでなく、言語の合理的変化という側面をすっぱり忘れ去っているからだ。「私は」という表記など、すでに数百年前の発音の痕跡でしかないではないか。
英語でもnightにあるghを、かつては発音したという。いわゆる黒人英語のエボニックスでは、nightをniteと綴る。これは、よほど合理的な綴りだし、長い目で見れば、将来英語に起こる変化の予兆となるのだろう。外来語や音韻の変化によって表記と音がずれてきた場合、表記に拘る頑固な人々の根拠のない議論こそ笑い飛ばすべきじゃなかろうか。いつの時代にも擬古文を書く人や、いかめしい文体で書くことでしか内容のハクを付けられない人というのがいる。
言語の化石の例として驚いたのが、奈良時代のク語法の例。ク語法というのは、動詞など活用語の未然形に接続して、「〜すること」という意味を表わすもので、たとえば「窺まく(ぬすまく)」というように「ぬすむ」の未然形に接尾語「く」が付いて、「(様子を)窺っていること」という意味になる。このク語法は平安時代以降にはほとんど見られなくなる。ところが、「曰く」「のたまわく」などの固定化された用例で、現代にまで生き延びている。まさに言語の化石だ。
さらに驚いたのが、「思ふ」のク語法である「思はく」。この「思はく」という句は「思惑」という当て字を得て名詞化し、現代語で活用されている。意味はほぼ奈良時代のまま、「思うこと、思っていること」だ。
ク語法と類似のミ語法も含めて、活用語に下接する接続語類に、複合的な句構造をもった文を構成する働きがあるというのは、奈良時代の日本語文法の特徴の1つという。この1点だけ見れば、すでに外国語のような感じだ。差異よりも類似点が多いからそうは思えないだけで、強い方言や古語は、現在関東圏で話されている話し言葉、いわゆる標準語とは異なる文法をもつ、ある意味では別の言語だ。
たんに助詞が別の音だというぐらいの変化ではなく、もっと根本的な文法変化が奈良時代に起こっている。奈良時代には古代に使われていた「つ・ぬ」といった完了を示す助詞が消えて、「てある・ている・てをる」などの継続のアスペクトを示す助詞として新たに登場し、このころ日本語のテンス・アスペクトの基本的な体系が成立したのだという。テンスやアスペクトが異なれば、これはもはや別言語だ。現代に連なる日本語と呼びうるものは、1300年前に登場したということだ。
ハ行転呼音のように、あるルールに従って大規模に進行する例があるのかどうかわからないけど、ちょっと考えただけでも、現代語でも音の変化があるのではないかと思い付く。発音と表記がずれ始めているものがある。たとえば「体育」は「タイク」と3音節で発音する。実際にはタイクと言うのにタイイクと書くのは、ちょうど「ちょうちょ」と発音するのに「ちょうちょう」とウまで書くのとか、「ちょうちょう」と発音するのに「てふてふ」と書く、というのに似ている気がする。現代語でも、音韻変化は日々進行している。『日本語の歴史』は古代から明治や昭和あたりまでをカバーしているけど、現代史の記述が少ない。現代史が手薄になるのは歴史の本の宿命みたいなものなのかと思う。限られたカリキュラムで消化するには、現代語の研究は膨大だということだろうか。
言語の変化は、より少ないルールへの統合、例外の消滅という形で進むことが多い。そうした変化にいち早く適応するのは、学のない庶民や、男性より女性だったりするのは今も昔も変わらないらしい。適応というよりも、例外を学習する時間や機会のない人達。日本語では動詞の活用が歴史の流れとともに減っている。奈良時代に9種類あった日本語の動詞の活用は減少傾向にあり、特にラ変活用の消滅と二段活用の一段化というのは、特徴的で大きな変化だという。室町時代に始まった一段化は江戸時代に、さらに進む。
まず、動詞の活用に関して、前代に引き続き二段活用の一段化が進んでいる点が挙げられるが、まだ一段化は完了せず、二段活用の形と、新しい一段活用の形とが併存していた。近松の浄瑠璃を見ると、武士よりも庶民の方が、また男性よりも女性の方が、一段活用の形を用いやすいこと、同一物が両方を使う場合、改まったときには二段活用を、うちとけたとき(また喜怒哀楽の激しいとき)には一段活用を用いることが多いこと、音節数の少ない動詞の方が一段化が速いことなどの特徴が明らかにされている。
言語は常に流動していて、同じ意味のことを伝えるのにも、いくとおりかの言いかたがある。書きことば的、文語的に改まって言うこともできるし、くだけた口語で言うこともできる。くだけた言いかたのとき、方言や若者言葉が使われる。よくよく考えてみると、そういうくだけた言葉というのは、もしかすると、たまたま変化している言語があってそれを使っているというよりも、むしろコミュニケーション上、そういうモードを必要とする人間の本質的ニーズを満たすために存在しているんじゃないだろうか。公私のグラデーションを埋める各モードの言葉づかいというのは、それぞれが先にあってマップされているというよりも、このグラデーションマップを埋める形で、ある時代、ある地方の言葉というのは、自律的に多数のモードを抱えこむのじゃないだろうか。
現代の「ら抜き」言葉という変化の本質は「れる・られる」の整理統合にある。これはきわめて合理的な変化で、尊敬・可能・受身などが混在して併用されている状態から、「られる」の可能・受身の意味が消えて行く過程にほかならない。こういうのは、やはり割とよくあることらしい。たとえば、奈良時代には「る・らる−ゆ・らゆ」で同様の変化が起こっている。<る・らる>の勢力に押されて、<ゆ・らゆ>は消滅した。
奈良時代にも「る・らる」の例はあり、少しずつ相互に意味・用法が異なる併存状態から、徐々に「ゆ・らゆ」は用いられなくなったものと考えられている。また「聞こゆ」「見ゆ」「思ほゆ」などは、この助動詞「ゆ」が付いた形から一語の動詞として用いられるようになったものと考えられている。
助詞や助動詞など、入れ替わりもすれば消えもする。
奈良時代に消えた助詞、「ゆ・い」あたりの記述を読んでいて驚いた。「ゆ」は「〜から」「〜より」という経由地を示す助詞で、こんな風に使われた例があるといって、奈良時代の文献が引用されている。
比羅可駄愉(枚方ゆ)…… ※漢字が出せないので、これは雰囲気。もうちょっとヘンチクリンな字が並ぶ
「枚方から笛をもって〜」というような文章の一節。枚方! ぼくの育った大阪の衛星都市の名前じゃないか。奈良時代から存在した地名なのか……。
「ゆ」と同類の助詞に「ゆ・ゆり・より」があったという。これらのうち、徐々に「より」だけが残ったという。現代語口語では「より」は比較の意味のほうが強く、経由地や出発地を示す用法で使うのはおもに書きことばに限定されているんじゃないだろうか。現代語口語では「東京から来た」とは言っても「東京より来た」とは言わないし、ほとんど誤用といえるほど違和感がある。NHKのアナウンサーが、「東京よりご参加いただきました、○○さんです」と言ってる姿は想像できるけど、やっぱりこれは古い表現という気がする。
奈良時代に消えた助詞、強調の用法をもつ「い」の痕跡は現代語に残っている。「あるいは」というときの「い」は、この奈良時代の助詞が語彙中に残ったものではなかと推測されているという。岩石中に残る古代生物と同じで、まさに言語の化石だ。
漢字や仮名の遍歴といった文字の歴史には、さほど興味がないけど「言葉の変化」を考える上で興味深い指摘がいくつかある。仮名にしろ文法にしろ、漢字の表記にしろ、ぼくらはついそうしたものを固定的なものだと想定しがちだけど、仮名づかいも長い間、揺れてきた歴史がある。実際の発音にできるだけ忠実にという努力も行なわれて来た。半濁音はパ行以外でもサ行でも使われていたことがあるというし、江戸後期の式亭三馬は、カ行に半濁音を用いてたいという。日本人は、音と字が1対1に対応していることを前提としない、かなり複雑なスクリプティングシステムを使っているけど、こと、カナについては、割と素朴に音と字の対応を信じているように思う。実際はそうでもないというのに。
句読点のテンマルやヤクモノについても、近世もかなり用法が揺れている。整版本が登場したころにようやく句読点が見られるようになるものの、どっちがどっちなどという区別はなかったという。いや、出版の現場にいる人間として日々感じることだけど、日本語の句読点や表記法というのは、今でも恐ろしく標準化されていない。
もともと日本語には段落とかセンテンスという概念がなく、翻訳などを通して導入されたというけど、いまウェブ上で起こっているのも似たような話かなと思う。ウェブ上の日本語では、少なくとも表示上の段落のありかたが以前とずいぶん異なってきている。と、そういう話をするにしても、やっぱり日本語の歴史的変遷という前提を抜きにしては議論できないと思う。ただただ、「段落の最初は1文字あけるのが正書法だ」などと言ってみても始まらない。
ずいぶん感想が長くなった。あいかわらず言葉の問題というのは興味が尽きない。
2006年09月15日
巨大マウス取材
シアトルM社でマウスなど取材。会社のキャンパスも広いし、マウスもでかい。
ラボ見学が楽しい。オタクのスクツだ。技術萌えだ。
Skypeでビデオチャット。1万kmぐらい離れてても、ふつーに話せる。赤ん坊がぐずってるのも、よくわかる。
2006年09月12日
出張
うむ、じゃあ行ってくるよ。
2006年09月09日
連番リネーム
写真のファイルを通し番号で整理してリネームすることが多い。bashとかseqでは微妙にゼロパディングが面倒くさそうなので、こんなrubyスクリプトを書いた。
#!/usr/bin/rubyrequire 'fileutils'
$name = ARGV.shift
$ext = "." + ARGV.shift
i = 0ARGV.each do |file|
i = i + 1
$newname = $name + sprintf("&03d", i) + $ext
print "renaming " + file + " ---> "
print $newname + "\n"
FileUtils.mv(file, $newname)
end
「rename party jpg *jpg」とやると「party001.jpg party002.jpg party003.jpg……」となる。
2006年09月08日
電子の世界のマエストロ
展示会取材。やたらめったらおもしろい。ここ2度ほど楽しい取材が続いた。ひとつはLED関連、もうひとつはミクロな世界の工作技術みたいな話。ものづくりって知恵が詰まっていておもしろい。
夜、同僚たちと御苑のボエムでパスタとビール。同僚のKが子どものころの電子工作の話をした。秋葉の若松通商でパーツを買って、エプソンのプリンタをスキャナに改造したり、パソピア用の拡張ボードを自作していたという。プリンタをスキャナに改造って、そんなこと可能なのか!
話を聞いていてやっぱり根本的にハッカーは違うなと思った。ぼくは8ビットパソコンで機械語は書いたけど、電子デバイスを自作してドライバーを書くとかいうようなことはやらなかった。確か80年代前半ぐらいには、ハード系をやらないマイコンユーザーが半分ぐらいいて、そのことについて恥ずかしく感じるような文化があったように思う。
Kは今、W-ZERO3に接続するために、Palm用の折り畳みキーボードをUSBコネクタに変換するハードウェアを自作していて、「でも、HIDだからデバドラも不要で簡単なんですよ」と言ってのけた。
モノ作りでもソフトウェア作りでも、現場には職人という人種が健在だし、そういう人達の知恵、創意工夫、努力といったアナログなものが、いまのデジタルな文化を支えている。
2006年09月07日
9/12出張
来週はシアトル出張。日本からアメリカだから関係ないだろうけど、9月12日出発で飛行機に乗ると日付変更線を超えて11日側に突入するんじゃなかったっけかな。到着は12日だけど。
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2006年09月03日
そんな分けかたでもいいんじゃないでしょうか
![]() | 分類という思想 池田 清彦 新潮社 1992/11 |
「分ける」と「分かる」は語源的には同じで、モノごとを理解する根本には分類がある。分類することで対象を整理するというようりも、分類こそが思考だ。
分類は、いかに自明な基準を用いているように見えても、対象物にア・プリオリに内在する特徴をとらえているというものではない。基準は分類する側の主観にしか存在していない。そして、どんな基準を用いても、そこに恣意性は残るし、分類しきれない例外というのも発生する。だから、あまり基準自体を自明の所与としてかたくなに固持してもしょうがない。
と、このへんまでは常識的な話だと思うけど、この著者は、第1章で延々とこのあたりのことを、言語学や経済学っぽい議論を交えてくどくどと論じていて、しょっぱなから閉口する。コトバの桎梏、コトバの魔力……。うーん、何だろうな、コトバに怨みでもあるんだろうか。「コトバは思考をしばり、戦争の原因となり、資本主義の普遍性を保証する」って何のこっちゃ。湾岸戦争や社会主義の行き詰まりを、二分法がどうしただとか、コトバによる呪縛がどうしただとかで説明しようというのは、あまりに突飛。
男女という古来の分類が、DNA研究が進んだために、そう単純に行かなくなったという。それはそうでしょう。染色体から分類できる男女、外性器の特徴から分類できる男女、社会や文化の違いをとらえたジェンダーという男女の分類が、「究極的には独立」だという。究極的にはって、どういう意味かよくわからない。例外的に一致しないケースがあるからといって、それらの事象が互いに独立だなんて言うことに、どれほどの意味があるんだろうか。論理展開が強引すぎる。極論好きの人の議論は、だいたい疑わしい。
アリストテレスの昔から始まって、17世紀以降の植物学、動物学者による分類学の系譜と発展の話はおもしろい。整合性と説得力のある分類構築という作業は試行錯誤の歴史であって、それはいまでもそうなのだという話。
生物の形質は遺伝子情報に書かれているのだから、種の分岐をたどって分類すればいいように思えるけど、実際には交叉という例外もあるし、分岐とは無関係に起こる形態の類似だってあるので、話はそう単純じゃない。というような「分類というのは一意にすっきり行かないんだよ」というのは、きわめて常識的なことで、「分類という思想」という大上段に構えた本で指摘するほどのことでもないと思う。
最後の章のまとめの文章が、わからない。
私が依拠する立場は極めて単純だ。分類はいずれにせよ、人間が行なう営為のひとつである、ということだ。すなわち、すべての分類は本来的に恣意的なものである。
最も基本的な分類体系は言語である。ソシュールによってはっきり示されたように、コトバによる世界の分節は恣意的なものである。しかし、ひとたび世界があるコトバによって分節されれば、我々がそのコトバを使う限り、コトバは我々の認識様式をしばる桎梏となる。
我々の使うコトバは、我々の心身機能という自然の何らかの反映である。従って、コトバを使ういかなる分類も、何らかの形で自然の秩序を反映しているに違いない。
2段落目までは、まあ分かるけど、なんでいきなり3段落目でコトバが自然の秩序を反映ってことになるんだ。恣意的だと言ったその次に、自然だというんだから、意味がさっぱり分からない。言ってることが、めちゃくちゃだ。いや、両方ともある意味では常識的なことだけど、こう並べられても、何が言いたいのかまったくわからない。
そこはかとなく悲しいクラゲたち
![]() | クラゲのふしぎ jfish 技術評論社 2006/08/05 |
クラゲは嫌いだ。ゴキブリ同様、もし自分の身体に触れてしまったらと考えると、ぞっとして身が凍りそうになる。現物に触わるのが嫌だというだけじゃない。美しく印刷されたカラー写真もダメで、子どものころ、科学雑誌のページをめくるときに指がクラゲやイソギンチャクに触れないよう苦労した覚えがある。
そんなぼくを、意地悪な兄がからかった。海辺にうちあげられて死んでしまった水クラゲを、「ほれほれ触ってみ」と言いながら、ぼくのところへもってきたものだ。
年齢とともに、少しずつ平気になるもので、さすがに写真はだいぶ平気になった。でも、たぶんクラゲは触れない。そんなことで、むかしよく海で遠泳なんてしてたなと思う。泳いでいて、よくクラゲに刺されたものだ。
このさい一気に苦手なクラゲを克服しようと思って、ふと本屋でこの本を手にとった。
よく考えるとクラゲの生態って、ほとんど知らない。クラゲには雌雄同体の変なやつらがいて、水温によってオスになったり、メスになったりとか、そういう話を聞いたことがある。だから、かなり変な人達だということは知っていた。でも、何をどうやって食べていて、どうやって生殖しているのか、あるいは毒はどの程度のものをもってるのか、彼らは動きたい方向に動くことができるのかとか、知らないことだらけ。
やっぱり兄貴は間違っていた。専門家によると、クラゲはどんなに安全に思えても絶対に触ってはいけないという。ぼくは正しかった。クラゲは大きく有櫛動物門(ゆうしつどうぶつもん)と、有刺動物門(ゆうしどうぶつもん)に分かれて、有櫛のほう、身体に櫛状のものがある種類には毒がない。毒があるのは有刺のほうだけ。ただ、種類や毒の強さもさまざまで、素人がみて判断できるものではないという。1度目は大丈夫でも2度目に同じものに刺されてショック死することもあるアナフィラキシー反応も恐いので「侮るな」というのが専門家の意見。刺されたら砂でこすれという民間療法なんかも、ぜんぜん逆効果だったりするんだとか。かえって皮膚に刺さった針が奥に入って毒の回りを早めるだけらしい。
彼らは自分の意志で動きたい方向に動けるわけではないらしい。そもそも脳がないのだから意志はない。遊泳能力が低過ぎて、流されるままにしかならない。そうした水流に身を任せて生きる生物をプランクトンと呼ぶらしい。プランクトンはサイズが小さいもののことでなく、自力で水流にさからって泳げるかどうかで決まる。だから、クラゲはプランクトンと分類される。まあ、生物学者には好きに分類させておけばいい。常識的な語感と齟齬があるからといって、どちらかがどちらかに合わせる必要なんてまったくない。
クラゲとイソギンチャク、サンゴは同類。クラゲは、海底や岩石からペロンと剥がれてイソギンチャクがふらふらと泳ぎだしたというぐらいのもので、両者は本質的にそう違わないという話。実際、クラゲの一生にはイソギンチャクのように海底にへばりついている時期もあって、そこからペロン、ペロンと皮のような「エフィラ」と呼ばれるものが1枚1枚はがれて海に泳ぎ出したのがクラゲとなるという。
脳がないのに目があるそうだ。アンドンクラゲにはレンズや網膜っぽい組織があり、高度な構造をもった目をもつ。かなり「見えて」おかしくないのだけど、いかんせん脳がないので、いったいその目で何をしているのか、よくわかってないという。アンドンクラゲは埠頭などで人影から逃げ、灯りに寄って来るので見えていることは間違いないらしい。
しかし、そのアンドンクラゲの目で、何だかおかしいのは、それらの目がすべて内側を向いてること。傘の周縁にいくつかついている目は、外敵をみるよう外を見ていなくて、内側の自分の口のあたりを見ているという。クラゲは不思議な奴らだ。何を見ているんだ。
自力では少しずつしか移動できないけど、風力を利用するギンカクラゲという種類がいるらしい。お椀型の頭部を水面上に出して風の力ですいすいと泳ぐ。「この風力移動はなかなか効率が良く、自力遊泳に比べてかなりの速度が出せます。ただ完全に風任せのため、よく海岸に打ち上げられてしまうのが、ちょっと悲しいところです」。この著者(陣)、かなりいい味を出していると思う。クラゲに対する愛情と尽きない好奇心がにじみでた文章が、何ともほほえましい。
ミズクラゲは甲殻類をよく食べるので口(傘の中央)の回りに食べた餌の赤茶色が付く。水族館で見ていると周期的に色が変わるという。その様子を、著者の1人である久保田氏は、こう書く。
透明なクラゲが甲殻類を捕食すると、口柄の寝もとが餌の色に染まります。染まると満腹です。しばらく経つと、餌を消化するため色が消えてしまいます。消えると空腹です。なので、見ていて飽きません。
研究者や専門家というのは、こうでないとダメだ。
悲しい感じの努力をするクラゲはほかにもいる。自分の身体を割いて、分裂して増えるヤクチクラゲ。身体を引き裂いて分裂すると、分裂したどちらか一方にしか口がなく、餌が摂れずに死んでしまう。このため分裂に先だって、身体のあちこちに口を作るんだとか。悲しい努力というか、「そんなレベルの話かよっ!」と言いたくなる、単純なやりかただ。クラゲは繁殖戦略としてはきわめて成功していて、種類も生態もさまざま。おもしろいやつらがいるもんだ。
そのほか、有櫛動物門で毒がないはずなのに、なぜか毒があると思ったら、実は摂食によって有刺動物門のクラゲ類を採り入れて自分の武器にしちゃってるフウセンクラゲモドキの話だとか、傷ついて海底に沈んでゼラチンの塊となり果てたあとに、またその塊からニョキニョキと枝を生やして再生する不老不死のベニクラゲの話だとか、あるいは小部屋に小石を入れただけのようなクラゲの平衡器官の話だとか、はたまた特定のタンパク質を発光させることで動植物の病巣発見に役立つ研究に先鞭をつけたオワンクラゲの発光物質、イクオリンやGFPの抽出と遺伝子同定の話だとか、どの話も非常におもしろい。
巻末の「浮遊標本を作ろう」なんてのは、やっぱりぼくには気持ち悪くてしょうがないけど、こんなにクラゲの話に夢中になれるとは思わなかったというような1冊だった。
必須金属
![]() | 金属は人体になぜ必要か――なければ困る銅・クロム・モリブデン… 桜井 弘 講談社 1996/06 |
同じブルーバックスシリーズの元素事典を読んだら、哺乳類にモリブデンは必要不可欠だという記述があって驚いた。モリブデンは窒素の固定に関係する酵素で重要な物質となっている。しかも、かつて古代生物はモリブデンの代わりにタングステンを用いていた時期があるという。それはいったいどういうことなんだ。生物は手近にある材料を、手近にある存在比率から大きく外れない程度に最大限に利用し、進化してきたということなんだろう。
人体に限らず、動植物の多くは微量もしくは超微量の金属元素を必須とする。最近では鉄や亜鉛は常識だろうけど、クロムや銅、コバルトといった有害そうに思える金属や、モリブデン、バナジウム、セレンなどといった聞きなれない金属元素も、微量ながら人体にとって必要不可欠だという。
金属元素はタンパク質や簡単な有機分子の中心に位置して鎖体を作る。こうした鎖体は、多くの代謝反応に酵素として関係しており、特定の化学反応速度を、ときには数万とか数十万倍も速める。
と、こういう話し自体はおもしろいと思って手にとった本だけど、話が細か過ぎて、ややウンザリ。話の流れに脈絡がなく研究成果の羅列っぽい。そもそも、「無機生物学」という学問すら提唱している人がいるという段階で、どの金属がどういう役割を担っているのかなど研究待ちだという話が多過ぎる。一般の読者向けに1冊の本としてまとめるには、まだ学問自体が未熟な印象。
セレンを多く摂取すると乳癌の発生確率が下がるとか、マグネシウムとカルシウムの摂取比率を1対1にするといいとか、そういう具体的なアドバイスは、洒落としか思えない。セレンが多く含まれる食材リストをみて、明日から「よーし、セレンを0.1ミリグラム摂るぞ」なんて変人がいるとは、とても思えない。
2006年09月02日
エアコン
赤ちゃんがますます可愛い。まだ子音が発声できないはずなのに、「え、、、え、、えあ、、えあ、、、えあっ、、、ん、えあこん」と、エアコンとしゃべった。何度もエアコンというのでビデオに撮って見てみたら、やっぱりエアコンと言っている。うちの子は天才だった。





