2006年07月24日
字が書けない
出生届けを出しに港区役所高輪支所に。もろもろの書類を書いたり、誤記を修正したりする。「一」と書いたところで手が止まる。「妻」という字が書けない。ちょっと恥ずかしいけど、いまどき手書きで字が書けなくても、誰もなんとも思わないだろうと開きなおる。目前にいた3人の担当者が一斉に近くの紙切れに妻という字を書いた。さすが日々手書き書類と格闘している人達は違うな。
妻という字が書けなくても恥ずかしくなかったけど、娘につけた名前の1字、「彩」という字を書こうとして手が止まったときは、かなり焦った。恥ずかしい。なんてバカ親なんだ。
このあいだ記者発表会でメモを取っているとき、ふと見たら「NEC、ふじつう、トEタ」とトヨタのヨが左右反転していた。もうぼくはこのまま字が書けない人になっていくのだなと悟った。
投稿者 ken : 2006年07月24日 23:04
コメント
……という日記が、まさに“兆候” だったわけですね。
あれからたった2年。若年性アルツハイマーの恐ろしさを
西村さんは、まさに身を持って示してくれました。
2008年6月11日
投稿者 大江和弘 : 2006年07月25日 15:43
アルジャーノンの文体みたいに、徐々に
壊れていく感じがわかるブログってのも
いいかもね。
涙なしに読めないブログ!
投稿者 西村 : 2006年07月25日 18:11
患者本人のブログ読んだことあるよ。
(どっかでみつけたんだけど、いま発掘中)
アルジャーノン的スピード感はなく、淡々と、かつ必死につづられていて、笑いどころや泣き所は一切なかった。
「壊れる感じ」ということなら、鬱の人のブログのほうが近いかもしれない。
投稿者 10子 : 2006年07月26日 16:40
淡々と必死に、という相反するものがどう同居するのか
よくわからん。欝がケミカルな病気であって、気のもちよう
なんかじゃないというのはよくわかるけど、
擬制ウツの人があまりに多いので、ウツっぽいノリの
文章って、それだけで見る気が失せる。
ましてブログを書いている時点で、それってウツかよって
感じだけど。
アルジャーノンがいいのは、壊れても幸福で愛される
人間でいられたという爽やかさがあるからで、
逆にウツのひとって壊れる前から不幸だし。
投稿者 西村 : 2006年07月26日 21:01