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2006年01月30日
ウンコな議論
杉山文彦編、時事通信外信部著『世界テロリズム・マップ』
新聞に連載でもしていそうな、手短でよくまとまった古今東西のテロリスト紹介。過不足がなくて、こういう本もいいなと思った。議論や見解より、まず事実。
黒田東彦『通貨の興亡――円、ドル、ユーロ、人民元の行方』
パクス・ブリタニカ時代に栄華を誇ったポンド盛衰史が興味深い。150近くある世界の通貨がドル、ユーロ、アジア通貨の3軸通貨制に収斂していく見通しといった近未来の話もおもしろいけど、世界共通通貨の可能性を論じる終章がなかなか刺激的。
V・S・ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊、ふたたび』
これまたすごい本だった。茂木先生だって、こんなおもしろい本は書いていないんではないか。海馬本で不意に売れちゃった若手研究者の池谷さんにしてもそうだけど、ラマチャンドランほど本がおもしろくないのは、自分で「脳とは何か、自己とは何か」という根源的な問いに迫るような研究したり、大胆で説得力のある仮説を立てたりしていなくて、ただ脳科学の現状俯瞰図や雑学的知識を紹介しているだけだからじゃないだろうか。これを言っちゃオシマイかもしれないけど、ラマチャンドランのような神経内科医は圧倒的にポジションが有利だ。マウス相手にせこい脳研究をやるより、精神疾患を患う人間の脳をダイナミックにfMRIで観察するほうが、今は実りが多そう。茂木先生もいまは次なる科学革命の胎動期だと言っているけど、そう言って騒いでいるばかり。ラマチャンドランは、その科学革命のど真ん中にいる1人に違いない。
それにしても、ピンカーやダマシオ、ラマチャンドランといった人たちの、まっとうなサイエンス本が売れる英語圏に比べて、日本語圏では、いったいどうして養老ナニガシ、沢口ナニガシ、森ナニガシといった、脳科学にかこつけて愚にもつかないオヤジ的説教をぶつ人の本しか売れないのか。そこにドリル式前頭葉産業が付け加わると日本の“脳関係出版地図”の9割は塗りつぶされる感じか。
「意識とは? 自己とは?」という問いは、もはや誰も、かつてと同じ意味では「生命とは?」と問わなくなったのと同じように、いずれ問われなくなるだろうという指摘になるほどなと思った。生命現象は、組織や臓器といった個別の活動に還元され、もはや神秘主義者以外には、生命とはと問う意味はなくなった。意識は、知覚や判断を上位で統合するために進化したという話には説得力がある。
ブライアン・フェイガン『古代文明と気候大変動――人類の運命を変えた二万年史』
小舟を翻弄する5メートル程度の波浪も、タンカーのような巨躯には何の影響もない。逆に小舟にとっては水位の変動としか思えないような巨大な波は、タンカーをひっくり返すような水の壁となる。規模の大小が、外部の変化力に対する対応力を決める。大きければいいというのでもないし、小さければいいというのでもない。小さな農耕民の集落は、気候変動に弱い。農耕を組織化し、灌漑システムや防波堤を築いた古代文明都市は、小さな気候変動に耐えられるようになったものの、数世紀にも及ぶ干ばつや寒冷化などに対しては脆弱になっていた。
たまたま穏やかで暖かい気候が続いた20世紀中に現代文明は発達したけれども、次に大規模な気候変動がやってきたとき、いったいどれほどの人間が、自分の住む場所から移動もできず、よそから食糧を受け取ることもできず、餓死していくことになるか。もはや数百万や数千万という単位では済まない。
ハリー・G・フランクハート『ウンコな議論』
1970年代にプリンストン大学の哲学教授が当時匿名で書いた怪文書が、時代を経て書籍化され、アメリカで人気を博しているらしい。その翻訳。訳者は山形浩生さん。爆発的には売れないだろうけど、固定ファンもいるし、結構いいセン行きそうな本だな。著者より翻訳者の名前のほうが大々的に表紙に刷られている。本文56ページに対して、解説が48ページ。相変わらず山形節が効いてて楽しい。
くちばしの真っ黄色な若造たちが机上の空論的な共産主義思想を語るのとか、反知性主義や過剰な文化相対主義が知的権威に対して挑戦していた時代、ウンコな議論に辟易したところから匿名で書かれた文書らしい。アウグスティヌスの嘘の14分類だとか、ヴィトゲンシュタインの冗談のような笑っちゃうエピソードなんかを交えつつ、しかつめらしい文体で「ウンコな議論」を哲学する。世の中には、なぜウンコな議論がはびこるのか? たとえば、誰もが自分が知らない分野のことについて意見をもたなければいけないような気がしていて、言わなくてもいいことを言ってしまうから、なんてことがある。山形さんは新聞の論説委員がトンチンカンな経済論をぶってしまう、なんて例を挙げている。
冗談で書かれた本とはいえ、読んでいてハッとさせられたのは、ウンコな議論をするある種の人びとは、命題の真偽に関心を抱いていないのだという指摘。真実や何が役に立つ議論かといったことになど興味がないのだ。なるほど、そういえばそうだ。だからぼくはウンコな議論をするヤツが嫌いなのだ。
投稿者 ken : 09:42 | コメント (3) | トラックバック
2006年01月16日
訃報で感じる自分の加齢
漫画家・加藤芳郎さん死去という訃報に触れて、ちょっとググッてみた。NHKの連想ゲーム(だんさんおおわださん、だんさんっ)が懐かしい。ぼくの記憶にある加藤さんは、50がらみのおじさんだった。いつのまにか80歳になっていたなんて……。最近、「あのおじさん、いつのまにかおじいちゃんになってたのか。死んじゃったよ」と感じる訃報が多い。自分がいかに確実に年を取っているかがわかる。
投稿者 ken : 23:30 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月15日
初めてのマンガ喫茶
初めてのマンガ喫茶。『このマンガがすごい』だったかでトップになっていたので、浦沢直樹×手塚治虫『PLUTO』、矢沢あい『NANA』を読んでみた。ふーん、という以上の感想はなし。マックのハンバーガーを食べながら、ツタヤで借りてきた三谷幸喜の映画を見た。下流な感じの1日だ。といっても、マックはいつも食ってるけど。
投稿者 ken : 23:25 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月14日
COSTCO
妻の人の友人にクルマで連れて行ってもらい、幕張のCOSTCOへ。アメリカ並みの、というよりアメリカそのものの、巨大なホールセールのスーパーマーケット。たまに来ると楽しいかも。港から直接積み荷を持ってきましたという感じの陳列が迫力。フォークリフトでさっきコンテナから降ろしたばかりといった風にズドドドドと並ぶハイアールの洗濯機を眺めていると、ああ、輸出入ってこうやって行うんだなと、社会科見学でもしているような気分になってくる。肉もチーズも牛乳も、なにもかもがでかい。「安い! でかい!」と言い続けていた。
しかし、ハイアールにしても、GEにしても、日本じゃ絶対市場取れないよな。ださすぎる。
投稿者 ken : 23:22 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月12日
新年会焼き肉
中高と一緒だったHと、高校で一緒だったKと新年会。六本木の巨牛荘でプルコギ。なかなか、うまかった。東京に出てきていてIT系業界に身を置いているという共通点があって、なんだかんだでよく会う2人。携帯キャリアNの裏話をいっぱい聞いた。
しかし、同じITでも、ぼくだけ住む世界が違うなと思う。同じ年齢と思えないほど、2人はIT系で踏ん張ってる。
投稿者 ken : 23:29 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月10日
汐留コンラッドホテル
取材で汐留方面へ。去年オープンしたばかりというコンラッドホテル東京は、ぼくの好みの無機的で幾何的な空間だった。汐留はいいなぁ。現代建築の最先端という建築物が林立していて、それでいてひとけの少ない場所というのが、子どものころから好きだった。弥生時代人の掘った貯蔵用のほら穴のある裏山、栗拾いやトンボ取りをした裏山も、それはそれで懐かしいけど、洗練された人口都市の風景のほうが、ずっと郷愁を誘う。黎明の薄明るい朝日に輝く高層ビルの曲面のほうが、ようよう明るくなりゆく山の端よりも、ずっと見慣れているし、ずっと美しいと思う。
某社お偉いさんのインタビュー。ふわふわした内容の話で、50分も時間がもつだろうかと心配したけど、あれこれ質問している間にあっという間に時間。興味深い話が聞けたし、ギモンに感じていたこともクリアになった。
今日の通訳者は、すごい実力だった。どうしてそうも訳し漏れがなく、発話内容をスラスラと反復できるのか。不思議な略記号をどんどん書き連ねる通訳者独特の速記が気になって、ついついノートをのぞき込んでしまう。通訳の技術は望むべくもないとしても、もう少し語学やらないとなぁ。
投稿者 ken : 23:43 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月09日
六本木散歩
六本木の一蘭でラーメン。なかなかうまい。しかし、隣客や店員と完全なる没交渉を実現する、のれんとしきり壁による“味集中システム”はいかがなものか。オーダーや追加オーダーするのに店員と目を合わせることも声を発っする必要もないのは、ヒッキーな人たちにもウケそうだ。細かいところまでアイデアがつまっていて、いいところをついてるけど、やっぱり何か矛盾を感じる。
六本木交差点あたりのベトナムコーヒーの店“チュングエン”で、コンデンスミルク入りコーヒーと、焼きバナナ。サンフランシスコやシアトル、ニューヨークと銘打つカフェはもう古いってことなのか、1、2年前にオープンしたようだけど、ぜんぜん流行ってる様子なし。レストラン風に食事メニューを大幅に強化して2005年5月にリニューアルしたらしいけど、ぜんぜんこれも流行ってる風はなし。てっきり山師的日本の起業家か、商社あたりがベトナムコーヒーカフェブームを仕込んだってことだろうと思っていたけど、このチュングエンって、ベトナム本国に420店舗もある最大のカフェチェーンらしい。
焼き茄子のように見える焼きバナナ。ココナッツパウダーとコンデンスミルクがかかっている。ややこおばしい。
トイレに鏡餅を飾る感覚がまったく理解できない。日本では成功しませんな、こんなことでは。クタッと傾いた感じが、溶けちゃった雪だるまのようで、ほっとけないかわいさがある。
しかし、アマンド近辺の六本木って、寂れてしまった感じが強くてビックリ。ドンキホーテができて、うさんくさいアフリカ系の黒人が徘徊するようにったあたりから下品になっていって自滅した感じもあるし、ヒルズに人をもっていかれた気もする。
ブラッド・ピット、アンジェリーナ・ジョリー主演のアクション娯楽映画、『ミスターアンドミセス スミス』をみた。完全なるB級マンガ映画。殺し屋夫婦のマンガチックな会話が楽しい。しかし、同じ制作費と人材があれば、それなりの映画が撮れそうなものなのに、もうアメリカはこういう映画しか作れないのか。特A級の制作陣が超B級の映画を作るのがアメリカってことなのか。
ラマチャンドランの2冊目の本を、いまごろ購入。
投稿者 ken : 21:59 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月05日
ブライユ点字
最近はGoogleの検索をブラウザ上から使っているので、直接Googleのロゴを見ない。見るのは検索結果リストのときに表示される小さなアイコンだけ。このアイコンが、昨日なんだかヘンに文字化けしていた。データが壊れてるなと思って、あまり気にしなかった。

これは壊れていたわけじゃなくて、点字だったらしい。“ブライユ点字”と呼ばれる点字の父、ルイ・ブライユは1809年1月4日にフランスで生まれたそうで、1月4日が点字の記念日なんだとか。
気になって点字の50音を調べてみた。子音と母音を組み合わせるハングルのように簡単で、10分ほど点字表を見つめ続けていると、だいたい覚えられる。それほど合理的なのに、ハングル同様に「合理的に人工文字を作るなら、どうして徹底して合理性を追求しなかったんだ」と思える、おかしな設計も感じられる。
音引きや一部表記の処理が、日本語の仮名とリンクしているようでいて、微妙に違っていたりするという、“もうひとつの表記問題”を見るようで興味深い。ふだん空気のように接している日本語とは微妙に違うパラレルワールドをのぞき込んだような気分。
点字図書館の人気貸し出し書籍リストを見てみた。『問題な日本語』なんていう日本語関係の本が読まれていたり、五木寛之の百寺巡礼が人気だったりするようだ。ふつうなんだけど、やっぱりパラレルワールドをのぞき込んだような気分。
対向するプラットフォームで、遠く離れたまま線路越しに平然と手話で雑談を続ける聾唖者が、少しうらやましく思えたりするのと同じように、電気を消して、ふとんに潜り込んでいても読書ができるという点字読者を、少しうらやましく思ったりする。という不謹慎な、興味本位の理由であっても、まったく興味をもたないよりは、興味をもって覚えようとするほうがいいのだろう。
すっかり忘れてしまったけど、ハングルが(音として)読めるようになったころ、手に取った韓国の雑誌で「マイクロソフト エクスプロラ マウス」といった表記を読み取ったときに感じたような新鮮な感動を、点字でも感じてみたい。さっそく明日、地下鉄の料金案内を指でなぞってみよう。