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2005年10月30日

入谷

お昼頃、駐車場ですこしジャグリングの練習。右手に4つ、左手に3つもった状態から、左右順番に7つを投げあげ、それを順に投げたのと反対側の手で受け取るという1周期が成功。ついに7ボールの入り口に到達。しかし、これを2周期成功させるには1年ぐらいかかるんじゃないかという予想。


元上司の西田さん宅へ。湯豆腐、餃子、鶏ささみ、ぬか漬けなど。「ほぼいつもどおりのメニューなんだけど」というから、いかに飲んべえかがわかろうというもの。あまりいつもいつも断るのも申し訳ないので、ビールとワインを少し頂く。銀座のアロマッシモで買っていったチーズがうまい。

「少し」といいながら、けっこう飲んでしまって、なんだかくだらない話ばかりしていたような気がする。関節もだるくなるし、やっぱりお酒はあんまり飲むもんじゃない。

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2005年10月29日

蒲田

妻のスキー仲間にお呼ばれして蒲田へ。少し前に取材で訪れたF社のすぐそばだった。雨が降っていたので駅からタクシーで移動。20年前からあまり変わっていなさそうな雑然とした駅前の商店街をぬけると、すぐに住宅街が広がる。しとしとと降り始めた夕方の雨で空は暗く、街も心なしか物寂しげ。

急にタクシーが「このへんかな」とカーブを切ると、不釣り合いなほどピカピカで背の高いマンション群が立ち現れた。何となく不思議な場所。すぐに案内に来てくれたなっちゃんが、「ここね、高いじゃない? 自殺があったのよ」などと不気味なことを言って笑う。

皿うどんの麺は、うどんだと思っていたけど、細い揚げ麺というのもあるらしい。九州では「細いのにしますか、太いのにしますか?」と必ず聞かれるのだとか。

9歳だか10歳になるお子様とジャグリング。特に練習したわけでもないのだろうけど、前よりも3ボールカスケードの雰囲気がではじめていた。家に余りまくっているビーンバッグを3つ置いてきたので、5年後には5個ぐらい楽々と投げているのじゃないかと密かに期待。

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2005年10月27日

バルセロナ

来週バルセロナに行けないかと急に上司に打診された。進行中の仕事がバタバタしているけど、スケジュール的に余裕のある出張なんて過去10年したことがないから、まあそんなもんだと思って、ほぼ二つ返事で了解。

出張の手配をしてくれるエージェントに、至急パスポート番号を知らせてくれと言われたのだけど、さすがに普通はそんなの覚えていないもの。でも、なんで円周率を300桁以上も覚えてるのに、銀行の口座番号やパスポート番号すら覚えていないのか、ちょっとおかしいんじゃないかと思った。

飛行機で片道17時間ぐらいかかるというのに滞在は2日のみ。ずっとカンファレンス漬けで、うち半日はレポート原稿を書くという強行軍。それじゃあ、あんまりにも悲しいので、密かにエージェントに依頼して、週末の1日だけ延泊できるよう手配してもらうことにした。バルセロナ観光でもしようかと思っている。

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2005年10月26日

本格的な英文法書を読んでみたい

本格的な英文法書を読んでみたくなった。文法の復習ということで言えば、ロイヤル英文法で十分なのかもしれないけど、ロイヤル英文法で、もっともおもしろく感じたのは、本文よりも、むしろ微妙な議論を含む文法や語法について述べた欄外の注釈だったり、英語文法の歴史的変遷について述べた各章の導入だったりする。そういうのをまとめて読んでみたい。英語という言語の背後にある本質的なダイナミズムを体系的に描き出すような、そんな抽象的なヤツがいい。

研究者の間でCGEL(シージェル)の略称で呼ばれる、「A Comprehensive Grammar of the English Language」が、とてもおもしろそう。1985年に出た本で、出版年が古いのがやや気になる。まだコンピュータの力を使った定量的な言語研究が進んでいない時代のもので、過去10年ぐらいの言語学の目指しい研究成果が盛り込まれていないという。でも、いまでも英語の語法についての論文であれば、必ずこれを標準文献として参照、引用するというほど権威がある、20世紀英文法書の金字塔的な書物らしい。英語の仕組みについて、およそこの本に書かれていないことはないんだとか。

「Longman Grammar of Spoken and Written English」も、かなりよさげ。あまりいろいろ辞書を使ってきたわけじゃないけど、コーパスを使った近代的な辞書編纂手法で成功したというロングマンに、ぼくは好印象をもっている。アメリカ英語寄りであるのもいいし(OxfordとかCambridgeと言われると、なんかイヤ)、口語をタイトルに入れて前面にもってきているのもポイント高し。書き言葉というのは進化が止まって固定されてしまった口語みたいなもんだから、おもしろいのは現に話されている口語のほうじゃないかとか思ったりしている。

Amazonで文法書、語法事典、コロケーション辞典なんかをカートに入れていったら7冊で4万円になってしまった。問題は価格じゃなくて、読めっこない分量だってことだ。CGELは1700ページ、Longmanの文法書も1200ページと、それだけでもうお腹いっぱい。うーん、どれを買うかなぁ。

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2005年10月25日

Back Dormitory Boys(后舎男生)

ついに本もでるとかで、生協の白石さんの話題が盛り上がっているので、急にウィリアム・ハンのことを思い出した。あんまり関係ないか。でも、受け手側が感じるカタルシスには共通する要素があるようにも思える。

ウィリアム・ハンを検索していたら、中国語圏で話題になっているらしい中国人の二人組、Back Dormitory Boys(后舎男生)の映像にたどり着いた。バックストリートボーイズのパロディーというか……。なんでこんなにおもしろいんだろうってほどおかしくて、画面の前で肩をひくひくさせてしまった。どこにでもいるおもろい奴らって見方もあるだろうし、古典的な物まねの芸風に過ぎないとも言えるけど、それでもこいつらにある種の才能があるのは間違いない。2人は、広東省の大学4年生らしい。

bdb.jpg

ウィリアム・ハンの偶然の人気沸騰の裏には、アメリカに移住したアジア系移民に対する人種的偏見があるのだとして、アジア系アメリカ人が反発しているとも聞く。このBack Dormitory Boysのパロディーは白人の音楽文化を茶化しまくってて、ちょっとばかしウィリアム・ハンブームの意趣返しとなっているように……、感じなくもない。中国人がアメリカ人を真似たというところが、笑いの大きさに影響してるんじゃないだろうか。もっとも彼らは中国の人気歌手(?)の歌らしきものもパロってるけど。

スターウォーズ気分で剣を振り回した少年とか(これもおもしろい)、その手の素人系ムービーで、偶然にしろ狙いにしろ、とてもおもしろいものが、ある確率でネット上に現われる。今後数年で、こうした流れってもっと大きくなるんだろうなぁ。時代は動画だ。さんまのからくりテレビとか言ってる場合じゃない。ネットだ、ネット。

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2005年10月24日

民主主義ねぇ

Antonio R. Damasio『Descartes' Error: Emotion, Reason, and the Human Brain』(Avon Books、1995)

期待して読んだのにあまりおもしろくない。爆発事故で頬から入った鉄の棒が前頭葉を貫き、脳天から飛び出したあと生き延びた患者のその後の人格変化とか、前頭葉に問題を抱えた人たちの言動が興味深くあったりはするけど、読みどころは、そのぐらい。

理性と感情は対立する概念どころか、むしろ互いに相補的関係にある。感情とか、身体的なフィーリングがなければ人間は理性的な判断が一切できなくなる。前頭葉の機能が欠落した患者は、各種の認識能力のテストでは何の問題もない。ところが日々の生活や人生の選択肢となると、その帰結は論理的に推論しうるのに、どれを選ぶべきかわからなくなる……というような話で、だから感情は理性をサポートしているんだって主張だけど、どうも当たり前すぎるように思えてピンとこない。

以前、霊長類研究の本で感じた違和感と同根かなと思う。日本人は、サルと人間が同類だという科学的観察を突きつけられても、少しもとまどわない。西洋人は違う。どうしても、そこが受け入れられない。同様に、日本人は、理性と感情は相反する白黒の関係にあるとは思っていないような気がする。西洋では肉体と精神、理性と感情は完全に対立する概念として捉えられてきた歴史が長い。アリストテレス以来の歴史があるけど、それを決定的に象徴しているのが、例のデカルトのコギト・エルゴ・スムという言明。あれはまったくの間違いだったのだ、と著者は言っている。肉体という存在なしに意識や魂が存在できないどころか、肉体というハードウェアに強く規定されているのが人間の精神だという。

河合敦『歴史で読み解く日本遺産』(プレイブックス・インテリジェンス、2002)

こうも特徴のない本は珍しい。淡々と日本の名所や遺跡を各都道府県ごとに1つか2つ紹介している。地図も写真もひどい。歴史で「読み解く」というのは、ほとんどウソじゃないかというほど、薄っぺらな文章で、観光地で受け取るペラの案内程度。まあ、そういうパンフレットをまとめて読むのもいいかなと思って読んでみた。やや旅情を催して、兼六園とか白川郷とか行ってみたくなった。

木崎喜代治『幻想としての自由と民主主義――反時代的考察 、シリーズ・現代思想と自由主義論』(ミネルヴァ書房、2004)

タイトルからしてぼくの問題意識どんぴしゃりの本だったので、確証バイアスが働いていないだろうかと警戒して読んだ。自由も、民主主義も、その価値を疑うことさえはばかられるほど信奉されているけど、そんなもの、どこにもないし、目指すべきものでもないんじゃないかという主張。衆愚政治とハッキリ言おう。目指すべきは貴族政治、それが言い過ぎなら賢人政治。議会制民主主義の現政体は民主主義なんて言葉がついているけど、賢人政治以外の何ものでもなく、それをよくする方法は民主主義的色彩を強めることなんかではまったくなく、賢人政治がうまく機能するようにすること。エリートに義務、責任、やりがい、賞賛を与えればいい。

いちいち、おっしゃるとおりだなと思いながら読んだ。誰かがこういう本を書かなければいけなかったという事実によって、むしろ暗澹たる気持ちになる。いまの日本が腐っているとしたら、それは政治家が腐敗しているからとかじゃない。政治家さえまともに選べない大衆が、自分だって政治に口出しできるなどと思い上がっているからだ。ぼくが選挙権を棄権し続けたのは、むしろ誠実さからであって、わからないことをわかると言いたくなかったからだったりするのだけど、同意見の人に(本という形であっても)出会えたことで、少し安心した。

佐藤優、『国家の罠――外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社、2005)

鈴木宗男と一緒に逮捕された外交官の手記。逮捕前夜からロシア外交の背景知識を交えて、逮捕、拘置、取り調べの500日あまりを詳細に記録している。外務省、永田町、検察庁のパワーゲームの攻防を、詳細な事実と発言の引用で、みごとに1枚の絵に収めて描ききっている。さまざまな立場の人間が、さまざまな価値観の元に動く。めまいがするほどおもしろい本で、特に後半は一気呵成に読み上げてしまった。著者はごく最近、続編的な本も上梓したようなので続けて読んでみようと思う。

これは国策捜査だからといきなり被疑者である著者に宣言して、「落としどころ」を見つけようとする検事との、長期にわたるやりとりが、まるで目の前で行われているように再現される。尋常じゃない記憶力。

検事の話からは、国策捜査はなぜ行われるのか、どういうダイナミズムのものとに、どういう役者たちが舞台に引っ張り上げられるのかが、うっすら見えてくる。国策捜査というのは冤罪ではないものの、ハッキリ言って茶番。逮捕も有罪判決もチャンチャラおかしい。それはメディアという舞台装置を使い、国民という観客に向かってお見せするお芝居に過ぎない。脚本は検察が書く。何のために書くかといえば、それは時代の区切りをつけるためだと、佐藤優の調書をとった西村検事はハッキリ言っている。自分たちがやりたくてやるわけじゃないとも言う。国民のみなさんの考えが変わってくると、それに合わせて誰かを捕まえる。それまで罪でも何でもなくてどんな政治家でもやっているようなことでも、ある時、線引きをかえて、誰かを引っかける。国家が本気になれば何だってできるし、逃げられない。だから、西村検事は言う。国策捜査で捕まる人はみんな優秀で国家のために今後もがんばってもらわないといけない。だから、あきらめて早めに落としどころを互いに決めてあんたも出直したほうがいい、と。それで普通は家族なり自分の将来を考えて、すんなり与えられた役を演じるところ、佐藤優は違った。

とつげき東北『科学する麻雀』(講談社現代新書、2004)

羽生善治がネットと将棋の興味深い関係を語っていた。ネットやパソコンの登場で、若い棋士たちのレベルが驚くほどあがったという。あがったばかりではなく、その上達速度に目を見張るものがあるという。いくらでも棋譜が手に入り、24時間対戦相手に困らず、プロのウチスジの研究だって、好きなだけできる。持ち時間の短い早指しで、オンライン対戦しまくることで、確かにグングン実力はあがるそうだ。

かつてなら将棋クラブに入り浸ったり、うまい人の指す将棋を端から見たりするぐらいしかなかったものが「情報化」によって革命的に変化してしまったのだという。ただ、あるレベルまではみんなさっくり上達するものの、そこから先となると結局は今まで通り、ごく一部の才能のある人だけしか進めない。羽生は、「高速道路が開通したいみたいなもの。ただし、出口付近で異常に渋滞している」と表現していた。

麻雀にも、その情報化の時代がついにやってきた。ネット上の麻雀荘、「東風荘」のデータをもとに大量の牌譜とシミュレーションソフトを使って、数理的に研究したのが、この本。かつて慣用句として言い習わされてきた、麻雀の常識やセオリーといったものに、いかに統計的にデタラメが多かったかが、次々と暴かれる。

「早いリーチに良形なし」、ウソ。「ドラで待つのは不利」、ウソ。「これこれの状況では手変わりを待て」、ウソ。「裏スジはキケン」、ウソ。「順位や流れに応じて打ち方を変えろ」、まったくのウソ。「相手の捨て牌から待ちを読め」、ウソ。

にわかには信じられないようなセオリーがどんどん導かれる。でも、改めて統計データと説明を眺めてみれば、不思議と説得力がある。要するに著者がやや憤怒の口調で指摘するとおり、麻雀打ちたちは、今まであまりに文学的に戦略を語りすぎていたんだろう。

著者が言うとおり、おおざっぱな統計的な傾向を表として頭にたたき込んでおけば、たぶん麻雀に強くなれる。麻雀は、あまりにおもしろくあまりに時間を食うゲームなので、今さらやろうとは思わないけど、統計データを元にした麻雀ってやってみたい。

ただ、何事でもそうだけど、ここまで数理的に解明された麻雀に、果たして麻雀がこれまで持っていたおもしろみは残るだろうか。統計的にセオリーが導かれていて、本人の直観とは関係なく取るべき戦略が決まっているとしたら、あれほどのドキドキや駆け引きの楽しさはないんじゃなかろうか。

Sun Zu、『The Art of War』(BC500?)

グーテンベルクプロジェクトを眺めていて、ちょっと気になった孫子の兵法を読んでみた。HTML版は、ここにある。全体としても短いし、箇条書きの短文の連続なので拾い読みしやすい。きわめて純化された戦略的思考が、歯切れの良い文で次々に展開される。とはいえ、本当に兵隊を率いて古典的な戦争をするなら意味があるだろうけど、近代的な戦争には意味がないコトが多い。牧歌的というか。2000年以上にわたって東洋でも西洋でも読み継がれた古典も、ついに古びてしまったということだろう。

ビジネスやスポーツでチームを率いるリーダーの書として孫子を玩味熟読するような人には、カンチガイ野郎が多いのは確かにそうなのだけど、どうやって配下の人心をつかむかという心理的な法則の部分なんかについては、参考になることがいっぱい書かれているように思う。

John Hoover『How to Work for an Idiot --- Survive & Thrive -- Without Killing Your Boss』(Career Press、2003)

管理職教育のために、コンサルタントや講師を長年やってきた著者がたどり着いた最後の答え。「ムダだ、こいつらに話かけてもムダなんだ」。人々は変化を嫌う。自分を変えることも、変えられることも嫌う。端的に言えば、ほとんどみんなイディオットなんだ。人やチームのマネージメントというのは、専門的で高度な仕事であり、誰にでもできることではない。なのに、世の中のほとんどのボスは、その会社がやっている仕事ができる人を選んでボスにされたような人たち。この人たちはある種の仕事を愛し、実際よくできる場合が多い。けれども、マネージャーとして見ると最低の場合がほとんど。みんな誤解しているけれども、歌がうまい人をボスにしたところで、部下に向かって「歌え」というだけ。誰もがその人と同じように歌えるわけじゃない。それがわからずに自分流のメロディーやコブシを押しつけ、あげくには細々と仕事の細部を管理しはじめる、マイクロマネージメントなどはじめてしまったら、その下で働く部下たちは窒息してしまう。

管理者教育はあきらめ、代わりに、ボスの下であえいでいる部下たちに語りかける、というのが、この本。結局のところ自分が教育しようと思っていた管理者たちはバカだったのだと反省する著者は、「変えられっこない人たちを変えよう、啓蒙しようとしていた自分こそ、本当のバカだった」と言う。彼らを変えることはできない。じゃあ、どうするかといえば、自分が変わるほかないのだという。対応を最適化せよ、と。

いくら相手が不当なことを言っていたとしても、その相手や相手の意見を変えることができない以上、最善の策は、自分をそれに合わせて変えること。どうすれば相手は自分を気に入り、少しでも職場が居心地のいいものになるのか。ということで、ボスを種別に分類し、それぞれの傾向と対策がまとめられている。


昔、かんしゃく持ちの同僚というのが職場にいた。なんだか知らないけど、すぐに憤激する。確かに理屈から言って、多少はフラストレーションを感じていいだろうという場面だったりするけれども、その程度のことはみんないつものごとく感じているわけだから、その人ひとりだけがそういうネガティブな空気を周囲にまき散らす権利は、まったくない。まったくないと周囲のみんなが感じているのに、当人は、当然の権利のように他人や、会社の制度、他人の仕事内容の悪態をつき、極端な罵倒語で不必要に周囲を険悪なムードに陥れてしまう。

こういう人の存在は理不尽としか言いようがないし、できれば、淘汰されてほしいとみんな思うのだろうけど、さしあたりできることは、忠告や諫言ではなく、自分側を変えること。その人を「踏んではいけない地雷だ」と思うしかない。なんでこっちが気を遣わなきゃいけないのかと理不尽に思ったこともあるけど、世の中、理不尽なヤツってのはどこに行ってもいると諦めさえすれば、機嫌良く対応することだってできる。

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2005年10月23日

ひさびさ大隈

彼女の友人関係の集まりで早稲田へ。久しぶりに母校早稲田の本部キャンパスに足を踏み入れた。大隈講堂から歩いて1分のお店で食事。集まりに来ていたお子様たちにジャグリングがウケた。

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2005年10月22日

鳥なべ

銀座で少し買い物したあと、義母、義兄と合流して末広町の鳥つねへ。鳥鍋。青森の何とかという鳥と、名古屋コーチン。鳥しんじょというコロッケのような揚げ物がうまい。トローンと脂がのった白いキモも美味。

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2005年10月19日

鬱々

あら、もう1週間以上も更新していない……。ジャグリングブログのほうを熱心につけているってのもあるし、これといって生活に変化もないし、書き留めたいと思うようなこともないしというのもある。

なんか鬱々とした日々。風邪気味。仕事つまりぎみ。

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2005年10月11日

記憶が楽しい

某社記者発表会。内容に未定事項が多すぎる。というより何も決まってなさすぎて、やや肩すかし。大勢集まった報道陣がしつこく質問しても何も出てこない。

記者会見という席上では「○○社長に4点質問させてください」といった風に連続して質問が出されることが多い。こうした質問をうなずきながら聞いている経営陣で、質問のメモを取らずに、順にスラスラ答えられる人は少ない。1つめ2つめの質問に長々と答えるころには、3つめや4つめが何だったのか思い出せず、隣の人間に聞いたりするのがふうつ。ぼくもよく「自分だったら」と思いながら聞いているけど、これは内容によっては結構タフだなと思う。

ところが今日、記者から出される質問項目を映像に変換して、映像記憶を試してみたら、帰りの電車のなかでもまったく問題なく質問項目を繰り返すことができた。質問に対する回答は簡単に思い出せる。結局、ぼくらの記憶というのは「きっかけ」を失うという部分が一番もろいってことで、一度見たり聞いたこと自体は、そうそう忘れないということなんだろう。今までも、各質問内容の要点を表す単語を「タテ読み」して覚えるという方法を試したこともあるけど、映像のほうが数倍楽だ。ポイントは、いかに迷いなく映像に変換するからしい。映像記憶術は、ぼくにとってはものすごく効率的で応用範囲の広い技術なんじゃないかという予感。たとえば本の目次や見出しを全部、順に再現できるようになれば、頭のなかで、その本をほとんど丸ごと反芻できることになる。今でも読んだ本は、内容や論点自体は結構覚えているけど、何かきっかけがないと出てこないので、結局はページをぱらぱらとめくって線を引いたところを拾い読みするということをしたりしている。その拾い読みに相当することが脳内だけでできるんだとしたら、これはいいことじゃないだろうか。

便利そうな映像記憶術だけど、300桁覚えたはずの円周率(というか300桁ぶんの数分の映像)を思い出そうとやってみたら、10箇所前後、ところどころ怪しかった。3日経過して95パーセント以上の保持率ならよしとすべきだし、最定着も数分でできるので、優れた方法であることには変わりない。

怪しかった部分は、反復して映像を想像する回数が少なかった部分。あるいは順番の入れ替わりが起こりやすい映像や、接続を忘れたり混同しやすい流れの映像というのもあるらしい。なにか工夫が必要っぽい。


記者会見の会場で久しぶりに横山さんとバッタリ。妻が1週間ほど出張だと言ったら「ちょうどいいぐらいですね」と言って笑っていた。わかるような、わからないような……。

ずいぶん肩が回復してきている。日常生活では、ほとんど不安がなくなったし、ボールも連続して3メートル以上の高さに投げるようなこと以外は、だいたい大丈夫。

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2005年10月10日

久しぶりの一人暮らし気分

髪を切った。彼女が出張中なので、今日も弁当+外食。1年ちょっと前まで、ずっとこんな生活だったとは信じられない。

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2005年10月09日

運動するとご飯がうまい

昼過ぎに起きてぼんやり。ちょっとジャグった。晩ご飯は天丼。小エビかきあげ天丼に、イモとキスを追加でオーダーしたというのに、ぜんぜん足りない感じがして、店を出たその足でタコ焼き店へ。やっぱりジャグリングをやるとおなかが空く。昨日のジャグリングフェスティバルでも、学食で鮭フライと唐揚げの2プレートを頼んでしまった。我ながら激しい食欲にビックリ。食事がおいしく思えるのはいいことだ。

天丼とたこ焼きを食べる間に円周率πを追加で100桁覚えた。合計300桁だ。すごい。やっぱり簡単だ。

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2005年10月08日

ジャグリング祭

さんたまジャグリングフェスティバルに参加。1日じゅうジャグリングしたり、ジャグリングゲームしたり、ジャグラーと交流したり。終電+タクシーで帰宅。

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2005年10月07日

円周率πを200桁まで覚えた

単語帳を作って単語を覚えるという話に絡んで、ふと「記憶術」のことを思い出した。1年ほど前に買った記憶術の本を引っ張り出してみた。速読法で有名な「栗田式」というヤツで、一部では自己啓発系教祖と見なされている人の本。

で、ストーリーを映像化して思い浮かべる方法を自分なりにアレンジして試したら、いきなり円周率πを200桁まで覚えられてしまった。驚き。ついでに、いつもうろ覚えだったクレジットカードの番号も覚えた(って16桁しかないけど)。会社の電話番号も覚えた。今まで自分の家の電話番号さえ覚えられなかったのに。

これ、方法さえわかれば、たぶん誰にでもできることで、πなら1000桁ぐらいは余裕で覚えられるんじゃないかと思う。よく考えてみれば、もともと人間の記憶力は1000桁の数字どころじゃない、もっとずっと大きなキャパを持っている。たとえば映画を見れば、たいていは順序だててストーリーやセリフの概要を覚えているものだし、ディテールの小道具も覚えているもの。そのひとつひとつの「場所」「人」「表情」「コトバ」「モノ」が2桁の数字に対応しているとしたら、1本映画をみたら、数千桁の数字は覚えている計算になる。要するに対応ルールを明確に記憶して、数字とモノの対応をとっさに変換できるように練習すればいいだけのこと。

ぼくが使った記憶術は簡単。まず、00~99までの2桁の数字とモノの対応表を作る。00(もも)、01(レイ)、02(鬼)……、62(ロープ)、63(ムーミン)、64(虫)などと割り当てていく。

で、たとえば「木から垂れ下がったロープにぶら下がったムーミンが首にレイを下げている。落っこちて尻餅をつく。ふと見るとおしりの下に虫がいた」という映像を思い浮かべる。これが62630164という8桁に対応する。このとき、映画監督になったつもりでパンだのズームだののカメラワークを使うと多少ストーリーに無理があっても順序を自由に変えられる。たとえば、レイが画面いっぱいに大写しになっているところからカメラをズームアウトさせて、「あっ、ムーミンだ」という感じの映像にすれば、0163と順序を変えられる。というようにして、短い映像の流れをどんどん作って、それを章立てっぽくつなぐ別のメタストーリーを作れば、いくらでも桁を増やせる。ストーリー同士は全部一連の流れにしてしまってもいいのだろうけど、とりあえずぼくは10桁おきに「場所」に関連づけることにしてみた。すると、それらの場所を順々に記憶のなかで歩いていき(時には蠅になって飛んだり、オウムになって地球から月に飛んだりもする)、それぞれの場所に登場する人物やモノを思い浮かべると、すんなりとその10桁が出てくる。

中世ヨーロッパで記録に残っている記憶術の達人は、記憶の配置にニョタイの映像を使っていたというのを読んだことがある。破廉恥でエロいことをストーリーにして想像すると、より記憶が鮮明になるという。すでにぼくの円周率はエロいシーンを含んでいるし、そもそも全体に突拍子もないシーンの連続で、ちょうど夢のように脈絡がない。ところが、これがすいすい覚えられるし、少し反芻しているうちに、ぜんぜん忘れる気がしなくなってくる。

やってみてわかったけど、特にストーリー性がなくても、ただカメラワークによるシーンの流れだけを思い浮かべれば、覚えるのはそんなに難しくないらしい。たとえば、円周率の50桁目から始まる6939937510という10個の数字列は、こんな感じ。「牧草地で革ジャンを着て歌ってるプレスリー(ロック歌手(69))から映像がスタートして、カメラはずーっと横へ移動。するとロック歌手は柵(39)の中で歌っていたことがわかる。続いて柵にズームすると、木でできた柵には、なぜか雑草が生えている(草:93)。その雑草に軟膏(75)を塗ってやる。葉っぱがテラテラと光っている。柵からふと目をそらして横を見ると、岩が(10)がある」。最後の部分の岩の登場には全然なんの必然性も関連性もないけど、これで十分、柵→草(ぬめぬめ光る)→岩と思い出せる。

00~99までの表を作るのにかかった時間が30分ほど。これが意外にタイヘン。形容詞や抽象名詞、固有名詞を避け、自分に親しみのある具体的なモノにする。数字の読み方もあまり広げすぎないように制限する。混同しそうな重複(虫とミミズとか)も取り除く。

で、歩いたり、電車に揺られながらストーリーを考えたり反芻したりするのに1時間。それだけで、ほとんど労力なしで、あっさり100桁前後の数字を覚えられた。電車の中でみかけた広告の電話番号まで鮮明に覚えている。さらに、晩ご飯を食べながら、もう100桁覚えた。時間がかかるのは妥当なストーリーやカメラアングルを考える作業で、覚えるの自体は何の労力も要らない。ただ何度か映像を反芻するだけ。

100~200桁目までのストーリーは、なぜか月面を舞台に展開されている。月面で博士の部屋で鯉にハムをあげて、通りのパレードをみて質屋に行き、ローマ人になって空港でご飯を食べ、空港内にある病院にはいって……、という感じで数十桁。

やっぱり「記憶術」には、それなりに根拠があるし、自分なりに工夫して習得する価値があるように思える。πを覚えたってしょうがないけど、覚えておくといいことって、いっぱいあるしなぁ。本を読んでいてよく思うけど、論旨の流れを、ツリー状に整理して記憶したい。よどみなく本のポイントを滔々と反復できるような能力は、ひょっとして記憶力というより、記憶術の範疇なのじゃないだろうか。無意味な数字に無意味な映像をくっつけて覚えられるぐらいだから、意味のある論理に無意味な映像を割り当てて覚えて何も悪いことはないようにも思える。

本当に魔法にように簡単に覚えられるので、πは1000桁ぐらいまで覚えてみようかという気になってきた。1週間もあれば1000桁はいけそう。

円周率暗唱系のホームページを眺めてみると(インターネットには何でもあるなぁ……、というか、世の中にはいろんな人がいるもんだ)、どうやらπの暗唱法でメジャーなのは物語式でコトバの語呂合わせが主流らしい。このあいだ8万桁の世界記録を打ち立てた原口さんも「さあ安心得んと(3.1415)国元去った(926535)」とやったらしい。でも、これって音と数字の対応に恣意性がありすぎて、数列とストーリーの変換効率が悪いし、再現時のエラー率を抑える工夫(力わざ?)が必要じゃないのかしら。すごくムダが多いように思える。

ただただ数字を覚える「無連想方式」にいたっては、まったく駄目だと思う。ぼくは子どものころに覚えた30桁は無連想方式で今でもスラスラと再現できるけど、ただただ覚えるという方法は子どもにしかできないし、子どもでも100桁前後が限度っぽい。

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2005年10月06日

coLinuxを入れてみた

coLinux+Debianを入れてみた。ネットワーク設定がわからなくて、apt-getできず。設定しようとしたら、viが入ってなくて呆然。なんとlessも入ってない。

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2005年10月05日

深夜ラーメン

連休前は締め切りが前倒し、はぁ。深夜2時半タクシー帰宅。久しぶりに深夜のラーメンを堪能。治りつつあると思った肩が痛い。

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2005年10月04日

語学熱

東京プリンスで某社カンファレンス取材。1000人以上は入る特大キャパのボールルームにはプレス向けに60席ぐらい用意されていたけど、2割ぐらいしか埋まっていなかった……。みんな今日はCEATECの取材に行ってるんだな。CEATECには携帯もロボットもテレビも、すごいのがいろいろ出てるようで楽しげだ。

ちょっと前から盛り上がりはじめた語学熱が最高潮に達しつつある。最高潮のいま、まだ何もやってないので、このままサーッと退潮して何もやらずに終わる可能性も高いけど。うーん……と書いている間に、とりあえず単語帳を作り始めた。まずは英語をもう1度。

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2005年10月03日

近所の意外な古本屋

前からあること自体は知っていた近所の古本屋に行ってみた。お店に入ってすぐのあたりにはマンガがずらーっと並んでいて、今どきのふつうの古本屋だなと思っていたけど、奥へ入ると全然印象が違っていた。やけに高そうな美術書や事典類、全集がいっぱい。それに加えて、みすず書房とか有斐閣とかの渋い本が大量に並んでいたりする。あまり多くは売れそうもないカタめの本が、なぜか数冊ずつセットで並んでいたりする。どれも妙にキレい。新古本なのか、どういう流通経路で並んでいるのか気になる。みすず書房の本は、講談社なら1200円でがんばっちゃいそうな装丁の本が平気で3000円とかしちゃうから、半額というのはうれしい。

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2005年10月02日

あぶら

お昼は厚切りベーコンの濃厚こってりカルボナーラ。夜は近所の韓国焼肉でカルビたっぷり。脂たっぷりの1日。昼寝もしたし、すごく身体にいいことをしたような気がする。

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2005年10月01日

ナイアガラツアー

新宿中央公園、ナイアガラの滝へ。ジャグリングの練習。久しぶりに長時間。クラブ(って棍棒みたいなヤツ)を投げた。ところで、Google Earthで新宿ナイアガラの場所を案内するビデオを作ってみました。地球を宇宙から見るところからはじまって、まずアメリカのナイアガラの滝にズームアップし、続いて太平洋を横切って東京・新宿に飛ぶという感じ。ロケットでひとっ飛びして公園に着陸するような、この滑らかな動きは必見ですよ。

naiagara.movナイアガラツアー動画(QuickTime形式、約10MB)

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