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2005年08月31日
スローブログ宣言
鈴木芳樹『スローブログ宣言!』(技術評論社、2005)
ぼくと同じ歳の、どこにでもいそうなIT系ライターが書いた個人的ブログ観。会社の書評担当者が放出した本の中からピックアップして読んでみた。いい意味で「個人的な感慨に過ぎない」と割り切って、いろいろとブログ雑感を提示しているのに好感がもてる。
取り立てて新しい視点を提供しているわけでもないし、初心者がブログって何さ、というギモンを抱いて読むべきような本じゃないので、いったい誰に向けて書いた本なんだという気がしなくもないけど、ぼくにはちょうどいいアップデートになった。過去10年弱の“個人サイト”の歴史を、折々の話題や小事件、ターニングポイントを振り返りつつ、ざっくりまとめてくれているのがありがたい。はてな方面とかブログ方面の動きに疎かったからなぁ。かなり嫌悪感をもって眺めていたからなぁ。90年代半ばから後半にかけて個人でホームページを開設していた古参のネットユーザーたちの多くは、ウェブ日記はつけていても、それをブログと呼ばれることに嫌悪感をもっていたように思う。著者の鈴木さんもそうだったらしく、ウェブ日記からはてなに移行して、気づけばブログと呼ばれるようになっていただけらしい。移行時にページ体裁ががらっと変わって、何か「自分のサイト」じゃなく感じられて書く気が失せたという感想がおもしろい。人間って、そういう感覚的な生き物だ。ぼくもツールをブログに移行して、すっかり別物になった気がしている。
ウェブ日記、テキストサイト、ブログあたりが、日本の個人サイトを語る3大キーワードなんだろうか。こうやって並べてみると、、、えーと、「そんな区別、どうでもいいじゃん」という感想以外に何があるっていうんだ(笑)。しかし、ブロガーって語るよね。何かを語るんじゃなくて、語る行為について語る。アップルユーザーみたいだ。アップルを使うことについて語る、みたいな不思議な自己措定願望というか。
著者の鈴木さんは、ブログなんて身辺雑記でもいいんだよ、書きたいことを書けばいいんだよと主張している。続けることが大切で、続けるためには、政治や文化を論じてやりあってるばかりじゃふつうは疲れるし、ネタっぽいことをやっても尽きるからムリだよと。
ぼくはブロガー界の動きに疎いので、よくわからないけど、
ブロガーのあいだでは、垂れ流し的な「日記」ではなく、しっかりした「記事」がブログにはふさわしいという意見が有力だ。
なんだって。鈴木さんは、このムードにとらわれることないですよという意味でこの本を書いている。
ブログなんてツール、メディアじゃん。それも新興の。だから、それでもって何をしようが、そんなの完全に個人の自由だし、他人がとやかく言うようなことじゃないと思う。1996年ごろ、個人サイトが立ち上がったときに「個人サイトはゴミだ。検索時のノイズになるからやめてくれ」と、まじめに主張する人々がいたけど、どうしてメディアの利用法について、こうもとやかく言う人が後から後から出てくるのか、よくわからない。
ネットで個人は「何で書くのか」「何を書くべきか」「どう書くべきか」といったあたりは、あまりいつまでも議論してても不毛だと思う。
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ネアンデルタール人の正体
赤沢威『ネアンデルタール人の正体――彼らの「悩み」に迫る』(朝日選書、2005)
昨年行われたシンポジウムをまとめたものらしいけど、シンポジウムの発表をまとめただけの本というのは、これほど読みづらく、泡のように薄いものになるのか。各論者とも、確かにネアンデルタールのことについて、それぞれの分野からなにがしかを語っているけど、いったい何の本だったんだというぐらいしか感想が思いつかない悪書。書名には「ネアンデルタール人の正体」とあるけど、ぼくはこの本の正体を知りたいよ。うーん、オムニバス形式がよくない、というのじゃなくて、つまるところ個々の発表内容にインパクトがなさすぎるんじゃないのか。なんか些末な専門領域の話ばかり。
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仏教とキリスト教
ひろさちや『仏教とキリスト教――どう違うか50のQ&A』(新潮選書、1986)
ひろさちやで宗教入門というと、司馬遼太郎を読んで「趣味は歴史」と豪語しちゃうような恥ずかしい知的カンチガイ感が漂うわけだけど、なんのなんの。良い本は良いのだ。と、思った。もやもやしていた「宗教って何なのさ」というギモンが、このところ少しずつ晴れていっている。そんなカンチガイを決定的にしてくれた本だった。で、自分の宗教の好みがますますハッキリしてきた。
ひとつだけ、とても興味深い指摘をメモ。「愛」という言葉。キリスト教では「愛せ」と教え、仏教では「愛するな」と教える。中国語でどうだったのかは、ひろさちやは書いてないけど、日本語に限っていえば、もともと「愛」という言葉は「愛着」「愛執」「性愛」といった、欲望から生まれるネガティブな拘泥を示す言葉だった。現代日本語では「愛」はかなり肯定的な価値観をともなって使われる言葉になっているけど、実際の用法となると、やや照れが含まれる言葉でもある。とくに異性間の愛情について「愛」というと、何かスッキリしない。それには理由がある。
明治期にキリスト教が入ってきたとき(キリスト教の伝来は2度あって、1度目はザビエル)、「love」の訳語に「愛」に割り当てたという話。ところが、庇を貸して母屋を取られるようなもので「愛」の意味が変わってしまったという。日本語の愛はエロスの意味だったはずなのに、いつのまにかアガペーを指すようになったってことだと思う。
しかしなぁ、不思議なのは、言葉が変わるほどキリスト教の影響を日本人は受けてるかということ。キリスト教圏の人々からみると、日本というのは本当に不思議な国で、アジア(アフリカでも?)でこれほどキリスト教の布教に失敗した場所はほかにない、という。今でも日本のキリスト教信者は人口の1%以下。別に弾圧したわけでもないのに。
ともあれ、「愛」とか言う言葉の意味の変化についていうと、これはキリスト教の影響を受けたというより、キリスト教圏の文化の影響を受けたんじゃないだろうか。I love you.というセリフが映画とともに入ってきたとか、その程度のことで、だからいまだに日本人は「愛してるよ」とはあまり言わないし、言ったとしても言ってる本人もあまり意味がわかってないような、白々しい感じになる。
投稿者 ken : 21:59 | コメント (0) | トラックバック
ひとなつの体験
座薬、まだ未体験です。夏が終わるまでには「経験」しちゃうかもしれませんが、冷蔵庫に眠らせてあります。聞いたところによると、痛み止め座薬の即効性にはすごいものがあるそうで。
おしりのアナに入れて、「あっ、、、、でちゃう、、かも、、、、あっ、、あっ(頬紅潮)」と思っているうちに、おしりのあたりからパーッと薬効成分が全身に広がって、痛みが消えていくのが、ほとんどその場で実感としてわかるということです。ぜひとも体験してみたい(ニヒ)。痛いのはイヤだけど。
昨日の注射は時間とともに効いてきたようで、夜にはすっかりラクになっていました。久しぶりによく眠れた。朝起きると、寝返りの影響なのか、やっぱり痛みが復活してて心配になりましたが、数時間もすると再び痛みが消えて、嘘のようにラクになりました。
投稿者 ken : 21:57 | コメント (0) | トラックバック
お祭りだったらお酒もいいかもね
お酒の話。妻の会社の同期、シルキーがお酒をやめたらしい。その話を読んだ妻が「どこかで読んだような話だ」というのでみてみたら、ぼくがお酒をやめた日に書いたのと同じ主旨の文章が綴られていた。
基本的な認識である「アルコールは依存性の高い、危険な薬物」というものはあまり変わってないけど、「その事実を覆い隠す文化がある」という点については、ちょっと考えが変わりました。
『禁酒セラピーの』を書いたアレン・カーは、お酒は危険ではないし楽しい「いいものだ」という幻想は、文化のなかで複雑に絡め取られているといっている。「お酒っていいな」と思うのは、それに不随する行動や感情が、お酒によってもたらされていると錯覚しているだけで、実際にはお酒と、「リラックス」「楽しい語らい」などは、本当は無関係なんだよという主張です。
この主張は言い過ぎの面もある。楽しい語らいやうち解けた気分は、薬物の効果であるのは間違いない。ただ、薬物に頼らなければ結べない人間関係など、結ばないほうがマシだと、ぼくは2年前に、そう書いた。お酒を飲んで、かわいくなる愛すべき人間がいるいっぽうで、ただ馴れ馴れしくだらしなくなる人間も多い。
お酒をやめてから後、柳田国男の著作や『嗜好品の文化人類学』(高田公理)という本を読んで日本の飲酒文化、あるいは飲酒文化一般について、ずいぶん見方が変わった。
飲酒とは何だったのか。それが独酌と呼ばれる個人的な営みともなったのは、日本では早くても明治や大正らしい。それ以前には一人で飲むとか、会社帰りに連日飲むとか、そんなものじゃなかった。江戸時代に樽の製造方法の技術革命や運搬経路の発達によって、清酒の生産量がグンと増えたとき、あちこちにアルコール中毒患者が発生して悲惨な状況になった、というような例外はあっても、それはむしろ例外的だったという。このあいだ読んだ元禄時代の木っ端役人の日記は飲酒話(と嘔吐話)に埋め尽くされていたけど、そういう豊かでヒマのある層というのも、むしろ例外。華やかに見える元禄時代だけど、庶民の生活はきびしい。相変わらず経済は低迷し、人口を支えるだけの農業生産もなかった。飢餓が日常的な世界で、誰がお酒におぼれるほど余裕があるのかっていう、そういう話。
欧米では独酌は、ほとんど精神病だと思われているフシがある。
飲酒とは、人間にとって何だったのか。それは、「お祭り」のときに神に近づくための小道具であり、テクノロジーだったのだろうと思う。サラリーマン日本人は、そんなことは忘れてしまっているけど、日本人の生活を支配するサイクルは農期であり、ハレとケの区別だった。お酒はハレの日に、非日常的なごちそうと一緒にいただく、非日常的な飲み物だった。
世界的に嗜好品の歴史をみてみると、おもしろいサイクルがある。『嗜好品の文化人類学』によると、各種アルコール飲料は、カフェイン、マリファナ、コカ、カッサバなど、ほかの嗜好品と同様に、民族や部族内で神と交わるテクノロジーとして登場する。向精神薬によるトリップを、彼岸との交渉だとカンチガイするということ自体、もはやぼくは前近代の迷妄としか思わないけど、ともかくまあお祭り騒ぎでトリップしてきた。神の重要な役割に共同体の紐帯を維持する、というのもあるのだろう。
神の国と行き来する民族的な交通手段だった嗜好品は、続いて工業品となって他地域に輸出されるようになる。世界的に普及している嗜好品が、すべて乾燥によって長期保存できるものであるのは偶然じゃない。
他地域へ進出した嗜好品は、その地域の住民に熱烈に受け入れられる。そして、人々は、もっと「効く」ようにと純度を高めはじめる。アルコールは蒸留酒になり、マリファナはヘロインになり、コカはコカインになる。
こうなると、だいたいが中毒症状を起こす。長い歴史で付き合いかたを知っている民族と違い、いきなり「飲み過ぎ」「やりすぎ」が起こる。たとえば、毛皮交易で現金収入を得たエスキモーたちが、みんなアルコール中毒になったような話がそうだし、ネイティブアメリカンの葉っぱを吸い過ぎたり、純化してヘロインを作った今の欧米人も、そう。あるアフリカの部族などは、たまに手に入れられるだけの「塩」を一気に大量消費するらしい。ふだん塩気のないものしか食べていないのに、ともかく何もかもしょっぱくする。薄味に慣れているから、少しの量で済むだろうと考えるのは、塩との付き合いの長いわれわれの発想でしかない。彼らに無制限に塩を与えたら、おそらく全員が成人病になってしまうんだろう。どうして現代日本人が塩を取りすぎないかと言えば、それが身体によくないと知っているからであって、そういう発想がなければ際限なく味が濃くなっていくんじゃないだろうか。
嗜好品、またはドラッグ、向精神薬の歴史は、こうして「民族的祭事の小道具」「工業製品」「純化による中毒」という歴史をたどる。続いて、人々は学習する。このままではいけないと、痛い目にあってはじめてそう思う。すると、今度は純化と逆のプロセスが起こる。その結果がビール。
人々は、今度はわざわざ薄めはじめる。度数の低いお酒が流行る。ヘロインからマリファナに戻る。
「塩」が嗜好品かどうかというのは議論の余地が大いにあるところというか、議論してもしょうがないところだろうけど「薄める」というプロセスは塩にも起こっている。先進国の人々は薄味で塩を楽しんでいるけど、それでもなお、健康によいとされる量を大幅に超える量の食塩を摂取しているのが現状だ。じゃあ、健康のために塩をあきらめますかというと、なかなかそれもできないでいる。塩分を取りすぎた人々は、いまでも健康を害している。
純度の低いドラッグが文化として受け入れられているところでは、純度の高いドラッグも同時に存在する。で、ここにぼくは問題があると思うんだけど、そういう状況では必ず一定割合で純度の高いドラッグの側に転げ落ちる中毒者が出てくる、ということ。
痛い目にあって学習したといっても、それはグループとしてのことでしかなくて、個々人は痛い目を体験していない。だから、ついやりすぎてしまう人が出てくる。ドラッグには依存性があるのだから、それはもう不可避的に「隙のある人」を地獄の淵に突き落とす。
そういう状況で何が大切かといえば、それは中毒で死んでしまった人々や、精神的、肉体的な苦しみにさいなまれた人々の体験を、共有していくことじゃないかと思うのです。
歴史的に、あるいは現状でも、どれほどの人々がお酒で命を落としているか、あるいは廃人となって苦しんでいるか、あまりに知られていない。知られていないにもほどがある、と、ぼくなんかは思うわけです。「自分は正しくつきあえる」と思っているのも、ある種の無知に根ざした、根拠のない危険な自信だと思う。
「民族的祭事の小道具」→「工業製品」→「純化による中毒」→「薄めたドラッグ」というサイクルが、割と普遍的にみられるとはいっても、これらのプロセスは重なり合っているわけで、いまの日本の飲酒文化には「民族的祭事の小道具」という側面も大いに残っている。ぼくは、ここを否定する気持ちはあんまりない。みんなで集って、季節に1度ぐらいお祭り騒ぎをしたって、それはいいのかもしれない。楽しいんだし。
『嗜好品の文化人類学』に寄稿している人類学者が、とてもおもしろいことを書いていた。その学者さんは、アフリカでフィールドワークをやってるそうで、ある時期、アフリカのどこぞの部族と生活をともにした、と。で、あるとき象が捕れた。そうすると、部族のみんなが浮き足だって、今日は象の脂を食べに行くんだと大はしゃぎなんだとか。背骨の周りについている脂が、彼らにとってはごちそうらしい。一緒に象を食べに行った学者さんは、みんなといっしょに脂にむさぼりついてみたりする。すると、翌日、ひどい下痢に悩まされた。あまりにひどいので、学者さんは部族の人々に聞く。「みんな下痢しないの?」。すると部族の人々は口々に言う「下痢だよ」。
下痢して食べたものを排泄してしまうということは、栄養分として彼らが象の脂を採っているのではない、ということになる。彼らには、生存上それが重要だというわけじゃない。そう、これはお酒を飲み過ぎてゲロを吐くのと、すごく似た話。みんなでワイワイ食べて食べて食べ過ぎて、それで翌日グロッキーになったとしても、そんなのどうだっていいんだってこと。
正しい飲酒生活に大切なのはハレとケの区別。その区別がなくなった現代日本で、まいにちダラダラ飲みに行ったり、用もないのに一人で飲んだりといったことが始まると、ちょっと危険信号かなと思う。お酒をやめる前のぼくは、そういう状態だったのでした。
投稿者 ken : 10:30 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月30日
注射再び
肩から腕全体が腐ってもげ落ちるんじゃないかというほど痛い。痛くて、まるで眠れない。朝を待って病院へ。担当医の順番が来る金曜日まで待っていたら痛みで生活が立ちゆきそうもない。
「横というより前なんですよねぇ」と言いながら、今日の新担当医は前方から肩にステロイド(?)注射。ほんの数秒とはいえ、これがまた痛い。いったい肩の中には何が入ってるんだ。
前回同様、2時間ほどで痛みが引いた。しかし、根本的に悪化してるように思えてならない。大の大人なので恥ずかしくない程度に泣き言を並べて、強めの薬を処方してもらった。
ついに座薬。人生34年、いままで操を守り通したのに。「座薬ってはじめて何ですけど、えーと、できるもんなんですか?」とそれとなく担当医に聞いたら、「みなさんやってますけどねぇ」と冷たくあしらわれた。
夜、帰宅してそのことを妻に話すとヤケに楽しそうだった。
投稿者 ken : 23:45 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月28日
肩痛し
ここ2日ほど肩の痛みがひどく、また夜ねむれない。3時間から4時間おきに痛くなって目が覚める。薬を飲んで身体を起こしていると楽になって、また横になって数時間後に痛みで目が覚める、というのを繰り返す。ガッツリ昼寝したりしているけど、どうも痛くてかなわん。
炎症がひどくなるのは、何か衝撃を加えたときとか、無理な力を加えた翌日というのは間違いない。でも、だからといって痛みを過度に恐れて一切動かさないようにしていることで、かえって痛みを固定化してしまうような気もする。粉末か液状の物質が滞留して痛みを起こしているのだから、動かして血行をよくしたほうがいいというのも、直感的イメージに合う。運動療法というのもあるようだし、じょじょに動かしてみたほうが、かえって治りが早いのか。
投稿者 ken : 23:46 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月27日
雅叙園ツアー
妻と義母と連れだって目黒雅叙園へ。千と千尋の神隠しの、あのヘンテコなお城のモチーフとなった場所もあるという雅叙園観覧とランチがセットになったツアー。顔なしに追いかけられながら千尋が駆け下りた階段の元となった、通称「百段階段」は戦火を免れ、いまでも見ることができる。丘陵の尾根に沿って続く長い長い階段の各階に、かつて絢爛を誇った個性的な客室が5つ6つ。それぞれの部屋で、違った意味でのため息がでる。
雅叙園は昭和15年に細川力蔵という東北出身の丁稚上がりのアイデアマンが、「来るお客さんに1日だけでもお殿様気分を味わってほしい」という思いで建てた、日本初の総合結婚式場だったんだとか。豪奢なツクリなんだけど、金や銀が、大理石が、という贅沢さじゃない。これ以上凝りようがないという技術と手間をかけまくった贅沢さが目を引く。
ガイド冊子の解説によると、昭和初期というのは、実は江戸から続く伝統職人の技術が最高潮に達した時期でもあったそうな。最後の日本的職人の粋を結集した建物、それが雅叙園ということらしい。全国から招聘された100人からの職人や画家、彫刻家といった芸術家が、コスト度外視で腕を競いあったというから、建築当時の現場は、すごい熱気だったんだろうなぁ。いまも昔も職人というのは、お金で動く人々じゃなくて、ただただ「いいもの」を作りたいという衝動にかられるものなんだろう。周囲に才能のある人間が集まったとき、そうした互いの創作意欲がぶつかり合って、ある種の好循環を生み出すような、そんなことが起こったのだろうなぁと、芸術的装飾に埋め尽くされた部屋にいて思った。落款も残さず名画を飾った画家や、もはや名前なんて残っていない職人たちの仕事の数々。残したいのは名前より作品だったろうから、それが本望なのだろう。
格天井にはめられた日本画の数々もよかったけど、何よりふすまに施された「組子」という木細工に心奪われた。ミクロにはシンメトリックなんだけど、マクロに見ると大胆にシンメトリーを崩したりしている幾何学的構図がいい。寸分のスキもなく組み上げられた木片は、目でわかるような寸法の狂いがまったく見られない。繊細な仕事ぶりがしのばれる。というか、いったいどうやったら、そんな大量の小さな木片を、大量生産の機械なしに同規格で作れるのかが、まったくわからない。
雅叙園トリビアを2つほど。雅叙園は総合結婚式場としてずいぶん繁盛したそうで、あるときなど1日114組の式を執り行ったこともあるという。それが、当時の結婚というのは結婚式当日に新郎新婦が初顔合わせになったりするものだから、3組も相手を間違えたりした、と、そんな話が残っているらしい。結婚式を終えて家に連れ帰ってよくよく話を聞いてみると「なんか違う」と気づいたんだとか。
もう1つ。雅叙園では、日本ではじめて本格的北京料理を出したというけど、このとき、細川さんは、例のくるくる回るターンテーブルを発案したんだとか。その後、日本全国に広まったのは言うまでもなく、本国中国でも使っているところがあるらしい。
夜、ソフィア・コッポラ監督の『Lost in Translation』を観た。ひどい。ひどすぎる。世界中を魅了した“トーキョー・ロマンス”とは、パークハイアット周辺で何となくカメラを回したというだけの駄作。ロマンスの本質のひとつは、非日常性にあるわけで、あまりに見慣れた場所ばかり出てくれば、それはまあ興ざめだよな……。舞台は新宿だし。でも、それだけが理由と思えない駄作っぷりだ。
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2005年08月25日
太った
久しぶりに体重計に乗ったら、ピピピッと警告音が出て「急激増加!」と表示された。ジャグリングができなくなって3週間で60kgから63kgへ3kg増加したらしい。ここ2年ほど、まったく変動がなかった体重だけど、急に運動をやめるとてきめんだ。1日4食食べるのをやめて、カツ丼のときはそばを食べるのをやめるようにしよう。ラーメンにライスをつけるのもやめないと。
台風の影響で風雨が強まるなか、ビッグサイトにグッドデザイン賞の取材。そろそろ50年だとかで、古い受賞作の展示がちょっとよかった。
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2005年08月24日
激痛再び
ここしばらくマシになっていた肩の痛みが、昨夜、急にひどくなった。動かすのが痛いとかじゃなくて、座っていても、立っていても、横になっても痛い。重力に引っ張られる腕の重みが恨めしい。ずきんずきんと拍動に合わせて痛むし、少し加重がかかるだけで激痛が走る。終電間際で家に帰り着くころには、息が荒くなり、吐き気がするほど痛くなっていた。久しぶりに生きているのがイヤになった。市販の痛み止めを飲んで就寝。
故障したなという自覚のある日から3週間以上も経過していて、それなりに症状は改善していたように思ったのに、これはいったい何だ……。そもそも「バキッ」とやって、「やっちゃった」ではなく、かすかな自覚症状として予兆があって、その翌日に激痛がくるという亜急性とも言うべき発症の仕方が不思議。それを時間感覚をあけて2度、繰り返しているところがよくわからない。
仕事がたまっていたけど、朝、早起きして近所の大きめの病院、三田国際通りの東京済生会病院へ行ってみた。
受付から会計まで、いやにIT化されたシステムで効率よく患者をさばくのに驚いた。診察カードとデビットカードを入れると領収書と処方薬受け取り番号がぴろーんと出てくる。何をやるにも待ち時間が短い。もはや本を読む気も起きず、息をしているのもイヤになるほど痛みがひどかったので、待たされないだけで、何ともありがたい。
整形外科の先生は「ジャグリング」という単語に、やっぱり「大道芸の?」と反応してたけど、あまりよくわかってなかったらしい。簡単な問診、打診のあと、腕の可動性テストをした。何かフローチャートのようなものに従って部位を特定しようとしているのか、肩関節の動きを何通りにもテストするのだけど、ほとんど全部でロクに動かない。皮肉なことに、痛めた原因であるはずのバッククロススロー(腕を背中に回わした位置で頭に向かって投げあげる)の動きだけが、痛くならずにできる。
問診のあと、すぐにレントゲン撮影へ。現像写真を受け取ると、肩のあたりに素人目にもハッキリとわかる白っぽいナニカが写ってた。何となくイヤな感じ。写真をもって先生のところへ戻ると、診断は「石灰質沈着性腱板炎」。肩に白っぽい液状の粉が貯まり、それが原因で炎症を起こすというものらしい。石灰質と総称しているものの、実際にはリン酸カルシウムだったりピロリン酸カルシウムの結晶だったりといろいろだとか。石灰質沈着性腱板炎は、かつて五十肩の一種と考えられていたけれども、いまは別個に捉えられて治療されてるんだいう。
石灰沈着性腱板炎(石灰性腱炎ともいいます)は、腱板に沈着したリン酸カルシウム結晶によって肩峰下滑液包の炎症が生じる、結晶性滑膜炎の一つです。結晶性滑膜炎の代表は痛風ですが、石灰沈着性腱板炎も痛風に匹敵する強い疼痛と運動制限をきたします。典型的には、急激に発症し、1~2週間ほどで次第に痛みと運動制限が軽減します。沈着した石灰はいわば炎症の燃料のようなものですから、これを早く除去することは患者の痛みを早く消退させる意味があります。(獨協医科大学整形外科助教授・玉井和哉、エーザイのサイトより引用)
レントゲン写真に写った白い部分は短冊状に肩の中央を上から下にわたって幅1、2センチ、長さ4センチほどで広がっていた。ネット上で検索した結果、ぼくのレントゲン写真ほどくっきり広い領域にわたって石灰質がみえる症例は見あたらない。のに、写真を撮るのを忘れてしまった……。こんど行ったら忘れずに撮ろう。
痛みの自覚症状とレントゲン撮影の結果、それにウェブで検索しまくった記述を比較すると、石灰質沈着性腱板炎という診断に間違いはなさそうに思える。でも、腱板断裂という可能性はないんだろうかというのがちょっと心配。ネットにある症例に比べて、ぼくのケースでは異様に腕が動かなさすぎる。腱板は造影剤撮影するか、MRIで見ないとわからないらしい。
「そもそも何で石灰質が出てくるんですか? 何かを保護しようとでもしてるんでしょうか」と質問したら、先生は、やや間をおいて苦笑いした。「さあ、なんででしょうね」。医療って症状の特定と治療法、その経緯なんかを収集するのがもっとも大切だから、案外こういう自然治癒してしまうようなものって、そのメカニズムが解明されてなかったりするんだなぁ。石灰質沈着は痛風で尿酸結晶ができるのと同じで、体質や加齢と関係しているらしいことぐらいはわかっていても、何でかという原因はわかってないんだとか。運動で急に起こるってのも、よくわかんない話だ。だいたい、結晶自体は物質的に無害でフィジカルな損傷もないというのに、なんで痛く感じられなければならんのだ? 痛風には尿酸値の異常を知らせるメリットがあるけど、運動で起こる石灰沈着は? ジャグリングの神の逆鱗に触れた?
なぜ石灰が溜まるのかとなると、まだ判然とはしていません。ただ、肩関節の動きにまで影響するほどの手先の仕事が多い主婦や学校の先生などによく起こり、肉体労働者にはあまり見られない点で、どうやら、肩を外転して手先を使うことの繰り返しが、肩の腱(腱板)の弱いところに無理を生じさせ、そこに変性を来し、石灰沈着するものと考えられています。(渡辺 甫氏、白山ののいち医師会のサイトから引用)
という記述がある。「肩を外転して手先を使うことの繰り返し」ってジャグリングそのものじゃないのかしら……。
炎症を止めるために注射を打ってもらった。肩に注射針をずぶっと刺す。注射針をみつめていても平気なほうだけど、丸い肩に垂直につきたてられた針がグリグリ動くという視覚的イメージが、実際の痛みをいくらか増しているような気がした。針は痛くないけど、肩のなかの何かが痛い。「石灰質を抜いてみましょうね」と先生。「これでチュルチュルっと抜ける人もいるんですよ、、、うーん、あれ、出てこないなぁ」とグリグリ、チュルチュル。指で触れただけで痛いというのに、そんなグリグリと……、あーーれぇーーー。めっちゃ痛い。冷や汗いっぱいで涙がちょちょぎれる。後でネットで調べたところ、液状の石灰物質を注射針で抜き取るのは治療法として一般的らしいけど「局所麻酔してから」って書いてあるやんか。まあ麻酔なんてしないで済むならしないほうがいいんだろうけど、、、生涯で経験した痛みトップ10に入るかも。いや、局所的だし時間も短いし、たいしたことないか……。
電車に乗っている間、あまりに痛いので、まったく仕事なんてできる気がしなかったけど、1時間後には痛みが鎮静。動かさない限りは痛くないという状態にまでは改善し、何事もなかったかのように1日は過ごせた。
石灰質沈着性腱板炎で見つけた良さげな解説のリンクは以下のとおり。ジャグラーをはじめ、肩を酷使するスポーツの方々はご参考にどうぞ。
- http://www.tahara-seikei.com/725.htm
- http://www.imcc-med.com/kataitami3.htm
- http://www.okinawa.med.or.jp/old/ippan/kenkou/000415.htm
- http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec05/ch074/ch074e.html
- http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec05/ch074/ch074e.html
投稿者 ken : 23:05 | コメント (1) | トラックバック
2005年08月21日
元禄時代のブログ?
神坂次郎『元禄御畳奉行の日記――尾張藩士の見た浮世』(中公新書、1984)
江戸時代の名もない木っ端役人、朝日文左衛門の日記。何の因果の巡り合わせか、300年近い歳月を、名古屋城で眠ることになり、最近(といっても数十年前)ついに封印を解かれたらしい。たかが個人の日記を、尾張藩が後生大事に秘蔵した理由は定かではないらしいけど、元禄時代の役人のブログを読むがごとき楽しみをもたらしてくれたのは、僥倖というほかない。たぐいまれな記録魔の才能を発揮して、28年も欠かさず毎日つけられた日記から、おもしろいツボを整理してまとめた好著。文左衛門の愛すべきキャラが印象的。酒好き女好き、芝居狂い。好奇心の塊で、武芸百般、なんにでも挑戦する。そうかと思ったら、すぐに飽きたり目移りしたり怖じ気づいたりと、なーんか頼りない。かすかに見栄っ張りで、そこはかとなく文学かぶれ。たまに日記で詩など吟じてみたり。
巷間にぎわすスキャンダル、心中事件、奇談、幕政批判といったパブリックなネタも多く、当時の生活や文化がよく伝わってくる。それにしても、心中だ切腹だと、あまりにたくさん人が死にまくる時代だったんだなというが驚きだ。関ヶ原から100年。戦乱遠く、安寧の日々にまどろみ、武士が武士らしくなくなった時代だというけど、なんだ、この血なまぐさい感じは。
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2005年08月20日
トマトがくるくる
小さなトマトが、いやにシリコンボールになじむのでパームスピニングの練習をしてみた。翻弄される小さなトマトが、ちょっとかわいいような。
投稿者 ken : 23:15 | コメント (3) | トラックバック
2005年08月18日
たいへんなことだ
めがねなしの裸眼で1日過ごした。すごいことだ。
その理由が、カバンに複数あるポケットのうち、ふだん開けないところに入れて何となく開けるのがめんどくさかったからだったりする。すごいズボラなことだ。
仕事がたまり気味。たいへんなことだ。
投稿者 ken : 23:03 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月16日
聖書ってナニ?
John Kenneth Riches, The Bible: A Very Short Introduction,2000
断片的にしか読んでいない聖書を、そのうち徐々に読んでみようと思い始めて早10年。まあ、古典というのはそんなもんなんだ……。みんな「いま読み返してるところなんですよ」と言いながら読むんだけど、たいていその人は実はその古典をはじめて読んでいたりする。
聖書とハリーポッターに共通する特徴は2つある。かつて印刷されたどんな本より多く売れたということと、かつて流通したコピーの数に対して読まれていない「未読率」がもっとも高いということ。要するに、どっちも前代未聞のベストセラーということだ。2000年以上も読み継がれ、2000種以上の言語に翻訳されたという聖書は、少なく見積もっても数十億部が刷られたんじゃないだろうか。ハリーポッターは1億部超え。あ、毛沢東語録は、もうちょっと売れたらしい。
出版社に入って営業部隊に配属された同期入社の友人が、かつて研修で先輩社員に聞かされたという言葉を思い出す。「ベストセラーというのは、みんなが本棚に置きたいと思うような本のことであって、読みたいという本かどうかは問題じゃない。まして読まれるかどうかは関係がないんだ」。ベストセラーというのは、そういう本だ。ほかにいくらでも娯楽のある現代ニッポンに、本を読もうなんて退屈な人間が100万人もいるわけがない。
ともあれ、ミッション系の学校にでも通っていた人をのぞいて、ほとんど誰も読んだことがない(笑)聖書というヤツを読んでみようと思っている。だけど、それなりに分量もあるし、ガイドなしに読むのは気が引ける。というわけで、まずはバイブル入門を読んでみた。
日本語の名詞には単複の区別がないし、英語でも、もはや「The Bible」とか「The Book」と単数で呼ばれたりするので、聖書は1冊の完結した本だと思われがちだけど、もともとギリシア語で本を意味するbiblionの複数形、bibliaがbibleの語源となったように、聖書というのは、書かれた場所や時代が異なる多数のテキストからなる「聖なる書物集」。どれとどれを聖典と認めるかということによって、聖書と呼ばれる本の内容は変わってくる。史書的なもの、福音書、手紙、詩と、聖書に含まれるさまざまなテキストの成立事情や相互の関係、それらが書かれた背景が知りたい。どういう時代にどういう人々によって、どう読まれてきたのか。
日本聖書協会のホームページなんかに行くと、聖書にまつわる端的なFAQ集があって、これがかなり充実している。実はぼくが知りたかった聖書のイロハは、だいたいここに書かれてある。だけど、いかんせん「内部の人間」が書いたもので、中立性というか客観的視点に欠ける感じが強い。
聖書の文句はきわめて曖昧で示唆的だったりする。そこに解釈を加えるとしても、どうしてそういう解釈が出てくるのかとか、どうしてそれが唯一の解釈たりえるのかとか、端から見ているとどうにも我田引水に見えがちな聖書の解釈の由来も知りたいところ。
John Richesの手短な案内本によると、そういう「我田引水」の印象は間違ってなかったらしく、聖書というのは、受け入れるコミュニティーが自分たちの受難の歴史を勝手にあてはめて解釈するという種類のテキストだって話。だから、ユダヤ人に受け入れられたテキストが、まったく違う解釈で、民族自決、国民国家自立の嵐が吹き荒れたときのアフリカやアジアで読まれたりした。そして同じその聖書が植民地時代の欧州人に大量の現地人を平然と殺戮させ、その行為を正当化したのだから、意味がわからん。
何というか……。これほど人類の歴史や文化に影響を与えた本は、ほかに存在しないのだから、そういう興味はあるけど……、どうにもくだらなく思えてならない。もともとエジプトを逃れた奴隷たちの共同体法規の性格をもっていたわけだろうけど、今さらそんなの参照しなくたって、現代社会には道徳も法も、社会秩序維持の知恵はいくらだってあるわな。殺すな盗むな隣人を愛せよって、昨日山から下りてきた猿じゃないんだよ、言われなくてもわかるわな。
2000年にわたって生命力をたもったテキストだというけど、たとえば創世記なんて「フーテンの戯言」のような内容じゃないか。よく指摘されるとおり、やっぱり神への絶対の愛を誓わせるのって、中央集権国家における大衆支配の方便だったんじゃないのか? 自分の子どもを殺せと命ずる神なんかと、ぼくは契約したくないな。自分の愚かさや小ささを認めることは、ただちに絶対的な超越者を認めることには帰結しない。その点で、ぼくは仏教のほうにはるかに共感する。
天皇機関説をとる見方では、天皇はこう仰せになったとか、御意はこうであるとか、周囲の政治家が天皇という象徴を利用して権力を利用するけど、聖書にも、ちょっとそれに似た構造がないだろうかと思った。曖昧なテキストに解釈を加え、「神の意志」であると言って、強大な権力を掌握、すなわち大衆の自発的な従属を促す。宗教を共同体の社会秩序維持のための求心力発生装置とみるなら、どうして日本に一神教的な宗教が少なかったかもわかるような気がする。日本で本格的な中央集権体制が整うのは明治期で、そのとき神道が大きな役割を果たしたってわけか。もしこういう単純な見方ができるのだったら、宗教は近代以前の遺物となるんだろうけど、しかし、そういう見方をする人間が大半を占める社会というのは、ちょっと考えづらい。いや、現代日本社会は? 日本人は品がいいからハッキリ言わないだけで、内心では、時にはた迷惑な身勝手な信仰を煙たがったり、危険視してたりしないかな。魂の救済という個人にかかわる面については、そもそもそんなもの必要としていない人がほとんどなので、どっちみち宗教など不要だし。
どちらかというと、個人の内面にかかわる宗教にしか興味がないと思っていたけど、内面から自発的に生まれる信仰にしたって、それは社会規範の内面化のようなものと区別がつかない。そういう意味では、宗教って個々人の魂の救済が目的じゃなかったのかよという逆ギレ的逆恨みを感じたりもしないでもない。
キリスト教もユダヤ教も、どっちもぼくには受け入れがたそうだけど、それにしても旧約も新約も読んでみないとなぁ。
肝心の聖書のテキスト。英語版は、かなりいろいろとあるけど、オンラインで日本語で読めるものというと、たとえば、Holynetとか。やや怪しい日本語だけど。
2005年08月15日
大阪滞在
1週間のお盆休みが終了。大阪への帰省で親類への結婚ご報告と、ジャパン・ジャグリング・フェスティバル2005、通称JJF2005に行ってきた。1000通ぐらいメールがたまっていると、スパムフィルタのありがたみが身にしみるよなぁ。
懐かしの大阪。出張で行くときには大阪市内だけで、自分が育った枚方市に足を踏み入れることはなかったので、本当に久しぶり。15年ぶり。懐かしい駅前や、懐かしい表札をあれこれ見ながら生家があった4丁目へ。生家はとうになくなって、長屋のようなものになっているけど、家の土台である石垣は30年前のままだった。石垣の壁から水平に飛び出した、大小様々の石を伝って歩くのが好きだったもんだから、ひとつひとつの石の色や大きさが懐かしい。隣家のオヤジがすっかり白髪頭になって、やけにガーデニングに夢中になっていた。後で聞けば、58歳と早めに定年退職し、毎日花壇の世話ばかりして過ごしているんだという。
ぐるぐるとあちこちを歩き回って中学校や小学校にも行ってみた。長い人でもひとつの学校での任期は10年だそうだから、もう誰も知っている先生はいない。「何かご用ですか?」と夏休み中の当直の先生に不審がられつつ、ぐるっと中学の校内を見て回った。古びているけど、何も変わらない。ああ、この中庭で悪ガキ連中に呼び出されてもめたなーとか、この階段の脇をアクロバットのように登ってしかられたなーとか、このドアに耳をぶつけて耳が裂けたなーとか、まあ思い出すことはたくさん。
ぼくは少し勘違いしていたらしい。自分はのどかな時代に育ったんだと思っていたけど、そうじゃなくて、ぼくが育ったところがのどかなだけだった。30年前と変わらず、枚方市の宮之阪というところは、のどかだ。すごい田舎。山や川の自然が広がる田舎じゃなくて、さえない、うらぶれた地方郊外の新興住宅街という意味での田舎。懐かしいけど、あんまり住みたいとは思わない。駅前の本屋さんさえつぶれてしまって、巨大なパチンコ屋と奇妙なラブホテル以外に何もない、どこにでもある地方の町。ちょっと切ない。
小学生のころ、古びて崩れ落ちそうなアパートとか文字通りの長屋に住む友達が多かった。そういう時代だったんだと思っていたけど、そうじゃなくてそういう場所だったのか。今でも当時と変わらず長屋が続く3丁目。若い夫婦と元気な子どもたち、一軒家が多い新興の4丁目。それにしても空き地や公園の雑草はどうにかならんのか。コ汚い下水のような川は何とかならんのか。赤い色がすっかり褪せてしまった道路標識は何で交換しないんだ。がたがたに、あちこちがくぼんだままの舗装道路はどうにかならんのか……。町が汚くて古い……、地方都市行政って、どうなってるんだろうか。けっきょく、青色LEDが発明されたら真っ先に信号機を交換するような東京都心部とは、豊かさが違うってことか。
しかしまあ、3丁目の肉屋のコロッケは相変わらずうまかった。本当に懐かしい味。ぼくがよく食べた当時は45円だったけど、今も65円となかなかがんばっている。昼下がりの肉屋は暇そうで、奥で新聞を広げるオヤジは意外に老けてもいなかったし、くたびれてもいなかったのが不思議。肉の単価が断然安くて、やっぱり見るからにおいしそう。東京の肉は高くて、まずいよ。同程度の肉で比べると、3倍ぐらい値段に開きがあると思う。
お久しぶりのおじさん、おばさん、いとこたち。祖母のお墓参りにも行って、ひととおりご挨拶。おじさんがごちそうしてくれた、はも鍋がうまかった。金次郎おじさんの鮮魚へのこだわりは、すごい。久しぶりに聞く商人言葉のべたべたの大阪弁が、ちょっといい感じだった。それにしても、親族一同、あれほどのトラキチだったとはなぁ。よかった、阪神が連勝している時期に挨拶にいけて。
12~14日は妻と別行動。年に1度、日本中のジャグラーが一同に集うジャグリングの祭典、Japan Juggling Festival2005に参加。3日間の会期中、会場となった大阪府立体育館では、隣の会場でボリショイサーカスもやっていた。ちょっとのぞいてみたい気もしたけど、まあぼくの興味は主にジャグリング。ジャグリングに関してだけ言えば、JJF会場のほうがサーカスの100倍ぐらい、すごいことをやっていたのは間違いないと思う。
肩の故障のために、ぼくは見ているばかりだったけど、ホントに濃いぃ3日間だった……。
投稿者 ken : 12:30 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月07日
犀の角のように独り歩め
中村元訳『ブッダのことば――スッタニパータ』(岩波文庫、1958)
現存する最古の仏典の邦訳。ゴータマブッダが行く先々で弟子たちに語ったとされる言葉。詩文と散文の混交で書かれている。散文のほうは、あとから弟子たちが付け足したものが多く、それを釈迦が語ったように書いているらしい。聖書にも似たような成立事情があるというけど、まあおおらかなもんだ。元はパーリ語で、サンスクリット語訳になったものを、ダイレクトに日本語にしているので、中国を経ていない仏教典ということになる。漢籍の仏典や日本で編纂された仏典とはずいぶん様子が違う、素朴な言葉が並ぶ。
ブッダが国も妻子も捨てて出家したときには、インドの山には多くの修行者がいたという。そういうバラモンに対して語りかける釈迦の言葉は、まだ仏教というよりも、仏教的発想をもった「教え」という程度のもので、これがいずれ世界宗教に発展するおおもとなのかと思うと拍子抜けするほどシンプル。宗教というよりもむしろ、修行者のためのモラルのようなもの。その後、漢語を割り当てられたり数え上げられたりする苦しみの種類や悪徳の数々も、平易な言葉で語られている。怒るな驕るな、悪口を言うな、陰口するな、妻以外に手を出すな、酒は飲むな、親孝行しろ、執着の元を絶て。
何かの本で読んだブッダのモーチベーションの根本には、苦しむ人々を助けたいという大乗仏教的な他者救済があったように思う。「目の前に矢が刺さって苦しんでいる人がいる。なによりもまず、矢を抜いてあげることが先決だ」。でも、スッタニパータを読むと、もともとブッダがいかに小乗的だったかがよくわかる。「自らの矢を抜け」としか語らない。そもそも、誰にでもそれが可能だという意味のことは全然言ってない。出家して、あらゆる欲望が妄執から起こるものと観じて、あらゆる執着から離れよというばかり。子なんて欲するな、いわんや朋友をやと。
仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
かれははからいをなすことなく、(何ものかを)特に重んずることもなく、「これこそ究極の清らかなことだ」と語ることもない。結ばれた執著のきずなを捨て去って、世間の何ものについても願望を起こすことがない。
真のバラモンは煩悩の範囲をのり超えている。かれが何ものかを知りあるいは見ても、執著することがない。かれは欲をむさぼることなく、また離欲を貪ることもない。かれは<この世ではこれが最上のものである>と固執することもない。
教えに耳を傾けようという気持ちより、原始仏教とはどんなものだったんだろうという好奇心で読み始めた本だったけど、しつこいほどの詩文的リフレインで心に染みこんでくる文句の数々に妙に納得。ふっと楽になったように思う。俗世間の塵埃にまみれた凡夫が、すべてのこだわりを捨てるなんてできんのだろうけど、何で今まで捨てられなかったんだろという妄執がみえた気がする。釈迦が指摘する2000年前の愚かな人々の拘泥の例を見ると、猛烈に今の自分が相対化される。今の自分にとって大切に見えることも、よくよく長い長い目で見て考えてみると、実に頼りない基盤しかもってないじゃないか。
キルケゴールは「自分の心臓には矢が突き刺さっている。それを抜こうとは思わない」という意味のことをどこかで言っていたように思うけど、あれはひょっとして、ブッダのたとえに対比してのことなんだろうか。
かつて思春期には、絶望と虚無以外の答えを求めることは、現実から目をそらすという欺瞞でしかないと思っていた。自分の死が存在しないかのように振る舞える世間のほとんどの人を、自分とは異なるエイリアンのように感じていたものだけど、そういう潔癖さにしたって、絶対の答えを求めてひとつの価値観に拘泥しているという時点で、知的迷妄と言えなくもないのかもしれんなぁ。
この世で、執着の元になる何ものかは、同時に悦びをもたらすものでもあるわけで、両方得るか両方失うかのどっちか。悦びもない代わりに悲しみや喪失感もなく、そういうふうに心の平安を求めるのが賢者だという。わりと現代的な価値観で言うと、悲喜こもごもでいろいろあるから人生には価値があるんじゃん、ということになりそう。悲しみや苦しみを恐れてたら悦びはない、と教えるのが、今どきの自己啓発っぽい。うーん、このへん、うまーくあんばいよくして、まんなからへんで……。感情のジェットコースターのような人生は避けるにしても、一切の欲望がないモノトーナスな人生も、ちょっとねぇ。ということで、うまーく何とかおいしいトコ取りで……、といってる時点でもう執着と妄想がはじまっとるがな。なむー。
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2005年08月06日
誤って捻り
どういう姿勢で横になっても痛くて眠れないし、立っていても座っていても痛い。せめてふつうの生活が楽になれば、あるいは寝ることができればというぐらいひどい。
クリニックに行って電気治療、超音波治療、マッサージほか、受けてきた。
上腕三頭筋か、あるいは肩の周囲にある細かい筋肉が損傷しているとの診断。程度はかなりひどいらしく、言われてみれば可動範囲が極端に狭い。
それにしても「路上で ジャグリングの練習中に 誤って捻り 負傷した」って…て。
今日はぐんと楽になった。
投稿者 ken : 17:14 | コメント (2) | トラックバック
2005年08月03日
腕が痛い
ジャグリングのしすぎというか、ちょっと妙な投げ方を練習したせいで、右腕の肘から肩にかけて激痛が。寝ても起きても痛い。ジャパン・ジャグリング・フェスティバルまで、あと10日もないのに……。やばい。
吉村仁『素数ゼミの謎』(文芸春秋、2005)
ゼミっていうからゼミナールのことかと思った。数論研究をしている大学院生A君とB子さん、C教授の対話仕立てで、ややミステリー風味に進行する素数に関するゼミ……。
そうじゃなくてゼミは蝉のことだった。アメリカで13年に1度、17年に1度大発生するセミの話。なんで奴らは決まって素数年の周期で発生するのか。という疑問に対する答えとして、気候変動、進化論、繁殖戦略といったことから仮説を立てた著者の科学論文を、絵と図をいっぱい入れて子ども向けに書き直した本。周期が素数であれば、異なる周期のセミたちと、同じ年に孵化してかち合う周期が長くなる。なるほど。
投稿者 ken : 23:56 | コメント (2) | トラックバック
2005年08月02日
アジアは一つ
岡倉天心『東洋の理想』(1903)
「アジアは一つである(Asia is one.)」ではじまる天心の代表作。『茶の本』以上に悲痛な叫びが背後に聞こえる気がするのは、やっぱり社会的な蹉跌や結婚生活の破綻といった個人的事情があったからなんだろうか。と、そういう個人的事情が著作のカラーに反映しているという事情はあるにせよ、脱亜入欧を叫ぶ当時の時代の流れの中で、高らかに東洋の理想、アジアの歴史的資産の価値をうたいあげたことの意味は、国内的にも国際的にも大きなものがあったのだろう。ただ、解説によると、当時、東洋的、あるいは日本的思想や文化を再評価する機運が国内にはあったらしいので、何も天心だけが叫んでいたわけではないらしい。今の右翼のようなショービニススティックなナショナリズムとは異なり、西洋に学ぶことは学ぶにしても、東洋的な価値観を捨ててはならないという、バランスの取れた議論が当時はふつうにあったらしい。
天心が描くアジアの「思想的遺伝」の基本的な伝達構図は、インドから中国に伝わり、他のアジア地域に伝播しながら最終的に日本へ入っていく流れにある。個人主義的なヴェーダの哲学から原始仏教を生んだインドの哲学が南にあり、ヒマラヤ山脈を隔てて中国には孔子の社会共産主義的儒教が北にある。同じ中国でも北方に儒教、南方には老荘思想があるというように「アジアは一つ」にして「多様」。中国が易姓革命という政治的サイクルで定期的に文化も思想も荒廃し、インドがその政治的無関心や組織への無執着から西洋に蹂躙されてエネルギーを失うことになっても、万世一系の皇統という希有の政治的安定構造をもった日本は、あたかもアジアの思想と芸術の貯蔵庫として機能した、ということらしい。たとえば奈良・平安の宝物を伝える正倉院は、ポンペイの遺跡のごとくに1000年以上も前の日用品を現在に伝えている。
Laurie Bauer, Trudgill, Language Myths(Penguin Books,1999)
英語話者は日本語話者よりも使う音が高いので、日本人には聞き取れない音がある。だから英語が聞き取れない。というような、ちょっと考えれば嘘っぱちとわかるようなアホな主張がはびこっている理由はふたつある。ひとつは、日本人が言語学的に比較的孤立した言語を母語としているために、外国語習得に非常な困難をともなうという事実。第二言語を話す人が少ないので、第二言語を話すとはどういうことかを日本人は知らなすぎるように思う。多くの人は外国語学習で挫折して、「自分が外国語ができないのには、何か秘密があるはずだ」と考える。ホントは答えは簡単。「単語を覚えるのって大変なのよ」の一言に尽きる。文法も発音も、まして発声の高さなんて関係ない。
もうひとつ、言語学的にばかげた俗説が繰り返し繰り返し登場する理由は、言語学者がなすべき仕事をしていいないからだ。学者は、学問研究から得られた成果を、一般に広く説明する責務を負う。
言語学者は、するべき仕事を、あまりしてこなかったのではないか。そういう問題意識から、英語話者が一般に抱いている「言語にまつわる神話」を、ひとつひとつつぶさに検証していく、という本。見出しを見るだけで、神話の構造がわかる。たとえば、日本語は英語との比較で「日本語は論理的でない」ということが言われていたりする。英語話者はフランス語との比較で「英語は論理的ではない」と信じている。言語Aは言語Bより論理的だ、という主張がいかにばかげた非論理的な主張かが、このへんからだけでもうかがえる。
- The media are ruining English.
- Some languages are harder than others.
- Some languages are just not good enough.
- French in a logical language.
- Some languages are spoken more quickly than others.
- Children can't speak or write properly anymore.
- Women Talk Too Much.
- In the Appalachians They Speak Like Shakespeare.
- Italian Is Beautiful, German Is Ugly.
- They Speak Really Bad English Down South and in New York City.
問題意識もいいし、設問もどれも興味深いけど、解説が浅すぎてツマラナイ。事実を述べて「それは神話にすぎない」と解説するだけじゃなく、その背後にある神話を生み出した心理や、あるいは言語の背後にある普遍的な法則といったことにまで切り込んでほしいもんだ。「フランス語は今までに存在したどの言語よりも、論理的で人間の思考を明瞭に表現できる言語だ」という、今となってはお笑いの主張は、どこからどう出てきて広まったかということについて、かなり詳細に解説されていたりするけど、項目によっては説明らしい説明がない。たとえば「単語の意味が変化する」のがふつうのことだという結論を知らないヤツが、今どきいるのか。なぜ変化するのか、どの程度変化するのか、どういう法則がそこにはあるのか、と、それが知りたいのに。
投稿者 ken : 23:48 | コメント (3) | トラックバック
2005年08月01日
横浜
取材でパシフィコ横浜へ。みなとみらい線は便利だ。みなとみらいの駅からQueen's Squareへ抜けるあたりって、近未来的(というのも、21世紀となった今や恥ずかしい言葉だけど)な空間だ。
往復時間も入れると横浜取材なんて半日仕事なのに、あまりにもツマラナイ内容だったのでガッカリ。アタリ創業者と毛利衛さんのスピーチが、ちょびっとよかったのと、毛利さんがしゃべってるあいだ、バックで延々と表示されていたシャトルから見た地球の風景がいい感じだった。シャトルからの映像を見ることはあっても、あれほどまとまった時間、大画面で地球を眺めていると、うっとりする。宇宙から見るナミブ砂漠、紅海、ツンドラ、オホーツク海。どれも美しい。
「私たちは訓練で何度も太平洋や大西洋につっこんで死にます。でもシミュレーターではリセットすれば生き返るんですね」。なんかスゴイ話だ。集っていた世界中の若人に向けて話していたので、夢を語る語る。「宇宙飛行士になるにはいくつも試験を受け、面接をします。そのとき必ず聞かれる大切な質問があります。いつ頃から宇宙飛行士になりたかったか、という質問です」。ロケットサイエンスなんて、いくら技術力があがったといっても、しょせんは爆弾を抱えた人間を飛ばすという話。シャトルの事故は偶発とかミスとか組織的な問題とか、そういう人為的に防げるレベルの問題じゃなくて、「ロケットは、いつ爆発するかわからない」というのが、どっちか言うと真実に近いという話を聞いたことがある。そんなものなんだろう。宇宙飛行をするというのは個人的にも人類的にも、多大な困難を伴う。だから、「子どもの頃からとにかく宇宙に行きたかった! 自分のすべてを賭けてでも宇宙に行きたい」と、そういう情熱がない人じゃないと駄目なんだと毛利さん。「みなさんはこれから社会に出て、夢を実現しようと努力するでしょう。そのとき、さまざまな問題が起こります。夢を現実にするには問題がたくさんあります」。どっかで聞いたような、ありきたりな校長先生の説教のようだけど、宇宙飛行士が言うんだからなぁ、そりゃまあなぁ。
なんかヘンなところにビニールシートをしいて陣取ってる人たちがいっぱいいるなぁと思ったら、今日の横浜は花火大会だとか。ゆかたの人がたくさん。